・ アニス&ラカンカ/アニス&ラカンカ
・ 豊田道倫/スカムSA
・ 加藤りま/Four Songs
・ Aerial Jungle/Tales of Acoustic Levitation
・ Sundrips/Just a Glimpse
・ Lunar Miasma/Gone
・ Stitched Vision/Fold
・ Octo Octa/Rough Rugged And Raw
・ Concessionaires/Mustang
・ Derek Rogers/Informal Meditations
・ Tom Carter/All Ahead Now
・ Motion Sickness of Time Travel/Nova Scotian Arms/Slow Architecture
・ Mannateas/Banished Hues
・ Police Academy 6/Police Academy 6
・ Super Minerals/Contacteer
・ Bear Bone, Lay Low/Smoked the Whole Thing
・ 1958-2009/III
・ Ken Seeno/Invisible Surfer On An Invisible Wave
・ Deep Magic/Sky Haze
・ Josephine/You Are Perfect Today
・ Ela Orleans/NEO PI-R
・ Voder Deth Squad/1
・ Pierrot Lunaire/Turning Back the Hands of Time
・ Indian Weapons/Trance
・ Haunted Houses/The Heaven of the Soul & the Heaven of the Moon
・ Buchikamashi/Dontoyare
・ Taiyoutou/World of Laughter
・ Golden Retriever/Emergent Layer
・ Hot & Cold/Conclusion/Introduction
・ Maria Minerva/Tallinn At Dawn
・ Cough Cool/Clausen
・ Russian Tsarlag/Classic Dog Control Booth
順不同です。
今年聴いた、あるいは聴き返したカセット・テープ作品ベスト30+2。
なので今年リリースされたものもあれば、そうでないものもあります。そこは適当に曖昧に。
そもそもクレジットがないものもありますし、とりあえず今年印象に残った作品ということで。
それと以上の作品はカセットで手に入れたものもあれば、なかには品切れのためbandcampやboomkatで購入したりだとか、経路はまちまちです。
詳細は興味ある方は各自お調べください。
ちなみに、以上挙げたものも含めて、カセット・リリースの作品をメインとしたレヴューを年明けからここで始める予定です。
誰もやりそうもないので。
カセットをボツボツと集め始めたのは2,3年ほど前からですが、今年に入り中古でパナソニックのカセット版ショックウェーヴを手に入れたことを機に、本格的に火が付いた感じでしょうか。
折からの円高の勢いもあり今年後半はしこたま購入しました。
どの作品も同じように聴こえるときもあれば、ひとつひとつの作品がとても個性的に聴こえるときもあります。
カセット作品の魅力とはなんでしょうか。
よくわかりませんが、おそらく、そこには音楽を探すことの楽しみがつまっているからでしょうか。
カセット作品は果てしなく存在するような気にさせられます。掘れば掘るほど深くて広い。
アタリもハズレもあります。けど時間が過ぎて聴き返すと、まったく異なる印象に感じられることもある。不思議ですね。
ここに挙げたのはほんと一例です。自分でもこれが果たしてベストなのかおぼつかない部分もあります。
けどそれがいいのでしょう。聴くことよりも集めることよりも、探すことがおそらく重要なのです。
探しては迷い、迷っては想定外のブツに突き当ったりと、なんというか、音楽との出会いがたくさんあるんですね。
それはほんとうに楽しいことです。それ以上のことで他に何がいりましょう。
そしてデッキに絡まってテープが切れてしまうことも、また一興。
個人的にはジン感覚に近いかもしれません。
最近はフルカラーで凝ったジャケも多いですが、モノクロコピーの簡素で不格好なものもなんだか愛らしい。
まあ、好きなように聴いたり集めたり探してください。
余裕があればCDの年間ベストも挙げたかったのですが、時間もなく面倒くさいのでやめました。
個人的には、豊田道倫&ザーメンズ/アンダーグラウンドパレスからAlfred Beach Sandal/One Day Calypso、そして麓健一『コロニー』まで一直線に今年を駆け抜けた感じです。
海外の作品ではNot Not Funや傘下の100% Silkからリリースされた作品を主に聴いていたみたいです。
そのあたりのことについては、Eternal Tapestry & Sun Araw/Night Gallery、Barn Owl/Lost in the Glare、Wooden Shjips/Westの国内盤に封入されたライナーノーツに詳しく書きました。ほんの導入部分にあたるような内容ですが、Not Not Funやその周りのUSアンダーグラウンド・シーンの動きと、そこに直結した近年のThrill Jockeyの傾向についてのレポートです。なお補講的な位置づけとしてThe Psychic Paramount/IIのライナーノーツにももろもろ何か書いています。
じつはこれらをまとめた形でより詳細な内容の原稿を書く予定だったのですが、諸事情で企画自体がなくなってしまいました。どこかでやれたらいいのですが……あとそれとは別に、近々どこかにBarn OwlとThe Psychic Paramountのインタヴュー記事が掲載される予定です。
Bjork/ Biophiliaも面白かった。それは別に書きましたのでそちらを。
それとsweet dreamsさんに声をかけていただき、「女性は歌うよ高らかに」という女性SSWを特集した小冊子に書かせてもらいました。とくに日本の女性SSWについて……福原希己恵、三村京子、Predawn、うつくしきひかり、加藤りま、平賀さち枝、mmmなどなど。
今年観たライヴの中から印象深かったものを挙げようかとも考えましたが、これもいろいろありすぎて選ぶのが面倒くさいのでパス。
ただ強いてひとつあげるとするなら、3月12日に下北沢440で観たマリアハトのプレ・レコ発。
あれはちょっと忘れがたい経験でした。
あの日、出演した各アーティストの演奏、店内のまわりの様子から、窓越しに見る外の風景まで、すべてがまぶたの裏に強烈に焼き付いています。
以上になりますでしょうか。ちなみに、スッパマイクロパンチョップのスッパさんのお誘いでhttp://6547.teacup.com/suppa/bbsにも参加しました。
Youtube縛りで10本+α。
とくにかしこまったベストというわけではありません。楽しく選ばせてもらいました。
(すっとずっと下の方へスクロールしてください)
来年もいい音楽、いい演奏に立ち会うことができたら最高かなと。
