2012年3月25日日曜日

極私的2010年代考(仮)……ライヴ・インストゥルメンタル/エレクトロニクスの瑞々しいサンプル

「Lymbyc Systym」。この見慣れない綴りのバンド名は、医学/解剖学用語で「大脳辺縁系」を意味する「Limbic System」の、母音部分を「y」に置き換えたものなのだという。大脳辺縁系とは、大脳の表面を覆う大脳皮質の内側にあり、間脳や大脳基底核など脳幹を囲むように存在する脳の構造物の総称。快/不快、怒り/胸部etcをつかさどる扁桃体、記憶や学習能力をになう海馬などの部位が属し、人間が進化する以前の性質――つまり本能行動や情動に重要な役割をはたすとされる領域である。

そんな、一見エキセントリックな由来のバンド名をいただくアリゾナ出身の兄弟デュオ、リンビック・システム。そのネーミングと自分たちのサウンドとの関係性について、兄のマイケル・ベルは語る(以下、発言部分はすべてマイケル)。
「辺縁系というのは、音楽でいえばとても原始的な機能――たとえばリズムを追ったり、ビートにあわせて首を振ったりっていう、人間の本能的な部分をつかさどっているんだ。実際、バンドが今みたいな形になる以前の僕たちは、何時間も一緒に即興演奏をして、それが自発的にあるアイディアになり、結果的に曲になった。つまり僕たちは辺縁系をとおして、ある原始的かつ脳にかかわる水準において音楽と結びつけられているってことなんだよ」

ドラムやラップトップを操る兄のマイケルと、キーボード担当の弟のジャレドによってリンビック・システムが結成されたのは6年前の2001年。そして初めての音源となるEP『Carved By Glacier』をセルフ・リリースしたのが昨年。その結成からデビューまでの5年間の活動については、同郷のアルバム・リーフやマイス・パレードのライヴでオープニング・アクトを務めてきたこと以外、とくに記すべき情報は伝わっていない。マイケルの言葉から察するに、おそらく地道なライヴ活動と平行して、膨大な時間をふたりだけのセッションに費やしサウンドの探求に専念してきたのではないだろうか。
リンビック・システムの起源、すなわち兄弟にとっての“原始的かつ脳にかかわる”音楽体験の原点は、ふたりが幼少の頃にまでさかのぼる。

「僕たちと音楽との出会いはMCハマーとヴァニラ・アイスの時代に始まったんだよ。それで8歳と11歳のときに近所の連中とオールドスクールなラップ・グループを結成して。それから僕は学校でオーケストラを通じてドラムを始めて、ジャレドは音楽への内なる愛を通じてキーボードを選んだ。ジャレドは9歳のときに小さなカシオトーンでビートルズやドアーズを理解し始めた。本格的に一緒に音楽をやり始めたのはジャレドが12歳で、ローズ・ピアノを買ってもらったときだね。ローズは常にリンビック・システムのサウンドの基礎だったよ」
ふたりにとって初めての“音楽活動”がヒップホップだったというエピソードは、現在のリンビック・システムの音楽性からすると意外に映るかもしれないが、しかしマイケルが解説する音楽における「辺縁系」の機能とヒップホップの特性は、なるほど合致しているともいえる。また、彼らが昨年契約を結び、現在所属するレーベルが「Mush Records」(※ジェルやドーズワンなどアンチコン勢、先日エピタフからニュー・アルバムを発表したバスドライヴァーらを擁し、西海岸のアンダーグラウンドなヒップホップ・シーンを牽引するレーベル。近年ではハー・スペース・ホリデイやノーボディ&ミスティック・コーズ・オブ・メモリーの作品をリリースするなど、独自の“越境的”なカラーを打ち出している)であることを考えれば、彼らのその後を予告していたともいえなくない。加えてマイケルは「僕たちのサウンドに大きな足跡を残している」と感じるアーティストとして、マイス・パレード、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、トータス、フォー・テット、シガー・ロス、メデスキ・マーティン&ウッド、アーキテクチャー・イン・ヘルシンキの名前を挙げている。
 
そうした「辺縁系」に象徴される音楽的な哲学、ユニークなバックグラウンド、あるいは影響源の顔ぶれからうかがえる美学的な音楽観は、バンド結成から6年目に完成されたこのファースト・アルバム『ラヴ・ユア・アビューザー』に見事結実している。

