2011年7月18日月曜日

極私的2000年代考(仮)……NYアンダーグラウンドの一例

それは、かつてなくエクスペリメンタルな才能が咲き乱れた10年だった――と、少し気が早いが、「ニューヨークの00年代」を総括することができるのではないだろうか。
 
ザ・ストロークスのブレイクを端緒に、俗にロックンロール・リヴァイヴァルと呼ばれた原点回帰の機運が高まるなか、00年代の幕を開けたニューヨーク。しかし、ご存知のとおり、その後、彼の地のシーンを先導した音楽フェーズの多くは、その実きわめてアンダーグラウンドな性格のものだった。

(その大半が80年代のニュー・ウェイヴを引用したポップとしての性格が強い英国勢とは対照的に)ノー・ウェイヴを参照点としたポスト・パンク・リヴァイヴァル/ディスコ・パンク~エレクトロクラッシュ、「フリーク・フォーク」に象徴される汎ジャンル的なフリー・ミュージック、あるいは、ブルックリンで開催される「NO FUN FESTIVAL」周辺の先鋭的なノイズ・シーン……etc。そうした諸々の音楽事象は、そこに歴史的な蓄積として従来あるアート・シーンやフリー・ジャズ等のアヴァンギャルドな音楽土壌と交わりながら、溢れ出した地下水脈のように00年代のニューヨークを席捲した。つまり、本来ならアンダーグラウンドで潜在化するだろうエクスペリメンタルなサウンドが、過剰ともいえる形でオーヴァーグラウンドへ顕在化(=トレンド化)した状況こそ、「ニューヨークの00年代」といえる。

そうした意味で、昨年、日本でも公開されたドキュメンタリー映画『キル・ユア・アイドルズ』は示唆的な作品だった。「New York No Wave & The Next Generation」というコピーのとおり、スーサイドやリディア・ランチ(ティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークス)からソニック・ユースやスワンズまで含むノー・ウェイヴ世代と、ブラック・ダイスやライアーズ、ヤー・ヤー・ヤーズといった00年代のバンドを対置し、両者の共通項と対立軸を争点化しながら紐解かれるニューヨークの「裏史」的なアンダーグラウンドの系譜。そこには、リヴァイヴァリズムと混同されがちな00年代初頭のニューヨークの実像が捉え直されていると同時に、以降の趨勢も可視化するオルタナティヴな「史観」が明示されていて興味深い。

「音楽の基本要素を根本から変えてやろうと考えたんだ」とアート・リンゼイ(DNA)が語るノー・ウェイヴの本懐は、それぞれに解釈やスタイルの違いこそあれ、通奏低音のように「ニューヨークの00年代」を反響し、その創作を規定している。そして、かたやリディア・ランチが「私が受けたすべての影響を排除した。何も参考にしない音楽を創ることが私たちの目標だった」とも語るその“否定の意思”のなかに、00年代の彼らは音楽的な可能性を見出し、それを“肯定的”に読み替えていくことで、アンダーグラウンドなエクスペリメンタリズムをロック/ポップへと反転させてみせた。その成果は、個々の作品は無論、たとえば“00年代の『No New York』”とも銘打たれたヒシャム・バルーチャ(元ブラック・ダイス/現ソフト・サークル)監修『They Keep Me Smiling』や、先日リリースされたニコラス・ヴァーンヘス(アニマル・コレクティヴら御用達のブルックリンのスタジオ「Rare Book Room」の名エンジニア)監修『Living Bridge』等のコンピレーション盤でも確認できる。あるいは、カルロス・ジフォーニ(「NO FUN FEST」主催者/ミュージシャン)が「今は世界全体がノー・ウェイヴの舞台なんだと思う」と別のインタヴューで語っていたように、ノー・ウェイヴをその背景/深層に参照可能なエクスペリメンタルな音楽環境は、もはやニューヨークに留まらず至る場所のアンダーグラウンドで共有された状況といえるのかもしれない。


そして、本作『Terrific Seasons』がファースト・アルバムとなるブルックリンのトリオ、ディーズ・アー・パワーズ(以下TAP)もまた、そんな「ニューヨークの00年代」の申し子的なバンドにほかならない。たとえその名前に覚えはなくても、「元ライアーズのメンバーが立ち上げたバンド」と聞けば画点がいくのではないだろうか。

