2011年2月3日木曜日

極私的2000年代考(仮)……ホワイト・ストライプスというフィクション(現代ブルース考)

よく知られている通り、ホワイト・ストライプスにはジャック・ホワイトがある種の美学として掲げるいくつかの「決め事」がある。

アルバムのアートワークから衣装まで「黒・白・赤」で統一されたヴィジュアル・イメージ。ベースレスの変則デュオとして「ギター・ドラム・ヴォーカル」で構成されたバンド編成。そしてソングライティングを司る「メロディ・リズム・ストーリーテリング」からなる基本原則。それらの決め事はすべて、「3」つの要素から成り立ち、作品を重ねる中でいくらかの例外を含みながらも、文字通り「ルール」として、「制約」として、あるいは「個性」としてホワイト・ストライプスというバンドを定義してきた。

こうした決め事にこだわる理由について、ジャック・ホワイトは「構成こそクリエイティヴの元」だと語る。

自分自身に条件や規制を課すことで、余計なアイディアに惑わされず音楽に没頭でき、結果「いろんな問いに自分で答えることを強要される」。つまり、決め事がもたらす不自由さを打開しようとするモチヴェーションこそが「僕らの創造の源なんだ」と。そして「3」という数字は「何かを成立させるために必要最低限の数で、自立するために最低限必要な数」と語り、ひいてはジャック・ホワイトの中で「3」とは、音楽/バンドというものを紐解く絶対的な「素因数」として認識されている。

対して、先日リリースされた最新アルバム『イッキー・サンプ』では、サウンド面でその「決め事」がいくつかの楽曲で破られている。

パティ・ペイジのカヴァー曲“コンクエスト”や“プリックリー・ソーン~”で聴けるホーンやバグバイプ等の「外部」楽器の導入と、それに伴うサポート・プレイヤーの招聘。加えて、初となる本格的なレコーディング・スタジオで制作された今作では、数曲でオーヴァー・ダブ=ポスト・プロダクションが施されているという。「今回初めてだったのは、他のカルチャーの音楽を取り入れたってこと」と語るジャック・ホワイトの言葉にも示唆的な、ある種の「混血化」を許容したサウンド面の変化と、モダン・テクノロジーと隣接する制作環境が可能にした技術的な面での自由。つまり、これまでその「決め事」に集約されてきたホワイト・ストライプスの原型(=純血性)は局所的だが突き崩されており、その意味で今作は、すでに6枚目を数える彼らのディスコグラフィーの中でもきわめてイレギュラーな体裁がとられた作品だといえる。
 
思えば、そもそもホワイト・ストライプスとは、じつに「フリーク」で、「フィクショナル」なバンドである。ベースを欠いた変則的(と映るのはあくまで凝り固まったロック史観ゆえ、なのだが)な編成をはじめ、ポップ・アートのように反復される黒白赤のヴィジュアル、そして姉と弟という2人の関係など、それらのシチュエーションは、美学的な「決め事」というよりギミック的な「作り事」として好奇の目で見られてきたことは事実であり、サウンドの評価以前にその自作自演的なキャラクターをめぐっては、同世代のミュージシャンにとってはしばしばアンチテーゼの対象でもあった。

さらに、バンドをその象徴に祭り上げた「ロックンロール・リヴァイヴァル」という懐古趣味なフォーマリズム(彼らの2ndのタイトル「De Stijil」はオランダ語で「様式」を意味する)の復権が、たとえばブルーズやフォークを信奉するジャック・ホワイトのルーツ気質と相俟って、彼らの奇形的でコンセプチュアルな部分に評価と注目が先行してしまう風潮に拍車をかけたことはいうまでもない。


インタヴューにおいて、ジャック・ホワイトの口からは、自分が1970年代生まれの白人で、デトロイト出身であることへの負い目のようなものが度々語られる。20世紀初頭のアメリカ南部で、孤独や疎外感を抱えた黒人労働者たちが自らの心の叫びとして歌い始めたことから生まれたブルーズ。そんな現代黒人音楽の原点であり、バンドの「決め事」に照らし合わせても最高の音楽形態だと信じて疑わないブルーズを自分のような人間がやるなんて、傍から見ればまるでジョークだし、リアルじゃないし、その資格なんてあるはずもない。

