2011年9月3日土曜日

極私的2000年代考(仮)……ポスト・ハードコアの“亡霊”

2年前の話になるが、2006年に地元シカゴで開催された「Touch and Go」のレーベル設立25周年イヴェントは、インディ・ロック・ファンにとって、たとえ現場に赴けなくとも、その出演バンドのラインナップを眺めるだけで気持ちが昂ぶるような壮観な祝典だった。

ファンを狂喜させたスティーヴ・アルビニ率いるビッグ・ブラックの再結成&シェラックを筆頭に、ネガティヴ・アプローチ、ディドジッツ、キルドーザー、スリー・マイル・パイロット、スクラッチ・アシッドら再結成したレジェンド、ジ・エックス、ガールズ・アゲインスト・ボーイズ、アークウェルダー、シーム、シッピング・ニュース、タラ・ジェイン・オニール、ブラック・ハート・プロセッション、ピンバッグ、キャレキシコ、ウゼダ、テッド・レオ、モノーキッド、ニュー・イヤー、クアージ、イーノン、さらに!!!やココロジー、スーパーシステムといった新顔……。ここには、キャリアも音楽性もそれぞれ異なりながら、T&Gというレーベルの精神ともいうべき個性と、世代を越えて受け継がれてきた意匠のようなものを確認することができる。そして何より、その四半世紀の歴史の蓄積が、けっして遺産化することなく、絶えず時代の参照点となりながら「今」にアピールし続けてきた、T&Gのアクチュアルな魅力を再確認させられる。


T&Gの設立の出発点は、70年代の終わりにザ・ミートメンというパンク・バンドのメンバーが始めた一冊のジンだった。似たようなケースは、同じくファン・ジンの発行に端を発したサブ・ポップ、あるいは「ワード・コア」と呼ばれるスポークン・ワードのシングルが第一弾リリースだったキル・ロック・スターズなどあり、とくにアメリカのインディ・シーンではひとつの典型ともいえ必ずしも珍しいものではない。しかし、そこから現在に至るレーベルの軌跡と、集ったアーティストの顔ぶれを見れば、そうした当時のパンク/ハードコア・シーンを背景に誕生した出自が、その後のT&Gの方向性を決定づけ、レーベル活動の指針となってきたことがよくわかる。

そして、実際に音楽性の面でいえば、レーベル設立当初からのメンツはいうに及ばず、現在のラインナップにおいても、音楽性は異なるがルーツやキャリアの原点にパンク/ハードコア体験を抱えるバンドやアーティストが多いことは、けっして偶然ではないだろう。前記のラインナップでいえば、タラやスリー・マイル・パイロットから分派したピンバック&ブラック・ハート・プロセッション、元ブレイニアックのジョン・シュマザールが結成したイーノン、新しいところでは!!!やスーパーシステム、さらに現在はバトルスの一員であるイアン・ウィリアムスがかつてT&G所属のドン・キャバレロ/ストーム・アンド・ストレスの一員だった事実は、周知のとおりである。そうした事例はまた、近年、たとえばフリー・フォークなどのジャンルの一部に指摘される“ハードコアの越境性”とも共振するものであり、T&Gというレーベルのユニークな特色をあらためて物語るようで興味深い。

T&Gというレーベルに脈々と息づくパンク/ハードコアの血統を考えるとき、おそらく多くのひとが思い浮かべるのは、スティーヴ・アルビニの存在だろう。ビッグ・ブラックにレイプマン、そして現在はシェラックを率いてレーベルの初期から中核を担い続けるミュージシャンとしてのキャリアはいうまでもなく、プロデューサー(レコーディング・エンジニア)として、スリントやドン・キャバレロ、ブレイニアック、ダーティー・スリーといった看板アーティストの代表作を数多く手掛けてきたこの男の、T&Gに寄与した功績は計り知れなく大きい。80年代のオリジナル・ハードコアからポスト・ハードコア/ジャンク、90年代のオルタナティヴ~グランジを潜り抜け2000年代の現在へと地続きに流れる時代の音を「特化」し、アルビニが提示した不変のサウンド美学は、T&Gのヴィジョンを確固たるものとし、レーベルをアメリカン・インディの牙城へと押し上げた、間違いなく最大の要因である。それほどアルビニの存在感は揺るぎないものがあるし、その音楽的な意匠や薫陶は、たとえ彼が手掛けた作品でなくとも、ある種の通奏低音としてT&Gのカタログすべてに貫かれているような感覚を、一リスナーとして強く受ける。


