例えば1970年代から80年代にかけてのアメリカとイギリスのアンダーグラウンドなロック・シーンの間では、パンクからポスト・パンク/ノー・ウェイヴ、ニュー・ウェイヴ~ディスコ/ダブ……といった音楽トレンドの時間軸を互いに共有する連鎖反応や通奏低音があった。あるいは1980年代から90年代以降にかけての両者の間では、(ポスト・)ハードコアからオルタナティヴ~グランジ、ローファイ、ポスト・ロック~スロウコア……といったタームを背景に、地方都市(シアトルとグラスゴーetc)やレーベル(ブラスト・ファーストとSST/ホームステッド、マタドールとケミカル・アンダーグラウンドetc)同士の限定された範囲ながらシーンを結び合わせるコネクションがあった。
という具合に大雑把ながら2000年代を再考したとき、いわゆるロックンロール/ガレージ・ロック・リヴァイヴァル以降、現象化するレベルでの米英両陣営の相関性はほとんど皆無に等しいのが現状ではないだろうか。例えばブルックリン界隈のアヴァンギャルド~フリー・フォークやベイエイリア一帯のエクスペリメンタルなポップ勢に相応するシーンがイギリスには見当たらなければ、ニュー・レイヴからグライムやダブステップまで含むエレクトロ~ダンス・カルチャーがアメリカで顕在化する兆しも今のところない。もちろん、個々のアーティスト同士やレーベルの繋がりを介した交流はあるだろう(オール・トゥモローズ・パーティーズがUK/US双方の会場で定期的に開催されている意義は大きい。またWARPとTouch&Goの連携は2000年代以降のインディ・シーンに新たな図面を引く可能性を秘めている)。しかし、かたや細分化を極めるアメリカ側と、かたや大局的にトレンドが推移を見せるイギリス側と、音楽環境もシーンの構造(それを取り巻くメディア事情も含め)もますます乖離した両者の間に音楽的な共通言語を見出すなど、土台無理な話なのかもしれない。その隔たりは、数年前の80Sリヴァイヴァルやディスコ・パンクの類が、一見バックグラウンドを共有する同時進行のムーヴメントのように登場しながら、ラプチャーや!!!に代表されるようにハードコアやノー・ウェイヴを参照するアンダーグラウンドな性格を帯びていたアメリカ側に対し、イギリス側では後のニュー・レイヴと連結する「ポップ」のヴァリエーションとして隆盛を見せたことにも象徴的だ。少なくともアメリカのインディ・シーンにおける「アンダーグラウンド」を指すものが、音楽的にも状況的にも今のイギリスには存在しない――というのが傍から見た実感である。
思えば、そうした現状に対して、最もアクチュアルで意識的なミュージシャンの一人がジェイムズ・マーフィだった。ハードコア・バンドの元ドラマーで、スティーヴ・アルビニ周辺のエンジニアだった経歴をもつジェイムズと、アンクルのトラックメイカーを務めたティム・ゴールズワージーという2人のパーソナリティに象徴されるDFAの混血的なバックボーンと、それを反映したプロダクション・チーム/レーベルとしての横断的な活動(※最近で言えばM.I.A.のリミックスにパイロンの再発やホット・チップの新作、そしてヘラクレス&ラヴ・アフェアなど新人アクトのリリースが続く)、そしてジェイムズがLCDサウンドシステム/DJとして見せるエクレクティックなスタイルは、ローカリズムとジャンルの細分化で分断された2000年代への批評を含んだ真摯な態度に思える。ジェイムズ自身、DFAやLCDサウンドシステムを始めるに際して、音楽的な交流が希薄化する1990年代以降のUS/UKシーンの関係性について問題意識を抱えていたことをインタヴューで語っていたりもした。しかし、ジェイムズが牽引役ともなった2000年代のポスト・パンク/ニュー・ウェイヴの台頭は、前述の通り、むしろ米英間の溝や相違点をあらためて浮き彫りにするものとなった。その状況は、2000年代も終盤を迎えた現在も変化を見せる気配にない(もっともジェイムズはLCDの“オール・マイ・フレンズ”をフランツ・フェルディナンドに歌わせたりもしてるのだが……こんなことやる奴、この男の他にいない)。