「だから人の注目を集めるための安易な手段として、目新しい感じがするっていうことでブルーズを使ったんだろうって思われる気がしてね」。

だとするなら、じゃあどうすれば嘘臭くなくリアルに、堂々と、ブルーズという「本物の音楽の伝統」につながることができるのか。その答えが、ジャック・ホワイトにとっては例の「決め事」であり、そうしてホワイト・ストライプスに条件や規制を設けることで、過去の模倣や真似事ではない、ましてやジャンルの保守性に奉仕するのでもなく新しいものを生み出すことができ、「より自分たちが素朴で正直になれる」と語る。つまり、いうなれば彼らは、あえてフィクショナルでフリークな(と彼ら自身が自覚してるかどうかは別として)形態を自ら纏うことで、リアルで偽りのない「正統的」なものへと近づくことができる、というのだ。

「僕らが敬意を表するものを現代の音楽として通じるものにしたい。それを使命として感じているところがある。ブルーズの価値観を何がなんでも現代に通じるものにしてやれっていう」。こう語るジャック・ホワイトだが、しかし同時に、彼らがブルーズに向う態度には、現代にブルーズをやることへの切実な覚悟が窺える。

現代にブルーズを鳴らすことが、特に自分たちのような人間にとってはいかにフィクショナルでフリークな行為か。あるいはその鳴らされたブルーズは、いかにフィクショナルでフリークなものにならざるを得ないか。そして、もはやフィクショナルでフリークなものとしてでしか、現代にブルーズは存在することができないのではないか。彼らの「決め事」とは、おそらくそうした認識の重い裏返しであり、他ならぬ批評であり、たとえば「否定」を至上命題とする“ノー・ウェイヴの子供たち”とは違い、「正統」であることを誰よりも望む彼らは、その現実と理想との狭間で軋みを上げながらもブルーズのリアリティを真摯に信じ続けているように、そのサウンドや発言からは感じられたりもする。こうした彼らの問題意識は、ブルーズに対してのみならず、もはや何らかの形でリヴァイヴァリズムを孕まずにはいられない、リヴァイヴァリズムから逃れることが困難な2000年代のロック・ミュージックにも突き付けられた問題であることはいうまでもない。

単なる情動や情緒だけではブルーズの真髄に辿り着くことはできない。だからジャック・ホワイトは、ブルーズの定義を「構成(様式)」として取り出し、「決め事」として対象化し、その鋳型に自らをはめ込むことでブルーズを「纏う」。しかし、それは彼らにとって何よりもリアルで正統的なプロセスであると同時に、作為的で概念的であることを免れないアプローチでもある。この、「本物」であるためには「擬態」せざるを得ず(批評性とある種の危機感から)、あるいは「擬態」することで「本物」たる実感を得ることができる――というブルーズをめぐる捩じれと矛盾を、はたしてジャック・ホワイトはどのように受け止めているのだろうか。

「当時の俺はどうしてもロックが好きで、どうしてもボブ・ディランが好きだった。それだけは譲れないって感じでさ。そのせいで友達が一人もいなかったっていうのにね。だけどあの頃の俺にとってはどうしてもそれが重要で、『俺はロックだ、ロックじゃなきゃダメなんだ』って頭の中で繰り返してた」
小・中学校は周りがほとんどメキシコ人で、高校は全員が黒人で、ヒスパニック系とアフリカ系の移民で占められたデトロイトの郊外で育ったジャック・ホワイトにとって少年時代は孤独で退屈なものだったという。「クラスの中で俺だけがランDMCを聴かないガキで、俺だけがテニスシューズを買わないガキだった」という環境の中、しかしどうしてもヒップホップが好きになれなかったジャック・ホワイト少年に、音楽的な趣味を分かち合う友達はほとんどいなかった。「そういう意味では僕は小さい頃から疎外感を抱いていたといえると思う」。

そんなジャック・ホワイト少年に救いの手を差し伸べたのがブルーズだった、というのは、だからある意味で必然的なストーリーだったのかもしれない。孤独や疎外感といった感情は、いうまでもなくブルーズにとって根源的なテーマである。ジャック・ホワイトが「ブルーズに本当に目覚めた」きっかけは、18歳のときに初めて聴いたサン・ハウスの“グリニング・イン・ユア・フェイス”だった。「あの曲は僕の世界を一瞬にして変えてしまった。僕の中で何かが爆発して、僕の人生がようやく開かれた」。そこに描かれていた、白人社会における黒人というマイノリティの叫びに、当時のジャック・ホワイト少年が切実なシンパシーを抱いたことは、容易に想像できる。

しかし、ジャック・ホワイトがブルーズに心を奪われた理由、そしてジャック・ホワイト少年の苛まれた孤独や疎外感の源泉は、そうした周囲の世界との違和感だけによるものではない。

