2011年12月31日土曜日

2011年の熟聴盤(カセット・リリースBEST 30+2)

・ アニス&ラカンカ/アニス&ラカンカ
・ 豊田道倫/スカムSA
・ 加藤りま/Four Songs
・ Aerial Jungle/Tales of Acoustic Levitation
・ Sundrips/Just a Glimpse
・ Lunar Miasma/Gone
・ Stitched Vision/Fold
・ Octo Octa/Rough Rugged And Raw
・ Concessionaires/Mustang
・ Derek Rogers/Informal Meditations
・ Tom Carter/All Ahead Now
・ Motion Sickness of Time Travel/Nova Scotian Arms/Slow Architecture
・ Mannateas/Banished Hues
・ Police Academy 6/Police Academy 6
・ Super Minerals/Contacteer
・ Bear Bone, Lay Low/Smoked the Whole Thing
・ 1958-2009/III
・ Ken Seeno/Invisible Surfer On An Invisible Wave
・ Deep Magic/Sky Haze
・ Josephine/You Are Perfect Today
・ Ela Orleans/NEO PI-R
・ Voder Deth Squad/1
・ Pierrot Lunaire/Turning Back the Hands of Time
・ Indian Weapons/Trance
・ Haunted Houses/The Heaven of the Soul & the Heaven of the Moon
・ Buchikamashi/Dontoyare
・ Taiyoutou/World of Laughter
・ Golden Retriever/Emergent Layer
・ Hot & Cold/Conclusion/Introduction
・ Maria Minerva/Tallinn At Dawn
・ Cough Cool/Clausen
・ Russian Tsarlag/Classic Dog Control Booth

順不同です。
今年聴いた、あるいは聴き返したカセット・テープ作品ベスト30+2。
なので今年リリースされたものもあれば、そうでないものもあります。そこは適当に曖昧に。
そもそもクレジットがないものもありますし、とりあえず今年印象に残った作品ということで。
それと以上の作品はカセットで手に入れたものもあれば、なかには品切れのためbandcampやboomkatで購入したりだとか、経路はまちまちです。

詳細は興味ある方は各自お調べください。
ちなみに、以上挙げたものも含めて、カセット・リリースの作品をメインとしたレヴューを年明けからここで始める予定です。
誰もやりそうもないので。


カセットをボツボツと集め始めたのは2,3年ほど前からですが、今年に入り中古でパナソニックのカセット版ショックウェーヴを手に入れたことを機に、本格的に火が付いた感じでしょうか。
折からの円高の勢いもあり今年後半はしこたま購入しました。
どの作品も同じように聴こえるときもあれば、ひとつひとつの作品がとても個性的に聴こえるときもあります。
カセット作品の魅力とはなんでしょうか。
よくわかりませんが、おそらく、そこには音楽を探すことの楽しみがつまっているからでしょうか。
カセット作品は果てしなく存在するような気にさせられます。掘れば掘るほど深くて広い。
アタリもハズレもあります。けど時間が過ぎて聴き返すと、まったく異なる印象に感じられることもある。不思議ですね。
ここに挙げたのはほんと一例です。自分でもこれが果たしてベストなのかおぼつかない部分もあります。
けどそれがいいのでしょう。聴くことよりも集めることよりも、探すことがおそらく重要なのです。
探しては迷い、迷っては想定外のブツに突き当ったりと、なんというか、音楽との出会いがたくさんあるんですね。
それはほんとうに楽しいことです。それ以上のことで他に何がいりましょう。
そしてデッキに絡まってテープが切れてしまうことも、また一興。

個人的にはジン感覚に近いかもしれません。
最近はフルカラーで凝ったジャケも多いですが、モノクロコピーの簡素で不格好なものもなんだか愛らしい。
まあ、好きなように聴いたり集めたり探してください。


余裕があればCDの年間ベストも挙げたかったのですが、時間もなく面倒くさいのでやめました。

個人的には、豊田道倫&ザーメンズ/アンダーグラウンドパレスからAlfred Beach Sandal/One Day Calypso、そして麓健一『コロニー』まで一直線に今年を駆け抜けた感じです。

海外の作品ではNot Not Funや傘下の100% Silkからリリースされた作品を主に聴いていたみたいです。
そのあたりのことについては、Eternal Tapestry & Sun Araw/Night Gallery、Barn Owl/Lost in the Glare、Wooden Shjips/Westの国内盤に封入されたライナーノーツに詳しく書きました。ほんの導入部分にあたるような内容ですが、Not Not Funやその周りのUSアンダーグラウンド・シーンの動きと、そこに直結した近年のThrill Jockeyの傾向についてのレポートです。なお補講的な位置づけとしてThe Psychic Paramount/IIのライナーノーツにももろもろ何か書いています。
じつはこれらをまとめた形でより詳細な内容の原稿を書く予定だったのですが、諸事情で企画自体がなくなってしまいました。どこかでやれたらいいのですが……あとそれとは別に、近々どこかにBarn OwlとThe Psychic Paramountのインタヴュー記事が掲載される予定です。

Bjork/ Biophiliaも面白かった。それは別に書きましたのでそちらを。

それとsweet dreamsさんに声をかけていただき、「女性は歌うよ高らかに」という女性SSWを特集した小冊子に書かせてもらいました。とくに日本の女性SSWについて……福原希己恵、三村京子、Predawn、うつくしきひかり、加藤りま、平賀さち枝、mmmなどなど。


今年観たライヴの中から印象深かったものを挙げようかとも考えましたが、これもいろいろありすぎて選ぶのが面倒くさいのでパス。
ただ強いてひとつあげるとするなら、3月12日に下北沢440で観たマリアハトのプレ・レコ発。
あれはちょっと忘れがたい経験でした。
あの日、出演した各アーティストの演奏、店内のまわりの様子から、窓越しに見る外の風景まで、すべてがまぶたの裏に強烈に焼き付いています。


以上になりますでしょうか。ちなみに、スッパマイクロパンチョップのスッパさんのお誘いでhttp://6547.teacup.com/suppa/bbsにも参加しました。
Youtube縛りで10本+α。
とくにかしこまったベストというわけではありません。楽しく選ばせてもらいました。
(すっとずっと下の方へスクロールしてください)


来年もいい音楽、いい演奏に立ち会うことができたら最高かなと。

とりあえずこの年末年始は、Cloud Nothings/Attack on Memory 、Perfume Genius/Put Your Back N 2 It、
そしてmmm/ほーひを聴いて過ごしたいと思います。
ちなみにCloud Nothingsの新作は、スティーヴ・アルビニが手がけた音の感触と彼ら自身の発言から総合すると、
80年代のUSハードコアと90年代のDischordと00年代のエモを貫通する作品といえるのではないか、と。
これも日本盤のライナーノーツに詳しく書きました。






あとこれはまったくの余談ですが、OGRE YOU ASSHOLEの『homely』を、アンチJロックかアンチJポップなのか何なのかの御旗のようにして担ぐ論調は総じてどうなのかな、と思います。

「ロック」も「ポップ」も、「ポップ・ミュージック」さえももはやマジックワードに過ぎなく感じられる昨今ですが(そして「七針系」も……?)。


(2012/12・31)

2011年12月28日水曜日

2000年代の極私的“ビッチ”考……キム・ゴードン、語る

現在のロック・シーンにおいて、メンバーの課外活動の多さでは右に出るバンドがいないソニック・ユース。なかでも量・質的に最大規模を誇るのはサーストン・ムーアなわけだが、しかし「活動範囲の広さ」となると、それはもう断然キム・ゴードンになるだろう。

音楽はもちろん、ドローイングやビデオ作品といったヴィジュアル・アートから、詩の朗読やパフォーマンスにいたるまで、彼女の活動はジャンルの枠を越えてアート全般に多岐にわたる。記憶に新しいところでは、3年前に日本でも開催されて話題を呼んだ『Kim’s Bedroom』展(※キムがキュレイターを務めたグループ・アート展。彼女を始めソフィア・コッポラやリタ・アッカーマンらが参加)が挙げられるが、今年も春にニューヨークで個展を、10月にドイツ人アーティストと共同展を行うなど、彼女のアート熱は留まるところを知らない。そんなキムが、元プッシー・ガロアのジェフリー・カフリッツらと組んだフリー・キトゥンに続いて新たに結成したバンドが、今回OOIOOのツアー・サポートという形で来日した「キム・ゴードン&ザ・スウィート・ライド」だ。

メンバーはキムとジム・オルーク、先頃アルバム『BODEGA』をリリースしたブルックリンのDJオリーヴ、そしてノー・ウェイヴの伝説的グループDNAの元ドラマー、イクエ・モリの4人。実はこのメンバーでは2000年にアルバム『Kim Gordon/Ikue Mori/DJ Olive』という作品を発表しているのだが、この日初めて観たライヴは、作品で聴かれたいかにも“作品然”とした印象とはがらりと変わり、緊張感と熱気を帯びたかなりアグレッシヴなものだった。即興演奏をメインとした抽象的で、ある種の「沈黙」を強いるような実験的なサウンドながら、エゴに堕した「停滞」を誘うものにあらず。各プレイヤーの白熱した演奏は圧倒的で、特にDJオリーヴが繰り出すブレイクビーツやノイズ等のエレクトロニクス、そこにキムの咆哮が絡みつき渾然一体となって巨大な騒音の建造物を作り上げた中盤以降の展開は、鳥肌ものだった。

インタヴューが行われたのは、その東京でのライヴを夜に控えた昼下がりの渋谷の喫茶店にて。初めて言葉を交わす機会に恵まれたキムは、想像していた通りのかっこいい(そして凄みのある)女性で、インタヴューの最中も何度と見惚れてしまった。急きょジムとDJオリーヴも同席することになり、思いのほかリラックスしたインタヴューになってしまったのは想定外だったが、しかしキムが何気なく呟いた「とにかくやってみる方が性に合ってるのよ」という一言は、彼女の本質を言い当てているようで興味深かった。


●まず、今回のメンバーが集まってバンドを始めた経緯を伺えますか?
キム(以下K)「そうね……よくわからないけど、とにかくいいアイデアだと思ったから(笑)。それぞれが他のいろんなバンドで演奏してるのを観てきてたし……(DJオリーヴの方を見て)彼はとにかく最高のDJで、他のミュージシャンと一緒に音楽をできる感性を持った人だと思ったのよね。それに、イクエがもっとこう、くだらない音楽をやる人たちと共演するのを見たいと思って(笑)。つまり私みたいな(笑)。で、ジムには私たちがレコーディングした音のミクシングをお願いしたのが始まりだった。それから一緒に演奏もするようになったのよね」

●ジムとオリーヴはどういう思いで参加したんですか?
DJオリーヴ(以下O)「『ノー』なんて言えると思う(笑)?」
全員「(爆笑)」
O「イクエとは以前共演したことがあったし……で、キムに誘われたから、『ぜひ、お願いします!』って言ったんだ(笑)」
K「初めてオリーヴと共演した時は、ヨシミと一緒だったのよね」

●特にジムはいろんな人たちとバンドを組んでいるわけですが、このメンバーで特別なところ、他と違うところはどんな部分でしょう?
ジム(以下J)「今までで一番奇妙なメンツだよね(笑)。それに、一番難しいのは間違いないよ。楽器のコンビネーションもそうだし、それぞれの演奏の仕方も普通と違うから、即興演奏する時にはいつもにも増して集中しないといけないんだ。だからこそやりがいがあるし、それっていいことだと思うよ」

●ソニック・ユースのサウンドと比べて、このバンドでは実験的で即興的な要素が前面に出ていると思うのですが、そういった要素はもともとミュージシャンとしてのあなたにとって重要な位置をしめてきたものなのですか?
K「そうね。私は小さい頃からフリー・ジャズを聴いて育ったから。兄とふたりで、自宅のリビングでいろいろ即興で弾いてみたりしたりして(笑)。それはともかく、私は基本的に自由な音楽が好きなのよね。どういうサウンドにしなくてはいけないとか、頭で考えるのは好きじゃない。とにかくやってみる方が性に合ってるのよ……このバンドの音楽には、映画のようなところがあると思う。歌詞もアドリブが多くて……言ってみれば、ハリウッド映画じゃなくて、フランスやヨーロッパの映画みたいな感じ。会話も何もない場面が延々と続くっていうような(笑)」
J「話に一貫性もなくて」
K「そう、古典的な物語のように、起承転結がはっきりしてないの。普通なら、曲にも始まりと中間と終わりの部分があるものだけど、私たちの場合はそうじゃないのよね」

●ソニック・ユースでの活動と、今回のバンドでの活動は、あなたの中でどういうふうにつながっているのでしょう? フィードバックしあう関係ですか?
K「そうだと思う……それぞれ違うメンバーと演奏するわけだから、違いが生まれて当然よね。曲のスタイルにはいろいろあって、たとえばソニック・ユースでは、ひとりが中心になって作った曲をメンバー全員で完成させていくことが多いけど、一方では即興演奏から生まれて形になっていく曲もある。だから、そうね、それぞれのバンドでの経験からアイデアを持ち込むといえると思うわ」

●そしてもうひとつ、あなたはミュージシャンとして以外にも、ドローイングやヴィジュアル・アートなどアートの分野でも活動されているわけですが、そうしたアートの部分での活動と音楽活動との関係性についてはどうですか?
K「そうね、関係あるんじゃないかしら。うまく説明できないけど、たとえば、主題や題材って意味ではつながりがあると思うし。でも……あなたが思ってるような意味ではないかも(笑)。抽象的でわかりづらいけど(笑)」

●たとえば、絵を描いている時に、音楽のアイデアを思いついたりとか?
K「うーん、それはないかな。私のアートはコンセプチュアルだから、まずアイデアが先にあって、そこから進んでいくのよね」

●以前にオノ・ヨーコさんが何かの雑誌で「アーティストの仕事は作品を創ることではなく、物の価値を変えることです」と話していて、とても感動したのを覚えています。あなたはコンセプトから始めるとのことですが、あなたにとって音楽とは別にアートの分野で表現すること、創作することはどんな意味を持つのでしょうか?
K「そうね、確かにある意味、何かを創るっていうよりは、もっとこう……いろんなものをごちゃ混ぜにしてるっていうか(笑)、ちょっと変わった物の見方を提示しようとしている部分はあると思う。いつも引き裂かれるような感じがするのよね。アートにおけるフォーマリズムを追求したいという思いと、自分が個人的に興味があるものとの間でね」
●あなたがアートで表現したいものと、音楽で表現したいものは別ですか?

K「やっぱりアートより音楽の方が、もっと幅広い表現ができる余地があると思う。私にとって、アートはもっと分析的で概念的なものだから。でも、たとえばジムはそういう分析的な部分を音楽に取り入れられる人だと思うわ。曲作りにおいてって意味でね。そうじゃない?」
J「そうだね」
K「で、私はちょっと違うのよね。昔からやってきてることだし、ヴィジュアル・アートを作るのは好きよ。でも、音楽のいいところは、もっと……無意識でいられるところかな。とにかくアートとは違うのよね。音楽はもっと本能や直感に基づいている気がする」

●ちなみにオリーヴは以前彫刻家もやっていたと聞いたのですが。
O「僕が(笑)? うーん、彫刻家ってわけじゃなかったけど――」
K「でも視覚芸術のアーティストではあるわよね」
O「そうだね。絵画と写真を勉強してたし」

●ではあなたも、アートと音楽で表現できることは別のものだと思いますか?
O「うーん、そうでもないかも。DJっていうのは、ある意味絵を描いてるのと同じだと思うからね。特に僕は絵を勉強した経験があるから、音楽を説明する時にもアートの用語を使うし……」
K「もともと視覚的なタイプなんじゃない? それが音楽にも表われてるのかもよ」
O「そうだね。大学で習ったことが今でも頭から離れないっていうか、頭の中でいろいろ声がするんだよね(笑)」

●音楽でそれを発散しているとか?
O「まあ、発散する必要もないと思うけど(笑)……『頭がおかしくなる~』って感じ(笑)」

●では、ここでソニック・ユースの話をさせていただきますが、ソニック・ユースとしては昨年でデビューからちょうど20年目の節目を迎えたということで――。
K「そうだっけ(笑)?」

●(笑)今年に入って『GOO』のリマスター盤がリリースされたり、バンド・ヒストリーを追ったDVDがリリースされたりと総括的な動きもあるわけですが、振り返ってみて、あなたにとってソニック・ユースとしての20年はどんな20年だったといえますか?
K「うわ~(笑)」
J「もう30年は経った気がする(笑)?」
K「わからない……なんかこう、いろんなロック・スターの名言が頭をよぎるんだけど(笑)……そうね、言ってみれば、ソニック・ユースはユニークだったっていうか、たとえばドラッグに溺れたり、身を隠してみたり、一度解散して復活してみたりとか、そういうのが私たちには全くなかったから(笑)」
J「テレビ番組のネタにはならないね(笑)」
K「だから……何て言ったらいいのかわからないわ(笑)」

●じゃあたとえば、バンド活動の中で手にした最大の財産といえば?
K「それは……日本まで来てライヴができたり、大勢の優れたミュージシャンに出会えたり、ステージ袖からすごいライヴ・パフォーマンスを目撃したりっていう経験ね。いろんなバンドの最盛期もリアルタイムで見てきたし。ニルヴァーナ、ペイヴメント、ボアダムズの素晴らしいギグ……そういうことかな。ねえ、ジム?」
J「(不意を突かれて驚く)えっ(笑)?」
K「(笑)……そう、やっぱりそうやっていろんな偉大なバンドや音楽に触れることができたのは、ソニック・ユースにいたおかげだと思うわ。あとは……よくある話だけど、ステージでの魔法のような瞬間とか(笑)?」

●(笑)では逆に、最大の挫折とは?
K「挫折? ……(ジムの方を見る)」
J「(自分を指差して)僕(笑)?」
O「はははは。誰かが生贄にならないとね(笑)」
K「何だろう……(長い沈黙)……重大なものは何もないわ……私たちには、その後の作品がかすんでしまうほどヒットしてしまったアルバムなんてないし。結構よくあることよね。初めの1、2枚が大ヒットしちゃって、その後は忘れられてしまうってこと。そういうことにならなかったのはよかったと思う。私たちは、プロセスを大切にしてるっていうのかな。どこかにたどり着くのが目的なんじゃなくて、それまでの道のりを大事にするっていう。そんな感じだと思うけど」

●ちなみに、最新作を含めた16枚のアルバムの中で、一番好きなアルバム、一番思い入れの深いアルバムは何ですか?
K「それは……次の作品よ」

●いい答えですね(笑)。
K「(笑)。実際、それぞれのアルバムのいろんな曲に好きな部分があるのよね。だからどのアルバムも好きなんだけど、そうね、最新作は結構気に入ってる。それに、『ウォッシング・マシーン』、『デイドリーム・ネイション』も好き。『シスター』もそうだし……もうよくわからなくなってきた(笑)」

●おふたりはどうですか?
J&O「(顔を見合わせて笑う)」
K「実は1枚も聴いたことないんでしょ(笑)?」
全員「(爆笑)」
O「僕はソニック・ユースの音楽は全体的に好きだよ」
K「DJする時に、ソニック・ユースのレコードを使ったことある?」
O「あるよ。でも、他のバンドの音楽と組み合わせるのは難しいから、そのまま流すだけっていうか、普通のDJの時にね……昔の作品はカセット・テープで持ってるよ。僕は昔スケートボードをやってて、いつもラジカセを持ち歩いてたから、カセットを買ってたんだ」
K「オリーヴはカセット好きなのよね(笑)」
O「そう(笑)。だからそうやって昔テープで聴いてた曲を聴くとなつかしい気持ちになるんだ。スケートボードをやってた若い頃を思い出してね。僕は1日のうちでもいろんな音楽を聴くのが好きなんだ。ヴァラエティが大事なんだよ。だから好きなアルバムを1枚だけ選ぶのは難しい。自分の子供からひとりだけお気に入りを選ぶみたいでさ」

●ジムはどうですか?
J「僕の答えは簡単だよ。『EVOL』と『ウォッシング・マシーン』が好きなんだ」

●ここ数年、ニューヨークに端を発する形で、ストロークスやヤー・ヤー・ヤーズといった若い世代のバンドが盛り上がっています。これはスリーター・キニーのコリンやカレン・Oとも話したことなんですが、そうした一連の動きを見ていて疑問に思うのは、その中に女性ミュージシャンの姿を見る機会がとても少ないということです。たとえばニューヨーク・パンクの時代もロンドン・パンクの時代も、あるいはオルタナティヴなんて呼ばれ方をした時代にも、女性ミュージシャンの存在は時代やシーンと密接な関わりをもっていたと思うのですが。あなたとしては、女性ミュージシャンの現在についてはどのような意見をお持ちですか?
K「スリーター・キニーはすごく重要な存在よね。それにレ・ティグラ……Quix*o*ticのクリスティーナとミラも」
J「クリスティーナ・カーターとか」
K「そう、クリスティーナ・カーターも……とにかく、今活躍してる女性ミュージシャンはたくさん知ってるけど、ただもっと……アンダーグラウンドなのよね。確かにパンクの時代には、女性のミュージシャンが大勢いたわよね。で、その後の80年代にはほとんどいなくなって……」
J「90年代の初めもいなかったよね」
K「ああ、90年代の初めは特にそうね。その頃と比べると、今の方がもっと増えたと思うけど。今までにないくらい多いんじゃない? もちろん、メインストリームでの話じゃないけどね。それでも、実験的な音楽をやってる人の中に女性は多いと思うわ」

