2014年5月18日日曜日

極私的2010年代考(仮)……Cloud Nothings 『Attack On Memory』



マイスペースにアップした既発曲や宅録音源を集めたコンピレーション・アルバム『Turning On』に続き、セルフ・タイトルのファースト・アルバムをリリースしたのが2011年の1月。それからわずか1年で早くもセカンド・アルバムの本作『アタック・オン・メモリー』が届けられた。その間のツアーや様々な露出を含む多忙なスケジュールを考えれば驚きのペースに思えるが、高校時代からバンド活動を始め、現在のクラウド・ナッシングスを結成する前後も複数のプロジェクトを掛け持ちしながら日常的に曲を書き続けてきた中心人物のディラン・バルディ(Vo/G)にとっては、これも当然の成り行きのようだ。ディランは、デビュー当時まだ18歳の若者で、大学を半年でドロップアウトした自身の経歴もあってか度々指摘される「スラッカー」という(この手の音楽/シーンに対してありがちな)レッテルについては強く否定的で、実際に平日は労働に勤しむ「hard worker」だと語り、また自らを「多作なソングライター」だと認める。もっとも、ディランだけでなく他のメンバーもサイド・プロジェクトに旺盛な活動を見せるクラウド・ナッシングスというバンド自体が、ひとつの「多作なミュージシャン」の集まりであることは間違いない。


クラウド・ナッシングスのスタートは、ディランがクリーヴランドにある実家の地下室やベッドルームでひとり始めた宅録にさかのぼる。高校時代にはザ・ヴォルツというバンドでグリーン・デイのカヴァーをしたり、その後もポニータやネオン・タンズといったプロジェクトを率いて作品もリリース(※後者はダーティー・ビーチズもリリースする「Scotch Tapes」から)するなど、地元のシーンでは知られた存在だったが、そもそも他人と何かをやることに飽きっぽい性格らしく、ならばひとりで好きな音楽を作りたいと始まったのがきっかけのようだ。

それでマイスペースにアップした音源が、ロスで「Bridgetown Records」を運営するケヴィン・グリーンスポンの目に留まり、その音源と急きょ録音された新曲をコンパイルしてリリースされたのがカセット/CDR『Turning On』。それが2009年のことで、それと前後してディランはツアーに出ることを決意し、そのために元バンド・メイトや友人を集めてライヴ・バンドを結成する。初めてのライヴはニューヨークでウッズとリアル・エステイトのオープニング・アクトを務めるという幸運にも恵まれ注目を集めると、その後もSXSWへの出演や、ウェーヴスやカート・ヴァイルやファックド・アップなど話題のアクトと共演を重ね、アメリカのインディ・シーンで次第に頭角を現していく。そして2010年、転機となる「Wichita」との契約を機に『Turning On』が正規にCD化され、またベスト・コーストを見出した「Group Tightener」や「Matador」傘下の「True Panther」(ガールズ、マジック・キッズetc)から7インチ、スプリット・カセット『Cloud Nothings / Campfires』など新たな音源を相次いでリリース。さらに同年、「Carpark」とも新たに契約を交わしワールド・リリースの体制が整うと、翌年の2011年に満を持してファースト・アルバム『クラウド・ナッシングス』がリリースされた。




なお、以降のシングルやトロ・イ・モアとのスプリット『I Will Talk To You / For No Reason』を含めて過去に7インチ等で発表された楽曲は、本作『アタック・オン・メモリー』を始めアルバムには重複して収録されていない。その事実からも彼らが多作を誇るバンドであることがわかるだろう。ちなみに、ディラン以外のメンバーのサイド・プロジェクトについて補足すると、サイド・ギターのジョー・ボイヤーとドラムのジェイソン・ゲリックスはトータル・ベイブス、ベースのTJ・デュークはモール・ピープルというバンドで活動。それぞれ『Swimming Through Sunlight』と『Mole People』というアルバムをリリースしている。


