2011年1月26日水曜日

2000年代の極私的“ビッチ”考……キム・ゴードンというゴッドマザー

ソフィア・コッポラがガーリー・カルチャーのポップ・アイコンなら、キム・ゴードンはガーリー・カルチャーのゴッドマザーであり、“ガーリー世代”のアーティストにとってロール・モデルと呼ぶにふさわしいリスペクトを集める存在だ。もしもキム・ゴードンがそこにいなければ、ソフィアやクロエ・セヴィニーもあのような登場の仕方はなかったかもしれないし、ガーリー・カルチャーが単なるファッションやアート以上のライフ・スタイルやアティチュードとして受け止められることもなかったかもしれない。ソフィアはいった。「40歳になっても、あれほどジーンズの似合う女性はいない」。


ニューヨークのアート・ロック・バンド、ソニック・ユースのベース/ヴォーカルとして、1980年代の初頭から30年近くにわたり活動を続けるキム・ゴードン。アンダーグラウンドなパンク・ロックから前衛的なエクスペリメンタル・ミュージックまで幅広いバックグラウンドを誇り、強い影響力と存在感を示す彼女は、パティ・スミスと並ぶパンク以降のもっとも重要な女性ロック・アーティストの一人である。そんな彼女が、後述する「X-GIRL」の設立に先駆けてガーリー・カルチャーの最初期に果たしたもっとも重要な功績とは、いわば世代間のパイプ役として“それ以前”と“以後”を繋いだことだろう。

1990年代初頭に起こったライオット・ガールズと呼ばれたガールズ・パンク・ロックのムーヴメント。あるいは、リリス・フェアの開催に象徴された女性ミュージシャンの躍進。そして、ソフィアやクロエを中心としたガーリー・カルチャー周辺の新世代。それら、オルタナティヴな時代精神を背景に台頭したラディカルでクリエイティヴなガールズ・パワーを、世代を越えて“同時代性”を共有するムーヴメントへとオーガナイズする見取り図を自ら描いてみせたのが、他ならないキム・ゴードンだった。1994年に映像作家のタマラ・デイヴィスが制作し、キム・ゴードンやコートニー・ラヴ、ビキニ・キル、ルシャス・ジャクソンらが出演したドキュメンタリー『No Alternative Girls』は、その最初のクロスオーヴァーともいえる作品だった。


そうしたキムの精神は、その年、デザイナーのデイジー・フォン・ファースとスタートさせた「X-GIRL」にも反映されている。
そもそもビースティ・ボーイズのマイクD(※タマラ・デイヴィスの夫)が手掛けるファッション・ブランド「X-LARGE」の女の子版として企画されたもので、キムはプロデューサーとして参加。「女の子って思春期を過ぎて、胸が膨らみ体の線が変わり始めるにしたがって自意識がすごく強くならざるを得ない。そのことが決定的に女の子を女に変え、自分を社会に上手く適合させようとする意識を芽生えさせてしまう。でも、そんな受け身な、外部からの意識を抱えてしまう前の『ガール』というポジティヴな意識を取り戻すためにも、敢えてその言葉を選んだの」。そして、このキムの言葉に共感するように、「X-GIRL」の周囲にはアクティヴで才能豊かな「ガール」が集まり始めるようになる。
ショーをプロデュースしたソフィア・コッポラを始め、モデルを務めたゾエ・カサヴェテスやアイオーネ・スカイ。初期にアシスタント・デザイナーで参加したスーザン・チャンチオロ。キムが手掛けたプロモーション・ヴィデオ『X-girl Movie』に出演したクロエ・セヴィニーや画家のリタ・アッカーマン。キムとフリー・キトゥンというバンドを組み、日本で行われたショーではモデルも務めたボアダムスのヨシミ。あるいは、アート・ディレクションを担当したマイク・ミルズや友人の映像作家スパイク・ジョーンズなど男性陣も含め、いつしかキムを慕うクリエイター達のサロン的な様相を呈し、結果的にガーリー・カルチャーが現象化する起点となった「X-GIRL」は、単なるファッション・ブランドという以上に、スローガン的なメッセージ性を含んだ時代のシンボルとして求心力を示すようになった。