とりあえずこの年末年始は、Cloud Nothings/Attack on Memory 、Perfume Genius/Put Your Back N 2 It、
そしてmmm/ほーひを聴いて過ごしたいと思います。
ちなみにCloud Nothingsの新作は、スティーヴ・アルビニが手がけた音の感触と彼ら自身の発言から総合すると、
80年代のUSハードコアと90年代のDischordと00年代のエモを貫通する作品といえるのではないか、と。
これも日本盤のライナーノーツに詳しく書きました。
あとこれはまったくの余談ですが、OGRE YOU ASSHOLEの『homely』を、アンチJロックかアンチJポップなのか何なのかの御旗のようにして担ぐ論調は総じてどうなのかな、と思います。
「ロック」も「ポップ」も、「ポップ・ミュージック」さえももはやマジックワードに過ぎなく感じられる昨今ですが(そして「七針系」も……?)。
(2012/12・31)
2011年12月31日土曜日
2011年12月28日水曜日
2000年代の極私的“ビッチ”考……キム・ゴードン、語る
現在のロック・シーンにおいて、メンバーの課外活動の多さでは右に出るバンドがいないソニック・ユース。なかでも量・質的に最大規模を誇るのはサーストン・ムーアなわけだが、しかし「活動範囲の広さ」となると、それはもう断然キム・ゴードンになるだろう。
音楽はもちろん、ドローイングやビデオ作品といったヴィジュアル・アートから、詩の朗読やパフォーマンスにいたるまで、彼女の活動はジャンルの枠を越えてアート全般に多岐にわたる。記憶に新しいところでは、3年前に日本でも開催されて話題を呼んだ『Kim’s Bedroom』展(※キムがキュレイターを務めたグループ・アート展。彼女を始めソフィア・コッポラやリタ・アッカーマンらが参加)が挙げられるが、今年も春にニューヨークで個展を、10月にドイツ人アーティストと共同展を行うなど、彼女のアート熱は留まるところを知らない。そんなキムが、元プッシー・ガロアのジェフリー・カフリッツらと組んだフリー・キトゥンに続いて新たに結成したバンドが、今回OOIOOのツアー・サポートという形で来日した「キム・ゴードン&ザ・スウィート・ライド」だ。
メンバーはキムとジム・オルーク、先頃アルバム『BODEGA』をリリースしたブルックリンのDJオリーヴ、そしてノー・ウェイヴの伝説的グループDNAの元ドラマー、イクエ・モリの4人。実はこのメンバーでは2000年にアルバム『Kim Gordon/Ikue Mori/DJ Olive』という作品を発表しているのだが、この日初めて観たライヴは、作品で聴かれたいかにも“作品然”とした印象とはがらりと変わり、緊張感と熱気を帯びたかなりアグレッシヴなものだった。即興演奏をメインとした抽象的で、ある種の「沈黙」を強いるような実験的なサウンドながら、エゴに堕した「停滞」を誘うものにあらず。各プレイヤーの白熱した演奏は圧倒的で、特にDJオリーヴが繰り出すブレイクビーツやノイズ等のエレクトロニクス、そこにキムの咆哮が絡みつき渾然一体となって巨大な騒音の建造物を作り上げた中盤以降の展開は、鳥肌ものだった。
インタヴューが行われたのは、その東京でのライヴを夜に控えた昼下がりの渋谷の喫茶店にて。初めて言葉を交わす機会に恵まれたキムは、想像していた通りのかっこいい(そして凄みのある)女性で、インタヴューの最中も何度と見惚れてしまった。急きょジムとDJオリーヴも同席することになり、思いのほかリラックスしたインタヴューになってしまったのは想定外だったが、しかしキムが何気なく呟いた「とにかくやってみる方が性に合ってるのよ」という一言は、彼女の本質を言い当てているようで興味深かった。
●まず、今回のメンバーが集まってバンドを始めた経緯を伺えますか?
キム(以下K)「そうね……よくわからないけど、とにかくいいアイデアだと思ったから(笑)。それぞれが他のいろんなバンドで演奏してるのを観てきてたし……(DJオリーヴの方を見て)彼はとにかく最高のDJで、他のミュージシャンと一緒に音楽をできる感性を持った人だと思ったのよね。それに、イクエがもっとこう、くだらない音楽をやる人たちと共演するのを見たいと思って(笑)。つまり私みたいな(笑)。で、ジムには私たちがレコーディングした音のミクシングをお願いしたのが始まりだった。それから一緒に演奏もするようになったのよね」
●ジムとオリーヴはどういう思いで参加したんですか?
DJオリーヴ(以下O)「『ノー』なんて言えると思う(笑)?」
全員「(爆笑)」
O「イクエとは以前共演したことがあったし……で、キムに誘われたから、『ぜひ、お願いします!』って言ったんだ(笑)」
K「初めてオリーヴと共演した時は、ヨシミと一緒だったのよね」
●特にジムはいろんな人たちとバンドを組んでいるわけですが、このメンバーで特別なところ、他と違うところはどんな部分でしょう?
ジム(以下J)「今までで一番奇妙なメンツだよね(笑)。それに、一番難しいのは間違いないよ。楽器のコンビネーションもそうだし、それぞれの演奏の仕方も普通と違うから、即興演奏する時にはいつもにも増して集中しないといけないんだ。だからこそやりがいがあるし、それっていいことだと思うよ」
●ソニック・ユースのサウンドと比べて、このバンドでは実験的で即興的な要素が前面に出ていると思うのですが、そういった要素はもともとミュージシャンとしてのあなたにとって重要な位置をしめてきたものなのですか?
K「そうね。私は小さい頃からフリー・ジャズを聴いて育ったから。兄とふたりで、自宅のリビングでいろいろ即興で弾いてみたりしたりして(笑)。それはともかく、私は基本的に自由な音楽が好きなのよね。どういうサウンドにしなくてはいけないとか、頭で考えるのは好きじゃない。とにかくやってみる方が性に合ってるのよ……このバンドの音楽には、映画のようなところがあると思う。歌詞もアドリブが多くて……言ってみれば、ハリウッド映画じゃなくて、フランスやヨーロッパの映画みたいな感じ。会話も何もない場面が延々と続くっていうような(笑)」
J「話に一貫性もなくて」
K「そう、古典的な物語のように、起承転結がはっきりしてないの。普通なら、曲にも始まりと中間と終わりの部分があるものだけど、私たちの場合はそうじゃないのよね」
●ソニック・ユースでの活動と、今回のバンドでの活動は、あなたの中でどういうふうにつながっているのでしょう? フィードバックしあう関係ですか?
K「そうだと思う……それぞれ違うメンバーと演奏するわけだから、違いが生まれて当然よね。曲のスタイルにはいろいろあって、たとえばソニック・ユースでは、ひとりが中心になって作った曲をメンバー全員で完成させていくことが多いけど、一方では即興演奏から生まれて形になっていく曲もある。だから、そうね、それぞれのバンドでの経験からアイデアを持ち込むといえると思うわ」
●そしてもうひとつ、あなたはミュージシャンとして以外にも、ドローイングやヴィジュアル・アートなどアートの分野でも活動されているわけですが、そうしたアートの部分での活動と音楽活動との関係性についてはどうですか?
K「そうね、関係あるんじゃないかしら。うまく説明できないけど、たとえば、主題や題材って意味ではつながりがあると思うし。でも……あなたが思ってるような意味ではないかも(笑)。抽象的でわかりづらいけど(笑)」
●たとえば、絵を描いている時に、音楽のアイデアを思いついたりとか?