●あなたは表現する時に性差の壁というか難しさを感じることがありますか?
K「うーん……それはないわ。特にアートを作っている時はね。というか……実はあまり考えたことがないのよね」

●あなたにとって、「女性である」ということは、ミュージシャンとしてアーティストとして、どんな意味や価値を持っていると考えますか?
K「……何をしても謝らなくていい立場にいるってことかしら(笑)」
J「はははは」
K「それはともかく(笑)、ロックといえば男性ギタリストを指すっていう見方が浸透しているのは確かだけど、女性がその役を買って出ると、そこに違った意味が付加されて、それでまた音楽がもっとおもしろいものになれるのかもしれない……とにかく、男性とは別の感性なのよ。男性と女性が全く同じだとは言えないわけだし、性差というのは確かにあるのよね。そんな中で、ひとりひとりの女性の個性が……特に型にはまらない音楽の場合は、女性ミュージシャンの方が音楽の実験性の幅を広げていると思うけど。そう思わない?」
J「そのとおりだよ」

●今日はどうもありがとうございました。
K「ありがとう」

(2004/10)


2000年代の極私的“ビッチ”考……キム・ゴードンというゴッドマザー )

極私的2000年代考(仮)……USインディの肥沃場ボルチモアを伝えるサンプル

アメリカ東海岸に位置するメリーランド州ボルチモアは、近隣のワシントンDCやニューヨーク~ブルックリンにも引けを取らぬインディ・ロックの肥沃地として、近年とみに注目のスポットである。アニマル・コレクティヴのホームタウンとしても知られているが、ボルチモアが輩出した才能多き個性派アーティストの顔ぶれは、枚挙にいとまがない。

最も旬なところでは、最新作『ティーン・ドリーム』がNMEの2010年度ベスト・アルバムの3位に選ばれるなど称賛を得たビーチ・ハウス。昨年、ディアハンターやノー・エイジと合同ツアー「No Deachunter」を敢行して話題を呼んだダン・ディーコン。地元の「Monitor Records」傘下の「We Are Free」から傑作『Ice Cream Spiritual』をリリースしたポニーテイル。アニコレが主宰する「Paw Tracks」の姉妹レーベル「Carpark」が擁するレキシー・マウンテン・ボーイズやエクスタティック・サンシャイン、レッサー・ゴンザレス・アルヴァレスやWZT・ハーツといったシーンの顔役的なアーティストに、「Dischord」を代表する重鎮ラングフィッシュのVo.ダニエル・ヒッグスや元メンバーによるヒューマン・ベル。TV・オン・ザ・レディオのデイヴ・シーテックがプロデュースを手掛けたセレブレーション。「Ninja Tune」傘下の「Counter Records」所属のデス・セット。ちなみに、「Monitor」と「We Are Free」はバトルスやイェイセイヤーのデビュー作もリリースするなど、ボルチモアの音楽シーンは、2000年代以降のUSインディ・ロックの躍進を象徴するように活況を呈してきた。

そんな近年のボルチモア・シーンを代表するもう一組のバンドが、このサンキュー。2005年に結成されたトリオで、現在は同郷のフューチャー・アイランズやダブル・ダガー、ポニーテイル(元エクスタティック・サンシャイン)のダスティン・ウォングらと共に「Thrill Jockey」に在籍している。日本デビュー盤となる『ゴールデン・ウォーリー』は、通算3枚目のオリジナル・アルバムになる。

メンバー構成は、ギターのジェフリー・マッグラス、キーボードのマイケル・ボーユーカス、ドラムのエマニュエル・ニコライディス。ジェフリーとマイケルは、以前にそれぞれロ・モダと「Monitor」所属のモア・ドッグスというバンドで活動していた経歴をもつ。ちなみに、結成時のドラマーはエルク・KWという女性で、前作のセカンド・アルバム『Terrible Two』をレコーディング後にバンドを脱退。マイケルと同じモア・ドッグスの元メンバーで、バンドの初期にサポートを務めたこともあった友人のエマニュエルに声をかけて現体制に至った経緯がある。

ディスコグラフィーについて整理すると、ファースト・アルバムの『World City』がリリースされたのは2007年。レーベルは地元の「Wildfire Wildfire」。過去にはダン・ディーコンやダスティン・ウォングもリリースした新興レーベルで、サンキューは第2号アーティストだった。その『World City』をリリース直後、ダン・ディーコンの前座を務めたシカゴでのライヴを、以前からノー・エイジを通じて彼らに関心を寄せていた「Thrill Jockey」のオーナーのベッティーナ・リチャーズが目撃。同レーベルと契約に至り、翌年の2008年にセカンド・アルバム『Terrible Two』がリリースされた。ちなみに、両アルバムともレコーディング/エンジニアリングは、元ガヴァメント・イシュー~現在はチャンネルズを率いるDCハードコアの重要人物で、ポニーテイルやイェイセイヤーも手掛けたJ・ロビンズ。ミキシングは、ビーチ・ハウスやギャング・ギャング・ダンス、ヤー・ヤー・ヤーズ等の諸作で知られるクリス・コーディー。また、エマニュエルを迎えた現体制での初作品として、昨年EP『Pathetic Magic』がリリースされた。こちらはクリスとクレイグ・ボーウェン(グローイング、ジャッキー・O・マザーファッカーetc)が録音。新曲に加えてダン・ディーコンやラングフィッシュのG.アサ・オズボーンによるリミックスが収録されている。

“ノー・ウェイヴの渦巻に吸い上げられたマイルス・デイヴィス『オン・ザ・コーナー』”とも評されるサンキューのサウンド。たとえばジェフリーはラングフィッシュから多大な影響を受けたと語るが、そうしたハードコアの爆発力を源泉とした狂騒的なグルーヴの一方、なるほど「Thrill Jockey」が見初めたのも頷ける、ジャズやファンクからアヴァンギャルドやマス・ロックまで昇華した多彩極まるサウンド構築や音響造形もそこには窺える。その両極端な特性は、彼らの作品を手掛けてきたJ・ロビンズ/クリス・コーディー両氏の背景(の違い)にも象徴的だが、もっともダン・ディーコンやポニーテイルなど周りを見渡せば、それはボルチモアの同世代のアーティストに共通した在り方なのかもしれない。ちなみに、ジェフリーとマイケルはインタヴューで「『ホワイト・アルバム』か『ペット・サウンズ』か?」という質問に、前者派と即答している。そこには、むしろ後者が圧倒的な影響力を及ぼしている現在のUSインディ・シーンにおける、彼ら独自の「サイケデリック(・ミュージック)」観のようなものも垣間見えるが、ともあれ、スウェル・マップスやディス・ヒートといったポスト・パンク~レコメン系からドッグ・フェイスド・ハーマンズのようなアナーコ・パンクとも比せられる彼らのサウンドは、メンバー個々のリスナー経験の蓄積という以上に、彼の地ならではの「磁場」がもたらした部分が大きいのではないかと想像できる。

本作を手掛けたのは、前2作とは異なり、クリス・コーディーとクリス・ムーア(TV・オン・ザ・レディオ、ヤー・ヤー・ヤーズ、フォールズetc)という布陣。エマニュエルをドラマーに迎えた初のスタジオ・アルバムであり、レコーディングにはムーグやハーモニカ、ハープや60年代製のヴィンテージ・オルガンなど新たな楽器も導入された。当初は前ドラマーのエルクの不在を埋めるため試行錯誤が続いたようだが、バトルスやミ・アミ等とのツアーやライヴを通じて練り上げてきたというサウンドは、先行のEP『Pathetic Magic』が予告した通り目覚ましい成果を披露している。

痙攣的なギターとタイトなドラムがユニゾンしながら、渾然一体とアンサンブルをドリフトさせる“Pathetic Magic”。魔笛のようなキーボードに導かれ、アモン・デュールも思わす秘祭めいた禍々しいジャムを展開する“Strange All”。サンキューらしい分裂的でトラッシーな“Continental Divide”。対して、ノー・エイジのようにストレートな疾走感溢れる“1-2-3 Bad”。あるいは、イーノやクラスターを連想させる未来的なエレクトロニクスの響きが印象的な“Birth Reunion”、コノノNO.1とも比せられるアフロ~トライバルなビートを叩く“Can't/Can”のようなナンバーもある。ちなみに、マイケルは事前のインタヴューで「リベラーチェ(※50年代初頭、奇抜なコスチュームで一世を風靡したアメリカ人ピアニスト/エンターテナー)のようなサウンドにしたい」と本作について語っていた。またジェフリーによれば、エマニュエルの加入によってバンドはより緊密でインタラクティヴなプレイが可能になったという。そして、前作『Terrible Two』は全編インストゥルメンタルで、ヴォーカルも効果音程度のさえずりだったのに対して、本作では“Birth Reunion”や“Can't/Can”をはじめ随所で歌唱やコーラスとして“歌っている”点も大きな特徴だろう。

なお、日本盤ボーナストラックとして、EP『Pathetic Magic』収録のダン・ディーコンによるリミックス、未発表曲の“The Whale”をコンパイル。また本作のリリースと併せて前作『Terrible Two』のデジタル・リリースも予定されている。才能ひしめくボルチモア・シーンの真打ち、いや、2010年代のUSインディ・シーンを騒がす個性派の一角として、その動向に注目したい。

(2010/12)

2011年12月27日火曜日

予定

来年からここで、ゆる~い感じのカセット・リリース専門のレヴューを始める予定始めました。
140字未満でサクサクと書いていきたい。マチマチです。
誰か始めるかなー、と思ったけど誰もやる気がないみたいだし。海外では盛んですが。
スケジュールもゆる~い感じでいきますので、よろしくお願いします。わりとがんばってます。

あとそれと、日本の音楽についてもそろそろ本腰入れて書きたい。いやマジで。
自分のこの目で見たものを正確に記録したいと思う。がんばります。

2011年12月14日水曜日

2010年代の極私的“ビッチ”考……ビョーク『バイオフィリア』(※草稿)

ビョークのキャリアはこれまでも「リミックス」とともにあった。もっともビョークの場合の「リミックス」とは、世間一般でいう既存曲の再編集を意味するものから、それこそ毎回多彩なコラボレーターを招いて自身のアイディアを再構成していくアルバム制作のプロセス自体も指した、広義の解釈を含む。セカンド『ポスト』のリミックス・アルバム『テレグラム』のブックレットには、「彼らのミキシング・デスクのための材料になりえたことを、私と私の歌がいかに誇りに感じているか、リミキサーたちに伝えたいと思います」と彼女の言葉が記されていた。そうして音楽に限らずアートに関わる行為を、自己完結的な作業ではなく、他者を巻き込むダイアロジカルな機会として捉え直すことに価値を見出す姿勢は、映像やファッションの世界にも跨るすべてのクリエイションに一貫した彼女の哲学といえるものだろう。そこでは、ビョークというマルチタスクな才能と「リミックス」というバイラルなアート・フォームが相乗することで、「作品」は一回性に留め置かれることなく、多次創作的なヴァリエーションを潜在化したアート・ピースとして提示されていた。

ビョークの最新作『バイオフィリア』の最大のトピックは、それが特設のウェブサイトと連携したiPad/iPhone用アプリケーションとしてデジタル・リリースされたことだろう。「各アプリのコンテンツは次のようなものを含む:楽曲の科学的かつ音楽的な題材に基づいたインタラクティブなゲーム、楽曲のミュージカル・アニメーション、アニメーション化されたスコア、歌詞、そして学術論文など。ゲームはその楽曲の音楽的な要素を操ることによって自分のヴァージョンを創りながらさまざまな音楽的機能を学ぶことができる。ミュージカル・アニメーションとアニメーション化されたスコアは、伝統的な方法と革新的な方法で視覚的に音楽を描くことが出来る。学術論文は各楽曲、各アプリのテーマが音楽的にどのように実現したかを解説する」(『バイオフィリア』プレスシートより)。すなわち、リスナーは作品を「聴く」だけに留まらず、アプリを通じて『バイオフィリア』の世界を「学ぶ」機会を得られ、さらに楽曲の「(二次)創作」を体験することができる。過去にブライアン・イーノがアプリ用の作品を発表したり、レディオヘッドがリミックス素材をiTunesでリリースしたことはあったが、今回のビョークのような試みは例を見ない。『バイオフィリア』とは、いわばオープンソースなソフトウェアであり、一種の「リミックス・アルバム」であることをあらかじめ意図された構造を持つマルチメディア・プロジェクトと呼べるだろう。

ビョークはリリースに先立ちWIRED誌のインタヴューに応えて、『バイオフィリア』の出発点が「身体的な体験(physical experience)」を目的としたプロジェクトだったと語っている。映画『レナードの朝』の原著でも有名なオリヴァー・サックスが発表した音楽と神経学の関係に関する研究書『Musicophilia(音楽嗜好症)』に触発され、当初はアルバムとは別に、美術館のような巨大な施設で上映される3D IMAX版の映画として企画されたものだったという。結局、あまりに大掛かりな規模となるため映画化は断念されたが、その構想はタッチスクリーンという新たな直感的コントロール・デヴァイスの登場により、今回のアプリ版の開発・リリースというかたちへと受け継がれることとなった。その上でビョークは、今回のプロジェクトのテーマのひとつに「教育」を掲げていて、アプリを通じたインタラクションしかり、既報によればアルバムと連動した作曲や演奏のワークショップの開催も計画されているという。そうした展開も含めて『バイオフィリア』とは、まさに「体験学習」のプログラムといえそうだが、またビョーク自身にとっても今回の制作過程は、天体物理学から地域・比較文化論まで広範なリサーチを要する「学習期間」だったようだ。


ところで、ビョークは6年前に『拘束のドローング9』というアルバムを発表した。それは彼女も参加した現代美術家マシュー・バーニー――『ヴェスパタイン』のツアーで使用されたガラス製オルゴールの制作者、と説明したほうが通りはいいか――による同名の映像作品のサウンドトラックで、本編は日本を舞台に茶道や捕鯨を題材とした叙事詩的世界を、叙事詩的世界を、バーニーとビョーク演じる男女のラヴストーリーを軸に神話的なスケールで描いた作品だった。そのプロジェクト制作にあたり彼らが日本文化をリサーチした際、なかでも伊勢神宮の「システム」に興味を引かれたというエピソードが印象に残っている。そのシステムとは「式年遷宮」と呼ばれる飛鳥時代からの制度で、20年ごとに神宮の正殿・全社殿が造替再建されるという、物質的な新陳代謝を恒常的かつ定期的に行う特殊な建築儀式に関心を抱いたようだ。あるいはまた、作品に関連したインタヴューに答えてビョークが、日本の「神仏習合(※土着の信仰と外来の仏教信仰を折衷して、ひとつの信仰体系として再構築すること)」に共感を示す発言をしていたことを思い出す。

『拘束のドローイング』は、元フットボール選手で大学時代に医学を学んだバーニーの経験が反映された連作で、「ある抵抗下で身体が発達していく(筋肉トレーニング)」という生理学的な考察から、「負荷=拘束」を発達に不可欠なもの、すなわち創造性の媒体として提示したプロジェクトだった。9作目となる『拘束のドローング9』では、転じて、日本文化の伝統や儀式性が象徴する「拘束」からの解放のイメージが、バーニーとビョークの身体を通じて官能性やエロティシズムとともに表現されていた。ディティールは省くが、その、ある存在が確定的な状態を解かれて不確定な状態へと変化するサイクルにおいて新たなヴィジョンが更新されるというモデルこそ、バーニーが伊勢神宮の「式年遷宮」に見たものと相似形であることはいうまでもない。またそれとは、『拘束』と制作時期の重なる別のプロジェクト『クレマスター(※胎児期に男性性と女性性の分化を左右する組織)』で表現された、生物や存在の「変異・変容」をめぐるオブセッシヴな想像力の延長上に位置するものでもあった。そうした根底には、拘束と解放、秩序と衝突、あるいは身体とアートといった「ふたつの異なるものの間に存在するもの」「ふたつの異なるものの間の関係作用」に創造のダイナミズムを見るバーニーの強い動機が横たわっている。

「科学と自然の要素、そして音楽学を継ぎ目なく織り込みたかった」とビョークは『バイオフィリア』について語っている。そして「自然科学と感情の混合」というコンセプトは、たとえば閉所恐怖症を題材としたマシュー・バーニーと共作のダーク・オペラ“ホロウ”や、ウィルスとのラヴソングという“ヴァイラス”、水晶の結晶形やDNAの配列構造をトラックの複雑性に見立てた“クリスタライン”など、各楽曲に趣向を凝らして投影されている。もっとも、テクノロジーと自然、エレクトロニックとオーガニックなものの関係を寓話的なタッチで擬人化するような作風はこれまでもビョークの得意だが、加えて、前作『ヴォルタ』のツアーでお披露目したタッチスクリーン型コントロール・デヴァイス「Lemur」やiPadによって実現した身体性と同期した直感的な音の操作が、彼女のイマジネーションを飛躍させた。より感覚的なアイディアや演奏を反映したソングライティングが可能となり、鼻歌がそのままメロディに、散歩する足取りがそのままBPMやリズムに置き換えられ、さらにはプログラミング処理された自然界のアルゴリズムから曲のパターンを起こすなんて試みもアルバムでは行われている。

極めつけは、今回のレコーディングのために制作されたカスタムメイドの楽器群だ。MIDI対応のガムランとチェレスタの合体楽器「ガムレスト」、プレイステーションのコントローラーで操作する木製パイプオルガン、iPadが信号処理する重力アルゴリズムで制御された高さ3mの振り子状ハープ演奏機械「アルミニウム・ペンデュラム」など、いずれもアルバムの世界観/コンセプトを実装したオリジナルの発明品である。しかしそれらは、単なる最先端のテクノロジーとアコースティック楽器の融合といった代物ではない。今作のミュージック・ソフトウェア・プログラムを指揮したダミアン・テイラーは、その操作性を「脳と楽器をプラグで直結された演奏」「装置と対話しながら作曲できる感覚」と語っている。したがって、通常の楽器演奏とは勝手が違って思いがけない音が飛び出し、またそれに刺激されて新たなアイディアが湧くという連鎖反応が生まれる。つまりそれは、既存の電気楽器的な身体性を媒介としたテクノロジーのアウトプットではなく、テクノロジーを媒介とした身体性のアンプリファイという、演奏と音楽の関係を更新するまったく新たな体験ということだ。そこには、いわば“テクノロジーこそが新たな身体性(身体的表現)をもたらす”というビョークの確信が窺える。そしてその体験とは、アートと自然科学という異なる体系の折衷を試みた今作のコンセプトにふさわしい、まさに身体性とテクノロジーの「習合」と呼ぶべきものだろう。

そしてこのことに倣えば、『バイオフィリア』とはビョークとリスナーを「習合」するアルバム――ともいえるはずだ。『バイオフィリア』というプロジェクトにおいてビョークとリスナーは、アプリやワークショップを通じて直結された関係を築き、その学習や体験を促すプログラムによって対話的に営まれる新たな創造(多次創作)を可能性として孕んでいる。つまり極論すれば、そうすることでリスナーは「作り手」となり自分だけの『バイオフィリア』をカスタムメイドすることができ、ビョーク自身もまた「5000曲作ろうと思えばできるわ!」と語り、今作が“付け足す”という考えが中心に置かれた「進行中のプロジェクト」であることを示唆する(※リミックス音源が先行シングルだったことは象徴的だ)。そしていうまでもなく、そうした絶えざる変化と更新を創造的命題とした『バイオフィリア』の「システム」には、伊勢神宮の式年遷宮における新陳代謝のアナロジーを見ることができるだろう。そのことはたとえば、制作工程の実質90%は自身による編集作業だったという前作『ヴォルタ』の完結性とは対照的にも映る。つまりビョークは、不特定多数のリスナーまでもコラボレーターとして巻き込むことで「リミックス(・アルバムであること)」を(潜在的に)常態化し、アーティスト個々人の作家性という閉じた円環から「作品」を解放した。そうして「音楽家/聴衆」という従来の二項対立的な関係が書き換えられた結果、多中心的(N次的)に「作品」が創作される可能性を内在した『バイオフィリア』の展開は、音楽が「音楽」としてのみならず、作り手と受け手を媒介するコミュニケーション・ツールとして消費されるようなソーシャル・カルチャー以降の在り方も想起させるものだ。


もっとも、何よりビョークが掲げた「教育」こそ、バーニーが探求を続ける「拘束と発達」を具現化したテーマに他ならない。一連のプロジェクトを通じた教化・啓蒙への「リアクション」こそが新たな創造をもたらすことを、ビョークは期待している。そうした多様な音の繋がりが連鎖を生み、響きの波紋となって『バイオフィリア』の世界を拡張していく――。それは、これまでつねに他者と交わることで自身をアップデート(カスタムメイド)し続けてきたビョークにとって、ひとつの理論的帰結と呼べるものでもあるだろう。その『バイオフィリア』が描き出すであろう展望には、音楽やアートと、自然やテクノロジーと、そして私たちリスナーとビョークとの“豊かな出会い直し”を見ることができる。


(2011/11)


※『バイオフィリア』は初音ミク(的なソフト)なのかもしれない。

2011年12月8日木曜日

最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)⑪

・ Dustin Wong/Dreams Say, View, Create, Shadow Leads
・ muffin/LAST APPLE
・ ふくろ/tetra axis
・ テニスコーツ/Papa's Ear
・ ゑでぃまぁこん/残光ノ森
・ 福原希己江/笑門来福
・ Explosions In the Sky/Take Care, Take Care, Take Care
・ k. (Karla Schickele)/History Grows
・ Rihanna/Talk That Talk
・ Oval/OvalDNA
・ Amy Winehouse/Lioness: Hidden Treasures
・ Vladislav Delay/Vantaa
・ Mint Julep/Save Your Season
・ Ensemble Economique/Crossing The Pass, By Torchlight
・ The Men/Leave Home
・ The Amazing Births/Younger Moon
・ Co La/Daydream Repeater
・ Blues Control & Laraaji/FRKWYS Vol. 8
・ Ectoplasm Girls/TxN
・ DRC Music/Kinshasa One Two
・ Korallreven/An Album By Korallreven
・ Drake/Take Care
・ Glass Candy/Warm in the Winter EP
・ 200 Years/200 Years
・ Massive Attack vs Burial/Four Walls - Paradise Circus
・ Ayshay/Warn-U EP
・ High Wolf/Atlas Nation
・ Lydia Lunch & Big Sexy Noise/Trust The Witch
・ Thee Oh Sees/Carrion Crawler / The Dream


(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)⑩)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)⑨)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)⑧)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)⑦)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)⑥)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)⑤)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)④)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)③)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)②)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...))

