2011年4月27日水曜日

極私的2000年代考(仮)……スコット・ヘレン

今回、メイン・プロジェクトであるプレフューズ73のニュー・アルバムをはじめ、スコット・ヘレン関連の作品が3タイトル相次いでリリースされる。なかでも、ファンの間でもっとも驚きをもって迎えられるだろう作品は、このアルバムに違いない。本作『Ice Capped At Both Ends』で初披露となるニュー・プロジェクト、ダイアモンド・ウォッチ・リスツ(以下DWW)でスコットが組んだのは、ヘラのドラマーであり、近年はマーニー・スターンのサポートや、LCDサウンドシステム/!!!やノー・エイジのメンバーらが参加したソロ・アルバム『Astrological Straits』も話題を呼んだ奇才ザック・ヒル。これまで、各種プロジェクトや作品/ライヴでの客演、プロデュース業も含めて多種多様なミュージシャンとコラボレーションを果たしてきたスコットだが、異色の顔合わせといえるだろう、これは。

かたや、ヒップホップ~エレクトロニカをキャリアの出自とし、現在はニューヨークを拠点に様々なプロジェクトを通じてジャンル横断的なサウンド・プロダクトを展開するトラック・メイカー/マルチ・インストゥルメンタリストであるスコット・ヘレン。かたや、地元カリフォルニアはサクラメントのパンク/ハードコア~ノイズ・シーンをバックグラウンドとし(ディアフーフやシュシュ、あるいは!!!の前身にあたるヤー・モスの面々もしかり)、スコット同様に多種多様なミュージシャン(デフトーンズ、ピンバック、キッド606、マトモス、ジョーン・オブ・アーク、CEX、オマー・ロドリゲス・ロペスetc)とユニットやコラボレーションを展開しながらも、その本分は生粋のドラマーにほかならないザック・ヒル。音楽的な繋がりは見当たらず、また個人的な面識もまったくなかった両者の関係だが、今回のDWWの結成は、ザックからの電話がきっかけだったという。

そもそもDWWとは、事前のアナウンスにもあったように当初は、旧知の仲でありプレフューズ73の前作『Preparations』で共演も果たしたバトルスのドラマー、ジョン・ステイニアーとスコットが計画していたプロジェクトの名前だった。しかし、互いに“本業”が多忙ゆえにスケジュールが合わず、話だけの状態が1年以上続いた末に、結局その計画は頓挫してしまう。そんな折、昨年の春(今回リリースされるサヴァス&サヴァラスの新作『La LLama』のレコーディング直後)、たまたまザックからスコットにソロ・プロジェクトのプロデュースの依頼があり、またスコット自身、以前からヘラやザックが関わる作品の個人的なファンだったこともあって、連絡を取り合ううちに意気投合した2人は、自然の流れで今回のDWWの結成へと至ったという(ちなみにスコットによれば、ジョンとのプロジェクトは今後、別の形で実現する可能性も十分ありうる、とのこと)。

とはいえ、ザックもまた複数のプロジェクトを掛け持ちする多忙さゆえスケジュールの調整は難しく、また両者のロケーションも離れていたため、一緒にスタジオに入り曲作りやセッションを行うといった形のコラボレーションは適わず。結論として今回のレコーディングでは、互いが制作した音源のデータをメールでやり取りする方法が採られた。まずはスコットがベーシックな部分――ギターと歌、自分で叩いたドラムを入れたものを作り、その上にザックがドラム・パートを重ね、それを聴いた上で再度スコットがギターも歌もすべて録り直す、というプロセスを繰り返す。レコーディングは昨年5月に始まり、ミックスも含めた全工程が終了したのが昨年8月(個人的には2002年ごろから曲を書き溜めていたようだ)。その作業の間、2人が実際に顔を合わせる機会は一度もなかったという。
事前に具体的なコンセプトやアイディアは用意せず、あくまで一連の作業の中から生まれるものを大事にすることで「2人の“バンド感”や“チーム感”を出したかった」とスコットは語る。

