2011年2月21日月曜日

極私的2000年代考(仮)……Battles

2004年に、それぞれ異なるレーベルからリリースされた3枚のEP『TRAS』(Cold Sweat)『EP C』(Monitor)『B EP』(Dim Mak)、そしてWARPと契約し発表されたファースト・アルバム『ミラード』のブレイクによって、2000年代中盤のニューヨークを舞台に一躍ワールドワイドな存在へと頭角を現したバトルス。しかし彼らとは実のところ、正確には2000年代出身のバンドではない。

元ヘルメット/現トマホークのジョン・ステイニアー、元ドン・キャバレロ/ストーム&ストレスのイアン・ウィリアムスはいわずもがな、両者の直系にあたる元リンクスのデイヴ・コノプカ、そしてフリー・ジャズの巨匠アンソニー・ブラクストンを父に持ち、ローファイかつ実験的なソロ作を手掛けるタイヨンダイ・ブラクストン――というメンバー個々の来歴は、むしろ1990年代のアメリカン・インディに彼らが音楽的な出自やバックグラウンドを多く参照する事実を物語る。すなわちそれは、ハードコア~ポスト・ハードコアをその音楽的な系譜を指す縦軸とし、ポスト・ロック~マス・ロックをその音楽的な同時代性を示す横軸とする広義のインストゥルメンタル・ロックと、彼らの座標をひとまず位置付けることが可能だろう。

ハードコアを直接/間接的なルーツに抱えるインストゥルメンタル・ロック(ヴォーカル・パートも含む)の台頭は、バトルスに限らず1990年代以降のアメリカン・インディにおけるひとつの典型といえる。バストロから派生したジョン・マッケンタイアのガスター・デル・ソル~トータスを筆頭に、同じく1980年代末のルイヴィル発のスリントを音楽的な源流とするロダンやシッピング・ニュース、アンワウンド、シカゴのキンセラ兄弟率いるジョーン・オブ・アークetc、元ゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラー周辺……最近でいえば、31ノッツや元ストーム&ストレスのコプティック・ライト、あるいはタイプは異なるがマーズ・ヴォルタからライトニング・ボルトやヘラにいたるまで、その例は枚挙に暇がない。

そして、いうまでもなくその「ポスト・ハードコアとしてのインストゥルメンタル・ロック」の本家に属するヘルメットやドンキャバを母体に含むバトルスは、つまりそうした「典型」をおのずとメタ的に内在しながら、むしろ禁欲的なまでにミニマルな方法論を極めたところにその特異性はある。

いわゆるロック・バンド的なクリシェを削ぎ落とし、ひとつのリフや細かいフレーズを反復/変奏したり、あるいは反転/逆回転させながら、エディットやオーヴァーダブ等のポスト・プロダクションを組み込み緻密な構築を呈するサウンドは、まさに「数学的」と形容するのがふさわしい(本人たちは嫌うだろうが)。同時期に録音され、また、ひとつのアイディアを元に発展した異なるヴァージョンの曲が作品を跨って収録されるなど、文字どおり実験的で連作的な趣もある初期の3枚のEPとは、数多のトライアルを重ね、その延長にバンドの「型」を創出するようなバイエル的作品といえるだろう。
そのEPから約3年のインターヴァルを挟みリリースされた『ミラード』で彼らは、そうしたアプローチをさらに推し進める一方、メロディや歌/声といった、これまで削ぎ落とされてきたものを意識的に持ち込むことで、いわばバンドの像を「反転」させてみせる。

たとえば「鏡を向い合わせて置くと無限に反射し合って無限のイメージが作られる。その無限にリピートされた像とサウンドの上でのループにコネクションや類似があると思う」とイアンが語るアンサンブルの規則性/拡張性の追求がアルバム全体のコンセプトだとするなら、古典的なロックのビート=シャッフルを援用した“Atlas”をはじめ、アフロ・ミュージックのグルーヴやエフェクトされたヴォーカル等の装飾や多様性を盛り込むことによってそのミニマルなテクスチャーに生じる凹凸(=鏡像の乱反射)こそ、『ミラード』の画期性に他ならない。あるいは、EPからアルバムまでの3年のインターヴァルを埋めた無数のツアーやライヴの経験が、その卓抜巧緻な演奏に「バンド」としてのダイナミズムをもたらし、サウンドの変化/進化に新たな局面を創出したことは想像に容易い。

