その名前をワールドワイドに知らしめた2004年発表のサード・アルバム『タ・レン・ルッツ』をスルーし、翌2005年にリイシューされたファースト・アルバム『Dungen』を通じて初めて触れたドゥンエンのサウンドは、およそ現在流通するポピュラー・ミュージックの類とは異形の音楽体験として、筆者の好奇心を強く刺激した。ピンク・フロイドやムーディー・ブルースが、ソフト・マシーンやアモン・デュールが、オス・ムタンチスが、フランク・ザッパが……無造作に繋ぎ合わされ、あるいは混濁しながら「音楽体験」の時間軸を歪めるようなそれは、乱調するジュークボックスかアウトサイダーのうわ言のごとく要領を得なければ、明確な像を結ぼうとはしない。しかも、それらはすべてグストヴ・エイステスなるマルチ・インストゥルメンタリストがほぼ一人で創り上げたものなのだという。
後日、じつはその作品とは、2001年に発表されたオリジナルの『Dungen』の楽曲に、未発表の音源素材を編み込みロング・トラックを制作した、一種コラージュ的な作品であることを知るわけだが、その音全体の世界観が醸し出すマニアックで浮世離れした風貌は、スウェーデン出身という以外まるで素性の知れなかったその男の名前を印象付けるに十分なインパクトがあった。
「最初にドゥンエンとして音を作ったのは1998年だね。衝動的だったよ。やらなきゃいけないと感じた、というか。音楽リスナー、そしてミュージシャンとして、自分自身でやることを学ぶというのが自分には重要なんだ。ドゥンエンはぼくがフルートの練習に明け暮れ、悪いことにドラムキットを買い、さらに悪いことにベース・ギター(たしか、本当は盗んだんだと思う)やらポータブル・テープ・レコーダーを手に入れ、なんとか思うような形にしたいと没頭していたおかげで、当時の彼女と別れた時に始まったんだ」
たとえば、その複雑怪奇な軌跡を描くドゥンエンのサウンドを語るうえで、いわゆるフリーク・フォークとの比較は相応に有効といえるかもしれない。フリーク・フォーク――バック・トゥ・ルーツともいうべき態度で過去の音楽的遺産やフォーク~サイケデリックの系譜を参照しながら、同時にポスト・ロックやエレクトロニカ、アヴァンギャルドなど多様な音楽領域と交わりサウンドの枝葉を広げていく、なるほどフリーでフリークな音楽志向/嗜好の痕跡。安易なリヴァイヴァリズムでもなければ、定型化されたジャンル音楽の一種でもない。つまり伝統と革新。あるいはルーツ=音楽的記憶に根差した純粋主義と、変化/進化に向かう汎音楽的な折衷主義。こうしたフリーク・フォークのありようと響き合うように、グストヴはドゥンエンの音楽性をこう語る。
「ドゥンエンはレトロではない。ドゥンエンはコンテンポラリーである。そしてコンテンポラリーであるとは、過去と現在の両方の要素から成り立っているということだ」
いうまでもなく、ドゥンエンのサウンドにおいて、冒頭に名前を挙げたバンドや、1960~70年代初頭のフォーク/サイケデリック・ロックからの影響はきわめて重要な位置を占めている。一方、大部分を一人で手がけるレコーディングには、プロ・トゥールズを使用するなどポスト・プロダクションに余念がなく、またフェイヴァリットにMFドゥームやマッドリヴといった先鋭的なヒップホップ・アーティストを挙げるなど、その実態はフリーク・フォーク同様、単なる懐古趣味では断じてない。父親が有名なヴァイオリン奏者であり、小さい頃から地元のフォーク・ミュージックに親しんできたというグストヴにとって、伝統やルーツとの親和性はむしろ生来備わった彼の資質であり、その裏側で試みられるデジタル・テクノロジーの導入や、音のエクスチャーやプロダクションへのこだわりこそ、ドゥンエンを「コンテンポラリー」たらしめている所以だろう。
「今、この時代に作られている音楽なんて、どれも過去にどこかでやられているものだよ。300年前かもしれないし、25年、10年前かもしれないし。最近の音楽は話題の焦点が、どの時代から影響を受けたものだったら許される、みたいに見えるんだよね。1990年代にもすばらしい音楽を耳にしてきたし、すごく新鮮だった。そう思わない? そういう音楽や音楽作りの理解の仕方は自分を限定してしまうだけだと思う。だから、コンテンポラリーなサウンドを奏でていたいと思うんだ。それがどんなものであろうとね」
