ここで示される系譜とは、つまり、スーサイドとノー・ウェイヴを寄り道なく直線で結び、ソニック・ユースやスワンズが登場した「1982年」をスプリングボードに「2002年」のニューヨークへと一気にいたる、ユニークだが的を射たもので、「New York No Wave & The Next Generation」という作品コピーの通り、リディア・ランチ(ティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークス)やアート・リンゼイ(DNA)からサーストン・ムーアやマイケル・ギラを含むノー・ウェイヴ側と、前記のバンドやヤー・ヤー・ヤーズ、A.R.E.ウェポンズら2000年代側の双方の証言を辿りながら、ニューヨークの「裏史」的なアンダーグラウンドの源流が紐解かれていく。
笑えるのは、1980年代と1990年代が丸ごとバッサリ切り捨てられている点で、ノー・ウェイヴの「NO」たるゆえん(つまり「ノー・ウェイヴ以降」なんてものはないとされていた)を再確認すると同時に、そこ(つまりバッサリ切り捨てられた20年が意味するもの。たとえば1980年代以降のニューヨークの即興シーンを牽引してきたジョン・ゾーンとか)には制作者の立場や史観が明確に表れていて興味深い。
パンクとニュー・ウェイヴ/ポスト・パンクの端境で宙吊りにされたノー・ウェイヴを「歴史化」し、通説化したニューヨークのアンダーグラウンド・ミュージック史を反転させる。そして2000年代初頭のニューヨークを新たな「史観」の中で捉え直すことで、リヴァイヴァリズムの表層を越えたその実像に迫る。そうして導き出される両者の共通項や対立軸を手掛かりにニューヨークの隠された「血脈」を炙り出す作業こそ、『キル・ユア・アイドルズ』に託された眼目にほかならない。
もっとも、「2002年」のニューヨークといえばストロークスのブレイク直後の只中。その余波から警戒心も作用してか、ノー・ウェイヴ側が2000年代側を見る目は批判的・懐疑的なトーンが大半を占めている。一方で2000年代側も、そうしたシーンの浮き足立った空気を敏感に感じ取ってか、どこか疑心暗鬼的だったり、他のバンドに対する批判・中傷的な発言が口をついたり、なんとなくピリピリしている。また、おそらく制作者もそういう立場なんだろう、両者の共通項を探るより、対立軸を鮮明にする方向に作品の主軸が置かれた恣意的な編集を感じる瞬間も多々あり。
なかでもリディア・ランチが舌鋒鋭い。2000年代側がノー・ウェイヴへのリスペクトや過去の音楽からの影響を公言するのに対し、「(ノー・ウェイヴ)当時の知的概念や音楽のヴィジョンや多様性のリヴァイヴァルが起きたわけではない。より均質的で高級化していて柔和になっている」「懐古趣味をもとに新しいものを創造しようとする人は知力がまったくない人だと思う」と語るリディア・ランチは、両者の間に明確な一線を引く。
ティーンエイジ・ジーザスの結成に際して「私が受けたすべての影響を排除した。何も参考にしない音楽を創ることが私たちの目標だった」という発言は、大半がまともな演奏経験はゼロに等しいシロウト同然の非音楽家の集まりだったノー・ウェイヴの性格と同時に、パンクでもニュー・ウェイヴ/ポスト・パンクでもなかったノー・ウェイヴの「NO」たる特異性を端的に物語っている。
加えて言えば、2006年公開(本国)の作品として、リポートの対象となる2000年代の被写体が「2002年」というのはやはり、時代のズレ感が否めない。ブラック・ダイスやライアーズは現在よりアルバム2枚遡る旧編成だし、ヤー・ヤー・ヤーズはファースト『フィーヴァー・トゥ・テル』のリリース前44年ないし5年のタイムラグはニューヨークならずとも大きく、かたや検証材料が揃っているノー・ウェイヴに対し、被写体となるバンドのセレクトも含めて2000年代の描写がリアルタイムの実相とかけ離れている部分は、無視できない本作の弱みだろう。ノー・ウェイヴ側と2000年代側との微妙な温度差は、そんなところにも起因しているのではないだろうか(「2002年」の時点で結論を引き出すには、両陣営・制作者も含め三者とも時期尚早だった、というか)。
