2011年3月23日水曜日

極私的2000年代考(仮)……ボーズ・オブ・カナダ

ボーズ・オブ・カナダの2人、マイク・サンディソンとマーカス・イオンは、最新アルバム『ザ・キャンプファイア・ヘッドフェイズ』のリリースに際し、イギリスの音楽誌WIRE(2005年10月号)のインタヴューに答えている。

その記事のなかで個人的に興味を引いたのは、たとえばマイクが語った次のような一節だ。

「僕たちが書く曲にはつねに映像的な要素がある。それはたぶん、映画やテレビによって植え付けられたオブセッションに由来している。子供のときの映像体験――たとえば爆弾が虹色の閃光を放ちながら爆発するアニメーションとか――って、とても感動的なものだし、影響力も大きい。それは幼いころであれば尚更、より強烈な体験として記憶に刻まれるものだと思う。でも、大人になるにつれて僕たちの脳は、無意味や不要だと判断したノイズを濾過して取り除いてしまうようになる。そして僕たちは、いつのまにか多くのことに鈍感になっていってしまう」

「ボーズ・オブ・カナダの音楽には、そんな子供のころの敏感な感受性を喪失してしまった悲しみが満ちている。ボーズ・オブ・カナダの音楽は、人が成長していくなかで出会う音やイメージへのノスタルジアを創り出す一方、あの初めて世界に触れたときの昂ぶる気持ちを取り戻すために闘っているんだよ」


ボーズ・オブ・カナダのサウンドはとても映像的だ。その「音」は、音楽体験であると同時に一種の映像体験といっても差し支えないほど、聴く者に映像的なイメージを強く喚起させる。それは、彼らの作品を聴いたことがある人ならば誰もが感じるだろうことだと思う。

そうしたボーズ・オブ・カナダのサウンドの高い映像喚起性のルーツと言え、またマイクとマーカスの映像へのオブセッションを大いに刺激したのが、後にグループ名の由来ともなった「The National Film Board Of Canada」(カナダ国立映画制作庁)が制作したネイチャー系の映像作品だった。自然科学や地球遺産的なテーマを扱ったNFBC制作の教育向けテレビ・プログラムを、2人は幼少から思春期を過ごしたカナダとスコットランドで浴びるように観ていたという。その影響で2人は、実際に13歳のころに地元の友人とともにスーパー8ミリで映像作品の制作も経験している(※NFBCのアニメーション部門も担当していたカナダの前衛アニメーション作家ノーマン・マクラーレンの影響を受けた実験的な作品だったらしい)。まだ大学生だった1990年代の初頭には、「Hexagon Sun」名義のアウトドア・パーティーをスコットランドの郊外で開き、グラフィック・デザイナーやミュージシャンなど大勢のアーティストを巻き込んで音楽(音響)と映像(視覚効果)を融合したマルチ・パフォーマンスを行っていたことは知られたエピソードだ。

そうしたごくありふれた好奇心に支えられていた映像への関心が、同時に、冒頭のマイクのコメントにも表れるように内省的な意味合いを帯びたものである背景には、どんな理由があるのだろうか。
たとえば、彼らが長年にわたって個人的に集めてきた家族などのポラロイド写真で埋め尽くされた『ザ・キャンプファイア・ヘッドフェイズ』のアートワーク。そのコンセプトについて、彼らは「誰か他人の古い家でその写真を見つけたときの気持ちと、そこに写っている人たちがみんな死んでしまったときの気持ちを、リスナーに想像してほしい」と話している。なるほど、その色褪せたターコイズ・ブルーと黄色のグラデーションで彩られたアートワークのヴィジュアル・イメージは、サウンド同様にリスナーの心のひだを激しくふるわすような情感を呼び起こしてやまない。

「どこか欠陥があったり、不完全なものに惹かれてしまう」とマイクは語る。

「たとえ僕たちの音楽が様式化されたもののように聞こえたとしても、そこにはかならず“闇”のようなものがあって、どこかほろ苦い陰影をたたえたものにしている。僕たちはときどき、意図的に様式化されたように聞こえるように曲を作ることがあるんだけど、そんなときは少しだけ意地悪して、“釘”みたいなものを曲のなかに忍ばせておくんだよ」

濾過されないノイズとしての“闇”。あるいは“釘”。それは冒頭のマイクのコメントに照らし合わせるなら、時間がたつにつれて平坦に均されていく(=様式化する)感受性に対する抵抗のようにも感じられる。

なるほど、ギターやパーカッションといった生楽器が奏でるフレーズを、エレクトロニクスによるアブストラクトなテクスチャーに織り込み、立体的で起伏の美しいサウンドスケープを描き出した『ザ・キャンプファイア・ヘッドフェイズ』。なめらかで端正な調和が保たれた世界のなかでささやかな波風を立てる、ざらざらとした違和感を残す何か。その静と動が入り混じった不均衡なコントラストこそ、おそらくマイクとマーカスが意図するボーズ・オブ・カナダの美意識であり、それは彼らが子供のころに体験した映像的記憶やその視覚的なイメージを介して「音」に起こされることで、作品内に結実されている。

「僕たちは、傷ついた心や記憶に“ありふれた音楽”として聞こえるような音楽を作ろうとしているんだ」(マイク)

そうしたボーズ・オブ・カナダが、今回のミニ・アルバム『トランス・カナダ・ハイウェイ』に合わせて初めて制作したPV「デイヴァン・カウボーイ」(※『ザ・キャンプファイア・ヘッドフェイズ』にも収録された本作のリード・トラック)には、これまで彼らが「音」によって告白してきた映像的感受性がありありと感じられて興味深い。上空102,800フィートから落下するパラシュートから捉えた宇宙空間や雲海の景色と、映画『ステップ・イントゥ・リキッド』を彷彿させるサーフィンのライディング・シーンを組み合わせたクリップは、彼らが思春期に心を奪われたというNFBCの映像作品を連想させるが、そのフィルム全体に流れるえもいわれぬ豊かな色彩や時間の感覚は、サウンドと絶妙なシンクロを見せながら、とても感動的な光景として心に響く。

それはまさに「初めて世界に触れたときの昂ぶる気持ち」を思い起こさせる陶酔感と、同時にその「昂ぶる気持ち」を知った子供時代の記憶に回帰していくようなノスタルジックな心地よさに満ちあふれている(※さらにいえばそれは、二度と帰れない失われた時間の記憶でもある)。残念ながら本作には収録されなかったが(※代わりにイメージ・クリップのような短編のコラージュ映像がエンハンスドで収録されている)、WARPのホームページで観ることができるので、是非ともその世界観を堪能してもらいたい。

その「デイヴァン・カウボーイ」を除く5曲はすべて今回が初出しとなる未発表曲。レコーディング時期は現時点で不明だが、生楽器の存在感が際立っていたオーガニックな手触りの『ザ・キャンプファイア・ヘッドフェイズ』に対し、ファットで硬質なビートとアトモスフェリックなエレクトロニクスが形作るその音響空間は、初期の『トゥイズム』や『ミュージック・ハズ・ザ・ライト・トゥ・チルドレン』のころの作風を連想させるコズミックな浮遊感をたたえている。ちなみに、本作ラストで「デイヴァン・カウボーイ」のリミックスを披露しているオッド・ノスダムとは、2年前にボーズ・オブ・カナダがクラウデッド名義の「デッドドッグ・トゥー」をリミックスするなど、お互い知る仲。ブライアン・イーノのアンビエント・ワークスを思わせる冒頭部分が印象的な、本作のなかでも屈指のトラックである。

『トランス・カナダ・ハイウェイ』が纏う、どこか原点回帰的なトーンは、その作品的な評価とは別に、むしろ彼らがこの先に迎えるだろう創作の次なる局面を予感させるものかもしれない。マイクの言葉を借りるなら、まるで「初めてボーズ・オブ・カナダの世界に触れたときの昂ぶる気持ちを取り戻す」ような新鮮な感慨を与えてくれる『トランス・カナダ・ハイウェイ』。さすがに気の早すぎる話かもしれないが、しかしここにはおそらく、『ザ・キャンプファイア・ヘッドフェイズ』の次へと続くボーズ・オブ・カナダのネクスト・フェイズのヒントが隠されている。


(2006/04)

極私的2000年代考(仮)……ノー・ウェイヴの記録

今から10年ぐらい前に東中野でコントーションズを観たことがある。といってもライヴではない。「No Wave Cinema 1978-87」と銘打たれた、つまりノー・ウェイヴ世代のニューヨークの映像作家の作品を集めたレトロスペクティヴ。ソニック・ユース『Death Valley ‘69』のPVや写真家としても有名なリチャード・カーン、ベス&スコット・Bやニック・ゼットのハードコアなアート/ポルノ・フィルムに混じって、それはあった。マイケル・マクラードが撮った『Contortions』。1978年にマクシズ・カンサス・シティで行われたコントーションズの初ライヴを記録した作品である。スーパー8フィルムによる毎秒6フレームの速さで撮影されたストップモーションのような映像。暗闇の中でストロボライトを浴びるように、白いスーツを着たジェームス・チャンスが痙攣しながらステージで踊り狂う姿がコマ送りで映し出される。わずか20分。監視モニターのように俯瞰で捉えるアングル。演奏の様子はほとんどわからない。サウンドトラックは別テープで録音されたもの。しかしながらそこには、同じくマクラードが撮ったティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークスの『Alien Portrait』(またはポール・チンケルが撮ったエイト・アイド・スパイの『Eight-Eyed Spy at Hurrah』)に映るリディア・ランチのポートレイト同様、まぎれもない『No New York』の光景が投射されていたことを思い出す。あるいは、キャシー・アッカーが小説『血みどろ臓物ハイスクール』の中で描写した一節――「午前一時頃、ロック・クラブに入って行った。戦争の真っ只中のような騒ぎ/白人のリード・シンガーは自分をジェームス・ブラウンだと思っているらしかった/ジェームス・ブラウンが赤ッ首のブーツを這い上がった。赤ッ首は混乱し、ジェームスに飛び掛った。クラブの中では全員が殴り合いを始めた。オマワリのサイレンが聞こえた」――のように、そう幻視させるに足る想像力をかき立てる何かが、その粒子の粗いモノクロのフィルムの中でうごめくジェームスの残影にはあった、とでもしか言いようがない(と、まさかそれから何年後かに本物のコントーションズを日本で観れるなんて思いもしなかった自分はせいぜいそう納得するほかなかったわけだ)。