「両親ともにミュージシャンで、自分自身の音楽的なアイデアを追求する勇気を与えてくれた。兄が『ソウル・コーナー』っていう深夜のラジオ番組を発見して、司会のMats Nileskarが新しいブラック・ミュージックをかけてたんだ。ぼくらはそれでヒップホップに出会ったんだ。ぼくが初めて買ったレコードはパブリック・エネミーの『Brothers Gonna Work It Out』の7インチなんだ。自分たちなりのヒップホップをやろうとしてサンプリングとかやり始めたら、聴くよりもそっちの方が面白くなっちゃって。そうして、ミッチ・ミッチェルやボム・スクワッドのドラムの作り方とか、ジャズやフォーク・ミュージックのメロディ作りを学ぶようになったんだ」
つまり、その深いリヴァーヴが効いたアトモスフェリックな音響空間に、ブライアン・ウィルソンや1960年代のウォール・オブ・サウンドを見るか、それともイーノのアンビエントや1990年代以降のポスト・ロックやブリストル・サウンドを見るか。その紫煙立ち込めるノイジーなファズ・ギターや荒々しいグルーヴのうねりに、ジミ・ヘンドリックスを見るか(ちなみにグストヴにとって「コンテンポラリー」な音楽の原体験は母親がくれた『Are You Experienced?』だった)、それともプッシー・ガロアやロイヤル・トラックスのジャンクなブルース、さらにアースやサンといったスラッジ/ドゥームに通じるアンプリファイされたギター・ノイズを見るか。
あるいは、サイケデリックなジャムや複雑に展開するインストゥルメンテーションに、グレイトフル・デッドやサマー・オブ・ラヴのアシッド・ラディカリズムを見るか、それともジャッキー・オー・マザー・ファッカーやノー・ネック・ブルース・バンドと共振する前衛的なインプロヴィゼーションを見るか。そのどちらかではなく、双方が立つ地続きのうえにドゥンエンの音楽世界は存在する。
「クラウトロックは大好きだよ。カン、そしてダモ鈴木がやってきたこと、そして今やっていることも。それと、リチャード・D・ジェイムズはつねにもっとも好きなコンポーザーの一人だよ。キングよ、永遠に!!!! レゲエではコンゴスとホールズワースが好きだね」
かたや地元のスクールに通い、師事するヴァイオリン奏者の下でスウェーデンのフォーク・ミュージックを学ぶグストヴが、かたやオール・トゥモローズ・パーティーズのような先鋭的なミュージシャンが集うフェスティヴァルに出演し、ダモ鈴木やホルガー・シューカイ、マーズ・ヴォルタとステージを共にしてしまうという不可思議さ。まるでビートルズ『ホワイト・アルバム』とアニマル・コレクティヴ『ホリンドアゲイン』を繋ぐような前述の『Dungen』は、そんなユニークで深遠なグストヴの創作とバックグラウンドを如実に物語っているようだ。
5枚目のアルバムとなる最新作『4』は、昨年の前作『Tio Bitar』と異なり、多くの楽曲がバンド編成で制作された。これまで作品/ツアーでサポートを務めてきたギターのレイネ、そして昨年ライフ・オン・アース!名義で傑作ファースト・アルバムをリリースしたベースのマティーアスらに加え、同郷スウェーデンのレーベル「Hapna」所属の女性SSW、アンナ・ヤルヴィネンがゲストで参加している(ちなみにドゥンエンとは彼女のソロ作で共演経験あり)。
グストヴはアルバムのリリースに先立ち、そのサウンドの色調について「ジャズ的でシネマティック」と述べている。事実、今作には、ラース・ガリンやヤン・ヨハンソンといった1950年代の北欧ジャズの先人をフェイヴァリットに挙げるグストヴのジャズ愛が色濃く反映されているようで、いきなりムーディーなオープニングを象徴に、これまでの作品とはかなり異色な印象を受ける。いわゆるサイケデリックなジャムやハード・ロック的なダイナミズムは相対的に後退。フルートやストリングスを交え紡がれる有機的かつ幽玄なインストゥルメンテーションは健在だが、各楽曲とも4分前後とコンパクトな体裁がとられ、とくに中盤以降の流れなど、それこそAOR的(?)ともいえそうな、どこかアダルトで洗練されたムードが際立つ。
「『Tio Bitar』を作った後、なんかなにもかも嫌になっちゃってね。スウェーデンの南部に引っ越して、家にこもってずっとターンテーブルのスクラッチの練習をしていたんだ。この4年間、スクラッチはぼくにとって大きなインスピレーション源になっていて、一種の芸術的表現になっているんだ。スウェーデンの伝統的なフィドル・チューンのようにね。だから、数ヶ月間はスクラッチばっかり練習してたんだ。ペンキ屋とか階段掃除の仕事で生計を立てながらね。その後、祖母からピアノを譲り受けて、それがまたすばらしい楽器だったんだ。スクラッチ練習の合間にピアノをよく弾くようになって、気付いたら色々とメロディを思いついていて、急にいくつもの曲ができていたんだ。でも、今回はそれまでのようにドラムから始めて、オーヴァーダビングしたりして一回、録ってみるということはしないで、何週間か自分で演奏して、それからストックホルムのスタジオでレイネとヨハン(ドラム)に聴かせたんだ。こういうやり方は自分にとって初めてだったね」