K「うーん、それはないかな。私のアートはコンセプチュアルだから、まずアイデアが先にあって、そこから進んでいくのよね」
●以前にオノ・ヨーコさんが何かの雑誌で「アーティストの仕事は作品を創ることではなく、物の価値を変えることです」と話していて、とても感動したのを覚えています。あなたはコンセプトから始めるとのことですが、あなたにとって音楽とは別にアートの分野で表現すること、創作することはどんな意味を持つのでしょうか?
K「そうね、確かにある意味、何かを創るっていうよりは、もっとこう……いろんなものをごちゃ混ぜにしてるっていうか(笑)、ちょっと変わった物の見方を提示しようとしている部分はあると思う。いつも引き裂かれるような感じがするのよね。アートにおけるフォーマリズムを追求したいという思いと、自分が個人的に興味があるものとの間でね」
●あなたがアートで表現したいものと、音楽で表現したいものは別ですか?
K「やっぱりアートより音楽の方が、もっと幅広い表現ができる余地があると思う。私にとって、アートはもっと分析的で概念的なものだから。でも、たとえばジムはそういう分析的な部分を音楽に取り入れられる人だと思うわ。曲作りにおいてって意味でね。そうじゃない?」
J「そうだね」
K「で、私はちょっと違うのよね。昔からやってきてることだし、ヴィジュアル・アートを作るのは好きよ。でも、音楽のいいところは、もっと……無意識でいられるところかな。とにかくアートとは違うのよね。音楽はもっと本能や直感に基づいている気がする」
●ちなみにオリーヴは以前彫刻家もやっていたと聞いたのですが。
O「僕が(笑)? うーん、彫刻家ってわけじゃなかったけど――」
K「でも視覚芸術のアーティストではあるわよね」
O「そうだね。絵画と写真を勉強してたし」
●ではあなたも、アートと音楽で表現できることは別のものだと思いますか?
O「うーん、そうでもないかも。DJっていうのは、ある意味絵を描いてるのと同じだと思うからね。特に僕は絵を勉強した経験があるから、音楽を説明する時にもアートの用語を使うし……」
K「もともと視覚的なタイプなんじゃない? それが音楽にも表われてるのかもよ」
O「そうだね。大学で習ったことが今でも頭から離れないっていうか、頭の中でいろいろ声がするんだよね(笑)」
●音楽でそれを発散しているとか?
O「まあ、発散する必要もないと思うけど(笑)……『頭がおかしくなる~』って感じ(笑)」
●では、ここでソニック・ユースの話をさせていただきますが、ソニック・ユースとしては昨年でデビューからちょうど20年目の節目を迎えたということで――。
K「そうだっけ(笑)?」
●(笑)今年に入って『GOO』のリマスター盤がリリースされたり、バンド・ヒストリーを追ったDVDがリリースされたりと総括的な動きもあるわけですが、振り返ってみて、あなたにとってソニック・ユースとしての20年はどんな20年だったといえますか?
K「うわ~(笑)」
J「もう30年は経った気がする(笑)?」
K「わからない……なんかこう、いろんなロック・スターの名言が頭をよぎるんだけど(笑)……そうね、言ってみれば、ソニック・ユースはユニークだったっていうか、たとえばドラッグに溺れたり、身を隠してみたり、一度解散して復活してみたりとか、そういうのが私たちには全くなかったから(笑)」
J「テレビ番組のネタにはならないね(笑)」
K「だから……何て言ったらいいのかわからないわ(笑)」
●じゃあたとえば、バンド活動の中で手にした最大の財産といえば?
K「それは……日本まで来てライヴができたり、大勢の優れたミュージシャンに出会えたり、ステージ袖からすごいライヴ・パフォーマンスを目撃したりっていう経験ね。いろんなバンドの最盛期もリアルタイムで見てきたし。ニルヴァーナ、ペイヴメント、ボアダムズの素晴らしいギグ……そういうことかな。ねえ、ジム?」
J「(不意を突かれて驚く)えっ(笑)?」
K「(笑)……そう、やっぱりそうやっていろんな偉大なバンドや音楽に触れることができたのは、ソニック・ユースにいたおかげだと思うわ。あとは……よくある話だけど、ステージでの魔法のような瞬間とか(笑)?」
●(笑)では逆に、最大の挫折とは?
K「挫折? ……(ジムの方を見る)」
J「(自分を指差して)僕(笑)?」
O「はははは。誰かが生贄にならないとね(笑)」
K「何だろう……(長い沈黙)……重大なものは何もないわ……私たちには、その後の作品がかすんでしまうほどヒットしてしまったアルバムなんてないし。結構よくあることよね。初めの1、2枚が大ヒットしちゃって、その後は忘れられてしまうってこと。そういうことにならなかったのはよかったと思う。私たちは、プロセスを大切にしてるっていうのかな。どこかにたどり着くのが目的なんじゃなくて、それまでの道のりを大事にするっていう。そんな感じだと思うけど」
●ちなみに、最新作を含めた16枚のアルバムの中で、一番好きなアルバム、一番思い入れの深いアルバムは何ですか?
K「それは……次の作品よ」
●いい答えですね(笑)。
K「(笑)。実際、それぞれのアルバムのいろんな曲に好きな部分があるのよね。だからどのアルバムも好きなんだけど、そうね、最新作は結構気に入ってる。それに、『ウォッシング・マシーン』、『デイドリーム・ネイション』も好き。『シスター』もそうだし……もうよくわからなくなってきた(笑)」
●おふたりはどうですか?
J&O「(顔を見合わせて笑う)」
K「実は1枚も聴いたことないんでしょ(笑)?」
全員「(爆笑)」
O「僕はソニック・ユースの音楽は全体的に好きだよ」
K「DJする時に、ソニック・ユースのレコードを使ったことある?」
O「あるよ。でも、他のバンドの音楽と組み合わせるのは難しいから、そのまま流すだけっていうか、普通のDJの時にね……昔の作品はカセット・テープで持ってるよ。僕は昔スケートボードをやってて、いつもラジカセを持ち歩いてたから、カセットを買ってたんだ」
K「オリーヴはカセット好きなのよね(笑)」
O「そう(笑)。だからそうやって昔テープで聴いてた曲を聴くとなつかしい気持ちになるんだ。スケートボードをやってた若い頃を思い出してね。僕は1日のうちでもいろんな音楽を聴くのが好きなんだ。ヴァラエティが大事なんだよ。だから好きなアルバムを1枚だけ選ぶのは難しい。自分の子供からひとりだけお気に入りを選ぶみたいでさ」
●ジムはどうですか?
J「僕の答えは簡単だよ。『EVOL』と『ウォッシング・マシーン』が好きなんだ」
●ここ数年、ニューヨークに端を発する形で、ストロークスやヤー・ヤー・ヤーズといった若い世代のバンドが盛り上がっています。これはスリーター・キニーのコリンやカレン・Oとも話したことなんですが、そうした一連の動きを見ていて疑問に思うのは、その中に女性ミュージシャンの姿を見る機会がとても少ないということです。たとえばニューヨーク・パンクの時代もロンドン・パンクの時代も、あるいはオルタナティヴなんて呼ばれ方をした時代にも、女性ミュージシャンの存在は時代やシーンと密接な関わりをもっていたと思うのですが。あなたとしては、女性ミュージシャンの現在についてはどのような意見をお持ちですか?