本作は、1991年にROIRからリリースされたジェームス・チャンス&ザ・コントーションズのライヴ・アルバム『Soul Exorcism』のリマスター盤である。収録された演奏は、その『Contortions』が撮影された初ライヴから約2年後の1980年6月にオランダのロッテルダムで行われたステージ。ジェームス以下のラインナップは、パトリック・ジオフロイス(スライド・ギター)、フレッド・ウェルズ(ギター)、ロレンツォ・ワイチ(トランペット)、アル・マクドウェル(ベース)、リッチー・ハリソン(ドラム)、アニヤ・フィリップス(バッキング・ヴォーカル)。メンバーの出入りが激しいジェームス周辺らしく、『No New York』(‘78)や『Buy』(‘79)の頃のオリジナルの(ジェームス・チャンス&)ザ・コントーションズとも『Off White』(‘79)の時のジェームス・ホワイト&ザ・ブラックスともバンド編成はすでに異なる。『Live Aux Bains Douches』や『Live In NY』といった同名義による同時期(1980年前後)のステージを収録した作品のクレジットを手掛かりにあえて位置付けるなら、中期ジェームス・チャンス&ザ・コントーションズのライヴ・アルバム、ということになるのだろうか。ともあれ、ジェームス自ら「これはロッテルダムでのパフォーマンスを録音したものだが、そのソウルやエッセンスは1970年代後半や1980年代初頭のニューヨークのものである」とアートワークに記すように、本作は『Buy』や『Off White』と時代の空気を共有する初期のジェームス・チャンスを記録した作品といえるだろう。

「僕は音楽に暴力性を求めていたし、観客に対して暴力的に作用してほしいと思ってた。ニューヨークでの初期のショウに来てたオーディエンスは、主にソーホーの芸術家タイプが多かったんだよ。自分たちがクールだと思って気取ってるような。何があっても微動だにせず突っ立ってた。だから、僕がフロアに飛び降りてオーディエンスを攻撃するようになったのは、彼らの反応の鈍さに腹が立ってたからなんだよね」

2005年の7月、オリジナル・メンバーのコントーションズ(すでに他界したジョージ・スコットを除く)を率いて来日公演を行ったジェームス・チャンスは、当時を振り返って話す。『No New York』の裏ジャケットを飾る目の下を腫らしたジェームスの顔写真が物語るように、初期のコントーションズのステージの「暴力性」を伝えるエピソードは枚挙に暇がない(有名なのはロック評論家のロバート・クリストゴーと交えた一戦か)。それから四半世紀。50歳を過ぎたジェームスが日本で客と乱闘騒ぎを起こすようなことはさすがになかったが(客席にダイヴを試みる場面もあったが)、オフステージのシャイでチャーミングな素顔とは一転、まるで呂律が回らぬ酔っ払いのような躁鬱っぷりで、サックスを吹き散らし喚き散らしながら時折周囲を威圧するようなステージでの振舞いは、マクラードのフィルムが活写した1978年の記憶をリアルにフラッシュバックさせるものだった。正直、オリジナル・コントーションズのすっかりレイドバックした(というか身に纏う空気がなんとなく……)演奏については、ほとんど何も覚えていない。ただ、酩酊したジェームス・ブラウンを思わすジェームス・チャンスの不気味な肢体だけが、強烈に脳裏に焼きついている。

『Live Aux Bains Douches』や『Live In NY』同様に、『Off White』までのコントーションズ(のオリジナル・メンバー)時代のナンバーと、『Sax Maniac』『Flaming Demonics』以降のナンバーを織り交ぜたセットリスト。定番のマイケル・ジャクソンのカヴァー“Don’t Stop Til~”で始まり、サックスとスライド・ギターが呪術的に絡み合う「ハイチのヴードゥーとフェラ・クティの混交」“I Danced With A Zonbie”、「“Demonic(悪魔のような?)”Period」と自称する“The Devil Made~”“Exorcise The Funk”と蛇行しながら、ジェームス・ブラウンのカヴァー“King Heroin”を挟み、“Contort Yourself”の癇癪的なファンク・ビ・バップで〆る。なかでも白眉は、おそらく本作でのみそのライヴ音源が聴ける“The Twitch”か。演奏、テンションともにジェームスとバンドの最高潮のパフォーマンスがここには記録されている。「イノヴェイターであることよりもエンターテイナーであることの方に誇りを持っている」と公言するジェームスだが、いわゆるノー・ウェイヴ時代のラディカルなパンクのアティチュードと、バンマス的な存在感も含めたある種のミュージシャンシップの洗練とが同居した絶頂期の成熟を、本作からは感じ取ることができるのではないだろうか。

「退屈に対してNO、画一性に対してNO、気取りに対してNO。何でもいいんだ。とにかくあらゆるムカつくことに対してNOを突きつけるってことだったと思う。あの頃の僕たちは、ただ自分たちのリアルな気持ちを表現したかっただけなんだ。検閲なしに。荒々しすぎるとか、暴力的すぎるとか、そんなこと誰にも言わせずにやってみせる覚悟だったよ」
そうジェームスが語るノー・ウェイヴの精神が、最後の火花を散らしたドキュメント。本作が幻視させるあの時代の熱狂は、しかしノスタルジーと呼ぶには、今なおあまりに生々しい。


追記:今回のリマスターに際して、1987年に録音されたデモ・セッション(ジェームス・ブラウンのカヴァー“I Don't Want~”を含む3曲)の音源が新たに収録されている。
追記:本作は、ロッテルダムでの公演の翌年、癌で他界したジェームスの最愛の人、アニヤ・フィリップスに捧げられている。


(2007/04)

極私的2000年代考(仮)……フリー・フォークのミューズ

サマラ・ルベルスキー……といえば、個人的に目下の最大の関心事は、先頃リリースされたサーストン・ムーアの最新ソロ・アルバム『Trees Outside The Academy』への参加の件である。同作で彼女は、スティーヴ・シェリー(ソニック・ユース)と共にサーストンとアンサンブルを組む主要メンバーの一人として、収録された楽曲のほぼすべてにクレジットされている。SPIN誌のサーストンのインタヴューによれば、アルバムの方向性を決める早い段階から彼女の起用は構想に入っていたようで、これまでもショウでの共演などを通じてその演奏に接してきたサーストンにとって、サマラ・ルベルスキーというアーティストは欠くことのできない意中の存在であったという。ダイナソーJrのJ・マスキスやジョン・モロニー(サンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マン)ら錚々たるゲスト・ミュージシャンが顔を揃えるなか、彼女はサーストンが爪弾くアコースティック・ギターにやさしく寄り添い、美しいヴァイオリンとコーラスを披露している。

サーストン・ムーアがここ数年、1990年代にも増してアクティヴにユニット活動や様々なプロジェクトを展開しているのはご存知のとおりである。それも、従来のフリー・ジャズや即興シーン界隈に留まらず、2000年代以降に登場した若い世代のミュージシャンとの頻繁な共演が目に付く。その模様は、日々更新される「Ecstatic Peace!」(サーストン主宰のレーベル)のHPでも報告されているが、なかでも、いわゆる「フリーク・フォーク」と呼ばれる周辺との交流が騒がしい。その最たる例は、ビョーク『ヴォルタ』にも参加したクリス・コルサーノ(サンバーンド、シックス・オルガンズ・オブ・アドミッタンスetc)、ジャンデックやノー・ネック・ブルース・バンド周りのメンバーと結成したグループ=ドリーム/アクション・ユニットだが、他にもステージでの共演・客演から作品のディストリビューションまで、それは多岐に亘る。

とりわけ、サーストンがキュレイターを務めた昨年12月のオール・トゥモローズ・パーティーズのラインナップが興味深い。ストゥージズとDKT MC5を筆頭に、サン・シティ・ガールズからジャッキー・O・マザーファッカー、ホワイト・アウトからウルフ・アイズ、メルヴィンズからディアフーフ、そしてソニック・ユースからマジック・マーカーズまで――。さらに上記のドリーム/アクション・ユニット関連のバンドも含む、その途方もないラインナップをあらためて眺めたとき、それが「フリーク・フォーク」も巻き込む2000年代後半のアンダーグラウンド・ミュージックをクロニカルに歴史化・体系化した縮図であることに気付かされる。