2011年11月23日水曜日

極私的2000年代考(仮)……「レコード盤中毒者の匿名トリオ」による即興考

3月下旬、先のテロ事件の影響で延期となっていたディスカホリック・アノニマス・トリオの来日公演が行われた。

「レコード盤中毒者の匿名トリオ」とはよく名付けたもので、メンバーのサーストン・ムーア、ジム・オルーク、フリー・ジャズ奏者のマッツ・グスタフソンは3人とも無類のレコード・コレクター。しかも結成の目的は「レコード屋が充実している街を旅しながら演奏すること」……冗談のような話だが、しかしそうして音源を掘り続け得た様々な意匠が彼らの創作をインスパイアし、ラディカルかつ独創的なサウンドを生みだしているのだと、今宵のライヴは証明していた。


●ストロークスってどう思います?

サーストン(以下T)「すごい、かわいいんじゃない。もし、ぼくが少しでも若ければ、食っちゃってたかも」


●(笑)音の方はいかがでしょうか。

T「ちゃんと聴いたことないんだ、実は。テレビでちらっと見たことあるし、あとストロークス好きも周りにいるんだけど。でも、なんだろう、ちょっと使い捨てポップスって気もするけどね。まあ、使い捨ての音楽は好きだから、別にいいんじゃないの。批判するつもりはないし、ザ・ストロークスがやりたいこともわかるし。ただ、個人的には熱狂するような音楽じゃないよね」


●そうですか。

T「ニルヴァーナの方が良かったよ(笑)」


●(笑)。他にニューヨークで活きのいいバンドはありますか。

T「うん。最近ニューヨークのバンドが結構注目を浴びるようになったよね。ストロークスはもちろんのこと、ヤー・ヤー・ヤーズってバンドも人気あるし。あと、ちょっと毛色は違うけどブラック・ダイスとかいて。今はニューヨークで活動してるけど、ロードアイランド州のプロビデンスのバンドなんだ。あと、それに近いバンドでライトニング・ボルトっていうのも気に入ってる」


●ブラック・ダイスとライトニング・ボルトは1月頃に一緒に来日してましたよ。

T「そうだったんだ。良かったでしょ?」


●ええ。

ジム(以下J)「うん、ブラック・ダイスはいいバンドだよ。ライトニング・ボルトもね」

T「その2つはどっちかっていうとノイズっぽくって、ちょっとマニアックな感じで、ヤー・ヤー・ヤーズとかはもっとわかりやすいパンクなポップなんだよね。あと、まだちゃんと聴いてはいないんだけどライアーズっていうバンドの評判も結構いいらしい。最近ニューヨークから出てくる若いバンドってみんな要領がいいんだよね」

J「でも、ニューヨークでこいつら(とストロークスを指す)のことを知ってる人はいなかったじゃん」

T「そうそう。それがストロークスの面白いところで、彼らのプレス・エージェントはかなりのやり手で、アルバムが出てもないっていうのに、イギリスとかヨーロッパでは『ニューヨークからの新星、ザ・ストロークス』みたいな感じで煽りたててさ。でも、実際にニューヨークでザ・ストロークスの存在を知ってる人はいなかったっていう。実は2ヵ月前、ジョン・スペンサー・ブルーズ・エクスプロージョンのラッセル・シミンズと『ストロークスって誰なの?』って話をしてたばかりなんだよね。同じニューヨーク出身ってことでしょっちゅうストロークスについて聞かれるんだけど、お互い誰のことなのかさっぱり分からなかったんだ。なにしろ1年前には存在してなかったバンドなんだから」

J「そうそう、スペインに行ったときも、インタヴューされる度に聞かれたんだけど、答えようが無かったんだよね」

T「でも、やっとその正体がわかったんだ。ストロークスはまさにニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックだよ」


●(笑)。

J「そう言えば、日本ではどっちのジャケットを使ってるんだっけ?」


●お尻のやつ。

J「そうなんだ。アメリカは違うよね」

T「アメリカではサイケがかったジャケットだよ」

J「そうだった」

T「でも、ストロークスっていまだにちゃんと聴いてないんだ。この前、お店で流れてたんだけど、なんだろう……。みんなはヴェルヴェット・アンダーグラウンドとテレヴィジョンを混ぜた感じだっていうけど、ぼくはそうとは思わないなあ。まあ、すごく洗練されてるっていうか、ある意味、狡猾にさえも感じるよね。でも、レッド・ホット・チリ・ペッパーズとかオアシスとかプライマル・スクリームのゴミ音楽よりかはマシなんじゃない」


●(笑)。

T「あとコーンとか、ウィーザーとか、ぜ~んぶ最低だぁ~」


●(笑)。

J「(手もとの音楽誌を見ながら)シャーラタンズの人って見付かったんだっけ?」


●失踪したのはマニック・ストリート・プリーチャーズですよ。

J「そっか(笑)」


●ニューヨークの若いバンドと交流があったりするんですか。

T「うーん、ある程度はね。でもぼくたちってもう古株なんだよ。だから、別にシーンと密接な関わりがあるってわけじゃないんだ。もし、そういうバンドと交流することがあるとすれば、それはたまたま一緒にライヴをやったりする時ぐらいで。例えば、ロサンゼルスでオール・トゥモローズ・パーティーズをやったばっかりなんだけど、あれは若いバンドと接するいい機会だった。ブラック・ダイスとかさ、ぼくにしてみればまだキッズって感じで。普段だったら、あまり仲良くならないかもしれないよね。なにしろ、オヤジだからさ、ぼく」


●(笑)。

T「だから、みんないい連中なんだけど、特に仲が良かったりするわけじゃないよ」


●マッツもロック・バンドを聴いたりするんですか。


マッツ(以下M)「ロックしか聴かない」


●(笑)そうなの。

M「買うのはジャズのレコードばっかりだけど、聴くのはロックだけ」

J「ひゃははは」


●(笑)若いジャズの即興のミュージシャンはいたりするのでしょうか。 日本にはあまりそういう情報が伝わってこないんですけど?

M「え、それってどこのこと?」


●スウェーデン。

M「うんうん、いっぱいいるよ。その話だったらもう延々とできるから。ちょっと前までは、ぼくとか一握りの人しかインプロヴィゼーションをやってなかったんだけど、最近は若い世代のミュージシャンも増えてきて。しかも、最近の連中はロック・シーンやクラブ・シーンから出てきてるもんで、ジャズが主体のミュージシャンばっかりの時代に比べてかなり多様性があるシーンになったんだよね。だからちょっと前に比べて、盛り上がってるし、すごく刺激的だよ」


●なるほど。では、ここでディスカホリック・アノニマス・トリオについてお聞きしたいのですが、昨日のライヴはいかがでしたか。

M「買い物の時間を削られてしまった」

T「そうそう。本当はレコード屋を周ってるはずの時間だったのにさ」


●(笑)。

T「でも、まあ、ライヴ自体は良かったよ。実は昨日は3人で演る初めてのライヴだったんだ」


●そうだったんだ。

M「うん、まだこの3人ではアルバムを作っただけなんだ」

T「だから、昨日はどう転んでもおかしくなかったんだよね。思ったよりエレクトロニカルな傾向が強いライヴだったかも。でも、楽しかったよ。とにかく即興音楽なんだから、一つ一つのライヴを個性的なものにしたいんだ。自分たちだって実際にどういうサウンドだったのかはわからないわけだし」
M「そうだよね。でも、すごく上手くいったんじゃない? で、明日はまた全然違うものになってるはずだよ」


●録音したんですか?

T「うんうん。ライヴを録音したし、ビデオも撮った」

M「2週間後に12インチとしてリリースするつもりだよ」


●そうなんだ。

J「このグループは最も細かく記録された即興音楽集団になるはずさ」

M「(笑)そうなんだよね。ぼくたちが鳴らすサウンドは一つ残らず記録するから」

T「一音一音を金にしてやるんだ」

全員「(爆笑)」


●(笑)実際に音を出してる時はどういう精神状態なんでしょうか。昨日のステージを見てると、気持ち良さそうなんだけど、緊張感もかなりあるように見えたんですが。

T「そうだね、普通のロック・バンドでやってるのとはだいぶ違うよ。なにしろ決まり事が一切ないんだからさ」

J「時間の感覚もぜんぜん違うんだよね。普通の曲を演奏してる場合は、自分のやってることと、バンドのやってることに、集中力を分散することができるけど、インプロヴィゼーションの場合はすべてのことに終始、気を配らなきゃいけないわけだからさ」

M「そう、インプロヴィゼーションだと、いつ音楽の流れが変わってもおかしくないわけで、普通のバンドだとそういう不安はないもんね」

T「本当に自由なんだよ。だけど、自由である反面、それだけ責任もあるわけで。他のメンバーに迷惑かけないように、ずっと音楽に集中してなきゃいけないんだ。だから、緊張感が生まれるんだよ。他のメンバーとお客さんにとって常に刺激的なサウンドを奏でなきゃいけないわけだから」

M「テンションはいつだってあるんだ。ただ、そのエネルギーに自分が乗っかって盛り上がるか、そのエネルギーを他のメンバーに譲るかって感じで。すべてはコミュニケーションなんだよ」

T「(音楽誌のロジャー・ウォーターズの広告を指して)げっ。いつか、ストロークスの連中もこうなっちゃうんだよ。オッサンにね」


●(笑)結成の経緯はどんな感じだったんですか。

T「全員、レコード・マニアだから。3人でバンドをやって、レコード屋の充実してる色んな街で演奏するのが、ぼくたちの目的なんだ。そういう街じゃなきゃライヴはやらない。もちろん、音楽も重要なんだけど……。えーと、世界中のレコード屋を周る理由になるからね」

J「きゃはははは」


●(笑)それだけが結成の理由なんですか。

J「まあ、お互い他で一緒に演ったことはあるんだけど、この3人で集まって本格的に活動しようってなった時、ニュージャージーのど真ん中みたいに何もないところで演ってもしょうがないってことになって」

T「そう3人とも昔からの知り合いだし、ソニック・ユースや他のインプロヴィゼーションのセッションを通して、一緒に演奏することはよくあった。その上に、お互いが屈指のレコード・マニアだってことも知っていた」


●(笑)。

T「いや、マジな話、この3人はコアなレコード・オタクなんだよ。レコードを買う人は大勢いるけど、ぼくたちほどの人はなかなかいないって。ピーター・ブラウスマン(?)もリー・ラナルドだってレコード・マニアではない。確かにレコードを集めてるミュージシャンは他にもいるけど、ここまで極端なマニアは少ないと思うよ。マジで狂ってるんだから、この3人は」

M「それはこのツアーで必要以上に証明できたと思うよ」

T「そうなんだよ。だから、最初っからコンセプトはあったんだ。人前で演奏しながら、素晴らしいレコード屋がいっぱいある街を旅するっていうね。東京や大阪はもちろんのこと、ストックホルムとかにもこれから行く予定だよ」

M「でも、レコードってインスピレーションの源になるし、そういう意味でも、面白いんだ。今回のツアーは必ずしも買い物ツアーってわけじゃないんだよ。ぼくの場合はレコードを聴いて、それに影響を受けることが大切なんだ。なにしろ、ぼくみたいにラップランドみたいな所に住んでると滅多にライヴなんか見ることができないからね」

T「ぼくもライヴよりレコード聴いてる方が好きなんだ。だってライヴって、いつも混んでるし、隣のやつがタバコ吸ってたりするし……」

M「レコードだと、いつ何を聴きたいか自分で決められるからね」


●では、具体的な音楽のコンセプトがあったわけではないのですか。

M「音楽のことは話し合わなかったなあ」


●(笑)やっぱり、そうなんですか。

T「でも、トリオでインプロヴィゼーションに取り組みたかってのは元々あったよ。で、スウェーデンで3人でレコーディングをしたんだけど、それをリリースしようって決めた時、このプロジェクトのコンセプトを決めたんだ。つまり、レコードがいっぱい手に入るところでしかツアーしないってこと(笑)」

M「すぐ決まったよな、それ(笑)」

T「確かにどこでもライヴを演るインプロヴィゼーション・トリオでもよかったわけだけど、それよりか、しっかりしたルールみたいなのがあった方が面白いと思ってね」

M「あと、滑り出しが絶好調だったっていうか、スウェーデンでレコーディングした直後、3人でそのままバスでコペンハーゲンに行ったんだけど、そのバスがいっぱいになるほどレコードを買い漁ったんだよね(笑)。素晴らしかったなあ、あれは」

T「そうそう、コペンハーゲンにはかなりいけてるレコード屋が何軒もあるからさ。それがキッカケとなってこのグループはレコードを死ぬほど入荷できるところじゃないと、演奏しないっていうコンセプトが生まれたんだ。そうじゃない場所では、オファーがあっても断ることにしたんだよ」

M「その通り」


●普通の音楽にはない即興演奏の魅力とは3人にとって何なのでしょうか。

T「その前に、こっちから質問したいんだけど、売りたいレコードある?」


●いやいや。

T「そうなんだ。わかった。でも、即興音楽の魅力とはって聞かれても。えーと、昔、デレク・ベイリーが『みんなが即興音楽に熱狂しないのが理解できない。これほど魅力的な音楽はないのに』って言ってたけど、本当にその通りなんだよね。まったく展開の予想できない音楽だし、ミュージシャン同士のインタラクションを観察できて、面白いし。で、インプロヴィゼーションっていわゆる“ジャム”とは違って、ノリだけで演奏してるんじゃないんだよね。演奏に全神経を集中させて、まさにインプロヴァイズしてるんだ。それって本当に面白いことだと思うし、このスタイルがあまり人気ないのはぼくも不思議だよ。だって、即興音楽こそ人生に最も忠実な音楽っていうか。だって人生っていくら整理しようとしても、結局は予想不可能な要素にしょっちゅう左右されてるわけだから。そういう意味で即興演奏は人生にすごく似てるんだよね」

M「もう一つ引用を使わせてもらうけど、イスラエル人の作曲家とサックス奏者のドワーラー・ワイラー(?)が『自由で自立した演奏、または自由で自立したリスニングは、自由で自立した思想に繋がって、それは自由で自立した活動に繋がる』と言ってたんだよね。サーストンにこのプロジェクトの話を聞いた時、すごくそれがぴんときて。アートも文学も美術もパフォーマンスも、すべてがそれに繋がってるんだと思う」

J「ぼくは単純にジャムりたいだけ(笑)」

M「(笑)なんか、違うなあ~」

T「そう、こいつは女にもてたいだけなんだよ」

J「(笑)あまり知られてないらしいけど、インプロヴィゼーションにはいい女が寄ってくるんだよ」


●(笑)マッツは元々ジャズから即興音楽の世界に入ってきたってことですけど、サーストンやジムはこういう音楽に興味を持つキッカケになった作品はあるんでしょうか。

J「ぼくだってインプロヴィゼーション畑の出身だよ。そもそもマッツと出会ったのは、1990年にロンドンで開催されたデレク・ベイリーのフェスティバルにお互いが出演したからなんだから。で、そのデリック・ベイリーの音楽こそ、ぼくが即興音楽に興味を持つようになったキッカケだったんだ。高校の先生が、実は牧師で、何でだか知らないんだけど、すべてのジャンルの音楽から各1枚、アルバムをピックアップしたコレクションを教室に置いてて――」

T「すごいな、それ」

M「(サーストンに)この話、聞いたことある?」

T「いや、初めて聞くよ」


●(笑)。

J「その頃はジャズに興味があったんで、色々と教えてもらってさ。ある時、アンソニー・ブラクストンのアルバムを貸してもらったんだけど、先生はあまり気に入ってなかったらしいんだ。でも、ぼくは他のものに比べてかなり気に入っちゃって。そのアルバムを軸に自分の好みを言ってみると、今度はジョン・ケージのアルバムを貸してくれて、それがまた、かなりの衝撃でさ。だから、そういう音楽にすごく興味が湧いて、図書館で色々と調べてみたんだ。そしたら、『ローリング・ストーン』誌のアルバム・ガイドみたいなのにジョン・ケージの『インデターミナンシー』のアルバム評が載ってて、何故か5ツ星だったんだよね、ロック誌だっていうのに(笑)。その記事にデレク・ベイリーの名前があって、すぐにその名前の正体を探ったんだよ。なにしろ、その頃は狂信的にそういう音楽を追求してたからさ。その図書館でデレク・ベイリーとデイヴ・ホーランドが一緒にやってるアルバムを探したんだけど、そのアルバムこそぼくが求めてたもので。昆虫としか思えないような音が延々と収録されてるんだよね。クチャクチャクチャって感じなんだけど、『これメチャクチャいけてる!』って思って。その頃は、即興音楽の概念なんか全然なくて、ただ、ひたすらデレク・ベイリーの音楽を聴きまくってただけなんだ。それから、そういう音楽のルーツも探るようになったんだよね」


●そうなんだ。それって高校時代の話なんですよね?

