出演アーティストは大きく分けて5つのグループにカテゴライズできる。
ソニック・ユースを筆頭に、ダイナソーJr.、ギャング・オブ・フォー、メルヴィンズ、フリッパー(マジかよ!?)、ノートキラーズからザ・デッドC、サン・シティ・ガールズ、ナース・ウィズ・ウーンド、ホワイト・アウトといった(音楽性はバラバラだが)大雑把にパンク~ポスト・パンク/ノー・ウェイヴ世代の重鎮クラス。そして、バード・ポンドにジャッキー・O・マザーファッカー、ノー・ネック・ブルース・バンド、MV/EE+ザ・バーマー・ロード、ハラランビデス、ウッデン・ワンド、サンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マン、シックス・オルガンズ・オブ・アドミッタンス、コメッツ・オン・ファイア、メジャー・スターズ、リチャード・ヤングス、ファーサクサ、イスラヴァといったオールスター級の顔役が揃う、いわゆるフリーク・フォーク勢。そして彼らに連なるエクスペリメンタル・ロックの流れとしてダブル・レオパーズやマイ・キャット・エイリアン、さらにウルフ・アイズやヘアー・ポリスなど含むNO FUN周辺のノイズ/ドローン派。そしてマジック・マーカーズやビー・ユア・オウン・ペット、オーサム・カラーらソニック・ユース・チルドレン的なUSアンダーグラウンドの新顔に、イギー&ザ・ストゥージズとDKT MC5(&マッド・ハニーのマーク・アーム)というゴッドファーザー・オブ・パンク二大巨頭――。
サーストンがここ数年、80年代や90年代から続くフリー・ジャズや即興シーンのアーティスト(最近ヘラのザックと新プロジェクト、ダムセルを結成したネルス・クライン、鬼才ピーター・ボルツマンも出演者に名を連ねる)との共演と平行して、先の顔ぶれに代表されるフリーク・フォーク周辺のアーティストと積極的な交流を見せていることは以前にも触れたが、そのサーストンの思惑がここに列記したラインナップを見てみるとよくわかる。
つまり、サーストンにとってフリーク・フォークとは、単なるルーツ回帰や現代のフォークロア的なものではなく(そうした側面もじつは重要だったりすると思うのだけど。アニミズムとの関わりとか、コミューン的な思想を好む、ある種の儀式性とか)、自身もその一部である「歴史」と地続きに台頭したアヴァンギャルド・ミュージックの形態のひとつである、と。文字どおり“フォーク・ミュージックの異端派”というより、その「奇形性=フリークネス」ゆえに汎音楽的に前衛を更新する表現として、フリー・ジャズやノイズ・ミュージックと並ぶ音楽的な潜在性を捉え直す視座、とでも言うか。パンクの前史から現在へといたる時間軸において彼らの存在を位置付け、アンダーグラウンドのクロニクルとして提示したそのATPのラインナップは、そうしたサーストンならではの音楽(史)観に基づく批評的な意図が反映されているように思われる。
そして、さらにいえばそこに、音楽的な相関性や系統図的繋がりを明らかにすることでアンダーグラウンドの史観に新たな文脈を構築する――そんな企みさえ、このラインナップからは窺えなくもない。
たとえばストゥージズやMC5を、プレ・パンク云々ではなく、アルバート・アイラーやコルトレーンらを影響源とするフリー・ジャズへの参照性にこそ着目し、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドに比肩するインプロヴィゼーショナルなサイケデリック・ロックのオリジンとして読み替えることで導き出される系譜。すなわちフリーク・フォークを既成の文脈とは異なるアンダーグラウンド内の発展のフェーズにおいて定義付けることで、アヴァンギャルド・ミュージック全体の体系を再編する――。ともあれ、サーストンがフリーク・フォーク周辺を、現在のアヴァンギャルド・ミュージックの状況を俯瞰するうえでもっとも注目すべきタームであると考えていることは明白であり、彼らを中心にして構成されるアンダーグラウンドの新たな地勢図を今回のATPのキュレーションを借りて立ち上げようとしていることは、おそらく間違いない。
だからだろうか、アクティヴすぎるキュレーションっぷりもさることながら(あのディープなメンツでチケットがソールドアウトしてしまうのだからATPの集客力って凄まじい)、サーストン本人のソロやユニット活動、作品リリースの方も最近にわかに騒がしい。