TAPのスタートは06年の春。その発端は、ライアーズを共に脱退したロン・アルバートソンとの新バンド、N0 Thingを率いるパット・ノエッカー(Vo/プリペアド・ベース・ギター)と、当時キル・ロック・スターズ傘下の5RC(ヘラ、シュシュetc)に在籍するブリックリンのパンク・バンド、ナイフ・スキルズのメンバーだったアンナ・バリー(Vo/ギター)の出会いに遡る。カップリング・ツアーを行うなど交流を深めた両者は、互いにバンドを解散後、ほどなくTAPを結成(ちなみにナイフ・キルズの元ベースはその後、TV・オン・ザ・レディオのデイヴ・シーテックのプロデュースで話題を呼んだドラゴンズ・オブ・ジンスに参加)。06年にセルフ・タイトルのデビューEP&リミックスEPを自主制作で、翌年7インチを、バーチヴル・キャット・モーテルやアシッド・マザーズ・テンプルの河端一の作品もリリースするミシガンの「Elsie and Jack」から発表。そして、アトランタ/ワシントンDCに拠点を置く「Hoss」(エクセプター、WZT・ハーツ、リヘンズetc)から、ファースト・アルバムとなる本作に続き、ビル・サラス(ドラム/エレクトロニクス※ブレンマー名義でハイ・プレイセズやイェーセイヤーのリミックスも手掛ける)の正式加入をへて今年3月に限定500枚の12インチ『Taro Tarot』をリリースしたのと前後して、キャルヴィン・ジョンソンやミ・アミとの共演やサウス・バイ・サウス・ウェストに出演を果たすなど注目を集め、この夏、ダーティ・プロジェクターズをはじめ気鋭のアーティストを擁するデッド・オーシャンズと契約を交わす(本作と『Taro Tarot』は先日、デッド・オーシャンズから同時にリイシューされた)。

そのサウンドを聴けば、彼らもまた、ノー・ウェイヴを源流とするアンダーグラウンドなロックの系譜の強い影響下にあることがわかる。たとえばパット脱退後のライアーズがセカンド以降“ドイツ”に向ったのとは対照的に、ある意味で初期ライアーズ~N0 Thingの発展形ともいえるダダイスティックで解体的なそのニューヨーク実験主義とダブの混淆は、マーズやSST時代のソニック・ユースを彷彿させるものだし、アンナの抑揚を欠いたヴォーカルはリディア・ランチを俄かに連想させる。あるいは、スロッビング・グリッスルやシルヴァー・アップルズからボアダムスまで影響を取り沙汰される禍々しいジャンク趣味、ヒプノティックなエレクトロやパーカッシヴなビートは、いうまでもなくブラック・ダイスやエクセプター、ギャング・ギャング・ダイスといったブルックリンの同世代と共振する感覚のものだろう。もっとも、彼ら自身はノー・ウェイヴからの直接的な影響はまったくないと語り、強いていうなら「たとえばギターを使ってギターとはかけ離れた音を鳴らす、みたいなアプローチにおいては共通しているかもしれない」とアンナは断る。むしろ、感覚としてはコラージュやペインティングといったヴィジュアル的なイメージに近いと語り、ソングライティングの大半は即興とライヴ・パフォーマンスがベースになっているという(実際ライヴでは、バトルスよろしく、ビルによってその場でサンプリングされたフレーズやループを組み込みながら演奏しているようだ)。ちなみに、本作『Terrific Seasons』に対して『Taro Tarot』では、ビルの影響と思しきミニマルなトラックも随所にフィーチャーされている。


デッド・オーシャンズから再発された2作品を引っ提げ、彼らはこの秋、イタリアやベルギーも回る大々的なヨーロッパ・ツアーを敢行(シュシュや元ラングフィッシュのダニエル・ヒッグスとも共演)。セカンド・アルバムとなる新作のレコーディングもすでに済ませたようで、来年の2月17日に同レーベルからリリース予定とのこと(タイトルは『All Aboard Future』)。ビルがインタヴューで語ったところによれば、パンク的なトーンや攻撃性は後退し、メロディアスで「ポップ」としてのストラクチャーが打ち出された作品、となるらしい。また、いくつかの曲ではドラム/パーカッションはまったく使われず、ビルがヴォーカルを執っている曲もあるという。

果たして来るニュー・アルバムは、その評価を決定づけるマスターピースとなるのか。はたまた、「ニューヨークの00年代」と決別を表明する試金石となるのか。来日公演実現の吉報と共に、その到着を期待して待ちたい。
      
(2008/10)

2011年7月17日日曜日

極私的2010年代考(仮)……追記:USローカル・アンダーグラウンド

先日のUNCUT誌の年末号でも小さな特集が組まれていたように、今年2009年はアメリカのインディ・バンドの躍進が大きな注目を集めた年で、同記事でも触れられていたアニマル・コレクティヴやグリズリー・ベアのニュー・アルバムがリリース直後のナショナル・チャートで好位置につけるなど、その作品の音楽的評価が、従来からのファン層を超えてマス・レベルで広い支持を集めたという点で、なるほどそれは画期的な現象だった。

もっとも、そこに至るには、2004年にブライト・アイズのシングル2枚がビルボードの1位と2位を独占したのをひとつの契機に、いずれも最新作が商業的な成功を収めたデス・キャブ・フォー・キューティやモデスト・マウス、ザ・シンズなど90年代組の躍進、あるいは昨年の大統領選に際してはオピニオン・リーダー的な存在感も示したアーケイド・ファイアを筆頭とするカナダのインディ・シーンの台頭など、確かな“予兆”はあった。それこそ、振り返ればストロークスの登場に端を発するニューヨーク・シーンの活況も、その背景にある大きな要因に挙げられるだろう。また、近年深刻化する音楽ソフトのセールス不振、ピッチフォークやマイスペース等の新たなメディアの台頭によって、メジャー・レーベルの支配力が相対的に弱体化した、というのもある。

