ジオロジストことブライアン・ウェイツに訊く、アニマル・コレクティヴ最新作『メリウェザー・ポスト・パヴィリオン』について
●前作の『ストロベリー・ジャム』は最高にハイになれる、とろけるような高揚感と陶酔感に包まれたアルバムでしたが、対して今回の『メリーウェザー・ポスト・パヴィリオン』は、メロディや歌声もどこか瞑想的というか、穏やかなトーンやニュアンスが印象的です。
「たしかに、今回のアルバムのほうが穏やかで落ち着いた、メロウな感じで……歌詞の内容にしても歌い方にしても、物思いに耽ってるような感じというかね。内容的にも、自分達の内面を奥深くまで掘り下げたものになってる。自分達が今、人生のどういう地点に立ってるのか、あるいは、そこで生じる責任についてなんか……ミュージシャンを本職にすることついて、バンドとして年がら年中ツアーに出て、スタジオに篭もってる生活をしながらも、その一方で結婚して家庭も持って、そうした状況の中でどうやってバランスを取りながら、家族に対して、自分自身に対して責任を果たしていくかってことをテーマにしてる曲が多い。結婚して家庭を持ったことで、前回の『ストロベリー・ジャム』よりも控えめというか、サウンド的にも、穏やかで流れてくような感じで、空間的に広がりがあって……それとまあ、自分達の心境としても、今回はわりとリラックスして幸せなモードだったというか。だからまあ、おとなしく控えめな音になったっていっても、寂しいって感じはしないよね。むしろリラックスしてメロウな感じっていうか、レコーディングしてるときの自分達の心境がまさにそんな感じだったし。今回のアルバムは作るのもラクだったし、スタジオでの作業もすごくスムーズにいって、現場の雰囲気もよかったし、実際、作っててすごく楽しめたしさ。バンド内のリラックスした空気が、アルバムの音にも出てると思うし」
●前作『ストロベリー・ジャム』と今作の違いについては、どのように捉えていますか。
「ライヴのフィーリングを反映するってことは、今回のアルバムにとっても重要だったし、たぶん今まで自分達が作ってきたすべての作品についても当てはまると思うんだ。ただ、『ストロベリー・ジャム』のときは、ライヴの空気を作品の中に落とし込むっていう一点に集中してたのが、今回はライヴのエネルギーや空気感を捉えつつも、その背景に音で風景を描いていきたかったというか。イメージとしては野外の設定で、曲を聴いたときに外の空気や風とか、気温や天気の変化とか、小雨が降ったりビーチに出る日があったり、ラグーンがあったり、リラックスできる風景を描いていきたかったんだ」
●前作では「典型的なギター・サウンドは避けたかった」と話していて、パーカッシヴなリズムや、ミニマル・テクノ/ハウスの影響がふんだんに散りばめられていましたが、今作では、同じエレクトロニックでもアンビエントに近いというか、メロディやビートやアンサンブルも、よりアブストラクトなスタイルへと前作からグラデーションを遂げたような印象を受けます。音楽的にはどのようなイメージや全体像をもってレコーディングに臨まれたのでしょう? ちなみに前作のレコーディングでは、“彫りの深いサウンド”という言葉をよく使っていた聞きましたが、そうしたキーワードみたいなものを今作についても挙げるとすれば?
