2012年12月20日木曜日

極私的2010年代考(仮)……アニマル・コレクティヴ『Centipede Hz』

アニマル・コレクティヴのメンバーは、自分たちのことを「バンド」ではなく「コミュニティ(共同体)」という言葉で呼ぶことを好む。それは彼らの関係が、単なる音楽仲間ではなく、高校生の頃から青春時代の多くを共にした親友同士だから、というのもあるのかもしれない。

デイヴ・ポートナー(エイヴィ・テア)、ブライアン・ウェイツ(ジオロジスト)、ノア・レノックス(パンダ・ベア)、ジョシュ・デイヴ(ディーケン)。彼らは、地元のメリーランド州ボルチモア郊外の森林と農地に囲まれた田園風景のなか、学校の昼休みには自然を散策したり、夜は星空の下で一緒に音楽を聴いたりしながら、美しく牧歌的な時間を過ごしてきた。なかでもノアとジョシュは、小学生の頃からの幼なじみで、創造性や芸術的探求心を共有する深い友情で結ばれた仲だった。


一方で、アニマル・コレクティヴは、作品ごとに「バンド」のかたちを変える自由度の高いメンバー編成で知られる。 

メイン・ソングライターのデイヴとノアのデュオで制作された2000年のファースト・アルバム『Spirit They're Gone, Spirit They've Vanished』。対して、ブライアンを加えたトリオによるセカンド・アルバム『Danse Manatee』に続き、ブライアンに替わってジョシュが参加して野外録音された『Campfire Songs』。2003年の『Here Comes the Indian』は初めて4人で制作されたアルバムで、再びデイヴとノアがデュオを組んだ『Sung Tongs』を挟み、『Feels』『Strawberry Jam』と4人編成によるアルバムが並ぶ。そして、2008年の前作『Merriweather Post Pavilion』はジョシュを除く3人で制作と、つまり彼らの場合、いわゆる「バンド」というよりは、もっと縛りのゆるい、即興的なプロジェクトに近い感覚で創作活動が営まれていることが想像できる。 

もっとも、彼らはアニマル・コレクティヴと名乗る以前の、90年代の中頃に自然発生的に4人で音作りを始めた当初から、メンバー同士の様々な組み合わせを試しながら演奏を重ねてきた過去があり、その移動や入れ替えの自由な形態は、なるほど「コミュニティ」や「コレクティヴ(集合・集団)」と呼ぶのがふさわしいものだろう。


「友達としてこれだけ長く作り続けてこられたことに対する感謝の気持ちをリニューアルする、みたいな感じがあったと思う。みんなで今回のこのレコードを作ったことも本当にスペシャルなことだと思えたし、なぜこれだけ長くやってこれたのかとか、このバンドをやっていることが依然としてエキサイティングで楽しいっていうことが、あらためて表現されているんだ」(ジョシュ)

今回のニュー・アルバム『Centipede Hz』のトピックのひとつとして、久しぶりに4人が揃って制作されたアルバムであることが挙げられる。2007年の『Strawberry Jam』完成後、休養をとりバンドを離れていたジョシュが、昨年のツアーへの参加を機にバンドに復帰。フル・メンバーによるアルバムとしては5年ぶりになる。とはいえ、触れたとおり流動的なメンバー編成はアニマル・コレクティヴの常であり、これまでのディスコグラフィーを振り返ればなんら特別なことではない。バンドを離れていた間も、2年前には4人が長年取り組んでいた映像プロジェクト『ODDSAC』のDVDがリリースされたり、またデイヴのソロ・アルバム『Down There』の録音をジョシュが手がけるなど、メンバー同士の関係が途絶えていたわけではなかった。 

ただ、今回の『Centipede Hz』に関しては、制作中から4人の心には特別に去来するものがあったようだ。 

「このレコードには感謝がすごく込められている」とノアは語る。

それは想像するに、前作『Merriweather』の世界的な成功を受けてバンドを取り巻く環境が大きく変わるなかで、自分たちの原点を再確認するような特別な感情が、彼らの内を満たしていたのかもしれない。 

