2012年1月27日金曜日

極私的2000年代考(仮)……USアンダーグラウンドの兆し~騒音の系譜

ラプチャーのライヴを観た一週間後、恵比寿Guiltyでブラック・ダイスのライヴを観る機会に恵まれた。

ブラック・ダイスもまた、ラプチャーを始めヤー・ヤー・ヤーズやライアーズなどと同じく現在ニューヨークのブルックリンに活動拠点を置くバンドだ。しかし、そのサウンドは今名前を挙げたバンドとは明らかに一線を画するもので、ギターとドラム、エレクトロニック・パーカッションとエレクトロニクスによる超絶的なアンサンブルから放たれるのは、初期ボアダムスやミッシング・ファウンデーションにも通じるウルトラヴァイオレンスなノイズ・ジャンク・コア。15曲10分の猛スピードで駆け抜けるデビューEP『Black Dice』(2000年)、セカンドEP『Cold Hands』(2001年)をへて昨年リリースされたフル・アルバム『Beaches & Canyons』では、一転してサイケデリックで奥行きある音響世界を披露するが、ハイヴォルテージな演奏と緻密なサウンド構成は圧倒的で、ブルックリンにおいてのみならず異端中の異端といえる代物だろう。ちなみに『Beaches & Canyons』のアメリカでのリリース元はDFA(※UKではファット・キャット)となり、つまりラプチャーとはレーベル・メイトの関係にある(※最近DFAからリリースされた12インチにはボアダムスのEYEによるリミックスが収録)。さらにゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラーからホット・ホット・ヒート、ヤー・ヤー・ヤーズといった最近のツアー共演バンドの顔ぶれもまた、彼らの音楽的背景の広さを物語るようで興味深い。

その日のライヴは、そもそも別件で来日が決定していた彼らにオファーして急遽スケジュールが組まれたエキストラなものだったらしく、そのせいか音響の面で会場との相性がいまいちよくなかった気もするが(もう少し音が大きければよかった……)、それでも十二分に彼らの類まれな音楽世界を堪能できる体験だった。昨年1月にクアトロでライトニング・ボルトと共演したときの狂乱ノイズ地獄とは打って変わり、『Beaches & Canyons』の流れを汲んだインプロヴィゼーション主体の張りつめたアヴァンギャルドなステージで、現在の彼らのモードが窺える内容。一音一音の打撃力で圧倒するのではなく、起伏のゆるやかなサウンドスケープを描きながら、構築と解体、静寂と喧騒を自在に操る展開は、いわゆるハードコア的なショックとは異なる瞑想的な全能感を誘うものだった(※演奏は基本的に40分切れ目なしの数珠繋ぎの構成)。それは、かつてであればフリー・ジャズやいわゆる「即興音楽」が有していた音楽表現における前衛性や実験精神みたいなものを、現在は彼らのようなバンドが受け継ぎ、代行さえしているのではないか――とあらためて実感させられたライヴだった。


唐突だが、そんなブラック・ダイスが来年5月に行われるスロッビング・グリッスルの再結成ライヴに出演するのだという。

TGは、言わずと知れたポスト・パンク/ニューウェーヴ期のイギリスを代表するグループだ。中心メンバーのジェネシス・P・オリッジ(※後にサイキックTVを結成)率いるパフォーマンス・アート集団「Coum Transmissions」が発展するかたちで1970年代中頃に誕生し、キャバレー・ヴォルテールやSPKなどと並んで実験的エレクトロニクス/インダストリアル・ミュージックの旗手として注目を集めた存在である。

彼らのレコーディング・スタジオから取られた“Music From The Death Factory(死の工場の音楽)”というスローガンそのままに、禍々しい電子音とテープ・コラージュ、チープなリズム・ボックスとマシーン・ノイズと気のふれたヴォイス・パフォーマンスが奏でるサウンドは、どこかバカバカしくも背筋が凍るような代物で、一般的に彼らの名盤とされる『20 Jazz Funk Greats』は、まさにその最たる例と言える異端極まりない前衛精神が炸裂した作品だ。最近リリースされたコンピ『In The Beginning There Was Rhythm』(※ポップ・グループ、ギャング・オブ・フォー、スリッツ、ディス・ヒートetc)にも収録された表題曲“20 Jazz Funk Greats”を筆頭に、屈折したエレ・ポップというか、まるで現代音楽の残骸のような楽曲が累々並ぶ……。バンドは1981年にサイキックTVとコイルの二つのグループに引き裂かれるかたちで解散を迎えてしまうが、しかし、彼らが作り出した「ポップ・ミュージックの終末」のごとき異形のマシーン・エイジ・ミュージックが、同時代や後世のアーティストにいかに支持され影響を与えたかは、ブラック・ダイス以外にも再結成ライヴに出演予定の顔ぶれ……アレック・エンパイア、ジム・オルーク、アンドリュー・ウェザオール、マトモス、パンソニック、メルツバウ、リディア・ランチ……からも窺えるだろう。

