2011年1月30日日曜日

極私的2000年代考(仮)……"アフリカン・インヴェイジョン"という新しい波

トーキング・ヘッズのライヴ作品がCDとDVDで2枚同時にリリースされた。タイトルは『Rome Concert 1980』。つまり、あの『リメイン・イン・ライト』がリリースされた年に行われたライヴを収録した作品で、自分はDVDの方を買ったのだけど、これが凄まじくかっこいい。

1曲目の“サイコ・キラー”を除いてすべて、『モア・ソングス』や『フィア・オブ・ミュージック』を含むブライアン・イーノとの共作アルバムからのナンバーで占められ、要所でサポートの黒人ミュージシャンを交えながら、白熱した鋭利なファンク・サウンドを展開する。とくに、“ハウシズ・イン・モーション”から“ボーン・アンダー・パンチズ”、“グレイト・カーヴ”と『リメイン~』のナンバーが続くラスト3曲の流れは強烈。だ。

『リメイン~』の制作にいたる過程で修練を重ね、会得されたアフリカン・マナーの奏法やコンポジションの実験が、イーノとのスタジオ・ワークの末に血肉化され「バンド・サウンド」として結実した、そのスリリングな実況をここに見ることができる。

彼らはこの2年後に『實況録音盤 トーキング・ヘッズ・ライヴ』というすばらしいライヴ・アルバムをリリースしたが、それがイーノ時代の成果を相対化した総括的な作品だとするなら、『Rome Concert 1980』は、そのプログレスの課程がひとまずの完結をみた直後の“実習”の模様を記録した、もうひとつの『實況録音盤』といえるのではないだろうか。

周知のとおり、『リメイン~』は、主にイーノとデヴィッド・バーンのアフリカン・ミュージックへの関心がその大きな出発点のひとつになっている。そのレコーディングに際して、彼らは、リズムやコード、旋律に関するアフリカン・ミュージックの概念や伝統の理解と(演奏技術の)習得に努め、そのルールに従ってインプロヴィゼーションを中心に曲作りが行われるなど、徹底してコンセプチュアルな姿勢で臨んだ。イーノとバンドの共同プロデュースという形を執り、即興演奏やスタジオ・ワーク(ミックスやドラム等の“電化”のポスト・プロダクション)の実験が試みられた前2作をへて、イーノとバーンの共演作『ブッシュ・オブ・ゴースツ』における文化横断的な民族音楽史的アプローチの追求を挟み(録音は『リメイン~』のセッション直前の79年)プログレスを重ねた音楽メソッドの理論的帰結として、『リメイン~』は位置づけることができる。

そのレコーディングやライヴでの黒人ミュージシャンの起用法、また『ブッシュ~』におけるサンプリング(コーランの斉唱やラジオ放送などアラビア及びアフリカ文化圏の音源)~音楽的借用については、その是非をめぐって帝国主義的だのさまざまな論争を当時呼んだが、少なくともイーノの関心はその政治的な意味合いにではなく、あくまで音楽的な部分(非西欧文化圏の音楽形式、またそれらと既存の音楽形式やテクノロジーとの融合・コラージュを意図した、イーノいわく「第四世界の音楽」という構想)に向けられたものであったことはいうまでもない。ちなみに、当時のインタヴューでイーノは、「クラフトワークとパーラメントを合体させたような音楽を作ったら面白いんじゃないか」という夢(?)を度々語っていたらしく、つまり制作/録音技術も含めたエレクトロニック・ミュージックの革新性と、ブラック・ファンク・ミュージックの肉体性/官能性の融合というアイディアが、トーキング・ヘッズとの一連の共同作業における青写真的なもののひとつとしてイーノの頭の中にはあったようだ。


西欧ロック/ポップとアフリカン・ミュージックの相関性を紐解くトピックは、他にもさまざまある。

トーキング・ヘッズ&イーノと同時代の80年代でいえば、ポール・サイモンやピーター・ガブリエルが有名だろうし、遡れば60年代のトーケンズ(“ライオンは眠っている”)や、“Soul Makossa”の世界的ヒットでディスコ黎明期を飾ったカメルーンのマヌ・ディバンゴ、そして「アフロ・ビート」を商標登録化したフェラ・クティはいうに及ばず。90年代を迎えて以降は、ユッスー・ンドゥールをはじめセネガルやマリのミュージシャンが米英の音楽シーンでポピュラリティを得ていく一方、近いところではブラーのデーモンがアフリカン・ミュージックへの傾倒(Mali Music』)を見せるなど、その現象は随所に散見できる。

また2000年代以降~最近では、マリの盲目の夫婦デュオ、アマドゥ・マリアムとコールドプレイやデーモンとの共演が話題を呼んだ。あるいは、ギャング・ギャング・ダンスからヴァンパイア・ウィークエンドまでブルックリン周辺のバンドや、フォールズなどイギリスの一部若手のサウンドに、アフリカン・ミュージックのリズムやアクセントとの親和性を指摘できることは、ご存知のところだろう。

