2014年12月31日水曜日

極私的2010年代考(仮)……Thurston Moore『The Best Day』



「キムと別れたばかりで精神的にも追いつめられていたし、失意のどん底の中から、自分がまさに経験している状態について曲にしたためていったという。感情的にものすごくギリギリの状態というか、12弦のギターだけで大半の曲を書き上げてね。だからまあ、本当に、精神的にも感情的にもつらい時期だったよね……アルバムのタイトルを『Demolished Thoughts(※破壊された思索)』にしたのも、まさに当時の自分の精神状態を表しているというか(笑)、とにかくもう病んでいて、自分なんて壊れてなくなってしまいたいという願望が表れている(笑)」

今年の5月の終わり、TAICOCLUB'14に出演のため来日した際のインタヴューでそう話していたサーストン・ムーア。長年の盟友であるベックをプロデューサーに迎え、ジョン・フェイヒィやマイケル・チャップマンにルーツを引くフォーキィでソングオリエンテッドな作法が開放された2011年のソロ・アルバム『デモリッシュド・ソウツ』は高い評価を得たが、リリースから半年後にキム・ゴードンとの離婚を発表することになる渦中に行われたその制作作業は、ムーアにとって思い返しても過酷な体験だった。



アルバムのタイトル自体は、フガジのイアン・マッケイの弟アレックがやっていたハードコア・バンド、ザ・フェイスの曲から取られたものだったが、「あのアルバムを振り返って聴くのはいまだにつらいんだ……」と語るムーアの心中は――離婚原因の真相はさておき――察するに余りあるものがある。アルバム制作中は、ひたすら音楽に打ち込むことでその場を凌ぐような状況だったといい、ただ、それが結果的に「自分を癒すことに繋がってたって感じだよね」と語った言葉が印象に残った。



今でこそ当時を振り返ることができるようになったムーアだが、続くチェルシー・ライト・ムーヴィングの結成は、やはりそうした『デモリッシュド・ソウツ』をめぐる状況の反動という面も大きかったのだろう。『デモリッシュド・ソウツ』やその4年前の『トゥリーズ・アウトサイド・ジ・アカデミー』にも参加したサマラ・ルベルスキーやサンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マンのジョン・モロニーら所謂“フリー・フォーク”人脈をメンバーに擁しながら、打って変わってハード・ロックやパンク、ヘヴィ・メタルといったアグレッシヴなスタイルを凝縮したようなサウンドについては言うまでもない。



また、同じ4人組の楽器構成ということもあり、当初はポスト・ソニック・ユース的な見立てもされたCLMだったが、あくまでメンバー間の民主的な関係性の上に成り立っていたソニック・ユースと、曲作りからすべてにおいてムーアがイニシアチヴを取ったCLMは、「バンド」として性格をまったく異にしていた。もっとも、ソニック・ユースが活動休止にあった状況下で「バンド」を組むことが何より意義のある選択だったことは間違いなく、「ベックが当時の自分の置かれた状況をものすごく繊細にくみ取ってくれてね」と語る制作現場ではベックに委ねる部分も多かったという『デモリッシュド・ソウツ』に対して、仮住まいのマサチューセッツ州ノーサンプトンにあるリハーサル・スペースにひとり籠って曲を書いたCLMの経緯は、ムーアにとってそれ相応に意を決した行動だったに違いない。それでいて、「サーストン・ムーア」という存在にスポットが当てられる躊躇いから、ソロ・アルバムとして自分の名前が作品に冠せられるのを拒んだというエピソードには、当時のムーアの複雑な心境が窺えて興味深い。


そのCLMの始動と前後してムーアが、活動の拠点をロンドンに移したことは既報の通りである。先日のイギリスのWEBマガジン「The Quietus」には、現在は新たなパートナーと暮らすロンドン北部のストーク・ニューイントンでの生活ぶりが、地元発行の雑誌「New Humanist」から抜粋する形で紹介されていた。その記事の中でムーアは、お気に入りの本屋や中古のレコード・ショップの話と共に、80年代の初頭にSPKの前座やイギー・ポップとの共演でソニック・ユースがロンドンでプレイした当時を回想しながら、自分がいかにイギリスの音楽、すなわち70~80年代のパンクやニュー・ウェイヴ/ポスト・パンクに魅せられてきたかについて言及している。



