2011年1月28日金曜日

極私的2000年代考(仮)……NY定点観測2001‐2008

ザ・ストロークスの登場とロックンロール・リヴァイヴァルの台頭は、確かに大きなきっかけだったが、それはあくまで始まりでしかなかった。「ニューヨークの2000年代」をあらためて見渡したとき、本質は“その後”にこそある事実を再認識する。

そしてその「ニューヨークの2000年代」とは、必ずしも新しい世代によってのみ培われたものではなく、言うまでもなく彼の地の脈々たる音楽史的記憶や遺産との交わりのなかでもたらされたものだった。そこに広がる音楽地図は、世代やシーンで区画整理されたものではなく、小道や裏道が張り巡り、多様性で結ばれたコミュニティが斑模様に混生する、文字どおりメルティングポットな様相を呈している。


「ニューヨークの2000年代」の特徴を簡潔に記すなら、それはかつてなく“エクスペリメンタルな音楽が前景化した10年”――となるのではないか。

ポスト・パンク/ポスト・ノー・ウェイヴ、ディスコ・パンク~エレクトロクラッシュ、フリー(ク)・フォーク、ドローン/ドゥーム・メタル、ネオゲイザー……その呼び名はともかく、それらのタームを一先ずの指標とし展開されたロックンロール・リヴァイヴァル以降の多様な音楽フェーズはいずれも、本来であればアンダーグラウンドな志向の先鋭的なものばかりだった。

遡ればヴェルヴェット・アンダーグラウンドからニューヨーク・パンクに至る60年代中盤~70年代、ポスト・パンク/ノー・ウェイヴをへてソニック・ユースやスワンズが顔役となる70年代末~80年代のような時代もあったが、しかし00年代ほど実験的で個性豊かなサウンドがその表舞台でスポットを浴びたディケイドはない。「ニューヨークの2000年代」は、シアトルなど地方都市に端を発したオルタナティヴ/グランジの喧騒をよそに、ソニック・ユースさえ「『あの連中はいったい何をやってるんだ?』って顔されたアルバムが何枚かあった(苦笑)(サーストン・ムーア)」という模索した「ニューヨークの1990年代」とはあまりに対照的な、刺激に満ちた10年だった。


「NY No Wave & The Next Generation」と銘打たれた2006年制作のフィルム『キル・ユア・アイドルズ』は、そんな「ニューヨークの00年代」の端緒を記録した格好の検証作品と言える。ヤー・ヤー・ヤーズやライアーズ、ブラック・ダイスら00年代初頭の現世代と、1980年代初頭のノー・ウェイヴ世代を対置し、両者を結び貫く「系譜」を紐解いていく――そこで示される史観は極めて示唆的だ。

それとはつまり、同時期のロックンロール・リヴァイヴァルと混同されがちだった前者を、後者に連なるニューヨーク音楽史のエクスペリメンタルな前衛として位置づけ、「ニューヨークの2000年代」の起点を確定する視座である。彼ら現世代が象徴するのは、いわばそこに連綿と受け継がれる「精神」のリヴァイヴァルであり、模倣でも否定でもなく、その歴史や過去を捉え直し読み替えていく肯定的なクリエイティヴィティこそ、すなわち「ニューヨークの2000年代」の精髄にほかならない。

はたして「ニューヨークの2000年代」の基底通音となるエクスペリメンタリズムの再興は、ブルックリンを主戦場に、ロックンロール、パンク/ハードコア、フリー・ジャズ、フォーク、アンビエント、ミニマル、ノイズ、電子音楽など、そこに隣接し混在する多様なエレメンツを参照しながら数多のユニークな才能を産み落とし育んでいく。“2000年代の『No New York』”とも評された当時ブラック・ダイスのヒシャム監修のコンピ『They Keep Me Smiling』(2004)は、その百花繚乱な音楽風景を切り取った最初のドキュメンタリーであり、その界隈からはアニマル・コレクティヴやギャング・ギャング・ダンスを筆頭に00年代のアメリカン・インディの顔役となるバンドが登場した。いわゆるフリーク・フォークや、「No Fun Festival」周辺のコアなノイズ・シーンとも共振し繰り広げられるラディカルな音楽実験の様相は、さながら1990年代を跨いで遅れて彼の地に到来したオルタナティヴの季節のよう、と言えるかもしれない(そこにはソニック・ユースやマイケル・ギラの薫陶があり、スーサイドやシルヴァー・アップルズの残響がある)。

そして同時に、「ニューヨークの2000年代」は、アニコレの『フィールズ』(2005)が象徴的だが2000年代の中盤辺りを境に、そのエクスペリメンタルな創作のなかに「ポップ」への志向を露わに見せ始めるようになる。