もっとも、そもそもアフリカの音楽自体が、紐解けば西欧の音楽との混交と集約の歴史の産物といえる。

イギリス人植民者によって持ち込まれたキリスト教の賛美歌や、軍隊音楽であるブラス・バンド。さらには、植民地軍に入隊したアフリカ人兵士によって持ち帰られたカリプソなどカリブの黒人音楽、レコードやラジオを通じて輸入されたラグタイムやスウィング・ジャズ、あるいはソウル・ミュージックなどアメリカ黒人音楽と、複雑なポリリズムやシンコペイションを特徴とする現地の祭儀音楽や舞踏音楽とが交わり、同化と異化を重ねるなかで、「ハイライフ」や「ジュジュ」といった伝統と現代性が統合された混成音楽=独自のポピュラー・ミュージックがアフリカの各地で生まれた。

トーキング・ヘッズ&イーノの実験や2000年代のブルックリンで起きている現象もまた、視点を移せばそうした「歴史」の一部に組み込まれるものであり、翻ってそれは、アフリカン・ミュージックにおける混交と集約の新たな参照点となり西欧ロック/ポップとの相関性を再度築くことで、現在にいたるアフリカ文化圏内のポピュラー・ミュージックのプログレスにおいてもさまざまな影響を及ぼし続けている。


はなはだ図式的な理解だが、以上のようなアフリカン・ミュージックの歴史を背景に、独自の発展を遂げた彼の地のポピュラー・ミュージック――つまりは「ロック/ポップ」の、現時点において最新のケースのひとつにおそらく挙げることができるのが、南アフリカのヨハネスブルグ出身の4人組、ブラック・ジャックス(「BLK JKS」と表記)だ。

2000年に結成され、07年のデビュー10インチに続き今春シークレットリー・カナディアンからリリースされたEP『Mystery』で本格的デビューを飾るや、「TV・オン・ザ・レディオへのアフリカからの返答」など熱烈な評価を得た彼らのサウンドは、まさしく“混交と集約”の歴史を体現した産物といえるだろう。
ドキュメンタリー映画『アフロ・パンク』()で描かれたアメリカの黒人パンク・ロッカーたちは、白人社会からもブラック・コミュニティからも異端視された自らの境遇を語っていた。つまり、アメリカで黒人がパンク・ロックをやることは、人種的な背景に加えて文化的なコンテクストにおいても二重の意味でマイノリティに置かれる――というエピソードだが、同様にブラック・ジャックスの場合もまた、活動当初は「“黒”でも“白”でもない」と聴衆の困惑に晒されたという。

複雑で根深い人種問題の歴史を抱える南アフリカにおいて、人種隔離政策下の90年代初頭に深夜放送のテレビで見たニルヴァーナやサウンドガーデンなどUSオルタナティヴに衝撃を受け、「ロック」に目覚めたと語るリード・ヴォーカルのリンダ・ブテレジ。「ロックは白人、つまり憎き天敵の音楽だって偏見があったからね。バンドを始めたばかりの頃は随分とこっぴどい目にあったよ」。彼らがバンドを始めたのはアパルトヘイトが廃止されて以降だが、しかしここには、『アフロ・パンク』で描かれていたのと似たような人種とカルチャーをめぐる構図が窺える。
同じ“混交と集約”でも、たとえば90年代以降の南アフリカで黒人やカラードを中心にポピュラー・ミュージックの主流となった、「クワイト」と呼ばれるヒップホップやR&B、レゲエやハウスがミクスチャーしたダンス・ミュージックと、ブラック・ジャックスの音楽は明らかに毛色が異なる。
前述のハイライフ、そしてジャズ~原始ロックと土着のアフロ・ビートの混成音楽として50年代末に登場した「ンバクァンガ」という、アフリカン・ポピュラー・ミュージックの伝統的な音楽様式を継ぎながら、ダブやシューゲイザー、プログレ~クラウト・ロックやメタルまで渾然一体と併せ呑みサイケデリックなハーモニーを築くサウンドは、演奏の卓抜さと相俟って、なるほどTV・オン・ザ・レディオやマーズ・ヴォルタにも肉薄したクリエイティヴィティを誇る代物だ。

