2014年10月21日火曜日

極私的2010年代考(仮)……Zammuto『Zammuto』

今年2012年の1月、ザ・ブックスの解散がメンバーのニック・ツァームトの口から伝えられた。デビュー・アルバム『Thought for Food』がリリースされた2002年から数えてちょうど10年。一昨年に4作目となる『The Way Out』を発表後、映画監督のジム・ジャームッシュがキュレーターを務めたオール・トゥモローズ・パーティーズへの出演を含む大規模な北米ツアーを敢行。昨年リイシューされた初期の3枚のアルバムの編集作業を終えて一段落し、タイミング的にはニュー・アルバムに向けた準備がそろそろ始まろうかという矢先の、それは唐突な出来事だった。



ニックは解散の報告に合せてPitchforkのインタヴューに答えている。その記事では、事前にニックと交わされたメールも引用しながら、解散に関するコメントが短く伝えられた。

実質的にラスト・アルバムとなった『The Way Out』は、前作『Lost & Safe』のリリースから5年のブランクを挟み、この先もザ・ブックスを続けていけるかどうかを確認するための、いわば楽観的な試みだった。そして、これ以上は前に進めないと悟ったときは、計り知れない苦痛を感じた。最後はザ・ブックスから「空気が抜けてしまった」ような感覚だった。それはまさに、アルバムのタイトルが暗示していたような結末(※Way Out=出口)を迎えてしまった、と。

しかし、核心となる解散の理由や経緯については、そこでも明かされることはなかった。「それは誰のためにもならない。自分の胸にしまっておいた方がいい」としながらも、そこには感情的なしこりのようなものも窺えた。ただ、「この先ふたたび一緒に何かをすることはないだろう」、そして「それは不幸なことだが、結果としてザ・ブックスという看板を下ろすことを意味していた」とだけ語り、解散についてのコメントは閉じられている。ちなみに、現時点で元相方のポール・デ・ヨングの側からは、今回の件に関してはまだ一切語られていない。

もっとも、『The Way Out』リリース時のインタヴューによれば、そもそもふたりが共同作業をするのは週に1度、それも2、3時間程度で、普段から個別に音作りを進め、顔を合わせた際に進捗状況を確認し互いの音素材を交換し合うといった、ほとんど分業制みたいなものだったという。それがどの時点からだったのか、それとも最初からだったのか、あるいは何か理由があったのか詳細は知らないが、ともあれ、ふたりがそれぞれ独自のヴィジョンや理念に基づき創作を行う音楽家であったことは間違いない。また、『The Way Out』前後の大きな変化として、互いに家庭を持ち、さらに子供を授かり、物理的にふたりの時間が取りにくくなった、という事情もあったかもしれない。しかし一方で、ふたりは2005年のサード・アルバム『Lost and Safe』直後に初めての本格的なツアーを行い、「共感覚体験(Synesthetic Experience)」をテーマに掲げて演奏とサンプリング、そしてビデオ・プロジェクターの映像とのシンクロニシティを実践したライヴ・パフォーマンスを披露するなど、ユニットとして新たな方向性を模索する途上にあったことは確かである。『The Way Out』のオープニングを飾る「こんにちは、そして新しい始まりへようこそ(Hello, greetings, and welcome. Welcome to a new beginning…)」というナレーションは、当時のふたりの真意でもあっただろうし、実際、『The Way Out』はそれまでのサンプリング/コラージュ的なスタイルに加えて、ニックいわくライヴの経験を踏まえた「energetic」で「more driven」な感覚を反映して制作されたアルバムだった。ただ、その上で「これ以上は前に進めない」と判断されてしまったということは、つまり『The Way Out』がザ・ブックスとしてやれることの到達点だった、ということなのだろう。



