2011年1月26日水曜日

2000年代の極私的“ビッチ”考……スリーター・キニー解散によせて

スリーター・キニーが無期限の活動休止を発表した。95年のデビュー・アルバム『Sleater-Kinney』から11年。“20世紀最後のガールズ・ロック・バンド”の、あまりに早すぎる終幕である。

彼女たちのホームページに掲載された活動休止のメッセージには、これまでバンドを支えてくれたファンやすべての人々に寄せた感謝の言葉が述べられている。けれど、その文面からは、今回の決断に関する直接的な理由を読み取ることは難しい。

ラスト・アルバムとなった昨年発表の7作目『ザ・ウッズ』。思い返せば、その完成直後のインタヴューでコリン・タッカーは、本作がこれまでの作品とは異質の内容に仕上がった理由に触れて、アルバムの制作過程でメンバー内にバンドの解散を考える局面があったことを語ってくれていた。


「一時期、もう解散しようかって話が流れてたこともあったのね。これまでずっと一緒にやってきたし、アルバムも何枚も出してるんだから、もう十分なんじゃないかって。同じことを繰り返したって仕方ないし、このままバンドとして続けていくには、バンドとして新たに生まれ変わるぐらいでないとダメだと思ったのよ。(略)それに、今では3人ともそれぞれ別のライフスタイルを送ってるし。私も今や4歳児の母親だし、母親業をやりながらロック・バンドをやるって、相当難しいことなのね(笑)。ただ、難しい状況だからこそ、表現者として前よりも焦点が定まってきたってこともあるし。昔なら、音楽やアートに好きなだけ没頭することができたけど、子育てしてるとそういうわけにもいかないから、逆にアートや音楽に少しでも時間を割くことができる状況に感謝できるようになったってことはあるかな……だから、音楽に対しても、わりと真剣な気持ちで臨むようになったというか……ごめん、うまく説明できないんだけど」

キャプテン・ビーフハートやクリームに感化されたと語る、サイケデリックで、フリー・ジャズ的なインプロヴィゼーションを展開するサウンド。そして「戦時下」を射抜く痛烈なメッセージを込めながら、寓話的な描写でこの世界の聖俗に光を照らすような感慨深いストーリーテリング。間違いなくバンドにとって最大の実験作であり冒険作となった『ザ・ウッズ』は、それまでのタイトで切れ味鋭いパンク・ロック・スタイルからすれば、なるほど「今まで足を踏み入れてなかった遠くの果てまで行っちゃったような感じ」だったのかもしれない。
解散の迷いを吹っ切るためには、「作品を聴いたリスナーのなかには失望を感じる人がいるかもしれない」というリスクを冒してまで臨む荒療治が彼女たちには必要だった(長年親しんだキル・ロック・スターズを離れてサブ・ポップへ移籍したのもそうした決意の表れだったのだろう)。その結果としての活動休止という選択に、あらためて彼女たちが下した決断の重さを実感するほかない。


機会があり90年代の作品やシーンを振り返るなかで、いわゆる「女性のロック・バンド」という存在がもう10年近く議題に上がっていないことを再確認した。もちろん個別には素晴らしい女性のロック・バンドは登場している。しかし、いわゆる「ライオット・ガール」の存在がクローズアップされた90年代の初頭以降、シーンを問わず個性的なソロ・アーティストが活躍を見せる反面、女性のロック・バンドが何かの争点として現象化した例は確認できない。

ブラットモービルやビキニ・キルに触発されて登場したスリーター・キニーは、その意味でそうした90年代の熱狂を知る最後の世代に属するバンドと言えるだろうし、結果的に彼女たちの11年間は、そのままシーンとしての女性ロック・バンドの「空白期」に当てはまることになる。

たとえば70年代のパンク・ムーヴメントがスリッツやレインコーツが登場する土壌を用意したように、90年代のグランジ/オルタナティヴ・シーンは、ライオット・ガールを旗印とするガールズ・ロック・バンドの台頭を導いた。

しかし、カート・コバーンの死やロラパルーザの開催中止に象徴されるオルタナティヴの終焉を契機に――つまりスリーター・キニーのデビューと入れ替わるように、ライオット・ガールはシーンとしての対外的な求心力を失い、アンダーグラウンドに潜行していくことになる(代わりにマッチョなヘヴィ・ロックが支配を強めていくのは皮肉な話)。


その背景には、たとえばル・ティグラ/元ビキニ・キルのキャスリーン・ハンナが「注意深くなりすぎて、リスクを背負って主張するっていう原点を忘れてしまった」と振り返るように、シーンが注目される弊害として方向性を見失っていったライオット・ガール側の変化も指摘できるのかもしれない。「ビキニ・キルで書いていた歌詞っていうのは、反対勢力としての『男性』に向けて書かれたものだったの。当時は、わたしと男性の怒りのぶつけ合いを目撃することが観客にとってポジティヴなことだと思っていたんだけど、でも徐々に、あの行為そのものが女性蔑視だったと感じるようになってきたのね。というのも、わたしは男性のみと対話していて、肝心の女性を疎外していたわけだから」というキャスリーンの述懐は、ライオット・ガールが本来、性差の対立をあおるものではなく、「Revolution Girl Style Now」というスローガンを掲げ、80年代の男性支配的だったハードコア/パンク・コミュニティ内における自らの居場所や表現する権利を要求する、きわめて建設的でポジティヴな主張を発端としていたことを再確認させる。