ブラック・ダイスとTGとの間に、これといった音楽上の共通点は見当たらないように思える。たしかに両者とも騒音嗜好な面があるが(それとシルヴァー・アップルズの影響を感じる)、その成り立ちは前者がパンク/ハードコア的なのに対して、後者はもっとアート主義的というか、コンセプチュアルな色合いが強い。さらにブラック・ダイスの、「音響」と「音像」で空間を構成していく『Beaches & Canyons』以降のサウンドにいたっては、もはやその目指すところはTGとはまったくの別物だといっていいだろう。


この一年近く、いわゆるポスト・パンク/ニューウェーヴ期のバンドを集中的に聴いてきた。そして、それと同じぐらいの量の“ポスト・パンク・リヴァイヴァル”と呼ばれるようなニューヨークのバンドを聴いてきて気付いたのは、たしかに後者の中には、前者に属するバンドを具体名まで連想させるほど共通点を多く感じさせるものも多いわけだが、実はそんな表面的なレベルの話は瑣末な問題でしかなく、もっと本質的な部分で両世代の間を通底する“気分”のようなものと、それを醸成する“状況”があるんじゃないか、ということだ。たとえば、かつての“ポスト”という言葉が象徴していたところのアティチュードと現在のそれは、どう違う/一致するのか。あるいは、そうしたアティチュードが共有される背景にはどんな要因が絡んでいるのか。つまり、どうして今ふたたび“ポスト・パンク”な音と精神が求められているのか。

だからブラック・ダイスとTGの場合も、逆に両者の音楽性がそれほど似ていないがゆえに、そのめぐり合わせの妙に胸騒ぎを覚えてしまった、というか(まあブラック・ダイスの場合はポスト・パンク/ニューウェイヴというよりノー・ウェイヴの方が近似性は妥当かもしれないが)。もちろん、今回の共演の決定をめぐって両者の間でどんなコミュニケーションがあったのか現時点で知る由もないが、個人的な推測を言わせてもらえば、おそらくTGの、あの時代も批評も意に介さぬような孤立した有りようにブラック・ダイスの面々の共鳴するところがあったのではないか。いわゆるジャンル名ではないポスト・パンクの基本態度とは、センスや直感を手がかりにあらゆる音楽表現の越境と横断、混交を試みるオープンマインドな思想性を指す(と理解する)が、それを実行するうえでもっとも大事であろう遊戯性、遊び心みたいなものを両者のサウンドには強烈に感じる。そのどこか非常なまでの痛快さは、まるでトビー・プーパーやサム・ライミのスプラッター・フィルムのように、勢い余って“笑い”さえ起こさせるものだ。


そんなブラック・ダイスに負けず闇雲で、底なしのパワーと潜在能力を感じさせるバンドがもう一組。それがミシガンのウルフ・アイズだ。彼らとブラック・ダイスの面々はしばしばライヴで共演する仲であり、また今月末にロンドンで行われるアヴァンギャルド・ミュージックの祭典「ノー・ミュージック・フェスティヴァル」にも揃って出演(※日本からは非常階段とインキャパシタンツ)と、個人的に今もっとも気になるバンドのひとつだ。

地元ミシガン州アナーバーで1990年代半ばから個別にバンド活動をしていた2人によって1998年に結成されたウルフ・アイズ(※その後トリオに)。メンバー全員がエレクトロニクスを操り、そこにギターやテープ・コラージュ、ハーシュ・ノイズや絶叫が即興的かつ勢い任せに重ねられる暴力音響は、TGはもちろん、さらにはスーサイドやシルヴァー・アップルズの域にまで突き抜けてしまったようなクレイジー極まりない代物だ。同時に、一発一発の音の破壊力を身上とするようなハードコア/ジャンク的なノリも旺盛で、そのあたりはホワイトハウスやスワンズなんかを連想させる場面も多い。2001年リリースの『Wolf Eyes』では、ほとんどの楽曲が3分前後でまとめられた“パンク”な特徴が目立つが、昨年リリースの『Dread』では10分を超える長尺のナンバーが占めるようになり、より実験的な性格を全面に押し出していくようになる。このあたりの流れはブラック・ダイスの近作を思わせるところもあるが、彼らの場合はあくまで“破壊”にこだわるのが主義、というか。徹底的にヴァイオレントで、引き攣り笑いを誘うように「実験」に興じるさまは、音楽というよりまるで黎明期のアンダーグラウンドなパフォーマンス・アートのようでさえある。彼らもまた、そんな“極限までクリエイティヴィティを暴走させる”ギリギリの遊戯性を持ち込むことで、音楽表現の強度を築き上げるようなバンドだろう。


彼ら以外にも、新作『Absolutes』をリリースしたニューヨークのサイティングスや、名前の通りピンクと茶色の全身タイツでギター&ドラムのノイズ漫談を繰り広げるピンク・アンド・ブラウン(※ともにライトニング・ボルトと同じLoad所属)など、何かを“反転”させる可能性を予感させるバンドは、まだたくさんいる。


極私的2000年代考(仮)……ポスト・ノー・ウェイヴはアンダーグラウンドを疾駆する)



(2003/8)

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