2011年1月26日水曜日

2000年代の極私的“ビッチ”考……ソフィア・コッポラというアイコン

一言でいえば、ガーリー・カルチャーが生んだ最大のアイコンであり、ガーリー・カルチャーを生んだ時代精神の体現者。つまり、ガーリー・カルチャーを文字通りの“カルチャー”たるムーヴメントへとリードし、自らの一挙手一投足がすなわちガーリー・カルチャーの全体像を示すような存在――だろうか。しかし、果たしてガーリー・カルチャーを定義付けることが難しいように、ソフィア・コッポラという人物を説明することもまた難しい。それは他でもなく、彼女のバックグラウンドが多岐にわたり、かつその活動のフィールドもきわめて広範囲に及ぶものだからだ。


ソフィア・コッポラについて世間的にもっとも知られた顔といえば、何より巨匠フランシス・フォード・コッポラの娘であり、いまやハリウッドを代表する若手映画監督としてのそれだろう。生後間もなく赤ん坊で『ゴッドファーザー』に出演を果たし、以後『ランブル・フィッシュ』を始め父親の作品で女優業を経験。18歳の時にはオムニバス映画『ニューヨーク・ストーリーズ』で父親と共同脚本を手掛けるなど、幼い頃から映画の現場に深く関わってきた。

しかし、ガーリー・カルチャーをめぐるソフィア・コッポラのキャリアは、むしろその「娘」と「映画監督」の間に広がるストーリーにこそある。いわゆる業界のセレブリティとしての恵まれた環境や経験に支えられながら、同時に、さまざまな価値観を共有するアーティストや同世代のストリート・カルチャーとの交流を通じて得たリアリティやオルタナティヴな感性が、彼女をガーリー・カルチャーの中心へと押し上げた、といったほうがおそらく正しい。


そんなソフィアにとって、ガーリー・カルチャーとの最初の接点といえるのが、1995年にステファニー・ヘイマンとスタートさせたファッション・ブランド「MILK FED.」だろう。

ハイ・スクール時代からシャネルのカール・ラガーフェルドの下でアシスタントを経験しデザイナーとしての知識を学び、モデル/フォトグラファーとしてVOGUE誌やINTERVIEW誌で活躍。また前述の『ニューヨーク・ストーリーズ』では衣装デザインを担当するなど、若くしてファッション業界の最前線で磨かれたセンスや素養に、ショーのプロデュースを手掛けるなど「X-GIRL」の現場で得たDIY精神やストリート感覚がミックスされて生まれたのが、「MILK FED.」だった。


そして、同時期にソフィアは、同じく映画監督ジョン・カサヴェテスの娘で友人のゾエ・カサヴェテスとテレビ番組『Hi Octane』をプロデュース。ベックを始め多彩なゲストを招きアンダーグラウンド・シーンの音楽を紹介する傍ら、個人でミュージシャンのPVの制作も始めるなど、クリエイターとして映像の世界への進出もスタートさせた。

そうしたさまざまなジャンルや人脈にまたがるソフィアの活動がひとつの形を見た象徴的な出来事が、1996年に渋谷パルコで開催されたグループ展『Baby Generation』だ。

同イヴェントには、ソフィアを始め、ソニック・ユース/「X-GIRL」のキム・ゴードン、映像作家のタマラ・デイヴィス、女優のアイオーネ・スカイ、画家のカレン・クリムニクといった5名の女性アーティストが参加。親しい友人のプライヴェートな表情を収めたソフィアの写真や、ハリウッド女優やスーパーモデルをモチーフに甘やかな少女世界を描いたカレンのドローイングなど、そこに展示された彼女たちの“日常”には、ガーリー・カルチャー特有の空気感や世界観がリアルに表現されていた。同時に『Baby Generation』は、当時のガーリー・カルチャーが文字通りの“カルチャー”として、多様な才能が集まりアートの境界線を横断するムーヴメントだったことを伝えてくれる。