いずれにせよ、すなわちそれは、各々のインディ・バンドやインディ・シーンがこの10年をかけて積み上げてきたものが象徴的なタイミングで結実を見たということであり、結果的にメジャー・レーベルとの駆け引きに翻弄された90年代とは異なり、彼らがその文字通りインディペンデントでオルタナティヴなスタンスを曲げることなく、音楽シーンの中心で「自治権」を手に入れたことの証明にほかならない。



一方で、同じく近年のインディ・シーンを印象付ける現象が、アメリカ各地に点在するローカルな音楽シーンの盛り上がりだろう。

ディアハンターやブラック・リップスの躍進で注目を集めるアトランタ。アニマル・コレクティヴの故郷であり、ダン・ディーコンやポニーテイルズといった奇才アクトを擁するボルティモア。ウェーヴスやクリスマス・アイランドなどローファイ・パンク・シーンが活気づくサンディエゴ。イート・スカルからホワイト・レインボーやヨットまで擁するポートランド。そして、ノー・エイジを中心に、エイブ・ヴィゴーダやヘルス、ナイト・ジュエルらが交流するロサンゼルスの「Smell」やPost Present Medium周辺。彼らは、地元のアート・スペースを創作の拠点にしたり、友人同士でレーベルを運営したり、あるいは互いのミックス・テープを交換するようにスプリット7インチをリリースしたりと、ローカルなコミュニティに根ざした活動を積極的に展開している。そうした光景もまた、UNCUT誌が伝える“成功”とは異なる2009年の「現在」であり、この10年のインディ・シーンが育んできたものの豊かさを象徴する状況にちがいない。そこに窺える彼らのDIYなマインドは、例えばKやキル・ロック・スターズといったレーベルが今も伝える80年代~90年代初頭のインディ・シーンのそれを彷彿させるものだ。


そして、本作『ダーク・リフト』で本格的なデビューを飾る形となったピクチャープレインことトラヴィス・エーゲディは、むしろこの後者に属する存在といえるだろう。彼もまた、近年のインディ・シーンの活況を牽引する、アメリカ郊外のローカルなコミュニティから登場したアーティストの一人である。
 

現在はアメリカ中西部のコロラド州デンヴァーを拠点に活動するトラヴィス・エーゲディ、24歳。その音楽活動の原点は、そこから北側に隣接するニュー・メキシコ州サンタ・フェで過ごした少年時代にさかのぼる。

きっかけは、同じ街に住んでいた、ベイルートことザック・コンドンとの出会い。互いに15歳か16歳のころで、トラヴィスはヒップホップのトラックを、ザックもベッドルームでエレクトロニック・ミュージックをすでに作り始めていたという両者は、トラヴィスの呼びかけで一緒に音楽制作を始めるようになる。ピッチフォークのインタヴューによれば、そのセッション(?)では4曲が制作されるも、しかし出来に満足がいかずお蔵入りになってしまったそうだが、トラヴィスによれば当時からザックの歌声は「amazing voice」だったという。結局、両者のコラボレーションはその一度きりで途絶えてしまったようで、その後、トラヴィスはデンヴァーへ移住し、一人で音楽制作をスタート。詳しい経緯は不明だが、本名のトラヴィス・エーゲディ名義での活動をへて、自主制作で音源リリースを開始した2004年前後を境にピクチャープレインと名義を改め現在にいたる。

そんな彼が、デンヴァーで活動の拠点にしているのが、「Rhinoceropolis」と呼ばれる自宅兼アート・スペース。彼はそこで生活し、自身の音楽制作を行う一方、地元のミュージシャンに解放し、ライヴやアート・パフォーマンスの場として提供するなど、いわばデンヴァーの音楽/アート・シーンの“メッカ”として「Rhinoceropolis」は重要な機能を果たしている(※デンヴァーのアーティストに限らず、過去にはダン・ディーコンやマウント・イアリ、ミカ・ミコ、マーニー・スターンなどもライヴを行った)。
つまりそこは、ノー・エイジにとっての「Smell」であり、ライトニング・ボルト(彼らも「Rhinoceropolis」に出演経験アリ)にとってのかつての「Fort Thunder」であり、そうしたDIYな環境やそこで育まれるコミュニティの存在が、ミュージシャンとしての彼のバックグラウンドを形作っているという。トラヴィスいわく現在、デンヴァーには「Rhinoceropolis」を中心としたエレクトロニック・パンクの強力なシーンがあるらしく、個々のバンドはまだ無名ながら、その周囲では刺激的なサウンドが日々生み出されているそうだ。