J「そうだよ。あと、フランク・ザッパの影響も大きかったよ。ザッパの自筆ライナー・ノーツとかを読むと、インプロヴィゼーションの話とかがよく出てきたから、興味が湧いたってのもある。だけど、その頃は、フリー・ジャズだとか、インプロヴィゼーションだとか、識別してなくて、全部を同列のものとして聴いてたんだよね。こっちのほうがこっちよりウルサイって程度で(笑)」


●(笑)。サーストンはどうだったんでしょうか。きっかけになった作品かアーティストはありましたか。

T「んー、恐らくデレク・ベイリーのライヴを見た時になるかなあ。それまでは、ジョン・ゾーンの世界を通して即興音楽の存在とかは知ってたんだけど。ジョン・ゾーンがやってたザ・セイントっていうライヴハウスがあって、たまに行ってたんだけど、あまり興味は湧かなかったんだよね。なんか、髭のオッサン達が難解ことやってるって感じでさ。それよりか、リディア・ランチとか、グレン・ブランカとか、身近な人達がやってた実験音楽のほうが面白かったんだ。だからインプロヴィゼーションのことはなんとなく分かってたんだけど、いまいち理解できてなかったんだよね。本格的にそういう音楽を追求し始めたのは、ジャズを聴き出してからなんだ。奥さん(※キム・ゴードン)がすごくジャズが好きで、(ジョン)コルトレーンとかアルバート・アイラーを紹介してくれて。それからバード(チャーリー・パーカー)やレスター(ヤング)とか、ジャズのルーツを探るようになって、ジャズの歴史やアーティストの人脈を理解するようになったんだ。そうなったら、もう本格的に面白くなってね。『最近はどんどんジャズそのものから離れて、レーベルだとかそういう関係性ばっかりに集中しがちだ』ってブラウッツマン(?)が言ってたけど、ぼくも実際に音楽そのものよりかは、ムーヴメントの方に興味があったんだよね。そういうミュージシャンから、自分たちで伝統を作り上げてるっていう意志を感じて、パンクなんかよりずっとアンダーグラウンドで、過激に思えたんだ。実はその頃、デレク・ベイリーのアルバムを一枚通して聴くほどの忍耐力が自分にあると思わなかったんだよね。でも、ある時ライヴを見に行って。人が全然入ってない小さなクラブで、ポール・モーションと演ってて――」

M「それって2人だけで?」

T「そうだよ。そのライヴは本当に衝撃で、今まで聴いたことないくらい崇高で、洗練された音楽を耳にしたんだよね。同時に革新的で、過激だったし。そう言えば、そのライヴでポール・モーションがドラムをセッティングしてたら、PA担当がドラムにマイクをつけ始めたんだけど、ポール・モーションが『余計なことをするな!』っていきなり怒鳴り出してさ。びっくりしたよ。どうやら、アンプとドラムと、オーガニックなサウンドだけを使って演奏したかったらしくて、それ以外のサウンドの操作はマジで嫌がってたんだよね」

J「伝説的なライヴじゃん、それ。その2人が一緒に演ったのって、その時だけだよ」

T「そうなんだよね。アラン・リヒトも客席にいたよ」

J「(ヘンリー)カイザーもいたはずだよ」

T「そうなんだ。でも、とにかく、その時点では、最高に衝撃的なパフォーマンスだったよ。それまでも、かなり凄い音楽を体験してるはずなのに。だから、あのライヴのおかげで、インプロヴィゼーションの世界のことをもっと知りたくなって、あと、ミュージシャンとしてもすごく興味を持つようになってさ。でも、前から正しいギターの弾き方なんか知らなかったから、基本的にはずっとインプロヴィゼーションしてたようなもんなんだよね。どっちかっていうと、ノイズとかに傾倒してたかもしれないけど。ノイズをインプロヴィゼーションだと認めない、トラディショナルな即興音楽家はいるかもしれないけど、ぼくはそうだとは思わない。あの、ルーマニアの作曲家、えーと――」

J「ドゥメトリスキオ(?)」

T「そうそう、ドゥメトリスキオなんか、『最近一番面白いと思う音楽はアンダーグランドのノイズ・バンド』って言ってたくらいなんだから。本当にその通りだと思うよ。別にノイズ演ってる連中だって、適当にやってるわけじゃないんだし、れっきとしたミュージシャンなんだからさ。だから、ぼくにとって、そういう革新的なサブ・ジャンルには基本的に同じような雰囲気が漂ってると思うんだ。今でもそうで、別に自分たちがやってるのがデレク・ベイリー流やメルツバウ流とかじゃなくて、全部が繋がってる感じなんだよ」

M「レコードのおかげでね」

T「そう、レコードのおかげで」


●音楽じゃなくても、50年代のビートニクの文学や詩の影響はあるのでしょうか。

T「ていうか、ビートニクの詩人がジャズ即興に影響されたことはれっきとした事実んなんだからさ。だから、別にビートニクの詩人だけが、ああいう表現をしてたわけじゃないんだ。確かにアメリカのビートニク達が、あのスタイルを人気にしたってのはあるけど、別に連中が始めたムーヴメントじゃないんだよね。ただ、ジャック・ケルアックの凄いとこは、まるでスリム・ゲイラードみたいに独奏してる感じで小説を書いてたことなんだよね。だから面白いことにケルアックってアメリカではいまだに異端扱いされてるんだ、あんなにメインストリームにおける評価が高いっていうのに。まあ、へミングウェイじゃないってことだよね(笑)」


●(笑)。そういう文学にインスピレーションを受けることはありますか。

T「うん、好きだし。ただ、あまり過大評価したくないんだよね。ビートニクって戦後、自分たちの力でカルチャーを作り上げて来た人たちなんだ。その頃のアメリカが、覆い隠そうとしてたものを曝け出し、それを表現してたんだよね。つまり不満とか疎外感を表現してたんだよ。だけど、文章そのものはクラシックなスタイルに基づいてて、洗練されてたんだよね。ビートニクが聴いてる音楽もすごく過激で、革新的だって言われてたけど、実はアフリカにルーツを持つすごく洗練された音楽だったっていう。だけど、うん、ああいう文学には影響を受けたよ」


●そうなんだ。3人とも他のプロジェクトを色々とやってますが、その中におけるディスカホリックの位置付けは? 他のプロジェクトと互いにフィードバックするものなんでしょうか。

J「まあ、そりゃあ、それぞれのプロジェクトから学ぶものはもちろんあって、プロジェクト同士も共通する点はあるわけで。以前に体験したシチュエーションをまた上手く利用してるっていう感じなんだ。インプロヴィゼーションにしても、他のメンバーと演った時のことを参考にして、新たなメンバーと挑むわけだし。だから、ぼくの場合は、いちいち一つ一つのプロジェクトを線引きするようなことはないんだ」

M「ぼくだって、そうだよ。全部のプロジェクトはぼくの中で繋がってるんだ。それこそ、さっきのビートニク詩人の話じゃないけど、自分からそういう刺激を求めて活動してるわけなんだから、何をやっても自分の大事な一部になるんだよ」

J「そうそう、何においても活動とはそういうもんなんだよ。レコード漁りにしても、自ら面白いものを探すためのわけで。別に他の人にこれは面白いと言われたレコードを探してるわけじゃないんだ。もちろん、他人にレコードを勧められることは歓迎するけど、基本的には自ら積極的に探してるわけで」

M「終ることのない旅っていうか。全てが全てに繋がっていて、一つのことから新たな発見があるんだよ」


●ということは、ディスカホリックはただ単にレコード収集の旅じゃなくて、音楽的にも何か得るものはあると思いますか。

全員「もちろん」


●サーストンは何か付け加えたいことありますか。

T「すべて、いい~か~ん~じ~」


●(笑)。

T「いや、でも、もちろん楽しいと思えるプロジェクトはあるし、後悔したプロジェクトもある、ごくたまにだけどね。でも、一日の時間が少なすぎると思うほど、やりたいことはいっぱいあるんだ。本当に短すぎるよ。なにしろ、まだ買わなきゃいけないレコードが死ぬほどあるんだから」


●(笑)。

T「レコード収集ってかなり時間がかかるんだよね。しかも、そのために実際に音楽に取り組んでる時間が制限されちゃうっていう」


●聴くのも大変そうだし。

T「うん。それと整理するのもね。これが一番、時間を食う作業なんじゃないかなあ」

M「そうそう。話してるだけで気が遠くなっちゃうよな」

T「本当に何時間もかかるんだよ。でも、いつだって音楽のことは考えてるって(笑)」

J「そうそう、新たに買ったレコードを聴きながら、前に買ったレコードを仕分けるっていう」

T「へへへ、そうなんだけど。でも、色んなプロジェクトに誘われるんだけど、結構断らなくちゃいけないことが多いんだ。本当はできるだけ多くの人達と演りたいから、ウンザリするんだけど、しょうがないんだよね。もう独身じゃないからさ。家族に対する責任も果たさなきゃいけないんだよ」

M「でも、それだからこそ、さっきのように自分の決断っていうのも、すごく積極的じゃなくちゃいけないんだよね。優先順位を付けて、一番やりたいことに専念するっていう。そうじゃなくちゃ、やってられないよ」

T「そうだよね」


●では、最後にこの前終ったばかりのオール・トゥモローズ・パーティーズについて聞きたいんですけど――

M「(ATPのTシャツを見せ付けて)最高だったよ」

T「マジで楽しかったよ。本当に上手くいったと思うんだけど。で、何が知りたいって言うんだよ、君?」

全員「(爆笑)」


●(笑)いや、今回のラインアップはヒップホップとか電子音楽の最先端のアーティストがいたのと同時に――

T「電子音楽なんかあったっけ?」


●エイフェックス・ツインとかフェネズとか……

T「フェネズは出演しなかったよ」


●そうなの?

J「うん、無理だったんだ」


●あとピータ・レバーグは?

T「でも、ピータって電子音楽とは思わないよ」

J「フェネスもね」


●まあ、そういう新しい音楽と同時にジェラルド・マランガやアンガス・マクリーズが出演したことが――

T「おいおい、アンガス・マクリーズは死んでるぞ。もう70年代にとっくに死んだって」

J「はははは」

●ああ、すいません、トニー・コンラッドと間違えました……

T「トニーは最高だったよ」


●あとテレヴィジョンも。

J「テレヴィジョンは出てたよ」

T「テレヴィジョン? うん、良かったよ。ていうか、全部良かったよ。ぼくたちだって、あまりにも色んなミュージシャンが集まったもんで、どうなるか予想できなかったんだけど、みんな最高のパフォーマンスだったね。みんなリラックスしてたし、うざったいロック・スターのエゴみたいなのは皆無だった。マネージャーやエージェントやレコード会社の連中とか、そういう業界人はまったくいなかったんだ。だって、呼ばなかったもん」

M「本当にいい環境だったよなあ」

T「だから、アーティストがアーティストのために演ってるって感じで。みんなお互いのアートを尊敬していて、フェスにありがちないざこざとかなくてさ。面白いことだよね、それって。別にぼくたちはみんなにそういう態度を強制したたわけじゃなくて、自然とそういう雰囲気になったんだよね。で、音楽も最高だったから」


●ラインアップはサウーストンが選んだんですか。

T「そうだよ。すごく大変だったんだよね。だって、4日分のアーティストなんか、1年あっても選べないって。あと、ギャラもそんな払えるわけじゃないし。テレヴィジョンとかセシル・テイラーは伝説的な存在なんで、それなりのお金を払ったけど」


●何かコンセプトがあって組んだラインアップだったのでしょうか。

T「まあ、“いい音楽”を披露したかったってことだよ。確かに出演したミュージシャンは仲の良い連中が多かったけど。でも、それは音楽も好きだからなんだけどさ。もちろん、初対面のアーティストもいたよ、アレックス・チルトンとかね。だけど、全員、尊敬してるアーティストだよ。例えば、N―シンク好きだったら、呼ぶことを躊躇するとは思わないんだよね」

J「なんじゃ、それ?」

T「いや、努力はしたと思うよ。それがコンセプトだったんだよ、真に好きなパフォーマーに出演してもらうっていうのが。だから、ぼくたちの理想フェスだったわけだよ。とはいえ、チケットを売ることも念頭に置いてるわけで、あまり無名なアーティストばっかり呼ぶわけにもいかなかった。フェスとして成り立たないからね。でも、別に人気あるバンドで好きなのは多いから問題はなかったよ。ニール・ヤングにだって声をかけたんだけど、CSN&Yで忙しかったから無理だったんだ。あと、ボブ・ディランとパティ・スミスも勧誘してみたんだけど。でも、みんな忙しかったから」


●なるほど。では最後にもうひとつ、ソニック・ユースの新作についてお聞きしたいのですが、もうレコーディングが終ったと聞いてるんですが。

T「そうだよ。『ムーレイ・ストリート』っていうタイトルなんだ。ニューヨークにあるスタジオがある通りの名前なんだよ。ジャケットはぼくが撮ったその通りの標識になるんだ」


●そうなんだ。

T「うそ。実はそれは裏ジャケになる。表はイチゴ狩りをしてる2人の女の子の写真になるはずだよ」


●音はどんな感じなんでしょうか。

T「んー、なんだろう。マウンテンっていうバンド知ってる?」


●えっ、あの太った人がいたハード・ロック・バンド?

T「(笑)そうそう、超太ったレズリー・ウエストが率いてたバンド。そのマウンテンとマグマ(フランスのプログレ・バンド)が混ざったようなバンド」


●マグマってなんか独自の言語を作ってたけど、もしかして英語じゃなかったりするんですか?

T「(笑)いやいや、英語だよ。うーん、だからマグマらしくはないかも。マウンテンのことも忘れて。えーと、どっちかっていうと、モット・ザ・フープルが――」

J「クロズビー・スティルズ&ナッシュ」

T「はははは。そんな感じかも」


●(笑)別にMが頭文字のバンドにこだわってるわけじゃないんですね?

T「(笑)いやいや。7曲あるんだけど、えーと、説明し難いな。全部、新曲なんだけど、前の何作よりかロックしてるっていうか」

J「オールマン・ブラザーズは好き?」


●(笑)オールマン・ブラザーズみたいなの?

T「そうそう、そんな感じ」

J「ぎゃはははははは」

T「わかんないなあ、どういうアルバムなんだろう? でも、きっと気に入ると思うよ。ぼくたちの音楽が好きじゃない連中はみんな気に入ってるみたいだし。いいアルバムなんじゃない。少なくとも、ぼくは好きだよ」


●いつリリースされるんでしょう?

T「7月だよ。日本じゃユニバーサルからリリースされるはずだよ」


●そう言えば、9.11事件はこのアルバムのレコーディング中の出来事でしたよね?

T「ああ、そうだよ。色々と大変だったよ。2ヵ月ぐらい作業を中止しなきゃいけなかったんだ」


●音楽は影響されたんでしょうか。

T「音楽? まあ、音楽が周りの環境に影響されるのは当たり前だからね。でも、このアルバムを聴いて、あの事件を思い出させるようなことはないと思うよ。もちろん、個人としてはすごく影響されたわけだし、ぼくたちだけに限らず音楽やアートを追求してる連中はみんな影響されてるはずだよ。それがあからさまじゃないとしても」

M「一部となるんだよね」

T「別にあの事件を見て見ぬフリをしたいわけじゃないし、あれを体験したっていうヴァイブは今作で聴き取れるかもしれない。ぼくたちのライヴを見た人もそれを感じたとか言ってたし。でも、別にメソメソしたアルバムじゃないし、どっちかっていうと楽天的で、前向きなアルバムなんじゃないかなあ」



(2002/03)

2011年11月11日金曜日

極私的2000年代考(仮)……ダニエル・ジョンストンとの対話

1980年代後半から90年代前半のアメリカのインディ・シーンをリアルタイムで体験したリスナーであれば、彼の偉大さについて、あらためて触れるまでもないと思う。カート・コバーンを虜にし、パステルズやヨ・ラ・テンゴ、バットホール・サーファーズやソニック・ユースといった同時代のミュージシャンから熱烈な支持を得たダニエル・ジョンストン。いびつだが愛と温もりにあふれた歌声とメロディに、今も多くのファンが魅了されてやまないSSWである。

一時は健康上の理由により、多作で知られる創作活動もストップしていたダニエルだが、前作『リジェクティッド・アンノウン』を機に再開。新バンドでの活動やジャド・フェアらとの共作をへて、先頃ニュー・アルバム『フィア・ユアセルフ』がリリースされた。そして今月末には、ファンにとって夢にまで見た初来日公演が行われる。しかもダニエルたっての希望により、今回は特別にピアノが用意されるそうだ。


●まずは一ファンとして、こうしてあなたに話を伺える機会に恵まれたことに心から感謝しています。

「うん」


●というのも、80年代後半から90年代前半のアメリカのインディ・シーンに音楽リスナーとしての原体験を持つ自分にとって、カート・コバーンやジャド・フェアやソニック・ユースと並んで、あなたは今も憧れの存在なもので……。

「へえ」


●さて。新作『FEAR YOURSELF』が先日リリースされたばかりですが、最近はどんな生活を送っているのですか? 

「えっと、でも、こっちでの発売はもうあと何週間か先なんだ。今、ようやく見本盤が届いてきてるから、もうすぐリリースできると思うんだけど…………それで、今、もうドキドキドキドキしてるんだよ。今度のアルバムはスパークルホースのマーク・リンカスのプロデュースにしてもらってて、出来にも本当に満足してるんだ……うん、だから、たくさんの人に気に入ってもらえるといいなって思ってるよ」


●じゃあ、今はプロモーションで大忙しってですか。

「うん。こないだも、ロンドンに行って帰ってきたばっかりなんだよ。ぼくとお父さんとでロンドンに行って、インタヴューだのフォト・セッションだので、まるでスター並みに忙しかったよ(笑)。それはそれで楽しかったんだけどね。うん、ロンドンは本当に楽しかったよ。買い物したり、観光したり、ビートルズゆかりの場所を訪ねたりしてね。道を歩いてるときも、『もしかして、ビートルズがここを通ったかもしれない』なんてドキドキしながら(笑)」


●プロモーションの後はツアーでまた忙しかったりするんですか。

「もちろん、ツアーもするし、そう、それに今回は日本にも行くんだよ! 今から本当に楽しみにしてるんだ。日本は、ぼくが今まで行ったどの国とも違ってるだろうし、きっとものすごく貴重な体験になるんじゃないかなあ……それに、日本ではピアノを弾くから、それも楽しみにね! 普通は、コンサートではピアノを弾けないんだけど、今回、ピアノが用意できることになって、今からすごく楽しみにしてるんだ。何しろ、初めての日本だし、今からドキドキしてるよ。本当はバンドも連れていけたらいいんだけど、それにはお金がかかりすぎるから、ツアーはいつもひとりなんだよね……うーん、でも、もしかして、来年頃にはバンドでツアーできるかもしれない。うん、来年こそ、きっと! でも、来年じゃなくても、いつかぼくがバンドと一緒にツアーできるくらい有名になって、バンドを連れて日本に行けるようになったら最高だよね」


●今回の『FEAR YOURSELF(己を恐れよ)』というタイトルには、どんな意味が込められているのですか? ジャケットの中にあるイラストには、「FEAR YOURSELF」という言葉と一緒に「LOVE YOUR ENEMIES(汝の敵を愛せ)」という言葉も添えられていますが。

「えっと、たとえば、誰かが何かをするときに……何かを達成しようとして一生懸命になってるときって、自分のことしか見えなくなりがちだよね。中には、自分は何をやっても許されるんだって思って、まわりのことなんかお構いなしに、自分のやりたいことだけをどんどんやっちゃう人もいるんだよ。ただ、僕が思うのは、何て言うか、もうちょっと……もうちょっと、自分の行動に気をつけたほうがいいよっていう」


●ちなみに、ジャケットのイラスト、今回の一連のアート・ワークのモチーフは?

「えーっと、あれはただ、ぼくが書き貯めたイラストの中から、お気に入りのを選んだだけなんだ。ジャケットになってるあのキャラクターも、キュートでかわいいなって思って……。実は、もともと別の絵をジャケットにする予定だったんだけど、レコード会社の人に『怖い』って言われちゃったんだよね。男が猛犬に囲まれて恐怖におののいてるっていう絵だったんだけど、レコード会社の人が『これじゃ、怖すぎるから』って言って、代わりに内ジャケに使う予定だったあのイラストをカバーにできないかって言ってきて、それで、あのおかしなキャラクターの顔がアルバム・ジャケットになったんだ。だから、あの絵は、レコード会社の人が選んだんだよ」


●あのキャラクターは、何を象徴してるんですか。

「というか、本当にただのイラストで、ぼくが子供の頃に好きだったTVアニメのキャラクターとか、要はディズニーのキャラクターみたいなものなんだけど……というか、ぼくが自分で発明したディズニーのキャラクターみたいなものなんだけどね(笑)。ジャケットのあのイラストも、もともとはあの黄色のモンスターが“アイ・ラヴ・エヴリバディ(ぼくはみんなが大好き)”って書いてある風船を持ってる絵だったんだけど、レコード会社の人が風船ははずして、モンスターの顔だけを切り取ってジャケットにしちゃったんだよ」


●へえ、もったいないですね。

「ふふふふふふふ、ねえ、残念だよね(笑)」


●あなたの描く絵には、キャスパーやキャプテン・アメリカといったコミックのキャラクターが多く登場しますが、彼らのどんなところに惹かれるのですか。 

「うん。っていうのも、子供の頃はずっとコミック作家になりたいと思ってて。それで、ヒマさえあればキャプテン・アメリカの絵ばっかり描いてたんだよ。だから、そのときの癖がいまだに抜けないのかなあ……それに、ぼくはキャプテン・アメリカと同じ、アメリカ出身だし……へへへへへへへ。うん、それにアメリカ人だから、もともとコミック好きなんだよ。ジョン・カービー(※キャプテン・アメリカの作者)が好きで、気がつくとジョン・カービーのコミック本ばかり買い漁ってたよ。キャスパーもぼくのお気に入りのキャラクターで、よく真似して描いてたんだ」


●絵を書き始めたのは何歳ごろから?

