2011年2月2日水曜日

極私的2000年代考(仮)……またはベックという案件

ベックのニュー・アルバム『ザ・インフォメーション』を何度も繰り返し聴いている。しかし、何度繰り返し聴いても、アルバムのイメージがうまい具合に像を結ばない。

「再び王道ベックが戻ってきた」「『グエロ』を制作していた時点からすでにレコーディングを始めていた」と資料でも紹介されているように、なるほど『ザ・インフォメーション』は『グエロ』の続編か、二卵性の双子みたいなアルバムに聴こえることもある。かと思えば、『オディレイ』と『シー・チェンジ』のマッシュアップのように聴こえることもあるし、ナイジェル・ゴドリッチがプロデュースした『メロウ・ゴールド』っぽく聴こえることもある。

つまり、たとえるなら『ザ・インフォメーション』は、まるで“ベックによるベックのセルフ・カヴァー集”といったような感触なのだ。どこかで聴いたことあるような、けれども既視感とは異なる、確かに「新しい」ベック・サウンド。しかしそれが、ベックのディスコグラフィーにおいてどう位置付けられ、またベックの創作史という縦軸と時代性という横軸からなるマトリックスのいかなる場所に収まるべきものなのか、イマイチはっきりしない。

たとえばベックは、『グエロ』の制作意図――『オディレイ』の頃の創作スタイルに回帰した理由について、インタヴューでこう話している。

「このアルバムでは、これまでにいろいろと試してきた中で、いちばんうまくいったなと思えたことばかりを総括したところはあると思う。自分がこれまでに学んだすべてのことをここで発揮して、それをあえてまたダスト・ブラザーズと一緒に仕事したらどうなるのか、っていうのを見てみたかったんだ。このアルバムは、僕がこれまでに実験してきたこと、いろいろと試してきたことすべての結晶なんだ」

そもそもベックの音楽スタイルとは基本的に、ゼロから何かを創り上げるというより、すでにあるものを使って何か「新しい」ものを創り上げる、といった感覚に近い。ブルース、フォーク、カントリー、ジャズ、ファンク、ヒップホップ、ボサノヴァ、マリアッチ……など、多様な音楽ジャンルを俯瞰しながら換骨奪胎し、マッシュアップ/サンプリング的な感性と批評精神でサウンドを(再)構築する。それが、ベックがとりわけ『オディレイ』以降に先駆けて確立した音楽スタイルだった。そして、このベックのユニークな折衷感覚や編集感覚は、1990年代のトレンドとなり「指標」となった。


こうしたベックの混血的な(『ミューテイションズ』や『シー・チェンジ』さえも)サウンドの背景には、よく知られているように、ベックが育った環境による影響が大きい。

『グエロ』というタイトルについて「僕が子供の頃住んでいた地域で使われていたスラングで、白人の男の子を指す言葉なんだよね」とベックが説明していたように、ベックが多感なティーンエイジャーを過ごしたのは、白人のガキは自身と弟の2人しかいないような、エルサルバドルやメキシコや韓国の移民に囲まれたロスのダウンタウンだった。

街を歩けば、ラジオから流れるファンクやラップやブラック・ミュージックに混じって、中国やヴェトナムの音楽、メキシコのマリアッチやランチェラ・ミュージックなどが商店や民家から聴こえてくる雑多な音楽環境。そうした人種のみならず音楽的にも坩堝的な状況を呈する地域性が、音楽体験の原風景としてベックの中に強く息づいていることは容易に想像できる。

あるいは、オノ・ヨーコも参加した1960年代の前衛芸術運動「フルクサス」のメンバーだった祖父アル・ハンセンの存在も、ベックの創作的なパーソナリティを考える上で重要な影響源に違いない。生前アルが制作した、拾い集めたゴミや日用品の残骸を再利用した彫刻やコラージュ作品は、その錬金術師的発想や反芸術的(脱構築的?)なアウトサイダー性において、ベックのサウンド・スタイルや音楽観と完全に重なり合う。絶えず変化を求めながら、あらゆる方向に開かれたベックの旺盛な表現衝動は、ラテン語で「流れる、変化する」を意味する語源どおり、フルクサスの精神を現在に受け継ぐものといえるだろう(そして、13歳でウォーホルの映画に出演し、ビートニクも前衛もパンクも潜り抜けてきたアルの娘にしてベックの母親ビブの奔放なアート志向も当然)。