2007年と2008年には、作りためた音源をコンパイルした2枚のアルバム『slit red bird throat』と『Turquoise Trail』(ザックとの共作曲のリミックス・ヴァージョン“Found Too Low RMX”を収録)を自主制作のCDRで発表。地元のシーンでも頭角を現していく中、彼の名前が注目されるきっかけになったのが、ノー・エイジの「Smell」の常連でもあったLAのノイズ・コア・バンド、ヘルスのリミックス・アルバム『Health/Disco』への参加だった。クリスタル・キャッスルズやピンク・スカル、アシッド・ガールズといった気鋭に交じり、トラヴィスは原曲(“Lost Time”)のミニマルなドラムを、ハウシーかつコズミックなトライバル・ディスコに再構築して披露。これが縁を結び、そのリミックス・アルバムのリリース元であり、ヘルスやダーティ・プロジェクターズのエンジェル・デラドゥーリアンも所属するニューヨークの「Lovepump United Records」と契約。本作『ダーク・リフト』は、今年3月にリリースされた7インチ『Trance Doll』に続く、同レーベルからの2タイトル目の作品になる(本国でのリリースは今年8月)。


「シンセ・コア」とも評される、そのエレクトロニック・ミュージックとパンクが融合を見せたスタイルには、トラヴィスが本格的な音楽制作を始めた2004年から2005年当時、ライトニング・ボルト周辺のプロヴィデンスのノイズ・シーンに深く入れ込んでいたことが背景にあったという。事実、随所にダークなユーモアを覗かせるコラージュ~ノイズ趣向はブラック・ダイスと比較されることもあり、とりわけ『slit red bird throat』など初期の作品においては、ニューヨークの「No Fun Festival」にも参戦できそうなハーシュでインダストリアルな騒音をかき鳴らす場面もある。しかし一方で、『Turquoise Trail』に顕著なように、彼が紡ぐメロディやエレクトロニクスの響き、多彩なトラック・メイキングには、独特なユーフォリックなムードやトライバルな高揚感があふれ、ノイジーだがサイケデリックな“甘さ”もたたえたウェーヴスや、それこそパンダ・ベアやエル・グインチョ(ココナッツ)にも共通した感覚を併せ持つ点も特徴にちがいない。そもそもヘルスや、例のリミックス・アルバムにも参加したクリスタル・キャッスルズやピンク・スカルとは音楽的な親和性が高く、ハードコアやノイズを経由したドラッギーなエレクトロニック・ミュージックというのは、近年のインディ・シーンの流れのひとつでもある。それは現在、地元デンヴァーで台頭中のシーンとも繋がるものであり、その象徴的な存在がピクチャープレインということなんだろう。

対して本作『ダーク・リフト』は、これまでの作品と比べると、一言でいえばダンス・ミュージック寄りに洗練された感触を受ける。ロマンチックなシンセと官能的なヴォーカルが印象的なリード・シングル“Trance Doll”を筆頭に、よりシルキーに80Sテイストを露わにプロダクションが磨き上げられたサウンドからは、初期のころの作風を特徴付けたノイズやエクスペリメンタルな要素はだいぶ後退している。中盤の“Goth Star”や“Cyclical Cyclical (Atlantis)”こそ、その面影を強く残すが、ノイズやハードコアにも増して、R・ケリーやジェイ・Zやリアーナ(そしてもちろんマイケル・ジャクソン)といったヒップホップ~モダンなR&Bの大ファンであることも公言する彼のこと、本作に見られるアプローチは頷ける展開/転回なのかもしれない。

本作には、レモネードやスウェーデンのタフ・アライアンスといったインディ・ダンス・アクトや、西ロンドンの新鋭フランクミュージックのようなフロア仕様のダンス・ミュージックともレコード棚を共有する洒脱なポップ・センスがあり、一方のノイジーでコアなスタイルと表裏をなすその両極性こそ、ピクチャープレイン=トラヴィス・エーゲディというミュージシャンを規定する作家性なのだろう。そういう意味で同世代では、たとえばグリズリー・ベアとサイキック・TVを平然とミックスしてしまうようなネオン・インディアン(Grizzly Bear“Cheerleader(Neon Indian ‘Sega Genesis P-Orridge’ Remix)”)なんかと、サウンドの傾向も含めて感覚的には近いものがあるのかもしれない(ちなみに、本作のマスタリングは、ブルックリンのトライバル・アヴァン・ロック・バンド、ビッグ・エー・リトル・エー(Aa)のメンバーで、ボアダムスのイヴェント「77 Boadrum」にも参加したジョシュ・ボナティが手掛けている)。
 

トラヴィス・エーゲディは、自身を「アナーキスト」だと自認しているという。彼にとって「アナーキスト」とは、個人的な哲学を掲げ、それに従って行動する生き方の理想像を指す。そうした考えに立った上で彼は、自らの音楽を「政治的」だと語り、それは自然の秩序とアンチ・エスタブリッシュメントを謳い、グラスルーツのコミュニティを奨励し、そこで暮らす個人の存在を擁護するものだと規定する。そうした彼の主張には、自分が所属する地元デンヴァーのコミュニティと、それを取り巻く現在のインディ・シーンに、彼がいかなる価値を見出しているかが雄弁に語られているようで、興味深い。


(2009/12)

