2011年4月12日火曜日

極私的2000年代考(仮)……ジョーン・オブ・アークというシカゴの重心

「自分がこれまで作ってきたどのアルバムについても言えることなんだけど、今回のアルバムに関しては、とくに聴くのがつらい……というか、心情的につらすぎてね。ちょうど自分の人生で難しい時期に差しかかってた時期で、個人的にいろいろあって、今回のアルバムを作ったのも……もともと、ジョーン・オブ・アークの新作については作る気がなかったんだよ」

本作『ブー・ヒューマン』について、ティム・キンセラはそう複雑な胸の内を明かす。

アルバムのレコーディングに入る直前、ティムは“自分の人生を大きく揺るがすような出来事”に見舞われ、なかば自暴自棄の状態に陥っていた。それでもレコーディングを通じ、自分の中にわだかまっていた感情を吐き出すことで正気を保つことができ、楽になれた。だから個人的に、今回のアルバムを完成されたひとつの「作品」とは見ていない。そもそも他人に聴かせるものとして考えてなかった、という。



ジョーン・オブ・アークの名前で活動を始めて10余年。オリジナル・アルバムとしては本作で9作目を数える。地元シカゴのインディペンデントなコミュニティに活動の足場を置きながら、いまやアメリカのインディ・シーンに確固たるポジションを築く彼らの存在は、同郷のトータスやウィルコと並んで誰もが認めるところだろう。しかし、そこに至るまでの道筋は、「自分がこれまで作ってきたどのアルバムについても言えることなんだけど――」と冒頭の発言でティムが前置きするように、必ずしも平坦なものとは言い難い。頻繁なラインナップの変更と、それに伴う音楽性の試行錯誤、また創作上の理由から活動が暗礁に乗り上げるなど、これまで幾度の過渡期を迎える中、ティムは一時的だがバンドを離れたこともある。前作『Eventually, All at Once』の直前には父親を失う悲劇に見舞われ、作品に暗い影を落とした。

ティム・キンセラが、ジョーン・オブ・アークの他にもこれまで様々なバンドやユニットで活動し、また現在も複数のプロジェクトを掛け持ちする多才なミュージシャンであることはご存知の通りである。
89年、当時高校生だったティムは、後のシカゴ発ポスト・ハードコア~EMO/ポスト・ロック・シーンの礎を築くことになる伝説的グループ=キャップン・ジャズを弟のマイクらと結成。95年の解散後、元ギタリストのデイヴィ・ヴォン・ボーレンがプロミス・リングを結成しEMOシーンを牽引していく一方(02年解散、マリタイムを始動)、ティムはマイクと元ベーシストのサム・ズーリックと96年にジョーン・オブ・アークを立ち上げる傍ら、平行してソロや、キャップン・ジャズのメンバーが再集結したアウルズ(アルバムのプロデュースはスティーヴ・アルビニ)、ジョーン・オブ・アークを始めサニー・デイ・リアル・エステイト、90デイ・メン、ヘラ、キャリフォンらのメンバーとコラボしたフレンド/エネミー、そしてニュー・アルバム『ゴーイング・トゥ・ザ・ボーン・チャーチ』がリリースされたばかりのメイク・ビリーヴetcと、ハードコア~ポスト・ロック以降のエクスペリメンタリズムを横断しながら多様な形態で活動を展開してきた。また、近年は映像作家としても高い評価を受け、本作に先駆けて初監督作品『オーチャード・ヴェール』のDVDを発表するなど、その表現のフィールドは音楽以外にも広がっている(※同作品のサウンド・トラックには、ティムの他にタウン&カントリーのジョシュ・エイブラムス、ジョーン・オブ・アークのベン・ヴァイダ、メイク・ビリーヴの一員でもある従兄弟のネイトが参加)。

なかでもジョーン・オブ・アークは、これもよく知られている通り、メンバー編成やレコーディングのアプローチにおいて、流動的で自由度の高いスタンスを大きな特徴としている。明確なコンセプトや着地点はあえて設けず、ティムが自宅で制作したデモを元に、その日スタジオに入れるメンバー(=楽器の布陣)に応じて即興的に音作りが行われていく。そうした試行錯誤の記録として日々ストックされる楽曲を、あらためてティムがオーヴァー・ダブ等のポスト・プロダクションを施しながら体裁を整え、全体の流れを方向づけ、結果アルバムとして「作品化」される。この一連のスポンテニアスな制作プロセスこそ、ジョーン・オブ・アークの独創的なサウンドが生み出される源であり、メンバー各自のクリエイティヴィティ&プレイヤビリティは無論、ソングライティングへの積極的な参加が要求されるシステムは、いわゆるバンドというより実験的なラボのイメージにも近い。実際、ツアーではメンバーの事情で本来より少人数でセットが組まれる場面も多く、となると必然的に個々のポテンシャルや柔軟な創造性が試されるわけで、そうした状況下で培われたものがスタジオ・ワークへとフィードバックされることでジョーン・オブ・アークは弛まぬ音楽的漸進を遂げてきた。