音楽に対するボーダレスな関心をおのずと育んだ環境と、「流転する表現者」としてのアイデンティティをあらかじめ決定付けた血筋。そうした、いうなれば運命的な要因が、そもそも「アーティスト:ベック」の下地を創り上げていた部分は確かにある。

しかし、『オディレイ』以降、本格的に露となる「ミュージシャン:ベック」の肉体は、当然ながら意識的に獲得された後天的なものであることはいうまでもない。

ベックは、いわゆる天才型のミュージシャンではない。むしろ、勉強家であり努力型のミュージシャンというべきだろう。

たとえば、現在の彼の音楽的なバックボーンとなっているフォーク/カントリー/ブルースの素養。それは、けっして環境や血筋によって与えられた天賦の才ではない(敬虔なクリスチャンだった父方の祖父母の影響で幼い頃から教会音楽や賛美歌に親しんではいたが)。

リアルタイムでパブリック・エネミーやNWAといったヒップホップの洗礼を受け、地元のライヴハウスでブラック・フラッグを見たり(ちなみに祖父アルはスクリーマーズのマネージャーを務めるなど1970年代の西海岸パンク・シーンに深く関わっていた)、流行のポップスもそこそこ聴いたり、街頭で流れる多国籍な音楽にもまれながらもありふれた音楽好きに過ぎなかったベック少年が、15歳でミシシッピ・ジョン・ハートのレコードに感銘を受け、そこから独学で学んだものである。サン・ハウスやスキップ・ジェイムズ、レッドベリー、ウディ・ガスリー、ジョン・リー・フッカーといった「巨人」のレコードを貪るように聴き漁り、20年代や30年代へと遡るデルタ・ブルースやトラディショナル・フォークの歴史に触れる中で、その伝統的な作曲術、ギターの演奏法や歌唱法を体得した(それは言い換えれば、ジャンクな文化環境に育ったベックが、初めて「アメリカ」を発見していく過程でもあったように思う)。

ベックの中に根を下ろす太い幹のようなルーツ・ミュージックのピュアリズムと、その枝葉を飾る色とりどりの音楽的記憶。そうしたベックのマルチレイヤードな音楽観は、ソニック・ユースやプッシー・ガロアといった同時代のアヴァンギャルドなノイズ・ロックに触発され、やがてニューヨークに渡り出会った「アンチ・フォーク」なるオルタナティヴなフォーク・シーンに関わる過程で、後の「ミュージシャン:ベック」像を予告する才能の片鱗を見せるようになる。

そこでベックが披露したのは、フォークにヒップホップやパンクをミックスしたり、昔のフォーク・ソングの歌詞を現代詩に置き換えるといった、1960年代のフォーク・リヴァイヴァルとは一線を画す反伝統主義的なアプローチ。すなわち、異質なジャンルや対極にある要素を混ぜ合わせて新たな価値を創造するという、きわめてフルクサス的(というかアル・ハンセン的)かつ、『オディレイ』以降のスタイルの試作品ともいうべき「実験」だった(ちなみにこの「アンチ・フォーク」は、その創作的な志向から現在のフリーク・フォークを連想させ興味深い。実際『Golden Feelings』や『Buck Fuck Iowa』など初期の作品に象徴的なベックの作風はフリーク・フォークとの関連で捉え直すことも可能だろう)。


ベックはブルースの魅力についてこう語る。

「ブルースのごった煮なとこが好きなんだ。いろんなリフレインがいろんな人たちの歌の中に散りばめられているだろ。いくつかの曲からいくつかのヴァースを持ちよって、組み立ててみる。そうすると、いつの間にか自分の中から、自分なりの曲が生まれてくるってわけさ」

また、自身のソングライティングについてはこのように語る。

「フォークやトラディショナル・ミュージックから始まって、僕の歌にはアメリカン・ソングのメロディと構造がしっかりと根付いているんだ。けど、音楽的な意味での僕の持ち味は、その構造の中に様々なサウンドやいろんなアイデアを反映させるところにあると思う。たぶん僕は、音楽が実験的なものになりつつ、でもメロディックな部分を残している、そんな時期がたまらなく好きなんだ。構造はそのままで、おもいっきり楽しんじゃおうって感じかな」(※ちなみに両発言とも99年の『ミッドナイト・ヴァルチャー』発表時のもの)