極私的2010年代考(仮)……LAアンダーグラウンド~No Ageという起点

サブ・ポップと契約後、2008年にリリースされたセカンド・アルバム『ノウンズ』は、ピッチフォークを筆頭に多くの音楽メディアで年間ベスト・アルバムの上位に選出されるなど、彼らの評価を決定づける出世作となった。その前年、シングルやEPをコンパイルしたファースト・アルバム『ウィアード・リッパーズ』をファットキャットからリリースし、目敏いインディ・ロック・ファンの間ではすでに話題のバンドだったが、グラミーの「Best Recording Packaging」部門にノミネートされるというオマケまでついた『ノウンズ』の成功によって、彼らは文字通り、ワールドワイドな注目を集める存在へと飛躍を遂げたのだった。


一方、バンドの評価とともに、『ノウンズ』のブレイクによってクローズアップされたのが、彼らが拠点を置くアメリカ西海岸のインディ・コミュニティの存在だった。その象徴と言えるのが、彼らのホームであり、ロサンゼルスのダウンタウンに構えるDIYなアート・スペース「The Smell」。そして、ドラマーのディーン・スパントが運営するレーベル「Post Present Medium(PPM)」だろう。

ノー・エイジを筆頭に、ヘルス、エイブ・ヴィゴーダ、今年惜しくも解散したミカ・ミコ、バー、ガン・アウトフィット、ポカハウンテッド、ラッキー・ドラゴンズ、シルヴァー・ダガーズ……といった「The Smell」をホームとする顔ぶれは、「僕らのCBGBさ」と語るディーンの言葉通り、ロサンゼルスを中心としたアンダーグラウンド・ミュージック・シーンの社交場的なイメージを連想させるものだ。

また、近年のライヴ出演者リストには、フガジのジョー・ラリーを始め、ギャング・ギャング・ダンスやアリエル・ピンク、ピーナッツ・バター・ウルフがベタ惚れしストーンズ・スロウ傘下の「1984」と契約を交わしたナイト・ジュエルなど、錚々たる名前が並ぶ。かたや、PPMのカタログには、エイブ・ヴィゴーダやガン・アウトフィットら「The Smell」の常連組に加えて、ブラック・ダイスのエリック・コープランドやライアーズ(※ノー・エイジとのスプリット7インチを2008年にリリース)、さらにウェーヴスやベスト・コーストがラインナップ。同レーベルのDVD『New Video Works』には、ディアハンターやハイ・プレイセズ、シュシュ、ジャパンサー(ソニック・ユースのサーストン・ムーアと共演)、元ブラック・ダイスのヒシャムのソロ=ソフト・サークルの映像も収録されていて、そこにはローカリズムを越えて同時代性を共有したネットワークやコネクションの広がりをうかがわせる。

そうした彼らを取り巻くコミュニティの様相は、まさにバンド同士のインディペンデントな連帯を通して台頭を見せた、2000年代の後半以降のアメリカのインディ・シーンの「現場」を縮図的に伝えるものだろう。それとはどこか、たとえば80年代のオリジナル・ハードコアの発祥や、あるいは90年代にKやキル・ロック・スターズが発信地的な役割も果たしたオルタナティヴ・シーンの伝播を彷彿させるような、アメリカ西海岸特有の「磁場」のようなものなのかもしれない。

そしてもうひとつ、ノー・エイジや周辺のコミュニティがクローズアップされた背景に挙げられるのが、昨今のローファイやガレージ・ロック、あるいはシューゲーザー・サウンドの再評価だろうか。「ノー・ファイ」「シットゲイズ」といったサブジャンルも生んだこのシーンにおいて、彼らや先に名前を挙げたバンドのいくつかは、少なからずその界隈の象徴的な存在として評価を得ている。実際、ノー・エイジのサウンドは、前身のパンク/ハードコア・バンド=ワイヴス時代のスタイルをベースに、アンビエントやフリー・インプロまで横断する射程を誇るが、サイケデリックなファズ・ギターや、サンプル/ノイズ・ループを重ねた“音の壁”、そしてその粗削りな音像と、多分にそうしたシーンと比較される特徴を備えたものだ。それらは、たとえばアニマル・コレクティヴやダーティー・プロジェクターズに代表される、折衷主義的で、非西洋音楽的なアプローチも貪欲な同時代のニューヨークの動向とは対照的にも映る。

もっとも、こうした一種のトレンドは、彼らや彼らの周りに限ったものではない。その輪は、WoodsistやCaptured Tracks、Mexican SummerやFat Possumといった、PPMとも共通のカラーを持ったレーベルを介して、さらには所属バンドをシェアするような形で、地域性に関係なくアメリカのインディ・シーン全体に広がりを見せている。