そして、まさに『Centipede Hz』のサウンドも、そうして4人が集まったならではのモードが反映されたものといえるようだ。「とにかく4人で演奏しまくってノイズを発しまくって曲作りしたっていう、そこから来る演奏スタイルの強度がこれだけ大量のエネルギーの放出に繋がったんじゃないかと思う。今回は基本的に3ヶ月間、1日8時間、毎日みんなで演奏してたからね。こんなに時間をかけるなんて、すごく久しぶりのことなんだ。だからもう単純にそういう、毎日アンプを繋いでノアがドラムを叩いてみんなでみっちり弾くっていうことから、大量のエネルギーが生まれたんだと思う」とはジョシュの弁。ノアも「実際にライヴで音を出しながら曲作りをやったのは大きかったかもね。ヘッドホンで作るのとアンプを繋げてデカい音を出して作るのとでは全然違うからさ」と語る。 

ちなみに、レコーディングでノアがドラム・キットに座って演奏するのは『Here Comes』以来のことらしい。


そもそも彼らは、これまでもその都度のメンバー編成に応じてサウンドのベクトルを変化させてきた経緯がある。かたやデュオで制作された『Spirit They're Gone』や『Sung Tongs』では、アコースティック・ギターやパーカッションを軸にオーガニックなサイケデリック・サウンドを披露し、かたやバンド・セットで制作された『Here Comes』や『Feels』では、実験的で混沌としたスタジオ・ワークから祝祭感あふれるウォール・オブ・サウンドまで、手数を活かした振れ幅の大きいバンド・アンサンブルを展開。そして前作『Merriweather』では、ギタリストのジョシュが不在であることも機に、エレクトロニクスやサンプラーを使った音作りを推し進めるなど、これまでディスコグラフィーを通じて多彩な音楽性を提示してきた。

そうしたなかでも『Centipede Hz』が、「バンド」として特別な手応えを実感させる仕上がりとなった背景には、レコーディングの期間はもちろん、昨年のツアーを経験して4人が再び長い時間を共有できたことが大きいのだろう。 

完成直後にPitchforkのインタヴューに答えたデイヴによれば、今回のレコーディングではライヴ感が重視されたとのことだが、そもそもアニマル・コレクティヴの場合、ライヴのフィーリングを作品に落とし込むことは今作に限らず一貫したコンセプトだといえる。以前にノアは「ライヴとレコーディングは合わせ鏡みたいにお互いを映し出して影響し合ってる」と話してくれたことがあったが、彼らにとってライヴとは、単なる既成曲の発表の場ではなく、未精製のアイディアを拡張させサウンドを練り上げていく創作のプロセスの一部という意味合いが大きい。実際、今作の楽曲の大半のリズム・トラックはノアによってライヴで録音されたものだという。 

それを踏まえた上でノアは、「これまでのライヴ感はスタジオで捏造した部分が多かったんだよね。全部の楽器を同時に演奏するんじゃなくて、パズルみたいに音をひとつずつはめ込んでいくような作業だった。けど今回は各パートをしっかり弾きこんでからレコーディングに臨んだんだ。後からスタジオで音を足しまくって元々の演奏をごまかすんじゃなくてさ。これだけ一貫性のあるアルバムを作ったことはなかったと思う。車のエンジンをかけたらすぐに6速に入れて、あとはモーテルに到着するまで一気に走りきるっていう感じだった(笑)」と話す。


はたして『Centipede Hz』は、アニマル・コレクティヴ史上、最もハイ・テンションで、渾然一体と化した「バンド」の演奏が記録されたアルバムに間違いない。サウンドの大雑把な感触は、『Merriweather』の方向性――当時のブライアンの言葉を借りれば「100%エレクトロニックでもなければ、100%アコースティックでもない、エレクトロニックとアコースティックの境界線に存在するような音……」――を発展させ深化させた印象だが、「イメージとしては、水の中というか……水の中っていっても、深い水の底じゃなくて浅瀬みたいな。水の中なんだけど太陽の光も感じられるくらいの浅い水の中っていう……ミックスの段階で、そういう感覚を思い描いてたかな」とノアが語るメロウでアトモスフェリックなヴァイヴが満たした前作と比べると、冒頭から強烈にアップリフティングで、まさしく4人でジャムりながら一気呵成に作り上げたようなダイナミズムが漲る。ちなみに、デイヴはPitchforkのインタヴューで両作品の違いについて、『Merriweather』が地上から空や宇宙を見上げる感覚なら、『Centipede Hz』は宇宙船に乗って宇宙にいるような感覚、という表現でコメントしている。 

