2012年1月13日金曜日

極私的2000年代考(仮)……リチャード・ヘルが語る26年目の“ブランク・ジェネレーション”

リチャード・ヘルがザ・ヴォイドイズとしての活動に終止符を打ったのが1984年。その後、1990年の初来日公演やディム・スターズの結成など単発的な活動を見せながらも、リチャード・ヘルが音楽活動の第一線から退いて久しい。思えばザ・ヴォイドイズの解散は、1978年のセックス・ピストルズの解散と同じく、1970年代に起きたパンク・ムーヴメントの終焉を決定づける出来事だったわけだが、しかしジョン・ライドンの例を引くまでもなく、リチャード・ヘルの存在は後の多くの意識的なパンク・アーティストに影響を与え、その精神やアティチュードはリアリティーを失うことなく現在に受け継がれている。あらためて彼の作品を聴いてみるといい。たとえば“アナーキー・イン・ザ・UK”がそうであるように、同じく1976年に発せられた“ブランク・ジェネレーション”が、四半世紀を超えた今なおユース・カルチャーの抱える苛立ちや焦燥感を射抜く有効なレベル・ミュージックとして機能している事実に、誰もが気付かされるのではないか。

この度リリースされるアンソロジー『タイム』をもってリチャード・ヘルの現場復帰と捉えるには、さすがに早計かもしれない。しかし以下で語られているように、彼が今でも“ブランク・ジェネレーション”当時の気持ちやパンク精神を失っていないことは、ファンとして素直にうれしい。今のリチャード・ヘルがどんなロックンロールを鳴らすのか、聴いてみたい。


●まず、こうしてインタヴューの機会を設けていただけたことに心から感謝しています。というのも、あなたがリチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズとして『ブランク・ジェネレーション』をリリースされた1976年に生まれた自分にとって、まさかこうしてあなたに話を伺えるとは夢にも思っていなかったので。
「ははははは、どういたしまして」

●なので今回は現在のあなたの話とともに、いくつか過去を振り返るかたちの話も伺わせてもらえれば、と思っています。
「うん、わかった」

●ではまず、音楽活動に限った話ですが、日本のファンからすると90年の来日公演以来、10年以上あなたの活動の知らせがほとんど入ってこない状況が続きました。正確にいえば95年にロバート・クインとの共演シングル“Go Now”をリリースして以来ということになると思いますが、この7年近く音楽活動から遠ざかられていましたよね。
「うん、そうだね。基本的には執筆に専念してたっていうか。それで……ほら、日本のさ……おもしろい雑誌があるんだけど知ってるかな。それに何回か書いたこともあるんだよね。たぶん東京で発行されてるものだと思うんだけど、『アメリカンブックジャム』っていう雑誌で、ここアメリカでもよくみかけるんだよ。もちろん日本語の雑誌で、おれも何回か書いてるんだけど記事は翻訳されててね。編集部とは付き合いがあって書くことになったんだ。それで、残念ながらおれの小説(『Go Now』)の方は日本語に訳されてないんだけど、あの作品は自分にとって90年代の大きなテーマだったんだよね。書き終えるまでに3、4年はかかったものなんだ。それと、新しい本(『Hot and Cold』)の方は、おれの人生においてもすごく大きな節目になってるっていうか(笑)。今回の本はさ、今まで書いてきたものをまとめて書き直すのにかなりの時間を費やしたし、装丁にまで関わったからね。出版社側が本の佇まいまで任せてくれたんだよ。だからここ何年かはほとんど執筆に追われる日々だったな。ただ、日本ツアーから帰ってからすぐの1992年に、ディム・スターズ名義で一枚アルバムを作ってるんだ。おれとソニック・ユースのサーストン・ムーア、スティーヴ・シェリーの2人と、いろんなバンドを手掛けてるプロデューサーでギタリストのドン・フレミングでやったユニットなんだけど、たしかそのアルバムは日本でもリリースされたんじゃないかな(※日本盤はすでに廃盤)。それと2000年にも新曲をレコーディングしてて”Oh”っていうタイトルなんだけど、CDも出てるしウェブサイトからもダウンロードして聴けるんだ。あれはザ・ヴォイドイズのオリジナル・メンバー、ロバート・クイン、アイヴァン・ジュリアン、マーク・ベルと一緒にレコーディングしたんだ(※リチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズ名義)」