そんな「T&G=アルビニ」のイメージを、その初期において最も象徴したバンドがジーザス・リザードである――という意見に異論は少ないだろう。ご存知のとおり、T&Gからリリースした4枚のスタジオ・アルバムすべてアルビニがプロデュースを手掛け、ジーザス・リザードを結成する以前にはベースのデヴィッド・Wm・シムズがレイプマンでギターを務めるなど、両者の関係性は深い。そのデヴィッドが、レイプマンより先にヴォーカルのデヴィッド・ヨウ(当時はベース)と活動していたテキサスのスクラッチ・アシッドも含め、ジーザス・リザードもアルビニも共に、「本心を表現したかったら32秒で伝える」と映画『アメリカン・ハードコア』でフガジ/元マイナー・スレットのイアン・マッケイが語ったところのオリジナル・ハードコアの本流からは外れた「傍流」であり、また最初期のジーザス・リザードはビッグ・ブラック同様にドラム・マシーンを導入していたりと、いわば両者はハードコア勃興後の混沌のなかで引き寄せられた盟友関係といえる。


1987年、元スクラッチ・アシッドのデヴィッド・ヨウ、デヴィッド・Wm・シムズ、元カーゴ・カルトのデュアン・デニソンのトリオとしてジーザス・リザードは結成される。その後、ドラマーのマック・マクネイリーが加入し、1989年、デビューEP『Pure』をT&Gからリリース。本作『ゴート』は、その翌年のファースト・アルバム『ヘッド』に続き、1991年に発表された2枚目のスタジオ・アルバムになる。

1991年といえば、ニルヴァーナの『ネヴァー・マインド』がリリースされ、俗にオルタナティヴ~グランジがムーヴメント化する端緒の年とされるが、たとえばダイナソーJrがメジャー・デビュー作『グリーン・マインド』でポップなノイズを鳴らし、あるいはソニック・ユースが時代に感化された『ダーティ』を発表するような当時の状況下にあって、しかしジーザス・リザードの「音」は圧倒的に異物であり、今あらためて聴き返してみてもドキリとさせられる。アルビニの「原音主義」が貫かれたロウな音像のなか、ハードボイルドなギターと強靭なベース、そしてデヴィッド・ヨウのイカレた咆哮が荒々しい変拍子にのせてうねるフリーキーなアンサンブルは、やはり唯一無二だ。当時はノイズ・ロックやジャンクとも評されたジーザス・リザードだが、隙間/空間の際立ったプロダクションは静謐ささえ漂わせ、どこか醒めた音の手触りがただならぬ凄みを伝える。アルビニとの関連でいえば、あくまで「バンド・サウンド」を軸に展開されるその巧妙な崩しと構築は、むしろシェラックを先取したようなところさえある。


同年に同じくセカンド・アルバム『スパイダーランド』を発表したスリントは、アンワウンドやジョーン・オブ・アークからモグワイやゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラーに続く“ハードコア通過後のインストゥルメンタル・ロック/ポスト・ロック”の系譜の源流となったが、対してジーザス・リザードは、ブレイニアックやストーム・アンド・ストレスをへて、ジョーン・オブ・アークから派生したメイク・ビリーヴや、元ディスコード所属のエル・グアポとブラック・アイズが解散後に各々立ち上げたスーパーシステムやミ・アミ、あるいはドラッグ・シティのファッキン・チャンプといった“ハードコア/ジャンク通過後のオルタナティヴ”の音楽的指標のひとつとなった――と強引に位置づけることも可能かもしれない。


本作『ゴート』に続いて、T&Gから2枚のアルバム『ライアー』『ダウン』をリリースした後、メジャーのキャピトルに移籍。ギャング・オブ・フォーのアンディ・ギルがプロデュースした6作目『Blue』を最後に、バンドは1999年に解散する。錚々たるビッグネームが復活を遂げた前記のT&Gの25周年イヴェントでは、前身のスクラッチ・アシッドこそ再結成を果たしたものの、ジーザス・リザードの再結成は残念ながら実現しなかった。

彼らがT&Gに残した作品群は、その「音」が、今なお比類なき強度を誇り、現在に有効性を持ちえるハードコアの前衛であることを物語っている。

(2008/08)

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