ともあれ、そうした今の状況が出来上がった起点のひとつとして、彼らの存在があったことは間違いないだろう。


さて、そんな彼らのサウンドが、さらなる発展の兆しを見せるきっかけとなったのが、昨年リリースされたEP『Losing Feeling』だった。とりわけ表題曲の“Losing Feeling”は象徴的だ。その曲で彼らは、サンプルやオーヴァーダブ等のコラージュ的な要素を大胆に導入し、より重層的なレイヤー・サウンドを構築することで、音響的な創意に富む美しいアンビエンスを作り上げている。あるいは、どこかキム・ヨーソイにも似た趣があるエレクトロニカ風“Aim At The Airport”。これらは『ノウンズ』に収録さの“Keechie”や“Impossible Bouquet”の発展形ともいえるナンバーだが、それでも“Losing Feeling“のように、演奏パートと音響構築がこれほど有機的なハーモニーを見せる展開はなかった。ディーンはインタヴューで、『Losing Feeling』の制作はソングライティングの部分でさまざまな「遊び」を試せた機会だったと語っていて、そのプロセスがバンドにとって実りの多いものだったことを窺わせる。パンク/ハードコアのマナーを損なうことなく、テクスチュアの深化を披露したそのアプローチは、彼らの新たな局面を予感させるものだった。


今回のサード・アルバム『エヴリシング・イン・ビトウィーン』は、いわばその『Losing Feeling』と地続きのセッションから生まれた作品である。実際、収録曲には『Losing Feeling』のレコーディング中に作られたものも何曲か含まれているという。さらに、今作のクレジットから明らかなのは、『ノウンズ』や『Losing Feeling』も手掛けたピート・ライマンと共同プロデュースした曲と、バンド自身でプロデュースした曲が、約半数ずつ収録されていること。そして、アルバムを聴いて興味深いのは、両者の楽曲が、サウンドのスタイル的に見事なコントラストをなしている点だろう。

大雑把にいえば、ピート・ライマンと共同プロデュースした曲(②③④⑤⑧⑨⑫)は、これまでの作品と比べて若干スロウでミディアム・テンポ気味ながら、彼らのいわゆる「王道」的なパンク~ガレージ・ロックを聴かせるナンバーである。対するバンド自身でプロデュースした曲(①⑥⑦⑩⑪⑬)は、美しいギター・アンビエンスや音響的なテクスチュアで魅せる、つまり『Losing Feeling』で発展のプロセスをへたアプローチのナンバーだ。プロデュースの住み分けなどレコーディングの詳細はわからないが、とりわけ耳を引くのは、やはり後者にあたる楽曲だろう。ジ・オーブを思わすトリッピーなチル・アウトとスラッジ風のギター・ノイズが交差する“Skinned”。チルウェイヴ/グローファイ的な文脈をとらえたレイジーなアンビエント・ポップ“Dusted”。そして、アルバム本編のオープニングとラストを飾る、まさに“Losing Feeling”の「ポスト・ロック的」=バンド・サウンドと音響的要素(エレクトロニクス、サウンド・エフェクト等)のアンサンブルを落とし込んだ “Life Prowler”“Chem Trails”。そういえば、ギタリストのランディー・ランドールはインタヴューで、そんな両ベクトルの楽曲に象徴されるバンドの2面性を物語るように、影響を受けたバンドとしてゴー・ビトウィーンズとディスコ・インフェルノの名前を挙げていた。ディスコ・インフェルノは90年代に活動したポスト・パンク・フォロワーのバンドだが、ランディーいわく、生演奏とサンプルを組み合わせてメロディアスなノイズを生み出すというそのスタイルは、なるほど、今作における音楽的な青写真のひとつを指摘するものといえるかもしれない。
もっとも、別のインタヴューに答えたディーンとランディーによれば、今回のレコーディングに際して、これまでの作品と違った特別な意図やコンセプトのようなものはなく、アルバムにはただ自分たちの演奏とそのときの自分たちの感情が反映されているだけだ、という。レコーディングの間に聴いていた音楽も、初期のハードコアやガスなどお気に入りのアンビエント~エレクトロニック・ミュージックで、これまでと変わらない。もしも今作のサウンドに何か変化を感じるとしたら、それは『ノウンズ』の曲作りを終えてから4年の間に起きた、自分たちの自然な成長――つまりタイトルにある通り“その間に起きたことすべて”――が反映された結果に過ぎない、と。


ただ、『Losing Feeling』の制作が、その4年の間における“自然な成長”を具体的な音楽的成果へと昇華させるうえで、『ノウンズ』から『エヴリシング・イン・ビトウィーン』へと繋ぐ橋渡し的な役割を果たしたことは間違いない。その意味で『Losing Feeling』は、今作に対するある種の習作として位置付けることも可能だろう。そして、その“自然な成長”を今後さらに加速させるだろう、最近バンドに起きた変化が、ツアー要員として加わった第3のメンバー、ウィリアム・カイ・ストラングランド・メンチャカの存在。ライヴでは彼が主にサウンド・エフェクト的な部分を担当することで、ディーンとランディーは演奏と歌に集中して専念できるようになった。


この秋には、ペイヴメントのサポート、そしてアルバムを引っ提げての大規模なヨーロッパ・ツアーが控えている。そうしたさまざまな経験を糧に、数年後またどんな“自然な成長”を見せてくれるのか、興味は尽きない。


(2010/08)