ゆえに、リーダー役としてのティムの肩に掛かるものは、たとえばメイク・ビリーヴのような「定型」のバンドの場合と比べて大きなものになる。メンバー各自の個性が尊重される反面、それを統率するティムのコンディションの如何が、バンドと作品の成否を左右する。ジョーン・オブ・アークが、人数的な規模も楽曲の構造的にも最もインタラクティヴなユニットでありながら、冒頭の発言にも窺えるように、ティムにとってはパーソナルな表現の場所としてその音楽活動のパーマネントな中心であり続けてきたのは、そのためだろう。

ティムによれば、今回の『ブー・ヒューマン』もこれまで同様、具体的なプランは立てず、臨機応変にレコーディングが行われたという。「その日誰がスタジオに来ることができて、その中で楽器をとっかえひっかえしながら片っ端からいろんなことを試した中で、1日の終わりに何ができるかって感じで、スタジオでその日何が起きてたのかを、そのまま音として記録していくって感じで進めていったんだ」(ちなみに資料によれば、本作にはティムを含めて14名のメンバーがクレジットされている)。オープニングを飾るリリカルな弾き語りから、真骨頂とも言うべき華麗な微分的アンサンブル、インタールード的に差し込まれたアブストラクトなエレクトロに、フィールド・レコーディング&コラージュが被さる静謐な(ジャンデックと聴き紛うような!)アヴァン・フォークまで、なるほど、刻一刻と変態するバンドの相貌をありのまま捉えたかのような脱中心的なサウンド・スケープがアルバムを通して描かれる。傾向としては、近作の流れを汲むメロディアスな側面(あえて言うならアメリカン・フットボール~オーウェンに連なるマイク節の唄心)が打ち出された印象も受けるが、全編の聴後感は相変わらず分裂的で起伏は激しい。なお、今作ではオーヴァー・ダブ等の処理はほとんど施されてなく、ライヴ・レコーディングのような生々しい音の質感が特徴的だ。

ファンの間では周知の事実かもしれないが、ティムは昨年、前述の映画『オーチャード・ヴェール』の共同制作者でもある妻のエイミー・カーギルと離婚した。そんな“自分の人生で難しい時期”にレコーディングされた本作は、ティムいわく「ここまで自分の情念を露にしたことはないってくらい、感情がもろに剥き出しになったアルバムになってる」という。なかでも、その象徴的なナンバーが、④“9/11 2”と、連作的な趣の⑩“If There Was a Time #1”&⑫“If There Was a Time #2”。スリントを彷彿させる荒々しい音響にのせて絶唱する前者は、まるで9・11の悲劇に襲われたように、ある日を境にこれまでの日常や人生が一転してしまった自身の失恋のショックを歌ったナンバー。そして、後者についてティムはこう語る。

「日本語の歌詞でどれだけニュアンスが伝わるかわからないけど、言葉遊びをしていて、最終的には何を歌ってるのかっていうと……要するに、自分は完全に混乱していて……で、混乱したまんまの状態で、時間とは何か、空間とは何かってことを問うてるわけだよね。その結果、時間も空間も実際には存在しないんじゃないかってところに救いを求めているというか……もしも時間も空間も存在しなければ、何もなかったのと同じなわけであってさ……っていう内容の曲なんだ」


最愛の人との離別。すべてが一変してしまった生活。「自分が生きていくこと以外に考える余裕がなかった」というティムに、それを見るに見かねた友人たちが、少しでも気が紛れれば、とヘッドフォンを被せて、マイクの前で歌わせた――そうして、この『ブー・ヒューマン』は生まれた。そんな今のティムにとって、ジョーン・オブ・アークは「自分を見失ったときに還ることの出来る場所」だという。
「そこで自分を自由に表現することで世界について知る、というか。だから、すごく自由だし、いろんな形で存在することができるっていう」

この秋からまた大学に通う予定なんだよ、とティムは語る。シカゴのアート・スクールで文章の創作について勉強し、これから何年かは学生生活を送ることになるという。はたして『ブー・ヒューマン』が、ティムの喪失感をどれほど贖うことができたのかはわからない。ただ、このアルバムを作ることが、ティムにとって新たな人生を踏み出す大きなきっかけとなったことは確かなようだ。6月末から行われる7年ぶりの再来日公演は、きっとメモリアルなものとなるに違いない。


(2008/05)

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