2011年11月11日金曜日

極私的2000年代考(仮)……電子音楽は“夏”に思いをはせる――フェネスとの対話

1995年にウィーンのMEGOよりデビューして以来、ソロ、ユニット(ジム・オルークらと組んだフェノバーグ)、プロジェクト参加(MIMEO)などさまざまな形態で数々の傑作を発表し、現在の進化/深化を見せるエレクトロニック・ミュージックを象徴する一人として評価を得るフェネス。なかでも2001年発表の『エンドレス・サマー』は、従来的なエレクトロニック・ミュージックへの先入観を覆す、新しい「何か」の誕生を感じさせる画期作だった。

繊細に練り上げられた電子音の層はエモーションに溢れ、昂揚感と抒情性を喚起する美しいメロディーが、その背後をゆっくりと漂い流れていく――。そこには、彼いわく「ソフトウェアを隠れのみにして、自分の思いを語ろうとしない」既存のエレクトロニック・ミュージックには到底達成しえない(そして同時代の意義あるアーティストたちが模索する)、先鋭性とポップの奇跡的な調和が刻まれていた。

そして以下に紹介する彼の発言は、そうした『エンドレス・サマー』の達成が、けっして偶然ではなく明確な意図のもとでなされたものであることを証明している。現在のエレクトロニック・ミュージックに対する違和感と、10代の頃から親しんだポップ・ミュージックへの深い愛情――それらを溶け合わせ、かつ乗り越える音楽を作るために彼が必要としたのは、みずからのプライヴェートな記憶や心情と向き合う作業だった。だからこそ『エンドレス・サマー』は、耳を傾ける者すべての心に訴えかけてくる。



●ソロ・アーティストとして活動を始める前は、マイシェというロック・バンドをやっていたんですよね。

「というか、僕が音楽活動を始めたのは80年代の終わりから90年代の初めごろなんだけど、いろんなバンドをやっていて、マイシェはそのひとつなんだ。たぶん、一番名前が知られてるバンドだとは思うけどね。僕はもともとギタリストで、当然だけどその当時は他のミュージシャンと一緒にやらないと曲は作れなかったし、スタジオ代も高いから、1人じゃ借りられなくて、まあ、仕方なく他の人と組んでやっていたっていう感じだね。でも、できあがった作品には全然満足できなくて。だから、今から振り返っても、僕にとっては決して楽しい思い出じゃないんだよ(笑)」


●あ、そうでしたか。

「でも、サンプラーを買って、ひとりで音楽を作るようになってからは、そういう思いをすることもなくなったけどね。バンドで演奏するってことは、僕にとっては妥協以外のなにものでもなかったんだ。他のメンバーもいる以上、僕のアイディアがそのまま作品になることはありえなかったから。マイシェに関して言えば、サウンドは初期のソニック・ユースに似てたかな。すごくノイジーなポップ・ロックだった。曲っていう形式にあまりこだわっていなくて、演奏もほとんどが即興だったよ」


●じゃあ、アバンギャルドな感じだったんですか。

「うん、それもあるけど、ポップ寄りの要素もあるっていう」



●今の話だと、バンド時代はずいぶん不満を抱えていて、サンプラーを買ったのがソロ活動を始めるきっかけだったということですけど、その経緯についてもう少し詳しく教えてもらえますか。