K「スリーター・キニーはすごく重要な存在よね。それにレ・ティグラ……Quix*o*ticのクリスティーナとミラも」
J「クリスティーナ・カーターとか」
K「そう、クリスティーナ・カーターも……とにかく、今活躍してる女性ミュージシャンはたくさん知ってるけど、ただもっと……アンダーグラウンドなのよね。確かにパンクの時代には、女性のミュージシャンが大勢いたわよね。で、その後の80年代にはほとんどいなくなって……」
J「90年代の初めもいなかったよね」
K「ああ、90年代の初めは特にそうね。その頃と比べると、今の方がもっと増えたと思うけど。今までにないくらい多いんじゃない? もちろん、メインストリームでの話じゃないけどね。それでも、実験的な音楽をやってる人の中に女性は多いと思うわ」
●あなたは表現する時に性差の壁というか難しさを感じることがありますか?
K「うーん……それはないわ。特にアートを作っている時はね。というか……実はあまり考えたことがないのよね」
●あなたにとって、「女性である」ということは、ミュージシャンとしてアーティストとして、どんな意味や価値を持っていると考えますか?
K「……何をしても謝らなくていい立場にいるってことかしら(笑)」
J「はははは」
K「それはともかく(笑)、ロックといえば男性ギタリストを指すっていう見方が浸透しているのは確かだけど、女性がその役を買って出ると、そこに違った意味が付加されて、それでまた音楽がもっとおもしろいものになれるのかもしれない……とにかく、男性とは別の感性なのよ。男性と女性が全く同じだとは言えないわけだし、性差というのは確かにあるのよね。そんな中で、ひとりひとりの女性の個性が……特に型にはまらない音楽の場合は、女性ミュージシャンの方が音楽の実験性の幅を広げていると思うけど。そう思わない?」
J「そのとおりだよ」
●今日はどうもありがとうございました。
K「ありがとう」
(2004/10)
(※2000年代の極私的“ビッチ”考……キム・ゴードンというゴッドマザー )
音楽はもちろん、ドローイングやビデオ作品といったヴィジュアル・アートから、詩の朗読やパフォーマンスにいたるまで、彼女の活動はジャンルの枠を越えてアート全般に多岐にわたる。記憶に新しいところでは、3年前に日本でも開催されて話題を呼んだ『Kim’s Bedroom』展(※キムがキュレイターを務めたグループ・アート展。彼女を始めソフィア・コッポラやリタ・アッカーマンらが参加)が挙げられるが、今年も春にニューヨークで個展を、10月にドイツ人アーティストと共同展を行うなど、彼女のアート熱は留まるところを知らない。そんなキムが、元プッシー・ガロアのジェフリー・カフリッツらと組んだフリー・キトゥンに続いて新たに結成したバンドが、今回OOIOOのツアー・サポートという形で来日した「キム・ゴードン&ザ・スウィート・ライド」だ。
メンバーはキムとジム・オルーク、先頃アルバム『BODEGA』をリリースしたブルックリンのDJオリーヴ、そしてノー・ウェイヴの伝説的グループDNAの元ドラマー、イクエ・モリの4人。実はこのメンバーでは2000年にアルバム『Kim Gordon/Ikue Mori/DJ Olive』という作品を発表しているのだが、この日初めて観たライヴは、作品で聴かれたいかにも“作品然”とした印象とはがらりと変わり、緊張感と熱気を帯びたかなりアグレッシヴなものだった。即興演奏をメインとした抽象的で、ある種の「沈黙」を強いるような実験的なサウンドながら、エゴに堕した「停滞」を誘うものにあらず。各プレイヤーの白熱した演奏は圧倒的で、特にDJオリーヴが繰り出すブレイクビーツやノイズ等のエレクトロニクス、そこにキムの咆哮が絡みつき渾然一体となって巨大な騒音の建造物を作り上げた中盤以降の展開は、鳥肌ものだった。
インタヴューが行われたのは、その東京でのライヴを夜に控えた昼下がりの渋谷の喫茶店にて。初めて言葉を交わす機会に恵まれたキムは、想像していた通りのかっこいい(そして凄みのある)女性で、インタヴューの最中も何度と見惚れてしまった。急きょジムとDJオリーヴも同席することになり、思いのほかリラックスしたインタヴューになってしまったのは想定外だったが、しかしキムが何気なく呟いた「とにかくやってみる方が性に合ってるのよ」という一言は、彼女の本質を言い当てているようで興味深かった。
●まず、今回のメンバーが集まってバンドを始めた経緯を伺えますか?
キム(以下K)「そうね……よくわからないけど、とにかくいいアイデアだと思ったから(笑)。それぞれが他のいろんなバンドで演奏してるのを観てきてたし……(DJオリーヴの方を見て)彼はとにかく最高のDJで、他のミュージシャンと一緒に音楽をできる感性を持った人だと思ったのよね。それに、イクエがもっとこう、くだらない音楽をやる人たちと共演するのを見たいと思って(笑)。つまり私みたいな(笑)。で、ジムには私たちがレコーディングした音のミクシングをお願いしたのが始まりだった。それから一緒に演奏もするようになったのよね」
●ジムとオリーヴはどういう思いで参加したんですか?
DJオリーヴ(以下O)「『ノー』なんて言えると思う(笑)?」
全員「(爆笑)」
O「イクエとは以前共演したことがあったし……で、キムに誘われたから、『ぜひ、お願いします!』って言ったんだ(笑)」
K「初めてオリーヴと共演した時は、ヨシミと一緒だったのよね」
●特にジムはいろんな人たちとバンドを組んでいるわけですが、このメンバーで特別なところ、他と違うところはどんな部分でしょう?
ジム(以下J)「今までで一番奇妙なメンツだよね(笑)。それに、一番難しいのは間違いないよ。楽器のコンビネーションもそうだし、それぞれの演奏の仕方も普通と違うから、即興演奏する時にはいつもにも増して集中しないといけないんだ。だからこそやりがいがあるし、それっていいことだと思うよ」
●ソニック・ユースのサウンドと比べて、このバンドでは実験的で即興的な要素が前面に出ていると思うのですが、そういった要素はもともとミュージシャンとしてのあなたにとって重要な位置をしめてきたものなのですか?
K「そうね。私は小さい頃からフリー・ジャズを聴いて育ったから。兄とふたりで、自宅のリビングでいろいろ即興で弾いてみたりしたりして(笑)。それはともかく、私は基本的に自由な音楽が好きなのよね。どういうサウンドにしなくてはいけないとか、頭で考えるのは好きじゃない。とにかくやってみる方が性に合ってるのよ……このバンドの音楽には、映画のようなところがあると思う。歌詞もアドリブが多くて……言ってみれば、ハリウッド映画じゃなくて、フランスやヨーロッパの映画みたいな感じ。会話も何もない場面が延々と続くっていうような(笑)」
J「話に一貫性もなくて」
K「そう、古典的な物語のように、起承転結がはっきりしてないの。普通なら、曲にも始まりと中間と終わりの部分があるものだけど、私たちの場合はそうじゃないのよね」
●ソニック・ユースでの活動と、今回のバンドでの活動は、あなたの中でどういうふうにつながっているのでしょう? フィードバックしあう関係ですか?