『Trees Outside The Academy』とは、そんな近年のサーストンの活動の集大成的な作品である、と言っていい。それは、そこに集ったミュージシャンの顔ぶれ(ハラランビデスのクリスティーナ・カーター、ガウンのアンドリュー・マクレガーも参加)や、何よりその、アヴァンギャルドを極め尽くした果てにクラシックなロックンロールやフォークを鳴らすような達観したサウンドが、雄弁に物語っている。そして、そんな作品に、サーストンが自身の右腕的存在として全幅の信頼を寄せて招聘した――この事実だけからも、サマラ・ルベルスキーがいかに特別なアーティストであるかが伝わってくるのではないだろうか(おそらくこれほど密な関係性でサーストンと創作を共有した女性アーティストは、キム・ゴードン以外で彼女が初めてではないか)。

たとえば、現在のサーストンならびに今回のソロ・アルバムにも強い影響を与えた「フリーク・フォーク」と呼ばれる潮流。その最大の特徴のひとつに、「ハードコア」との密接な関わりが挙げられる。前出のクリス・コルサーノ、ジャッキー・Oやジョン・モロニーをはじめとするサンバーンド周りのメンバー、シックス・オルガンズのベン・チャズニー、あるいはデヴェンドラ・バンハートやアクロン/ファミリーを世に送り出したシーンの元締め的存在である元スワンズのマイケル・ジラなど(さらにはサーストンも含め)、他にも多数挙げられるが、「フリーク・フォーク」の担い手とされるアーティストのルーツやバックグラウンドには「ハードコア」と直接的/間接的な接点を指摘できるケースが多い。つまり、彼らは「フォーク」を、懐古趣味や伝統回帰の表れではなく、「ハードコア」と地続きに結ばれたエクストリームでエクスペリメンタル(=フリーク)な音楽として対象化している、と見ることができる。その点が、1960年代のフォーク・リヴァイヴァルや、1990年代の「アンチ・フォーク」との大きな違いでもある。

そうした背景を踏まえたとき、サマラ・ルベルスキーがかつて、1990年代にソノラ・パインに在籍していた事実は興味深い。ソノラ・パインとは、現在はソロとして活動する女性SSWのタラ・ジェイン・オニールが、元ラングフィッシュ(ボルチモアのハードコア・バンド。イアン・マッケイの「Dischord」所属)のシーン・メドウズと1990年代中頃にニューヨークで結成したバンド。そもそもタラは、ルイヴィルで“スリントの正統なる後継者”と謳われたロダンの元メンバーで、その延長上に誕生したソノラ・パインは、活動の拠点こそ違え、音楽的にもルイヴィルの(ポスト・)ハードコア・シーンの流れを汲むバンドだといえる(ちなみにシーンは後、同じく元ロダンのジェフ・ミューラーとその発展形ともいえるジューン・オブ・44を結成)。サマラ・ルベルスキーは、その結成直後にヴァイオリニストとして加入するわけだが、つまり彼女もまた、そのキャリアの出発点に、現在の「フリーク・フォーク」勢と共振するように「ハードコア」との密接な交わりを指摘できるのである。

サマラ・ルベルスキーは、ソノラ・パインとしての活動と前後して、ホール・オブ・フェイムというサイケデリック・ポスト・ロック・バンドを結成。その後、前出のジャッキー・Oやタワー・レコーディングスといった、現在の「フリーク・フォーク」隆盛の起点となったグループにマルチ奏者として客演を重ねながら(タワー・レコーディングスのマット・ヴァレンタインとエリカ・エルダーの最新作『Gettin’ Gone』にも参加。ちなみにタラもジャッキー・Oの前作『Flags Of The Sacred Harp』に参加している)、平行してソロ活動を1990年代の後半からスタートさせる。

今回、ニューヨークのレーベル「The Social Registry」からリリースされた彼女のソロ・アルバム3作品が揃って日本盤化される。本作『Spectacular Of Passages』は2005年に発表されたセカンド・アルバム(1997年にマット・ヴァレンタイン主宰の「Child Of Microtones」からリリースされたCDR『In The Valley』を含めれば3作目)。

そこから聴こえてくる歌とメロディは、「ハードコア」や「フリーク」という言葉からは程遠く、そのほのかなサイケデリアを湛えたトラディショナルでタイムレスな美しさは、ブリジット・セント・ジョンからリンダ・パーハックス、それにヴァシュティ・ヴァニアンのそれを彷彿させる。サマラが爪弾くギターやストリングスの優雅な旋律と、ハーモニウムやオルガン、フルートなど多様な楽器が奏でる幻想的なインストゥルメンテーション(タワー・レコーディングスのP.G.シックス、エスパーズのヘレナ・エスプヴォールらがゲスト参加)。あるいは、“Sister Silver”や“Broken Links”のコケティッシュなポップさは、ファイストやケレン・アンなんかにも通じる都会的な洗練をうかがわせる。
 
一聴するとサマラ・ルベルスキーの音楽は、その来歴や高踏的なバックグラウンドとは裏腹に、驚くほどピュアで衒いがない。しかし、ひとたび耳を凝らしたとき、そこから聴こえてくるのは、幾重にも複雑に音楽的記憶が堆積した深層から届く、えもいわれぬ豊穣な音の調べである。本作を聴いて、何かしら響くものを感じた方はぜひ、他の彼女のアルバムにも耳を傾けてもらいたい。


追記:本作は、前作『The Fleeting Skies』にもサポート・メンバーとして参加し、本作のリリース前年に亡くなったマーク・ムーア(キャット・パワーetc)に捧げられている。

(2007/11)

極私的2000年代考(仮)……“騒音”の愉悦

2005年の『ハイパーマジック・マウンテン』以来、4年ぶりとなるニュー・アルバム『アースリー・ディライツ』をリリースしたライトニング・ボルト。4年のブランク――といってもその間、彼らは精力的にツアーを行いライヴをこなし、オール・トゥモローズ・パーティーズなどフェスに出演したり、またドラマーのブライアン・チッペンデールは『ヴォルタ』でビョークやアントニーと共演したり、ボアダムスの「Boadrum」に参加したりと、その動向に触れる機会は絶えなかったのだが……いやはや、あらためて4年ぶりにまともに聴くそれは、やはり圧倒的で、すっかり打ちのめされてしまった。

じつは今回のニュー・アルバムの収録曲のほとんどは、2007年の時点でレコーディングが終了済みで、その後、一年半のオフを挟んで昨年末に再び何曲か新たにレコーディングしてマスタリングにいたったという、少々イレギュラーな経緯をもつ。なので、彼らの中では純然たる新作という感覚が希薄で、事実、大半の曲が過去の曲ということもあり、戸惑いや違和感みたいなものが今作に対してはあるとチッペンデールは語っていた――が、いやいやなんの。

ミニマルなジャムや不定形のインプロをベースに、ドラムとベース・ギターの飽くなき応酬から一気呵成にテンションを振り切り、築き上られるエクストリームでサイケデリックなウォール・オブ・ノイズは、そんな裏事情などお構いなしに相変わらず強烈無比で痛快至極。オフの間もレコーディングした曲を何度も聴き直し、スタジオで試行錯誤を繰り返したという今作は、「今までで一番ライヴに近いものができたかなと思っている」と語っていた前作に対し、曲順の構成やアルバム・トータルとしての演出において、より練り抜かれた作品という印象を受ける。これまでのアルバムが、いわば混沌の渦の中に没頭することで生まれた作品だとするなら、今作はその混沌の渦の全体像や相貌を俯瞰で捉えた作品、といえる部分があるかもしれない。

中でも白眉は、本編ラストの“トランスミッショナリー”。インプロで出来上がった12分超の長尺の構成で、ジリジリと互いの間合いを詰めていくようなノイズとビートが、どこかドローン的な持続感をたたえながら空間をひたすら埋め尽くしていく。ある種、王道のスタイルでシンプルな展開ながら、「単なる歌、曲という枠組みを超えたトラックで、すべてを行き過ぎなくらいに押しやって、行き過ぎなくらいに遠くに行ってしまっている」とチッペンデールも自負するように、アンサンブルの拡張性とヘヴィネス――“騒音のカタルシス”を過剰に突き詰めた、彼らならではの醍醐味が凝縮されたナンバーだといえるだろう。

ちなみに、今回のアルバムには、制作時期の背景にあった2005年から08年のアメリカや世界情勢――つまり第二期ブッシュ政権下のシリアスなムードが反映されている、とチッペンデールは語っていたが、それとは別に、曲作りの上で特別なインスピレーションを与えてくれたものがあったという。それは、2人がオフの間によく聴いていたインドやバリやスマトラやカンボジアの民族音楽。とくに2人が一緒にハマったのが、「Sublime Frequencies」(サン・シティ・ガールズのアラン・ビショップが創設者で、東南アジアや中東諸国などさまざまな辺境地域の現地音楽やラジオ音楽をコンパイルした作品をリリースするレーベル)関連の作品で、4曲目の“ザ・サブライム・フリーク”はタイトルもそこから取られている。

チッペンデールいわく「ヴォーカルとギターのメロディ・ラインがお互いを追い回すように展開していくところがすごく好きで、そこらへんは“ザ・サブライム・フリーク”からも聴き取れると思う。あと、シンプルなフレーズを何度も繰り返すこと、そこから一種の催眠状態というか、ハイの状態になることとか、そういうことを思い出させてくれたというのもあるんだ。あるリズムに達したら、それを繰り返し叩いて、変に気をきかせたり、頭を使ってかっこいいことをしようとせずに、そこで何が生まれてくるかを待つ、みたいなね。シンプルで美しいサウンドを追求して、そこに達したら、そこに留まるということだよね」。