「まず、サンプラーとミキシング・デスクを買った。あれは確か、そう、90年代の初めだったな。そういう機材もずいぶん安くなって、僕でも手の届く値段になっていたんだ。ちょうどそのころ、ウィーンではテクノ・シーンが盛り上がり始めていて、僕もDJやプロデューサーの知り合いが増えてきていてね。そういう人たちが自宅のベッドルームで曲を作っているっていう話を聞いて、僕もやってみたんだ。それで、『そうか、この方法なら自分のアイディアを簡単にかたちにできるんだ』ってわかって、それからはすっかり宅録にはまっていったよ。メゴのピーター・リーバーグ(ピタ)と知り合ったのもそのころで、一緒にレコードを作り始めたんだけど、そっちは完全にギターがメインだった。サウンド面で言うと、僕は今でもテクノ・アーティストではないね。テクノ系の人と付き合いがあるのも、どちらかと言うとロックとは違うプロデュースのやり方やレコードの出し方に興味があるっていうだけだし。それと、オーストリアのロックシーンは完全に国内限定で、国外で自分の曲を聴いてもらうことなんて、まずできない。だから、僕がエレクトロニック系の音楽に惹かれた理由を挙げるなら、まずは何でもひとりでできるっていうこと。あとひとつは、オーストリア以外の国からも注目される可能性があったことだね。僕は、こういう音楽をやることで、それまでのいろんな制限から解放されたんだ」
●サンプラーを買った当時から、自分のやるべきサウンドの具体像はしっかりあったわけですか。
「かなりはっきりと見えていたと思う。新しい機材を買って、ギターとサンプラー、エフェクターとかを使っていろいろ試してたら、割とすぐに、サンプラーこそ僕に必要な物だ、これで今までバンドでは絶対やれなかったことができる、って思ったよ。新しい可能性が見えて、どんどんはまっていった。その時から、こういうサウンドがやりたいっていうのは、具体的にしっかり見えていたと思う。でも、他にこういう音楽を作っている人がいるとは知らなくて、世界で僕だけだと思いこんでいたね(笑)。他にもいるって知ったのはあとになってからだよ。ピーター・リーバーグがDJをやってるクラブに行ったら、僕がやってるような曲がかかっていて、その時に『ああ、他にもいるんだ』ってやっとわかったっていう。あれは93年か94年ごろだったかな、それまで僕は1人きりで音楽を作っていたから」


●その時作っていたものって、具体的にはどういうサウンドだったんですか。

「基本的には、ギターがメインだった。それは変えたくなかったんだ。でも、新しく買った機材でいろいろ試してみたいっていう気持ちも強かった。あとになってコンピュータとかも入れたけど、最初はサンプラーしか手元になくて……そうだなあ、かなりノイズが入っていたけれど、それでいてどこかメランコリックな感じがするものだったね。両極端な要素を楽しんでいるところもあったのかな。僕は確かに、アバンギャルドな、実験色の強いものに興味がある。でも、そんな曲の中にも、どこかポップな感じが絶対に必要だとも思うんだ。僕の音楽には、ポップやロックに深く影響された面もあるから、そういうことを多少なりとも聴いた人にわかってもらいたいしね」


●そのころ作っていた曲と、今回日本でもリリースされる『エンドレス・サマー』のサウンドは、かなり近いんでしょうか、それともだんだん変わっていって、あのアルバムに至ったという感じなんでしょうか。

「うーん、最初のころに作ってたものの方がもっとノイズの要素が強かったね。それでいて、ビートが独特だった。僕が最初にメゴからリリースした“Instrument”っていう12インチ・シングルがあるんだけど、あの時は、テクノとか、ごくごく初期のドラムンベースにまだ興味があったから、そういう要素もいくらかは入っている。でも、ちょっと聴いただけじゃわからないくらい、わずかなものだけどね。で、そのシングルをリリースした後、さらにいろいろなサウンドを試したり、コンピュータを買ったりして、曲作りに使うようになったから、そこでまた大きく変わったと思う。コンピュータのソフトを使うと、当然、サウンドも変わってくるわけだけど、曲作りのやり方もだいぶ変わってくる。そういう意味では『エンドレス・サマー』はソロ活動を始めたころの曲とは違う。でも、それでいて、初期の作品とどこかつながっているところもある。自分が音楽を作り始めた、ごく最初のころを振り返るっていうのも、『エンドレス・サマー』のテーマの1つだったからね。僕にとっては、自分の人生を振り返る、すごく個人的なアルバムなんだよ(笑)。あのアルバムにはビーチ・ボーイズとかの影響もあるし、僕がずっと好きだった、70年代の映画音楽の面影もあるしね」