「えーっと、もうずーっと、ぼくの生涯を通じてだよ。小さい頃から、ヒマさえあれば落書きを描いたり、イラストを描いてたりしてたし……最近では、アート・ギャラリーで個展を開いたりもしてるんだよ。アメリカ中をくまなく廻ったし、それにヨーロッパにも行ったし。あと、インターネットで、イラストの販売もしていて、今ではイラストでも生計が立つまでなってるんだ」


●(『FUN』から)5年ぶりの新作となった前作『REJECTED UNKNOWN』を聴いたときにも感じたのですが、今回の『FEAR YOURSELF』を聴いて一番強く感じたのは、(ふたたび)歌をうたえることへのあなたのピュアな喜びです。90年代の終わり頃から数年、しばらく体調が優れない時期がつづいたと聞きますが、このアルバムには、あなたのどんな思いが込められているといえますか。

「うん、何て言うか、今、すごく調子がいいんだよ。前に比べてずいぶん楽になったし、いろいろ活発に動いてるんだ。ダニエル・ジョンストン名義のほかにも、ダニー・アンド・ザ・ナイトメアズっていうバンドをやってるんだけど、バンドで演奏するのがすごく楽しくてね。今回のアルバムも、バンドの空き時間に、自分の楽しみとして曲を書きはじめたんだ。そしたら、突然、マーク・リンカスとアルバムを作る話が舞い込んできて、ただ、そのときにはアルバム用の曲が全部出揃ってたっていう。自分でも、いつのまにこんなにたくさんの曲を書いてたんだろうって感じでね。しかも、レコーディングがまた楽しくて、もう興奮のしっぱなしだったよ。だから、ぼくとしては、ただただ楽しかったっていうだけなんだけど、それでも、アルバムはちゃんとできちゃったんだから、すごいよね。だから、きっと楽しんで正解だったってことだよ(笑)」


●もう大忙しですね。

「うん。でも、レコーディングがあるなしに関係なく、曲はいつも書いてるし、そうでなければ絵を描いてるから、結局、年中無休になっちゃうんだよ(笑)。ただ、一時期、曲も書かないし、絵も描いてない時期があったけど……でも、今では、曲を書いたり絵を描いたりすることで生計を立ててるし、これが自分の一番やりたいことでもあるんだよね。それに、お金がもらえれば、レコードを買ったり、コミック本を買ったりもできるしさ。ぼくは……100万長者とは決して言わないけど、(小声で)……10万長者なんだよ。(照れながら)そうだ、ぼくは10万長者なんだ!」


●あははははは。

「へへへへへへへ。うん、だって、マクドナルドの店員だった頃とは比べものにならないくらいお金持ちになったし。あの頃なんか、マクドナルドのバイト代が唯一の収入源だったんだよ? それが今ではさ……うーん、我ながら、大したもんだと思うよ。だって、86年から、仕事らしき仕事もしてないのに、こうして立派に生活できてるんだから、夢みたいな話だよ。ぼくにしてみれば、ものすごく大金持ちになった気分で……もう、『車でも買っちゃおうかな』っていうくらいの、『ついでに、今すぐガールフレンドも作っちゃおうかな』っていうくらい大船に乗った気持ちで(笑)。もしかしたら、両方手に入れられるかもしれない。そうでなくても、今、ほんとに幸せで、毎日が楽しくて、薬物療法もうまくいってるし、ようやく鬱状態からも解放されたんだ。ぼくは長いこと鬱病に悩まされてて、5年も鬱状態が続いたこともあったんだよ。それが、父さんがぼくのマネージャーになってくれてからは、徐々に回復してきたというか、父さんがいろんなお医者さんのところをまわって、ぼくに合う薬を探してきてくれたんだ。体調が良くなってからは、父さんと一緒にあちこち旅行して、ドイツや南アフリカにも行ったんだよ。ツアーもいっぱいやったし、ロスやニューヨークやロンドンみたいな大きな街でショウをやったりして、すごくいい経験になったよ。ツアーをしたり、曲を書いたり、音楽をやることが本当に楽しくて、自分がずっとやりたいって思ってることを、今ようやくできるようになったんだ。だから、出だしは遅れちゃったけど……っていうのも、ぼくがツアーをするようになったのって、ここ5年ぐらいのことだし。それでも、こうしていろいろやってることが、すごく楽しくて、子供の頃からの夢を、今になって実現してるような気持ちなんだ。スターでも、ミュージシャンでも、アーティストでも、肩書きは何であれ、なりたい自分に近づいてるような気がするんだよね。今は毎日が楽しくて、その上、こうしてニュー・アルバムまでリリースされるんだから、ほんとに恵まれてるよね。あとは、みんなが気に入ってもらえさえすれば……って、そのことばかり、日々祈ってるよ。しかも、新曲もどんどんできてて、毎日のようにレコーディングしてるし、自分のまわりでいろいろまわり始めてる気がするんだ。今度のアルバムは、本当にみんなに気に入ってもらえるといいと思うんだ。まだまだ続きがあるし、ぼくとしては、これからももっと、アルバムをリリースしていくつもりなんだよ。今でも新曲をいっぱい書いてるし、それから、前に自主制作でリリースしたテープも今度CDの形にして発表する予定もあるんだ。『Song OF Pain』っていう、もともとテープで出してた作品なんだけど、こないだCD化が決まって、レコード会社とも契約済みなんだ。それは2枚組みになる予定で、もうすぐにでもリリースできると思うよ。それに、ダニー・アンド・ザ・ナイトメアズのアルバムも出していきたいし……でも、ダニー・アンド・ザ・ナイトメアズは、ライヴ活動のほうが忙しくて、なかなかアルバムを作るまで手がまわらないんだけど、とりあえず、曲だけはいつも作ってるから、今すぐにではなくても、いつか実現できるといいよね。ただ、ぼくもメンバーも同じ町に住んでるから、スケジュールさえ合えばすぐにでも出せるかもしれない。だから、今、自分のまわりで、いろいろ動き始めてる感じなんだよね」


●ちなみに、その体調が優れない状態がつづいた期間は、どのような生活を過ごしていられたのですか。 多作で知られるあなたにしては珍しくリリースの間隔が空いたので、とても心配していたのですが。

「さっき曲を書いてない時期があったって言ったけど、それが今言った時期にあたるんだ……すごいよ、だって、3ヶ月もベッドに寝てたんだから。ベッドに寝る以外には何もしてなかったし、ものすごく落ち込んでて、ベッドから起き上がることすらしようとしなかったんだ。そしたらある晩、夜中に突然目が醒めて、“Devil Town”って曲を書き上げたんだ。それが、その一年間で書いた唯一の曲になるんだけど、それがのちの『1999』っていうアルバムに繋がってるんだ。それからしばらくして、抗うつ剤を飲むんだけど、飲んだ次の日にはベッドから起き上がって、母屋からピアノの置いてある家に行って、曲を書き始めたんだ。そこで出来たのが『1999』っていうアルバムなんだよ。だから、抗うつ剤と巡り会うまでは、本当に大変だったんだよ」


●今回のアルバムにも、“LOVE ENCHANTED”や“POWER OF LOVE”、“LOVE NOT DEAD”といった愛や愛するひとを歌った曲が収められていますが、あなたの書くメロディや歌声には常に愛や温もりが溢れているにも関わらず、実際に歌われる世界は、愛の喪失感や他者とのコミュニケーション不全を描いたものが多いですよね。もちろん、そうした葛藤や悲しみは誰もが抱える普遍的なものであるわけですが、なぜあなたの歌はとりわけそうした感情に強く惹かれてしまうのだと思いますか。

「うーん、わかんない、へへへへへへへへ、どうしてなんだろうね。でも、ミュージシャンはみんなラヴ・ソングを歌ってるからさ。ラジオから流れてくる曲の半分はラヴ・ソングだと思うよ。今、きっと、ラジオをつけたら、♪オー、マイ・ラ~ヴ、ラ~~ヴ、ラ~~~ヴ、ラ~~~~~って流れてくるはずだし(笑)、それと同じで、ぼくがギターを弾きだしたら、♪ラヴ・ユア・ベイビ~、オール・ナイト・ロング~ってなっちゃうんだよ(笑)。誰かが歌をうたい始めたら、6割方がラヴ・ソングなんだよ。だから、曲を書いたらどうしたってラヴ・ソングになるというか、ラヴ・ソングを書かないでいることのほうがかえって難しいのかも……うーん、でも、君の言ってることの意味もわかるよ。ぼくもラヴ・ソング以外の曲を書こうとしてるんだけど、どうしてか最後にはラヴ・ソングになっちゃうんだ。努力はしてるんだけど、すごく難しい……どうしてなのかなあ……ははははは。ピアノの前に辞書を置いておいて、“ラヴ”って言葉が飛び出してきたら、パッと辞書を開いて別の単語を探したほうがいいのかもしれない(笑)」


●これはあくまで想像なのですが、あなたは自分の感情や思いを曲(または絵)にすることによってはじめて素直に相手に伝えることができるタイプなのではないでしょうか。

「うーん、でも、曲を書くのって、ぼくにとっては一種のセラピーみたいなところがあるんだよね。曲を書くことで、わかってくることもあるし、いろいろ考えるし……うーん、あと、映画を作ってるような気分にもなる。ぼくが映画スターにでもなって、音楽にのって♪ジャーンって登場して、『今日はこういうこと言うぞー』みたいな(笑)。だから、映画や小説を作るみたいに自分でストーリーを作り上げてる部分もあるんだけど、それと同時に、自分でもわからない部分があって……もちろん、書いてるのは自分なんだけど、でも、書かされてるっていうか……自分で曲を書きながらも、どこに向かってるんだかわからない。えーっと、だから、たとえば、ここでこういう音が鳴って、次にこういう展開が来るってときに、ぼくのほうが曲に合わせていってるっていうか……ある意味、ゲームをしてるみたいな感覚に近いのかな。いや、ゲームじゃないな……だからって、チャネリングみたいなものでもないし…………えーっと、だから、イラストを描くときと同じかもしれない。何も考えずに、ただ思いつくままに手を動かしていって、あっちこっち寄り道して、最後にはひとつの作品が完成するっていう。だから、曲を書く場合でも、まずはピアノを弾いてみなくちゃ始まらないっていうか……ぼくが曲を書いてるのって、ピアノに頼ってる部分がすごく大きいと思うんだ。実際、ピアノで曲を書くほうが、イラストを描くよりも簡単なんだよね」


●絵を描く場合と曲を書く場合とでは、やはり違った充足感が得られるものですか。 それとも、絵を描くことと曲を書くことは、あなたの表現の中で切っても切り離せない関係なのでしょうか。

「うーん…………でも、結局のところ、ぼくにとって、歌も絵も同じなんだよね。アルバムにはいつもぼくの絵を使ってるし。たしかに、イラストのほうも売れてるんだけど、でも、自分のお気に入りの絵は、いつも手元に残して置いて、アルバム用に使うことにしてるんだよ。それで、お気に入りのイラストの中から、アルバムの中身に合うのをいくつかピック・アップして使ってるんだ。だから、お気に入りの絵はアルバムに使うからって言って、売らないで自分用に取っておくんだよ。だから、すごくおかしな絵が描けたときには、『あ、これはあの曲に合うな』って、いろいろ考えたりしてね。ふふふふふふ」


●ヨ・ラ・テンゴやパステルズ、バットホール・サーファーズやソニック・ユースの面々、そしてジャド・フェアや今は亡きカート・コバーンなど、あなたの音楽のファンを公言するミュージシャンは尽きないわけですが――。

「ビートルズも、ぼくのファンなんだよ(笑)」


●(笑)、ご自身では、あなたの音楽のどんなところが彼らを惹きつけてやまないのだと思いますか。

「うーん、それは何て言うか………………ふーむ…………ぼくって歌と伴奏がちょっとズレてて、それがおかしいのかなあ……うん、おかしくて、シリアスで、でも、じーっと聴いてると、うたの中に込められた気持ちとか、ユーモアとかがじわっと滲み出てきて、それが聴く人にとっては楽しいんじゃないかな。うん、なんか、そんな感じ……きっと、何かあるんだろうね。ぼくにはわからないけど、何かあるんだよ。でも、ぼくにはそれは何なのかわからないんだ。はははは」


●自分で自分の曲を聴いてても、そういう気持ちになったりしますか。

「うん、ぼくも自分の曲はすごく好きだと思うんだ。それに、アルバムを作ること自体が好きで、いつもいつも次に出すアルバムのことばかり考えてるんだ……うーん……うーん……えーっと、そう言えば、85年のことだけど、地元のテキサス州オースティンで、ベスト・ソングライターに選ばれたことがあるよ。あははははははは。それから、92年だったかにも賞をもらったよ。そのときも、やっぱり、テキサス州オースティンの代表としてね(笑)。でも、それも今となっては、ずいぶん昔の話だよ。だって、ダニエル・ジョンストンという人はもうすでに死んでしまったんだから……」


●へ?

「いずれにしろ、ぼくの曲が好きな人もいれば、好きじゃない人もいるってことで、ぼくにはよくわからないよ」


●聞くところによると、10代になるかならないかの頃にはすでに作曲をされていたそうですが、いつ頃から、曲を書き始めたんですか。

「今みたいに、ちゃんとテーマを絞って曲を書き始めたのは、80年頃なんだ。ただ、その前から努力はしてたんだよ。ビートルズの曲をお手本にして、なんとか自分でも曲を書こうとしてね。そんなとき、たまたまある女の子と出会って、その子のボーイフレンドも音楽をやってたんだけど、ぼくはその子のことがすごく好きで、彼女のためにピアノで曲を書いたんだ。そしたら、その子がぼくに『(女声で)あなたの曲のほうがずっと上手よ』って言ってくれて、それからは朝から晩まで一日も欠かさずピアノに向かったよ! ぼくはその子のことが本当に好きで、ぼくにとって永遠の理想の女性なんだけど、その子のためにピアノに向かって曲を書いて、ダニエルと言えばピアノっていうくらいピアノばっかり弾いてたんだ。止めようと思っても、指が止まらないんだよ。ぼくにもどうしてかわからないんだけど、あのとき、その女の子の魔法にかかかっちゃったんだね。ほんとに、獲りつかれたようにピアノに向かって曲を作り続けて、そんな状態が3年ぐらい続いたのかなあ……そのあと85年に、ぼくの住んでるテキサスのオースティンに、MTVが取材に来たんだよ。それが、ミュージシャンとしての転機になるんだけど、今でもぼくの人生のハイライトなんだ……ふふふふ、だってさ、80年に曲を書き始めて、5年後の85年にはもうMTVに出演を果たしたんだからね、これはなかなかの出世だよ(笑)。へへへへへへへ……で、MTVに出演を果たしてから3年後に、ようやくメジャー・デビューを果たしたんだ。レコード会社と契約が決まるまでの3年間を振り返ると、よく続いてたなって思うんだけど、実際、すごく大変だったし、苦労もあったし……もちろん、音楽は作り続けてたんだけど、それでもずっとアンダーグラウンドのままだったしね。それでも、今ようやく、こうして成功を手にして……いや、成功まではあともう一歩かな(笑)。もうちょっと、がんばらないとっていうふうには思ってるんだけど……うん、いつか。いつか、ぼくも成功するといいんだけどね。うーん……でも、そのためには、まずは技術的な課題をクリアしていかないと……もっとこう、プロの何恥じない音を出せるようにならないとと思ってて……そのへんのプロ意識はちゃんとあるんだよ」


●はじめて書いた曲を覚えていますか。 それはどんな曲ですか。

「うーんと、今までにも曲はたくさん書いたけど、最初に作った曲は、ピアノで作ったインストゥルメンタルで……あとになってタイトルをつけたんだけど“Dead Dog’s Eye Balls’ Theme(死んだ犬の目玉のテーマ・ソング)”っていう曲なんだ」


●それって、悲しい歌ですか。

「そうなんだよ。ははははは」


●そのとき飼ってた犬が死んじゃったとか。

「いや、タイトルは、ビートルズの“アイ・アム・ザ・ウォレス”の歌詞に、“死んだ犬の目玉”って言葉が出てきて、そこから拝借したんだけど。でも、最初にこの曲のアイディアを思いついたのは、5歳か6歳とか、そのくらいのときなんだけど、曲の形にするのに何年もかかって……というか、実はいまだに取り組んでるんだよ。だから、はじめて書いた曲なんだけど、まだ完成してないんだよ。はははははは」


●曲作りのインスピレーションは、どんなものから得ているのですか。

「ビートルズだね。うん、一番のインスピレーションはビートルズかな。それから、聖書に、お気に入りの映画に……うん、好きな映画とか、ぼくの好きなもの全部が、ぼくにとってのインスピレーションだよ。えーっと、そろそろお別れしなくちゃ。このあと、またレコーディングをしなくちゃいけないんだ」


●最後に。今年6月にLAで行われるオール・トゥモローズ・パーティーズに出演されるそうですね。これはどういった経緯から? 主催者が『ザ・シンプソンズ』の生みの親であるマット・グロウニングであるというのも関係しているのでしょうか。

「えーーーーーー!! マット・グロウニングも、観に来てくれるって!? それ、本当?」


●だって、彼が呼びかけてるイベントだから。

「ぼく、『シンプソンズ』は大好きなんだよね! へえ! マット・グロウニングが観に来てくれるんなら、体調を整えて、何が何でも演奏しに行かなくちゃ。えーっと、今日は話を聞いてくれてありがとう。日本でまた会おうね!」


●最後の最後に。今のあなたにとって「FUN(※94年のアルバム・タイトル)」と「WISH(※今作の収録曲のタイトル)」とは何ですか。

「“FUN”ねえ……ぼくが楽しいと思うことだよね……うーん、なんだろう……ぼくはまだ本当の楽しみっていうものを知らないんじゃないかって気がするんだ。ぼくもとにはまだ訪れていないっていうか……えーっとだから“FUN”=“未来”ってことになるのかな。楽しみは未来まで取ってあるんだよ。それがぼくの夢かなあ……いつか、富と名声を手にして、初めて本当の楽しみを知るのかもしれない。だから、ぼくにとって“FUN”=“未来”だね。それから、“FUN”=“ピース&ラヴ”でもあるかな」


●あなたにとって“WISH”は?

「すべての人にとって平和が訪れますように」



(2003/2)

極私的2000年代考(仮)……電子音楽は“夏”に思いをはせる――フェネスとの対話

1995年にウィーンのMEGOよりデビューして以来、ソロ、ユニット(ジム・オルークらと組んだフェノバーグ)、プロジェクト参加(MIMEO)などさまざまな形態で数々の傑作を発表し、現在の進化/深化を見せるエレクトロニック・ミュージックを象徴する一人として評価を得るフェネス。なかでも2001年発表の『エンドレス・サマー』は、従来的なエレクトロニック・ミュージックへの先入観を覆す、新しい「何か」の誕生を感じさせる画期作だった。

繊細に練り上げられた電子音の層はエモーションに溢れ、昂揚感と抒情性を喚起する美しいメロディーが、その背後をゆっくりと漂い流れていく――。そこには、彼いわく「ソフトウェアを隠れのみにして、自分の思いを語ろうとしない」既存のエレクトロニック・ミュージックには到底達成しえない(そして同時代の意義あるアーティストたちが模索する)、先鋭性とポップの奇跡的な調和が刻まれていた。

そして以下に紹介する彼の発言は、そうした『エンドレス・サマー』の達成が、けっして偶然ではなく明確な意図のもとでなされたものであることを証明している。現在のエレクトロニック・ミュージックに対する違和感と、10代の頃から親しんだポップ・ミュージックへの深い愛情――それらを溶け合わせ、かつ乗り越える音楽を作るために彼が必要としたのは、みずからのプライヴェートな記憶や心情と向き合う作業だった。だからこそ『エンドレス・サマー』は、耳を傾ける者すべての心に訴えかけてくる。



●ソロ・アーティストとして活動を始める前は、マイシェというロック・バンドをやっていたんですよね。

「というか、僕が音楽活動を始めたのは80年代の終わりから90年代の初めごろなんだけど、いろんなバンドをやっていて、マイシェはそのひとつなんだ。たぶん、一番名前が知られてるバンドだとは思うけどね。僕はもともとギタリストで、当然だけどその当時は他のミュージシャンと一緒にやらないと曲は作れなかったし、スタジオ代も高いから、1人じゃ借りられなくて、まあ、仕方なく他の人と組んでやっていたっていう感じだね。でも、できあがった作品には全然満足できなくて。だから、今から振り返っても、僕にとっては決して楽しい思い出じゃないんだよ(笑)」


●あ、そうでしたか。

「でも、サンプラーを買って、ひとりで音楽を作るようになってからは、そういう思いをすることもなくなったけどね。バンドで演奏するってことは、僕にとっては妥協以外のなにものでもなかったんだ。他のメンバーもいる以上、僕のアイディアがそのまま作品になることはありえなかったから。マイシェに関して言えば、サウンドは初期のソニック・ユースに似てたかな。すごくノイジーなポップ・ロックだった。曲っていう形式にあまりこだわっていなくて、演奏もほとんどが即興だったよ」


●じゃあ、アバンギャルドな感じだったんですか。

「うん、それもあるけど、ポップ寄りの要素もあるっていう」



●今の話だと、バンド時代はずいぶん不満を抱えていて、サンプラーを買ったのがソロ活動を始めるきっかけだったということですけど、その経緯についてもう少し詳しく教えてもらえますか。