「まず、最初の質問に関してだけど、ミニマル・テクノやダンスやエレクトロニック・ミュージックの影響は自分達のどの作品にもあると思うし、個人的には、今回のアルバムには過去何枚かの作品の中で一番エレクトロニック色が強く出てると思うよ。でもまあ、たしかにエレクトロニック・ミュージックだの、アンビエントだの、できるだけいろんな音を自分達の音楽に取り入れようとはしてるし。前回よりもアブストラクトになってるんじゃないかって意見にしても、聴く人によって意見が分れるところだけど、作ってる本人達にとっては近すぎてわかんないっていうのが正直なところかな。前回よりもポップだの、ルースだの、アブストラクトだのって、聴く人がそれぞれで判断すればいいだけの話だし、ポップと取ろうがアブストラクトと取ろうが結局のところ同じなんだよ。っていうのも、ポップなのもアブストラクトなのもタイトだったり緩かったり他にもいろいろ、自分達の音楽に全部備わってるものだから。だから、曲を聴いた人がそのどれに一番強く反応したかってことで判断してくれればいいし。それで2番目の質問に関してだけど、前の質問で言ったように、音でいろんな風景を描いていくっていうのかな……それで、アンビエントって印象が強いんじゃないかな。まあ、曲ごとにそれぞれ風景も設定も違ってるんだけど、基本になるトーンとしては、自然の環境というか、前回の『ストロベリー・ジャム』がSFとか、地球以外の惑星の音だとしたら、今度のアルバムはナチュラルでオーガニックなサウンドになってるよね」
●そうした自然環境を取り入れたオーガニックなサウンドに惹かれたのは?
「曲が求めるものに合わせてたら自然にこうなったって感じだよね。100%エレクトロニックでもなければ、100%アコースティックでもないっていう、その境界線に存在するような音にしよう……ってことを、アルバム作りの初期の段階で話してはいたんだ。エレクトロニック機材の対極にあるアコースティックな楽器を使うことで、ナチュラルで自然な音に近づいていって、そこから屋外の空気感というか、自分達が子供の頃に体験した自然環境に近い音のイメージが出てきたんだよ。というか、今回の曲のイメージがまさにそんな感じだったんだ。そこに無理に他のイメージを付け足して、余計な方向づけをするよりは、曲の持ってるイメージにそのまま従っていったって感じだよね。自分達が頭の中で何かイメージを描くよりも、曲が本来持っている性質をそのまま引き出していっただけなんだ」
「毎回、多少なりとも映画や映像から影響を受けてたりするんだけど……前回の流行りが『ブルー・プラネット』で、あれは海だから、自然環境の一部ともいえるんだけど、地上に住む僕達人間からしたら海の中に棲む生き物ってほとんどエイリアンに近いというか、地球外生物みたいであって……で、前回の『ストロベリー・ジャム』の方向性が、SFとか地球以外の場所っていうイメージがあったから、『ブルー・プラネット』の映像が見事にハマったんだ。で、今回の場合は、昔のミュージカル映画をよく観てたね、『スイング・ホテル』とか『マイアミの月』とかさ。今回のアルバムって、動きとしてはクラシック・バレエみたいなさ、優雅にくるくる舞ってくような……ダンスはダンスなんだけど、クラブやテクノとはまた違った、もっといろんな種類の広い意味でのダンス・ミュージックってイメージがあったんだよね」
●前作同様、今作もライヴで演奏を重ねた末にレコーディングされた楽曲が多く収録されています。アニコレにとってライヴは、単なる演奏の場という以上に作曲や創作のプロセスの一部であるといえると思いますが、そうした観点から、あなた達がライヴという空間や瞬間に期待するものとはどのようなものなのでしょうか。