言うまでもなく、スリーター・キニーにとって「女性のロック・バンド」であることは、単なる事実以上になんらその存在理由を主張するものでも、ましてやその音楽を補強する「武器」でもない。たしかにフェミニズムは彼女たちを貫く重要な思想のひとつではあるが、そのサウンドが放つ圧倒的なダイナミズムの前では性差をめぐる議論はまったくナンセンスであり無効だ。もはや「女性のロック・バンド」であることそれだけで何かのカウンターや特異点でありえるほど事態は容易くなければ、そう信じるほど彼女たちはナイーヴではない。

だからこそ、なのか、しかしながら、というべきか、90年代が終わり、いわゆる「ロックンロール・リヴァイヴァル」というタームとともに、ストロークスやホワイト・ストライプスを筆頭に新しい世代のロック・バンドが大挙して登場したその顔ぶれのなかに「女性のロック・バンド」の存在がほとんどクローズアップされていない状況について、コリンが明らかな違和感を表明していたことはきわめて印象深い。「キャリーが言ってたけど『ロックンロールを救うバンドっていつもギターを弾く白人の男の子』って。すごく的を射てる表現だと思うわ。カート・コバーンにしてもそうだったし、ジャック・ホワイトやストロークスだってそう。音楽業界が売れると思うものの概念って何年経っても変わらないってことなのよね」。この、少し愚痴っぽくも聞こえるコリン/キャリーの一言はしかし、誕生から約半世紀の間にさまざまな変化や発展のフェーズを潜り抜けながらも、結局のところ一向に解消される様子のない「ロックンロール」の根源的な保守的性向の真実を突いている。

パンク・ムーヴメントやグランジ/オルタナティヴ・シーンのようには、2000年代のロックンロールの新たな波は「女性のロック・バンド」を引き上げなかった。その苛立ちは、ライオット・ガールに触発され、同時にそれがシーンとして退潮していくさまを目の当たりにしながら活動を続けてきた彼女たちにとって、相応にリアルなものだったはずだ。

繰り返すように、彼女たちの音楽に「女だから」とか「女なのに」といったエクスキューズは一切不要である(どころか矮小化するレッテルに他ならない)。しかし、それでもなお、いや、だからこそ彼女たちの内には、一方でライオット・ガールの理念を守り継ぐように、「女性のロック・バンド」であることの可能性を強く信じていた部分があったのではないか、と想像する。


どうにも派手さを欠くガールズ・バンド勢とは対照的に、ピーチズやMIAといったラディカルな個性を発揮するソロ・アーティストや、ヤー・ヤー・ヤーズのカレン・Oやビー・ユア・オウン・ペットのジェミナといった新世代のロック・シーンを象徴するフロントウーマンたち。あるいは、ジョアンナ・ニューサムやジョセフィン・フォスター、ココロジーやダイアン・クラーク……などタレント豊富なネオ・フォーク界のミューズ、そしてクリスティーナ・カーターやジェシカ・ライアンといったアンダーグラウンドなノイズ/エクスペリメンタル・シーンで輝く異能たち――。むしろ、全体を見ればたくさんの才能豊かな女性アーティストの存在を確認できるという矛盾した状況が、「女性のロック・バンド」が直面している事態の複雑さを物語っている。

もしかしたら彼女たちは、どこかでずっと孤独を感じていたのかもしれない。サーストン・ムーアやエディ・ヴェダーら重鎮から、地元オリンピア(現在はポートランド在住)や古巣キル・ロック・スターズをはじめ各地に点在する無数のインディ・バンドまで、シーンや世代を超えて絶大なリスペクトを受けるスリーター・キニー。しかし一方で、同世代の「女性のロック・バンド」という点では、孤軍奮闘とまでは言わないまでも、共闘したり議論を戦わすことのできるような盟友と呼べる存在が傍らにいなかったことが、彼女たちにとって最大の不幸だった、と言えるかもしれない。
それゆえ、あらゆる問題を、よくも悪くも常にバンド内に抱え、処理しなくてはならない局面が、彼女たちには多々あったのではないだろうか。その政治意識やインディペンデント精神を貫く活動姿勢が証明するように無類のタフネスを誇るバンドとはいえ、もしも、もしも万が一、そうしたストレスが、ある種の行きづまり感や停滞感をバンド内に芽生えさせる一因に結果的になってしまっていたのだとしたら、これ以上に残念なことはない。

『ザ・ウッズ』のラストを飾るナンバー“Night Light”に、こんなラインがある。「ああ小さな光/夜の闇の中でわたしのために輝く」。まさに暗闇に覆われたかのような9・11以降の世界で、彼女たちを照らす「小さな光」とは何なのか。今にして思えば、解散の予感を滲ませたようにも聞こえるコリンのその答えは、彼女たちにとってスリーター・キニーというバンドがいかに大きな存在だったのかを再確認させ、胸を打たれる。


「単純に、人生に対する希望みたいなものかな……それに、私自身、このバンドのことをすごく誇りに思ってるのね。この3人で一緒にうまくやってること、これまで一緒に作品を作り続けてきたこと、それに、作品に対してもすごく誇りに思ってるし……それが、今の自分達にとっての、自信というか、力にもなってるんじゃないかな。これまでこうしてなんとかやって来れたからこそ、未来に対しもきっと希望を抱いていけるのね。それに、たくさんの素晴らしいアーティストが自分達のことを応援してくれたりするし、その人達の活動に励まされてる部分もあるわね」


(2006/10)

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