2011年3月9日水曜日

極私的2010年代考(仮)……オウガ・ユー・アスホールという返答

仮に今の日本のロック・シーンに「地図」のようなものを描くとしたら、オウガ・ユー・アスホールはどんな場所に置かれるのだろうか。あいにく普段は専ら洋楽プロパーの自分には、地図を描く以前に「シーン」なるものを見通すことさえ覚束ない。けれど、それでも彼らが、今の日本のロック・バンドの中でかなり独特な立ち位置のバンドであるだろうことは、なんとなく想像がつく。

たとえば、もう散々知られた話だが、オウガ・ユー・アスホールというバンド名の由来について。彼らがバンドを組み始めた高校生の頃、地元長野で行われたモデスト・マウスというアメリカのインディ・バンドのライヴを観に行った際、サインを求めたら代わりにいたずら書きされたフレーズをそのままバンド名に拝借した――というエピソードは、象徴的かもしれない。そして、今にして思えばこの出会いが暗示していたかのように、彼らはその後、インディーズをベースにマイペースな活動と並行して、これまで数多くの海外のバンドと共演を重ねてきた。その顔ぶれは、名付け親のモデスト・マウスをはじめ、ハー・スペース・ホリデイ、フー・ファイターズのクリス率いるジャクソン・ユナイテッド、元スミスのジョニー・マーがギタリストを務めるクリブス、フガジのイアン・マッケイの別ユニットのイーヴンス、また昨年3月に共同ツアーを敢行したディアフーフなど、US/UKのインディ・シーンで評価の高い実力派のバンドばかりである。

それぞれの共演の経緯は知らない。なかにはオウガと雰囲気の近いバンドもいれば、逆に一見したところ共通項の見当たらなそうなバンドもいる。まあ強いて言うなら、いずれのバンドもキャリアがあり、いわゆる「シーン」というものとはどこか無縁な存在である、というとこだろうか。ともあれ、オウガはそんな異邦の個性派揃いの中に置かれても不思議と腑に落ちる。世代も音楽性もさまざまだが、けれど同じ時代の土を踏み、空気を吸っているという連帯感や親近感のようなものを、そのオウガを取り巻く「地図」の上には見て感じることができるのだ。

オウガ・ユー・アスホールが結成されたのは2001年。仮に当時を海外の音楽シーンに当てはめるなら、いわゆるロックンロール・リヴァイヴァルと呼ばれた新世代のガレージ・ロック・バンドの台頭と、ニューウェイヴやポスト・パンクを参照した先鋭的なアート・ロックが注目を集め始めた時期とそれは重なる。

その背景には、1990年代後半を席巻したヘヴィ・ロックやミクスチャーへの反動としての原点回帰と、一方で現在も進展するインディ・ロックとダンス・フロアのクロスオーヴァーを予告した時代感覚の反映、という側面も指摘できるだろう。そして、彼らが結成からデビューを飾るまで5年の間に、前者の傾向は、まだ見ぬ才能たちの初期衝動を焚きつけることでシーンの世代交代を促し、また後者の傾向は、ジャンルも国柄も多様なフィールドを横断する実験的なサウンドが、インディーズに端を発して支持される土壌を用意した。つまり、彼らが登場したのは、そうして新旧の価値観が目まぐるしく交錯しながら、今につながるかたちへとシーンの活性化が進んだ変動の最中、と言えるかもしれない。


少し前に、とある深夜の音楽番組で彼らの特集が組まれていて、その中で彼らがバンドを結成するきっかけになったという、地元にあるゲーム店でのエピソードが紹介されていた。そのゲーム店は、フロアの片隅になぜか音楽コーナーが設けられていて、そこの棚には店長が趣味でセレクトしたUSインディ関連のCDやアナログが並べられている。地元ではその手の情報に乏しく、周りに音楽の趣味が合う友人も少なかった彼らは、その棚を通じてさまざまなバンドを知り、実際に作品を買って聴いてみたりすることで、バンドを始めるにあたっての基礎となる音楽的な素養やセンスを培ってきたのだという。

彼らがバンドを結成するに際して、どのようなサウンドの青写真を描いていたのかは知らない。実際、彼らは結成から2006年のデビューまでに5年の時間を要している。ただ、彼らがこれまで共演を果たしてきたバンドの顔ぶれをひとつの手掛かりに、『OGRE YOU ASSHOLE』や『アルファベータ vs. ラムダ』といった初期の作品を聴き返すと、当時の彼らがUSインディのサウンドに特別なシンパシーを抱いていたことがあらためて実感できる。