前回のファースト・アルバムは、ダン・ディーコンやフューチャー・アイランズなど手がけるチェスター・グワズダのプロデュースの下、ボルチモアのメリーランドにあるスタジオで制作された。対して今回、本作の大きなトピックにもなっているのが、レコーディング・エンジニアを務めたスティーヴ・アルビニの起用である。スティーヴ・アルビニといえば――説明は不要と思うが、シカゴに自前のスタジオ「Electrical Audio」を構えて数々の名盤を世に送り出してきた鬼才エンジニアであり、何より、80年代初頭に活動したビッグ・ブラックを始めレイプマン~現在はシェラックを率いるUS(ポスト・)ハードコアの重要人物。近年ではビッグ・ブラックの再結成も話題を集めたが、一方でプロデュース業の方も、ジョーン・オブ・アークの最新作『ライフ・ライク』を筆頭にスカウト・ニブレットやジ・エックス、フリート・フォクシーズのドラマーのJ・ティルマンなど、相変わらず精力的でクオリティが高い。かくいうディランは16歳の時にビッグ・ブラックの『Songs About Fucking』を聴いて以来、アルビニの作品に対して憧れを持っていたという。前作は初のスタジオ作品ということで、それまでの宅録では物理的に難しかった音質面の向上もレコーディングの目的にあったようだが、今回の制作風景に関してディランがインタヴューで語ったところによれば、「彼はあまり何もせず、ただ録音の用意をして、僕達はただ自分達の曲を演奏するだけだった。彼は特に指示をすることもなく、僕達がやりたいようにやらせてくれた」――と、つまりは普段通りのアルビニ・スタイルのレコーディングだったらしい(※録音中、アルビニはずっとフェイスブックでゲームをしていたらしい……)。もっとも、「オレに仕事を依頼するバンドの多くは、彼らの個性を生かした有機的なサウンドを録ってほしがっている。大切なことは、メンバー全員が互いの目線を交ぜるようにすることだ」――そう自らのレコーディング哲学を語るアルビニの言葉を鑑みれば、彼らは最適な環境でアルバム制作に臨めたというべきだろう。


音楽好きの両親の勧めで子供の頃にピアノを習い、高校時代には録音技術を学ぶクラスも専攻していたというディランだが、彼を心の底から音楽に夢中にさせたのはパンクのレコードだった。なかでもお気に入りは80年代のハードコアで、ハスカー・ドゥ、ジャームス、リプレイスメンツ、アディクツ、アドルセンツ……基準は「短くて簡潔(brief and compact)」なことだった。そのためにディランが考えたことは「可能な限りレコーディングは早く済ませる」ことで、でなければ「曲を書いたときのオリジナルのエネルギーや、そのときの興奮した気持ちが失われてしまう」から、と語る。実際、『Turning On』は4日間、ファースト・アルバムは1週間強で制作され、また後者のレコーディングの際には先述のバンドのレコードをあらためて繰り返し聴き込んでいたそうだ。その狙い通り、1分台から3分台のタイトなロックンロールやパンク・ソングが詰った『クラウド・ナッシングス』は、まさにディランが描く理想的なレコードだった。




ただ一方で、リリースをへて前作について振り返ったディランの胸の内には、音質面の向上によりローファイ~ノイズ的な要素が取り払われたぶん、メロディや楽曲としてのポップさが際立ち過ぎた……という認識があったようだ。それを踏まえてディランは、本作完成後のインタヴューに答えて「僕達が前のアルバムでやっていた“ポップ・パンク”とは対立するものとして、今回のアルバムを“ロック・アルバム”と呼びたい」と語り、その手応えを「よりダークで重い(darker and heavier)」「真の姿に近づいたもの」と説明している。そしてさらに加えて、本作の制作にあたり90年代の「Dischord」――いわずと知れたフガジのイアン・マッケイと元マイナー・スレットのジェフ・ネルソンが運営するD.C.ハードコアの旗艦レーベル――の作品から強い影響を受けたと告白する。