ハードコアからインストゥルメンタル・ロックへ、というある種現在のアメリカン・インディにおける正統的な系譜に立ちながら、ブルックリンでも居並ぶ者がいないアヴァンギャルドな先鋭性と、それこそ野外フェスで大観衆を踊らせてしまうポップさを併せ呑む――そんな「異形の本格派」とも言うべき00年代における未踏のポジションにバトルスはいる。

イアン・ウィリアムスに訊く。



●バトルスの結成の経緯を教えてください。

「ドン・カバレロは2000年に自然の流れで解散したんだ。バンド内で揉めて、雪の日に解散することに決めて、その日のコンサートをキャンセルした。今思うと、その時が辞め時だったのかなと思う。最後に出したアルバムもあまり良い出来だとは思わなかったし。最初の頃のドン・カバレロは、ハードコアとかハードロック・バンドだったんだけど、最後のアルバムの頃は全く違うスタイルのものになっていたからね。だから、うん、ほんとあれはあれで良いタイミングだったんだよ。僕はシカゴに住んでいたんだけど、2004年にニューヨークに引っ越したんだ。それから何か他の音楽を始めようと思ってギター一本で小さなギグをし始めたんだ。そのギグにタイヨンダイが来て、僕らは出会ったのさ。それから二人でショウを一緒にやり始めたんだ。

ちゃんとしたバンド名はなかったけど、『アイ・ウィル』(イアンの“I”と名字のウイリアムスから“ウィル”)とかって呼んだりしてた。それから他にもミュージシャンが必要だと考え始めて、すごくバカなアイディアだったと思うけど、その時は女の子のシンガーを入れたいって思ってたんだ。でも結局、無理だってことに気付いて、リンクスのデイヴと、それからドラマーが必要だったから知り合いのジョンを誘ったんだ」


●バトルスは、いわゆる通常のバンドというより、異なるバックグラウンドのメンバーが集まったラボ、あるいはプロジェクト的なイメージも受けます。そもそもバンドの結成当初に描いていたヴィジョンとは、どのようなものだったのでしょうか。

「個人的には、ラボやプロジェクトというよりはかなりバンドっぽいと思うけどね。例えばプロジェクトっていうと一時的な感じがしてそこまで力を注ぎ込まないイメージがあるんだよね。でもツアーに出るとでっかいアンプや機材を運んでギグをして、それを片付けて他の場所へ向かうっていうのを繰り返すだろ? これってすごく体力使うんだよ。でもどうしてこんな面倒くさいことを繰り返してまで音楽を続けるかっていうと、僕らはただ『ロック』したいだけなんだよ。もちろん僕らの音楽的なバックグラウンドはそれぞれ違うけど、それぞれが自分の持ち味をバランスよく出し合っていると思う。だから、バンド内では音楽を作る上で中心となる考え方やアプローチっていうのはないんだよ。いつも皆のアイディアを作品に取り上げられるような方法を見つけようとしているんだ」


●多様なバックグラウンドを持つミュージシャンが集まったからこそ、今のバトルスのサウンドがある?

「うん、その通りだと思うよ。長い間たくさんの音楽を吸収してきてるから、音楽を作ったら結果としてそれが反映されるっていうのは当然のことだと思うんだ。それに僕らはひとつの音楽だけを信じているわけではないから、パンクが僕達を救ってくれるとも思わないし、テクノが僕達を救ってくれるとも思わない。ブルースやフリー・ジャズも同じさ。だから自分が受けた音楽からの影響を真面目に受け止めすぎずに、遊び半分ぐらいの気持ちで取り組んでいるんだ。だから、ひとつの音楽を表現しないといけないっていうプレッシャーはないよ」


●バトルスのサウンドは、一見すべてがインプロヴィゼーションで執り行われているような抽象的なフォルムをしていながら、同時に緻密な音の配置やポスト・プロダクションで構成された、きわめてユニークで独創的なものだと思います。具体的に作曲、レコーディングはどのような感じで行われているのでしょうか。

