2015年2月10日火曜日

極私的2010年代考(仮)……Gravenhurst (1999–2014)



おそらくは、多くのリスナーにとってグレイヴンハーストの名前を知るきっかけになったのが、2004年のセカンド・アルバム『Flashlight Seasons』だろう。もちろん、ニック・ドレイクやジェフ・バックリィとも比せられたその美しく幽玄なベッドルーム・フォークは、それだけで十分に魅力的で関心を引くものだったが、それ以上に『Flashlight Seasons』が反響を呼んだ大きな理由は、それが「Warp」からリリース(※正確には、前年に地元ブリストルのインディ・レーベル「Sink & Stove」からリリースされたのを受けてリイシュー)されたことだったように思う。




つまり、当時はまだテクノやエレクトロニック・ミュージック専門のイメージ(※ヴィンセント・ギャロのような例外こそあれ)が強かった「Warp」のレーベル・カラーと彼らの音楽性とのギャップが衆目を集めたわけだが、その意外性が、結果的にグレイヴンハーストという存在をより際立たせたのは間違いない。

もっとも、その背景には、アメリカにおけるデヴェンドラ・バンハートやアニマル・コレクティヴを代表格とした新たなフォーク・ミュージックのムーヴメントがあり、事実、『Flashlight Seasons』は「Warp」に先駆けてアリゾナの「Red Square」からリリースされた経緯がある。また、イギリスにおいてもそうした動きと呼応して、グレイヴンハーストことニック・タルボットとはタイプはやや異なるが、リチャード・ヤングスやアレキサンダー・タッカーといった同時代性を共有するシンガー/ギタリストへの注目が高まりを見せた時期だった。そして「Warp」以外にも、たとえば「Domino」や「FatCat」からリリースするフォー・テットやマイス・パレードやアデムのように、エレクトロニカ/ポスト・ロック以降のフォークやアコースティックの流れが、そこにいたるさらなる背景としてあったことも指摘すべきポイントだろう。


加えて、個人的に興味を引かれたのが、グレイヴンハーストという名前がデヴィッド・パホの曲名から取られたというエピソードだった。

デヴィッド・パホとは、アメリカはケンタッキー州ルイヴィル出身のアーティストで、スリントを始めとする80年代末~90年代初頭の地元のポスト・ハードコア・シーンに深く関わった後、トータスやフォー・カーネーションといった錚々たるグループを渡り歩く傍ら、ソロとしてエアリエルMやパパMなどの名義で作品を発表してきたシンガー・ソングライターである。2000年代に入ってからは、ビリー・コーガンがスマッシング・パンプキンズ解散後に始めたズワンへの参加や、ヘヴィ・メタル・ユニット=デッド・チャイルドの結成、また最近ではヤー・ヤー・ヤーズやインターポールのツアーにサポートで帯同したことでも話題を呼んだ。




そして、そんなデヴィッド・パホの複雑な音楽的変遷をへた経歴は、まさに前記の『Flashlight Seasons』と前後して「ネオ・フォーク」「フリー(ク)・フォーク」というタームとともに浮上した、多様な音楽ジャンル――それこそハードコアやノイズやポスト・ロックから、現代音楽やフリー・ジャズや民族音楽にいたるまで――に横断してルーツを引く新たなフォーク・ミュージックの担い手たちの姿と重なるものであり、ひいてはグレイヴンハーストへの関心もそこにこそあった。
というのも、ニックは99年にグレイヴンハーストを結成する以前に、90年代の半ばからアッセンブリー・コミュニケーションズというバンドを率いて活動していた過去を持つ。いわく、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやスミスに影響を受けたギター・ロック・バンドだったらしく、シューゲイザーやポスト・ロックの要素も散りばめられたサウンドは、グレイヴンハーストと比べて実験的で“ロック寄り”なものだったという。そもそもニックは、ブリティッシュ・フォークの伝説的シンガーのバート・ヤンシュやニール・ヤングの大ファンを公言する一方、リスペクトするギタリストにケヴィン・シールズや元ハスカー・ドゥのボブ・モールドを挙げ、地元ブリストルではサード・アイ・ファウンデーションやフライング・ソーサー・アタックといったアンビエント/音響系を好んで聴くなど、ルーツはオルタナティヴな嗜好が強い。さらには、グレイヴンハーストの活動と並行して、ノイ!とジョルジオ・モロダーのミュータントとも評された地元ブリストルのミュージック・コレクティヴ=ブロント・インダストリーズ・キャピタルに参加していた時期もある。