具体的な作品名やアーティストは挙げられていないので影響云々を特定するのは難しいが、興味深いのは前作のルーツが「“80年代”のハードコア」で本作が「“90年代”のハードコア」という、その10年の隔たりだろう。つまり簡略していえば、オリジナル・ハードコアからポスト・ハードコアへ――例えば「Dischord」で挙げるならラングフィッシュやネイション・オブ・ユリシーズが象徴するその間の音楽的な深化や洗練のプロセスを、ディランが相応に意識していたことは想像できる。そして何よりスティーヴ・アルビニこそ、自身のバンドやプロデュース・ワークを通じてポスト・ハードコア以降の流れを牽引した最大の立役者であり、本作のレコーディングの経緯もあらためて腑に落ちる。もちろん、その背景には「Dischord」が体現し続けるDIYなアティチュードへの深い共鳴があればこそ、同じくDIYな制作スタイルを貫くアルビニの元へディランが導かれたであろうことは間違いない。

はたして、彼らが遂げた深化や洗練は、リード・トラックのM①“No Future No Pain”から印象的だ。ピアノの音色で静かに幕を開け、やがてゆっくりと絡み合うバンド・アンサンブルが次第に熱を帯び、ディランの喉を掻き毟るような激しい咆哮でクライマックスを迎える――。そのスリントやジョーン・オブ・アークの諸作も彷彿させる緊張感の立ち込めたサウンドは、これまでのバンドのイメージとは明らかに異質のものだろう。有り体にいえば、静と動のコントラスト/インストゥメンタル・パートとヴォーカル・パートの対比構造が鮮明で、曲の展開やコンポジションに厚みと奥行きを増した。近い感触はM⑥“No Sentiment”についてもいえるが、例えばM③“Fall In”やM④“Stay Useless”といった、ファースト・アルバムの延長線上にあるコンパクトで軽快なギター・コード~それこそオレンジカウンティ辺りの90年代のEMOにも通じるナンバーと対置されたとき、その差異はよりいっそうに感じることができる。

そして、そんな本作をもっとも象徴するナンバーがM②“Wasted Days”だろう。収録タイムが8分を越える(彼らにすれば)大作だが、圧巻は後半のインストゥルメンタル・パートに尽きる。前半の性急なパンク・ロック・スタイルが一転、オーヴァーダブやコラージュめいた音の渦に飲みこまれ混沌としたジャムを繰り広げる展開は、ほとんどサイケデリック・ロックの境地にも近い。初期のローファイやファズ・ポップの面影ははるかに遠く、凝縮された演奏と音圧で軋むノイズの手触りは、個人的にトレイル・オブ・デッドも連想させる。もっとも、前回のレコーディングではディランがすべての楽器を自身で演奏したそうで、つまり実質的にはディランのソロ・レコードともいえた前作に対して、(※現時点ではクレジット等の詳細が不明なのだが、先述のレコーディングの様子から考えて)初のバンドの録音のアルバムとなる本作は、彼らにとってはそもそも次元の異なる作品なのかもしれない。そうした意味でも本作は、まったく新たなクラウド・ナッシングスの姿を記録したアルバムといえるし、ディランの発言を見てもそう捉えるのがふさわしい作品なのだろう。




ちなみに本作のアルバム・タイトルには、これまでのバンドのイメージ(Memory)を破壊する(Attack)という意味が込められているという。ディランは語る。「このレコードは、過去の作品よりも強烈な(hit harder)な曲を書きたいという自分の欲望から生れた。そのためにはバンド・メンバーの個々の強みをアピールする段階的な理解が必要だった。単純なポップ・ソングではバンドの可能性を最大限に引き出すことはできなかったと思う」。


これを書いている2011年末、続々と発表される各音楽メディアのクリティック・ポールを見るかぎり、彼らのファースト・アルバムは必ずしも期待された評価を得た作品とはいい難いかもしれない。いや、かたや例えば今年インディ・シーンを騒がせたチルウェイヴ/グローファイやシンセ・ポップの台頭と比較したとき、そもそも「ロック・バンド」というフォーマット自体が、新しい世代のミュージシャンの間で有効性や新鮮味を問われつつあるのかもしれない……という印象も受ける。
本作『アタック・オン・メモリー』は、そうした状況に対する強烈なインパクトになるのではないか。確信とともに期待している。


(2011/12)

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