時間軸が異なる2人のプレイのコンビネーションを意識しながら、ひとつの方向性としてスコットの「歌」とザックの「ドラム」にフォーカスを当てた音作り(2人のアンサンブルを強調するようなミックス)が摸索された。「ザックから送られてきたラフでラウドなドラムの音に、彼の動作の一連性は損なわないようにしつつ、自分が書いた曲を当てはめる。そう処理をして音をクリーンなものにしたところで、自分の歌だったり楽器のクリアな感覚を生かすために、他のうるさい部分を下げたり、ヴォーカルとドラムに焦点を当てるためにバランスを取る。狙ったというより、自然とそういう方向性が見えてきた感じだね」。結果、「ザックにとってもヘラのドラムじゃない、自分にとってもプレフューズ的な音じゃない、ひとつの独自のバンドによる、まったくの別物として成立させることができた」と自負する。

その言葉どおり、本作『Ice Capped At Both Ends』は、これまでのスコットとザックの作品いずれとも趣向の異なるサウンドを披露するものだ。本作でスコットは、ギターやベース、ペダルスティール、クラリネット等々の楽器を自ら演奏し、まるでトロピカリアと中東フォークを往来するようなオーガニックで幽玄なインストゥルメンテーションを展開する一方、対するザックのドラミングは、ヘラでの脊髄反射的なプレイとは異なる緩急細やかなビートを刻みながら、楽曲全体のトーンやシークエンスを巧みに創出している。構成は至ってシンプルだが、様々な音楽的意匠を映す凝ったプロダクションとリヴァーヴのかかった奥深い音像は、ほとんど“サイケデリック”という形容がふさわしいかもしれない。いわゆる「プレフューズ73+ヘラ」みたいな、安易な音楽的帰結として一種のブレイクコア的な展開も想像できたが、それとは文字どおり“別物”の、それこそアニマル・コレクティヴやギャング・ギャング・ダンスといった同時代のサイケデリック/トライバル・ポップへのある種の回答ともいえそうなサウンドを作り上げてくるとは、誰も予想し得なかったのではないだろうか。

アナログ・テープで録音されたプレフューズ73の新作『Everything She Touched Turned Ampexian』、音響的な濃密さを増したサヴァス&サヴァラスの新作『La LLama』とも、その内省的なヴァイヴを共有するような本作は、さながらスコットの脳内世界を素描するようなドラッギーな生々しさも湛えている。またザックにとっても、「みんなはザックの千手観音的なプレイを期待しているのかもしれないけど、彼はそれだけのレベルのドラマーじゃない。彼が提示してくれたプレイは嬉しいハプニングだった」とスコットが評するように、今回のプロジェクトはチャレンジングで得がたい経験だったのではないだろうか。


なかでもスコットが、本作について特別深い思い入れを寄せているのが、その「歌」だ。本作ではすべての曲でスコットがヴォーカルをとり、それも英語で歌われている。素朴だが陰影に富み、そこはかとないサウダージな感覚が漂う叙情性は、「スペイン語特有のトーンや言い回しで英語で歌うというのが、ある意味、自分なりの独特のスタイルとしてできつつあるのかな」と自身も認めるように、サヴァス&サヴァラス等で聴けるそれとは異なる、本作のスコットの「歌」の大きな魅力となっている。とりわけ今回のレコーディングでは、ザックから帰ってきた音源を聴いて、録り直す過程で自分の声や歌を聴き直すことができたことが大きかったようだ。ちなみに本作の歌詞の内容はすべて、この5年間にスコットの周りで起きた出来事がテーマになっていて(スコットは本作のプレスシートの中で、DWWの構成要素を“日常の物事についてのシンプルな曲”と称している)、8曲目“Simple Love Notes (5 Years Later)”では、きわめてダイレクトな形で個人的な恋愛経験が歌われているという。

そしてスコットは、その曲にデュエットで参加しているバトルスのタイヨンダイ・ブラクストンや、同じくサヴァス&サヴァラスの『Golden Pollen』でも共演を果たしたスウェーデン生まれのアルゼンチン人SSW、ホセ・ゴンザレスらとの出会いが、自身をより深く「歌」へと向わせるモチヴェーションになった、と語る。「自分はビートを作る人間として思われているか、もしくは歌を歌うにしてもスペイン語で歌う、それもサヴァス&サヴァラスのような、いつもパートナーがいる環境でしかやったことがなかったところで、自分一人で曲を作る、一人で歌うってことは新しい経験だった。また、そういう中での出会い――タイやホセだったり、彼らに曲を聴かせて『すごいね!』って言ってもらったり共感してもらうことでさらにインスパイアされて、自分は突き動かされたんだ。一人で曲を作って、それを聴いて認めてもらえるアーティストに出会えるってことが、自分にとって新しい発見だったよ」