「ものすごく重要な場所だね。スタジオよりもライヴで曲を作ってるようなものだし、まずはライヴで演奏してから半年ぐらいいろいろ試して、それからようやくスタジオに入ってレコーディングするっていうプロセスを取ってるんだ。それにライヴは曲との関係性を築いていく場でもあって、ライヴを重ねることで曲を自分達のものにしていくんだよ。繰り返し演奏することでその曲の本質が見えてくるっていうのかな……ステージで演奏を重ねるにつれて、それまで気づかなかったイメージが見えてきたり、あるいは感情が芽生えてきたり、曲とのあいだに新たな回路が開けてくるんだよ。それと同時に、自分達の中の回路もどんどん開いていくから、新たなアイディアが浮かんだらどんどん付け足しり変えていったり、そうやって曲とのコミュニケーションを取るための場がライヴなんだよ。ステージの上で何百回も曲を演奏することで、曲と自分達との関係が強化されていく……というか、そうすることでしか曲の本当の部分の本質に迫ることはできないんじゃないかって気がする。ただ、ライヴをもとにアルバムを作った後も、ライヴによってさらに曲を進化させていくわけで、アルバムのバージョンが必ずしも完結編ってわけじゃない。あくまでも数あるバージョンのうちの一つでしかないんだよ」
●そうした意味で、今作の楽曲は、その誕生から完成までのプロセスの間にどんなマジックがありましたか。
「山ほどあるよ。いつもライヴでさんざん新曲を演奏してからスタジオに入るってパターンなんで、スタジオに入るときにはすでに自分達の中で曲をどういうふうにプロデュースしたいのか大まかなイメージはできていて。でまあ、今回もそんな感じで、具体的なサウンドは一切決めずにスタジオに入ったんだけど、レコーディング・ルームに向かう途中の廊下を歩いてるときに、自分達の足音を聞いて、全体にエコーがかかってすごく自然な響きだなって思ってさ。それでパーカッションとか、わざわざレコーディング・ルームの外出て、廊下で音を録ってたりするんだ。実際、このアルバムの中に入ってるリヴァーブとかエコーの大半は、コンピューターとかで人工的に作り出したものじゃなくて、自然の音響効果をそのまま利用してるんだ。レコーディング・ルームに向かう途中の、あの廊下に響くあの音が、今回のアルバムの曲を繋ぐサウンドになってる……それが今思いつくマジックが起きた瞬間かな。しかも、レコーディングの初日に起こった出来事で、レコーディング・ルームに向かう途中に、自分達の足音を聞いて『あ!』って閃いたんだよ」
●ライヴ作品も含めると、今作で9作目のアルバムになります。これまでのキャリアを振り返ってみて、あるいは自分達が創り上げてきた音楽については、どんな手応えや実感がありますか。
「これまでの作品を振り返ったとき、自分の中では、どこかのゴールを目指して一本の線で繋がってるっていうよりは、一つ一つの作品が点になって、そのときそのときの自分達の置かれた状況とか心の状態を示してるって感じなんだ。だから、自分が過ごした20代っていう時間を振り返るようなもので、当時のアルバムを聴いたとき、『21歳でNYに住んでだときってこんな感じだったよなあ』とか、『アメリカ中をツアーして廻ってた時期だよなあ』とか、自分のこれまでの歴史を振り返るような感じなんだ。『あの頃、あのときの自分達の音はこうだよな、これ以外に表現しようがないよな』っていう、そんな感じだよね。今は自分達もあの頃とは違う人間になったし、大人になって、それだけ責任も増えてきてる。だから、自分の過去のアルバムとか聴くと、『ああ、自分が若いときってこうだったよなあ』って、ものすごくリアルに蘇ってくるんだ」
●バンドの形態も流動的で、音楽的にもアヴァンギャルドで不定形なものをやっていた1stや2ndの頃と比べると、『フィールズ』以降、バンドとしても音楽的にも、方向性がある程度定まってきたというか、いわば「型」のようなものができつつあるというか、ある種の安定期にあるのかな、という印象も受けますが。それとも、まだまだ試行錯誤してる、変態の過程の途中という感じですか。
「まだまだ発展途上の段階にあると思いたいけどね。まだ若いんだし、メンバーの中にはまだ30歳になってないのもいるからね。もしも自分達の方向性が見えちゃって、ここから先はこっちに行くしかないってことになったら、おそろしく退屈だろうし、この先どっちに行くかわかんないからこそ面白いわけで、毎回、自分達の型を壊しては作り直す作業をしていきたいね。それがたとえアヴァンギャルドな形で出ようが、ポップな形で出ようが、結局のところ同じっていうか、アヴァンギャルドな要素もポップな要素も、どちらももともと自分達の音楽の要素として備わってるものだから。メロディとか曲の構成とかあきらかにポップ・ミュージックの型を受け継いでるけど、それがリスナーにとってわかりやすい形で現われてるのか、そうでないかの違いでしかないんだよね。曲作りに関しても、ポップ・ミュージックと同じで普通にメロディから始まってるし、そうやって出来たメロディをどうプロデュースしていくかなんだよね。今回はこれがこういう形で現われてるけど、今後またアヴァンギャルドな方向に振り切れるかもしれないし、もっと実験的な方向に行くかもしれないし、そのときになって自分達がどう感じてるかによるよね。そうやって、毎回形を変えていくのが好きだし、それがうちのバンドのやり方にも合ってると思うんだ」