もっとも、彼らのライヴを体験したことがある人ならば尚更わかるように、そもそも彼らの音楽には、彼の地の現地音楽がそうであるように一種の“祭儀のための音楽”的なムードを色濃く感じられる。それは、たとえばガムランやケチャにも通じる集団的熱狂やプリミティヴな覚醒感を誘発するサウンド的な特徴しかり。あるいはそして、地元のアートスペース「フォート・サンダー」を棲家に、そこに集うさまざまなアーティストとの交流の中から“自分達のコミュニティを称える”ようにして音楽が育まれてきたバックグラウンドしかり。そうした自身の音楽の“祭儀性”や“儀式性”についてはこう語る。「ライトニング・ボルトの音楽は、少なくとも俺にとっては、瞑想というか、癒しだったり、すごく肉体的なものだったりと……俺はなるべく毎日ドラムを叩くようにしてるんだけど、1日、2日、ドラムを叩かないで過ごすと、すっきりしないというか、体の調子も良くないんだよね。つまり、俺達は自分達が健康で幸せでいるためには、どうしてもライヴが必要なんだという。実際、俺にとってはドラムを叩くのは一種の儀式みたいなものだし、叩くときは何らかのクライマックスに向かって盛り上げていくようにしてるんだ。もちろん、ああいう民族音楽、宗教音楽みたいに何百年、何千年と受け継がれてきたものとは全く異なる性質を持った、もっとモダンなものだけど、それでも俺達が音楽を鳴らさずにいられない理由は、昔からの音楽がこうして今も演奏されて聴かれている理由と、どこか通じるものがあるんじゃないかな」


後にブラック・ダイスを結成するヒシャム・バルーチャ(現ソフト・サークル)を含む3人組として1994年にスタートし、地元ロードアイランドのプロヴィデンスを拠点に活動。今年で15年目とキャリアは意外と長く、1999年に再発されたファーストをへて2001年のセカンド『Ride The Skies』にいたる2000年代の幕開けと前後して頭角を現し始め、ニューヨーク~ブルックリン(ブラック・ダイス、サイティングスetc)や西海岸(ディアフーフ、ヘラetc)のアンダーグラウンドと同時代性を共有しながら、その圧倒的なサウンドとライヴ・パフォーマンスで今日まで比類なき存在を示し続けてきた。当初は「ポスト・ノーウェイヴ」なんて文脈で紹介されたりすることもあったが、楽器編成もサウンドもある意味極めてシンプルなのにどうにもカテゴライズ不可能という、いわゆるシーンやジャンルというものに属することのない特異な個性派であるライトニング・ボルト。しかし、こうしてあらためて久しぶりに彼らの作品に触れてみると、いくつか気づくことがある。

ひとつは、今更ながらボアダムスとの関係性。その音楽的な近似性は早い時点から指摘されてきたことだし、また実際に彼らがバンド始めるに際してボアダムスやルインズやメルトバナナなど日本のノイズ・バンドからの影響があったことは有名な話だが、たとえば先の「Boadrum」の開催に象徴されるように、昨今ブルックリンを中心に広義のボアダムス・フォロワー(ギャング・ギャング・ダンスやアニマル・コレクティヴまでも含む)的な志向性が顕在化を見せるさなかにあって、彼らの存在は新たな示唆を含んでいるようで今あらためて興味深かったりする(新作と関連して加えれば、民族音楽的な音階やアフロ・ビートの導入もここ数年のブルックリンの流行だろう)。

そしてもうひとつは、いわゆるニューゲイザー関連のローファイ・ブームとの関係性。中でも俗に「Shit-Gazer」や「No-Fi」と呼ばれたりする荒っぽいガレージ/ノイズ・ロック(ノー・エイジやイート・スカルからAFCGTやtttttttttttttttttttttまで含む)に示す親和性と先駆性には、今回の新作を聴いて再確認させられる部分も多い。彼らの場合、いわゆる「バンド」的な形態よりもっとフリーフォームなサウンドだが、両者には共通してノイズやアンプリファイされた音へのフェティシズムのようなものが強烈に感じられる。あるいは「フォート・サンダー」とノー・エイジの「スメル」の例を持ち出せば、両者の音の背景にあるコミュニティや思想的な部分も含めて別の共通項を指摘することもできるかもしれない。ちなみに、彼らとは「Load」のレーベル・メイトだった元ピンク&ブラウンのジョン・ドワイアが、その後さまざまなバンドを渡り歩き、現在はジー・オー・シーズというバンドを率いて昨今のローファイ・ブームの顔役となりつつある――そんなところにも両者の関係性を見出すことはできそうだ。

チッペンデールは、前述の『ヴォルタ』に続いて昨年リリースされたシングル“Nattura”(※アイスランドの自然保護のためのチャリティー企画)で再びビョークと共演し、さらに同曲ではトム・ヨークやマシュー・ハーバート、マーク・ベルともコラボを果たす。また「Boadrum」で同席したアンドリューWKプロデュースのリー・ペリーの新作に参加する一方、近年はブラック・パス名義のソロ活動も活発化させ、アルバムのリリースや「No Fun Festival」をはじめフェスに出演するなど、その周辺事情はにわかに騒がしい。そして――東のライトニング・ボルトといえば、相対するのはやはり、西のヘラ。というわけで、唐突だがこちらも屈指の鉄腕ドラマー、ザック・ヒルの行動が慌しすぎて目に余る。


ギターのスペンサー・セイムとドラムのザック・ヒルによって、2002年にサクラメントで結成されたヘラ。その楽器編成やサウンド・スタイルからライトニング・ボルトと比較されることが多く、キャリアは異なるがUSインディの東西を代表する“騒音のアルケミスト”として、無類の個性を誇る存在なのはご存知の通りである。マーズ・ヴォルタやシステム・オブ・ア・ダウンのツアーサポートをへて、ヴォーカル・パートを含む5人組の「バンド」編成で制作された07年リリースの4th『There’s No 666 in Outer Space』以降、ヘラとしての活動はブランクの状態が続いているが、一方各自の課外活動はめまぐるしい様相を呈している。昨年、新たなソロ・プロジェクト=スバッハ(sBACH)を始動したスペンサーに対し、ザック――これが質・量ともにハンパないことに。

ソロ名義の活動に加え、多種多様なプロジェクトやユニット、客演を矢継ぎ早/同時多発的にこなす極度のワーカホリックで知られるザック。その交遊録は年々ヴォリュームを増すばかりであり、そこにはじつに多彩な顔ぶれが並ぶ(デフトーンズ、ピンバック、ディアフーフ、ジョアンナ・ニューサム、キッド606、ジョーン・オブ・アーク、ネルス・クライン、ミック・バーetc)。とりわけヘラのブランク以降では、デフトーンズのチノやプライマスのレスからノー・エイジや!!!/LCDサウンドシステムのタイラーと共演した昨年のソロ『アストロロジカル・ストレイツ』、マーニー・スターンのサポート辺りが有名だが、その勢いは今年に入ってさらに加速した印象を受ける。プレフューズ73のスコット・ヘレンとのダイアモンド・ウォッチ・リスツを皮切りに、そのスコットにバトルスのタイヨンダイやトータスのジョン・マッケンタイアも参加したRISIL、オマー・ロドリゲスのリーダー・バンドでの客演、テラ・メロスのニック・ラインハルトとのバイゴーンズ、最新ではヘックスラヴのザック・ニールセン(去年の「Boadrum」にも参加)とのChll Pllと、どれも興味深い。エディット/エクスペリメンタル、プログレ、マス・ロック~ハードコア、アンビエント/エレクトロ……と縦横無尽にジャンルを越境し、自身の音楽履歴を拡張・更新していく節操のなさと行動力は、ザックならではというべきか。

中でも、今後の動向として楽しみなのが、サンディエゴの宅録青年ネイサン・ウィリアムスによるローファイ・パンク、ウェーヴスへの参加のニュース。ライトニング・ボルト同様、その界隈とヘラは音楽嗜好的にも親和性が高い。その相性のよさは、ソロでの共演に先駆けて実現したノー・エイジとのセッションEP『Flannel Graduate』で証明済みだが、あの独特のポエジーを湛えたサイケデリック・ノイズ&いなたい「うた」とザックの千手観音ドラムがどのような融合を見せるのか、期待が膨らむ。客演に留まるのか、マーニー・スターンの例のように本格的なコラボに発展するのかはまだ不明だが、いずれにせよ、USインディに新たなチャンネルを繋ぐ象徴的なトピックとなるのは間違いないだろう。
 