●ソロ・デビューした当時、刺激を受けたアーティストというと誰になるんでしょうか。

「いや、そういう人は全然いない。さっきも言ったけど、ソロ活動を始めたころ、僕はほんとに孤立してたから。テクノ・アーティストの存在は知っていたけれど、僕みたいに新しい機材やソフトを使って、実験的なサウンドを作ってる人がいるっていうのは全く知らなかった。例えば、メインみたいなユニットが、僕にすごく近いことをやってるって知ったのはずっとあとだよ。今ではメインのメンバーのロバート・ハンソンとは友達だけど、話をしてると、僕たちは同じ時期に同じことをやってたんだって気がつくことが、今でもあるよ。まあ、リリースは向こうの方が先だったけどね(笑)。どちらかというと、お手本にしたのは、昔から大好きで、音楽を聴き始めた10代のころに夢中になったアーティストだった。例えば、ブライアン・イーノとか、ビーチ・ボーイズとか、ニール・ヤング。あとは、80年代だとトーク・トークとか、ジャパンとか。ほんと、僕の場合、好きなものは全然変わってないね」


●じゃあ、そのころ影響を受けたのは昔のロックで、いわゆるエレクトロニックやラップトップ・ミュージックじゃないんですね。

「うん。というか、今でもそういうものは聴かない(笑)。エレクトロニック系のアーティストにも、本当に大好きなアーティストだったら、何人かはいるよ。ピモンは本当にすばらしいと思うし、オーレン・アンバーチとか……あとは、メゴのアーティストは今でもよく聴く。でも、いわゆるラップトップ・ミュージックは、正直言って、死ぬほど退屈だと思ってる(笑)。だったら昔から好きなレコードを聴く方がずっといい。得るものだってずっとたくさんあるし。あ、そうだ、日本のものだと坂本龍一は聴くよ、もちろん、YMOもね。僕が好きなのは、メロディーがきちんとあるもなんだ。それと、ブラジリアン・ミュージックも好きだな」


●ロックとエレクトロニック・ミュージックをクロスオーヴァーさせるアーティストというと、最近の代表的な例としてはビョークやレディオヘッドが挙げられますが、彼らについてはどう思っていますか。

「実は、今名前が出たふたつのアーティストが最高だと思ってる。ビョークの『ヴェスパタイン』は、ほんとにすばらしい、あれこそ傑作だよ。レディオヘッドもそうで、いろんな要素を組み合わせる、そのやり方がすごくうまい。レディオヘッドの曲を聴いてると、ずいぶんラップトップ・ミュージックを聴いたんだろうなっていうのはわかるよ。そう言えば、この前読んだインタビューでは、僕やピーター・リーバーグの曲も聴いていて、影響を受けてるかもしれないって言ってくれてたね。レディオヘッドはすごく間口が広くて、いろんなサウンドを聴いて、いつも前を見ている。ビョークもそうで、プロダクション・スタイルにしても何にしても、いつも最先端を走ってるよね。完璧なアーティストだと思う」


●既に多くの人が指摘されているとは思うのですが、僕は『エンドレス・サマー』を聴いて、エレクトロニック・ミュージックというものが、これほどまでもエモーショナルで、叙情性やそこはかとない情感みたいなものを音にして表現することができるのかと、ただただ感動してしまったんです。まず、あの作品が生まれた背景や経緯についてお訊きしたいのですが。