あるいは、サウンドの一貫性や演奏の強度ということでいえば、これまでのディスコグラフィーが凝縮されたような集大成的なものも感じさせるし、それこそ『Danse Manatee』や『Here Comes』のカオティックでコラージュめいたサイケデリアを、『Feels』以降のポップに振り切れたフリー・スタイルでアップデートさせたような感覚もある。「そこにどっぷり漬かる時間が長かったというか……しばらく奇妙なところに入り込んでたんだ。すごく密度が濃くて、情報量が多いんだけど、それを何らかの意味で口当たりのいいものに翻訳するというか、特にミックスの部分でその方法を探るのに時間がかかったんだよね」とはノアの弁だが、今回の制作過程が、当の本人たちでさえ没頭しすぎて作品の全体像を見失いかねないほどの強烈な体験だったというのも、なるほど頷ける。


そんな『Centipede Hz』のインスピレーション源のひとつに、ノアは「80年代終わり頃のアメリカのカルチャーの影響」を挙げる。とくに自分たちが子供の頃にボルチモアで聴いていたラジオ。番組でかかる曲をカセットに録音したり、それをみんなで聴いたりした記憶、あるいは当時遊んでたゲームといった、そうしたノスタルジックな感覚がアルバムのイメージに投影されているという。「あと、単に当時ラジオでかかってた曲だけじゃなくて、たとえば番組のキャッチフレーズみたいなのがあるでしょ。変な声で番組名をいって、そのあとにピロロロロ〜みたいな効果音が入るっていう。そういうところからもアイデアをもらってると思う。何というか、ラジオ・コラージュみたいなね」。そうしたイメージは、今作には未収録だがイントロダクション的に先行リリースされたシングル“Honeycomb”でも聴けるものだ。

その上で、ジョシュがアルバムのトーテム的な存在の曲と語るのが、ノアいわく「エイリアンのロック(笑)」という“Today’s Supernatural”。「デイヴのメロディに宿っている、切迫した感情みたいな、彼の歌い方、あの曲で使ったヴォーカル・エフェクト……そのエフェクトの感じが狂ったラジオ・コラージュにすごく合ってる気がするんだ。ピッチもレイヤーもぐちゃぐちゃになるエフェクトで、とにかく感情が迫ってくる感じがすごいパワフルなんだ。それとあの曲って、この4人で一緒に演奏する時の感じがすごい新しいなって思った最初の曲のひとつだったんだよね」。一方ノアは、ユーフォリックなヴォーカル・コーラスとレゲエ/ダブのウェットなヴァイヴが織りなす“Pulleys”を、個人的なフェイヴァリットの曲として挙げる。他にも、オープニングを飾る強烈にイクレクティックな“Moonjock”や、ジョシュが歌うドープな“Wide Eyed”、“Father Time”のサン・ラも彷彿させるスピリチュアリズムや“Monkey Riches”のトランシーなエレクトロニックのジャム……など、押し寄せるハイライトの連続は枚挙に暇がない。アニマル・コレクティヴのサウンドには常々、「メンバーそれぞれがその時期に聴いていた音楽の傾向が重なり合う分岐点」が映し出されているとのことだが、『Centipede Hz』には、『Merriweather Post Pavilion』以降にデイヴとノアが互いのソロ・アルバムで披露したアニミスティックなプリコラージュやダビーでヒプノティックな感覚、あるいは昨年のミックステープ(※スニーカーブランド「KEEP」とのコラボ企画)に収録されたブライアンのアンビエントなテクスチャーや、それこそバンドを離れていた間にジョシュがプリンス・ラマ等のプロデュース・ワークで手がけたニューエイジ~ヒッピー的なヴァイヴも聴くことができるだろう。加えて、先の“Today’s Supernatural”や“New Town Burnout”で聴けるインドネシアや東南アジア風のメロディやギター・サウンドには、ジョシュいわく彼らが普段からよく聴いている「Sublime Frequencies」(※元サン・シティ・ガールズのアラン・ビショップが運営する辺境音楽専門レーベル)のレコードの影響も大きいらしい。