ソニック・ユースがその結成初期に、ニューヨーク・パンクよりもむしろパブリック・イメージ・リミテッドやポップ・グループ、レインコーツ、スリッツなどから強い影響を受けていたことは有名な話だが、ムーアは1977年にリリースされたバズコックスのファーストEP『スパイラル・スクラッチ』を挙げて、当時も今日においてもなお“最良のパンク・ロックの青写真”と称えてやまない。また、そうしたバンドに対する羨望から、ニューヨークを離れてロンドンに移住する願望を長い間抱えていたことを明かしている。ちなみに、現在居を構えるストーク・ニューイントンが、10代の頃のマーク・ボランが暮らし、セックス・ピストルズやジョイ・ディヴィジョンらブリティッシュ・パンクの第一世代のバンドがパブで演奏した場所であったことをムーアは後日知り、大いに感銘を受けたそうだ。

そして、ソロ名義のアルバムとしては3年ぶりとなる今回の『ザ・ベスト・デイ』は、慣れ親しんだニューヨークではなく、まさに新天地のロンドンでだからこそ作り得たレコードだと言っていい。それも、深い悲しみの中で制作された『デモリッシュド・ソウツ』とは異なり、ポジティヴな空気やエネルギーが本作の基調に流れている。

「次のアルバムは、新しい人生についてだったり、ポジティヴな感情や、新しい愛について、前向きな気持ちが表れている。それで『ザ・ベスト・デイ』っていうタイトルがついてるんだ」



『ザ・ベスト・デイ』の始まりは、ムーアがロンドンで最初に住んだ共同アパートの同じ住人だったギタリスト、ジェイムス・エドワーズとの出会いだった。ノウトやグアポといった先鋭的なロック・グループで活動する傍ら、子供たちにギターを教えていたというエドワーズだったが、その高いギターの演奏テクニックにムーアは感心し、また音楽の嗜好も近かった(※エドワーズはソニック・ユースのファンだった)ことから、ふたりは意気投合。すでにソロ用の曲を書き進めていたムーアは、早速エドワーズと共にデュオとしてロンドンで演奏を始めることになる。一方、ゆくゆくはバンドで音楽をやりたい構想を持っていた(※仮のバンド名は「Thurston Moore U.K.」だった)ムーアに、「うってつけの“完璧なベーシスト”がいる」とエドワーズが提案した名前が、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのデビー・グッギだったという。ソニック・ユースはMBVがデビューしたての頃にスコットランドで共演したことがあり、ムーアとグッギは一応面識があった。詳しい経緯は不明だが、MBVが再結成~新作ツアー終わりで活動を中断していたタイミングだったこともあり、グッギはムーアからのオファーを快諾。そこに、ソニック・ユースの活動休止後もコンタクトを取る機会のあったドラマーのスティーヴ・シェリーが合流して、『ザ・ベスト・デイ』の布陣は編成と相成った。


「まあ、ソニック・ユースから一皮むけたかな……ソニック・ユースよりもシリアスなんだけど、同時にアクセスしやすい感じだね」



そう『ザ・ベスト・デイ』のサウンドについて語ったムーア。本作の正式アナウンス前の今年1月に公開された“Detonation”こそ、CLMのモードと連続性も感じさせるタイトなポスト・パンク・ナンバーだが、アルバムを全編通じて印象に残るのは、がっちりと組まれたバンド・アンサンブルの重厚さ、ギター・サウンドのストロークスの深さや曲のストラクチャーの奥行きではないだろうか。それは、オープニングから8分を超える“Speak To The Wild”が雄弁に物語る通りである。あるいは、双璧をなす“Grace Lake”からは、ニール・ヤング・ウィズ・クレイジー・ホースも彷彿させる円熟味、ソニック・ユースのディスコグラフィで言えば2002年の『ムーレイ・ストリート』に通じる深遠で静謐なムードを感じられるかもしれない。