「今君も言ってくれたけど、音楽を通じて、エモーショナルな面を伝えるっていうのは、僕にとって、とても大事なことなんだ。実はあのアルバムを作り始めた時、僕には不満で仕方ないことがあった。エレクトロニック・ミュージックが向かっている方向が、どうも僕には間違ってるような気がしたんだ。悪い意味ですごく抽象的な方向に向かってたっていうか、ただソフトウェアを操作しているだけで、“音楽”が聞こえてこなくてね。だからこそ、僕はもっと別の方向を目指さないといけないと思って、自分の過去の思い出とか、その当時のエレクトロニック・ミュージックに欠けていた物に焦点を当てようって決めたんだ。そう決めたら、曲を作っている間にもどんどん感情があふれてきた。それがかえってつらかったりもしたんだけど、曲だけは次から次へと生まれたんだ。つらいっていうのは、つまり、そういう自分の感情を丸出しにするようなものを発表してもいいんだろうかって、自信がなかったっていう意味でね。あの当時は、エレクトロニック・ミュージックのジャンルでこういうタイプのアルバムを出すのは、それほど一般的じゃなかった。みんな、ソフトウェアを隠れみのにして、自分の思いを語ろうとはしないっていう。このアルバムで、僕はそういう殻を破ろうとしたんだ」


●そういう経緯があったんですね。

「それと、『エンドレス・サマー』っていうアルバム・タイトルも、ひとつひとつの曲名も、あとはジャケットの写真も、全部ポップ・ミュージックのフォーマットを意識したものになっている。どうしてかというと、それまでのエレクトロニック・ミュージックと違って、聴いてくれる人を具体的に思い描いて作ったからなんだ。それまでは、人を寄せ付けない、どんな人がこんな曲聴くか、全くわからないようレコードが多かったからね。でも僕は、それじゃ良くない、もっと取っつきやすいものにしたっていいだろうって思った。結局、こんなにセンチメンタルなレコードになってしまったっていう(笑)。でも……自分ではよくわからないけど、とにかく、よそよそしいとだけは思われなかったんじゃないかな」


●あなたが言うとおり、すごくプライヴェートで親密なムードがこのアルバムのサウンドからは感じられるんですが、あなた自身「夏」という季節に何か特別な思い入れがあったりするのでしょうか。

「実はそうなんだ。すごく簡単に言うなら、夏は楽に暮らせる季節だからね。だから、いつも夏を待ちわびているし、いつまでも続けばいいのに、って思ってしまう(笑)」


●まさにこのアルバムのタイトル通りですね。

「うん。夏を待ちわびる気持ちっていうのは、完璧なものを求める気持ちに似ている。でも、どんなに望んでも、決して手に入れられないんだけどね。このアルバムには、完璧さを求めるっていうテーマもあるんだ。幸せを求める気持ちと言ってもいい。でも、それと同時に、そういう完璧なものが手に入らないってことも心のどこかでわかっていたりする。ちょっと姿を見せるだけで、決して手は届かないっていう。みんな、そういう気持ちはわかるはずだよ。このアルバムは、そういう気持ちであふれている。希望もあるけど、同時に失望もつきまとう、そういう感じだね」


●そういう、夏を待ちわびる気持ちって、なんだかすごくヨーロッパ的ですね。

「まあ、僕はヨーロッパに住んでるから(笑)。オーストリアとパリで過ごすことが多いんだけど、特にオーストリアは、季節の変化がとても激しくて。冬はすごく寒くて、雪もたくさん降る。でも夏はかなり暑くなるし、とても美しい季節なんだ。僕は子供時代を大きな湖のほとりで過ごしたんだけど、そのころのことを懐かしく思い出すことは、今でもよくあるよ。すばらしい思い出だからね。そういう思い出もこのアルバムには詰まっているから、ほんとにこれは僕の個人的な思いを述べたアルバム、というふうに言えるんじゃないのかな」


●先ほどあなた自身もそれまでのエレクトロニック・ミュージック・シーンには不満があったとおっしゃっていましたが、そうしたシーンをこのアルバムが変えたという思いはありますか。