そもそもは黒人教会の賛美歌を世俗化したものとして誕生し、そこにヨーロッパの楽器や白人音楽の音階が交わることで発展を遂げてきたブルース。その混血しながら枝分かれするブルースの歴史を解体し、再構築(再混血化)することで自分のオリジナルのブルースを創り上げるという(あるいはそれを「オリジナル」であると認識する)ベックの発想法は、おそらくブルース以外にもベックが向かう音楽すべてに当てはまるものなのだろう。ヒップホップとの親和性は指摘するまでもない。サンプリング/カットアップ/コラージュされたものを、さらに「サンプリング/カットアップ/コラージュ」する、それをさらに……極論するならベックは、まるでそんな循環するプロセスの果てに「ミュージシャン:ベック」としてのアイデンティティを実感するようである。

ソングライティングについての発言もまた、さもありなんである。ここでベックは、自身の音楽的なパーソナリティを特徴付けているのは「編集感覚」であると語っている。そして、この「編集感覚」は、ブルース観に示された「折衷感覚」と表裏をなすものであることは明白だ。そもそも、ソングライティングをミックス/リミックス的な視座を含むものとして捉えているところがベックらしい。「型/ルーツ」を重んじる伝統主義者と、「流れる、変化する」ことが本分の解体主義者。この両者は抜き差しならない関係でベックの中で共存している。

ベックの頭の中には途方もない情報量を誇る音楽のアーカイヴが存在する。それは、育った環境や血筋によって備えられた「才能」であり、何よりもベックが自力で探求することで獲得された財産でもある。しかも、そのアーカイヴに所蔵された莫大な音楽ソースは、ただそこに漫然とストックされているわけではなく、たえずその体内で他花受粉のようなものを行い新たな情報を書き加えられながら「ミュージシャン:ベック」の血肉となっている。

しかし、ニュー・アルバム『ザ・インフォメーション』然り、前作『グエロ』然り、ここ最近のベックの作品の質が微妙に変わり始めているように個人的には感じられる。冒頭に紹介した『グエロ』についてのベック本人のコメントに象徴的だが、ここにきてベックは、ルーツ・ミュージックや他の音楽に飽き足らず、自分自身の音楽さえもサンプリング/カットアップ/コラージュしているようなフシがある。
その感覚は、先のベックのブルース観に当てはめてみるとわかりやすい。つまりいうなれば、「『ベック』のごった煮なとこが好きなんだ。いろんな~がいろんなアルバムの曲のなかに散りばめられているだろ。いくつかの曲からいくつかの~を持ちよって、組み立ててみる」みたいな――。

すなわち、ベックによる「ベック」のミックス/リミックス。最初に書いた個人的な『ザ・インフォメーション』に対する印象は、まさにこの感覚に由来する。

だとするなら、それって何なんだろう。多様な音楽史を包括する情報庫としてのベック・サウンド。それをさらに包括する巨大な情報庫としての『ザ・インフォメーション』。「ベック」という構造の中に「ベック」のサウンドやアイデアが反映された「ベック」なりの曲の集まりとしての『ザ・インフォメーション』――。現時点で今作に関するベック自身のコメントを一切目にしていないのですべては憶測と印象論に過ぎないのだが、少なくとも今のベックが、躁鬱入り混じった『オディレイ』~『シー・チェンジ』の頃とは異なり、ミュージシャンとしてとても満ち足りた状態にあることは実感できる。

もしかしたらベックは、『グエロ』でダスト・ブラザーズを起用したように、ナイジェル・ゴドリッチとともにある種の再確認や総括じみた「実験」を行おうとしたのではないだろうか。

いわゆる「王道ベック」の『オディレイ』スタイルが、方法論としてはすでに耐用年数が尽きたものであることをベックはたぶん自覚している。だからこそ『グエロ』を制作するまでにはベックの中でいろいろな葛藤があったわけだが、しかし同時に『グエロ』を完成させたことで、ベックは確信したのではないだろうか。もはや自分にとっての「ルーツ」とは、フォークやブルースではなく、このあらかじめ折衷され編集された『オディレイ』スタイルに他ならないことを。ならばそれをどうモダナイズして新たな「王道ベック」を築き上げるか。『グエロ』同様に何かが吹っ切れたように開放的な『ザ・インフォメーション』からは、そんな現代アメリカン・ポップ・ミュージックの若き「巨人」の矜持が聴こえてくるようだ。


(2006/11)

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