極私的2000年代考(仮)……The Fallという不沈艦隊

本作『ドラッグネット』は、ザ・フォールにとって2作目のオリジナル・アルバムになる。リリースは、ファースト・アルバムの前作『ライヴ・アット・ザ・ウィッチ・トライアルズ』から約7ヵ月後の1979年10月26日。プロデューサーにグラント・ショウビズ(最新作『リフォーメーション・ポスト・TLC』も手掛けた)を迎え、わずか9日間のレコーディングをへて、前作『ライヴ・アット~』と同じく「Step Forward」からリリースされた。なお、今回邦盤化される『ドラッグネット』は、『Dragnet +』として2002年に「Sanctuary」からリイシューされたデラックス・エディション。オリジナル盤の収録曲に加えて、本作の前後(1979/80年)にリリースされた2枚の7インチ(両シングルとも当時NMEとサウンズ誌の「Singles Of The Week」に選ばれている)と、“Rowche Rumble”と“In My Area”のテイク違いをコンパイルした仕様となっている。


『ライヴ・アット~』リリース直後の1979年3月、「The Gig Of The Century」と題されたロンドンでのライヴに、スティッフ・リトル・フィンガーズ、ギャング・オブ・フォー、ヒューマン・リーグ、メコンズらと共にザ・フォールは出演した。そのライヴについて、当時のNMEは「1970年代と1980年代の分岐点」と伝えている。その意味するところはさておき、たしかにこのライヴが行われた1979年は、振り返れば、時代の転換点と記憶されるにふさわしい象徴的な出来事がロック・ミュージック史に刻まれた年だった、と言えるかもしれない。その出来事とは、たとえばシド・ヴィシャスの死であり、クラッシュの「パール・ハーバー‘79」アメリカ・ツアーであり、PILの『メタル・ボックス』であり、映画『グレート・ロックンロール・スウィンドル』であり、スペシャルズのデビューであり……etc。つまり、前年(1978年)のセックス・ピストルズの解散(マルコム・マクラレンは存続を表明したが)を契機に退潮の兆しを見せ始めていたムーヴメントとしての「パンク」が、ディケイドの終わりと共に幕を閉じ、言うなれば“更新”された――それが「1979年」だったように思う。

「1970年代と1980年代の分岐点」とは、乱暴に言えば、「パンクとパンク以降の分岐点」と同義に近いかもしれない。もちろん、その認識は個々のバンドによって多少のズレはある。たとえばワイアーのコリン・ニューマンは、1977年にデビューしたワイアーを「ブリティッシュ・パンク・バンドになるには一年遅すぎた」と評し、「パンク以外のものになるべきバンドだった」と以前に筆者のインタヴューで語っていた(つまり、あの有名なフレーズ「ロックじゃなければ何でもいい」以前に「パンクじゃなければ何でもいい」ことが意識されていたわけだ)。いずれにせよ、1970年代の後半に登場したイギリスのバンドにとって、そのデビューのタイミングがきわめて大きな意味を持っていたことは、あらためて指摘するまでもない事実だろう。

そのことは、ザ・フォールの場合ももちろん例外ではない。ザ・フォールがマンチェスターで結成されたのは1976年。そしてデビューしたのは1978年。つまりパンク・ムーヴメントの勃発と共に産声を上げ、その末期に世に放たれた、ザ・フォールもまた「ブリティッシュ・パンク・バンドになるには遅すぎた」バンドだった。もっとも、そうした違和感や、そこから生じる批判精神が、ピストルズやクラッシュといった同時代のパンク・バンドのみならず、後のニュー・ウェイヴやポスト・パンクに対しても向けられるところが、ザ・フォールすなわちマーク・E・スミスの計りがたく厄介なところとも言える。

「ロックンロールは音楽なんてものではない。ハイになるために楽器を酷使するものだ」とマーク・E・スミスは1979年のMOJO誌のインタヴューで語っている。ザ・フォールは訓練されたミュージシャンの集まりではない。洗練の真逆にある粗暴な荒々しさと、衝動的に発生する偶然性こそ、ザ・フォールが追求する至上命題だった。「I still believe in the R&R dream, in R&R as primal scream」(“Live AT The Witch Traials”)と歌ったマーク・E・スミスにとって、ピストルズが象徴するようなパンクの破滅的な美学は相容れぬものだった。同時に、ニュー・ウェイヴ・バンドたちの小奇麗でプロデュースが行き届いたサウンドに対して懐疑的だったマーク・E・スミスは、とくにアルバムのレコーディングには明確なアイディアと厳格な態度で臨んでいたことが当時のインタヴューなどからは窺える。


『ドラッグネット』のレコーディングに際して、マーク・E・スミスはプロデューサーのグラント・ショウビズに対し、アルバムとしての音作りや一貫性のあるサウンドを避けるように指示したという。刺々しい手触りで、未完成のような粗雑な仕上がりをサウンドに求めた。一方でマーク・E・スミスは、当時のインタヴュー(Cool Magazine)に答えて、自家中毒に陥っていたバンドの状態を軌道修正し、サウンドに変化を促す必要性を感じていたことを告白している(ちなみに、バンドのラインナップも大幅に変更され、2作目にしてすでにオリジナル・メンバーはマーク・E・スミスのみ)「Dragnet(警察用語で『捜査網』の意)」というアルバム・タイトルは、そうした新たな変化によって人々の関心を引きつける=捕まえる(あるいは自家中毒に加担していた人々を捕らえて、更生させる)、というイメージから連想されたものであるらしい。