●そう考えると、ポップ・ミュージック的な方向へと創作の舵を大きく切った『フィールズ』という作品は、あなた達のキャリアの上で非常に大きな転機だったのでは、と想像しますが。
「いや、ポップ・ミュージックの要素っていうのは最初からあったものだと思うんだよ。それにどれだけノイズを足していくか、変な音にしてくかっていう、その匙加減が違ってるだけで。ただまあ、それまでのまだ20代の最初の頃は、たとえ元曲がどんなにストレートなポップだとしても、プロデュースの段階で極端な方向に振り切れずにはいられないみたいな、自分達でもコントロールの利かないところがあったけど、それって、まさに20代初期の頃の自分達のライフスタイルなり精神状態がそのまま現われてると思うんだよ。ハードで、ノイジーで、喧騒に満ちてて、不健康極まりない上に、人間関係もぐっちゃぐちゃっていう、それが音にも出てるよね。生活も荒れてるなら音も荒れてるっていうさ。それが『フィールズ』の頃から、自分達の人生がいい方向に向かい始めたっていうか、それぞれ真剣なパートナーを見つけて、みんな今でもそのパートナーと続いてて、結婚とかしてるわけだからね。それと『フィールズ』を作ってる時期に、お互い別々の街に住み始めたこともあって、それがきっかけでバンド内の絆がさらに深まったっていうのもあるし、会えない時間が多いからこそお互いの存在の有り難味を実感するようになっていうかな……ほんと、『フィールズ』の頃から、自分達の人生がシンプルになってったっていうかな、憑き物が取れたっていうか、ようやくリラックスして人生を楽しめるようになってきたんだ。その結果、『フィールズ』を境に、音が変化し出したってことはあるのかもしれないね」
●例えばデイヴは、自分にとって音楽とは「日常生活からの逃避、自分を解放する手段」と話していましたが、そうした感覚は、あなた達がポップ・ミュージックに惹かれる理由、あるいはそこに求めるものとも密接に関係しているといえたりするのでしょうか。
「いや、それはポップ・ミュージックっていうよりも、サイケデリック・ミュージックと通じるところなんじゃないかな。っていうか、そもそも自分達の音楽が逃避だとは思ってないんだよね。むしろ自分達なりに現実と葛藤した結果がこの音であるというか、自分達がこの人生で経験したものがそのまま音に出てると思うから。そこには音の中に我を忘れて没頭する感覚なんかも含まれるし、それなんか逃避に近いとも思うけど、だからって、現実から逃げたいわけじゃないんだ。ただここではないどこかに行きたいだけなんだよね……音楽が自分達をここではないどこかに連れてってくれるというか。そういう意味で、サイケデリック・ミュージックに通じるとは思うけど、だからって、60年代のレトロなサイケデリック・ミュージックをそのまま再現したいわけじゃないし。音楽が自分の脳味噌や神経回路に作用して、自分が普段目にしているのとは違ったどんな風景を見せてくれるんだろうっていう、そこに興味があるんだ。だから、日常からの逃避を願ってるのとはまた違う。少なくとも、今は幸せな人生を歩んでるし、そこから逃れる理由も見当たらないしさ。ただ同時に、音楽が鳴ってる何分間か間に、別世界にトリップする感覚にすごく惹かれるというか、それってポップ・ミュージックよりもサイケデリック・ミュージックに近い感覚だと思うんだよ」
●以前に僕はアニコレの音楽の印象について「時代に毒されていない音楽だな」とパンダ・ベアに話したのですが。大統領の交代と世界的な金融危機――今、世界はその価値観やそれを支える秩序やシステムの大きな転換点を迎えているわけですけど、これからアニコレの音楽はどうなっていくのかな?と。やはりそれはある種の逃避手段であり続けるのか、それとも、毒と希望を併せ呑みながら混沌とした日常や時代模様を映し出すような音楽となるのか?