●それってバンドの再結成プロジェクトだったんですか?
「いや、そういうわけではないんだけどさ。はじめレーベルの方から費用は全部持つから一曲レコーディングしてくれって頼まれてね(笑)。一曲作るには充分すぎるお金を出してくれて(笑)。それに曲を書くだけであとは他に何の義務も押しつけられなかったし。ツアーとかもしなくてよかったっていう。実はこういうことがいつもついてまわるから、意欲的に音楽活動をやろうって気が萎えてたんだよ。でもあの時はこういう条件だったし、費用もたっぷりあって金の心配をする必要もなければリハーサルの時間を気にすることもなくてね。すべて向こうが用意してくれたんだよ。インタヴューも受けなくていいし、プロモーションとかクラブでの演奏もやらなくていいっていう(笑)。だから契約したんだ。基本的には曲を書いてテープを向こうに渡すだけでよかったから、誰と演奏するかってことは最初、話もしてなかったんだよね。おれの方でも昔のバンドとやろうなんて思ってもみなかったし。で、この曲を誰と一緒にやろうか、誰がやってくれそうかとか、いろいろ調べてたらさ……ふと、あのバンドが一番いいんじゃないかって思ったんだ。メンバーもスケジュール的に過去何年かヒマにしてたとこだったし(笑)。だからあの曲は運よくたまたま実現したって感じのものなんだ。はじめからバンド再結成を狙った企画じゃなかったんだけど、すごく楽しめていいものができたからよかったよ」

●あなたが音楽活動から遠ざかっていたのは、レコードを出すのに伴う宣伝やなんかに嫌気がさしていたからなんですか。あるいは執筆に専念したかったからなんでしょうか?
「えーと、音楽活動と平行して執筆だってできるわけだし、別に音楽がいやになったわけでもないんだよ。うん、それよりもっと君の言うように……音楽をやっているとアルバムを作るだけじゃなくて、自分の音楽性や日常生活に対してまでいろいろ干渉されるだろう? そういう状態に嫌気がさしてきてたんだよね。基本的にレコード制作は好きなんだけど、それに付随する他のいろいろなこともやらなくちゃいけないから……それがただ、ほんとにトゥー・マッチだったっていうか。むしろおれは、ものを書くことでも充分生きがいとか満足感を得られるんだよ。執筆にはああいう煩わしいこともくっついてこないし。そもそも、音楽的に燃え尽きたって感じた時点で何か他の生活手段というか、新しく生活の糧になる方法を探す必要があったんだよね。それが作家になることだとは、そのときは思いもしなかったんだけどね。まあ昔から何かしら書いてはいたけど、まさかプロのライターになるとは思いもよらなくてさ。というか、音楽をやめようと思った後に、自分がやりたいことを探していろいろ試してみたんだよ。演技をちょっとかじってみたり、脚本も書いて部分的に出演もした映画を自分で監督してみたりとか。その後で、最終的にはものを書く仕事に落ちついたんだ。というのも小説の執筆っていうのは自分のすべての知識を総動員できる上に、すごい充実感が得られるってことを実感したんでね。っていうのも……明らかに小説と音楽って全然関係ないんだけどさ(笑)。でも自分のやりたいことはとりあえずこれだったんだ、この仕事がやりたかったんだ、って思えたんだよ」