「退屈に対してNO、画一性に対してNO、気取りに対してNO。何でもいいんだ。とにかくあらゆるムカつくことに対してNOを突きつけるってことだったと思う。あの頃の僕たちは、ただ自分たちのリアルな気持ちを表現したかっただけなんだ。検閲なしに。荒々しすぎるとか、暴力的すぎるとか、そんなこと誰にも言わせずにやってみせる覚悟だったよ」。そう語っていたのはジェームス・チャンスだが、なるほど確かにノー・ウェイヴの本懐とは、リディア・ランチも説くようにある種の「否定の意思」なのかもしれない。
しかし一方で、「音楽の基本要素を根本から変えてやろうと考えたんだ」と語るアート・リンゼイの言葉に共鳴するように、そこに音楽的な可能性を見出したソニック・ユースやスワンズらによって、ノー・ウェイヴは「肯定的」に読み替えられていく(ソニック・ユースの初期のスローガンが「混沌こそ未来」だったことを思い出せ。あるいはグレン・ブランカのギター・オーケストラに参加し自らもノー・ウェイヴの最後尾に属していたサーストンは、同時にその限界も感じ取っていたのかもしれない)。結果、音楽的記憶としてのノー・ウェイヴは、その遺伝子を彼らの音楽の中に冷凍保存されたまま生きながらえ、2000年代を迎えた20余年後のニューヨークで解凍された。それはオリジナルの世代から見ればまったくの別物かもしれないが、そこには2000年代ならではの解釈でノー・ウェイヴを「更新」する(ある種の神格化・伝説化された音楽的記憶の内から解放する)知性があり、『キル・ユア・アイドルズ』はその萌芽を克明に記録している。
映画の中でも焦点が当てられているように、ソニック・ユースを介してノー・ウェイヴが2000年代初頭のニューヨークのバンドに与えた影響は計り知れなく大きい。“2000年代の『No New York』”とも銘打たれるブラック・ダイス(現ソフト・サークル)のヒシャムが監修したコンピレーション『They Keep Me Smiling』(アニマル・コレクティヴ、ギャング・ギャング・ダンス、ホワイト・マジックetc)を見れば、そこには確かに”2000年代のノー・ウェイヴ的状況”とも言うべき「シーン」の存在が浮かび上がる。
あるいは、もう一人の伝道師=マイケル・ギラを介して2000年代を俯瞰すれば、そこからデヴェンドラ・バンハート(元はギラ主宰Young Godの秘蔵っ子)も含みうる形でフリー(ク)・フォークへと至る系譜も導き出せる。さらに、昨年サーストンがキュレイターを務めたオール・トゥモローズ・パーティーズ(※)のメンツをそこに接続して、「ポスト・ノー・ウェイヴ」としての2000年代の新たな見取り図を描くことも可能だろう。
「今は世界全体がノー・ウェイヴの舞台なんだと思う」と語るのは、3年前からブルックリンで開催されているノイズ・フェス「No Fun Festival」(※)の主催者であり、自らもミュージシャンであるカルロス・ジフォーニ。ニューヨークのみならずヨーロッパや日本から錚々たる顔ぶれが集うラインナップを見れば、なるほど確かにノー・ウェイヴ(的なるもの)が同時多発的にアンダーグラウンドで顕在化しつつあるという意見も頷ける。もはやノー・ウェイヴはニューヨークでのみ磁場を持つ音楽的記憶ではない。2000年代の至る場面にそれは遍在し、その解凍された遺伝子の奔流を確認できる。
ポスト・ノー・ウェイヴはアンダーグラウンドを縦横無尽に疾駆する。であるならばその担い手たちもまた、自ずと神出鬼没に創作活動を錯綜させる。そう考えたとき真っ先に名前が挙がるのが、たとえばクリス・コルサーノ。
クリス・コルサーノと言えば、最近ではビョークの『ヴォルタ』(“アース・イントゥルーダーズ”)に参加……と言っても多くにはあまりピンとこないかもしれないが、その男の履歴は、たとえばビョークの歴代共演者リストの中でもひときわ異彩を放っている。かたやサーストンやポール・フラーティーらフリー/ジャズ界隈の猛者相手に腕を振るう「No Fun Festival」常連の鬼才ドラマーにして、かたやサンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マンやシックス・オルガンズ・オブ・アドミッタンス、ヴァイブラカテドラル・オーケストラなどフリー(ク)・フォーク/アヴァン・ロック周辺の重要グループと流動的にコネクトする2000年代アンダーグラウンドのキーパーソン。一方、ソロ名義ではドラムをはじめサックスやストリングスやキーボードやマイクロフォンを操り、一人サン・シティ・ガールズのデモ音源みたいな呪術的セッションを繰り広げるマルチ・インストゥルメンタリストにして、果てはビョークの客演まで務めてしまうという(『ヴォルタ』ツアーにも同行が決定。もっとも肝心の“アース~”はコルサーノ&コノノ№1&ティンバランドの相乗効果がややトゥーマッチにも感じたが)、その活動形態・範囲はきわめて多岐にわたる。