ブルーズとは、白人社会で暮らす黒人労働者たちの日常から生まれた音楽だった。ブルーズの担い手たちとは、つまり労働力としてアフリカから連れてこられた黒人奴隷の子孫である。その社会的なマイノリティとしての血が、ゴスペルなどの宗教音楽をへて、白人流儀の語法や音階と交わりながら発祥したのがブルーズだった。

しかし、当事者である“ブルーズ・エイジ”の黒人たちを何より苛めたのは、マイノリティであること以上に、アフリカ系アメリカ人としての孤独や疎外感だった。黒人奴隷たちにとって、苦しい生活を強いられながらも心の支えになったであろう「故郷」の記憶は、彼ら“ブルーズ・エイジ”にはない。もはやアフリカは、遠く失われた「ルーツ」であり、コミュニティ意識やマイノリティとしての出自さえも彼らにとっては希薄だった。そんなアイデンティのよりどころのなさが影を落とした埋めようのない深くて大きな孤独や疎外感が、彼らのブルーズの根底にはある。

「なんていうか、過去への思いを募らせるところがあったよね。すべてがうまくいっていた時代に自分も生まれたかったっていうか。というのも、家族も友達も誰もが、どうして物事がきちんとあるべき形で行われていないのかって不満をこぼす中で毎日を暮らしているわけだからね。ものすごく充実していた時代がかつてはあって、それが今は何かがおかしいってことになると、なかなかきついものがあるし……」

ジャック・ホワイトが故郷のデトロイトについて語るとき、そこには悲しみと諦念が入り混じった複雑な感情が浮かぶ。それは、たとえばファーストの“ザ・ビッグ・スリー・キルド・マイ・ベイビー”でも歌われるように、あるいは『エレファント』のセルフ・ライナーノーツに記された「the death of the sweetheart」というフレーズに象徴されるように、失われたものへの思慕であり、失う機会さえも与えられなかった文化的・歴史的な記憶への憧憬に由来する。

企業倫理に骨抜きにされたカルチャーやコミュニティ。ブルーズやフォークに宿るピュアリズムやその伝統性。しかし、そもそも自分には思いを募らせるべき「故郷」などない――。自身の「ルーツ」をどこに見出したらよいかわからず、過去とも現在とも切断されよりどころを失ったアイデンティティの救済としてロックやブルーズにすがったジャック・ホワイトの心象風景は、その孤独や疎外感の重さにおいて“ブルーズ・エイジ”のアフリカ系アメリカンと根源的に響き合うものであったことは想像に難くない。

それは、たとえばジャック・ホワイトも信頼を寄せるベックが、似たような文化的・人種的にも雑多な環境で育ちながら、むしろその雑多性にまみれて同化することでアイデンティティを獲得し、やがて同じく思春期の終わりにブルーズと出会いミュージシャンとしての血肉を形作っていくのとは見事に対照的である。

創作においては「解体と再構築」をブルーズと対峙する共通のアプローチとしながら、かたや「混血」することを信条とするベックと(だから彼のブルーズへの関心は「音楽」に向かう)、かたや頑なに「純血」であろうとするジャック・ホワイト。しかし、繰り返すように、その「純血」を守ろうとする行為そのものこそ、ある種のフィクション性と奇形性を孕み、「1970年代生まれのスコットランド系の白人で、デトロイト出身」であるジャック・ホワイトにとっては極めて「混血的」な意味を帯びざるを得ないところに、ホワイト・ストライプスというバンドの困難さがあるのはいうまでもない(だから『イッキー・サップ』のホーンやバグパイプについて「他の音楽」ではなく「他のカルチャー」という言い回しをしている意味は大きい)。


「radical」という言葉を辞書で引くと、そこには「革命的・急進的な」という意味と、もう一つ「根本的な・基礎の」という意味が記されている。一見すると相反するようだが、しかしこれほどホワイト・ストライプスというバンドを的確に言い表す言葉はないだろう。自ら規制を課した必要最低限の環境の中で創造性を最大に発揮し、音楽的な革新性=「異端」を追求しながら、ブルーズという現代ポップ・ミュージックの根源であり「正統」に向うという困難を選択したホワイト・ストライプスは、まさに「radical」であることを志向するバンドと呼ぶのがふさわしい。

「社会という平面の中で、存在することが不可能な、だからこそ思い出の中で、過去を打ち負かす現在」(『エレファント』セルフ・ライナーノーツより)。思い出の中ではなく、いや社会という平面の中で過去を打ち負かす現在――それこそがまさに、ホワイト・ストライプスなのではないだろうか。

(2007/08)

※追記:2011年2月、解散が発表された。http://www.whitestripes.com/

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