キムによるアートワークが美しいギター・ソロ作品『Flipped Out Bride』。キムとやってる夫婦デュオ、ミラー/ダッシュ(映画『ラスト・デイズ』のサントラにも曲提供していた)のライヴ盤『Live At Max's』(ウルフ・アイズ主宰「AA Records」から)。ジャッキー・Oやダブル・レオパーズのライヴCDRもリリースする「U-Sound」から、サーストンを筆頭に兄ジーン・ムーアら8人のギタリストが師匠グレン・ブランカを連想させる不協和なギター・オーケストラを奏でるプロジェクト=ニップル・クリークと、女性エレクトロ/ノイズ奏者ジェシカ・ライアンのユニット=キャントによるスプリット盤『New Vietnam Blues/Messy Mystery』。通称“Without Kim”と呼ばれる、ソニック・ユースの野郎3人と、サーストン&ジムと組んだディスカホリック・アノニマス・トリオのメンバーでもあるサックス奏者マッツ・グスタフソン(彼もボアダムスのEYEとの共演でATPへの出演が予定されている)が延々インプロを繰り広げる『New York-Yastad』。そして、アンドリューWKやドン・フレミング(サーストンやJもゲスト参加したことがあるヴェルヴェット・モンキーズを率いたDC~NYアンダーグラウンドの重要人物。一時ダイナソーJr.に在籍していたことも)も参加する流動的ハードコア・ノイズ・インプロ・グループ、トゥ・リヴ・アンド・シェイヴ・イン・LAの最新作『Horoscopo: Sanatorio de Moliere』。
作品を聴くかぎり、ドリーム/アクション・ユニットのサウンドは、メンツから想像されるフリーク・フォーク色は薄く、むしろディスカホリックスの続編と位置付けてもよさそうな「フリー・ジャズ+即興」に特化された印象が強い。しかし、それは裏を返せば、そもそもフリーク・フォークの人脈と従来のアヴァンギャルド・ミュージックの人脈とはとても近しい間柄にあり、つまり両者は同根の系譜上を交わる音楽表現であることの証明でもある(これも以前にも触れたが、こうしたフリーク・フォークの複層にまたがりその系統図の枝葉を広げる性格を現在象徴する人物に、マジック・マーカーズのピート・ノーランが挙げられる。彼が今回、サーストンとともに新ユニット、バーク・ヘイズを結成してATPのラインナップに名を連ねているのはとても興味深い)。
フリーク・フォークと呼ばれる音楽とは、単なる「フォーク+α」でも「フォーク×α」でもなく、隣接し隔たり合う他の音楽様式を巻き込み同化・異化しながら拡張し、あるいは対極に、生声とギターの弦一本のレベルにまで余剰をそぎ落とす(ヤンデックがそうであるように)ことで立ち現れる、フォークでありフォークでないような「異形」の音と歌である。その意味でドリーム/アクション・ユニットは、フリーク・フォーク以降のアヴァンギャルド・ミュージックのきわめてアクチュアルな実践といえるだろう。サーストンにとってフリーク・フォークは、すでにアヴァンギャルド・ミュージックの歴史の一部として意識されているということの証左を示すものでもあろう、これは(※余談だが、ここ数年ソニック・ユースの楽曲はサーストンのギター・ソロを基に、バンド内のセッションを通じて発展させ完成にいたるケースがほとんどなのだが、サーストンが最新作『ラザー・リップト』発表前にソロ・ギグで披露したナンバー、たとえば“ヘレン・リュンデベルク”や“アイライナー”なんかはまったくもってヤンデックばりのフリーク・フォークな肌触りであった)。
「アンダーグラウンドというのは、ロックンロールが本当に生息するところだからね」。メインストリームとアンダーグラウンドの境界とは、往々にしてメインストリーム側の思惑により容赦なく破られ(その逆がひどくタフなのに対し)都合よく平坦化されてしまうものだが、それでもたしかにアンダーグラウンドな領域は存在する。今回のATPのキュレーションに象徴されるサーストンの一連の動向は、はたしてメインストリームとアンダーグラウンドの間にふたたび線を引き直すことを意味するものなのか。それとも、FONTANA設立が意図するように、アンダーグラウンド側からメインストリームへの突破を試みるのか。その真意は本人のみぞ知るところだが、いずれにせよサーストンが、アンダーグラウンドの現状に対してある種の問題意識をもって臨んでいることは事実だろう。
そしてなにより、そうしたすべての事象についてサーストンが当事者として関わり合いをもとうとしていることにあらためて強い信頼感を覚える(そういう意味でソニック・ユースの存在はほんと独特だし、ある意味とても孤独だと思う。同世代ではヤング・ゴッドを主宰している元スワンズのマイケル・ジラだけか。かつてはビースティーズもそうだったんだけどな)。
来月にはソニック・ユースのB面曲/レア・トラックスを集めた作品や、今回のATPのメンツと重なるアーティストも多数出演した「No-Fun」主宰フェス(サーストンはトゥ・リヴ・アンド~の一員で参加)のDVDもリリースされる。まだまだ話題は尽きない。
(2006/12)
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