2011年7月17日日曜日

極私的2010年代考(仮)……追記:USローカル・アンダーグラウンド

先日のUNCUT誌の年末号でも小さな特集が組まれていたように、今年2009年はアメリカのインディ・バンドの躍進が大きな注目を集めた年で、同記事でも触れられていたアニマル・コレクティヴやグリズリー・ベアのニュー・アルバムがリリース直後のナショナル・チャートで好位置につけるなど、その作品の音楽的評価が、従来からのファン層を超えてマス・レベルで広い支持を集めたという点で、なるほどそれは画期的な現象だった。

もっとも、そこに至るには、2004年にブライト・アイズのシングル2枚がビルボードの1位と2位を独占したのをひとつの契機に、いずれも最新作が商業的な成功を収めたデス・キャブ・フォー・キューティやモデスト・マウス、ザ・シンズなど90年代組の躍進、あるいは昨年の大統領選に際してはオピニオン・リーダー的な存在感も示したアーケイド・ファイアを筆頭とするカナダのインディ・シーンの台頭など、確かな“予兆”はあった。それこそ、振り返ればストロークスの登場に端を発するニューヨーク・シーンの活況も、その背景にある大きな要因に挙げられるだろう。また、近年深刻化する音楽ソフトのセールス不振、ピッチフォークやマイスペース等の新たなメディアの台頭によって、メジャー・レーベルの支配力が相対的に弱体化した、というのもある。

いずれにせよ、すなわちそれは、各々のインディ・バンドやインディ・シーンがこの10年をかけて積み上げてきたものが象徴的なタイミングで結実を見たということであり、結果的にメジャー・レーベルとの駆け引きに翻弄された90年代とは異なり、彼らがその文字通りインディペンデントでオルタナティヴなスタンスを曲げることなく、音楽シーンの中心で「自治権」を手に入れたことの証明にほかならない。



一方で、同じく近年のインディ・シーンを印象付ける現象が、アメリカ各地に点在するローカルな音楽シーンの盛り上がりだろう。

ディアハンターやブラック・リップスの躍進で注目を集めるアトランタ。アニマル・コレクティヴの故郷であり、ダン・ディーコンやポニーテイルズといった奇才アクトを擁するボルティモア。ウェーヴスやクリスマス・アイランドなどローファイ・パンク・シーンが活気づくサンディエゴ。イート・スカルからホワイト・レインボーやヨットまで擁するポートランド。そして、ノー・エイジを中心に、エイブ・ヴィゴーダやヘルス、ナイト・ジュエルらが交流するロサンゼルスの「Smell」やPost Present Medium周辺。彼らは、地元のアート・スペースを創作の拠点にしたり、友人同士でレーベルを運営したり、あるいは互いのミックス・テープを交換するようにスプリット7インチをリリースしたりと、ローカルなコミュニティに根ざした活動を積極的に展開している。そうした光景もまた、UNCUT誌が伝える“成功”とは異なる2009年の「現在」であり、この10年のインディ・シーンが育んできたものの豊かさを象徴する状況にちがいない。そこに窺える彼らのDIYなマインドは、例えばKやキル・ロック・スターズといったレーベルが今も伝える80年代~90年代初頭のインディ・シーンのそれを彷彿させるものだ。


そして、本作『ダーク・リフト』で本格的なデビューを飾る形となったピクチャープレインことトラヴィス・エーゲディは、むしろこの後者に属する存在といえるだろう。彼もまた、近年のインディ・シーンの活況を牽引する、アメリカ郊外のローカルなコミュニティから登場したアーティストの一人である。
 

現在はアメリカ中西部のコロラド州デンヴァーを拠点に活動するトラヴィス・エーゲディ、24歳。その音楽活動の原点は、そこから北側に隣接するニュー・メキシコ州サンタ・フェで過ごした少年時代にさかのぼる。

きっかけは、同じ街に住んでいた、ベイルートことザック・コンドンとの出会い。互いに15歳か16歳のころで、トラヴィスはヒップホップのトラックを、ザックもベッドルームでエレクトロニック・ミュージックをすでに作り始めていたという両者は、トラヴィスの呼びかけで一緒に音楽制作を始めるようになる。ピッチフォークのインタヴューによれば、そのセッション(?)では4曲が制作されるも、しかし出来に満足がいかずお蔵入りになってしまったそうだが、トラヴィスによれば当時からザックの歌声は「amazing voice」だったという。結局、両者のコラボレーションはその一度きりで途絶えてしまったようで、その後、トラヴィスはデンヴァーへ移住し、一人で音楽制作をスタート。詳しい経緯は不明だが、本名のトラヴィス・エーゲディ名義での活動をへて、自主制作で音源リリースを開始した2004年前後を境にピクチャープレインと名義を改め現在にいたる。

そんな彼が、デンヴァーで活動の拠点にしているのが、「Rhinoceropolis」と呼ばれる自宅兼アート・スペース。彼はそこで生活し、自身の音楽制作を行う一方、地元のミュージシャンに解放し、ライヴやアート・パフォーマンスの場として提供するなど、いわばデンヴァーの音楽/アート・シーンの“メッカ”として「Rhinoceropolis」は重要な機能を果たしている(※デンヴァーのアーティストに限らず、過去にはダン・ディーコンやマウント・イアリ、ミカ・ミコ、マーニー・スターンなどもライヴを行った)。
つまりそこは、ノー・エイジにとっての「Smell」であり、ライトニング・ボルト(彼らも「Rhinoceropolis」に出演経験アリ)にとってのかつての「Fort Thunder」であり、そうしたDIYな環境やそこで育まれるコミュニティの存在が、ミュージシャンとしての彼のバックグラウンドを形作っているという。トラヴィスいわく現在、デンヴァーには「Rhinoceropolis」を中心としたエレクトロニック・パンクの強力なシーンがあるらしく、個々のバンドはまだ無名ながら、その周囲では刺激的なサウンドが日々生み出されているそうだ。