●なるほど、そうなんですか。ということは2冊目も小説なんですか?
「最近出たやつ? いや、あれはそうじゃないよ。タイトルは『Hot and Cold』っていって、日本でもある程度は手に入ると思うんだけど……。見つけるのは難しいのかもしれないけど、どこかで手に入るんじゃないかな。これも英語版しか出てないんだけどね。で、これは小説ではなくてコンセプトとしてはマタドールから出てるおれの新しいアルバム『タイム』と同じものなんだ。内容としてはこれまでに自分が書いてきた中で未発表のもの、形にしておきたいものをひとつにまとめたものでさ。『タイム』の方も、違うヴァージョンの曲とかデモとか、アウトテイクとかを収録してるんだ。で、詳しく言うとこの『Hot and Cold』は雑誌に掲載された記事やエッセイ、これまで書いてきたすべての歌詞が入ってるんだよ。歌詞は全部で50曲くらいでさ。それから60年代から書きためてきた詩の大選集とかも入ってて……。あとは創作ノートもね。アメリカでは以前、70年代に書いたノートをまとめた小さい本を出したんだけど、この本に入ってるのは主に90年代、正確には88年から98年までのものなんだ。あとは、写真やイラスト、それから短編もちょっと入ってるね。この本に収録されてるものは全部、今回初めて本として発表されるものなんだよ」

●当初から同じような趣旨のアルバムと単行本を同時に発売する予定だったんですか?
「いや、単なる偶然(笑)。お互いを補足し合うようなかたちで出ることになって、自分でもすごくおかしくってね(笑)。マタドールからのCDの収録曲のうちの半分くらいは自分で書いたものなんだけど、その歌詞は全部この新しい本に収められてるっていう。そういう形をとるようになったのもほんの偶然なんだよね(笑)。だってレコード会社も出版社の方もおれが他で何やってるのかなんて知らなかったし、実際このふたつの作品が発売されるまで気付かなかったっていう(笑)。うん、だからすごくおもしろい。それから最近こういう企画が発売ラッシュなのもおもしろいんだよね。たとえばパティ・スミスもベスト盤を出したばっかりだし、テレヴィジョンも活動を再開したし。それからラモーンズだってジョーイ(・ラモーン)が亡くなってからまたすごい盛り上がりをみせてるしさ。ラモーンズ関連の商品もたくさん出て評判になってて、ロックンロールの殿堂入りもはたした。それにジョーイの新しいソロも出たんだよね。時を同じくしてこういうことが起こるっていうのはすごく興味深いよね。ひとつの出来事がそれぞれ独立して起こっているように見えるんだけど……実は同時発生してるっていうか。それってつまりは、またこういう波がきてるってことなんじゃないかな。90年代初頭にもこんな傾向があったんだよ。グランジの大旋風の中、『Please Kill Me』(※主に60~70年代に活躍したパンク・アーティストたちへのインタヴューを通してパンクの歴史を検証する本、邦訳は未刊)が出て、結果的に70年代のバンドが再評価されたんだよ。それで今もおれたちの世代に関連したホワイト・ストライプスとかストロークスみたいなバンドが流行ってるっていうね(笑)。ほんとおもしろいよね、こういうものに注目する時代のうねりってものがあるんだな」