ここで自ら語っているように、今作においてグストヴは、これまでのドゥンエン・サウンドを特徴づけてきたギターを封印し、ほとんどの楽曲でピアノに自らのパートを割いている。
「ピアノは一番最初に習った楽器で、一番うまく自分自身を表現できる楽器なんだ。ある意味、楽器として完全に時間を超越したもので、自分にとっては“顔のない”ものなんだ。というのも、ピアノ音楽は何百年も作られてきたけど、特定のジャンルやスタイルに捕らわれていないからね」仮にサード・アルバム『タ・レン・ルッツ』が、ドゥンエンの「ロック・バンド」としての原始性やポテンシャルを凝縮したひとつの極とするなら、今作は、その制作プロセスも含めてグストヴ個人のプライヴェートな作家性を抽出・具体化した、もうひとつの極に位置する作品といえるかもしれない。
とはいえ、ドゥンエンという生命体は、今なお知られざる素性を秘めたミステリアスな対象であり、その音楽はある種の深遠さをともない聴く者を魅了してやまない。作品を重ねるごとに露出も増え、そのヴェールは剥かれていきながらも、そのルーツや創作をめぐる来歴不明の禍々しさは、むしろ『Dungen』のころ以上に作品に深い陰影を掘り込む。高まる評価とは裏腹に、その存在を今の音楽シーン/時代に位置付ける適当な座標軸はそう易々と見つかる様子にない。「ぼくは自分を満足させたいだけで音楽を作っていて、それ以外の誰も、何も意識していないんだ」。
まるで溢れ出る自らの創造力を持て余すかのごとく嬉々と、朴訥と音楽と戯れる姿がその音楽からはありありと伝わってくる。
「自分は特定のタイプやジャンルの音楽を作ろうと意識したことはないんだ。ソングライティングの質が上がったと思いたいね。それに、音楽に対する愛情とミュージシャンシップのおかげで、技術的にも成長したと願っているよ」
それにしても、北欧のインディペンデントな音楽シーンはおもしろい。レーベルでいえば、前記のアンナや先日来日公演も行ったテープなど、良質なエレクトロニカ~ポスト・ロックを擁するスウェーデンのハプナ。北欧圏フリーク・フォーク~アヴァン・ロックの牙城=フィンランドのフォナル。キム・ヨーソイはじめ、近年ではオリジナル・サイレンス(サーストン・ムーア、ジム・オルークetc)やサンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マン、にせんねんもんだいの作品もリリースするノルウェーのスモールタウン・スーパーサウンド。あるいはアイスランドのキッチン・モーターズなど、アンダーグラウンドな領域からは近年、ユニークな才能が登場し注目を集めている。
なかでもドゥンエンは、ひときわ孤高のイメージが強い。ある種の土着的なコミュニティーを形成する「異境」において、しかしドゥンエンはどこまでも寄る辺なき存在であり、その音楽とともに弧絶した異彩を放っている。「ぼくはほとんど一人で過ごしているから、新しい音楽のフォロワーとしてはまったく絶望的だね。だから、残念なことに自分がどこかのシーンやムーヴメントに属していると感じたことはまったくないんだ。でも、北欧から面白い音楽がたくさん出てきているのは知っているよ。世界中そうだけどね。(略)どうして北欧の音楽がほかの世界から分離しているのかについては何も言えないな。ぼくはTVのチャンネルがふたつしかないような田舎で育ったんで、生活にすごくゆとりがあったんだ。自分の創造性はそこから生まれてきているんじゃないかな」
ドゥンエンはどこにも属さない。いかなるシーンやムーヴメントにも染まらない。
しかし、その音楽の中には、どこへも通じる扉が無限に開かれている。過去の記憶を喚起し、現在の様々な音楽事象を映し出す、時空を越えた音のメルティングポットのようにも思えてくる。いわゆる「ポップ」ではないかもしれないが、けっして難解なわけではない。アクは強いが、いかようにも読み解くことが可能なフリーでフリークな音楽。そんな希少なバンド、ドゥンエンをおいて他ではあまり見つけることができないようにも思うのだが、どうだろう。
(2008/12)
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