「彼らはいつも変化しながら、いつまでも変わらない」とは、故ジョン・ピールがザ・フォールを評したとされる言葉だが、そうした可変にして不変の音楽美学は、本作『ドラッグネット』の時点ですでに確立されていたことがわかる。ザ・フォール・サウンドの本領とも言えるパンク/ガレージ・ロックのエッセンスを凝縮した荒々しいロックンロール。しかし、それが辿る軌跡は、カントリー、リズム&ブルース、モッド、2トーン、アヴァンギャルドなど多様なルーツ/同時代の音楽背景を反映させながら、アルバム一枚を通じて複雑な文様を描き出している。“Psychick Dancehall”や“Dice Man”、あるいは“Rowche Rumble”(2001年にMOJO誌が企画した「100 Punk Scorchers!=パンクのベスト100曲」で40位に選ばれた)といったザ・フォールのクラシックスとも呼べるナンバーも最高だが、アコースティック・ギターでルーズに歌い上げる“Flat OF Angels”や、ニューヨークのノー・ウェイヴとも共振する“Spectre Vs Rector”も素晴らしい。いや、極端な話、そこにマーク・E・スミスのあの不機嫌で吐き捨てるようなヴォーカルさえあれば、それはいかなるフォルムを纏おうとまぎれもなく「ザ・フォール」なわけだが……。いわゆるニュー・ウェイヴ/ポスト・パンク期にあたる試行錯誤的な音楽状況の最中で、不動となるスタイルを築きながらも音楽的な創造性を妥協しなかったその姿勢には、あらためて感嘆するほかない。『ドラッグネット』には、そんな最初期のザ・フォールが達成した音楽実験の生々しい痕跡が刻まれている。
 

現時点で26枚あるオリジナル・アルバムの中で、この『ドラッグネット』がザ・フォールのキャリアにおいていかなる位置を占めるものなのかは、正直よくわからない。ジョン・ピールの言葉が真実ならば、それは現在のザ・フォールでもあるだろうし、同時に、単なる過去のザ・フォールに過ぎないものでもあるのだろう。重要なのは、ザ・フォールは伝説でも神話でもなく、今も第一線で活動を続ける2000年代のロックンロール・バンドである、という事実。それだけだ。そんなザ・フォールの、唯一のオリジナル・メンバーであるマーク・E・スミスは、28年前のアルバムについてこう振り返っている。

「今でも覚えてるのは、当時スタジオがあのアルバムをリリースするのを渋って、しかもこのバンドを好きだって言う奴なんて一人もいなかったもんだから、無理矢理リリースするしかなかったっていう――今とほとんど状況が変わってねえな、いや、冗談抜きにして」


(2007/04)

2011年7月12日火曜日

最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)⑥

・ 木下美紗都/それからの子供
・ 透明雑誌/僕たちのソウルミュージック
・ CSS/La Liberacion
・ Barn Owl/Lost in the Glare
・ Diva/The Glitter End
・ Weyes Blood and The Dark Juices/The Outside Room
・ SLY MONGOOSE/Wrong Colors
・ Israel Martinez/El Hombre Que Se Sofoca
・ Bjork/Vespertine
・ Reiko + Tori Kudo/Light
・ Bill Orcutt/Way Down South
・ Blanck Mass/Blanck Mass
・ Wunder/Wunder
・ Wooden Shjips/West


木下美紗都の新作はいかにも女性SSW然としたデビュー作と比べると、その世界が豊かに広がりを増したことがわかる。音楽性の幅もそうだが、音と戯れる歌声の軽やかさと華やかさ。バンド演奏を交えたジャズやフレンチ・ポップに耳を引かれ、洒脱に舞うラップに心くすぐられる。多彩な生楽器との共演もいいが、手がけた映画音楽でも印象的だったシンセ等の電子音とのユニゾンが素晴らしい。ひんやり微温的な叙情が沁みる。/透明雑誌は「台湾のナンバーガール」と話題の4人組。的確なコピーだけど、彼らの魅力はそれを超えて余りある。疾走感溢れるギター・ロックはピクシーズも連想させるが、加えてポスト・パンク的変拍子、ファンクのグルーヴ(遊び?)も冴えるやんちゃなノリはビースティーズにも近い。見た目はナード風だが、エドワード・ヤン監督『カップルズ』の少年たちがその若さをバンドに注いだら……なんて想像。/SLY MONGOOSEはmmmがゲスト・ヴォーカルで歌う“samidare”に尽きる。/Wunderは毎年夏になると必ず聴きたくなる。/Barn OwlWooden Shjipsは9月リリースの日本盤に封入の拙稿ライナーノーツを参照。ちなみにリリースに前後してフリーフォーク以降から近年のポスト・ノイズ・シーンまで俯瞰した2000年代末~2010年代初頭のUSアンダーグラウンド・シーンの見取り図的な原稿をフライヤー&ネット記事で書く予定。


(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)⑤)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)④)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)③)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)②)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...))