そして、いうまでもなく、ニックにとってザ・ブックスの解散をポジティヴな方向に決断させたものこそ、今回のこの自身のラスト・ネームを冠したニュー・プロジェクト、ツァームトの結成にほかならない。ツァームトの始動は、ザ・ブックスの解散よりも先に昨年の6月、ニック自身のホームページ上で突然発表された。さらにそれは、3人か4人組のバンドであることが明かされ、同時に“Yay”という新曲がフリー・ダウンロードで公開された。もっとも、当初はよくあるサイド・プロジェクトの発表と受け止められたが、今にして思えばザ・ブックスの解散の伏線であり、何よりそれはニックにとって、ザ・ブックスでは思い描けなかった「その先」を想像し得るプロジェクトとして期待されていたことが理解できる。

メンバーは、ヴォーカルとギターを務めるニックの他に、ザ・ブックスのツアー・サポートを務めていたマルチ・インストゥルメンタル奏者(ギター、キーボード、ヴァイオリンetc)のジーン・バック、“a real scientist on the drums”の異名をとるショーン・ディクソン、そしてニックの弟のマイキーの4人。ニックは今回の件に関連してインタヴューに答えて、ツァームトが「バンド」であること、また自らはフロントマンではなく、その形態は「アンサンブル」という形容がもっともふさわしい、といった旨を強調している。ザ・ブックスとの最大の違いとしてニックは、「もうこれ以上、バック・トラックを用意してライヴをやるようなことはしたくない、本当のバンドと一緒に演奏がしたかった」と明かし、逆に以前のライヴではビデオ・プロジェクターがフロントマンのようなところがあったと振り返る。その上でツァームトの結成の動機としてはまず、「スタンディングのオーディエンスの前でライヴがやりたかった」というのが強くあったようで、バンドで創り上げるオーガニックなアンサンブルに注目してほしい、と語る。さらにニックは、自分たちはけっして「ロック・バンド」ではないが(※「リズムは4/4拍子じゃないし、“ロック”のアティチュードも持ち合わせていないし……」)、使われている楽器はまったくもって同じ類のものだ――と加える。

実際、ニックにとってツァームトにおける制作上の課題は、「バンド」として機能するために必要なレコーディング方法を学ぶことだった、という。つまり、サンプリングやカット・アップをベースにシークエンスを編集するザ・ブックスのコンセプチュアルなスタイルから、フル・バンド編成を敷き、ライヴ的な要素も盛り込みながらアンサンブルを組み立てていく――それこそ“ロック”なアプローチへの移行こそ、ツァームトのテーマであり、また醍醐味でもあった。結果、ツァームトのライヴでは、レコーディングされた音源の演奏はもちろん、たとえば“Yay”で聴けるような細密なヴォーカル・エフェクト/エディットも再現が可能だとニックは自負する。そして、前記のPitchforkのインタヴューに答えてニックは、ザ・ブックスの頃は自分が「ソングライター」だという感覚はまったくなかったが、ツァームトのレコーディングを通じて「声」が持つダイレクトな力を理解し始めたと、その意識や心境の変化を明かしている。


ファースト・アルバムとなるセルフ・タイトルの本作『ツァームト』は、そうしてザ・ブックスの解散と前後の試行錯誤のフェーズを潜り抜けて完成された作品であり、ニックにとっては文字通り「新しい始まり」を告げる作品といえる。




その予感は、本作のリード・トラックとなった昨年の“Yay”の時点ですでに十分に漂わせていたが、まずはツァームトのサウンドを特徴づける最大のポイントといえば、ショーン・ディクソンが叩くドラムの存在感に尽きる。“Yay”のヴォーカル・チョップとユニゾンするミニマルで微分的なフレージングもそうだが、“F U C-3PO”のフューチャリスティックなサウンド・エフェクトを支えるタイトなグルーヴ、あるいは“Zebra Butt”のブリーピーなエレクトロや “Weird Ceiling”のエディット感溢れたコンポジションに映えるパーカッシヴなプレイ。また“Groan Man, Don't Cry”のニューウェーヴィーなヴォコーダー・ファンクの始まりを飾るカウントなど、なるほど、楽曲のスタイル自体はいわゆる「ロック・バンド」とは異なるかもしれないが、その硬軟・緩急織り交ぜたドラムの出音のダイナミズムが、ツァームトにおいて心臓部となっていることが頷ける。