2007年と2008年には、作りためた音源をコンパイルした2枚のアルバム『slit red bird throat』と『Turquoise Trail』(ザックとの共作曲のリミックス・ヴァージョン“Found Too Low RMX”を収録)を自主制作のCDRで発表。地元のシーンでも頭角を現していく中、彼の名前が注目されるきっかけになったのが、ノー・エイジの「Smell」の常連でもあったLAのノイズ・コア・バンド、ヘルスのリミックス・アルバム『Health/Disco』への参加だった。クリスタル・キャッスルズやピンク・スカル、アシッド・ガールズといった気鋭に交じり、トラヴィスは原曲(“Lost Time”)のミニマルなドラムを、ハウシーかつコズミックなトライバル・ディスコに再構築して披露。これが縁を結び、そのリミックス・アルバムのリリース元であり、ヘルスやダーティ・プロジェクターズのエンジェル・デラドゥーリアンも所属するニューヨークの「Lovepump United Records」と契約。本作『ダーク・リフト』は、今年3月にリリースされた7インチ『Trance Doll』に続く、同レーベルからの2タイトル目の作品になる(本国でのリリースは今年8月)。


「シンセ・コア」とも評される、そのエレクトロニック・ミュージックとパンクが融合を見せたスタイルには、トラヴィスが本格的な音楽制作を始めた2004年から2005年当時、ライトニング・ボルト周辺のプロヴィデンスのノイズ・シーンに深く入れ込んでいたことが背景にあったという。事実、随所にダークなユーモアを覗かせるコラージュ~ノイズ趣向はブラック・ダイスと比較されることもあり、とりわけ『slit red bird throat』など初期の作品においては、ニューヨークの「No Fun Festival」にも参戦できそうなハーシュでインダストリアルな騒音をかき鳴らす場面もある。しかし一方で、『Turquoise Trail』に顕著なように、彼が紡ぐメロディやエレクトロニクスの響き、多彩なトラック・メイキングには、独特なユーフォリックなムードやトライバルな高揚感があふれ、ノイジーだがサイケデリックな“甘さ”もたたえたウェーヴスや、それこそパンダ・ベアやエル・グインチョ(ココナッツ)にも共通した感覚を併せ持つ点も特徴にちがいない。そもそもヘルスや、例のリミックス・アルバムにも参加したクリスタル・キャッスルズやピンク・スカルとは音楽的な親和性が高く、ハードコアやノイズを経由したドラッギーなエレクトロニック・ミュージックというのは、近年のインディ・シーンの流れのひとつでもある。それは現在、地元デンヴァーで台頭中のシーンとも繋がるものであり、その象徴的な存在がピクチャープレインということなんだろう。

対して本作『ダーク・リフト』は、これまでの作品と比べると、一言でいえばダンス・ミュージック寄りに洗練された感触を受ける。ロマンチックなシンセと官能的なヴォーカルが印象的なリード・シングル“Trance Doll”を筆頭に、よりシルキーに80Sテイストを露わにプロダクションが磨き上げられたサウンドからは、初期のころの作風を特徴付けたノイズやエクスペリメンタルな要素はだいぶ後退している。中盤の“Goth Star”や“Cyclical Cyclical (Atlantis)”こそ、その面影を強く残すが、ノイズやハードコアにも増して、R・ケリーやジェイ・Zやリアーナ(そしてもちろんマイケル・ジャクソン)といったヒップホップ~モダンなR&Bの大ファンであることも公言する彼のこと、本作に見られるアプローチは頷ける展開/転回なのかもしれない。

本作には、レモネードやスウェーデンのタフ・アライアンスといったインディ・ダンス・アクトや、西ロンドンの新鋭フランクミュージックのようなフロア仕様のダンス・ミュージックともレコード棚を共有する洒脱なポップ・センスがあり、一方のノイジーでコアなスタイルと表裏をなすその両極性こそ、ピクチャープレイン=トラヴィス・エーゲディというミュージシャンを規定する作家性なのだろう。そういう意味で同世代では、たとえばグリズリー・ベアとサイキック・TVを平然とミックスしてしまうようなネオン・インディアン(Grizzly Bear“Cheerleader(Neon Indian ‘Sega Genesis P-Orridge’ Remix)”)なんかと、サウンドの傾向も含めて感覚的には近いものがあるのかもしれない(ちなみに、本作のマスタリングは、ブルックリンのトライバル・アヴァン・ロック・バンド、ビッグ・エー・リトル・エー(Aa)のメンバーで、ボアダムスのイヴェント「77 Boadrum」にも参加したジョシュ・ボナティが手掛けている)。
 

トラヴィス・エーゲディは、自身を「アナーキスト」だと自認しているという。彼にとって「アナーキスト」とは、個人的な哲学を掲げ、それに従って行動する生き方の理想像を指す。そうした考えに立った上で彼は、自らの音楽を「政治的」だと語り、それは自然の秩序とアンチ・エスタブリッシュメントを謳い、グラスルーツのコミュニティを奨励し、そこで暮らす個人の存在を擁護するものだと規定する。そうした彼の主張には、自分が所属する地元デンヴァーのコミュニティと、それを取り巻く現在のインディ・シーンに、彼がいかなる価値を見出しているかが雄弁に語られているようで、興味深い。


(2009/12)

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