「遊び感覚かな。インプロヴィゼーションを真面目にやっても仕方ないと思うし。確かに僕達はいつもインプロヴィゼーションをしていると思うよ、でも緻密に構成されているようにも聴こえるんだよね。でも僕らの作品の中の構成って、多分、色々なものに置き換えられるようなものなんじゃないかな」

●音作りの上でもっとも重要視しているポイントは?
「もっとも重要視しているのは、自分自身を楽しませながら音楽を作って、それをしっかり聴くことだと思う。つまり自分の為に音楽を作っているんだから、オーディエンスは自分になるよね。『オーディエンスはどういうものが好きなんだろう?』って考えるかわりに、自分がオーディエンスなんだから、『自分は何が好きなんだろう?』ってことを重視するんだ」


●「自分自身を楽しませる」という話が出ましたが、例えば今回のニュー・アルバム『ミラード』を聴いて、とくにシングルの“Atlas”が象徴的ですが、これまでのEPと比べてとてもポップで、無邪気で、ユーモラスな印象さえ受けました。リズムもアフロ・テイストを感じさせるものもあったり、ある意味バトルス的には「実験作」ともいべるのでは?と思うのですが。今作のキーとなるアイディアはありましたか。

「あるひとつの要素を選んでこういうのを作ろう、っていう特別なイメージがあったわけではないけど、自分を満足させられるようなものを作りたかったのは間違いない。自分の家を掃除する時に素敵な音楽がないと飽きちゃうだろ? そういう軽い感じから始まったんだ。それと、多くの側面を持つのには限界があるけど、僕らはそれぞれ違うバックグラウンドから来ているから、作品として出来上がったものの中に色々な要素が入っていると思うんだ」


●今回のレコーディングで、特別に意識した点は?

「もっとライブ感を出したかったんだ。このアルバムを制作する前にEPシリーズのリリース後、ツアーを回ってたくさんのライブを経験したんだ。EPと『ミラード』のレコーディングの時の違いは、そこから得た自信が大きいと思う。だからその経験をレコーディングに活かしたいと思ってたんだ」


●さらに今作では、ヴォーカルがこれまでのEPに増してフィーチャーされています。バトルスのサウンドにおける「ヴォーカル/声」の役割については、どのように捉えていますか。「ヴォーカル/声」を楽器やビートの一部として使うアプローチは、個人的にビョークの『メダラ』を連想させたりもするのですが。

「個人的には、カンのインストゥルメンタルのアルバムを聴いていると、ある時点で『もう十分だ』って感じることがあるんだよね。でも、声を入れることによって多くの新しくてクリエイティブな可能性が見えてくるんだ。このアルバムではヴォーカルとしてではなく、声を楽器的な感覚で入れているんだけど、それによって可能性が広がったと思うよ。タイヨンダイは色々なヴォーカル・テクニックを持ってて、様々な形で彼の声を作品の中で押し出している。それが抽象的な雰囲気を作り出しているんだ」


●タイトル「Mirrored」の意味は?

「鏡で作られた大きな立方体が、アルバムのジャケットとか“Atlas”のPVに使われているんだ。鏡を向かい合わせに置くと無限に反射しあって無限のイメージが作られる。音楽でもループをかけた時にそれと同じように音が無限に続くだろ? その反射されて無限にリピートされたイメージとサウンドの上でのループにコネクションや類似があると思うんだ。それとアルバムの中では、ブックエンドのような役割を持った曲があって。最初の曲(“Race : In”)は最終的には半分の長さにカットしたものになって導入部になっている。この曲はアルバムの最後にも再び登場するんだ(”Race : Out“)。この2曲が反射する感じでアルバムをブックエンドのように支えていると思うよ」


●タイトルもそうですが、今作の曲には“Ddiamondd”や“Prismism”、他にも“Rainbow”など、光や反射、色彩を連想させるイメージが多く見られます。そうしたイメージは実際にサウンドとも関連しているといえますか。

「イエスでもあるしノーでもあると思う。そういう部分もあるだろうし、そうじゃない部分もあると思う」


●『ミラード』しかり、バトルスのサウンドは、緻密な構築性や音の情報量を誇る反面、ダンス・ミュージック的なプリミティヴな要素も併せ持っています。例えば音作りにおける、エクスペリメンタル/ポップ、生演奏/プログラミングのバランスや互いの距離感についてはどのように捉え、またレコーディングで実践されていますか?

