2011年5月14日土曜日

2000年代の極私的“ビッチ”考……猫娘の目覚め

昨年の1月に続いて2度目となるキャット・パワーことショーン・マーシャルの来日公演の決定を祝して、彼女の初期のアルバム3作品が国内盤でリリースされる。そのなかの一枚、本作『ホワット・ウッド・ザ・コミュニティ・シンク』は、彼女にとって3枚目のアルバムにあたり、現在も彼女が籍を置くマタドール・レコードから96年の秋に発表された。

しかし、あるインタヴューで彼女は、本作を含めた初期の作品を振り返って、「レコードなんて作りたくない。レコーディングなんてもうウンザリ……って感じだった」と話していたことがある。さらに、彼女を見出し、サポートを務めたソニック・ユースのスティーヴ・シェリーに対しても、当時はあまり信用を置いていなかったという。

つまり、彼女の言葉を受け取るならば、本作を含めた初期の3枚のアルバムは彼女にとって、けっして心から褒められた作品ではなく、どこか屈託や複雑な逡巡を孕んだ作品だった、と言えるのかもしれない。

もっとも、今にして思えばそれもまあ、無理もない話かもしれない。故郷のアトランタから、ミュージシャンになるのを夢見て単身ニューヨークに渡ったのが90年代初めの10代の終わりころ。まだギターの演奏もおぼつかないまま(彼女が初めてギターを手にしたのは19歳だった)、友人とバンドを組み、ライヴ・ハウスで弾き語りをやったりしながらストリート・ミュージシャンのような生活を一時期送っていたという彼女は、リズ・フェアのコンサートの前座で演奏していたところをたまたま居合わせたスティーヴ・シェリーに見初められて、一躍プロのミュージシャンの世界へ。結果的に彼女が望んだ選択だったとはいえ、それまでの気心の知れた友人とのプライベートな世界から、一転して大人たちに囲まれる「仕事場」に放り込まれた彼女にとって、環境の変化による戸惑いや受けたプレッシャーの大きさは想像に難くない。そうしたすべてが様変わりを見せる渦中にあって、たとえば“音楽をやる”ことに葛藤を覚えたり、疑心暗鬼に陥ってしまったりしたとしても、それはむしろ致し方ないと言えるのではないだろうか。ニューヨークで出会ったフリー・ジャズやアヴァンギャルド・シーンの自由な空気に刺激を受け、自分の音楽を自己表現の手段であると明確に捉えていた彼女の場合なおさら、そうした周囲と自分との齟齬や距離感のようなものを必要以上に敏感に感じ取ってしまっていたのかもしれない。

しかし、だからこそ、とでもいうべきか、この初期の作品群には、その危うい緊張感のなかで彼女の音楽的才能が、戸惑い模索しながらもゆっくりと、そして確かに花開いていく様子を感じることができる。ピアニストだった父親の影響もあり(米南部の家庭にしては相当リベラルな両親だったと聞く)、幼いころからフォークやブルースの類の音楽に親しんでいたという彼女のルーツ・ミュージックの素養は、初期3作品のサウンド面を支えたソニック・ユースのスティーヴ・シェリーやティム・フォルヤン(ちなみに二人はトゥー・ダラー・ギターというバンドも組んでいる)といったアメリカン・インディ・シーンを代表するプレイヤーによって揉まれ、精錬を重ねることで表現の懐を格段に広げ、一種殺気にも似た凄みを纏いながら輝きを増していく。そうして出来上がったものは、その生来のナイーヴで深い内省をたたえた歌声と相まって、さながら「ポスト・ロック以降のジョニ・ミッチェル」とでもいうべき異形のフォーク/ブルース・ロックだった。ファースト・アルバム『ディア・サー』から順を追って作品を聴いてみたとき、彼女のソングライティング/表現が目覚しい速度で深化を遂げていく過程が手に取るようにわかるはずだ。この初期の連作によって、彼女のスタイルはほぼ完成を見たといっていいと思う。