「うーん、それは自分ではわからないし、僕がどうこう言えることでもないよ。でもこのアルバムが出た後、エモーショナルな方向を目指すアーティストがシーンに増えたかもしれない。それはいいことだと思う。まあ、それで具体的に何が変わったのかはわからないけれど。ただ、僕自身にとっては、あのアルバムを出したことで、確かにいろんな変化があった(笑)。それが一番大事なことなんだと思う。僕はこのアルバム以降は、自分の感情を隠す必要がなくなった。今でも、すごく概念的な音楽を作ろうと思えばできるんだけど、気がつくと結局『エンドレス・サマー』みたいなものに立ち返ってしまうんだよ」


●あなた自身のキャリアにとっても、最も重要な作品とは言えますか。

「うん、そうだね。内容的には、このアルバムと7インチ・シングルで、カヴァー曲を収めた“Fennesz Plays”が、僕にとって一番大事な作品なんだ。今作ってる新作も、このふたつくらいいいものになるといいと思ってるんだけど、まだできあがってないからね(笑)」


●この作品のどんなところが、リスナーに強く訴えたのだと思いますか?

「うーん、どうなのかな……前に読んだレコード評では、『このアルバムは、エレクトロニック・ミュージック・シーンの門戸を、ポップ、ロックといった他の音楽を聴いていたリスナーへ開いた』とか書いてあったね。それだけ、いろんな要素が入っていたんだと思うよ。コンピュータ好きの子たちにとっても、ソフトウェアの使い方とかがわかるから面白かっただろうし、1曲1曲、聴きやすいかたちにまとめられているから、いい曲が聴きたいっていう人にも受けたと思う。だから、両極端の人に受け入れられる面があったってことになるのかな。そんなにエレクトロニック・ミュージックを聴かない人でも、何かピンと来るものを感じてくれたんだね。それと、ライヴでこのアルバムの曲がかかると、お客さんがすごく盛り上がる。あとは、わりと女の人も気に入ってもらえたし(笑)。この手の音楽って、ふつう、あんまり女性受けが良くないんだけどね。抽象的で、小難しい音楽は、女性を退屈させてしまうらしくて。まあ、実は僕もそうなんだけど(笑)。でも、このアルバムは別みたいで、それは僕もすごくうれしく思ってる。そう言えば、子供にも受けたし、僕の母も気に入ってくれたよ(笑)」


●(笑)。ところで、例えばあなたの『エンドレス・サマー』のように、ジャンルを超えて広くリスナーに支持される作品が生まれたり、「SONAR」を始めとする音楽イベントが各地で行なわれていたりと、現在エレクトロニック・ミュージックは、音楽的にも環境的にもとても面白い状況にあるように思いますが、こうした現状についてはどのような印象をお持ちですか?

「いや、今のシーンがどうなっているのか、僕はあまりよく知らないんだ。もう何ヵ月も自分の新作にかかりきりで、ちょっと状況には疎くなってるから。今、こういうシーンが大きくなってるのかどうか、僕には何とも言えないな。SONARにしても、何千人もの人が2ヵ月にわたって集まるわけだから、もう単なるイベントの枠を超えている気がするし。ただ、この手の音楽にはふたつの流れがあるとは思う。ひとつはダンス・ミュージックで、こっちはいつでもコンスタントに売れてるし、シーンとしてもすごく健全だ。でも、僕はそんなに関心がない。で、もうひとつ、ダンス・シーンほどかっちりとしたジャンルになっていない、抽象性の高いエレクトロニック・ミュージックのシーンがある。で、こっちも今のところ受けてるよね。でも、僕自身は、エレクトロニック・シーンは変に孤立するべきでないと思っている。もっといろんなジャンルのアーティストともどんどん一緒にやっていくべきだよ。さっき話に出たビョークとか、レディオヘッドはまさにそういうことをしているわけだし。僕も最近はいろんなアーティストとコラボレーションを始めていて、例えばスパークルホースっていうアメリカのバンドと組んだりしている。僕のサウンドと、スパークルホースのギターやドラムのサウンドを合わせて、何か面白いものができないかなと思って。僕はこういうことが面白いと思っている。だから、エレクトロニック・ミュージックのシーンで何が流行っているかはよく知らないし、正直、そんなに興味もないんだよ。好きなアーティストが何人かいるけれど、そのアーティストがどういうカテゴリーに入ってるかどうかは、僕にとってはあんまり意味がない。ただ“いいアーティスト”っていうだけでね。例えば、オーレン・アンバーチはギタリストで、バンドもやったりするけれど、エレクトロニック系の作品もリリースしてる。フィリップ・ジェックにしても、ターンテーブルを駆使した音楽をやってて、ふつうに考えるとエレクトロニック系のアーティストなんだろうけど、ジャー・ウブルと一緒に演奏したりしてるし。そんなふうに、みんなもう少しオープンになって、いろんなアーティストと組んでみたらいいと思うよ」