チッペンデールやザック・ヒルまでの知名度はまだないものの、注目に値するドラマーがいる。最後に紹介するのは、そのドラマー、イアン・アントニオを擁するニューヨークの4人組、ジーズ(Zs)。過去に元ダーティ・プロジェクターズ/現エクストラ・ライフのチャーリー・ルーカーも在籍した屈指の異端派で、キーボードやサックスを含む編成でプログレ~アヴァン・ジャズ~マス・ロックを換骨奪胎しながら横断/再構築するサウンドは、“クリムゾンmeetsノーウェイヴ”という評判も頷ける奇怪なフォルムを披露する。そしてイアンは、今月末にエレクトラグライドで来日が控えるバトルスのタイヨンダイのソロ『セントラル・マーケット』にも全曲参加した才人。チッペンデールともザックとも、もちろんバトルスのジョンとも異なるそのアグレッシヴかつ微分的なドラミングは、2007年のデビュー・アルバム『Arms』、そしてギャング・ギャング・ダンスやグローイングも所属するソーシャル・レジストリーから先日リリースされた組曲構成のニューEP『Music Of The Modern White』で聴くことができる(ちなみにサックスのサム・ヒムラーは、12歳~14歳の黒人の女の子5人で結成された“リトルESG”ことフライ・ガールズを手掛ける)彼らが奏でる“騒音のオーケストラ”もまた、げに美しい。


(2009/12)

2011年3月9日水曜日

極私的2010年代考(仮)……オウガ・ユー・アスホールという返答

仮に今の日本のロック・シーンに「地図」のようなものを描くとしたら、オウガ・ユー・アスホールはどんな場所に置かれるのだろうか。あいにく普段は専ら洋楽プロパーの自分には、地図を描く以前に「シーン」なるものを見通すことさえ覚束ない。けれど、それでも彼らが、今の日本のロック・バンドの中でかなり独特な立ち位置のバンドであるだろうことは、なんとなく想像がつく。

たとえば、もう散々知られた話だが、オウガ・ユー・アスホールというバンド名の由来について。彼らがバンドを組み始めた高校生の頃、地元長野で行われたモデスト・マウスというアメリカのインディ・バンドのライヴを観に行った際、サインを求めたら代わりにいたずら書きされたフレーズをそのままバンド名に拝借した――というエピソードは、象徴的かもしれない。そして、今にして思えばこの出会いが暗示していたかのように、彼らはその後、インディーズをベースにマイペースな活動と並行して、これまで数多くの海外のバンドと共演を重ねてきた。その顔ぶれは、名付け親のモデスト・マウスをはじめ、ハー・スペース・ホリデイ、フー・ファイターズのクリス率いるジャクソン・ユナイテッド、元スミスのジョニー・マーがギタリストを務めるクリブス、フガジのイアン・マッケイの別ユニットのイーヴンス、また昨年3月に共同ツアーを敢行したディアフーフなど、US/UKのインディ・シーンで評価の高い実力派のバンドばかりである。

それぞれの共演の経緯は知らない。なかにはオウガと雰囲気の近いバンドもいれば、逆に一見したところ共通項の見当たらなそうなバンドもいる。まあ強いて言うなら、いずれのバンドもキャリアがあり、いわゆる「シーン」というものとはどこか無縁な存在である、というとこだろうか。ともあれ、オウガはそんな異邦の個性派揃いの中に置かれても不思議と腑に落ちる。世代も音楽性もさまざまだが、けれど同じ時代の土を踏み、空気を吸っているという連帯感や親近感のようなものを、そのオウガを取り巻く「地図」の上には見て感じることができるのだ。

オウガ・ユー・アスホールが結成されたのは2001年。仮に当時を海外の音楽シーンに当てはめるなら、いわゆるロックンロール・リヴァイヴァルと呼ばれた新世代のガレージ・ロック・バンドの台頭と、ニューウェイヴやポスト・パンクを参照した先鋭的なアート・ロックが注目を集め始めた時期とそれは重なる。

その背景には、1990年代後半を席巻したヘヴィ・ロックやミクスチャーへの反動としての原点回帰と、一方で現在も進展するインディ・ロックとダンス・フロアのクロスオーヴァーを予告した時代感覚の反映、という側面も指摘できるだろう。そして、彼らが結成からデビューを飾るまで5年の間に、前者の傾向は、まだ見ぬ才能たちの初期衝動を焚きつけることでシーンの世代交代を促し、また後者の傾向は、ジャンルも国柄も多様なフィールドを横断する実験的なサウンドが、インディーズに端を発して支持される土壌を用意した。つまり、彼らが登場したのは、そうして新旧の価値観が目まぐるしく交錯しながら、今につながるかたちへとシーンの活性化が進んだ変動の最中、と言えるかもしれない。


少し前に、とある深夜の音楽番組で彼らの特集が組まれていて、その中で彼らがバンドを結成するきっかけになったという、地元にあるゲーム店でのエピソードが紹介されていた。そのゲーム店は、フロアの片隅になぜか音楽コーナーが設けられていて、そこの棚には店長が趣味でセレクトしたUSインディ関連のCDやアナログが並べられている。地元ではその手の情報に乏しく、周りに音楽の趣味が合う友人も少なかった彼らは、その棚を通じてさまざまなバンドを知り、実際に作品を買って聴いてみたりすることで、バンドを始めるにあたっての基礎となる音楽的な素養やセンスを培ってきたのだという。

彼らがバンドを結成するに際して、どのようなサウンドの青写真を描いていたのかは知らない。実際、彼らは結成から2006年のデビューまでに5年の時間を要している。ただ、彼らがこれまで共演を果たしてきたバンドの顔ぶれをひとつの手掛かりに、『OGRE YOU ASSHOLE』や『アルファベータ vs. ラムダ』といった初期の作品を聴き返すと、当時の彼らがUSインディのサウンドに特別なシンパシーを抱いていたことがあらためて実感できる。

一音一音の「鳴り」を際立たせたコード感やリフを活かした演奏スタイル。ミニマルなフレーズで構築されたタイトなグルーヴ。ポスト・パンク直系の多彩なリズムを持ち込み、音で塗り固めるのではなく「隙間」を活かしたアンサンブルは音響的で奥行きある位相を見せる。そして何より、そこには「歌」がある。

たとえばそれは、パンク/ハードコアをバックグラウンドに持ち、USインディの前線を走るギター・バンド――それこそモデスト・マウスやデス・キャブ・フォー・キューティーから、ディアフーフやシンズらと親和性を感じさせるものだろうし、そこには一方的な影響云々を越えたサウンド美学の共感を認めることができる。もちろん、彼らの音楽性はけっして一面的にカテゴライズできるものではない。そもそも2000年代以降に登場した日本のロック・バンドにとって、海外のシーンとの関係はよりフラットに、そしてその影響はよりデフォルトなものとして無意識に意識されるようになった、というのが現状として言えるように思う。しかし、そのサウンドに具体的なイメージを与えて現在の姿へと輪郭づけていく上で、そうしたUSインディの存在が彼らにとって大きな音楽的指標のひとつとなったことは間違いないと思う。

ただ、一方でこうも想像できる。そのゲーム店に置かれたCD棚は、彼らにいろいろな音楽を教えてくれた、いわば参考書だった。けれど、いわゆる大都市のそれとは程遠い、インターネットも今のようには整備されていない当時の環境の中で、彼らはその限られた情報を貪欲に吸収する以上に、そこから漏れた未知の世界を想像し、その“余白”を想像/創造力で埋め合わすことで独自の音楽地図を頭の中で描きながら、今のサウンドを作り上げてきたのではないだろうか、と。
彼らは件の番組において、「情報がたくさんあったらあったで今の音楽を選んでいた気がする」と語る一方、「情報が少なかったことで近道にはなったかもしれない」とも語っていた。彼らにとってUSインディとの出会いは、創造性の視界を広げる「窓」になったが、あくまでそれはきっかけにすぎない。彼らはその「窓」から覗く景色をただ写生するのではなく、その焼きついた残像からアイデアを膨らませて、それこそ抽象画を描くように自由なタッチで自分たちだけの世界を築き上げていく。オウガのサウンドが、海を隔てた向こう側のバンドとの同時代性を感じさせながらも、それでいて、どこの音楽地図からも毀れてしまいそうな型破りの天然性を感じさせるのは、たぶんだからじゃないだろうか。


先日リリースされたばかりの最新ミニ・アルバム『浮かれている人』を聴く。1曲目“バランス”から、ストリングス・シンセや女性コーラスを交えたポップな新機軸を披露する本作は、そんなふうに柔軟かつ独立独歩で養われた彼らならではの才気が結晶した1枚だろう。全編にキーボードを導入したカラフルな音色と、「隙間」をトリッピーに染めるふくよかな音響処理。単音使いの素晴らしい“どちらにしろ”のトロピカル~アフロ・テイストや、“タンカティーラ”で耳を引くドゥーワップ風のコーラス。音色やリズムはさらに遊びを増す一方、サウンドスケープはがぜんまろみを帯び、騒々しくも洗練された印象を与える。

けっして奇をてらったようなところはない。ここにはまぎれもない「オウガ節」――オウガの歌とリフとリズムがある。けれど同時に、そうしたこれまでのオウガ像の殻を破ったような突き抜けた高揚感であふれていて、まさに「浮かれている」という形容が相応しい、前のめりに赴くまま音楽と戯れる彼らの姿が今作には刻まれている。彼らはインタヴューで「もっと自分たちが驚いたり笑えたりするものが作りたいし、そのためには規制を取り外したほうが楽だった」とも語っていた。彼らにとって今作のレコーディングは、いわばオウガという「窓枠」の外側へと踏み出し、あらためて新たな音楽地図を描き上げるような体験だったのかもしれない。そしてそれは、自身の音楽さえも既成事実化し、データベースのように消費してしまいかねない現在の音楽を取り巻く状況に対する、彼らなりの本能的な抗いのようにも思える。
 
