2012年2月13日月曜日

極私的2010年代考(仮)……「Reference」から「Transference」へ

臨床心理学の用語で「感情転移」を意味する「Transference」からタイトルが取られた、スプーンのニュー・アルバム『トランスファレンス』。「感情転移」とは、「心理療法の過程で、クライエント(相談者)がセラピストに対して向ける感情。その感情は、クライエントが過去に出会った重要な人物(主に養育者)に対して抱いた感情と同様のものである」と説く、フロイトが提唱した精神分析の概念だが、ともあれ、そんな意味深なタイトルを起用したバンド側の思惑もさることながら、本作についてまず何より強く関心を引かれたのが、その「Transference」というフレーズ自体が喚起する“象徴性”のようなものだった。

「Transference」――一般的には「移動・移転」を意味するそれは、しかし、一方に「参照・参考」を意味する「Reference」を対置したとき、このまさに2000年代と2010年代というふたつのディケイドをまたぐ端境期のロック/ポップを輪郭付け仕分けする、きわめて批評的な意味合いをそこに浮かび上がらせるように思える。


2000年代とは「Reference」の10年だった――。そう言い切ってしまうには少なからず語弊があるにしても、しかし、この10年のロック/ポップのキータームにおいて「Reference」が重要な“作法”を占めていたことは、異論のない事実だろう。

ストロークスの登場に端を発したロックンロール・リヴァイヴァルに始まり、新世代によるポスト・パンク/ニュー・ウェイヴの捉え直し~ディスコ・ミュージックに顕著なエイティーズの再評価。クラクソンズやハドーケン!に代表されるニュー・レイヴ/ニュー・エキセントリックのアマルガムな折衷主義、エイミー・ワインハウスやダフィーのレトロ・ポップ。かたやアンダーグラウンドでは、フリー・フォークがアヴァンギャルドやノイズ・ミュージックもろともロック~ルーツ・ミュージックの古層を掘り起こし、ブルックリン周辺のインディーズはアフリカン・ミュージックなど非西欧音楽にアプローチを見せトライバルで文化横断的なポップを展開した。他にも、ローカル・シーンとリンクしたローファイ~シューゲイザーの再興、クラウト・ロックやアンビエントを敷衍したミニマルへの回帰……etc。

もっとも、そうした「Reference」は、過去にもさまざまな形で繰り返されてきた事例であり、何も2000年代に限られたことではない。しかしながら、あらためて指摘するまでもなく、音楽環境の技術的・物理的な変化がもたらした聴取体験の多様化によって、いわゆる音楽史的な枠組みやローカリティ(ローカリズムではない。むしろ、地元コミュニティへの帰属意識みたいなものは、LAのスメル周辺のシーンを始め、とくにアメリカのインディでは顕著に見られる)の解体が進んだ2000年代は、結果として「Reference」が常態化した10年だった、と言えるに違いない。そして、望むと望まざるとに関わらず、そうした時代性の恩恵を享受したところに、2000年代のロック/ポップの“個性”はあった。

スプーンの面々がどんな意図をもって「Transference」という作品タイトルを付けたのか個人的には知らない。そもそも、「Transference」という概念/語意と、実際の『トランスファレンス』の作品内容やサウンドとの間にどの程度の関連性があるのか、直ちには窺い知れない。しかし、アルバムを聴けば、とりあえずそれが、他とは明らかに異質な手触りをした作品であることに気づかされる。

その手触りとは一言で言えば、そぎ落とされたバンド・アンサンブルのミニマリズ――という点に尽きるのだけど、その“異質さ”は、それこそ「Reference」という作法でひとまず括られる2000年代のロック/ポップと対置したとき、ひときわ浮き彫りとなるものだろう。

ともかく、『トランスファレンス』は、たとえば上記の2000年代のロック/ポップのコンテンツと何かしらの接点を持ち得るような同時代性を、まるで感じさせない。後者が、自覚的かどうかはさておき、そこに音楽的指標を見出せる程度には音楽史的な「参照点」を窺わせるのに対して、前者は、その痕跡すら覗かせないどころか、そうした音楽史的なレジームに回収されることを拒むかのように、ロック/ポップの記号的な「型」を解体してみせるようだ。

もっとも、それがまぎれもない現代のロック/ポップである限りにおいて、彼らもまたそれ相応の音楽史的な「目線」を持っていることは間違いないし、どんなバンドも「Reference」という作法を意識することから逃れることはできない。そもそも彼らは、前作『ガガガガガ』でビルボードのトップ10にランクインする成功を収め、また、この10年でもっとも重要なコンピレーション・アルバムの一枚である『ダーク・ワズ・ザ・ナイト』にも参加するなど、れっきとした2000年代を代表するバンドである。