●コラボレーションといえば、デヴィッド・シルヴィアンの新作『Blemish』に参加されたらしいですが、これはどういった経緯だったんですか。

「今僕が作ってるアルバムは“Venice”(ベネチア)っていうタイトルになる予定なんだけど、このアルバムでは、どうしてもデヴィッド・シルヴィアンに参加してもらいたかったんだ。今回は1、2曲、ヴォーカル・トラックを入れる予定なんだけど、ぜひ彼に歌ってほしいと思ってね。『エンドレス・サマー』で切り開いた道、それはつまりダンス・ビートを使わないエレクトロニック・ミュージックで、それでいて、いわゆるポップ・ソングのフォーマットに従っているものっていうことなんだけど、その路線を今回はさらに推し進めたかった。だったら最高のヴォーカリストに参加してもらわないといけなかった。それは誰だろうと考えたら、僕にとってはそれがデヴィッド・シルヴィアンだったんだよ。お願いしてみたら『いいけれど、その代わり、僕のレコードにも参加してくれないか』っていう返事が来て(笑)。それから、ずっとメールでやりとりをして、なんだかすごく仲良くなっちゃったんだけどね。彼のアルバムの方は、僕に与えられた時間は1週間半くらいだったのかな。彼の声と、ギターの音がぽつぽつ入ってるだけの音源が送られてきて、そこに僕がいろんな音を付け足していったんだけど、僕にとってはデヴィッド・シルヴィアンってとても偉大な存在だったから、いいものを作ろうと思いすぎて、精神的にかなり追いつめられたよ。ただ、最終的にできあがったものにはすごく満足してるし、彼も満足してくれたんじゃないかと思う。でも、なんだか思い入れたっぷりな曲になっちゃったね(笑)。で、その後もコラボレーションは進めてるから、これからももっといろいろリリースできるはずだよ。まずは僕のアルバムに参加してもらってるし……長いつきあいになるかもしれないね、そんな話もしているから」


●今の話だと、メールとかのやりとりだけで、実際には会っていないんですか。

「そう、実はまだ会ってないんだよ。最初は僕が彼のスタジオに行って作業をする予定だったんだ。もっと時間が取れるはずだったから、スタジオで顔を合わせて話をして、曲を作っていこうと思っていて。それが、急に予定が変わって、1週間ちょっとで曲を完成させなくちゃいけないことになった。それだと僕がスタジオに行く時間はとても取れないって言ったら、『じゃあ、音源を全部送るから、そっちでやってもらえないか』って言われて。それから2日後に荷物が届いて、作業を始めたっていう」


●そうだったんですか。

「でも、9月には会えるはずなんだけどね(笑)」


●それから、最近あなたは『60 SOUND ARTISTS PROTEST THE WAR』という対イラク戦争反対の意思表明を目的に製作された作品に参加されましたが、こちらはどういった経緯だったのでしょう?