「まず、サンプラーとミキシング・デスクを買った。あれは確か、そう、90年代の初めだったな。そういう機材もずいぶん安くなって、僕でも手の届く値段になっていたんだ。ちょうどそのころ、ウィーンではテクノ・シーンが盛り上がり始めていて、僕もDJやプロデューサーの知り合いが増えてきていてね。そういう人たちが自宅のベッドルームで曲を作っているっていう話を聞いて、僕もやってみたんだ。それで、『そうか、この方法なら自分のアイディアを簡単にかたちにできるんだ』ってわかって、それからはすっかり宅録にはまっていったよ。メゴのピーター・リーバーグ(ピタ)と知り合ったのもそのころで、一緒にレコードを作り始めたんだけど、そっちは完全にギターがメインだった。サウンド面で言うと、僕は今でもテクノ・アーティストではないね。テクノ系の人と付き合いがあるのも、どちらかと言うとロックとは違うプロデュースのやり方やレコードの出し方に興味があるっていうだけだし。それと、オーストリアのロックシーンは完全に国内限定で、国外で自分の曲を聴いてもらうことなんて、まずできない。だから、僕がエレクトロニック系の音楽に惹かれた理由を挙げるなら、まずは何でもひとりでできるっていうこと。あとひとつは、オーストリア以外の国からも注目される可能性があったことだね。僕は、こういう音楽をやることで、それまでのいろんな制限から解放されたんだ」
●サンプラーを買った当時から、自分のやるべきサウンドの具体像はしっかりあったわけですか。
「かなりはっきりと見えていたと思う。新しい機材を買って、ギターとサンプラー、エフェクターとかを使っていろいろ試してたら、割とすぐに、サンプラーこそ僕に必要な物だ、これで今までバンドでは絶対やれなかったことができる、って思ったよ。新しい可能性が見えて、どんどんはまっていった。その時から、こういうサウンドがやりたいっていうのは、具体的にしっかり見えていたと思う。でも、他にこういう音楽を作っている人がいるとは知らなくて、世界で僕だけだと思いこんでいたね(笑)。他にもいるって知ったのはあとになってからだよ。ピーター・リーバーグがDJをやってるクラブに行ったら、僕がやってるような曲がかかっていて、その時に『ああ、他にもいるんだ』ってやっとわかったっていう。あれは93年か94年ごろだったかな、それまで僕は1人きりで音楽を作っていたから」


●その時作っていたものって、具体的にはどういうサウンドだったんですか。

「基本的には、ギターがメインだった。それは変えたくなかったんだ。でも、新しく買った機材でいろいろ試してみたいっていう気持ちも強かった。あとになってコンピュータとかも入れたけど、最初はサンプラーしか手元になくて……そうだなあ、かなりノイズが入っていたけれど、それでいてどこかメランコリックな感じがするものだったね。両極端な要素を楽しんでいるところもあったのかな。僕は確かに、アバンギャルドな、実験色の強いものに興味がある。でも、そんな曲の中にも、どこかポップな感じが絶対に必要だとも思うんだ。僕の音楽には、ポップやロックに深く影響された面もあるから、そういうことを多少なりとも聴いた人にわかってもらいたいしね」


●そのころ作っていた曲と、今回日本でもリリースされる『エンドレス・サマー』のサウンドは、かなり近いんでしょうか、それともだんだん変わっていって、あのアルバムに至ったという感じなんでしょうか。

「うーん、最初のころに作ってたものの方がもっとノイズの要素が強かったね。それでいて、ビートが独特だった。僕が最初にメゴからリリースした“Instrument”っていう12インチ・シングルがあるんだけど、あの時は、テクノとか、ごくごく初期のドラムンベースにまだ興味があったから、そういう要素もいくらかは入っている。でも、ちょっと聴いただけじゃわからないくらい、わずかなものだけどね。で、そのシングルをリリースした後、さらにいろいろなサウンドを試したり、コンピュータを買ったりして、曲作りに使うようになったから、そこでまた大きく変わったと思う。コンピュータのソフトを使うと、当然、サウンドも変わってくるわけだけど、曲作りのやり方もだいぶ変わってくる。そういう意味では『エンドレス・サマー』はソロ活動を始めたころの曲とは違う。でも、それでいて、初期の作品とどこかつながっているところもある。自分が音楽を作り始めた、ごく最初のころを振り返るっていうのも、『エンドレス・サマー』のテーマの1つだったからね。僕にとっては、自分の人生を振り返る、すごく個人的なアルバムなんだよ(笑)。あのアルバムにはビーチ・ボーイズとかの影響もあるし、僕がずっと好きだった、70年代の映画音楽の面影もあるしね」


●ソロ・デビューした当時、刺激を受けたアーティストというと誰になるんでしょうか。

「いや、そういう人は全然いない。さっきも言ったけど、ソロ活動を始めたころ、僕はほんとに孤立してたから。テクノ・アーティストの存在は知っていたけれど、僕みたいに新しい機材やソフトを使って、実験的なサウンドを作ってる人がいるっていうのは全く知らなかった。例えば、メインみたいなユニットが、僕にすごく近いことをやってるって知ったのはずっとあとだよ。今ではメインのメンバーのロバート・ハンソンとは友達だけど、話をしてると、僕たちは同じ時期に同じことをやってたんだって気がつくことが、今でもあるよ。まあ、リリースは向こうの方が先だったけどね(笑)。どちらかというと、お手本にしたのは、昔から大好きで、音楽を聴き始めた10代のころに夢中になったアーティストだった。例えば、ブライアン・イーノとか、ビーチ・ボーイズとか、ニール・ヤング。あとは、80年代だとトーク・トークとか、ジャパンとか。ほんと、僕の場合、好きなものは全然変わってないね」


●じゃあ、そのころ影響を受けたのは昔のロックで、いわゆるエレクトロニックやラップトップ・ミュージックじゃないんですね。

「うん。というか、今でもそういうものは聴かない(笑)。エレクトロニック系のアーティストにも、本当に大好きなアーティストだったら、何人かはいるよ。ピモンは本当にすばらしいと思うし、オーレン・アンバーチとか……あとは、メゴのアーティストは今でもよく聴く。でも、いわゆるラップトップ・ミュージックは、正直言って、死ぬほど退屈だと思ってる(笑)。だったら昔から好きなレコードを聴く方がずっといい。得るものだってずっとたくさんあるし。あ、そうだ、日本のものだと坂本龍一は聴くよ、もちろん、YMOもね。僕が好きなのは、メロディーがきちんとあるもなんだ。それと、ブラジリアン・ミュージックも好きだな」


●ロックとエレクトロニック・ミュージックをクロスオーヴァーさせるアーティストというと、最近の代表的な例としてはビョークやレディオヘッドが挙げられますが、彼らについてはどう思っていますか。

「実は、今名前が出たふたつのアーティストが最高だと思ってる。ビョークの『ヴェスパタイン』は、ほんとにすばらしい、あれこそ傑作だよ。レディオヘッドもそうで、いろんな要素を組み合わせる、そのやり方がすごくうまい。レディオヘッドの曲を聴いてると、ずいぶんラップトップ・ミュージックを聴いたんだろうなっていうのはわかるよ。そう言えば、この前読んだインタビューでは、僕やピーター・リーバーグの曲も聴いていて、影響を受けてるかもしれないって言ってくれてたね。レディオヘッドはすごく間口が広くて、いろんなサウンドを聴いて、いつも前を見ている。ビョークもそうで、プロダクション・スタイルにしても何にしても、いつも最先端を走ってるよね。完璧なアーティストだと思う」


●既に多くの人が指摘されているとは思うのですが、僕は『エンドレス・サマー』を聴いて、エレクトロニック・ミュージックというものが、これほどまでもエモーショナルで、叙情性やそこはかとない情感みたいなものを音にして表現することができるのかと、ただただ感動してしまったんです。まず、あの作品が生まれた背景や経緯についてお訊きしたいのですが。

「今君も言ってくれたけど、音楽を通じて、エモーショナルな面を伝えるっていうのは、僕にとって、とても大事なことなんだ。実はあのアルバムを作り始めた時、僕には不満で仕方ないことがあった。エレクトロニック・ミュージックが向かっている方向が、どうも僕には間違ってるような気がしたんだ。悪い意味ですごく抽象的な方向に向かってたっていうか、ただソフトウェアを操作しているだけで、“音楽”が聞こえてこなくてね。だからこそ、僕はもっと別の方向を目指さないといけないと思って、自分の過去の思い出とか、その当時のエレクトロニック・ミュージックに欠けていた物に焦点を当てようって決めたんだ。そう決めたら、曲を作っている間にもどんどん感情があふれてきた。それがかえってつらかったりもしたんだけど、曲だけは次から次へと生まれたんだ。つらいっていうのは、つまり、そういう自分の感情を丸出しにするようなものを発表してもいいんだろうかって、自信がなかったっていう意味でね。あの当時は、エレクトロニック・ミュージックのジャンルでこういうタイプのアルバムを出すのは、それほど一般的じゃなかった。みんな、ソフトウェアを隠れみのにして、自分の思いを語ろうとはしないっていう。このアルバムで、僕はそういう殻を破ろうとしたんだ」


●そういう経緯があったんですね。

「それと、『エンドレス・サマー』っていうアルバム・タイトルも、ひとつひとつの曲名も、あとはジャケットの写真も、全部ポップ・ミュージックのフォーマットを意識したものになっている。どうしてかというと、それまでのエレクトロニック・ミュージックと違って、聴いてくれる人を具体的に思い描いて作ったからなんだ。それまでは、人を寄せ付けない、どんな人がこんな曲聴くか、全くわからないようレコードが多かったからね。でも僕は、それじゃ良くない、もっと取っつきやすいものにしたっていいだろうって思った。結局、こんなにセンチメンタルなレコードになってしまったっていう(笑)。でも……自分ではよくわからないけど、とにかく、よそよそしいとだけは思われなかったんじゃないかな」


●あなたが言うとおり、すごくプライヴェートで親密なムードがこのアルバムのサウンドからは感じられるんですが、あなた自身「夏」という季節に何か特別な思い入れがあったりするのでしょうか。

「実はそうなんだ。すごく簡単に言うなら、夏は楽に暮らせる季節だからね。だから、いつも夏を待ちわびているし、いつまでも続けばいいのに、って思ってしまう(笑)」


●まさにこのアルバムのタイトル通りですね。

「うん。夏を待ちわびる気持ちっていうのは、完璧なものを求める気持ちに似ている。でも、どんなに望んでも、決して手に入れられないんだけどね。このアルバムには、完璧さを求めるっていうテーマもあるんだ。幸せを求める気持ちと言ってもいい。でも、それと同時に、そういう完璧なものが手に入らないってことも心のどこかでわかっていたりする。ちょっと姿を見せるだけで、決して手は届かないっていう。みんな、そういう気持ちはわかるはずだよ。このアルバムは、そういう気持ちであふれている。希望もあるけど、同時に失望もつきまとう、そういう感じだね」


●そういう、夏を待ちわびる気持ちって、なんだかすごくヨーロッパ的ですね。

「まあ、僕はヨーロッパに住んでるから(笑)。オーストリアとパリで過ごすことが多いんだけど、特にオーストリアは、季節の変化がとても激しくて。冬はすごく寒くて、雪もたくさん降る。でも夏はかなり暑くなるし、とても美しい季節なんだ。僕は子供時代を大きな湖のほとりで過ごしたんだけど、そのころのことを懐かしく思い出すことは、今でもよくあるよ。すばらしい思い出だからね。そういう思い出もこのアルバムには詰まっているから、ほんとにこれは僕の個人的な思いを述べたアルバム、というふうに言えるんじゃないのかな」


●先ほどあなた自身もそれまでのエレクトロニック・ミュージック・シーンには不満があったとおっしゃっていましたが、そうしたシーンをこのアルバムが変えたという思いはありますか。

「うーん、それは自分ではわからないし、僕がどうこう言えることでもないよ。でもこのアルバムが出た後、エモーショナルな方向を目指すアーティストがシーンに増えたかもしれない。それはいいことだと思う。まあ、それで具体的に何が変わったのかはわからないけれど。ただ、僕自身にとっては、あのアルバムを出したことで、確かにいろんな変化があった(笑)。それが一番大事なことなんだと思う。僕はこのアルバム以降は、自分の感情を隠す必要がなくなった。今でも、すごく概念的な音楽を作ろうと思えばできるんだけど、気がつくと結局『エンドレス・サマー』みたいなものに立ち返ってしまうんだよ」


●あなた自身のキャリアにとっても、最も重要な作品とは言えますか。

「うん、そうだね。内容的には、このアルバムと7インチ・シングルで、カヴァー曲を収めた“Fennesz Plays”が、僕にとって一番大事な作品なんだ。今作ってる新作も、このふたつくらいいいものになるといいと思ってるんだけど、まだできあがってないからね(笑)」


●この作品のどんなところが、リスナーに強く訴えたのだと思いますか?

「うーん、どうなのかな……前に読んだレコード評では、『このアルバムは、エレクトロニック・ミュージック・シーンの門戸を、ポップ、ロックといった他の音楽を聴いていたリスナーへ開いた』とか書いてあったね。それだけ、いろんな要素が入っていたんだと思うよ。コンピュータ好きの子たちにとっても、ソフトウェアの使い方とかがわかるから面白かっただろうし、1曲1曲、聴きやすいかたちにまとめられているから、いい曲が聴きたいっていう人にも受けたと思う。だから、両極端の人に受け入れられる面があったってことになるのかな。そんなにエレクトロニック・ミュージックを聴かない人でも、何かピンと来るものを感じてくれたんだね。それと、ライヴでこのアルバムの曲がかかると、お客さんがすごく盛り上がる。あとは、わりと女の人も気に入ってもらえたし(笑)。この手の音楽って、ふつう、あんまり女性受けが良くないんだけどね。抽象的で、小難しい音楽は、女性を退屈させてしまうらしくて。まあ、実は僕もそうなんだけど(笑)。でも、このアルバムは別みたいで、それは僕もすごくうれしく思ってる。そう言えば、子供にも受けたし、僕の母も気に入ってくれたよ(笑)」


●(笑)。ところで、例えばあなたの『エンドレス・サマー』のように、ジャンルを超えて広くリスナーに支持される作品が生まれたり、「SONAR」を始めとする音楽イベントが各地で行なわれていたりと、現在エレクトロニック・ミュージックは、音楽的にも環境的にもとても面白い状況にあるように思いますが、こうした現状についてはどのような印象をお持ちですか?

「いや、今のシーンがどうなっているのか、僕はあまりよく知らないんだ。もう何ヵ月も自分の新作にかかりきりで、ちょっと状況には疎くなってるから。今、こういうシーンが大きくなってるのかどうか、僕には何とも言えないな。SONARにしても、何千人もの人が2ヵ月にわたって集まるわけだから、もう単なるイベントの枠を超えている気がするし。ただ、この手の音楽にはふたつの流れがあるとは思う。ひとつはダンス・ミュージックで、こっちはいつでもコンスタントに売れてるし、シーンとしてもすごく健全だ。でも、僕はそんなに関心がない。で、もうひとつ、ダンス・シーンほどかっちりとしたジャンルになっていない、抽象性の高いエレクトロニック・ミュージックのシーンがある。で、こっちも今のところ受けてるよね。でも、僕自身は、エレクトロニック・シーンは変に孤立するべきでないと思っている。もっといろんなジャンルのアーティストともどんどん一緒にやっていくべきだよ。さっき話に出たビョークとか、レディオヘッドはまさにそういうことをしているわけだし。僕も最近はいろんなアーティストとコラボレーションを始めていて、例えばスパークルホースっていうアメリカのバンドと組んだりしている。僕のサウンドと、スパークルホースのギターやドラムのサウンドを合わせて、何か面白いものができないかなと思って。僕はこういうことが面白いと思っている。だから、エレクトロニック・ミュージックのシーンで何が流行っているかはよく知らないし、正直、そんなに興味もないんだよ。好きなアーティストが何人かいるけれど、そのアーティストがどういうカテゴリーに入ってるかどうかは、僕にとってはあんまり意味がない。ただ“いいアーティスト”っていうだけでね。例えば、オーレン・アンバーチはギタリストで、バンドもやったりするけれど、エレクトロニック系の作品もリリースしてる。フィリップ・ジェックにしても、ターンテーブルを駆使した音楽をやってて、ふつうに考えるとエレクトロニック系のアーティストなんだろうけど、ジャー・ウブルと一緒に演奏したりしてるし。そんなふうに、みんなもう少しオープンになって、いろんなアーティストと組んでみたらいいと思うよ」


●コラボレーションといえば、デヴィッド・シルヴィアンの新作『Blemish』に参加されたらしいですが、これはどういった経緯だったんですか。

「今僕が作ってるアルバムは“Venice”(ベネチア)っていうタイトルになる予定なんだけど、このアルバムでは、どうしてもデヴィッド・シルヴィアンに参加してもらいたかったんだ。今回は1、2曲、ヴォーカル・トラックを入れる予定なんだけど、ぜひ彼に歌ってほしいと思ってね。『エンドレス・サマー』で切り開いた道、それはつまりダンス・ビートを使わないエレクトロニック・ミュージックで、それでいて、いわゆるポップ・ソングのフォーマットに従っているものっていうことなんだけど、その路線を今回はさらに推し進めたかった。だったら最高のヴォーカリストに参加してもらわないといけなかった。それは誰だろうと考えたら、僕にとってはそれがデヴィッド・シルヴィアンだったんだよ。お願いしてみたら『いいけれど、その代わり、僕のレコードにも参加してくれないか』っていう返事が来て(笑)。それから、ずっとメールでやりとりをして、なんだかすごく仲良くなっちゃったんだけどね。彼のアルバムの方は、僕に与えられた時間は1週間半くらいだったのかな。彼の声と、ギターの音がぽつぽつ入ってるだけの音源が送られてきて、そこに僕がいろんな音を付け足していったんだけど、僕にとってはデヴィッド・シルヴィアンってとても偉大な存在だったから、いいものを作ろうと思いすぎて、精神的にかなり追いつめられたよ。ただ、最終的にできあがったものにはすごく満足してるし、彼も満足してくれたんじゃないかと思う。でも、なんだか思い入れたっぷりな曲になっちゃったね(笑)。で、その後もコラボレーションは進めてるから、これからももっといろいろリリースできるはずだよ。まずは僕のアルバムに参加してもらってるし……長いつきあいになるかもしれないね、そんな話もしているから」


●今の話だと、メールとかのやりとりだけで、実際には会っていないんですか。

「そう、実はまだ会ってないんだよ。最初は僕が彼のスタジオに行って作業をする予定だったんだ。もっと時間が取れるはずだったから、スタジオで顔を合わせて話をして、曲を作っていこうと思っていて。それが、急に予定が変わって、1週間ちょっとで曲を完成させなくちゃいけないことになった。それだと僕がスタジオに行く時間はとても取れないって言ったら、『じゃあ、音源を全部送るから、そっちでやってもらえないか』って言われて。それから2日後に荷物が届いて、作業を始めたっていう」


●そうだったんですか。

「でも、9月には会えるはずなんだけどね(笑)」


●それから、最近あなたは『60 SOUND ARTISTS PROTEST THE WAR』という対イラク戦争反対の意思表明を目的に製作された作品に参加されましたが、こちらはどういった経緯だったのでしょう?