そのプロセス/方向性は、オーストラリアの実力派ポスト・ロック・グループ、ダーティ・スリーのメンバーをサポートに迎えた本作に続く4枚目『ムーン・ピックス』(98年)において最大の達成を見せるのだが、スティーヴ&ティムと組んだ初期3部作の最後を飾る本作は、早熟な一人称の表現者だった彼女が、さまざまな才能と対話を交わすことで、ミュージシャンとしてひとつの成熟のかたちを迎える瞬間を映し出した作品といえるだろう。また、マタドールからのデビュー作品となったことも含めて(前の2作品はスティーヴが主宰するレーベル、スメルズ・ライク・レコードから発表された)、本作は名実ともに彼女の存在を広く世に知らしめるきっかけのアルバムとなった。

本作のサウンドについて少し補足すれば、前の2枚のアルバムに比べると、より有機的にアンサンブルが展開し、バンド・サウンドとしての厚みと奥行きを増している点、そして次作『ムーン・ピックス』や昨年リリースされた最新作『ユー・アー・フリー』に比べると、いい意味での荒削りな部分と、不安定なピッチから生まれる独特な陰影が顔をのぞかせ、彼女がフェイヴァリットに挙げるローレン・マザケイン・コナーズなどを思い起こさせる静謐な響きをたたえているのが特徴だろう。ちなみに、彼女のホームページにリンクが張られた本作制作/リリース時近辺と思われるインタヴューにおいて、最近のヘヴィー・ローテーションとして彼女がマーヴィン・ゲイや当時再結成した直後のレインコーツの新作(ちなみに彼女とスティーヴが本格的に知り合ったのはレインコーツの再結成ライヴの会場だった)、そして今やレーベル・メイトのミッション・オブ・バーマを挙げていたことを参考までに記しておく。

本作についてもうひとつ記すとするなら、10曲のオリジナル曲に混じって収録されている2曲のカヴァー曲の存在だろう。前の2枚のアルバムでもトム・ウェイツやハンク・ウイリアムズのナンバーを、シングル・カットされた本作収録“Nude As The News”のB面ではソニック・ユースの名曲“スキッツォフレニア”をカヴァーし、また『ムーン・ピックス』後の2000年にはその名も『ザ・カヴァーズ』と銘打たれたアルバム(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ローリング・ストーンズetc)をリリースした彼女だが、本作ではピーター・ジェフリーズの“The Fate Of The Human Carbine”とスモッグの“Bathysphere”のカヴァーに挑戦している。なかでもスモッグことビル・キャラハンといえば、先日念願の初来日を果たしたウィル・オールダムことボニー“プリンス”ビリーや、プラッシュことリアム・ヘイズと並ぶ、現代アメリカン・インディが誇る最高のシンガー・ソングライター/ストーリー・テラーのひとり。以前彼にインタヴューした際に、彼は自分の音楽について「自分の作る音楽はすべて宗教音楽であり、信仰そのものである」と話してくれたことがあるが、そうした原曲が持つ荘厳な美しさを、彼女は見事なまでに自分色に染め上げて、原曲と聴き比べても遜色のないオリジナルな名曲に仕立て上げている。曲が醸し出すスピリチュアルなイメージとは裏腹に、ハッピーで素直な性格の持ち主だと聞く彼女だが、その音楽と向き合うストイックな姿勢において、スモッグとショーンは互いに重なり合うところが大きいのではないだろうか。曲を聴きながら、つい2人が共演する姿を夢見てしまいたくなるような、本作のハイライトのひとつともいえるナンバーだ。

冒頭に記したように、本作のリリースと前後してキャット・パワーが2度目の来日公演を行う。昨年1月に下北沢で見た初ライヴは、機材のトラブルなどもあり、彼女にとって決して本調子といえるライヴではなかったように思うが(正直、演奏もどこかちぐはぐなものだったと思う)、それでも十分に彼女の魅力や凄み、あるいは「歌の力」のようなものがストレートに伝わってくる、あたたかくてプライベートな空気にあふれたとてもいいライヴだった。前回は会場的にも小規模なもので、結果的に限られた人しか見ることができなかったが、今回は本格的なライヴ・ホールでの公演ということで、より多くのファンが彼女の生の歌に触れることができたのではないだろうか。そして、願わくは本作を含めた過去3作品の国内盤のリリースをきっかけに、彼女の歌を愛するファンの輪がさらに大きく広がることを切に願う。彼女を追いかけるファンのひとりとして、これが今の素直な気持ちである。


(2004/05)

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