2011年7月17日日曜日

極私的2000年代考(仮)……The Fallという不沈艦隊

本作『ドラッグネット』は、ザ・フォールにとって2作目のオリジナル・アルバムになる。リリースは、ファースト・アルバムの前作『ライヴ・アット・ザ・ウィッチ・トライアルズ』から約7ヵ月後の1979年10月26日。プロデューサーにグラント・ショウビズ(最新作『リフォーメーション・ポスト・TLC』も手掛けた)を迎え、わずか9日間のレコーディングをへて、前作『ライヴ・アット~』と同じく「Step Forward」からリリースされた。なお、今回邦盤化される『ドラッグネット』は、『Dragnet +』として2002年に「Sanctuary」からリイシューされたデラックス・エディション。オリジナル盤の収録曲に加えて、本作の前後(1979/80年)にリリースされた2枚の7インチ(両シングルとも当時NMEとサウンズ誌の「Singles Of The Week」に選ばれている)と、“Rowche Rumble”と“In My Area”のテイク違いをコンパイルした仕様となっている。


『ライヴ・アット~』リリース直後の1979年3月、「The Gig Of The Century」と題されたロンドンでのライヴに、スティッフ・リトル・フィンガーズ、ギャング・オブ・フォー、ヒューマン・リーグ、メコンズらと共にザ・フォールは出演した。そのライヴについて、当時のNMEは「1970年代と1980年代の分岐点」と伝えている。その意味するところはさておき、たしかにこのライヴが行われた1979年は、振り返れば、時代の転換点と記憶されるにふさわしい象徴的な出来事がロック・ミュージック史に刻まれた年だった、と言えるかもしれない。その出来事とは、たとえばシド・ヴィシャスの死であり、クラッシュの「パール・ハーバー‘79」アメリカ・ツアーであり、PILの『メタル・ボックス』であり、映画『グレート・ロックンロール・スウィンドル』であり、スペシャルズのデビューであり……etc。つまり、前年(1978年)のセックス・ピストルズの解散(マルコム・マクラレンは存続を表明したが)を契機に退潮の兆しを見せ始めていたムーヴメントとしての「パンク」が、ディケイドの終わりと共に幕を閉じ、言うなれば“更新”された――それが「1979年」だったように思う。

「1970年代と1980年代の分岐点」とは、乱暴に言えば、「パンクとパンク以降の分岐点」と同義に近いかもしれない。もちろん、その認識は個々のバンドによって多少のズレはある。たとえばワイアーのコリン・ニューマンは、1977年にデビューしたワイアーを「ブリティッシュ・パンク・バンドになるには一年遅すぎた」と評し、「パンク以外のものになるべきバンドだった」と以前に筆者のインタヴューで語っていた(つまり、あの有名なフレーズ「ロックじゃなければ何でもいい」以前に「パンクじゃなければ何でもいい」ことが意識されていたわけだ)。いずれにせよ、1970年代の後半に登場したイギリスのバンドにとって、そのデビューのタイミングがきわめて大きな意味を持っていたことは、あらためて指摘するまでもない事実だろう。

そのことは、ザ・フォールの場合ももちろん例外ではない。ザ・フォールがマンチェスターで結成されたのは1976年。そしてデビューしたのは1978年。つまりパンク・ムーヴメントの勃発と共に産声を上げ、その末期に世に放たれた、ザ・フォールもまた「ブリティッシュ・パンク・バンドになるには遅すぎた」バンドだった。もっとも、そうした違和感や、そこから生じる批判精神が、ピストルズやクラッシュといった同時代のパンク・バンドのみならず、後のニュー・ウェイヴやポスト・パンクに対しても向けられるところが、ザ・フォールすなわちマーク・E・スミスの計りがたく厄介なところとも言える。

