2014年11月9日日曜日

極私的2010年代考(仮)……Japandroids『Celebration Rock』



きっかけを一点に絞ることは難しいが、もっとも大きな象徴を挙げるとすれば2008年のノー・エイジのアルバム『ノウンズ』になるだろうか。2000年代の中盤辺りからアメリカのインディ・シーンで顕在化し始めたシューゲイザーやローファイの再評価。それはアニマル・コレクティヴ以降のサイケデリック・ポップと同調も見せながら、フリー・フォークやブルックリンの文化横断的な折衷主義とはねじれの位相のままUSアンダーグラウンドを侵食し始め、やがて「シットゲイズ」「ノーファイ」とサブジャンルで総称されるハードコア・パンクやガレージ・ロックとの合流を遂げた。その一連の流れの中にはディアハンターやアリエル・ピンクから、ポカハウンテッドやサイケデリック・ホースシット(※「シットゲイズ」とは彼らのEP、『Shitgaze Anthems』から取られたといわれている)が属す〈Not Not Fun〉〈Woodsist〉周辺のフリー/ノイズ系も含まれるだろうし、さらにその同心円/延長線上には、スミス・ウェスタンズやモーニング・ベンダーズ(改めポップ・エトセトラ)といったリヴァーヴ/ヴィンテージ・ポップ、あるいはウォッシュト・アウトやネオン・インディアンからジェイムズ・フェラーロまで括るチルウェイヴ/グローファイ~ヒプナゴジック・ポップの動きも含まれるかもしれない。細分化すれば事例はいくつも挙げられるが、ともかく、シューゲイザー/ローファイとハードコア・パンク/ガレージ・ロックの邂逅点として最大の象徴こそノー・エイジであり、その最大の達成が彼らのセカンド・アルバム『ノウンズ』であったという意見に異論は少ないだろう。



そして、ジャパンドロイズが登場し浮上した背景にあるものも、そうしたここ数年におけるUSインディ~アンダーグラウンドの動向と無縁ではない。


カナダのヴァンクーヴァーで、大学時代の友人同士――ブライアン・キング(G/Vo)とデヴィッド・ブラウズ(Dr/Vo)によってジャパンドロイズが結成されたのは2006年。以降、ライヴ活動をベースとしながら自主制作で2枚のEP『All Lies』(2007年)『Lullaby Death Jams』(2008年)をリリースするも、他都市のモントリオールやトロントに比べてサポートの薄い地元シーンで孤軍奮闘が続き、一時は解散の危機を迎えてしまう。その後、2008年秋に自主制作でファースト・アルバム『Post-Nothing』をリリースし地元のレーベル〈Unfamiliar〉と契約を結ぶが、プロモーションに関して十分な協力を得られず苦境が続く中、状況が好転の兆しを見せたのはPitchforkの記事がきっかけだった。Pitchforkは収録曲の“Young Hearts Spark Fire”を「Best New Track」に選出し、さらに『Post-Nothing』を「Best New Music」に選出(※そのレヴューでは“Young Hearts Spark Fire”について、LCDサウンドシステムの“All My Friends”の「裏面」――物憂げな回想と酔っぱらった反抗を、躍動するエレクトロと混沌としたガレージ・ロックを取引したような曲と評している)。そして同記事からほどなく、2009年の夏に〈PolyVinyl〉と契約を果たし、『Post-Nothing』がカナダ以外でもワールドワイド・リリースされると、ジャパンドロイズの名前と評判は世界中へと広まった。




かくして『Post-Nothing』は、“ローファイなハスカー・ドゥ”とも評される彼らのスタイルや嗜好が凝縮されたようなアルバムだった。ソニックスを青写真としたガレージ・ロックのプリミティヴなマナーと、フガジのDIY精神や母国のヴェテラン、コンスタンティンズの背中を追いかけたハードコア・パンクへのシンパシー。あるいは、ガンズの熱狂的なファンで子供の頃から「スラッシュになりたかった」というブライアンのハードロックのリフ/ディストーション。ユニゾンするワイルドなヴォーカル&スクリーム。そして、満足な設備もないスタジオでほとんど一発録りされた、実質ライヴ・アルバムのようなものだと語るひずんだ音質/音像。彼ら自身、「Live, Raw, Cheep」の3つの単語で形容する『Post-Nothing』は、いわゆるシューゲイザー的な音響的配慮は希薄だが、前述した昨今のUSインディ~アンダーグラウンドの動向と大枠で同期を示すものだろう。『Post-Nothing』には、同郷のファックド・アップを始め、それこそタイ・セガールやブラック・リップスのロックンロール、タイタス・アンドロニカスやソフト・パックのガレージ・パンク、ウェーヴスやタイムズ・ニュー・ヴァイキングのファズ・ポップ、そしてもちろんノー・エイジとレコード棚をシェアする同時代性がある。そのことは、一昨年リリースの『No Singles』にコンパイルされた初期の楽曲についても同様であり、さらにそこには、ライトニング・ボルトやヘラ、同郷のデス・フロム・アバヴ1979に代表される2000年代を通じたノイズ・ロックの系譜も重ねることが可能だし、デュオ編成という相似性も指摘できる(※結成当初はインストゥルメンタル・ユニットで、新たにヴォーカリストを迎えてトリオ編成にする構想もあったらしい)。そうしたいわばUSインディ~アンダーグラウンドの縦横が交わる場所に彼らは立つ存在であり、『Post-Nothing』はそのサンプルとして興味深い。