「これはだいぶ前に話し合ったことなんだけど、バンドとして、政治についてあえて取り上げようとは思わないんだ。もちろん、一個人として世の中や政治に対する感情なり意見はあるけど、必ずしもメンバー全員の関心や意見が一致してるとは限らないわけで、政治や社会的なメッセージを無理に取り上げるのはやめようってことを、ずっと前にメンバーの中で話し合って決めてるんだよ。もちろん、すごく個人的で抽象的な形で、自分達の政治に対する意見が音に反映されてるってことはあるにせよ……。ただ、もしも何かのメッセージを伝えていくのなら、自分よりも大きな政治や社会について語っていくよりも、自分達のことを語っていくのが一番誠実なやり方なんじゃないかって気がするんだ。もともと自分達の音楽って、視点が内向きというか、内へ内へ向かう性質のものだと思うんだよ。1人の人間としての自分の内面を掘り下げたときに、ひとりひとりが自分達の日常生活や人生にどう接しているのかを捉えたもので、どこまでいっても自分なんだよ。音楽を通して、そうして自分達の感情なり経験を、他の誰かとも共有できるかもしれないっていう、そういうスタンスなんだよね。自分達の外側で何が起こってるか伝えるよりも、もっと人間から人間へダイレクトに伝えていく方法を取ってる。ただ、そうは言ったものの、世界が今大きな転換期にあることは事実だし、先がどうなるかわからない時代を自分達は生きているわけで、今後、そうしたものを自然に反映していく方法を見つけるって可能性もなきにしろあらずだけど、今のところ積極的にそれをしようとは思わないね」
「いや、うちのバンドに関してそういう問題はないんじゃないかな。紛れもない今の現代の音をやってるし、常に先を見てるから。新しい音楽が生まれる可能性はまだまだ無限にあるような気がするし、少なくとも自分達にとって新鮮なサウンドを見つけていくってことが大事なわけで、それに関しては妥協せずに挑んでいく覚悟ができてるし。ただ、最近のサイケデリックっぽいことをやってるバンドって、どれも40年前の音を追っかけてるだけで、本質はそこじゃないだろうって感じだけど。あの頃のサイケデリック・ミュージックの何が素晴らしいかって、音楽もあるけど、時代の先を行くっていうその姿勢であって、ベクトルがまったく逆なんだよね。自分達は、過去の音楽そのものよりも、その精神性というか、常に未来を見ていく姿勢に影響を受けて、そこに刺激を受けてるんだよ」
●同じような理由で、ローカルな音楽シーンの特色が失われつつある……という意見は? ツアーで世界中を周ってみて、何か感じるようなことは?