そもそも南アフリカのポピュラー・ミュージックは、他の地域のアフリカのそれと較べて、その社会背景(白人の比率の高さ)や音楽的な親和性(シンプルなリズムとヴォーカル主体の音楽が好まれた)から、代々アメリカの黒人音楽に大きな影響を受けてきたといわれるが、彼らが披露する“混交と集約”は、なるほどそうした歴史の証左といえるのかもしれない。実際、彼らのサウンドは、それこそ今のニューヨークに置かれたとしてもまったく遜色ないだろうし、一方でそのアフリカ性は、たとえば同地で活動するアンティバラスやノモといった“フェラ・クティの継承者”にも比肩するクオリティを示すものだろう。
待望のファースト・アルバム『アフター・ロボッツ』は、プロデューサーにシークレット・マシーンズのブランドン・カーティスを迎え、ジミ・ヘンドリックスのエレクトリック・レディ・スタジオで録音された。無尽蔵な演奏と分厚い音のテクスチャーが、怒涛のテンションで放埓にうねる。EP『Mystery』が予告した大器の片鱗を見事フルスケールで成就させたその作品の前に、もはや“黒”も“白”もない。南アフリカの混交と集約のプログレスの最前線を示す、目下最強のハイブリッドとしてブラック・ジャックスは特筆に価する。


ちなみに、彼らが注目を集めるようになったきっかけには、DJで訪れた南アフリカのケープタウン滞在中に彼らの音楽を聴いて惚れ込んだというディプロとの出会いがあったわけだが、そのエピソードに無理矢理関連づけていえば、似たようなディプロ周辺との交流をきっかけに注目を集めた、もう一組のアフリカ絡みのユニットがある。

ボンジ・ド・ホレやシット・ディスコ等のリミックスを手掛け、スウィッチ(MIA『カラ』、ディプロと組んだメジャー・レイザー等)のレーベルから音源もリリースするロンドンのフランス人&スウェーデン人プロデューサー・チーム=レディオクリットと、同じくロンドン在住で、アフリカ南東部のマラウイ共和国出身のシンガー=エサウ・ムワムサイヤが組んだユニット、ザ・ヴェリー・ベストがそれだ。
そもそもレディオクリット側にとって、アフリカン・パーカッショニストだと期待されたエサウが、実はいたって普通のドラマーだとスタジオで判明し、それじゃあとトラックに乗せて歌わせてみたところそれがハマった……という経緯からスタートしたというザ・ヴェリー・ベスト。去年リリースされたブート・アルバム『Esau Mwamwaya & Radioclit are The Very Best』――南アフリカの曲やフレンチ、さらにはマイケル・ジャクソンの“Will You Be There”やビートルズの“Birthday”のカヴァー&リミックス、そしてブラック・ジャックスとのコラボなどいろいろ詰まった――なかで、とりわけ話題を呼んだのが、MIAの“Boyz”とヴァンパイア・ウィークエンドの“Cape Cod Kwassa kwassa”のカヴァーだった。

ノリとしてはほとんどカラオケに近い代物ながら、マラウイの現地語のチャワ語で歌われるエサウのヴォーカルがなんとも楽しげで、心躍らされる。単なる企画物的なカヴァー&リミックス・アルバムの一言では片付けられない――本稿の趣旨に則していえば、西欧ロック/ポップとアフリカン・ミュージックの“混交と集約”を介した相関性それ自体をユニークに脱構築(=カヴァー&リミックス?)したような、不思議な魅力に満ちた一枚だった。
正式なデビュー・アルバムとなる『ウォーム・ハート・オブ・アフリカ』には、本物のMIAとVWのエズラ・クーニングがゲストで2曲に参加。パーカッションやギター等の生楽器やビートのサンプリングがカラフルなオーケストラを形作り、エズラのヴォーカルまで楽器やビートの一部のように鳴る/躍動するトロピカルなアフロ・ポップは、変な話だが、とても“本格的”だ。「伝統的なアフリカン・ソングのアルバムを作る気はない」と彼らは語るが、たとえばブラック・ジャックスと較べて、前述のクワイトや「マラビ」とも親和性を示すところが彼らの特徴と言えるかもしれない。

6つの言語を使いこなすエサウの歌の歌詞には、戦争やHIV、差別など彼が実際に見たり経験してきたアフリカの「歴史」が描かれているという。ともあれ、ブラック・ジャックスが、繰り返すように南アフリカの“混交と集約”の歴史が生んだモダンな(=汎アフリカの)ハイブリッド種だとするなら、このザ・ヴェリー・ベストは、その変化とプログレスの先に“アフリカ”と仲立ちする――イーノの言葉を借りれば「第四世界(=多国籍で無国籍)の音楽(=ポップ)」を構築するような変異種といえるのではないだろうか。


他にもアフリカ発の興味深いバンドは尽きない。最近ではヘルスやポート・オブライエンの新作で沸くドイツのシティ・スラングと契約した、ヨハネスブルグ出身の男女デュオ、ディア・リーダー。スリル・ジョッキーに所属する、ナイロビとワシントンDCに国籍を跨る混合バンド、エクストラ・ゴールデン。デズモンド&ザ・チュチュス、ジ・アロウズ……etc。面白いバンドは探そうと思えばいくらでもいる。

(2009/11)

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