一音一音の「鳴り」を際立たせたコード感やリフを活かした演奏スタイル。ミニマルなフレーズで構築されたタイトなグルーヴ。ポスト・パンク直系の多彩なリズムを持ち込み、音で塗り固めるのではなく「隙間」を活かしたアンサンブルは音響的で奥行きある位相を見せる。そして何より、そこには「歌」がある。

たとえばそれは、パンク/ハードコアをバックグラウンドに持ち、USインディの前線を走るギター・バンド――それこそモデスト・マウスやデス・キャブ・フォー・キューティーから、ディアフーフやシンズらと親和性を感じさせるものだろうし、そこには一方的な影響云々を越えたサウンド美学の共感を認めることができる。もちろん、彼らの音楽性はけっして一面的にカテゴライズできるものではない。そもそも2000年代以降に登場した日本のロック・バンドにとって、海外のシーンとの関係はよりフラットに、そしてその影響はよりデフォルトなものとして無意識に意識されるようになった、というのが現状として言えるように思う。しかし、そのサウンドに具体的なイメージを与えて現在の姿へと輪郭づけていく上で、そうしたUSインディの存在が彼らにとって大きな音楽的指標のひとつとなったことは間違いないと思う。

ただ、一方でこうも想像できる。そのゲーム店に置かれたCD棚は、彼らにいろいろな音楽を教えてくれた、いわば参考書だった。けれど、いわゆる大都市のそれとは程遠い、インターネットも今のようには整備されていない当時の環境の中で、彼らはその限られた情報を貪欲に吸収する以上に、そこから漏れた未知の世界を想像し、その“余白”を想像/創造力で埋め合わすことで独自の音楽地図を頭の中で描きながら、今のサウンドを作り上げてきたのではないだろうか、と。
彼らは件の番組において、「情報がたくさんあったらあったで今の音楽を選んでいた気がする」と語る一方、「情報が少なかったことで近道にはなったかもしれない」とも語っていた。彼らにとってUSインディとの出会いは、創造性の視界を広げる「窓」になったが、あくまでそれはきっかけにすぎない。彼らはその「窓」から覗く景色をただ写生するのではなく、その焼きついた残像からアイデアを膨らませて、それこそ抽象画を描くように自由なタッチで自分たちだけの世界を築き上げていく。オウガのサウンドが、海を隔てた向こう側のバンドとの同時代性を感じさせながらも、それでいて、どこの音楽地図からも毀れてしまいそうな型破りの天然性を感じさせるのは、たぶんだからじゃないだろうか。


先日リリースされたばかりの最新ミニ・アルバム『浮かれている人』を聴く。1曲目“バランス”から、ストリングス・シンセや女性コーラスを交えたポップな新機軸を披露する本作は、そんなふうに柔軟かつ独立独歩で養われた彼らならではの才気が結晶した1枚だろう。全編にキーボードを導入したカラフルな音色と、「隙間」をトリッピーに染めるふくよかな音響処理。単音使いの素晴らしい“どちらにしろ”のトロピカル~アフロ・テイストや、“タンカティーラ”で耳を引くドゥーワップ風のコーラス。音色やリズムはさらに遊びを増す一方、サウンドスケープはがぜんまろみを帯び、騒々しくも洗練された印象を与える。

けっして奇をてらったようなところはない。ここにはまぎれもない「オウガ節」――オウガの歌とリフとリズムがある。けれど同時に、そうしたこれまでのオウガ像の殻を破ったような突き抜けた高揚感であふれていて、まさに「浮かれている」という形容が相応しい、前のめりに赴くまま音楽と戯れる彼らの姿が今作には刻まれている。彼らはインタヴューで「もっと自分たちが驚いたり笑えたりするものが作りたいし、そのためには規制を取り外したほうが楽だった」とも語っていた。彼らにとって今作のレコーディングは、いわばオウガという「窓枠」の外側へと踏み出し、あらためて新たな音楽地図を描き上げるような体験だったのかもしれない。そしてそれは、自身の音楽さえも既成事実化し、データベースのように消費してしまいかねない現在の音楽を取り巻く状況に対する、彼らなりの本能的な抗いのようにも思える。
 
11月、モントリオールのバンド、ウルフ・パレードのサポートという形で初のUSツアーを敢行したオウガ・ユー・アスホール。「浮かれている街。マイアミビーチに到着。」(11月11日、出戸学のツイート)。彼らの目に、直に触れた異国の音楽地図はどのように映ったのだろうか。そしてここからさらに、彼らはどんな音楽地図を新たに描き上げ、ファンに見せてくれるのか。楽しみは尽きない。


(2010/12)

0 件のコメント:

コメントを投稿