『デモリッシュド・ソウツ』に引き続きムーアが12ストリング・ギターを振るうアコースティック・バラードの“Tape”や“Vocabularies”が置かれた一方、表題曲の“The Best Day”や“Forevermore”は、まさに「ソニック・ユースから一皮むけた」とムーアが語った言葉通り、貫録と王道感を備えた2010年代のオルタナティヴ・ロックにふさわしい。ムーアは「Rolling Stone」の最新インタヴューに応えてこれが本当のロックンロールの魔法だと直感した、と初めて4人で音を合わせたときの興奮について語っている。ちなみに、“Detonation”と“Grace Lake”は、60年代の終わりに活動したイギリスの反体制テロ組織「Angry Brigade」に捧げられた曲だという。また、先のインタヴューによれば、最終曲の“Germs Burn”は、あのハードコア・バンドのジャームスとムーアの中では関連があるようだ。

『デモリッシュド・ソウツ』が「癒し」、CLMを「反動」とするならば、この『ザ・ベスト・デイ』には、新天地で迎えたキャリアの「再生」とでも言うべき新たな息吹を、その伸びやかなソングライティングや雄々しいサウンドから感じることができる。近年も相変わらず、ジョン・ゾーンやローレン・マザケイン・コーナーズらとの共演、また話題を呼んだブラック・メタル・バンドのトワイライトへの参加など、ライフワークのように音楽を作り続け数々のタイトルを発表してきたムーアだが、この『ザ・ベスト・デイ』こそが本当に作りたかった作品に違いない。アルバムのジャケットには、40年代にムーアの父親が撮影した、湖で犬を抱く母親の写真が使われているが、ここから醸し出されるイメージが、深いところで本作のインスピレーションになったとムーアは語っている。



ムーアはこの『ザ・ベスト・デイ』と前後して、前出のジョン・モロニーとのプロジェクト、コウト・オン・タップのデビュー・アルバム『フル・ブリード』のリリースも予定している。ただ、ファンにとって気がかりなのは、やはりソニック・ユースの今後についてだろう。今年に入って、『デイドリーム・ネイション』や『ザ・ホワイティ・アルバム』を手始めとしたリイシュー・シリーズがオフィシャル・サイトで発表されたが、肝心のバンドの活動はどうなるのか。最後に、ソニック・ユースに対する現在の見解を話してくれたムーアの言葉を紹介して、本稿の結びとしたい。

「自分の中ではいまだに健在というか、リイシューもそうだし、いろいろと細かなリリースが予定されてるしね。他にも作りかけの作品もあったり……結局、バンドがこの先どうなっていくかなんて誰にもわからないわけであってさ。ソニック・ユースは解散したって正式に発表したわけでもないし、ただ、しばらくは距離を置く必要があるっていう……お互いの関係のために今は距離を置く時期なんだっていう、それだけのことだよ。ソニック・ユースって、自分にとっては家族以外で自分の人生を決定づけるもので、それこそ20年代前半にソニック・ユースを始めて今は50代になるから、大人になってからの人生の大半をソニック・ユースとして過ごしてたことになる。ソニック・ユースのバンドの何がすごいかって、何て言うかな……徹底的に民主主義というか、すべてにおいて民主主義の姿勢が貫かれている。ソニック・ユースにおいては、分担作業ってものが存在しないというか、常に共同体として作業していく……まさに共同体って感じだよね。そこに、あのバンドの主義なりスタンスが貫かれていたと思う。しかも、いろんな音楽なりアイディアが構成要素としてあってさ。パンク・ロック以外にも、ジョン・ケージなんかの前衛音楽や、マイナーな音楽だったり、世界各国のフォーク・ミュージックだったり、いろんな音楽なりインスピレーションが織りなされたところに、一つのプロジェクトとして完成してるという……そんな感じのイメージかな。それと決して売れるためになびいたことがないっていう……その姿勢が大いに買われてるのかもね(笑)」



(2014/09)

※括弧部分のサーストン・ムーアの発言はすべて、WEBマガジン「Neol」で筆者が行なったインタヴューからの抜粋になる。

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