●今回こうしたアンソロジー的なアルバムを発表しようと考えたのはどのようなきっかけからなんですか? あるいはどんな意図があったんですか?
「あのさ、もともと以前に『R.I.P.』っていうコンピを作ってるんだけど、そのオリジナルのカセットをROIRっていうレーベルから出してるんだ。それが今回の2枚組の中の一枚のベースになってるんだけどね。で、ROIRがおれの許可もなしにそのコンピを世界中のレーベルとライセンス契約してるんだよ。むこうにそんな権利はないのにも拘わらずね。個人的にあの作品はすごく気に入ってるんで……ちゃんと自分の権利を取り戻したいと思ったんだ。自分で管理して、自分が満足できるような条件で出したかったんだよ。そういう意味で今回のマタドールの方はそういうことをよく配慮してくれて、きっちりお金も払ってくれたんだ。あとはさ、おれのブートレグが大量に出回って損してるってことをしっかり把握しろ、って周りからよく言われてたこともあって。その中の一人が今回マタドールをおれに紹介してくれたんだけど。マイク・カールッチっていう人でニューヨークでサブタレニアン・レコーズっていう店をやってるんだ。そこは70年代のニューヨークものが専門で、たとえばおれやパティ・スミス、トム・ヴァーレインとかを主に扱ってるんだよ。そのマイクがずっと前からライヴとかの音源を収録したコンピを作れって言ってたんだよ。マイクの方でもマタドールがおれの活動に興味を持ってることもよく分かってたらしいし。というのも、マタドールのジェラール・コスロフがマイクの店によく来てて、おれのレコードは何があるかって話をしたことがあったらしくて。とにかくマイクがおれとジェラールを会わせたがってたんだ。それで実際会ってみたら、すぐどういう内容にしたらいいかって話で盛り上がってさ。その打ち合わせのときからライヴのサウンドは劣悪だってことは分かってたんだけどね。君はもう聴いたかどうか分からないけど、ライヴCDの方のサウンドはさ……ものすごく音が悪いんだ(笑)。めちゃくちゃ録音状態が悪くてさ。っていうのもあれは1977年のコンサートで誰かが小さいテレコを上にかかげて録ったものらしくて(笑)。まあ、会場の音響が悪かったってのもあるんだけどね。でも……あのライヴを音源として選んだのは、あの時代のものすごく激しいパフォーマンスの様子とか、その会場の雰囲気をよく伝えてるからなんだ。まあ、とにかく2枚組の形で発売したのは、一枚分の値段とあんまり変わらないからなんだ。っていうのもアメリカではアルバム一枚14ドルくらいで、2枚組だと16ドルくらいなんだよ。つまり今回のは一枚の値段にちょっと足せば、ライヴ収録の2枚目がついてくるって形なんだ。こんなちょっとの差だったらライヴ盤もつけて2枚組にしたほうがいいと思ってね。だから意図したことっていったらこれくらいかな」

●そうですか。では今回あらためて自分の作品を聴きなおしてみてどんな気分でしょうか? 『タイム』のライナーには――。
「そうそう、それについてはなが~いエッセイをライナーに書いたんだよね。ほとんどそれについてしか書いてないやつ(笑)。そもそもマタドールが『この業界はだいぶ変わったからブックレットは特にいいものにしないと。最近はみんなCD‐ROMに落としてやりとりしちゃうから』って言うもんだからさ(笑)。最近のリスナーはみんなパッケージが欲しくて買うんであって、中身の音楽じゃない、重要なのはパッケージなんだよってね(笑)。だから自分でブックレットのデザインもやって、結構大変だったんだ。それからタイトル・トラックについての解説はあの曲の自己分析とか書いた理由、こめられている意味っていったことを長々と書いたんだ。あと、今回入ってる曲のレコーディングの様子も振り返って書いたな。そんな感じでやってたんだけどさ、そうだなあ……。昔のものを聴き返しても、曲を書いたときの気持ちとか、それがどんな曲かってことは自分で知り尽くしてるからそんなに大きな発見はなかったんだよね。何て言うか、歴史を振り返るような感じだったっていうかさ。他人が書いた小説とか映画のストーリーで、自分の知ってる話、みたいな感じでね。その物語を自分で整理して細部まで解説する作業はすごくおもしろかったよ。でもやっぱり自分の考え方はあまり変わってないから、新鮮さや驚きっていうのはそんなにないんだけどね。それよりもっと……何て言うか、映画を観てその評論を書いてるような感じなんだよ。必ずしも自分自身の物語っていうわけではなくて、誰のでもいいんだけど、とにかく自分が知ってるストーリーなんだ。で、あの頃を思い返してどうだったか、今そのことについてどう思ってるか、ってことを書いてみたっていう。でもそうだなあ、今となって振り返ると……どうかなあ。あの頃のおれはさ……すごく混乱した人間だったと思うね(笑)。でもほら、生きてるあいだずっと成長し続けられるラッキーな人だったらさ、現在から振り返ってみる過去は、常に支離滅裂なんじゃないかな、きっと(笑)。だって常に成長してるんだから、現在の自分の方が過去の自分よりもいろんな面で理解が深まってるもんだからさ(笑)。まあ、あの頃はすごくスリリングで毎日が刺激的だったけど、同時に悲しいことだってあってね。でも……まあ、終わったことだし(笑)。ははははは」