K「そうだと思う……それぞれ違うメンバーと演奏するわけだから、違いが生まれて当然よね。曲のスタイルにはいろいろあって、たとえばソニック・ユースでは、ひとりが中心になって作った曲をメンバー全員で完成させていくことが多いけど、一方では即興演奏から生まれて形になっていく曲もある。だから、そうね、それぞれのバンドでの経験からアイデアを持ち込むといえると思うわ」
●そしてもうひとつ、あなたはミュージシャンとして以外にも、ドローイングやヴィジュアル・アートなどアートの分野でも活動されているわけですが、そうしたアートの部分での活動と音楽活動との関係性についてはどうですか?
K「そうね、関係あるんじゃないかしら。うまく説明できないけど、たとえば、主題や題材って意味ではつながりがあると思うし。でも……あなたが思ってるような意味ではないかも(笑)。抽象的でわかりづらいけど(笑)」
●たとえば、絵を描いている時に、音楽のアイデアを思いついたりとか?
K「うーん、それはないかな。私のアートはコンセプチュアルだから、まずアイデアが先にあって、そこから進んでいくのよね」
●以前にオノ・ヨーコさんが何かの雑誌で「アーティストの仕事は作品を創ることではなく、物の価値を変えることです」と話していて、とても感動したのを覚えています。あなたはコンセプトから始めるとのことですが、あなたにとって音楽とは別にアートの分野で表現すること、創作することはどんな意味を持つのでしょうか?
K「そうね、確かにある意味、何かを創るっていうよりは、もっとこう……いろんなものをごちゃ混ぜにしてるっていうか(笑)、ちょっと変わった物の見方を提示しようとしている部分はあると思う。いつも引き裂かれるような感じがするのよね。アートにおけるフォーマリズムを追求したいという思いと、自分が個人的に興味があるものとの間でね」
●あなたがアートで表現したいものと、音楽で表現したいものは別ですか?
K「やっぱりアートより音楽の方が、もっと幅広い表現ができる余地があると思う。私にとって、アートはもっと分析的で概念的なものだから。でも、たとえばジムはそういう分析的な部分を音楽に取り入れられる人だと思うわ。曲作りにおいてって意味でね。そうじゃない?」
J「そうだね」
K「で、私はちょっと違うのよね。昔からやってきてることだし、ヴィジュアル・アートを作るのは好きよ。でも、音楽のいいところは、もっと……無意識でいられるところかな。とにかくアートとは違うのよね。音楽はもっと本能や直感に基づいている気がする」
●ちなみにオリーヴは以前彫刻家もやっていたと聞いたのですが。
O「僕が(笑)? うーん、彫刻家ってわけじゃなかったけど――」
K「でも視覚芸術のアーティストではあるわよね」
O「そうだね。絵画と写真を勉強してたし」
●ではあなたも、アートと音楽で表現できることは別のものだと思いますか?
O「うーん、そうでもないかも。DJっていうのは、ある意味絵を描いてるのと同じだと思うからね。特に僕は絵を勉強した経験があるから、音楽を説明する時にもアートの用語を使うし……」
K「もともと視覚的なタイプなんじゃない? それが音楽にも表われてるのかもよ」
O「そうだね。大学で習ったことが今でも頭から離れないっていうか、頭の中でいろいろ声がするんだよね(笑)」
●音楽でそれを発散しているとか?
O「まあ、発散する必要もないと思うけど(笑)……『頭がおかしくなる~』って感じ(笑)」
●では、ここでソニック・ユースの話をさせていただきますが、ソニック・ユースとしては昨年でデビューからちょうど20年目の節目を迎えたということで――。
K「そうだっけ(笑)?」
●(笑)今年に入って『GOO』のリマスター盤がリリースされたり、バンド・ヒストリーを追ったDVDがリリースされたりと総括的な動きもあるわけですが、振り返ってみて、あなたにとってソニック・ユースとしての20年はどんな20年だったといえますか?
K「うわ~(笑)」
J「もう30年は経った気がする(笑)?」
K「わからない……なんかこう、いろんなロック・スターの名言が頭をよぎるんだけど(笑)……そうね、言ってみれば、ソニック・ユースはユニークだったっていうか、たとえばドラッグに溺れたり、身を隠してみたり、一度解散して復活してみたりとか、そういうのが私たちには全くなかったから(笑)」
J「テレビ番組のネタにはならないね(笑)」
K「だから……何て言ったらいいのかわからないわ(笑)」
●じゃあたとえば、バンド活動の中で手にした最大の財産といえば?
K「それは……日本まで来てライヴができたり、大勢の優れたミュージシャンに出会えたり、ステージ袖からすごいライヴ・パフォーマンスを目撃したりっていう経験ね。いろんなバンドの最盛期もリアルタイムで見てきたし。ニルヴァーナ、ペイヴメント、ボアダムズの素晴らしいギグ……そういうことかな。ねえ、ジム?」
J「(不意を突かれて驚く)えっ(笑)?」
K「(笑)……そう、やっぱりそうやっていろんな偉大なバンドや音楽に触れることができたのは、ソニック・ユースにいたおかげだと思うわ。あとは……よくある話だけど、ステージでの魔法のような瞬間とか(笑)?」
●(笑)では逆に、最大の挫折とは?
K「挫折? ……(ジムの方を見る)」
J「(自分を指差して)僕(笑)?」
O「はははは。誰かが生贄にならないとね(笑)」
K「何だろう……(長い沈黙)……重大なものは何もないわ……私たちには、その後の作品がかすんでしまうほどヒットしてしまったアルバムなんてないし。結構よくあることよね。初めの1、2枚が大ヒットしちゃって、その後は忘れられてしまうってこと。そういうことにならなかったのはよかったと思う。私たちは、プロセスを大切にしてるっていうのかな。どこかにたどり着くのが目的なんじゃなくて、それまでの道のりを大事にするっていう。そんな感じだと思うけど」
●ちなみに、最新作を含めた16枚のアルバムの中で、一番好きなアルバム、一番思い入れの深いアルバムは何ですか?
K「それは……次の作品よ」
●いい答えですね(笑)。
K「(笑)。実際、それぞれのアルバムのいろんな曲に好きな部分があるのよね。だからどのアルバムも好きなんだけど、そうね、最新作は結構気に入ってる。それに、『ウォッシング・マシーン』、『デイドリーム・ネイション』も好き。『シスター』もそうだし……もうよくわからなくなってきた(笑)」
●おふたりはどうですか?
