ザ・ストロークスのブレイクを端緒に、俗にロックンロール・リヴァイヴァルと呼ばれた原点回帰の機運が高まるなか、00年代の幕を開けたニューヨーク。しかし、ご存知のとおり、その後、彼の地のシーンを先導した音楽フェーズの多くは、その実きわめてアンダーグラウンドな性格のものだった。
(その大半が80年代のニュー・ウェイヴを引用したポップとしての性格が強い英国勢とは対照的に)ノー・ウェイヴを参照点としたポスト・パンク・リヴァイヴァル/ディスコ・パンク~エレクトロクラッシュ、「フリーク・フォーク」に象徴される汎ジャンル的なフリー・ミュージック、あるいは、ブルックリンで開催される「NO FUN FESTIVAL」周辺の先鋭的なノイズ・シーン……etc。そうした諸々の音楽事象は、そこに歴史的な蓄積として従来あるアート・シーンやフリー・ジャズ等のアヴァンギャルドな音楽土壌と交わりながら、溢れ出した地下水脈のように00年代のニューヨークを席捲した。つまり、本来ならアンダーグラウンドで潜在化するだろうエクスペリメンタルなサウンドが、過剰ともいえる形でオーヴァーグラウンドへ顕在化(=トレンド化)した状況こそ、「ニューヨークの00年代」といえる。
そうした意味で、昨年、日本でも公開されたドキュメンタリー映画『キル・ユア・アイドルズ』は示唆的な作品だった。「New York No Wave & The Next Generation」というコピーのとおり、スーサイドやリディア・ランチ(ティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークス)からソニック・ユースやスワンズまで含むノー・ウェイヴ世代と、ブラック・ダイスやライアーズ、ヤー・ヤー・ヤーズといった00年代のバンドを対置し、両者の共通項と対立軸を争点化しながら紐解かれるニューヨークの「裏史」的なアンダーグラウンドの系譜。そこには、リヴァイヴァリズムと混同されがちな00年代初頭のニューヨークの実像が捉え直されていると同時に、以降の趨勢も可視化するオルタナティヴな「史観」が明示されていて興味深い。
「音楽の基本要素を根本から変えてやろうと考えたんだ」とアート・リンゼイ(DNA)が語るノー・ウェイヴの本懐は、それぞれに解釈やスタイルの違いこそあれ、通奏低音のように「ニューヨークの00年代」を反響し、その創作を規定している。そして、かたやリディア・ランチが「私が受けたすべての影響を排除した。何も参考にしない音楽を創ることが私たちの目標だった」とも語るその“否定の意思”のなかに、00年代の彼らは音楽的な可能性を見出し、それを“肯定的”に読み替えていくことで、アンダーグラウンドなエクスペリメンタリズムをロック/ポップへと反転させてみせた。その成果は、個々の作品は無論、たとえば“00年代の『No New York』”とも銘打たれたヒシャム・バルーチャ(元ブラック・ダイス/現ソフト・サークル)監修『They Keep Me Smiling』や、先日リリースされたニコラス・ヴァーンヘス(アニマル・コレクティヴら御用達のブルックリンのスタジオ「Rare Book Room」の名エンジニア)監修『Living Bridge』等のコンピレーション盤でも確認できる。あるいは、カルロス・ジフォーニ(「NO FUN FEST」主催者/ミュージシャン)が「今は世界全体がノー・ウェイヴの舞台なんだと思う」と別のインタヴューで語っていたように、ノー・ウェイヴをその背景/深層に参照可能なエクスペリメンタルな音楽環境は、もはやニューヨークに留まらず至る場所のアンダーグラウンドで共有された状況といえるのかもしれない。
そして、本作『Terrific Seasons』がファースト・アルバムとなるブルックリンのトリオ、ディーズ・アー・パワーズ(以下TAP)もまた、そんな「ニューヨークの00年代」の申し子的なバンドにほかならない。たとえその名前に覚えはなくても、「元ライアーズのメンバーが立ち上げたバンド」と聞けば画点がいくのではないだろうか。
そのサウンドを聴けば、彼らもまた、ノー・ウェイヴを源流とするアンダーグラウンドなロックの系譜の強い影響下にあることがわかる。たとえばパット脱退後のライアーズがセカンド以降“ドイツ”に向ったのとは対照的に、ある意味で初期ライアーズ~N0 Thingの発展形ともいえるダダイスティックで解体的なそのニューヨーク実験主義とダブの混淆は、マーズやSST時代のソニック・ユースを彷彿させるものだし、アンナの抑揚を欠いたヴォーカルはリディア・ランチを俄かに連想させる。あるいは、スロッビング・グリッスルやシルヴァー・アップルズからボアダムスまで影響を取り沙汰される禍々しいジャンク趣味、ヒプノティックなエレクトロやパーカッシヴなビートは、いうまでもなくブラック・ダイスやエクセプター、ギャング・ギャング・ダイスといったブルックリンの同世代と共振する感覚のものだろう。もっとも、彼ら自身はノー・ウェイヴからの直接的な影響はまったくないと語り、強いていうなら「たとえばギターを使ってギターとはかけ離れた音を鳴らす、みたいなアプローチにおいては共通しているかもしれない」とアンナは断る。むしろ、感覚としてはコラージュやペインティングといったヴィジュアル的なイメージに近いと語り、ソングライティングの大半は即興とライヴ・パフォーマンスがベースになっているという(実際ライヴでは、バトルスよろしく、ビルによってその場でサンプリングされたフレーズやループを組み込みながら演奏しているようだ)。ちなみに、本作『Terrific Seasons』に対して『Taro Tarot』では、ビルの影響と思しきミニマルなトラックも随所にフィーチャーされている。
デッド・オーシャンズから再発された2作品を引っ提げ、彼らはこの秋、イタリアやベルギーも回る大々的なヨーロッパ・ツアーを敢行(シュシュや元ラングフィッシュのダニエル・ヒッグスとも共演)。セカンド・アルバムとなる新作のレコーディングもすでに済ませたようで、来年の2月17日に同レーベルからリリース予定とのこと(タイトルは『All Aboard Future』)。ビルがインタヴューで語ったところによれば、パンク的なトーンや攻撃性は後退し、メロディアスで「ポップ」としてのストラクチャーが打ち出された作品、となるらしい。また、いくつかの曲ではドラム/パーカッションはまったく使われず、ビルがヴォーカルを執っている曲もあるという。
果たして来るニュー・アルバムは、その評価を決定づけるマスターピースとなるのか。はたまた、「ニューヨークの00年代」と決別を表明する試金石となるのか。来日公演実現の吉報と共に、その到着を期待して待ちたい。
(2008/10)