●なるほど(笑)、わかりました。では、あらためて振り返ってみて当時のあなたを支えていたもの、突き動かしていたのもとは一体何だったと思いますか?
「うーん、そうだなあ……。えーっと、前の世代のアーティストたちがすでにやったことを、どうしてわざわざ新しい世代の人がもう一度やろうとするんだろうか(笑)。時々それって全く意味がないような気もするんだ(笑)。でもさ、やっぱり世代ごとに何でもくり返されることが必要なのかもしれないね。たとえばおれがホワイト・ストライプスを初めて聴いたときにもさ、『うそだろ、この2002年に白人がスライド・ギターのブルースをやってどうしたいわけ?』って思ったんだよ(笑)。でも同時に何だか妙に気に入ったんだ。むしろそっちの方が自然な反応だと思うし、彼らのサウンドも昔のアーティストとそっくりなわけでもないからね。だからやっぱり世代ごとにすべてが再発見されて、その世代の人によって表現し直されることが必要なんだよ。おれはそういう表現活動を自分自身のため、そしておれの世代のためにやってきた。その行為へ突き動かしている衝動っていうのはつまり、この世界で何が起こっているかを見きわめて自分で解釈して……この世界で自分の居場所を確認したいっていう願望なんだよね。みんなに自分の意見を聞いてもらいたいって衝動と一緒なんだ」

●そういった衝動とか願望というものは、今もあなたの中に変わらず存在するものなんですか?
「うん、もちろんだよ。この世界を解明するのなんて誰にも不可能なんだし。……でもほら、自分でどのくらいそれを理解して、どのくらい表現できるのか、どれだけ高いレヴェルまでいけるか、ってことにやりがいを感じるんだよ。この世界の……おもしろい表現活動全体のレヴェルをさ(笑)」

●(笑)、わかりました。では2002年に聴く“ブランク・ジェネレーション”は、あなたにはどんな風に聴こえるのでしょうか? 今もリアルに、普遍的に響くロックンロール・ソングなのか、それともあくまで当時の自分の気持ちやメッセージを映し出したものにすぎないのでしょうか?
「えーと、いまもおれには有効だと思うけど(笑)。うん……。あの曲はサウンドもいいと思うし」

●では“ブランク・ジェネレーション”というフレーズにはどんな意味がこめられているんでしょうか?
「そうだなあ、あのフレーズの美しさっていうのはさ……えーっと……。いつの時代にも通用するってことなんだよ。だから受けとる側がすきなように考えられるんだ(笑)」