フィールドも共演相手も選ばない徹底してフリーなスタイルのルーツには、小さい頃からクリームやツェッペリンをラジオで聴き漁り、メタル~パンクとへて高校時代にはミニットメンに心酔しバンドを始めたというありふれた音楽遍歴の一方、コントーションズでドラムを叩いていた(!)こともある兄の関係でコルトレーンやアイラーなどのフリー・ジャズ、そしてノー・ウェイヴのレコードを聴く機会に恵まれたという独特な音楽環境が影響している。兄のドラムを叩き始めたのが13歳の時(ビョークも13歳でパンク・バンドを結成したときはドラマーだったと聞く。というかK.U.K.L.なんて明らかにDNAを意識しているわけで)。もっとも影響を受けたドラマーはミッチ・ミッチェル(ジミ・ヘンドリックス)と語り、かたやシックス・オルガンズのベン・チェイズニーには「彼がラップトップの前に座れば最先端のエレクトロニック・アーティストにも勝る斬新なリズムを創り出すことができるだろうし、砂漠の中であれば岩と砂と亀の甲羅と自らの拳を使って古代の精霊を召喚することもできるだろう」とも評されるその特異なありようは、そのまま現在の彼の活動軌跡と重ねるものであり、すなわち2000年代のアンダーグラウンドの森羅万象を含むポスト・ノー・ウェイヴ(文字通り「血筋」的にもまさに)的な縮図の一端をそこには垣間見ることができる(※ちなみにコルサーノは、フリー(ク)・フォークという呼称の語源とも言える「New Weird America」について「音楽的なタームと定義するにはあまりに多様性を含むものであり、むしろ地理的なタームとするのがふさわしい」と見解を述べている)。
そうしたある種の折衷主義は、彼が関わる様々なユニットに集う顔ぶれにも表れている。サウンド同様、そこで交わる才能も多種多様であり、たとえばサーストンをはじめノー・ネック・ブルース・バンドやハラランデビスのサポート奏者が集うドリーム/アクティオン・ユニット、ドラムからベースにコンバートするロック・デュオ=ヴァンパイア・ベルトに女性エレクトロ奏者のジェシカ・ライアンakaキャントを迎えたヴァンパイア・キャント、前記のカルロスに加えマウサスやヘアー・ポリスのメンバーなど「No Fun」常連組が集まるデス・ユニット、盟友フラーティーとのアヴァン・ジャズ・カルテット=コールド・ブリーク・ヒートなど、他にも単発的なコラボレーションやステージでの客演を含めると、そこに広がる人脈の系統図は00年代のアンダーグラウンド・シーンを広範囲に覆う。
近作では、マジック・マーカーズ(最近ではコルサーノやJがドラムで客演している光景をよく見かける)のピート・ノーラン(この男もドラマーだ)やスカルフラワー/サンルーフ!のマシュー・ボワー&ジョン・ゴッドバートも参加したヴァイブラカテドラルの『Wisdom Thunderbolt』が秀逸。シャーマニックなジャムとエレクトロニクスが渾然一体なる恍惚的な音のうねりの中で、勇壮に響き渡るコルサーノのドラムを聴くことができる。
「大勢の変人が精神浄化をするため、ニューヨークという汚くて貧しい街へやってきた」とは、ノー・ウェイヴ当時を回想したリディアの言葉だが、そういう意味ではなるほど、2000年代を迎えてニューヨーク周辺のアンダーグラウンドにはふたたび大勢の「変人」たちが棲み付き始めたような禍々しい活気を感じる。コルサーノ、また同じく『ヴォルタ』に参加したアントニーやライトニング・ボルトのブライアン・チッペンデールもしかり。そしてその変人たちの棲家は、確実に世界中へと拡散を見せている(「精神浄化」というキーワードは2000年代以降を紐解く案外重要なキーワードかもしれない)。
(2007/07)
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