今作のプロデューサーには、『Merriweather』に引き続きベン・アレンを起用。今回のライヴ・サウンドを意識したレコーディングには、実際に彼らのライヴに足を運び、その上で得たベンのアイディアやアドヴァイスが活かされたようだ。全編に脈打つ低音やボトムを強調したプロダクションはベンならではであり、まさに狙い通りだろう。またゲストとして、先日11年ぶりのニュー・アルバム『The Tarnished Gold』をリリースしたビーチウッド・スパークスのデイヴ・シェアがラップスティール・ギター/メロディカで参加している。 

ちなみに、今回の『Centipede Hz』というタイトルについては、次のようにジョシュが語る。「いくつものアイデアを表わしてる、すごく抽象化されたタイトルだと思う。僕たちのイメージとしては、エイリアンのラジオ局が縦横無尽にカオス的に発信してて、それが宇宙を駆け巡る、みたいな。“Hz”の部分は単純に波形とかそういうものを表わしてて、“Centipede(ムカデ)”の部分はエイリアンっぽい生物、昆虫的なエイリアン世界みたいなものを表わしてる」。ビーチやラグーンといった自然環境を思い描いた『Merriweather』のイメージとは対照的で、そんなところにも前作との違いが感じられておもしろい。


イギリスの音楽誌UNCUTは2009年の最後の号で、『Merriweather』をはじめ、その年リリースされたグリズリー・ベアやダーティー・プロジェクターズのアルバムの批評的成功と一定の商業的成功を例に挙げて、2009年を「アメリカのラディカルなアンダーグラウンドのインディ・ロックがメインストリームを侵略した年」と伝えた。それから3年。インディ・シーンのさらなる活況を背景に、奇しくも、その時のバンドが揃ってニュー・アルバムをリリースするタイミングを迎えた。 

アニマル・コレクティヴの登場は、2000年代以降のあらゆるレヴェルのインディ・ミュージックに決定的な影響を与え、またそのディスコグラフィーの歩みは多くのアーティストやバンドに対してある種の音楽的指標を示してきた。そんなまさに“アニマル・コレクティヴ以降”、ともいうべき2000年代が終わり、4人にとって2010年代の幕開けを飾るニュー・アルバム『Centipede Hz』が完成した。はたして2012年は、アメリカの音楽史にどんな瞬間が刻まれる年になるのだろうか――。最後に、ノアとジョシュの言葉を紹介して、本稿の結びとしたい。 

「音楽で表現できることには、まだ余白や可能性は残されていると思うよ。作り手それぞれの人生は続いていくわけだし、そういう意味では“もう何もいうことがない”“もう何も表現することはない”という状態になるのは不可能なんじゃないかな。いや、もう本当にこれだけ大勢の人間が音楽を作っているから、時には、すべてはやり尽くされた、もう何もすることがないと感じるかもしれない。でももし自分がそう感じてしまったら、作っても意味ないし、たぶん作るのを止めると思う。でもまだ新しい場所があるっていうことを僕は確信してるよ」(ノア) 

「このあいだ誰かが話してて、そのポストモダン的状況みたいな、すべては出尽くして新しいことなんか何もない、すべてはすでに創造されていて、残されたことといえばいろんなものをいろんな組み合わせ方で見せるだけだっていうようなことをいってたんだよね。でも僕にとっては、自分の芸術観みたいなもの、アートを好きな気持ちの核の部分っていうのは常に、それがひとりの人間もしくはひとつのグループの経験を表現したものであるっていうことなんだよ。最終的にはそれがその表現をスペシャルなものにしていると思うんだ。だから僕にとってはある意味で、たとえそれが見覚えのある表現方法だったとしても、僕らは誰でもそれぞれにユニークな方法で世界を受け止めて独特の方法でそれを処理しているから、その特定の誰かによって表現されたものっていうのは、やっぱり新しいんだよ」(ジョシュ)



 (2012/07)



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