一方、2000年代におけるニューヨークの重要性を物語る証拠として、そこが数多の世界的な音楽トレンドの発信地となった事実を指摘できる。なかでもディスコ・パンクやエレクトロクラッシュと呼ばれた一群のポスト・パンク/ニュー・ウェイヴ~1980年代再評価を汲む2000年代前半の動向は、後のニュー・レイヴやニュー・エキセントリックにまで至る同時多発的なロックとエレクトロのクロスオーヴァーの決定的な契機となった点で、極めて重要なトピックといえるだろう。そして、その最大の牽引者たるアイコンこそジェームズ・マーフィであり、そのLCDサウンドシステムやDFA名義の先鋭的なプロダクション、あるいはラプチャーの諸作は、2000年代におけるダンス・ミュージックを再定義したといっても過言ではない。

そこには多様性があり、ポスト・パンクもグラム・ロックも、アシッド・ハウスもハードコアも呑み込むエクレクティックな、何よりポップ・ミュージックとしての荒々しい熱狂がある。それは、たとえば機能主義的でテクノロジーに拠った1990年代のメインストリームなダンス・ミュージックとは異なる価値観を有するものだ。加えて、シザー・シスターズのブレイクやヘラクレス&ラヴ・アフェアの登場も、ニューヨークにおけるダンスの復権を強く印象付けるものだった。
そのジェームズが、かつて1990年代にパンク・バンドでドラムを叩き、またスティーヴ・アルビニ周辺のエンジニアだった経歴は有名だが、同じく1990年代のハードコア~ポスト・ハードコアに出自を持ち、「ニューヨークの00年代」で頭角を現したバンドとして、バトルスと!!!が挙げられる。かたや、ヘルメットやドン・キャバレロの元メンバーを擁し、ミニマルな構築と圧倒的な演奏力を駆使しバンド・アンサンブル/コンポーズの拡張性を追求するバトルス。かたや、前身の西海岸ハードコア・パンドを出発点としながらファンクへ突然変異を図り、Pファンクとトーキング・ヘッズとストゥージズが飽くなきジャムを繰り広げるようなカオスを創出する!!!。スタイルは異なるが、共に「ニューヨークの00年代」の音楽地図の欄外に属すレフトフィールドな存在であり、その未知のカタルシスや知的興奮を誘う音楽体験はまさに“エクスペリメンタル”と呼ぶにふさわしい。2007年の『ミラード』と『ミス・テイクス』は、そんな両者の規格外のオリジナリティを示すマスターピースだろう(ちなみに!!!とLCDはメンバーをシェアする関係)。

ニューヨークの音楽史とは、つまり実験とダンスの歴史であり、「ニューヨークの2000年代」もまたその一部でありヴァリアントにほかならない。そして昨年リリースされたTV・オン・ザ・レディオとギャング・ギャング・ダンスの新作は、その2000年代における現時点の最大の達成といえる。
ブライアン・イーノ(1970年代末~80年代前半)を彷彿させるハイブリッドな実験精神と、アフリカ性が奔流するアフロ・ビート/ゴスペル・サウンドを混交させ、アマルガムで重厚なアート・ロックを創り上げる前者。対して、即興シーンと交わるスポンテニアスな創造性を、乱れ打つパーカッション・サウンドと呪術的なダブ音響に解き放ち、文化横断的なトライバル・ミュージックを奏でる後者。まるで合わせ鏡のように対照的で相似的な両者の相貌は、ニューヨークの音楽史における実験とダンスの、不可分で入れ子的な関係性を象徴するようで興味深い。

同じく2000年代初頭の黎明期に登場し(TVOTRのデイヴ・シーテックはYYYSやライアーズのプロデュースを務めた)、今やマッシヴ・アタックからニュー・エキセントリックにまで影響力を誇る前者と、昨年ニューヨークで開催された「88 Boadrum」をオーガナイズするなどUSアンダーグラウンドに求心力を示す後者の現在地は、そのまま「ニューヨークの2000年代」が築き上た所産の大きさを物語っている。

対して、そんな「ニューヨークの2000年代」を貫く歴史のくびきから解き放たれるように、瑞々しく伸びやかにロック/ポップを謳歌する“2000年代出自”のバンドも登場し始めている。

トーキング・ヘッズというよりむしろ1970年代ブリティッシュ・ポップのマナーにのせて軽妙なアフロ・ポップを鳴らすヴァンパイア・ウィークエンド。1990年代のアセンズ辺りに通じる箱庭的ポップ・センスをエキセントリックなエレクトロで装飾し、煌く陶酔的なサイケ・ポップに興じるMGMT。彼らもまた「ニューヨークの00年代」に違いないが、しかしその佇まいはまるで一足先に“次の10年”を望むような、どこか浮世離れした感覚を想起させる。そしてそこには、「ニューヨークの2000年代」のエクスペリメンタリズムと画す「ポップ」への強烈な発露がある。あるいは、またぞろ彼の地で盛り上がりを見せるシューゲイザーやガレージ・ポップを巻き込みながら……。

「ニューヨークの2010年代」はもうそこまで迫っている。


(2009/01)


※追記:その後、アニマル・コレクティヴ、ダーティー・プロジェクターズ、グリズリー・ベアらの新作がリリースされ、音楽的な評価とともに一定の商業的な成功も収めることとなった2009年を、UNCUTは“インディ・ミュージックがメインストリームを制圧した年”と総括した。

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