しかし、それでも『トランスファレンス』は、2000年代以降のマナーやスタイルとは断ち切られたものを強く感じさせる。90年代に活動を始めた彼らの、7作目にあたる『トランスファレンス』は、音楽的には基本的にこれまでの流れを踏襲したものでありながら、そこには、それが置かれた時代の位相のなかでこそ照射される、スプーンというバンドのオリジナリティや特異性が息づいている。

そして、『トランスファレンス』という作品が示す存在感とは、繰り返すがやはり、その作品タイトルに冠せられた「Transference」というフレーズに奇しくも象徴されうるものではないだろうか。つまりそれは、2000年代から2010年代への文字通り「移転・移動」を告げる、いわば時代の画期点を意味する作品であるということ。すなわち、「Reference」というフレーズに端的に集約される2000年代の音楽風景に、その“異質な手触り”でもって亀裂を走らせ2010年代を予感させるオルタナティヴ。なるほど、『トランスファレンス』で披露される、自生的に律動するようなバンド・アンサンブルの屹立したたたずまいは、とりわけ近年のインディ・シーンにおける快楽志向でリゾーム的なロック/ポップとは明らかに一線を画す、“クラシック”たる本質的で禁欲的なまでの美しさをたたえたものではないだろうか。



「バンドとしてのペイヴメントは、音楽を作るという意味では素晴らしい10年間を過ごせたように思う。僕たちは90年代という時代が生んだバンドだったし、だから2000年代という時代を迎える前に活動に終止符を打つのがふさわしかったとも思う」

前年のブリクストン・アカデミー公演での活動休止発言を受けて、2000年に正式発表されたペイヴメントの解散について、スティーヴン・マルクマスが日本のファンに向けて綴ったメッセージのなかの一文である。1989年にスコットの自主レーベルからデビューを飾り、最後のアルバム『テラー・トワイライト』がリリースされた1999年の暮れに実質的な解散を迎えたペイヴメントのキャリアは、ちょうど1990年代をすっぽりとカヴァーするもので、またスティーヴン自身、解釈はさまざまだが自分たちが1990年代という時代を象徴したバンドであるという自覚を、たびたび口にしていた。結局、その解散の理由については、これといってはっきりとはわからず仕舞いだったような気がするが、とりあえず確かなのは、バンドの解散がスティーヴンにとって、ある種の達成感を伴った上での決断だったということだ。そして、あらためて興味深いのは、その解散が、1990年代から2000年代へと移る時代の節目と一致を見たことに、スティーヴンが相応に自覚的だったということだろう。

ペイヴメントが、1990年代を代表するバンドであるということは、多くの人が認めるところだろう。1990年代の終わりにSPIN誌は、1990年代のベスト・アルバム100枚を選ぶ企画で、彼らのファースト『スランティッド&エンチャンティッド』を5位に選出した。彼らが発表した5枚のオリジナル・アルバムは、ファンによって選ぶ作品に違いこそあれ、いずれも1990年代を代表するマスターピースにほかならない。

しかし、だとするなら、ペイヴメントが代表する「1990年代」とは、どんな時代なんだろう。ペイヴメントは、「1990年代」をどう代表するバンドなのか。いや、そもそもペイヴメントとは、ときに“ひねくれ者”呼ばわりされながらも、1990年代的なものと徹底して距離が取られてきたバンドだったのではないだろうか。

1992年の『スランティッド&エンチャンティッド』で本格的なデビューを飾り、当時ベックやセバドーらとともにローファイ・ムーヴメントの一角として注目を集めたペイヴメント。しかし、“ローファイ”というタームがその後、ひとり歩きしていくなかでほとんどフェティシズムに近い問題へと矮小化されていったのに対して、彼らのねじれ曲がった吃音混じりのロックンロールの核にあったのは、たとえばソニック・ユースやフォールにも通じる諧謔的な解体精神だった。地下室での実験に耽溺するのではなく、また反動としての“壊れ”でもなく、ロック/ポップの意匠をポスト・パンク的な批評態度で捉え直すような、“壊れながらも洗練へと向う”二律背反の美学。その到達点とは、ペイヴメント・サウンドの解体/拡大(=3rd『ワーウィ・ゾーウィ』)と再構築(=4th『ブライトゥン・ザ・コーナーズ』)をへて(※スティーヴンは解散後のインタヴューで、前者を「バンドではなく個人のレベルで自由に作れたアルバム」、後者を「いかにもペイヴメントらしいアルバムを作ったのに、何も起きなかった」と語った)、ナイジェル・ゴドリッチを迎えて制作された『テラー・トワイライト』で間違いないが、そこではつねに、時代性うんぬんに与しない彼らならではのスタンスが、そのメロディや音を個性豊かに輪郭付けていた。そして、そんなペイヴメントというバンドのたたずまいは、ローファイの無邪気さとも、ニルヴァーナの“怒り”やスマッシング・パンプキンズの“悲しみ”とも、パール・ジャムの“正しさ”やナイン・インチ・ネイルズの“苦悩”とも、あるいはベックのイクレクティックなアート感覚ともビースティーズの都会的なストリート・ワイズとも、明らかに異質で温度差のある、そこに同時代的な符合などおよそ見出せない独特なものだった。