「色んな要素の中間地点にいるってことだよね。でも実際どうやっているかっていうと、よくわからないんだ。例えば僕達の“Atlas”って曲があるだろ? この曲はシャッフルしたビートが核になっている曲で、シャッフルってもともとロックンロール的なリズムだよね。でこの曲は最初、ドラマーのジョンがテクノのサウンドを持った曲を作りたいっていう所から始まったんだ。何年か前に起こったケルンのテクノ・ムーヴメント“シェイフル”――シャッフルのドイツ語なんだけど、ドイツ人のテクノ・プロデューサーがロック・バーに行って、プリミティブなロック・ビートでもあるシャッフル・ビートをテクノに取り入れたんだ。これはケルンでだけだけど、何年か前のレコードのほとんどはそのプリミティブな感じのテクノ・ビートを使ったものだったんだよ。ほんとジョークみたいにテクノのバーでもロックを取り入れたテクノがかかってたんだ。そういうものを聴いてそのあと、最初はジョーク半分だったんだけど、『シャッフルをロックに取り戻そう!』って思って、それが“Atlas”を作ることに繋がったんだ。これが2つの要素を一緒に存在させることができるっていう良い例かと思うんだけどね」


●今回の『ミラード』もそうだし、とくにライヴを見ていて感じるのですが、バトルスのサウンドには、非常に知的に計算された要素がある反面、細胞の一粒一粒に音やビートが効くような、とてもシンプルな快感と心地よさがあると思うのですが。

「中立的でありたい部分もあるけど、次から次へと色々なことを提示したくはないんだ。エモーショナルな要素とかは時々すごく遊びがいのあるものにもなると思う。でも時にはもっと知的なゲームをするのもおもしろいと思う。自分の考えをひとつにまとめて、色んな感情を混ぜたり……普段では合わないような感情を混ぜたりして、すごくおもしろい実験だよね。最初の方の質問にラボみたいだってあったよね。ラボとしては、僕達は正しい方法も間違った方法も一緒に使って探し出しているんだ。もっと自由なやり方なんだよ。それに間違ったやり方でやるのは面白いよ、気分が盛り上がってくるね」

●例えば、ダンス・ミュージックの新たなスタイルとしてバトルズを体感することもアリだと思いますか。

「ああ、可能だと思うよ」


●ところで、先日『アメリカン・ハードコア』というドキュメンタリー映画を見たのですが、その作品の中では、主にオリジナル・ハードコア世代による視点から、1980年代の後半以降、ハードコアが他ジャンルとクロスオーヴァーしていく様子が否定的なトーンで語られていました。しかしあなた方や、WARPのレーベルメイトでもある!!!、あるいはトータスもそうですが、とくに1990年代以降から現在に至るまで、ハードコアをルーツとした野心的なバンドが次々に登場しているのも事実だと思います。バトルスにおける「ハードコア」というルーツの重要性については、どのように考えていますか。

「ジョンも僕も1980年代をくぐり抜けてきてるんだよね。僕達が子供の時はほんとグラウンド・ゼロ、すべての原点みたいなものなんだよね。他の人にとっては、僕達は音楽的にひねくれたことをしているように見えて、ハードコアとのコネクションがないように思えるかもしれないけど、僕としてはコネクションがあるんだ。ジョンもそうだと思う。まだこの映画は見ていないけど、見たいと思っていたんだ」


●最後に、インストゥルメンタル・ロックの可能性については、どんな意見をお持ちですか?

「ロックはある意味では革命的で解放的なものだと思うし、リードシンガーを持つことはベストなことだと思う。自由を切り開いてくれる。でも他の時は、全くの逆の場合もあると思う、それ自体が監獄のように閉じこもった感じになると思うんだ。それが僕達がリードシンガーを持たない理由だよ。だから、同様にインストゥルメンタル・ロック・バンドになることの期待からも逃れているんだ」

(2007/05)


※追記:2010年、『ミラード』に続くニュー・アルバムの完成を前にタイヨンダイ・ブラクストンの脱退が伝えられた。

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