「いや、メールが送られてきて、『1分の音源ファイルか、曲を送ってくれませんか』と頼まれたので、すばらしいプロジェクトだと思って、参加を決めたんだ。その時やるはずだった仕事をいったん棚上げにして、このプロジェクト用の曲を作って、またメールで送り返したっていう」


●じゃあ、このプロジェクトでも相手には会ってないんですね。

「そういうことだね。今の僕は、完全にサイバースペースの住人と化してるんだよ(笑)」


●なるほど(笑)。先ほども話したように、僕は『エンドレス・サマー』を聴いて、エレクトロニック・ミュージックが「感情」を伝えるエモーショナルでオーガニックな表現形態であることを再確認しました。同時に音楽が、作り手の思想やメッセージを伝えるメディアとしても有効だと思いますか。

「うん、絶対にそうだと思う。音楽のいいところは、表現の形としてはすごく抽象的なものなのに、ちゃんと聴いた人に思いを伝えられるところだと思う。音楽の中に、それとはわからないかたちで、作り手の気持ちを潜り込ませることだってできる。それでいて、音楽にはどこか抽象的な部分があるから、生々しい表現にはならないっていう。僕は音楽のそういうところに惹かれるし、逆に言うと音楽でしか僕は自分自身を表現できないんだ」


●なるほど。それから、先ほども制作中という話が出た新作は、どのようなものになりそうですか。

「うーん、今までの僕の作品を全部合わせたようなものになるのかな。でも、もちろん新しい展開もあって、例えば、今回は初めて他のミュージシャンに参加してもらっている。さっきも話が出たけど、デヴィッド・シルヴィアンには1、2曲歌ってもらうつもりだし、あとは、トランペット奏者も入る。それと、僕以外にもう1人、やっぱりエレクトロニック・ミュージックが好きなギタリストも参加しているし。その人は、やってることは僕と近いんだけど、サウンドはもっと実験色が強いんだ。そういう要素も、今回のアルバムには加えていきたいと思ってね。だから、『エンドレス・サマー』に似た曲もあれば、ノイズ系の、実験的な曲もあるっていう感じになると思う。もしうまくいけば、いろんな要素があって、それでいてみんなが面白く聴ける作品になるんじゃないかな。実は明日から、ベネチアに行くんだ。アパートを借りて、1、2週間暮らしてみるつもりでいる。あの街に行けば何かひらめくんじゃないかと思ってね。できればベネチアで全部完成させてしまいたいけれど、どうなるかな。とにかく、まだできあがってないんだ。たぶん9月には完全に仕上がると思うから、10月には聴いてもらえるんじゃないかな」


●今から楽しみです。では、最後にお訊きしますが、『エンドレス・サマー』の成功は、あなたが音楽人生にどういう影響を与えたと思いますか。

「うーん、どうかな、自分ではそういうことって、なかなかわからないんだ。いいアルバムができれば、その時はうれしいものだけど、次のアルバムを作ろうと思ったとたん、かえってそれが障害になってしまうからね。どうにかして、前のアルバムを超えるものを作らないといけなくなるから。あるいは、全く違う方向を目指すという手もあるけど、いずれにせよ、ちょっと悩ましいところではあるね。でも今の僕にとっては、とりあえずは自分が今作っている作品に集中して、とにかく手を止めないっていうだけだから。『これって前作った曲に似てるかな?』なんて考えてはいられない。とにかく、これからが肝心だね。ただもちろん、生活ってことでいえば、ずいぶん楽になったよ。前よりずっと注目されるし、レコードだって売れるようになったわけだから。そういう意味では、『エンドレス・サマー』の成功は、僕にとってはずいぶんプラスになった。それまではレコードの売り上げがあんまり思わしくなくて、大変だったんだ。そう考えるとと、今こうしていられるのも、あのアルバムのおかげなんだけどね(笑)」



(2003/9)

2011年11月6日日曜日

極私的2000年代考(仮)……ジェームス・チャンスとの対話

ジェームス・チャンス。

1970年代最末期のニューヨークに吹き荒れた「未遂の革命」、ノー・ウェイヴが誇る伝説の、いや悪魔のサキソフォニスト。コントーションズ、ジェームス・ホワイト&ザ・ブラックスetcを率い、ファンクとパンクとフリー・ジャズを火だるまにして血祭りにあげたイギー・ポップとアルバート・アイラーの混血児(=Off White)は、「退屈に対してNO、画一性に対してNO、それから……気取りに対してNO」――そう、かつての自分を振り返る。

しかし、そんなあらゆる「NO」に対してさえさらなる「NO」を突き付け、既成事実を裏切り=「Contortion(曲解、歪曲)」続ける生き様こそジェームス・チャンスであり、反面、音楽への情熱までは否定することのできなかった不器用な音楽家としての肖像こそジェームス・チャンスではないか、と思う。

自分が観た東京公演二日目(オープニングはレック+大友良英+中村達也)は、後で聞けば賛否両論のライヴだったらしい。が、まるで呂律が回らぬ酔っ払いのような、サックスを吹き荒らし喚き散らしながら周囲を威圧するその姿は、学生時代にマイケル・マクラードのフィルムで観た1979年のライヴと違わない、想像どおりサイコ・アニマルだった(オフステージの彼はあんなにチャーミングなのに……)。


●そもそもジャズ・ミュージシャンを目指していたあなたが、どんな紆余曲折をへてあのようなサウンドに行き着いたのか、とても興味深いのですが。

「君の言うとおり、ニューヨークに来る前は有名なジャズ・ミュージシャンになることが夢だったんだ。実際、音楽学校で3~4年、ジャズを勉強してたしね。ニューヨークに来て、ジャズ・グループで活動したり、ジャム・セッションをしたりして、結構頑張ったんだよ。でもそれを1年ぐらいやったところで、自分が有名なジャズ・ミュージシャンになることはないだろう、って悟ったんだ。まず第一に、競争率が高すぎる。ニューヨークにはジャズ・ミュージシャンが多すぎたんだ。そして、親しいジャズ・ミュージシャンもいなくはなかったけど、一般的なジャズ・シーンには受け入れられなかったんだ。うまく溶け込めなかったんだよね。見かけも、態度も、考え方も、ジャズ・ミュージシャンらしくなかったから。音楽とは別の部分で相容れなかったんだ。さらに、CBGBとMax's Kansas Cityによく行くようになって、そっちの方が居心地良くなって。自分と考え方が似てる人たちがいたからね。その頃にリディア・ランチに出会って、自作の曲を紹介してくれて。多くの人がノイズとして片付けてしまうだろうタイプの音楽だったけど、僕は面白いと思ったから続けるように促してたんだ。そうしたら彼女がティーンエイジ・ジーザスを始めて、僕はそのバンドでサックスを吹くようになった。それは彼女の音楽で、僕の音楽じゃなかったけどね。6ヶ月ぐらい続けて、彼女のサウンドにサックスは要らないってことになって解雇され た。その時に自分のバンドを組むことに決めたんだ。主にロックンロールを聴く観客にアピールするような音楽をやろうと思った。もちろん、商業的に妥協したものじゃなくて、自分らしさを保ったものでなければならなかったけど。僕が好きなタイプの音楽の要素がいろいろ詰まってて、しかも踊れるようなものがやりたかったんだ。たとえばジェイムス・ブラウンのような。昔からジェイムス・ブラウンのファンだったんだ。あんな感じのリズムで、その上にフリー・ジャズの要素が加えられていて、パンクのアティチュードがあって。音楽性としてのパンクじゃなくて、アティチュードとしてパンク。そういう音楽がやりたかったんだよ」


●自分を受け入れなかったジャズ・シーンと比べて、パンクのアティチュードというと――

「もっとずっと反抗的で、アグレッシヴで、ってところに惹かれたね。当時のジャズ・ミュージシャンはすごくレイドバックしてて、考え方がまだヒッピー時代を引きずってるところがあったんだよ。音楽としてのジャズは好きだったけど、そういう面は嫌いだったんだ。僕は音楽に暴力性を求めてたし、観客に対して暴力的に作用して欲しいと思ってたからね。ニューヨークでの初期のショーに来てたオーディエンスは、 主にソーホーの芸術家タイプが多かったんだよ。自分たちがクールだと思って気取ってるような。何があっても微動だにせず突っ立ってた。だから、僕がフロアに飛び降りてオーディエンスを攻撃するようになったのは、彼らの反応の鈍さに腹が立ってたからなんだよね。パンク的なものが気に入ってたもう一つの理由は、テンポの速さなんだ。他のミュージシャンたちから文句が出るくらいに速くプレイしてたよ」


●自分がやろうとしてた音楽に最初から確信があったのか、それとも最初はちょっと不安定で手探りなところもあったのか、どっちだったんでしょう。

「最初からほぼ決まってたね。最初から自分一人で全部曲を書いてたし、他のミュージシャンのパートも全部書いて、どういう風にプレイすべきか指定してたし。自由に解釈してもらってた部分もあるけど、基本的には僕が作ってた。はじめは自分で歌うかどうか迷ったんだ。実は最初、女性ボーカルを入れるアイディアもあったんだよ。結局うまくいかなかったけどね。オーディションしたヴォーカリストに、スーサイドのアラン・ヴェガの恋人がいたりしたよ。どれもうまくいかなくて、自分で試してみることにしたんだ。それまでまったく歌ったことがなくて、訓練も受けてなかったから、どうかと思ったけどね。でも、たとえばリチャード・ヘルのような、決して上手くはないけど歌ってる人たちを見て『自分にもできるかもしれない』と考えたんだ。バンドのメンバーが固まるまでは手探りだったけど、いったんメンバーが決まってからは、やりたいことができる確信があったよ。僕の音楽を理解してくれる、いいミュージシャンたちが集まったからね。自分たちで出した音を聴いて、『よし、これは新しい、これでいける』と感じられた瞬間があって、そこから迷いはなかったんだ」


●なるほど。

「周りの人たちにも評判がよかったしね。たとえば、リディア・ランチなんかは聴くまで半信半疑だったんだ。もっとジャズっぽいものを想像したんだろうけど。でも実際にコントーションズを聴いて、ぶっ飛んでたよ」


●ジャズ・シーンではあまり受け入れられてなかったというあなたが、その後、コントーションズを結成して『NO NEW YORK』というアルバムに参加するなど、いわゆるノー・ウェイヴ・シーンの一部として今でも語り継がれているわけですけれども、実際そのシーンにいたバンドには共通する何かがあったと思いますか。

「あったと思うよ。アティチュードの面で似てたと思う。まぁ、僕だけが違う面もあったけどね。あのシーンのほとんどのアーティストは、アート方面出身の人たちで、もともと音楽を専門としてなかったんだ。音楽的なトレーニングはまったくないまま、いきなり演奏を始めてた。僕はもともと音楽の勉強をしてきてたから、そういう意味でバックグラウンドは違ってたね」


●なまじっか音楽の素養があったということが、逆のコンプレックスになったりとかってありました?

「そう、実際そういうのはあって、コントーションズで取材を受け始めた頃は、音楽学校に行ってたことは誰にも言わなかったんだ。あらかじめ知ってる人にそのことについて尋ねられることもあったけど、否定してた。『音楽学校へなんか行ってないよ』ってね。間違ったイメージを植え付けるんじゃないかって心配してたわけ」


●(笑)。

「まぁ、音楽学校に通ってたと言っても、優等生だったわけじゃないけどね。教師に向かって悪態を付いて退学させられそうになったり」


●(笑)。NO NEW YORKにしろNO WAVEにしろ、自分たちがやってることに対して「NO」というレッテルというか、冠が付けられることについて、何か思うことはありませんか?

「それは単なる語呂合わせで……NEW WAVEよりもNEWなものといえば? NO WAVEだ!って具合に始まったんだよね。もともとネガティヴなことが好きだから構わなかったけど。いつでもポジティヴな人間というよりはネガティヴな人間だったし。それに、 僕達にとってニュー・ウェイヴって、特に新しいものに感じられなかったんだ。普通に保守的なものに思えてた。だから、ニュー・ウェイヴに対してNOとも言ってたんだよ」


●ちょっと抽象的な訊き方になってしまいますが、何に対する「NO」だったと思いますか?

「退屈に対してNO、画一性に対してNO、それから……気取りに対してNO。何でもいいんだ。とにかくあらゆるムカつくことに対してNOを突きつけるってことだったと思う」


●なるほど。

「あの頃の僕達は、ただ自分たちのリアルな気持ちを表現したかっただけなんだけどね。検閲なしに。荒々しすぎるとか、暴力的すぎるとか、そんなこと誰にも言わせずにやってみせる覚悟だったよ」


●ジャズ・シーンに対する反抗心はありましたか。

「ああ、あったね。嫌われたり、拒否されたりしたら、やっぱりそいつらを見返してやりたいと思うのは自然で、かなり強烈なモチベーションになるんだ。実際、コントーションズが成功してからは、それを見たジャズ・ミュージシャン達が真似したがったよ(笑)。俺もロックのクラブでプレイして儲けたい、ってね。まぁ、ジャズのミュージシャン達全員に無視されたわけじゃなくて、僕とプレイしてのちにディファン
クトを始めたジョー・ボウイとか、Bobo Shawってやつとか、僕を受け入れてくれた人たちもいたよ」


●先ほど方にジェイムス・ブラウンの名前も出てきましたが、今の自分の音楽観だったり、アティチュードを作ってくれた、ルーツになったようなアーティストなりレコードっていうのは、どういうものになりますか。

「12、13歳頃に初めて大好きになった音楽はロックンロールだったんだ。1965年前後の、特にイギリスのグループだね。ローリング・ストーンズ、ヤードバーズ、アニマルズ、スペンサー・デイヴィス・グループ。どれも黒人音楽に影響されてるグループだった。それとアメリカではヤング・ラスカルズ、ミッチ・ライダー&ザ・デトロイト・ホイールズ、クエスチョン・マーク&ザ・ミステリオンズ……。ロックンロール 以外ではジェイムス・ブラウンを聴いてたんだけど、特に入れ込んだのは数年後、17、18歳頃だったんだ。特に気に入ってた曲は“Super Bad”だった。ファンクのビートの上に、フリージャズ風のサックスソロが乗せてあって。もしコントーションズの元となったものを一つだけ挙げるとしたら、その曲になるんじゃないかな」


●当時のあなたのライヴは凶暴というか強烈なものだったと聞いていますが、その頃のエピソードで一番「無茶やったな」というか、思い出したくもない強烈な(笑)ものっていうのがあれば教えて欲しいんですけれども。

「ええっと、そうだな……。よく言われるのは、ある音楽評論家を殴った時のことかな。ロバート・クリストゴー(Robert Christgau)という、アメリカでは有名なロック評論家がガールフレンドと一緒に僕のショーを観に来てて、僕がオーディエンスの中へ入って彼女の方を小突いたんだ。そしたら、そいつが彼女をかばってやり返してきて。この時のことは結構、語りぐさになったみたいだよ。それとか……ある時、逆に客に打ちのめされてね。ニタッと笑いながら殴ってきて、しばらく気を失ったんだ。そのことがあってから、もう観客を攻撃するのはほどほどにしよう、って思ったよ」


●アハハ。

「特に最低なことを思い出したけど、ロンドンで大きなショーがあった時、若い黒人ばかりのバンドとやってて――まだ一緒にやり始めたばかりで、ニューヨークを出たこともないようなやつらだったんだけど――なんと空港に誰も来なかったんだ。何の連絡もなしに、いきなり全員バンドを辞めてしまった。だからロンドンに着いたら、一日でミュージシャンをかき集めなくちゃならなくなって。あれは悪夢だったな。ただ実際、キース・レヴィンっていうギタリストを知ってる? P.I.L.の。その時のショーでは彼がギターを弾いてくれたんだよね」


●へえ。もしかして、ジョン・ライドンと交流とかあったんですか。

「いや、彼とは会ったことないんだ」


●今回は初来日ということなんですけれど、少なくともブランクはあったと思うんですよ、ミュージシャ
ンとして。再びやろうと思い立ったきっかけというのは、何だったんでしょうか?

「90年代の半ばにヘンリー・ロリンズが立ち上げたレーベルで、僕の古い作品が何枚かリイシューされたのが、また音楽をやってみる口実というか理由になってくれた感じだね。基本的に、音楽以外のことをやりたい気持ちはあまりないんで、必然的な結果だったんじゃないかな。永久的に引退することは考えてなかったよ」


●今日は初めてライヴを観させてもらうんですけれども、70年代、80年代にあったコントーションズと、2000年代のコントーションズでは、どの辺が変わっていますか?

「オリジナル・バンドであることは変わらないんだ。ジョディ・ハリス、ドラマーのドン・クリスチャンセン、パット・プレイス。みんな一番最初のコントーションズにいたメンバーだよ。ベースだけはオリジナル・メンバーが1980年に亡くなってるんで変わってるけどね。生存メンバーは全員揃ってる」


●一番の違いと、逆に変わらないものは何でしょうか。

「音楽的に?」


●音楽的にも、つまり自分の気持ちの中での。

「ああ、そうだな……。オリジナル・バンドは、とげとげしい関係になって解散したんだ。喧嘩が絶えなくなってね。それが今では、またいい友人同士に戻ってる。昔のことは、もうずいぶん時間が経ってるんだし、すっかり水に流してしまったよ。いい状態になれたと思う」


●昔喧嘩別れして、また再び集まって音を鳴らした瞬間というのはどうだったんでしょう? 何か感慨深いものがありましたか?

「問題なく、また一緒になれた感じだったね。ことの発端は、サンフランシスコに住んでるファンの女の子がニューヨークに来て、オリジナル・メンバーでのショーをサンフランシスコで実現させたい、と言ってきてね。その決意の固さは、メンバー全員に個別に直接電話をかけてしまうほどだったんだ。その子にみんな言いくるめられて本当に実現しちゃったってわけ。やってみたら、意外とお互いにうまくやっていけたんだよね。それから数年経って、あっちこっちのフェスティバルとかからオファーが来るようになって、集まるようになった。そんなにしょっ中じゃないけどね。年に数回っていうペースでの活動だから」


●本人の中では、コントーションズが戻ってきたという感じなんでしょうか。それとも、まったく新しいバンドとして今やってるんだ、ということなんでしょうか、感覚的には。

「まぁ、コントーションズが戻ってきた、って感じだね。プレイしてるのはほとんどが昔の曲だし。でもいつか新しいレコードを作りたいと思ってるよ。新曲を書いてこのバンドでレコーディングしたいね。このバンド以外でも、ターミナル・シティとか、他のプロジェクトはいろいろやってて、そっちではコントーションズとはまったく違う音楽をやってるんだけどね」


●今回の来日が決まった一つの要因だと思うんですが、最近はニュー・ウェイヴとかあの時代の音楽が若いリスナーに再評価されるとか、若いバンドがリスペクトしたりとか、そういった、一昔前だったら考えられないような状況が今あると思うんですが。そういった再評価に関してはどういう風に受けとめていますか。

「もちろん嬉しいことだと思ってるよ。ただ、ミュージシャンだったらもっと遡って聴くべきだとも思うんだよね。60年代とか……さらにもっと古いものとか。僕自身……なるべく自分の音楽をピュアに保つために、いつもルーツに遡ってる。例えば、個人的には、1975年以降に作られた音楽はほとんど聴いてないんだ」


●ああ、そうなんですか。ぶっちゃけ、その……自分は早すぎた存在だったと思いますか。ようやく周りの評価が追いついた、みたいな。

「そうともいえるかもしれないね。思い出すのは、僕が最初の成功を味わってから、その後の音楽業界は、80年代から90年代にかけて、ものすごく保守的になってたことで、その頃は僕のようなアーティストに対する関心は薄れてたんだ。今また関心を持ってくれる人たちが出てきて、よかったなって思ってるよ。僕としても音楽活動を続けていきたいからね」


●さっき1975年以降は聴いてないと言っていたけど、なんで聴いてないんですか。

「75年以前の音楽が好きだからだよ。自分にとって意味のある音楽は、75年以前の音楽なんだ。今はバンドの数も多いし……新しい音楽を吟味してたら日が暮れてしまう。それだけでフルタイムの仕事になるよ。本当に好きなものが見つかるのは稀だしね。自分にとって意味のある音楽に集中してたいんだよ」


●今自分がコントーションズとしてやっているものは、1975年以前の音楽のフィーリングを再現してる
というか、音楽が純粋なものだった時代のものを自分なりに表現してる、という感覚なんでしょうか。

「いや、僕の音楽は僕の音楽だよ。他の誰の音楽とも関係がない。僕自身のヴィジョンを再現したもので、特に定義とかは……何かのムーヴメントに属してるとは思ってないしね。ただ……自分を定義するとすればエンターテイナーだと思ってる。ビシッと衣装を決めて、踊ったりもして、人々のためにショーを繰り広げる、っていう、古い意味での。ただステージに立って演奏するだけじゃなくてね。今は多くのバンド が、エンターテインメント性を失ってしまってると思う。僕としては、イノヴェイターであることよりも、エンターテイナーであることの方に誇りをもってるんだ」


●では、最後の質問になります。今度、ターミナル・シティの新作が出ると伺ったんですけれども、それはどういったものになるのか、教えてください。

「うん。コントーションズよりジャズの要素が強いものになるよ。楽器もアコースティックで。アコースティック・ベース、ビブラフォン、アコースティック・ピアノ、テナーサックスが入っていて……そして僕自身はアルトサックスとピアノを担当してるんだ。ジャズ以外に、40年代~50年代のR&Bにも影響された音楽なんだ。スクリーミン・ジェイ・ホーキンズとか、いわゆるブルース・シャウターと呼ばれた人たちに ね。さらに、フィルム・ノワールというジャンルの映画をイメージした音楽でもあるんだ。アメリカの40年代から50年代初めの白黒映画で、犯罪サスペンスが多い、暗いものなんだけどね」


●ありがとうございました。今日はライヴを楽しみにしています。

「どういたしまして」


(2005/10)


極私的2000年代考(仮)……ポスト・ノー・ウェイヴはアンダーグラウンドを疾駆する)
極私的2000年代考(仮)……ノー・ウェイヴの記録)

2011年11月5日土曜日

最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)⑩

・ 麓健一/コロニー
・ Perfume/JPN
・ The Big Pink/Future This
・ Rangers/Pan Am Stories
・ Tycho/Dive
・ She & Him/A Very She & Him Christmas
・ Goldmund/All Will Prosper
・ Youth Lagoon/The Year Of Hibernation
・ Korallreven/As Young As Yesterday
・ Bill Orcutt/How the Thing Sings
・ ALIAS/Fever Dream
・ Mikal Cronin/Mikal Cronin
・ The Juan Maclean/Everybody Get Close
・ Slow Club/Paradise
・ Lydia Lunch & Big Sexy Noise/Trust The Witch
・ Patten/GLAQJO XAACSSO
・ Julianna Barwick/Matrimony Remixes
・ シャムキャッツ/Gum

(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)⑨)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)⑧)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)⑦)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)⑥)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)⑤)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)④)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)③)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)②)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...))