「ロックンロールは音楽なんてものではない。ハイになるために楽器を酷使するものだ」とマーク・E・スミスは1979年のMOJO誌のインタヴューで語っている。ザ・フォールは訓練されたミュージシャンの集まりではない。洗練の真逆にある粗暴な荒々しさと、衝動的に発生する偶然性こそ、ザ・フォールが追求する至上命題だった。「I still believe in the R&R dream, in R&R as primal scream」(“Live AT The Witch Traials”)と歌ったマーク・E・スミスにとって、ピストルズが象徴するようなパンクの破滅的な美学は相容れぬものだった。同時に、ニュー・ウェイヴ・バンドたちの小奇麗でプロデュースが行き届いたサウンドに対して懐疑的だったマーク・E・スミスは、とくにアルバムのレコーディングには明確なアイディアと厳格な態度で臨んでいたことが当時のインタヴューなどからは窺える。


『ドラッグネット』のレコーディングに際して、マーク・E・スミスはプロデューサーのグラント・ショウビズに対し、アルバムとしての音作りや一貫性のあるサウンドを避けるように指示したという。刺々しい手触りで、未完成のような粗雑な仕上がりをサウンドに求めた。一方でマーク・E・スミスは、当時のインタヴュー(Cool Magazine)に答えて、自家中毒に陥っていたバンドの状態を軌道修正し、サウンドに変化を促す必要性を感じていたことを告白している(ちなみに、バンドのラインナップも大幅に変更され、2作目にしてすでにオリジナル・メンバーはマーク・E・スミスのみ)「Dragnet(警察用語で『捜査網』の意)」というアルバム・タイトルは、そうした新たな変化によって人々の関心を引きつける=捕まえる(あるいは自家中毒に加担していた人々を捕らえて、更生させる)、というイメージから連想されたものであるらしい。

「彼らはいつも変化しながら、いつまでも変わらない」とは、故ジョン・ピールがザ・フォールを評したとされる言葉だが、そうした可変にして不変の音楽美学は、本作『ドラッグネット』の時点ですでに確立されていたことがわかる。ザ・フォール・サウンドの本領とも言えるパンク/ガレージ・ロックのエッセンスを凝縮した荒々しいロックンロール。しかし、それが辿る軌跡は、カントリー、リズム&ブルース、モッド、2トーン、アヴァンギャルドなど多様なルーツ/同時代の音楽背景を反映させながら、アルバム一枚を通じて複雑な文様を描き出している。“Psychick Dancehall”や“Dice Man”、あるいは“Rowche Rumble”(2001年にMOJO誌が企画した「100 Punk Scorchers!=パンクのベスト100曲」で40位に選ばれた)といったザ・フォールのクラシックスとも呼べるナンバーも最高だが、アコースティック・ギターでルーズに歌い上げる“Flat OF Angels”や、ニューヨークのノー・ウェイヴとも共振する“Spectre Vs Rector”も素晴らしい。いや、極端な話、そこにマーク・E・スミスのあの不機嫌で吐き捨てるようなヴォーカルさえあれば、それはいかなるフォルムを纏おうとまぎれもなく「ザ・フォール」なわけだが……。いわゆるニュー・ウェイヴ/ポスト・パンク期にあたる試行錯誤的な音楽状況の最中で、不動となるスタイルを築きながらも音楽的な創造性を妥協しなかったその姿勢には、あらためて感嘆するほかない。『ドラッグネット』には、そんな最初期のザ・フォールが達成した音楽実験の生々しい痕跡が刻まれている。
 

現時点で26枚あるオリジナル・アルバムの中で、この『ドラッグネット』がザ・フォールのキャリアにおいていかなる位置を占めるものなのかは、正直よくわからない。ジョン・ピールの言葉が真実ならば、それは現在のザ・フォールでもあるだろうし、同時に、単なる過去のザ・フォールに過ぎないものでもあるのだろう。重要なのは、ザ・フォールは伝説でも神話でもなく、今も第一線で活動を続ける2000年代のロックンロール・バンドである、という事実。それだけだ。そんなザ・フォールの、唯一のオリジナル・メンバーであるマーク・E・スミスは、28年前のアルバムについてこう振り返っている。

「今でも覚えてるのは、当時スタジオがあのアルバムをリリースするのを渋って、しかもこのバンドを好きだって言う奴なんて一人もいなかったもんだから、無理矢理リリースするしかなかったっていう――今とほとんど状況が変わってねえな、いや、冗談抜きにして」


(2007/04)

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