しかし、実際に彼らが『Post-Nothing』に託した意図は、そうした背景とは別にあった。いわく『Post-Nothing』というタイトルには、たとえば「ポスト・ロック」や「ポスト・ダブステップ」のように“Post”を始めとする安易な冠詞でジャンルの濫造/細分化を進めるような風潮への皮肉が込められている。それは過去の安易な引用についても同様で、つまりそうしてしまうことで音楽のラベリングを容認し、新しくオリジナルなものを生み出すことを放棄してしまうような態度、その無意味なさまを告発したタイトルだった(※当初は『Post-Everything』という案もあったらしい)。よって、むしろ昨今のサブ・ジャンルが乱立したUSインディ~アンダーグラウンドの傾向には否定的で、とくに「シットゲイズ」「ノーファイ」等のカテゴライズに対してはインタヴューで一笑に付している。彼らは前述した自分たちのサウンドの同時代性についておそらく自覚的だが、そこには同時にジレンマもあり、そのことが『Post-Nothing』を、単にバンドのブレイク・ポイントという以上に重要な作品として意味付けていることは間違いない。


さて、本作『セレブレイション・ロック』は、その『Post-Nothing』の自主リリースから数えると約3年半ぶりとなるセカンド・アルバムになる。『Post-Nothing』同様にセルフ・プロデュースで、引き続きジェシー・ガンダー(※地元ヴァンクーヴァーのD.B.S.というパンク・バンドでVo/Keyとしても活動)をレコーディング・スタッフに迎えて制作された。

今回のリリースを受けて答えたPitchforkのインタヴューによれば、本作も制作状況は前作と基本的に変わらないようだ。前回と同じ地元のスタジオを借り、オーヴァーダブやダブルトラックは原則禁止で、ギターもドラムも基本ワンテイクで録音された。ただし、『Post-Nothing』のレコーディングではほとんど無計画に、ただスタジオに入ってライヴと同じように演奏していたのに対して、今回はより良いテイクをものにすることを心掛けていたという。その上でブライアンは今回のレコーディングを振り返って、本作『セレブレイション・ロック』が「自分たちのサウンドを精練する(refine)」機会になる予感があったと語り、その理由として『Post-Nothing』のリリース後、3年近く続いたライヴやツアーで得た手応えを挙げる。その過程でソングライターとしての自信を培い、セットではインプロヴィゼーションを組み込むなど演奏面を練り上げ、実際に本作の収録曲のいくつかは3年前から曲作りが行われライヴの場でも度々試されてきたという。そして、同インタヴューでブライアンは制作作業の様子について「曲が流れている間にオーディエンスはどう反応するか、ということを念頭において僕らはアルバムのサウンドを作り出そうとした」「まるで自分たちのライヴのオーディエンスのように、僕とデイヴはスタジオで叫んでいたんだ」と語っている。



はたして、本作『セレブレイション・ロック』は、祝砲のような花火の音で幕を開ける“ザ・ナイツ・オブ・ワイン・アンド・ローゼズ”からして象徴的なアルバムである。『Post-Nothing』とは対照的なアルバム・タイトルも印象的だが、まさにブライアンが語った言葉どおり、本作はオーディエンスとの一体感やシェアする感覚をイメージして制作されたアルバムなのだろう。その意味で、本作は明確に意図されたライヴ・アルバムといえるかもしれない。彼らが音楽的にやろうとしていることは前作と変わらない。しかし、彼らが今回のレコーディングでライヴのエネルギーやフィーリングをフィードバックさせようと意識的に取り組んできたことはサウンドから伝わってくるし、それこそ“イーヴルズ・スウェイ”や“ザ・ハウス・ザット・ヘヴン・ビルト”を聴けばオーディエンスのコールバックやシンガロングの光景がありありと思い浮かぶだろう。

一方、ガン・クラブのカヴァーである“フォー・ザ・ラヴ・オブ・アイヴィ”の、ハードコア・パンクというかサイコビリーをシューゲイズなギター・サウンドに溶かし込んだようなマナーは彼らの真骨頂だろうし、“ヤンガー・アス”のエピックなインストゥルメンタル・パートはまさしく精練された演奏面の極みを感じさせる。あるいは本編のラスト・ナンバー“コンティニュアス・サンダー”が聴かせるえもいわれぬ深みに、どこか円熟にも近い境地を見るリスナーもいるかもしれない。なお、今回の日本盤にはボーナス・トラックとして、2010年と今年に7インチのシリーズで発表されたアルバム未収録曲やヴァージョン違い、そしてカヴァー曲を収録。とくにニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズやPJハーヴェイ、ブラック・フラッグやXといったカヴァー曲のリストからは、前述のガン・クラブも含めて彼らの音楽的なルーツがあらためて窺い知れておもしろい。




ジャパンドロイズが結成されて6年。ブライアンとデヴィッドが大学で知り合ってからは今年で12年になる。前作『Post-Nothing』には、活動当初の思うようにならない日々が投影された地元ヴァンクーヴァーへの愛憎が滲んでいた。対して本作『セレブレイション・ロック』には、なるほど「酔っぱらった反抗」とはまさしくそのとおりだが、アルバム・タイトルが象徴する祝祭の感覚と、誰かと何かを分かち合おうとする連帯の意志がある。そこには、彼らがこの約3年半の間に得た新たな実感や、実際に見てきた光景が投影されているのかもしれない。あるいは、2000年代の終わりから2010年代にかけて彼らが当事者として直面したUSインディ~アンダーグラウンドに対するリアクションとしても、はたして読み取ることができるだろうか。“アドレナリン・ナイトシフト”のこのラインが胸を打つのは、つまりそういうことなんだろう。


「地元で孤軍奮闘するハリケーン
傷つき、弱まり
それでも俺たちの世代のかがり火が燃え上がるのを待ってたんだ
幾らかの金で力を増強したら
街で凄んでみせてやるよ
死は愛へのリスペクトがないし
若さは俺へのリスペクトがないからね」

(2012/04)

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