もっとも、言い方を変えれば、そこに窺える“対象との距離感”というのは、そもそもスティーヴンにとって、自身が音楽を志す上でつねに付いて回った問題でもあった。彼は自分のことを、“アメリカのごく退屈な郊外で育った、中流階級出身のごく平均的な人間”と自嘲気味に語る。ニューヨークやロスの都市部でアートに囲まれて育ったエリートでも、ましてやデトロイトの崩壊家庭で育ったドロップアウターでもない。「自分なんてどうせたいしたもんじゃない、自分にいったいどんな才能があるんだろう?ってまず考えるようになっちゃうんだ」という彼にとって、ブラック・フラッグもディーヴォも、ワイヤーもエコバニも、思春期に夢中になって聴いた音楽はしかし、インスピレーションや動機こそ与えてくれたが、その「問い」に答えを与えてくれるようなものではなかった。「僕みたいな環境で育った人間はさ、どんなにカッコつけようとしてもカッコつけきれないとこがあるんだよね。所詮自分なんてたかが知れてるっていう意識がどこかにあって、自分が誰よりも優れてるとはどうしても思えないんだよ」。そうしたある種の冷静で過敏な自意識からくる、周囲の音楽に対してどこか同一化しきれない躊躇や逡巡が、アーティストとしての彼の人格形成には大きな影響を与えている。

しかし、その客観的で繊細(?)な自己分析が、後の彼の解体精神や批評的な態度を育んだことは言うまでもない。そして――あえてここで持ち出せば、スティーヴンの場合、そうした原体験として音楽に抱いた「感情(距離感や違和感)」が、ときをへて解体や批評の眼差しという形で、ペイヴメント結成後も周囲に対して向けられた=「転移」したという意味で、そこには冒頭で記した「Transference」の構図を見て取れなくもない。つまり、ペイヴメントの解散とは、その「感情」が自分たちに「転移」した結果だった、という見方も可能だろう。

ソロ(&ザ・ジックス)転向後のスティーヴンは、ペイヴメント時代の作法を守り継ぎながら、一方で、それこそニール・ヤングやフランク・ザッパやグレイトフル・デッドを意識した、大文字のロック/ポップの換骨奪胎へと向う(※4th『リアル・エモーショナル・トラッシュ』は、そうしたいわばロック/ポップ史の参照と再検証=「Reference」を通じて新たなバンド・サウンドを追求してきた、ソロ以降の集大成)。スティーヴンは、ペイヴメントの解散が、1990年代というディケイドの終わりを意味することに自覚的だったように、2000年代というディケイドの始まりが、自身の新たなキャリアの開拓を意味することに自覚的だった。そんなスティーヴンにとって2000年代とは、たとえばベックが、『オディレイ』と『ミューテーションズ』を反芻しながら、1990年代と2000年代を行き来するように再帰的なルートを辿ったのとは対照的に、作品ごとに“音楽史的記憶”を深く掘り下げていくサウンド探求や、メンバーやセットを変えるバンド編成、そして何より、結果的にペイヴメントの解散と再結成に挟まれる格好となった経緯含めて、もはや「Transference」すること自体に意義が見出されたようなディケイドだった、と言えるかもしれない。


スプーンの最新作『トランスファレンス』も、10年ぶりの再結成でクローズアップされるペイヴメントも、それがある種の時代の異化装置として批評的な存在感を放ち得ている点に、等しく惹かれるものを感じてしまう。そして両者のミニマルなロックンロールと野心的な解体精神は、共振した志向性とベクトルでもって2000年代と対置し、2010年代の到来を印象付ける。そこには、新たな象徴性を帯び、あらためて捉え直されるべきロック/ポップの形が提示されているはずだ。

(2010/03)

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