11月、モントリオールのバンド、ウルフ・パレードのサポートという形で初のUSツアーを敢行したオウガ・ユー・アスホール。「浮かれている街。マイアミビーチに到着。」(11月11日、出戸学のツイート)。彼らの目に、直に触れた異国の音楽地図はどのように映ったのだろうか。そしてここからさらに、彼らはどんな音楽地図を新たに描き上げ、ファンに見せてくれるのか。楽しみは尽きない。


(2010/12)

極私的2000年代考(仮)……Yeasayerとの対話

2000年代も半ばを過ぎた辺りからか、ニューヨークのミュージシャンの一部に、そのエクスペリメンタルな創造性をトライバルなリズムや非西欧音楽的なコンポーズのなかに解き放ち、個性的なサウンドを創り出す動きが顕在化し始めた。そうしたいわば文化横断的な音楽実験のひとつの達成が、昨年のギャング・ギャング・ダンスの新作『セイント・ディンフナ』だとするなら、このイェーセイヤーの一昨年のアルバム『オール・アワー・シンバルズ』もまた、その素晴らしき成果といえるに違いない。

“Middle Eastern psych snap Gospel”と自称するそれは、文字どおり多彩なルーツや意匠の歌と音が木霊するゴスペルであり、異境のサイケデリック・ロックである。そしてその放埓な多様性とは、ギャング・ギャング・ダンスやアニマル・コレクティヴがそうであるように、この世界への何かしらの批評たり得ていることも、また然るべき事実だろう。
2006年にブルックリンで結成。2007年秋にデビュー・アルバムとなる『オール・アワー・シンバルズ』をリリースし注目を集め、昨年はMGMTとのアメリカ~ヨーロッパ・ツアーを皮切りにロラパルーザやレディングへの出演も果たした。そして今回、その『オール・アワー・シンバルズ』の国内盤化が決定(同レーベル「WE ARE FREE」所属のインディアン・ジュエリーとポニー・テイルの新作も併せて)。それを機に、中核メンバーの一人、クリス・キーティング(Vo)に話を訊いた。


●バンドを結成した経緯は?

「メンバーの一人のアナンドと僕は幼馴染で、僕らはボルチモア出身なんだけど、一緒の学校に通っていたんだ(※ちなみにアニコレのメンバーも出会いはボルチモアの高校時代)。だから小さい頃から彼とはよく遊んでいて、高校生の頃に一緒にバンドを組んだりしていたんだ。大学はそれぞれ別の学校に行ったんだけど、お互いバンドやいろんなプロジェクトに取り組んでいたんだけど、どれも大して上手く行かなくて、それでまたお互い一緒にちゃんとしたバンドを始めようって事になったんだ。それで、アナンドの従兄弟のアイラを誘ってバンドを結成して、いろんなパーカッショニストやドラマーを誘って、今に至るって感じかな」


●イェーセイヤーとして音作りを始めるに際して、何か音楽的な青写真のようなものはありましたか。

「そうだなぁ……『これがやりたい!』っていうサウンドのイメージは無かったけど、『こんなサウンドにだけはしたくない!』っていうイメージだけはハッキリしていたね(笑)。とにかくユニークで、常に実験的で、ジャンルの垣根を越えたサウンドを目指して始めたんだ。結成当初から、いろんなスタイルの音楽の融合を試みようとはしていたよ。例えば、エレクトロな楽曲にヒップホップのビートを乗せて、それにクラシックなロック・サウンドを加えてみたりとかね。とにかく、人とは違う、今までに無いバンドがやりたくて……1度聴いただけで『あいつらはニューオーダーみたいだな』っていわれちゃうようなバンドにだけはなりたくなかったんだ。もちろん、ニューオーダーは好きなバンドだけどね」


●どんな音楽が好きなんですか。

「ジャンルの壁を押し広げたアーティストはどれも好きだよ。ビートルズやウータン・クラン、DJシャドウみたいにね。彼らは偉大なアーティストだと思うよ」


●では、“Middle Eastern psych snap Gospel”とも評される現在のサウンドは、いかにして生まれたのでしょうか。

「あはは! そういえばそう呼んでいたね(笑)。いや、もう2年も前のアルバムのことを今また説明するのがちょっと面白くてね。実はもう今のバンドサウンドはこの頃とは大分違うんだ。当時はヴォーカル・ハーモニーやグループ・ヴォーカルが凄く僕らには新鮮で、4人しか居ないバンドなのに、ハーモニーで凄い厚みのあるサウンドを創り上げることが出来ると思ったんだ。さらにこのアルバムでは、僕らが次に出すアルバムがエレクトロになろうが、ロックになろうが、フォーキーなアルバムになろうが、どう転がっても良い様な土台を作って置きたかったんだ。そういう意味では、ファースト・アルバムとしての思惑は達成出来たと思うよ」


 ●ちなみに、「Middle Eastern」、「サイケデリック」、「ゴスペル」は、あなた達のなかでどう定義されますか。

「いや、僕らがそういうフレーズを出したのは半分ジョークみたいな感じで、そんなに深い意味は無いんだ。ただ、最近やたらどのバンドも『サイケデリック』ってフレーズを使いたがるだろ? ほんの少し変ったジャンルの音楽を取り入れただけですぐに『サイケデリック』って呼ばれる。それに対するジョークのつもりだったんだ。それと「Middle Eastern」ってフレーズは、当時たまたま僕らが中東のパーカッションがガンガンに入った音楽を夢中で聴いていて、僕のイラク音楽CDコレクションや、アイラの産まれたインドの音楽や、ボリウッド映画のスコアを手に入れて、アルバムのレコーディング中はそういう中東風なメロディやリズムの要素を取りいれようとしていた時期だったんだ。「ゴスペル」に関しては、あの一体感というか、『全員が歌う』っていう美しさだね。それをバンドでやってみたかったんだ」


●アラビアやアフリカなど、いわゆる非西欧圏の音楽と自由に混交を果たすようなイェーセイヤーの音楽的な文化横断性・雑食性は、音楽に対するどんな哲学なり理念が反映されているといえるのでしょうか。

「うーん……例えば年上の、自分の親くらいの年齢の人達は『今の世代の音楽は何も新しくない。全て昔の焼きまわしだ』ってよく言うだろ? 60年代、70年代にすべて出尽くしたみたいな。僕はあの考えが本当にくだらなくて、大嫌いなんだ。だって、当時のアーティストだってフォークとブルースを融合させたり、ブルースをパクってそこにエレクトロニックの要素を持ち込んだだけであって、そういうジャンルの融合は今後もまだまだ可能だし、これからも続いていくし、今でも新たな物は絶えず生まれてきて、そうした新しい音楽から僕らは刺激を受け続けるんだ。いろんなジャンルと出会い、それをいかに自分の手で融合していくか、それが新しいものをクリエイトする原動力だと思っているよ」


●そこには例えば、近代的な合理主義や、西欧中心主義的な価値観みたいなものへの違和感やリアクションも、自ずと反映されているといえますか。

「間違いなく僕は西洋の音楽に影響を受けて育って、特に西洋のロックの影響が強くあるけど、 今の自分はもっと開けていると思う。特にインターネットのおかげで世界は随分と狭くなった。例えばマイスペースにアクセスすれば、世界中の音楽、自分の気になる国の音楽を簡単に聞くことが出来る。それが、アフリカであろうが、カタールであろうが、それこそ日本であろうが。僕達の音楽はそれを体現しているんだと思うんだ。『世界は昔よりもずっと狭くなった』ということをね」






●先ほども少し映画音楽について話が出ましたが、他にどんなものから創作のインスピレーションを得ますか。

「僕は、自分の身近に鳴っている音や、世界中のパーカッションの音からインスパイアされる事が多いね。つい最近もブラジルに行って来たんだけど、彼らのサンバなんかで使われるパーカッションやドラムの音にはぶっ飛ばされたよ! もう、それこそドラムの音だけじゃなくて、建物の壁やコンクリートから跳ね返ってくる音がとにかく凄くて……どうにかその音を録音しようとしたんだけど、難しかったね。けど、常に日常生活でも耳をすませて、いろんな音を聴くようにしている」


●ちなみに、『All Hour Cymbals』というアルバム・タイトルの意味は?