翌年の1997年にソフィアは初の写真集『Bonjour Tokyo Photo』も発表。ちなみに、『Baby Generation』のカタログのアート・ディレクションをマイク・ミルズが手掛けるなど、当時ソフィアの恋人だった(その後結婚→離婚)スパイク・ジョーンズやハーモニー・コリンを始め、同世代の男性クリエイターとの積極的な交流も当時のガーリー・カルチャーの特徴といえるだろう。

以上のような軌跡を辿り、ガーリー・カルチャーと同心円を描きながら表現活動のフィールドを広げてきたソフィアが、処女作の短編映画『Lick the Star』の制作をへて、満を持して長編映画に挑んだ作品が、1999年に公開(※日本では2000年)された『ヴァージン・スーサイズ』である。ジェフリー・ユージェニデスによる同名のベストセラー小説を原作に、自ら監督と脚本を担当。さらに、出演者や音楽のセレクトはもちろん、衣装やセットの細部に至るまで完璧に自身の美意識を行き届かせ完成された『ヴァージン・スーサイズ』は、すなわちソフィア・コッポラのアーティスト活動の集大成的な作品であり、いわば“ガーリーなるもの”の総合芸術として当時のガーリー・カルチャーが迎えたひとつの到達点にふさわしい作品だった。


70年代のアメリカの郊外を舞台に、キルステン・ダンストら演じる10代の美しい5人姉妹と、彼女たちに魅せられた冴えない少年たちの日常とひそやかな交流を描いた本作。最後、姉妹の謎の自殺で幕を閉じる物語は、そこに至る彼女たちが過ごした思春期的な風景(ハイ・スクールのダンス・パーティー、恋愛)や心の葛藤を、姉妹が残した日記や写真などさまざまな記憶を手掛かりに、大人になった少年たちが想いをめぐらす回想録という形を借りて綴られていく。そして、少年たちの想いは、しかしエンディングのこんなモノローグとともに永遠に宙吊りにされたまま、彼方に放り出されてしまうのだ。「僕らは彼女たちを愛した。でも僕らが叫ぶ声はあの部屋には届かなかった。/彼女たちは去ってしまった。呼び戻す方法は永遠に見つからない」。

ソフィア・コッポラは本作の原作に惹かれた理由について「時代であれ、人であれ、純真さであれ、失われていくものについて語ってある部分が好き」と語っている。この、少年たちの姉妹への思慕の念と重なり合う“失われていくものへの憧憬”、あるいは少年たちの視線を通じて描かれる彼女たちの時限的な美しさこそ、ソフィア・コッポラが“ガーリーなるもの”に見る価値の一端であることはいうまでもない。


そうしたソフィアの“ガーリー観”をめぐるモチーフは、続く作品においても変奏されていくことになる。東京という異国で出会った父と娘のような男女が、互いに満たされないものを抱えながら限られた時間のなかで心を通わす淡いラブストーリー『ロスト・イン・トランスレーション』。18世紀フランスのヴェルサイユ宮殿で繰り広げられる栄華の饗宴と、それとコントラストをなす一人の女性の孤独な心の機微を描いた『マリー・アントワネット』。それらの作品においても彼女たちは、やはり損なわれ、失われていくもの(に惹かれる運命)として、“ガーリーなるもの”を象徴している。いや、むしろソフィア・コッポラにとって“ガーリー”とは、損なわれ失われていくことが予感されているからこそ、得がたく魅力的であるようなものなのだろう。


ガーリー・カルチャーが、いわゆるトレンドとして華やかりし季節を迎えた1990年代は遠くに過ぎ、2000年代も最初の10年が幕を閉じた現在。今では活動の軸足を監督業に据え、来る新作『Somewhere』の制作も伝えられるソフィア・コッポラだが、しかし“ガーリー”の本質やリアリティを現在に変わらず伝えることができるアーティストを挙げるとしたら、それはやはり彼女を置いて他にいないだろう。なぜなら、ガーリー・カルチャーの芽生えのなかでアーティストとしての自我に目覚めた彼女にとって、“ガーリーなるもの”はけっして損なわれたり失われたりはしない、表現活動すべてにわたるタイムレスで普遍的な「指標」であるからに違いない。


(2009/1127)

『ニュー・ガーリーグラフィックス』(PIE BOOKS)より

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