「たしかに、ポップ・ミュージックとか、自分達がやってるようなジャンルの音楽に関してはそうだね。ただ、こないだも南米に行ってきたばかりで、帰りにトルコとか地中海あたりも寄ったりして、そういうところにはやっぱりその土地ごとの音楽がいまだに生き生きと根づいてたりするしさ。どんなに他の国の情報が入ってきてるとはいえ、やっぱりその土地ごとのローカル色っていうのがあるし、他からの文化を取り入れるにしても、ちゃんと自分達の土地のカラーも入ってるっていう。ただ、欧米を中心にした若者のための音楽とか、アンダーグラウンド・ミュージックの世界では、ローカル色も何もなくなって、英語圏中心のロックンロールってことで均一化されつつあるのかもしれないね。自分達も、00年ぐらいにブラックダイスやギャング・ギャング・ダンスとか出てきたときに、お互い全然違う音をやってるのにNYのサウンドってことで一括りにされたりとか。でも、それぞれのバンドが独自のサウンドをやってるし、『お互いに尊敬はしてるけど、うちと君んとこの音は違うよね』って自負してるし、そのへんの自覚もはっきりしてるから。もしもローカル・シーンってことで、どのバンドもなあなあで似たような音になっちゃったら、その瞬間から一切の興味が失せるし。それがいやだから、今までシーンってものに、あえて関わり合いを持たないようにしてきたんだよ」
●最後に、今回のアルバムは、今という時代のどんな空気が、そしてそこで生活する自分達のどんな姿が投影されているといえると思いますか。
「何だろう……もしかして、もしかして、たぶん、世界経済ってことが関係してるのかもね。実際、曲を書いたのは一年半ぐらい前で、世界経済が危機的状況に陥る前だったんだけど、アルバムの曲のいくつかで歌ってることとか、あるいは個人の関心として、家計を支えていくにはどうしたらいいのかっていうことがあって。こういう不安定な立場の中で、どうやってクリエイティヴな時間を作っていくのかっていう、あるいは家族と一緒に過ごす時間を作っていくかってことも……っていうのも、自分達の場合、家族を養っていくためには、家から離れて長いことツアーに出たりしなくちゃいけないから。だから、大銀行や証券会社が破綻して世界経済が大きく変化していく中で、普通に平均的な一市民として今後どうやって家族を養っていこうっていう葛藤というか。クリエイション的な部分で100%納得できるピュアな環境を絶対的に死守しながら、その一方で、子供や家族に対して責任を果たしていくにはどうしたらいいのかっていう。そうした家族に対する責任や将来についての不安が、世界経済やそれを取り巻く不安と無意識のうちにリンクしてるってことはあるのかもね……って」
●タイトルの「メリーウェザー・ポスト・パヴィリオン」は実在のコンサート会場から取られたものだそうですが、その場所に特別な思い入れがあるんですか?
「メリーウェザー・ポスト・パヴィリオンっていうのは、メリーランドにある野外音楽広場みたいなところで、子供の頃そこでコンサート観たりとかしてたんだよ。すごく馴染みのある場所っていうわけじゃないけど、今回のアルバムの雰囲気が野外の空間に通じるところがあったから、野外の、空間的にもでっかく開けたところで鳴ってる音楽のイメージから、この会場名をタイトルにしたんだ。子供の頃、だだっ広い野外で音楽を聴いたときのあの感覚を象徴するものとして……あと、他にもいろいろ理由があって、語呂がいいから単語3文字がいいねってことを話をしてたり、あと、“メリーウェザー”って言葉の中に、“ウェザー”って“天気”を象徴する言葉が入ってるのも気に入ったし、さっきも行ったけど、曲ごとにいろんな天候を想定してたりしたから……とまあ、理由はいろいろあるけど、このタイトルが一番しっくりくるんじゃないかってことで落ち着いたんだよ」
●タイトルの「メリーウェザー・ポスト・パヴィリオン」は実在のコンサート会場から取られたものだそうですが、その場所に特別な思い入れがあるんですか?
「メリーウェザー・ポスト・パヴィリオンっていうのは、メリーランドにある野外音楽広場みたいなところで、子供の頃そこでコンサート観たりとかしてたんだよ。すごく馴染みのある場所っていうわけじゃないけど、今回のアルバムの雰囲気が野外の空間に通じるところがあったから、野外の、空間的にもでっかく開けたところで鳴ってる音楽のイメージから、この会場名をタイトルにしたんだ。子供の頃、だだっ広い野外で音楽を聴いたときのあの感覚を象徴するものとして……あと、他にもいろいろ理由があって、語呂がいいから単語3文字がいいねってことを話をしてたり、あと、“メリーウェザー”って言葉の中に、“ウェザー”って“天気”を象徴する言葉が入ってるのも気に入ったし、さっきも行ったけど、曲ごとにいろんな天候を想定してたりしたから……とまあ、理由はいろいろあるけど、このタイトルが一番しっくりくるんじゃないかってことで落ち着いたんだよ」
(2009/04)
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