「いや、メールが送られてきて、『1分の音源ファイルか、曲を送ってくれませんか』と頼まれたので、すばらしいプロジェクトだと思って、参加を決めたんだ。その時やるはずだった仕事をいったん棚上げにして、このプロジェクト用の曲を作って、またメールで送り返したっていう」


●じゃあ、このプロジェクトでも相手には会ってないんですね。

「そういうことだね。今の僕は、完全にサイバースペースの住人と化してるんだよ(笑)」


●なるほど(笑)。先ほども話したように、僕は『エンドレス・サマー』を聴いて、エレクトロニック・ミュージックが「感情」を伝えるエモーショナルでオーガニックな表現形態であることを再確認しました。同時に音楽が、作り手の思想やメッセージを伝えるメディアとしても有効だと思いますか。

「うん、絶対にそうだと思う。音楽のいいところは、表現の形としてはすごく抽象的なものなのに、ちゃんと聴いた人に思いを伝えられるところだと思う。音楽の中に、それとはわからないかたちで、作り手の気持ちを潜り込ませることだってできる。それでいて、音楽にはどこか抽象的な部分があるから、生々しい表現にはならないっていう。僕は音楽のそういうところに惹かれるし、逆に言うと音楽でしか僕は自分自身を表現できないんだ」


●なるほど。それから、先ほども制作中という話が出た新作は、どのようなものになりそうですか。

「うーん、今までの僕の作品を全部合わせたようなものになるのかな。でも、もちろん新しい展開もあって、例えば、今回は初めて他のミュージシャンに参加してもらっている。さっきも話が出たけど、デヴィッド・シルヴィアンには1、2曲歌ってもらうつもりだし、あとは、トランペット奏者も入る。それと、僕以外にもう1人、やっぱりエレクトロニック・ミュージックが好きなギタリストも参加しているし。その人は、やってることは僕と近いんだけど、サウンドはもっと実験色が強いんだ。そういう要素も、今回のアルバムには加えていきたいと思ってね。だから、『エンドレス・サマー』に似た曲もあれば、ノイズ系の、実験的な曲もあるっていう感じになると思う。もしうまくいけば、いろんな要素があって、それでいてみんなが面白く聴ける作品になるんじゃないかな。実は明日から、ベネチアに行くんだ。アパートを借りて、1、2週間暮らしてみるつもりでいる。あの街に行けば何かひらめくんじゃないかと思ってね。できればベネチアで全部完成させてしまいたいけれど、どうなるかな。とにかく、まだできあがってないんだ。たぶん9月には完全に仕上がると思うから、10月には聴いてもらえるんじゃないかな」


●今から楽しみです。では、最後にお訊きしますが、『エンドレス・サマー』の成功は、あなたが音楽人生にどういう影響を与えたと思いますか。

「うーん、どうかな、自分ではそういうことって、なかなかわからないんだ。いいアルバムができれば、その時はうれしいものだけど、次のアルバムを作ろうと思ったとたん、かえってそれが障害になってしまうからね。どうにかして、前のアルバムを超えるものを作らないといけなくなるから。あるいは、全く違う方向を目指すという手もあるけど、いずれにせよ、ちょっと悩ましいところではあるね。でも今の僕にとっては、とりあえずは自分が今作っている作品に集中して、とにかく手を止めないっていうだけだから。『これって前作った曲に似てるかな?』なんて考えてはいられない。とにかく、これからが肝心だね。ただもちろん、生活ってことでいえば、ずいぶん楽になったよ。前よりずっと注目されるし、レコードだって売れるようになったわけだから。そういう意味では、『エンドレス・サマー』の成功は、僕にとってはずいぶんプラスになった。それまではレコードの売り上げがあんまり思わしくなくて、大変だったんだ。そう考えるとと、今こうしていられるのも、あのアルバムのおかげなんだけどね(笑)」



(2003/9)

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