『アンチドーツ/解毒剤』を聴いて得た印象を簡潔に言うなら、LCDやラプチャーに相応するバンドがようやくイギリスから登場したな、というものだった。仮にフォールズを、冒頭にも書いたように2000年代のポスト・パンク/ニュー・ウェイヴの流れを汲む最新サンプルと位置づけるなら、前述の英米間の隔たりを埋め、双方の文脈に立脚し得るのが彼らではないか、と。以前はマス・ロック・バンドとして活動し、同時代のイギリスのロックをよそにハードコアやヒップホップを聴き漁っていたという彼らは、音楽的な素養に関してはポスト・アメリカン・オルタナティヴの純血種とも言えそうだ(ちなみにVo/Gのヤニスがフェイヴァリットに挙げるアウルズはジョーン・オブ・アーク等も率いるティム・キンセラのバンドでアルビニとも縁が深い。ヒップホップ系ではヴァンパイア・ウィークエンドのエズラと同じくア・トライブ・コールド・クエストを挙げる。中でもゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラーには特別思い入れが深いそう)。“Heavy Water”や“Two Steps, Twice”に顕著だが、ギター・ループを組み込む幾何学的なレイヤーの音響構築やアフリカン・ミュージックを援用したミニマルでポリリズミカルなビートなど、数多のエレメンツを含みながらも捩れた像を結ぶサウンドは、例えば、“ハードコア発、ポスト・ロック~マス・ロック行き”という1990年代中盤以降のアメリカのインディ・シーンで顕在化した流れ(※大雑把にバトルスやヘラ、あるいは一時のブラック・ダイス、もちろんJOAやトータスまで含まれ得る)を、2000年代のポスト・パンク/ニュー・ウェイヴを通過した「(ギター・)ロック/ポップ」へと強引にスイッチさせたような奇妙な系譜を思わせて興味深い。なるほど彼らの場合、PILとトーキング・ヘッズを、ディス・ヒートとロキシー・ミュージックを両手に転がし遊ばせるような不敵さがある。“Tron”や“Big Big Love”のようなメロディアスなナンバーも惹かれるが、「アメリカ」と確信犯的に交わり、その混血的なバックグラウンドを自身の創作に反映する在り方は、現在のイギリスの同世代の中では一際異色と言えるだろう。『アンチドーツ/解毒剤』は、ヴァンパイア・ウィークエンドが降り立ったブルックリンのまっさらな風景とは対照的に、音楽史的記憶を潜行すUKアンダーグラウンドの在り処を炙り出す。
『アンチドーツ/解毒剤』には、プロデューサーとしてTVオン・ザ・レディオのデイヴ・シーテックが参加している。聞けば、バンド側が仕上がりに納得できず自分たちで一部作り直したらしいが、具体的にレコーディングの過程でデイヴとどのようなやり取りがあったのか、そもそもなぜデイヴをプロデューサーに起用したかについては、これを書いている現時点では知らない。デイヴのプロデュース・ワークといえばやはり、結果的にTVOTRの格好のプロモーションともなったヤー・ヤー・ヤーズやライアーズの諸作が有名なところだろうが(新しいところでは、もろTVOTRマナーのアフロ・アヴァン・ポップを聴かせるドラゴンズ・オブ・ズインスの『Coronation Thieves』が面白い)、いずれのバンドの作品とも、またTVOTR自身とも『アンチドーツ/解毒剤』の印象は異なる。というか、第一に、アルビニやDFAのようにプロデューサーとしての“デイヴ・シーテックの音”なるものが現段階では判然としないので、今作におけるバンドとデイヴの相互作用を推し量るのは難しい(独特なエコーやリヴァーヴのサイケ感、オーガニックなまろみはデイヴの持ち味なのかもしれないが)。
ただし一方で、ヤニスいわく実際のプレイやソングライティングの上で広義のワールド・ミュージックを重要な音楽的指標の一つに挙げる彼らが(なかでもヤニスはセネガル音楽のギター奏法にインスピレーションを得ているという)、相談役にデイヴ・シーテックを迎えたという選択は、それなりに道理がいく話ではある。基本フリーフォーム(NYの肥沃な即興シーンの伝統を継ぐ)なジャムにドゥーワップやゴスペル、ソウルやファンクを落とし込み、それを圧縮しポスト・プロダクティヴな解体/再構築(ダブ・ミックス)を施しながら高密度で官能滴るポップ・ミュージックへと整形していくTVOTRのサウンドは、その概観こそ異なるが、いわゆるルーツ音楽やプリミティヴなものとポスト・ロック以降の音響マナーや2000年代ならではの批評性との循環の中からそれが精製されるというプロセスにおいて、フォールズとも共有するアプローチや構造をもつと強引に言えなくもない。