J&O「(顔を見合わせて笑う)」
K「実は1枚も聴いたことないんでしょ(笑)?」
全員「(爆笑)」
O「僕はソニック・ユースの音楽は全体的に好きだよ」
K「DJする時に、ソニック・ユースのレコードを使ったことある?」
O「あるよ。でも、他のバンドの音楽と組み合わせるのは難しいから、そのまま流すだけっていうか、普通のDJの時にね……昔の作品はカセット・テープで持ってるよ。僕は昔スケートボードをやってて、いつもラジカセを持ち歩いてたから、カセットを買ってたんだ」
K「オリーヴはカセット好きなのよね(笑)」
O「そう(笑)。だからそうやって昔テープで聴いてた曲を聴くとなつかしい気持ちになるんだ。スケートボードをやってた若い頃を思い出してね。僕は1日のうちでもいろんな音楽を聴くのが好きなんだ。ヴァラエティが大事なんだよ。だから好きなアルバムを1枚だけ選ぶのは難しい。自分の子供からひとりだけお気に入りを選ぶみたいでさ」
●ジムはどうですか?
J「僕の答えは簡単だよ。『EVOL』と『ウォッシング・マシーン』が好きなんだ」
●ここ数年、ニューヨークに端を発する形で、ストロークスやヤー・ヤー・ヤーズといった若い世代のバンドが盛り上がっています。これはスリーター・キニーのコリンやカレン・Oとも話したことなんですが、そうした一連の動きを見ていて疑問に思うのは、その中に女性ミュージシャンの姿を見る機会がとても少ないということです。たとえばニューヨーク・パンクの時代もロンドン・パンクの時代も、あるいはオルタナティヴなんて呼ばれ方をした時代にも、女性ミュージシャンの存在は時代やシーンと密接な関わりをもっていたと思うのですが。あなたとしては、女性ミュージシャンの現在についてはどのような意見をお持ちですか?
K「スリーター・キニーはすごく重要な存在よね。それにレ・ティグラ……Quix*o*ticのクリスティーナとミラも」
J「クリスティーナ・カーターとか」
K「そう、クリスティーナ・カーターも……とにかく、今活躍してる女性ミュージシャンはたくさん知ってるけど、ただもっと……アンダーグラウンドなのよね。確かにパンクの時代には、女性のミュージシャンが大勢いたわよね。で、その後の80年代にはほとんどいなくなって……」
J「90年代の初めもいなかったよね」
K「ああ、90年代の初めは特にそうね。その頃と比べると、今の方がもっと増えたと思うけど。今までにないくらい多いんじゃない? もちろん、メインストリームでの話じゃないけどね。それでも、実験的な音楽をやってる人の中に女性は多いと思うわ」
●あなたは表現する時に性差の壁というか難しさを感じることがありますか?
K「うーん……それはないわ。特にアートを作っている時はね。というか……実はあまり考えたことがないのよね」
●あなたにとって、「女性である」ということは、ミュージシャンとしてアーティストとして、どんな意味や価値を持っていると考えますか?
K「……何をしても謝らなくていい立場にいるってことかしら(笑)」
J「はははは」
K「それはともかく(笑)、ロックといえば男性ギタリストを指すっていう見方が浸透しているのは確かだけど、女性がその役を買って出ると、そこに違った意味が付加されて、それでまた音楽がもっとおもしろいものになれるのかもしれない……とにかく、男性とは別の感性なのよ。男性と女性が全く同じだとは言えないわけだし、性差というのは確かにあるのよね。そんな中で、ひとりひとりの女性の個性が……特に型にはまらない音楽の場合は、女性ミュージシャンの方が音楽の実験性の幅を広げていると思うけど。そう思わない?」
J「そのとおりだよ」
●今日はどうもありがとうございました。
K「ありがとう」
(2004/10)
(※2000年代の極私的“ビッチ”考……キム・ゴードンというゴッドマザー )
極私的2000年代考(仮)……USインディの肥沃場ボルチモアを伝えるサンプル
アメリカ東海岸に位置するメリーランド州ボルチモアは、近隣のワシントンDCやニューヨーク~ブルックリンにも引けを取らぬインディ・ロックの肥沃地として、近年とみに注目のスポットである。アニマル・コレクティヴのホームタウンとしても知られているが、ボルチモアが輩出した才能多き個性派アーティストの顔ぶれは、枚挙にいとまがない。
最も旬なところでは、最新作『ティーン・ドリーム』がNMEの2010年度ベスト・アルバムの3位に選ばれるなど称賛を得たビーチ・ハウス。昨年、ディアハンターやノー・エイジと合同ツアー「No Deachunter」を敢行して話題を呼んだダン・ディーコン。地元の「Monitor Records」傘下の「We Are Free」から傑作『Ice Cream Spiritual』をリリースしたポニーテイル。アニコレが主宰する「Paw Tracks」の姉妹レーベル「Carpark」が擁するレキシー・マウンテン・ボーイズやエクスタティック・サンシャイン、レッサー・ゴンザレス・アルヴァレスやWZT・ハーツといったシーンの顔役的なアーティストに、「Dischord」を代表する重鎮ラングフィッシュのVo.ダニエル・ヒッグスや元メンバーによるヒューマン・ベル。TV・オン・ザ・レディオのデイヴ・シーテックがプロデュースを手掛けたセレブレーション。「Ninja Tune」傘下の「Counter Records」所属のデス・セット。ちなみに、「Monitor」と「We Are Free」はバトルスやイェイセイヤーのデビュー作もリリースするなど、ボルチモアの音楽シーンは、2000年代以降のUSインディ・ロックの躍進を象徴するように活況を呈してきた。
そんな近年のボルチモア・シーンを代表するもう一組のバンドが、このサンキュー。2005年に結成されたトリオで、現在は同郷のフューチャー・アイランズやダブル・ダガー、ポニーテイル(元エクスタティック・サンシャイン)のダスティン・ウォングらと共に「Thrill Jockey」に在籍している。日本デビュー盤となる『ゴールデン・ウォーリー』は、通算3枚目のオリジナル・アルバムになる。
メンバー構成は、ギターのジェフリー・マッグラス、キーボードのマイケル・ボーユーカス、ドラムのエマニュエル・ニコライディス。ジェフリーとマイケルは、以前にそれぞれロ・モダと「Monitor」所属のモア・ドッグスというバンドで活動していた経歴をもつ。ちなみに、結成時のドラマーはエルク・KWという女性で、前作のセカンド・アルバム『Terrible Two』をレコーディング後にバンドを脱退。マイケルと同じモア・ドッグスの元メンバーで、バンドの初期にサポートを務めたこともあった友人のエマニュエルに声をかけて現体制に至った経緯がある。