「最も心がけたのは、オリジナルなサウンドにするってことと、最初から最後まで凝縮したものにするってこと。1ヶ月半もホーム・レコーディング・セッションをして大量に素材を録ったから、たくさんのアイディアを肉付けすることができたんだ。曲順の流れや、曲の繋ぎにも意識的だった。加えて、本物のレコーディング・スタジオの環境だったら時間がなくてできなかったような、普通じゃない録音技術を実験することができたんだ」
エレクトロニクスとライヴ・インストゥルメンタルの混交、デジタル(・プログラミング)とアナログ(・エフェクト)の境界を横断するようにさまざまな音色や肌触りの「音」を散りばめながら幾重ものレイヤーを施し、大胆かつ精緻に構成されたサウンドスケープ。そして、その全景をあざやかに彩り、音と音の隙間からあふれでるように空間を満たす美しく叙情的なメロディ。一音一音の響きが伝える豊かな感情表現と、ときにオブセッシヴな印象も与える複雑なテクスチャーが有機的に共存したそれは、ファースト・アルバムにして独自の音響的な概観を有することに成功している。先に名前の挙がった先達の意匠を受け継ぎつつ、ウォームな電子音とサイケデリックな色彩はボーズ・オブ・カナダの『ジオガディ』を、ノスタルジックなアトモスフィアと旋律はフェネズの「エンドレス・サマー」を(あるいは無垢な遊び心と、時おり不意に覗くメランコリックなトーンはエイフェックス・ツインの『リチャード・D・ジェイムス・アルバム』を)、そして多彩に脈打つリズム/ビートと“折衷的”なポップへの志向はワイ?などアンチコン勢やハー・スペース・ホリデイの近作のプロダクションを彷彿させる。そんなリンビック・システムの音世界は、インディ・ロックやポスト・ロック、エレクトロニカといった既成の領域を超越し、広くリスナーの心を魅了するに違いない。なお、本作のレコーディングには、同様に彼らに多大な影響を与えたであろうアルバム・リーフのジミー・ラヴェル、ディラン・グループ/マイス・パレードのディラン・クリスティが参加しているという。

ちなみに、本作のタイトル「ラヴ・ユア・アビューザー」について、マイケルはこう語っている。
「タイトルは、いろんな意味で『人生とは苦闘である』ということの抽象的な言い方なんだ。でも、もし人生が支配されていて、苦闘をコントロールしていると理解できるなら、それは本当の苦闘でもなんでもない。僕たちはまわりの世界をよくするために、ともに働かなければいけない。それに、このタイトルは少し荒々しい感じもするし、僕たちの音楽の瑞々しいサウンドへの皮肉のようなものなんだ」

日本盤のボーナストラックとして、冒頭で触れたツアー限定のデビューEP『Carved By Glacier』の5曲が完全収録されている。いずれの曲も、本編と遜色のない素晴らしい内容である。
また、現時点では未確定だが、初夏ごろに来日公演も計画中、とのこと。リンビック・システムの熱狂的なファンであるジミー・ラヴェルが「彼らはレコードもいいけど、ライヴがものすごいんだ」と語るように、作品での奥行きある音世界を凝縮し、静(=ジャレド)と動(=マイケル)をつかさどる異なる器官がダイレクトかつスポンテニアスに交感するようなパフォーマンスは、また彼らの魅力の新たな一面を伝えてくれる体験となるに違いない(その様子は彼らのMyspaceで見ることができる)。豪華共演バンドを迎えたツアー・プランも手配中らしく、一日も早い実現と正式なアナウンスを待ちたいところだ。

リンビック・システムにとって、「音楽」とはなによりも本能的で原始的なものとして実感されている。しかしそれは同時に、なによりも実験的で実践的な試みによって得られた音楽的叡知と創意によって計算され、考え抜かれた賜物でもある。だからこそ彼らの「音楽」は、マテリアリスティックなテクノロジーとも安易なロック・ミュージックのドラマとも無縁の場所で、聴き手の胸を打つ。はたしてリンビック・システムにとって「音楽」とはいかなる対象なのか。最後にマイケルのこの言葉をもって、本稿の結びとしたい。

「僕たちにとって音楽を作るうえで最も重要なことは、心地よく、それでいて際立って異質なサウンドにするということ。たとえばそれは、あるお馴染みのサウンドを思い出させるかもしれないし、特別な思い出を呼び起こすかもしれない。もしかしたら、とても悲しい気持ちやほろ苦い気分にさせるかもしれない。あるいは幸福感で満たすかもしれない。僕たちの曲にはヴォーカルがないから、そのぶんリスナーが自分の感情を増幅させる余地がたくさんあるんだよ」

(2007/02)

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