もちろん、スコットにとってザックとの出会いもまた、そうした“突き動かされる”ような経験だったことはいうまでもない。そもそもスコットにとって今回のプロジェクトは、その「歌」と同じく、きわめて私的なモチヴェーションから生まれたものだった。「このプロジェクトの大事なところであり、いいところであると思っているのは、まず、自分達自身の自費でやっているところ。レーベルに動かされているわけでもなく、自分達のアイディアで即断、即行動に移れるプライヴェートなもので、個人レベルで動くことができる特別なバンド。個人的なレベルの音楽なんだ」。誰からの干渉も制約も及ばない、ゼロから音楽と向き合える場所――それこそ、スコットがこのDWWのスタートに際して掲げた理想であり、実際DWWの活動は、その理想を実現化する美学(スコットいわく“パンク・ロック的な思想”)のもと運営されている。そして、スコットにとってそうした理想や美学をようやく共有することができた相手が、ザックだった。

「ザックとの繋がりに、間違いなくスピリチュアルなものを感じている。彼とこのプロジェクトに入るという話は雲の向こうから来たような話で、意識も期待もしてなかったけど、彼との出会いにはスピリチュアルなものを感じるし、自分自身、もしも歳を取ってこの先どこか遠い島で一人で過ごすようなことになったとしても、この音楽は作り続けていけるというものを見つけることができたこと自体がとてもスペシャルで。またそれをザックとやれているっていうのがスペシャルで、ようやくそういう特別なものを見つけることができたという感覚なんだ」


そうした感慨に至った背景には、プレフューズ73名義での最初の作品『Estrocaro EP』のリリースから今年で10年目を迎え、スコットの内に漠然と去来する“キャリアの節目”の感覚も影響しているようだ。それは、今回のDWWというプロジェクトの名前や『Ice Capped At Both Ends』というアルバム・タイトルとも関係している。「DWWという名前は、意味合いとしては、自分の中にある政治的な部分だったりもするんだけど……今、社会的に物質至上主義的で、すべてがマテリアリスティックな世の中がある一方、人間の尊厳だったり魂、ヒューマンな部分というのが対極にあって。で、自分だったら当然、後者の方を大事にしなきゃいけない、と思いながらも、世の中は前者に寄っているわけで……そういう状況に対する皮肉であり、マテリアリスティックな社会全体への皮肉を込めて“ダイアモンドの時計をした腕”というフェイクな部分を暗示させている。本当は、その背後にある人間的な部分のほうが大事なんだということを示したいんだ。アルバムのタイトルは――ダイアモンドや金を連想させる『Ice/Icy』には、煌びやかなイメージと同時に“氷のような、冷たい”という皮肉がある。今の世界的な経済状況、金融危機、政治的にも不安な世の中で、煌びやかに見えているけどその下には氷のような冷たい社会がある、という2面性、皮肉を暗示させているんだ。そしてここには、自分の立場、キャリアの相反する2面性も暗示されているんだ。成功した、煌びやかに見えるキャリアと同時に、カテゴライズされない音楽的なモチヴェーションもあり、DIY的なアティチュードも持っている、という2面性……」。


そしてスコットは、こう締め括る。「プレフューズ73として10年やってきて、今はマーケットに影響されない、関係ない自由な環境でフリーなスピリットで音楽を作りたい。音楽を作ることさえできればそれ以上、何も求めていないという次元に今はある。この10年、とくにこの3年で自分は大きく成長した。今は、音楽を作ることと自分の生活が最優先なんだ。そう、だから今、そういう葛藤はあるね」

スコットによれば、すでに次のDWW用のアルバム分の曲は用意できているらしく、次回はスタジオを使った、短期間の凝縮された時間の中でのレコーディングを計画している、とのこと。ネクスト・レベルを見据え創作のギアを加速させたスコットの動向に、ますます目が離せない。


(2009/3)

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