つまり、ニックもまた同様に折衷的なバックグラウンドを抱えたシンガー・ソングライターに他ならず、そこにはデヴィッド・パホとの相似性を見ることができるだろう。そして奇しくも、『Flashlight Seasons』に続いてリリースされたサード・アルバム『Fires in Distant Buildings』(2005年)は、そんなニックのルーツが物語る先鋭性がバンド・サウンドを軸に前面化した作品となった。はたして、ニックがその辺りについてどの程度意識的だったのか詳細は知らないが、ともあれ、その命名のエピソードからも想像できる当時の「フォーク」をめぐる潮流のようなものを、グレイヴンハーストが象徴的に反映していたことは間違いない。

 
さて、前置きが長くなったが、本作『The Ghost In Daylight』は、2007年の『The Western Lands』に続く通算5作目、「Warp」からのリリースとしては4作目のアルバムになる。

前々作の『Fires in Distant Buildings』は、スタジオとベッドルームと半々でレコーディングが行われ、サウンドも前記のニックのバックグラウンドを象徴するように、サイケデリックなフォーク・テイストからノイジーなロック・アンサンブルやスロウコアまで幅広いレンジを披露した作品だった。対して前作の『The Western Lands』は、エンジニアリングやミックスもリハーサル・ルームや自宅のPCで行われるなどプライヴェートな環境で制作され、サウンドも多彩なアプローチのなかにブリティッシュ・フォークの影響を強く滲ませた、よりメロディアスなアレンジとトラディショナルなストラクチャーが際立つ内容だった(※ちなみに『The Western Lands』にはキンクス“See My Friends”の、『The Western Lands』にはフェアポート・コンヴェンションの“Farewell, Farewell”のカヴァーが収録されていた)。



本作『The Ghost In Daylight』においても、グレイヴンハーストの基本となるサウンド・コンセプトは変わらない。かたやアコースティック・ギターを爪弾くフォーク・スタイルと、かたやヴィンテージ・シンセやオルガン、メロトロンなど多彩な音色が織りなすレイヤーをバンド・サウンドに絡ませながら、ニックの叙情的でくぐもりのある歌声をともない陰影豊かなアンサンブルを紡いでいく。その魅力や醍醐味は作品を重ねるごとにグラデーションを見せつつも、グレイヴンハーストの世界観を変わらず特徴づけている個性であるだろう。

それはたとえば、“In Miniature”や“Three Fires”のように弾き語りに近くシンプルなかたちで提示されることもあれば、“Fitzrovia”や“The Ghost of Saint Paul”のようにアンビエントなタッチの独得な音響処理で包まれたかたちで提示されることもある。あるいはアルバムの幕開けを飾る“Circadian”では、清冽なフィンガー・ピッキングから次第にゆらめくようなフィードバック・ギターが誘うサイケデリックな展開を見せ、続くリード・シングルの“The Prize”においても、壮麗なストリングス・アレンジとプログレッシヴなバンド・アンサンブルが終盤に魔術的なクライマックスを飾る。




そして白眉は、アルバム中盤に置かれた“Islands”だろう。“Fitzrovia”と並んで8分を超えるロング・トラックだが、“Fitzrovia”がたとえばドゥルッティ・コラムも連想させるフォーク・アンビエントともいうべき静寂なるメディテーションなら、“Islands”の美しくミニマルなサウンドスケープはさながらブライアン・イーノとの邂逅も思わせる。シネマティックで音響詩的なサウンド・デザインは、かたやベッドルームの余韻も残したローファイなプロダクションとともにグレイヴンハーストのスタイルであり、とりわけ『Fires in Distant Buildings』から『The Western Lands』以降のアプローチを発展させたソロとバンド・アンサンブルの融合/コントラストも含めて、つまり本作『The Ghost In Daylight』は、これまでのディスコグラフィーをトータルに前進させその領域を押し広げた作品といえるだろう。



今年2012年は、グレイヴンハーストとしてのデビュー作となるファースト・アルバム『Internal Travels』がリリースされた2002年から数えて、ちょうど10年の節目の年になる。本作『The Ghost In Daylight』は、まさにそんなメモリアルなタイミングを飾るにふさわしい、集大成的ともいうべき作品に違いない。はたして次の10年にかけて、これからニックはどんな音楽を送り届けてくれるのか。気が早いかもしれないが、その行方を期待して見届けたいと思う。


(2012/04)