キム・ゴードンは、もとよりアートへの関心が高く、高校時代にはマーサ・グレアムのモダン・ダンスに傾倒し、大学へ進学後はゲルハルト・リヒターに憧れ画家を志し、ニューヨークでバンドを始める以前はロサンゼルスのアートスクールでヴィジュアル・アートを学ぶなど、まさに「X-GIRL」に集まる「ガール」そのものだった。もっとも、ソニック・ユースというバンド自体が現代アートとの交流に積極的で、アルバムのアートワークにレイモンド・ペティボンやマイク・ケリーの作品を起用したり、さまざまな形で気鋭のアーティストとコラボレーションを試みたりと、そのジャンルやカルチャーを繋ぐような姿勢は、「X-GIRL」の周辺で展開したキムのキュレイター的なフットワークにも通じるものだろう。ソフィアやタマラ・デイヴィスも参加した1996年の『Baby Generation』展はまさに、そうしてキムを介して繋がれたガーリー・カルチャーの小さな縮図のようなイヴェントだった(※ちなみに『ヴァージン・スーサイズ』の映画化は、キムの夫でバンドのリーダーであるサーストン・ムーアがソフィアに原作の小説を手渡したことがきっかけだった)。


そして、映画『ヴァージン・スーサイズ』がソフィア・コッポラにとっての一つの集大成だとするなら、同じくキム・ゴードンにとってガーリー・カルチャーをめぐるアート活動の一つの集大成といえそうなのが、2000年にオランダと東京で開催された展覧会『Kim’s Bedroom』(http://www.saucerlike.com/discography.php?x=display&cat=kim&id=217)だろう。キムがキュレイターを務め、総勢30名近いアーティストが参加。ソフィアやリタ・アッカーマンといった「X-GIRL」周辺のお馴染みの名前を始め、ショーン・マーシャルやリチャード・カーンなどミュージシャンや映像作家から、デザイナー、イラストレーター、そしてトニー・アウスラーのような現代美術家まで各界にまたがる錚々たる顔ぶれが作品を提供している。

そこには、活動のフィールドも世代も異なる多様な才能が密集した“アート/カルチャーの坩堝”としてのガーリー・カルチャーの見取り図があらためて(より多様な参照点が含まれた形で)提示されていると同時に、ガーリー・カルチャーはけっして一過性の局地的な現象ではなく、アート/カルチャーとしての連綿と続く営みの上に成り立った “歴史の一部”であることが、まさにキムのキュレーションによって証明されていた。「X-GIRL」が、ガーリー・カルチャーの等身大を現在進行形でパッケージしたものだとするなら、それから6年後に発表された『Kim’s Bedroom』は、そのガーリー・カルチャーが成熟した姿を、アート/カルチャーの文脈のなかに位置付け、さながら一篇のアンソロジーのように編集し纏め上げた作品だといえる。ここでもまたキムが、一種の世代間を繋ぐパイプ役を務めているのが興味深い。

ガーリー・カルチャーの誕生から10年以上がたった現在も、キム・ゴードンの旺盛なアート活動は続いている。2005年と2006年にはスイスのインディペンデント出版社Nievesから、写真やドローイングを収めたアートブック『Kim Gordon Chronicles Vol.1』と『同Vol.2』(http://www.nieves.ch/catalogue/kimgordon.html)を発表。また、ニルヴァーナのカート・コバーンをモデルに描いたガス・ヴァン・サント監督の映画『ラスト・デイズ』では女優業にも挑戦した。今年で57歳を迎えるガーリー・カルチャーのゴッドマザーは、しかしその創造への欲求は衰えることなく、今も永遠の「ガール」のままだ。


(2009/1130)

『ニュー・ガーリーグラフィックス』(PIE BOOKS)より

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