ディスコグラフィーについて整理すると、ファースト・アルバムの『World City』がリリースされたのは2007年。レーベルは地元の「Wildfire Wildfire」。過去にはダン・ディーコンやダスティン・ウォングもリリースした新興レーベルで、サンキューは第2号アーティストだった。その『World City』をリリース直後、ダン・ディーコンの前座を務めたシカゴでのライヴを、以前からノー・エイジを通じて彼らに関心を寄せていた「Thrill Jockey」のオーナーのベッティーナ・リチャーズが目撃。同レーベルと契約に至り、翌年の2008年にセカンド・アルバム『Terrible Two』がリリースされた。ちなみに、両アルバムともレコーディング/エンジニアリングは、元ガヴァメント・イシュー~現在はチャンネルズを率いるDCハードコアの重要人物で、ポニーテイルやイェイセイヤーも手掛けたJ・ロビンズ。ミキシングは、ビーチ・ハウスやギャング・ギャング・ダンス、ヤー・ヤー・ヤーズ等の諸作で知られるクリス・コーディー。また、エマニュエルを迎えた現体制での初作品として、昨年EP『Pathetic Magic』がリリースされた。こちらはクリスとクレイグ・ボーウェン(グローイング、ジャッキー・O・マザーファッカーetc)が録音。新曲に加えてダン・ディーコンやラングフィッシュのG.アサ・オズボーンによるリミックスが収録されている。
“ノー・ウェイヴの渦巻に吸い上げられたマイルス・デイヴィス『オン・ザ・コーナー』”とも評されるサンキューのサウンド。たとえばジェフリーはラングフィッシュから多大な影響を受けたと語るが、そうしたハードコアの爆発力を源泉とした狂騒的なグルーヴの一方、なるほど「Thrill Jockey」が見初めたのも頷ける、ジャズやファンクからアヴァンギャルドやマス・ロックまで昇華した多彩極まるサウンド構築や音響造形もそこには窺える。その両極端な特性は、彼らの作品を手掛けてきたJ・ロビンズ/クリス・コーディー両氏の背景(の違い)にも象徴的だが、もっともダン・ディーコンやポニーテイルなど周りを見渡せば、それはボルチモアの同世代のアーティストに共通した在り方なのかもしれない。ちなみに、ジェフリーとマイケルはインタヴューで「『ホワイト・アルバム』か『ペット・サウンズ』か?」という質問に、前者派と即答している。そこには、むしろ後者が圧倒的な影響力を及ぼしている現在のUSインディ・シーンにおける、彼ら独自の「サイケデリック(・ミュージック)」観のようなものも垣間見えるが、ともあれ、スウェル・マップスやディス・ヒートといったポスト・パンク~レコメン系からドッグ・フェイスド・ハーマンズのようなアナーコ・パンクとも比せられる彼らのサウンドは、メンバー個々のリスナー経験の蓄積という以上に、彼の地ならではの「磁場」がもたらした部分が大きいのではないかと想像できる。
本作を手掛けたのは、前2作とは異なり、クリス・コーディーとクリス・ムーア(TV・オン・ザ・レディオ、ヤー・ヤー・ヤーズ、フォールズetc)という布陣。エマニュエルをドラマーに迎えた初のスタジオ・アルバムであり、レコーディングにはムーグやハーモニカ、ハープや60年代製のヴィンテージ・オルガンなど新たな楽器も導入された。当初は前ドラマーのエルクの不在を埋めるため試行錯誤が続いたようだが、バトルスやミ・アミ等とのツアーやライヴを通じて練り上げてきたというサウンドは、先行のEP『Pathetic Magic』が予告した通り目覚ましい成果を披露している。
痙攣的なギターとタイトなドラムがユニゾンしながら、渾然一体とアンサンブルをドリフトさせる“Pathetic Magic”。魔笛のようなキーボードに導かれ、アモン・デュールも思わす秘祭めいた禍々しいジャムを展開する“Strange All”。サンキューらしい分裂的でトラッシーな“Continental Divide”。対して、ノー・エイジのようにストレートな疾走感溢れる“1-2-3 Bad”。あるいは、イーノやクラスターを連想させる未来的なエレクトロニクスの響きが印象的な“Birth Reunion”、コノノNO.1とも比せられるアフロ~トライバルなビートを叩く“Can't/Can”のようなナンバーもある。ちなみに、マイケルは事前のインタヴューで「リベラーチェ(※50年代初頭、奇抜なコスチュームで一世を風靡したアメリカ人ピアニスト/エンターテナー)のようなサウンドにしたい」と本作について語っていた。またジェフリーによれば、エマニュエルの加入によってバンドはより緊密でインタラクティヴなプレイが可能になったという。そして、前作『Terrible Two』は全編インストゥルメンタルで、ヴォーカルも効果音程度のさえずりだったのに対して、本作では“Birth Reunion”や“Can't/Can”をはじめ随所で歌唱やコーラスとして“歌っている”点も大きな特徴だろう。
なお、日本盤ボーナストラックとして、EP『Pathetic Magic』収録のダン・ディーコンによるリミックス、未発表曲の“The Whale”をコンパイル。また本作のリリースと併せて前作『Terrible Two』のデジタル・リリースも予定されている。才能ひしめくボルチモア・シーンの真打ち、いや、2010年代のUSインディ・シーンを騒がす個性派の一角として、その動向に注目したい。
(2010/12)
最も旬なところでは、最新作『ティーン・ドリーム』がNMEの2010年度ベスト・アルバムの3位に選ばれるなど称賛を得たビーチ・ハウス。昨年、ディアハンターやノー・エイジと合同ツアー「No Deachunter」を敢行して話題を呼んだダン・ディーコン。地元の「Monitor Records」傘下の「We Are Free」から傑作『Ice Cream Spiritual』をリリースしたポニーテイル。アニコレが主宰する「Paw Tracks」の姉妹レーベル「Carpark」が擁するレキシー・マウンテン・ボーイズやエクスタティック・サンシャイン、レッサー・ゴンザレス・アルヴァレスやWZT・ハーツといったシーンの顔役的なアーティストに、「Dischord」を代表する重鎮ラングフィッシュのVo.ダニエル・ヒッグスや元メンバーによるヒューマン・ベル。TV・オン・ザ・レディオのデイヴ・シーテックがプロデュースを手掛けたセレブレーション。「Ninja Tune」傘下の「Counter Records」所属のデス・セット。ちなみに、「Monitor」と「We Are Free」はバトルスやイェイセイヤーのデビュー作もリリースするなど、ボルチモアの音楽シーンは、2000年代以降のUSインディ・ロックの躍進を象徴するように活況を呈してきた。
そんな近年のボルチモア・シーンを代表するもう一組のバンドが、このサンキュー。2005年に結成されたトリオで、現在は同郷のフューチャー・アイランズやダブル・ダガー、ポニーテイル(元エクスタティック・サンシャイン)のダスティン・ウォングらと共に「Thrill Jockey」に在籍している。日本デビュー盤となる『ゴールデン・ウォーリー』は、通算3枚目のオリジナル・アルバムになる。