彼らやヴァンパイア・ウィークエンド然り、アフロ・ミュージックや様々な民族音楽のエッセンスを取り込みユニークなサウンドを追求する動きが、ポップ/アヴァンギャルドの領域問わず新しい世代のバンドの間で顕在化しつつあることは以前にも軽く触れたが、そうした中でTVORT=その音楽的中枢を司るデイヴがある種の先駆的象徴として俄かにクローズアップされることは必然的な流れでもある。TVOTRが2006年に発表した2nd『リターン・トゥ・クーキー・マウンテン』はまるで、2000年代のインディ・ロック・シーンを斜め切りしたミルフィーユ状の断面にサン・ラーの宇宙を描くような怪作だったが、結果いかなる時代性や歴史性にも捉われぬベクトルを示したその異形の音の塊を、「あらゆる音楽を食い尽くし、新しい肉体を造っている」と評するフォールズの面々が、ある種の憧れとともに(たとえ形を結ばなかったとしても)自分たちが向かうべき理想像として熱望したことは想像に難くないだろう。
かつて『リメイン・イン・ライト』を制作する際にデヴィッド・バーンとブライアン・イーノは、アフリカン・ミュージックを自分たちの音楽に持ち込む上で、そのコードやリズムの概念に至る伝統的な奏法の習得と、それに順ずる形でインプロヴィゼーション主体のレコーディング・スタイルの踏襲を自らに課したというが、例えば今回の『アンチドーツ/解毒剤』においても、そのワールド・ミュージック的なニュアンスを再現する上でのルールみたいなものが、デイヴとバンドの間で何か取り交わされていたりしたのだろうか。昨年のEPリリース時のヤニスのインタヴューによれば、「ギターは12番目のフレットから上しか弾かない」とか「コードは弾かない」といった決め事が楽器単位ですでにあるということだったが、つまり、何かを新たに持ち込むというより、そもそも実践されているそうした非=ロック/西洋音階的なアプローチを、いかにして2000年代のロック/ポップの最前線に定着させるか、にこそ『アンチドーツ/解毒剤』のレコーディングの眼目はあったと思われる。その意味でデイヴ・シーテックという選択は、それが英米の時間軸を同期させるという意味でも最適だったと言えるだろう。
TVOTRとしてのニュー・アルバムについてはいまだ何の動きも見せない状態だが、昨年はVoのトゥンデがウルフ・パレードのメンバーらと参加したサトルのアルバム『Yell&Ice』が話題を呼んだ。サトルしかり、ワイ?やオッド・ノズダムといったアンチコンの周りに集う連中もまた、神出鬼没でフリーフォームな汎ジャンル主義の越境者たちであり、TVOTRが最初期のエクスペリメンタルなローファイ・ポップをへて、NYのアヴァンギャルドを横目にブラック・ミュージックの大河を渡り辿り着いた場所の近くに、アンチコンの一派はヒップホップを基点に1990年代のインディ・ギター・ロック~ポスト・ロックを読み替え、オルタナティヴに他花受粉されたシュールでサイケデリックなロック/ポップの花を咲かす。それは言うまでもなくフォールズの『アンチドーツ/解毒剤』とはまったく別のフォルムのサウンドだが、しかし、そこにはTVOTR~デイヴ・シーテックを介して三者を繋ぐ基底通音のようなものがあるような気もしなくない。例えばそれは、ロック/ポップの縦軸(歴史性)と横軸(時代性)を自由に移動し横断する創作精神の在り方だったり、それを実践しプロダクションに反映するプレイヤビリティの高さだったり、その結果としてのサウンドのクオリティだったり……。ともあれ、『アンチドーツ/解毒剤』が成功を収め、フォールズの名前が本国のみならずシーンを騒がせる状況になることを期待するしかない。
アンダーグラウンドはともかく、米英におけるメインストリームが1990年代以降、希薄な関係性のまま現在に至るという状況は、ジェイムズ・マーフィが違和感を抱いた通り確かなのだろう。その突破口を開くということは、すなわち「次の10年」を見据えた才能の登場を意味するに他ならない。いい加減、その瞬間が訪れてもいい頃だと思うのだが、どうだろう?
(2008/05)
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