そして、ニックが自覚するとおり、ツァームトのユニークな個性となり得ているのが、彼の発する「声/歌」にほかならない。たとえば前記の“Groan Man, Don't Cry”や“Too Late To Topologize”のチップチューン風エレクトロ・ポップで披露されるヴォコーダー・ヴォイス、 “Harlequin”でアコースティック・ギターにのせて歌われるオブスキュアなヴォーカル・エフェクト。あるいは“Idiom Wind”や“Full Fading”のみずみずしいエコーや、それこそ“Yay”のヴォーカル・チョップ――ザ・ブックス時代に共演したプレフューズ73の影響も窺えるが――など、それはいたる場面で聴くことができるが、その様々なサウンド・スタイルに合せて変換され編集された「声/歌」のプレゼンスこそ、ニックがいうツァームトを前進させる「ダイレクトな力」なのだろう。

もっとも、ヴォーカル・トラックのアイディアそのものは、ザ・ブックスの頃から引き続き追究/援用されたアプローチであり、インタールード的に挟まれた“Crabbing”のスポークンワードのサンプリングもファンにはお馴染みのスタイルといえるかもしれない。また、ドラム・サウンドを導入したアンサンブルも、たとえば『The Way Out』収録の“I Didn’t Know That”や“Thirty Incoming”といったナンバーで聴くことができる。





同時に、本作『ツァームト』は、その豊富なサウンド・ヴォキャブラリーから様々な方面に参照可能なコンテクストや同時代性を確認できるだろう。それはたとえば、ボン・イヴェールやジェイムス・ブレイクとも共有する音響化されたヴォーカル・スタイルや、ポスタル・サーヴィスやザ・シンズも引き合いに出される――“The Shape of Things to Come“や“Idiom Wind”に顕著だが、エレクトロニカ~エレ・ポップ通過後のUSインディー・ロックのテクスチャー。あるいは“F U C-3PO”に特徴的な、それこそチルウェイヴ/グローファイやLAのLow End Theory周辺から、ハドソン・モホークやゴールデン・バンダなどのウォンキー~UKベース・ミュージックにも接続可能なセンス。さらに、“Yay”や“Weird Ceiling”からは、ザ・ブックスの遺産――すなわち初期エレクトロニカやポスト・クラシカルを経由したバトルス~マス・ロックへの応答までも聴き取ることができるかもしれない。ザ・ブックスは、その膨大なサンプリング・データの蒐集と編集に割かれた創作スタイルから、むしろ内に籠る性格のプロジェクトといえたが、ツァームトは対照的に、あらゆるチャンネルとベクトルに開かれたプロジェクトであり、本作『ツァームト』はまさにその最初の成果と呼ぶにふさわしい。


ニックはあるインタヴューに答えて、本作『ツァームト』の制作は「do-or-die situation」だったと振り返っている。10年以上続いたザ・ブックスが解散し、しかし家族を養っていかなければならず、はたして音楽を続けるべきか否か、失意のなかで様々な葛藤がニックにはあったようだ。ニックにとってそれはまさに「食うか、食われるか」の切羽詰まった状況だったという。また、別のインタヴューでは、それは「喪失感と癒しの過程(the grieving/healing process)」だった、と語っている。ザ・ブックスの創作は、いわば自分の外側にある世界を観察し採取(=サンプリング)するような作業だったが、ニックにとってツァームトの創作は、自分自身を見つめ直し考察をめぐらす、きわめてプライヴェートな体験だったのかもしれない。はたして、「新しい始まり」を迎えたニックが、この先もどんな音楽を送り届けてくれるのか――その行方を期待して見届けたいと思う。

(2012/04)

0 件のコメント:

コメントを投稿