2011年10月22日土曜日

極私的2010年代考(仮)……2010年代レディオヘッド序論

ニュー・アルバムの『ザ・キング・オブ・リムス』がリリースされて約半年。先日にはリミックス・アルバムのリリースも発表されたばかりだが、一方でバンド側の「言葉」はいまだ伝えられてこない。CD版のリリースに伴い、『The Universal Sigh』なる無料新聞が各地のレコード店で配布されたが、これを書いている現時点で、今回のニュー・アルバムに関するメンバーの具体的なコメントや取材等のプロモーション的な活動は一切なし。「これはどういうアルバムかという文脈でバンドの歴史がしつこく繰り返されなくてもいいこと。作品の真価そのものによって聴いてもらえるんじゃないかと」。以前、トム・ヨークは前作『イン・レインボウズ』のリリースに際して、ゲリラ的なデジタル配信のメリットをそのように語っていたが、真相はともかく、その意図を今回も踏まえてか、『ザ・キング・オブ・リムス』は制作のプロセスや背景のストーリーについてはまだわからない部分が多い。


「ロック・バンド」としてのトータリティーや王道感を漂わせた『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』や『イン・レインボウズ』に比べると、実験性に富みアーティスト・エゴを押し出した印象は『キッドA』や『アムニージック』にも近い。が、その後者の2作でさえ聴けた、いわゆるギター・ロック的なサウンドは皆無に等しく、とくにアルバムの前半部などバンド・アンサンブルはエディットされた電子音やビートに溶け込むかたちに抽象化/微分化されている。対照的に、カンの“スプーン”のポスト・ダブステップ・ヴァージョンのような“ロータス・フラワー”で折り返す後半部では、ピアノやアコギがメインをとるオーガニックなサウンドを見せ、トムのヴォーカルも独唱のように深く声帯を震わす。つまり大雑把にいってしまえば、近年のフライング・ロータスやブリアルといった気鋭のトラック・メイカーとトムとの交流に顕著なダンス・ミュージックからの影響と、“ギヴ・アップ・ザ・ゴースト”や“セパレイター”など元々はトムの弾き語りで披露された事実が物語るソングオリエンテッドな作風とのミックスであり、ここにはふたつの対照的なレディオヘッド像が均衡するようにコントラストをなしている。もしくは、「僕にとって完璧な状態というのはラップトップもアコギもまったく平等に扱って、どちらも美しいものが作れてっていう状態で、自分達はどんどんそこに近づきつつあると思う」と『イン・レインボウズ』に際して語っていたジョニー・グリーンウッドの言葉を受ければ、『ザ・キング・オブ・リムス』はある意味では理想的な作品といえるのかもしれない。


現在もレディオヘッドにおける顕然たるメイン・ソングライターはトム・ヨークなのだろう。そのことは今回の『ザ・キング・オブ・リムス』にも色濃く反映されたトムの近況が物語るとおりだが、その点で興味深いのが、アトムス・フォー・ピースの位置づけである。

アトムス・フォー・ピースとはご存知のとおり、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーやナイジェル・ゴドリッチを迎えて始動したトムの新たなプロジェクトで、一昨年の結成からこれまで世界各地でツアーが行われてきた。その演目はひとつに、トムのソロ・アルバム『ジ・イレイザー』のナンバーを「バンド」で演奏するというもので、つまり簡略していうと、アルバムではサンプリングやプログラミングで代用された加工音を生音でアップデートし再構築するという試みである。一方、先日レコード・ストア・デイに限定リリースされた“Supercollider”もそうだが、『ザ・キング・オブ・リムス』の収録曲も含む新曲の多くは、バンド演奏ではなくピアノやアコギによるトムの弾き語りというかたちで披露された。いわば、ソロ・ワークの延長線にあるレディオヘッドの「代替案」であり、またレディオヘッドに導線を引く「原案」としてのソロ・ワークの場でもあるという、トムにとってアトムス・フォー・ピースとは入れ子のようにふたつの異なる性格を帯びたトライアルといえるかもしれない。そして重要なのは、もちろんタイミングの問題もあるが、その試みが、たとえばレディオヘッドのライヴ・セットに組み込まれるというかたちではなく、わざわざ新しい「バンド/場」を用意してまで行われたということだろう。


トムを始めバンドのメンバーが、長らくレディオヘッドという「案件」の取扱いに苦慮し試行錯誤を重ねてきたことは知られたとおりである。『ザ・ベンズ』以降の世界的なブレイクをへて、評価やセールスの急上昇に従い巨大化の一途を辿ったレディオヘッドを取り巻く現象は、彼らの重荷となり、バンド活動の継続は次第に苦痛を伴うナーヴァスな様相を呈した。そのストレスは、『OKコンピューター』前後のパニックや『キッドA』完成までの紆余曲折が物語るように、創作と運営の両面において彼らに切迫した事態をもたらした。それはある意味、彼らに限らずビッグ・バンドの宿命であるとはいえ、その致し難さは最近までトムがレディオヘッドを「怪物」呼ばわりしていたことにも象徴的なように深刻で、例えば以前トムは『キッドA』完成直後のインタヴューで、「もうギターを持ちたくない」と吐露するほど疲労と緊張がピークに達した『OKコンピューター』後の長いスランプ期を振り返りこう語っていた。「それなりに時間をかけて、自分たちがなろうとしている姿、他人に期待されている姿、そうしたものを捨てて、もう一度人間になる方法を学習したんだ。化け物でなく、人間にね」。

そうした中、この10余年において彼らがリリースの度に起こしてきた、ときに物議を醸し反動的にも映った様々なアクションとは、いわば“レディオヘッドの世界”と“レディオヘッドと世界”の関係を清算し、新たに修復するためのメソッドだったのだろう。

『キッドA』と『アムニージアック』の2枚のアルバムで彼らは、「ロック・ミュージシャンはみんな家に帰って、生活を取り戻すべきだよ。そして何か別のものを聴くんだ。ロックなんて退屈だ」という当時のトムの発言にも集約される「ロック・バンド」のルーティンやクリシェの否定の意志を、脱ギター・ロックというかたちで果たした。『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』で見せたロック・アンサンブルの再構築は、つまり前2作でそれまでのレディオヘッドのルーティンやクリシェの否定という荒療治をへてソングライティングの手応えを回復した結果ゆえのブレイクスルーだった。そして、メジャーとの契約が終結しフリーランスの身となった彼らは、『イン・レインボウズ』で業界の慣習を破りネットを利用したゲリラ的なプロモーションとオープンプライスの先行リリースを敢行する。『ザ・ギング・オブ・リムス』の展開は、そのやり方を踏襲しつつ、より戦略的に進めたかたちといえるだろう。

振り返れば彼らは、そうして段階的な手順を踏みながら、バンドをめぐる内圧/外圧の緊張を解きほぐし、一時は自らの手に負えなくなるほど肥大化した末に制御不順に陥ったレディオヘッドというシステムを解体し、再生するための作業を進めてきたことがわかる。とりわけ『ザ・ギング・オブ・リムス』の展開を見るかぎり、“世界一有名なインディ・バンド”になった『イン・レインボウズ』以降の彼らは、「YES」といえる自由を手にしたと同時に、「NO」といえる自由をその行動によって示してきた――といえるかもしれない。

一方、その間トム・ヨークは、レディオヘッド本体の活動と並行して課外活動を活発化させてきた。前述のソロ・アルバムやアトムス・フォー・ピースもその一環だが、とりわけ顕著なのは、2000年代の後半から近年にかけて積極的な動きを見せる、共演や客演などのコラボレーション・ワークである。

それまでのトムのコラボレーションは、まず機会自体がごく稀で、共演者もビョークやPJハーヴェイといったヴォーカリストが相手の限られたものだった。それは例えば、ゴリラズにおける多彩な交遊録を始め、かたや現代音楽からアフリカ音楽のフィールドまで創作の人脈を広げてきたデーモン・アルバーンのケースとは対照的でもある。けれど最近のトムを見ると、先日もコラボ・シングルをリリースしたブリアルやフォー・テット、チャリティ企画で共演したマーク・ロンソン、そして『コスモグランマ』のフライング・ロータスなど、いわゆるトラック・メイカーとの積極的な交流が目立つ。きっかけは、ブリアルやフォー・テットも参加した『ジ・イレイザー』のリミックス・アルバム(※フィールド、ザ・バグ、モードセレクターetc)だろうが、まだまだ範囲は限定的とはいえ、フットワークは以前に比べてとても軽い。課外活動の活発化はジョニー・グリーンウッドやフィル・セルウェイについてもいえるが、フロントマンのそれは意味合いが違う。何より『ザ・ギング・オブ・リムス』のサウンド面しかり、始動した同作のリミックス・プロジェクトなど、レディオヘッド本体の活動にフィードバックされた影響力の大きさは、トムの課外活動に見られる変化の重要性をひときわ物語るものだろう。


「バンドってある地位まで到達してしまうと、それ以上自分たちを作り替えていく能力を失ってしまう」。以前デーモンがレディオヘッドを評した言葉だが、『キッドA』以降の数々のアクションとは、まさに自分たちを作り替えていく過程だったといえる。それは、かたやブラーが作り替えることを諦め解散を迎えたのと対照的に、バンドの存続のためトム以下が自身に課した必然的な選択だった。興味深いのは、彼らの場合、自分たちを作り替える過程で周りの環境も作り替えてきたことで、むしろ後者が前者を促したきらいがある。近作のリリース方法や今回のプロモーション戦略に顕著だが、つまり冒頭で挙げたトムの発言にあるように「作品の真価そのものによって聴いてもらえる」環境を用意し、そのことがクリエイティヴィティを担保するようなクオリティ・コントロールを可能にすることこそ、彼らがこの10年取り組んできた改革の真意だといえる。

では、その自分たちを作り替えていく過程でトムが新たに作り上げたアトムス・フォー・ピースとは、あらためてどんな「環境」だったんだろう。例えばデーモンにとってのゴリラズと対比したとき、ゴリラズが当初のコンセプトいわくアニメキャラクターに扮するメンバーによる架空のバンド=仮想世界(ヴァーチャル)であるとするなら、アトムス・フォー・ピースはいわば並行世界(パラレル・ワールド)であると位置づけられるかもしれない。

アトムス・フォー・ピースはあくまでレディオヘッドという基本世界に隣接するもうひとつの現実としてあり、かつ前述のとおりトムのソロ・アルバム『ジ・イレイザー』の二次創作(=並行世界)としての性格を持つ。加えてさらにアトムス・フォー・ピースと『ザ・キング・オブ・リムス』は、楽曲をシェアしているという点で二次創作的/入れ子構造的な関係を指摘することもできる。つまりデーモンにとってはゴリラズに限らずソロも含め、現代音楽やアフリカ音楽、はたまた西遊記のオペラで見せた中国伝統音楽への関心などすべてはブラーと乖離した別次元(オルタナティヴ)としてあるのに対して、トムの場合はソロにしろアトムス・フォー・ピースにしろ軸足はレディオヘッドにあり、それらはレディオヘッドと同一の次元で展開するヴァリエーションとしてあるということなんだろう。そして、今回の『ザ・キング・オブ・リムス』でレディオヘッドは初めてオフィシャルなプロジェクトとして「リミックス」に乗り出したように(※『イン・レインボウズ』でもリミックスのフリー・ダウンロードや公募はあったが)、どうやら彼らの関心は、外側からレディオヘッドを見ること――いわば“並行世界としてのレディオヘッド”あるいは“並行世界から見るレディオヘッド”というものに向けられているようなのだ。


『ザ・キング・オブ・リムス』のリリースから約半年。いまだ作品について自ら語ろうとしない彼らの動向は、予断を許さないものがある。彼ら自身も『ザ・キング・オブ・リムス』の意味を手探りの状態なのかもしれない。しかし、「レディオヘッドでありたいと感じているメンバーは誰一人といないんだ」とトムが話していた数年前とは異なり、彼らは個々に手応えを感じ、何よりレディオヘッドを続けることの可能性を信じているようだ。スタジオ・ライヴでの唐突な新曲披露、そして噂されるブライアン・イーノとのレコーディング――。レディオヘッドによるレディオヘッドの改革は今も続いている。(続く)



(2011/08)

2011年10月10日月曜日

極私的2000年代考(仮)……ドゥルッティ・コラム再評価

ドゥルッティ・コラムが昨年発表した最新アルバム『キープ・ブリージング』は、彼の熱心なファンのみならずとも、聴く者を惹きつけてやまない刮目すべき作品だった。ヴィニ・ライリーが弾く繊細なギター・フレーズを軸に、アフリカのヒップホップ、ユダヤの伝承曲、1930年代のジャズのピアノ曲など様々なインスピレーションを散りばめながら、端整に綴られる色彩豊かでアトモスフェリックなサウンド・スケープ。そこに息づく透徹した美意識と、おごそかで宗教的/霊的な高揚感さえ喚起させるスピリチュアルな叙情性。それは、まぎれもないドゥルッティ・コラム=ヴィニ・ライリーの屹立した音楽世界を写実したものでありながら、偶然か必然か、同時代的な音楽風景さえも内包し描写したものでもあった。

たとえば、エレクトロニカ~フォークトロニカ以降ともいえる地平と共振した、エレクトロニクスとアコースティックが紡ぎだす緻密にしてオブスキュアな感情表現。あるいは、昨今注目を集めるアヴァン/フリー(ク)・フォーク勢とも響きあう、ルーツ・オリエンテッドかつ先鋭的な「歌」と「音(響)」をめぐる試み。さらには、アフリカンやブラジル音楽などワールド・ミュージックへのアプローチにうかがえる越境的な志向も含め、そこには、現在の多様な音楽の潮流と交わる参照点や痕跡が示されるとともに、そうした周囲の状況と微妙な距離を保ち自らの音楽表現の枝葉を広げていくヴィニ・ライリーの創作的な営みが鮮やかな筆致で描き出されていた。

「25年間で初めて、自分のアルバムの出来に満足できた作品」とはヴィニ本人の弁だが、キャリアを積み重ねて円熟に向う過程で、感性が硬直したり磨耗することなく、まさに「Keep Breathing(呼吸し続ける)」というタイトルの通り、伸びやかに成長し続ける不断の音楽的達成がそこには刻まれている。その意味で『キープ・ブリージング』は、ドゥルッティ・コラムの最高傑作にして、映画『24アワー・パーティー・ピープル』絡みの再評価や最近のニュー・ウェイヴ/ポスト・パンク・リヴァイヴァルとはまったく異なる文脈で、その才能を時代が「再発見」した作品だった、と言えるかもしれない。

もっとも、ヴィニ自身にとって、そうした同時代的な評価はあくまで結果的なものであり、あらかじめ意図していたものではけっしてない。そもそも1980年に発表されたファースト・アルバム『The Return Of The Durutti Column』の時点から、リズム・ボックス/シンセサイザーとエレクトリック・ギターを操り、現在の原型となるアンビエント的な音響空間を創り上げていたドゥルッティ・コラムのサウンドは、その後1990年代に入り本格化するテクノ/ポスト・ロックの潮流を予告していたという意味でも、むしろ先駆的な存在といえる。ヴィニは、自身の音楽と「時代」との関係性について、きわめて慎重な立場をとる。

「時代性というのは、音楽を作る際の矛盾点だと思うんだ。というのも、自分が生きているその時代を反映するのはごく自然で・・・・・なぜなら今の世界に生きている一人でもあるわけだからね。その一方で、アートというのはそうした時代性に関係のないところで創造しなくてはいけないわけで、つまり自分の中の奥深くにそうした場所を見つけ出さないといけない。自分だけのエモーションやフィーリングをね。僕にとって音楽を作るというのは、直感と本能が中心で、とても原理的な行為なんだよ。同時に、そうしたエモーショナルな反応はごく個人的なもので、言ってみれば、周りで起きていることに対する自分なりの感想、自分がどう影響を受けたかの記録、みたいなものなんだよね。まあ、矛盾していると言えば、矛盾しているんだけど」

つまり、ヴィニにとって音楽とは、きわめてパーソナルな視点に根差したものであり、かつ、そのパーソナルな視点をフィルターに濾過された「時代性」の反映として輪郭が与えられるものでもある。ドゥルッティ・コラムのサウンドが、たとえば四半世紀前の作品と現在を違和感なく結ぶようにタイムレスな美しさをたたえながら、「周りで起きていること」を参照させる多くの音楽的な示唆を含んだものとして聴かれうるのは、それゆえにほかならない。


本作『リベリオン』は、2001年に発表された通算十数作目となるオリジナル・アルバムである。その最大の特徴は、多くの曲でフィーチャーされたゲスト・ヴォーカルの存在と、フィドルやバンジョーなど多彩なサブ・インストゥルメントの導入、そして(部分的だが)ヒップホップ/ブレイクビーツを含めたアフロ・ミュージックへの接近、だろう。

ケルト・ソングの清冽なメロディにのせて女性ヴォーカリストのヴィック・A・ウッドが楽園的な歌声を聴かせる「The Fields Of Athenry」。ゲストMCのラガ・フレイヴァーなラップを交えた艶かしく猥雑なゴスペル「Overlord Part One」。南国の黄昏どきをたゆたう子守唄のような「Mello Part One」。ガット・ギターとポリネシアン・ビートが夢幻的な余韻を演出する「Longsight Romance」。チベタン・バンジョーが郷愁を誘う「Protest Song」。ヴィニのエレクトリック・ギターと盟友ブルース・ミッチェルのトライバルなドラムが織り成す勇壮なファンファーレ「Meschucana」。デビュー当時の作風や最新作の『キープ・ブリージング』が纏う内省的で静謐なイメージとは対照的に、そのサウンドはきわめて情熱的で官能的な印象さえ受ける。まるで世界中を旅しながら制作でもされたかのような、カラフルで多国籍/無国籍的な色香の漂う音色が魅力だ。

そして、音楽家ヴィニ・ライリーの才能とその音楽言語の多様さに、あらためて感じ入らざるにはいられない。ドゥルッティ・コラムらしいゆらめくようなギター・アンビエンスを聴かせる「4 Sophia」。ハワイアンとトロピカリズモが波間で溶け合うような「Mello Part One」「Cek Cak Af En Yam」。ブルージーなギターがヴィックの歌声に寄り添い潤色を与える「Voluntary Arrangement」。ヴィニ流フラメンコ/マリアッチとも呼べそうな「Mello Part One」。様々なルーツ=音楽的記憶が散り散りと混在する異境のアシッド・フォーク「Longsight Romance」。レッド・ホット・チリ・ペッパーズのジョン・フルシアンテが世界でもっとも偉大なギタリストの一人としてリスペクトを寄せているのは有名な話だが、本作を聴けば、シド・バレットやカエターノ・ヴェローゾまでさかのぼり、アート・リンゼイからデヴェンドラ・バンハートにいたるギタリスト/ソングライターの系譜にヴィニ・ライリーもまた位置していることを再確認できるのではないだろうか。自身の世界観と向き合い洗練をきわめる孤高の求道精神と、インスピレーションに逆らわず自由に表現の領域が開け放たれている先進的な創作精神。そのふたつが表裏をなし、あるいは交じり合うところこそがドゥルッティ・コラムの音楽であり、ヴィニ・ライリーの作家性だとするなら、本作『リベリオン』は、その本領をあますところなく堪能できる作品と言えるだろう。


ドゥルッティ・コラムという名前が、1930年代に起きたスペイン内乱の際にアナーキスト部隊を率いた革命家ブエナヴェントゥラ・ドゥルッティから取られているように、「反乱」とタイトルに冠せられた本作『リベリオン』もまた、ヴィニにとってきわめて政治的な意味合いを持つ作品であることは想像に難くない。当時のインタヴュー記事によれば、そのものずばり「Protest Song」をはじめ本作の背景には、アフリカのエイズ問題や飢餓・貧困問題に触発されたヴィニの葛藤が反映されているようだ(ちなみに本作がリリースされたのは9・11テロ事件の約一ヶ月前)。

来年で結成30年目を迎えるドゥルッティ・コラム。「僕たちはパンク・ムーヴメントを見ながら、自分たちなら音楽業界を変えられると信じていたんだよ。レーベルを運営しているビジネスマンたちの手から音楽を奪い返して、純粋に自分たちのものにできるってね」。そうして始まったヴィニ・ライリーの「革命」は、現状を見る限り残念ながら成就したとは言い難いが、その音楽は、今も聴く者すべての心に爪痕を残し続けている。

「『その音楽は何かの役に立ったのか? この世界にどんな貢献をもたらしたんだい?』と訊ねられたら、僕はこう答えるよ。『僕の音楽が良いものだったのか悪いものだったか、あるいはこの世の中で何か意味を持つものだったか、変化をもたらしたかとか、そういうことは僕にはさっぱりわからない。ただ僕が唯一確信を持って言えることは、僕が作った音楽は正直でストレートで、嘘がないということだ。そこにはほんの少したりとも、金儲けや成功を狙った部分はなくて、ありのままの自然なプロセスで生まれたものだ。最初から最後までね』って」


(2007/05)