「これは言葉遊びだったんだけど、イメージとしては『24時間開いているドラムショップ』があって、ずっとシンバルの音が鳴り響いていて、凄く耳障りな感じ(笑)。日本にもギターセンターとかデカい楽器屋があると思うけど、そういう楽器屋に行くと必ずへったくそなのに爆音で試奏してる奴っているでしょ! ヴァン・ヘイレンのソロだとかAC/DCのリフとかを永遠に弾いてて、凄くウザいのに耳にこびり付いちゃう感じ(苦笑)。そのイメージを出したかったんだ」


●(笑)。そのアルバムには、“2080”や“No Need To Woorry”といったタイトルの曲がありますけど――大統領の交代や世界的な経済不安など、世界は今、その価値観やシステムの大きな転換期を迎えているわけですが、自分たちが暮らす世界のこれからについては、漠然とどのように考えていますか。

「ちょうど僕らがバンドを結成したのが、ブッシュが2期目に入った04年だったんだけど、その時から僕は政治には絶望していたし、ちょうどこのアルバムを作って、ツアーを廻っていた頃がアメリカの若い世代が最もネガティブな状態に陥っていて、クリエイティブな人々はその現状に本当に憤りを感じていた。必然的に、このアルバムは僕らのネガティブな側面を多く表している作品にはなったと思うよ。ともかく、間違いなく僕らは、というかアメリカは変化を迎えることになると思う。でも、まだまだ問題は山ほどあるし、一部の人間が代わっただけで、果たしてどれほどこの国が変ることが出来るのかはまだ僕らにもわからない。それくらい、この国はブッシュにメチャメチャにされてしまったんだ。でも、今は希望があることを信じるようにしているし、僕らも前向きな音になっていくと思う。僕は良い意味での『新しい波』が起こりつつあると思うし、世界中も『新しい波』が起こりつつある事を感じていると思うんだ。ブッシュ政権の頃は、正直自分がアメリカ人でいることが凄く恥ずかしく思えたくらいだったからね。でも、今は『本当に何かが変るかもしれない』って思うようにしているし、どうなるのかが楽しみなんだ。ちなみに日本ではオバマはどういう風に思われているのかな?」


●期待はしていますが、正直彼が日本に対してどういう態度を取るのか、まだ全く未知数なので、心配している人もいるんじゃないでしょうか。

「なるほどね。確かに心配な気持ちはわかるよ」


●自分たちが創る音楽と、日々の現実や周りの世界で起きている出来事との間には、どのような関係性が結ばれているといえますか。あるいは、どういう関係性でありたいと考えますか。

「そうだなぁ、僕は常に新聞で目にしたことや自分が体験したり聞いたこと、そして旅をすることからインスパイアされているんだ。凄くプライベートな人間関係も含めてね。実は次のアルバムは多くのラブソングが入る予定なんだけど、それも僕達それぞれにそういう相手ができて、少しずつ大人になってきているからだと思うんだ。そういうパワーが作品を創る上で入ってくるのは良いことだと思っている。それに、個人的には『ダンス・アルバム』が創りたいんだ。僕はどこの国を訪れても、出来る限りその国のダンスパーティーに行くようにしていて、そこから凄くインスパイアされるんだ。『人を踊らせる』というのは凄くパワフルなことだからね。そういうパワフルな作品を創りたいと思っているよ」


●ちなみに、漠然とでも構いませんが、2000年代の音楽シーンについてどのような印象をお持ちですか。なかでもニューヨークは、2000年代を通じて絶えず刺激的な音楽を生み出し続けてきたといえるわけですが。

「僕は、今まさに何か新しいことが起こっているのを目撃しているような感覚があるから、この10年を振り返るのはちょっとまだ難しいね。アニマル・コレクティブやブラック・ダイスみたいなバンドが現れて、ラジオでもかかるようになってから何かが動き始めたような感じがして、ニューヨークそのものが音楽を創るのに凄く良い雰囲気に包まれている気がするよ。レコードの売り上げが落ちてメジャー・レーベルが崩壊して、インターネットのシステムが生まれて、きっとこの新しいシステムの未来は、より素晴しいものになると思うんだ。この00年代を振り返っていうならば、『音楽業界の古いシステムが完全に終わり、より人々が好きなように、やりたいようにやれる、新たな時代の幕開け』じゃないかな」


●最後に、今後の活動やニュー・アルバムの構想について教えてください。

「まだレコーディングには取り掛かっていなくて、2月から始める予定なんだ。というのも、アナンドがソロ・アルバムの製作にちょうど今取り掛かっていて、僕もこれからスタジオに遊びに行くんだけど、それがもう少しかかりそうなんだ。だけどそれが終わったら、ニューヨーク北部のウッドストックにあるスタジオに合宿しながらレコーディングをするんだ。だから、夏までには出来上がると思うよ。リリースはきっと秋か……ちょうど来年の今頃になるかもしれないね。だけど、夏にはまたライブでいろんな所に行くと思うよ。もしかしたらこの夏には初のジャパン・ツアーが実現するかもしれないね。日本には絶対に行きたいから、遅かれ早かれ必ず行くよ!」
(※補足:彼らはコンピレーション・アルバム『ダーク・ワズ・ザ・ナイト』に参加。また、来るトレイル・オブ・デッドのニュー・アルバム『ザ・センチュリー・オブ・セルフ』に、デイヴ・シーテックとも縁の深いドラゴンズ・オブ・ジンスのメンバーと共にゲスト参加している)


●楽しみです! ところで、「Yeasayer」というバンド名の由来は?

「僕の友達に、自分で考えたバンド名が100個以上は書かれているバイブルみたいな小さなノートを持っている奴がいて、そいつのそのノートにこの名前が書いてあったんだ。そもそもこれは造語で、「Naysayer(ネイセイヤー、いつも否定する人)」の反対の意味で造った言葉で、ポジティブなヴァイブを持ったバンドにしたかったから、ちょうど良いなと思ったんだよ」


(2009/03)

2011年3月1日火曜日

極私的2000年代考(仮)……ドゥンエンという秘境

とりとめのない無数の音楽的記憶の断片が、蜃気楼のように立ち現れては消え、クロスフェードしながら流れていく――。

その名前をワールドワイドに知らしめた2004年発表のサード・アルバム『タ・レン・ルッツ』をスルーし、翌2005年にリイシューされたファースト・アルバム『Dungen』を通じて初めて触れたドゥンエンのサウンドは、およそ現在流通するポピュラー・ミュージックの類とは異形の音楽体験として、筆者の好奇心を強く刺激した。ピンク・フロイドやムーディー・ブルースが、ソフト・マシーンやアモン・デュールが、オス・ムタンチスが、フランク・ザッパが……無造作に繋ぎ合わされ、あるいは混濁しながら「音楽体験」の時間軸を歪めるようなそれは、乱調するジュークボックスかアウトサイダーのうわ言のごとく要領を得なければ、明確な像を結ぼうとはしない。しかも、それらはすべてグストヴ・エイステスなるマルチ・インストゥルメンタリストがほぼ一人で創り上げたものなのだという。

後日、じつはその作品とは、2001年に発表されたオリジナルの『Dungen』の楽曲に、未発表の音源素材を編み込みロング・トラックを制作した、一種コラージュ的な作品であることを知るわけだが、その音全体の世界観が醸し出すマニアックで浮世離れした風貌は、スウェーデン出身という以外まるで素性の知れなかったその男の名前を印象付けるに十分なインパクトがあった。


「最初にドゥンエンとして音を作ったのは1998年だね。衝動的だったよ。やらなきゃいけないと感じた、というか。音楽リスナー、そしてミュージシャンとして、自分自身でやることを学ぶというのが自分には重要なんだ。ドゥンエンはぼくがフルートの練習に明け暮れ、悪いことにドラムキットを買い、さらに悪いことにベース・ギター(たしか、本当は盗んだんだと思う)やらポータブル・テープ・レコーダーを手に入れ、なんとか思うような形にしたいと没頭していたおかげで、当時の彼女と別れた時に始まったんだ」


たとえば、その複雑怪奇な軌跡を描くドゥンエンのサウンドを語るうえで、いわゆるフリーク・フォークとの比較は相応に有効といえるかもしれない。フリーク・フォーク――バック・トゥ・ルーツともいうべき態度で過去の音楽的遺産やフォーク~サイケデリックの系譜を参照しながら、同時にポスト・ロックやエレクトロニカ、アヴァンギャルドなど多様な音楽領域と交わりサウンドの枝葉を広げていく、なるほどフリーでフリークな音楽志向/嗜好の痕跡。安易なリヴァイヴァリズムでもなければ、定型化されたジャンル音楽の一種でもない。つまり伝統と革新。あるいはルーツ=音楽的記憶に根差した純粋主義と、変化/進化に向かう汎音楽的な折衷主義。こうしたフリーク・フォークのありようと響き合うように、グストヴはドゥンエンの音楽性をこう語る。

「ドゥンエンはレトロではない。ドゥンエンはコンテンポラリーである。そしてコンテンポラリーであるとは、過去と現在の両方の要素から成り立っているということだ」


いうまでもなく、ドゥンエンのサウンドにおいて、冒頭に名前を挙げたバンドや、1960~70年代初頭のフォーク/サイケデリック・ロックからの影響はきわめて重要な位置を占めている。一方、大部分を一人で手がけるレコーディングには、プロ・トゥールズを使用するなどポスト・プロダクションに余念がなく、またフェイヴァリットにMFドゥームやマッドリヴといった先鋭的なヒップホップ・アーティストを挙げるなど、その実態はフリーク・フォーク同様、単なる懐古趣味では断じてない。父親が有名なヴァイオリン奏者であり、小さい頃から地元のフォーク・ミュージックに親しんできたというグストヴにとって、伝統やルーツとの親和性はむしろ生来備わった彼の資質であり、その裏側で試みられるデジタル・テクノロジーの導入や、音のエクスチャーやプロダクションへのこだわりこそ、ドゥンエンを「コンテンポラリー」たらしめている所以だろう。

「今、この時代に作られている音楽なんて、どれも過去にどこかでやられているものだよ。300年前かもしれないし、25年、10年前かもしれないし。最近の音楽は話題の焦点が、どの時代から影響を受けたものだったら許される、みたいに見えるんだよね。1990年代にもすばらしい音楽を耳にしてきたし、すごく新鮮だった。そう思わない? そういう音楽や音楽作りの理解の仕方は自分を限定してしまうだけだと思う。だから、コンテンポラリーなサウンドを奏でていたいと思うんだ。それがどんなものであろうとね」