●(笑)。ではその当時としては何を伝えようとしたフレーズだったんですか?
「えーと、基本的にあのタイトルは何か、みんなが考えるきっかけになるようなものにしたかったんだよね。だから具体的にこれ、とは言い難いんだけど。でもあれはいろんなことをほのめかしてる表現なんだよ。70年代初頭の時期とあれを書いた頃のおれは、メディアの情報に打ちのめされていたんだ。ヴェトナム戦争は不安や恐怖を撒き散らすだけでわけがわからなかったし……。だいたいメディアってのは常に衝撃的な情報を取り出してきては、いろんな面から世の中の人々に襲いかかるんだ。それでその情報の絶対量がもう、ただ多すぎるんだ。情報過多なんだよ。それでしまいには受け取る側は気が動転してしまう。そして、そういうものに対して無感覚になってきちゃってさ。それとさ、ああいう空白(ブランクネス)とか空虚さとか……何て言うか、目的意識が欠けていてわけがわからないっていうコンセプトは、当時おれが興味を持ってた人たちの間で共通してるものだったんだ。たとえば、誰でもいいんだけど、アンディ・ウォーホルとかサミュエル・ベケットとかっていう、あの時代の最先端の人たちの間ではそうだったんだ。あとはある種冗談っぽい意味合いも含まれててさ、あれはジョークでもあって。すべてのものごとを空白だと考えれば、頭に浮かぶものすべてのつじつまが合うっていう意味があるんだよね。それってつまりは……誰だって自分がなりたい姿になれるっていうことなんだ。空白なら既存の枠にはまる必然もないわけだから、自分を好きなように作り上げられるっていうね。あのフレーズのいいとこはこうやっていかようにも解釈できるところでさ、それがその美しさでもあるんだ。じゃあ、そろそろ時間だね」

●もうですか。じゃあ、あと2問いいでしょうか?
「いいよ」

●ええと、先程あなたの世代のアーティストたちが再び注目を浴びているという話がありましたが、あなたのアルバムと本が出ると同時に偶然にもパティ・スミスのベストが発売されたわけで――。
「ああ、でもそれは全然違うんだよ。彼女のはベストで、おれのはその正反対なんだからさ(笑)。っていうのもおれの今回のアルバムは、以前に発表した作品は何ひとつ使ってないんだからね。『ブランク・ジェネレーション』や『Destiny Street』からの曲は全く入ってない。このアルバムはこれまで公式に発表していないアウト・テイクとかデモの中で気に入ってるのを集めてるんだよ。そんなわけでこれはベストでもなければ昔を振り返るものでもないんだ。まあ、ベストみたいなものも近いうちに作りたいとは思ってるんだけどさ。『ブランク・ジェネレーション』から3曲、EPの『Neon Boys』に『Destiny Street』からの2、3曲、それにアルバム『Dim Stars』からもいくつかって感じで考えてるんだ。でも今回のはそういう趣向ではないから、パティのとは全然別ものでさ。じゃあ、次の質問へいこう(笑)」

●ではパティ・スミスやトム・ヴァーラインなど、同世代のミュージシャンの活動についてはどう見ていますか?
「ああ、あんまりよく知らないんだよね」

●そうですか。彼らの健在な活動の一方で、昨年ジョーイ・ラモーンが亡くなったわけですが――。
「えっと、そうだなあ……。うーん、あのさ、彼の死の何ヶ月か前に会う機会があったんだ。ほんの数分なんだけど、そうだな、たぶん6、7年くらい会ってなかったからな。20代のころはいつも顔を合わせてたけど、その頃も顔見知りって感じで別に友達付き合いしてたわけではないんだ。もちろんお互い尊敬してはいたけど、そんなに深い交流はなかっていうね。だからおれの気持ちとしては何て言うか……人生を何かしら共有した誰かが亡くなったときとまったく同じ感覚で……。彼はラモーンズのメンバーの中では一番さ……優しい人だったと思う。心の広い人だったんだよ。ラモーンズの中で唯一、他人の気持ちを思いやれる人だったね(笑)。だからそういう意味でも亡くなっちゃって惜しい人だった。あとは、ほら、何かしら付き合いのあった人が亡くなればやっぱり喪失感を受けるじゃない? 何か、自分自身のどこか一部がなくなった感じがするっていうか。とにかく悲しいことだな」

●わかりました。最後の質問になりますが、今のあなたにとって「ニューヨーク」という街はどんな存在なのか、あるいは「ニューヨーク」で生活して創作することにはどんな意味があるのかお聞きしたいのですが。
「ああ、ええと……。パリに移る準備はすでにできてるんだ(笑)」

● ははははは、本気で(笑)?
「はは、どうでもいいってことでさ(笑)」


(2002/07)

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