「両親ともにミュージシャンで、自分自身の音楽的なアイデアを追求する勇気を与えてくれた。兄が『ソウル・コーナー』っていう深夜のラジオ番組を発見して、司会のMats Nileskarが新しいブラック・ミュージックをかけてたんだ。ぼくらはそれでヒップホップに出会ったんだ。ぼくが初めて買ったレコードはパブリック・エネミーの『Brothers Gonna Work It Out』の7インチなんだ。自分たちなりのヒップホップをやろうとしてサンプリングとかやり始めたら、聴くよりもそっちの方が面白くなっちゃって。そうして、ミッチ・ミッチェルやボム・スクワッドのドラムの作り方とか、ジャズやフォーク・ミュージックのメロディ作りを学ぶようになったんだ」

つまり、その深いリヴァーヴが効いたアトモスフェリックな音響空間に、ブライアン・ウィルソンや1960年代のウォール・オブ・サウンドを見るか、それともイーノのアンビエントや1990年代以降のポスト・ロックやブリストル・サウンドを見るか。その紫煙立ち込めるノイジーなファズ・ギターや荒々しいグルーヴのうねりに、ジミ・ヘンドリックスを見るか(ちなみにグストヴにとって「コンテンポラリー」な音楽の原体験は母親がくれた『Are You Experienced?』だった)、それともプッシー・ガロアやロイヤル・トラックスのジャンクなブルース、さらにアースやサンといったスラッジ/ドゥームに通じるアンプリファイされたギター・ノイズを見るか。

あるいは、サイケデリックなジャムや複雑に展開するインストゥルメンテーションに、グレイトフル・デッドやサマー・オブ・ラヴのアシッド・ラディカリズムを見るか、それともジャッキー・オー・マザー・ファッカーやノー・ネック・ブルース・バンドと共振する前衛的なインプロヴィゼーションを見るか。そのどちらかではなく、双方が立つ地続きのうえにドゥンエンの音楽世界は存在する。

「クラウトロックは大好きだよ。カン、そしてダモ鈴木がやってきたこと、そして今やっていることも。それと、リチャード・D・ジェイムズはつねにもっとも好きなコンポーザーの一人だよ。キングよ、永遠に!!!!  レゲエではコンゴスとホールズワースが好きだね」

かたや地元のスクールに通い、師事するヴァイオリン奏者の下でスウェーデンのフォーク・ミュージックを学ぶグストヴが、かたやオール・トゥモローズ・パーティーズのような先鋭的なミュージシャンが集うフェスティヴァルに出演し、ダモ鈴木やホルガー・シューカイ、マーズ・ヴォルタとステージを共にしてしまうという不可思議さ。まるでビートルズ『ホワイト・アルバム』とアニマル・コレクティヴ『ホリンドアゲイン』を繋ぐような前述の『Dungen』は、そんなユニークで深遠なグストヴの創作とバックグラウンドを如実に物語っているようだ。


5枚目のアルバムとなる最新作『4』は、昨年の前作『Tio Bitar』と異なり、多くの楽曲がバンド編成で制作された。これまで作品/ツアーでサポートを務めてきたギターのレイネ、そして昨年ライフ・オン・アース!名義で傑作ファースト・アルバムをリリースしたベースのマティーアスらに加え、同郷スウェーデンのレーベル「Hapna」所属の女性SSW、アンナ・ヤルヴィネンがゲストで参加している(ちなみにドゥンエンとは彼女のソロ作で共演経験あり)。

グストヴはアルバムのリリースに先立ち、そのサウンドの色調について「ジャズ的でシネマティック」と述べている。事実、今作には、ラース・ガリンやヤン・ヨハンソンといった1950年代の北欧ジャズの先人をフェイヴァリットに挙げるグストヴのジャズ愛が色濃く反映されているようで、いきなりムーディーなオープニングを象徴に、これまでの作品とはかなり異色な印象を受ける。いわゆるサイケデリックなジャムやハード・ロック的なダイナミズムは相対的に後退。フルートやストリングスを交え紡がれる有機的かつ幽玄なインストゥルメンテーションは健在だが、各楽曲とも4分前後とコンパクトな体裁がとられ、とくに中盤以降の流れなど、それこそAOR的(?)ともいえそうな、どこかアダルトで洗練されたムードが際立つ。

「『Tio Bitar』を作った後、なんかなにもかも嫌になっちゃってね。スウェーデンの南部に引っ越して、家にこもってずっとターンテーブルのスクラッチの練習をしていたんだ。この4年間、スクラッチはぼくにとって大きなインスピレーション源になっていて、一種の芸術的表現になっているんだ。スウェーデンの伝統的なフィドル・チューンのようにね。だから、数ヶ月間はスクラッチばっかり練習してたんだ。ペンキ屋とか階段掃除の仕事で生計を立てながらね。その後、祖母からピアノを譲り受けて、それがまたすばらしい楽器だったんだ。スクラッチ練習の合間にピアノをよく弾くようになって、気付いたら色々とメロディを思いついていて、急にいくつもの曲ができていたんだ。でも、今回はそれまでのようにドラムから始めて、オーヴァーダビングしたりして一回、録ってみるということはしないで、何週間か自分で演奏して、それからストックホルムのスタジオでレイネとヨハン(ドラム)に聴かせたんだ。こういうやり方は自分にとって初めてだったね」

ここで自ら語っているように、今作においてグストヴは、これまでのドゥンエン・サウンドを特徴づけてきたギターを封印し、ほとんどの楽曲でピアノに自らのパートを割いている。
「ピアノは一番最初に習った楽器で、一番うまく自分自身を表現できる楽器なんだ。ある意味、楽器として完全に時間を超越したもので、自分にとっては“顔のない”ものなんだ。というのも、ピアノ音楽は何百年も作られてきたけど、特定のジャンルやスタイルに捕らわれていないからね」

仮にサード・アルバム『タ・レン・ルッツ』が、ドゥンエンの「ロック・バンド」としての原始性やポテンシャルを凝縮したひとつの極とするなら、今作は、その制作プロセスも含めてグストヴ個人のプライヴェートな作家性を抽出・具体化した、もうひとつの極に位置する作品といえるかもしれない。
とはいえ、ドゥンエンという生命体は、今なお知られざる素性を秘めたミステリアスな対象であり、その音楽はある種の深遠さをともない聴く者を魅了してやまない。作品を重ねるごとに露出も増え、そのヴェールは剥かれていきながらも、そのルーツや創作をめぐる来歴不明の禍々しさは、むしろ『Dungen』のころ以上に作品に深い陰影を掘り込む。高まる評価とは裏腹に、その存在を今の音楽シーン/時代に位置付ける適当な座標軸はそう易々と見つかる様子にない。

「ぼくは自分を満足させたいだけで音楽を作っていて、それ以外の誰も、何も意識していないんだ」。

まるで溢れ出る自らの創造力を持て余すかのごとく嬉々と、朴訥と音楽と戯れる姿がその音楽からはありありと伝わってくる。

「自分は特定のタイプやジャンルの音楽を作ろうと意識したことはないんだ。ソングライティングの質が上がったと思いたいね。それに、音楽に対する愛情とミュージシャンシップのおかげで、技術的にも成長したと願っているよ」


それにしても、北欧のインディペンデントな音楽シーンはおもしろい。レーベルでいえば、前記のアンナや先日来日公演も行ったテープなど、良質なエレクトロニカ~ポスト・ロックを擁するスウェーデンのハプナ。北欧圏フリーク・フォーク~アヴァン・ロックの牙城=フィンランドのフォナル。キム・ヨーソイはじめ、近年ではオリジナル・サイレンス(サーストン・ムーア、ジム・オルークetc)やサンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マン、にせんねんもんだいの作品もリリースするノルウェーのスモールタウン・スーパーサウンド。あるいはアイスランドのキッチン・モーターズなど、アンダーグラウンドな領域からは近年、ユニークな才能が登場し注目を集めている。
なかでもドゥンエンは、ひときわ孤高のイメージが強い。ある種の土着的なコミュニティーを形成する「異境」において、しかしドゥンエンはどこまでも寄る辺なき存在であり、その音楽とともに弧絶した異彩を放っている。

「ぼくはほとんど一人で過ごしているから、新しい音楽のフォロワーとしてはまったく絶望的だね。だから、残念なことに自分がどこかのシーンやムーヴメントに属していると感じたことはまったくないんだ。でも、北欧から面白い音楽がたくさん出てきているのは知っているよ。世界中そうだけどね。(略)どうして北欧の音楽がほかの世界から分離しているのかについては何も言えないな。ぼくはTVのチャンネルがふたつしかないような田舎で育ったんで、生活にすごくゆとりがあったんだ。自分の創造性はそこから生まれてきているんじゃないかな」


ドゥンエンはどこにも属さない。いかなるシーンやムーヴメントにも染まらない。

しかし、その音楽の中には、どこへも通じる扉が無限に開かれている。過去の記憶を喚起し、現在の様々な音楽事象を映し出す、時空を越えた音のメルティングポットのようにも思えてくる。いわゆる「ポップ」ではないかもしれないが、けっして難解なわけではない。アクは強いが、いかようにも読み解くことが可能なフリーでフリークな音楽。そんな希少なバンド、ドゥンエンをおいて他ではあまり見つけることができないようにも思うのだが、どうだろう。 


(2008/12)