メンバー構成は、ギターのジェフリー・マッグラス、キーボードのマイケル・ボーユーカス、ドラムのエマニュエル・ニコライディス。ジェフリーとマイケルは、以前にそれぞれロ・モダと「Monitor」所属のモア・ドッグスというバンドで活動していた経歴をもつ。ちなみに、結成時のドラマーはエルク・KWという女性で、前作のセカンド・アルバム『Terrible Two』をレコーディング後にバンドを脱退。マイケルと同じモア・ドッグスの元メンバーで、バンドの初期にサポートを務めたこともあった友人のエマニュエルに声をかけて現体制に至った経緯がある。
ディスコグラフィーについて整理すると、ファースト・アルバムの『World City』がリリースされたのは2007年。レーベルは地元の「Wildfire Wildfire」。過去にはダン・ディーコンやダスティン・ウォングもリリースした新興レーベルで、サンキューは第2号アーティストだった。その『World City』をリリース直後、ダン・ディーコンの前座を務めたシカゴでのライヴを、以前からノー・エイジを通じて彼らに関心を寄せていた「Thrill Jockey」のオーナーのベッティーナ・リチャーズが目撃。同レーベルと契約に至り、翌年の2008年にセカンド・アルバム『Terrible Two』がリリースされた。ちなみに、両アルバムともレコーディング/エンジニアリングは、元ガヴァメント・イシュー~現在はチャンネルズを率いるDCハードコアの重要人物で、ポニーテイルやイェイセイヤーも手掛けたJ・ロビンズ。ミキシングは、ビーチ・ハウスやギャング・ギャング・ダンス、ヤー・ヤー・ヤーズ等の諸作で知られるクリス・コーディー。また、エマニュエルを迎えた現体制での初作品として、昨年EP『Pathetic Magic』がリリースされた。こちらはクリスとクレイグ・ボーウェン(グローイング、ジャッキー・O・マザーファッカーetc)が録音。新曲に加えてダン・ディーコンやラングフィッシュのG.アサ・オズボーンによるリミックスが収録されている。
“ノー・ウェイヴの渦巻に吸い上げられたマイルス・デイヴィス『オン・ザ・コーナー』”とも評されるサンキューのサウンド。たとえばジェフリーはラングフィッシュから多大な影響を受けたと語るが、そうしたハードコアの爆発力を源泉とした狂騒的なグルーヴの一方、なるほど「Thrill Jockey」が見初めたのも頷ける、ジャズやファンクからアヴァンギャルドやマス・ロックまで昇華した多彩極まるサウンド構築や音響造形もそこには窺える。その両極端な特性は、彼らの作品を手掛けてきたJ・ロビンズ/クリス・コーディー両氏の背景(の違い)にも象徴的だが、もっともダン・ディーコンやポニーテイルなど周りを見渡せば、それはボルチモアの同世代のアーティストに共通した在り方なのかもしれない。ちなみに、ジェフリーとマイケルはインタヴューで「『ホワイト・アルバム』か『ペット・サウンズ』か?」という質問に、前者派と即答している。そこには、むしろ後者が圧倒的な影響力を及ぼしている現在のUSインディ・シーンにおける、彼ら独自の「サイケデリック(・ミュージック)」観のようなものも垣間見えるが、ともあれ、スウェル・マップスやディス・ヒートといったポスト・パンク~レコメン系からドッグ・フェイスド・ハーマンズのようなアナーコ・パンクとも比せられる彼らのサウンドは、メンバー個々のリスナー経験の蓄積という以上に、彼の地ならではの「磁場」がもたらした部分が大きいのではないかと想像できる。
本作を手掛けたのは、前2作とは異なり、クリス・コーディーとクリス・ムーア(TV・オン・ザ・レディオ、ヤー・ヤー・ヤーズ、フォールズetc)という布陣。エマニュエルをドラマーに迎えた初のスタジオ・アルバムであり、レコーディングにはムーグやハーモニカ、ハープや60年代製のヴィンテージ・オルガンなど新たな楽器も導入された。当初は前ドラマーのエルクの不在を埋めるため試行錯誤が続いたようだが、バトルスやミ・アミ等とのツアーやライヴを通じて練り上げてきたというサウンドは、先行のEP『Pathetic Magic』が予告した通り目覚ましい成果を披露している。
痙攣的なギターとタイトなドラムがユニゾンしながら、渾然一体とアンサンブルをドリフトさせる“Pathetic Magic”。魔笛のようなキーボードに導かれ、アモン・デュールも思わす秘祭めいた禍々しいジャムを展開する“Strange All”。サンキューらしい分裂的でトラッシーな“Continental Divide”。対して、ノー・エイジのようにストレートな疾走感溢れる“1-2-3 Bad”。あるいは、イーノやクラスターを連想させる未来的なエレクトロニクスの響きが印象的な“Birth Reunion”、コノノNO.1とも比せられるアフロ~トライバルなビートを叩く“Can't/Can”のようなナンバーもある。ちなみに、マイケルは事前のインタヴューで「リベラーチェ(※50年代初頭、奇抜なコスチュームで一世を風靡したアメリカ人ピアニスト/エンターテナー)のようなサウンドにしたい」と本作について語っていた。またジェフリーによれば、エマニュエルの加入によってバンドはより緊密でインタラクティヴなプレイが可能になったという。そして、前作『Terrible Two』は全編インストゥルメンタルで、ヴォーカルも効果音程度のさえずりだったのに対して、本作では“Birth Reunion”や“Can't/Can”をはじめ随所で歌唱やコーラスとして“歌っている”点も大きな特徴だろう。
なお、日本盤ボーナストラックとして、EP『Pathetic Magic』収録のダン・ディーコンによるリミックス、未発表曲の“The Whale”をコンパイル。また本作のリリースと併せて前作『Terrible Two』のデジタル・リリースも予定されている。才能ひしめくボルチモア・シーンの真打ち、いや、2010年代のUSインディ・シーンを騒がす個性派の一角として、その動向に注目したい。
(2010/12)
2011年12月27日火曜日
予定
来年からここで、ゆる~い感じのカセット・リリース専門のレヴューを始める予定。始めました。
140字未満でサクサクと書いていきたい。マチマチです。
誰か始めるかなー、と思ったけど誰もやる気がないみたいだし。海外では盛んですが。
スケジュールもゆる~い感じでいきますので、よろしくお願いします。わりとがんばってます。
あとそれと、日本の音楽についてもそろそろ本腰入れて書きたい。いやマジで。
自分のこの目で見たものを正確に記録したいと思う。がんばります。
誰か始めるかなー、と思ったけど誰もやる気がないみたいだし。海外では盛んですが。
スケジュールも
あとそれと、日本の音楽についてもそろそろ本腰入れて書きたい。いやマジで。
自分のこの目で見たものを正確に記録したいと思う。がんばります。
2011年12月14日水曜日
2010年代の極私的“ビッチ”考……ビョーク『バイオフィリア』(※草稿)
ビョークのキャリアはこれまでも「リミックス」とともにあった。もっともビョークの場合の「リミックス」とは、世間一般でいう既存曲の再編集を意味するものから、それこそ毎回多彩なコラボレーターを招いて自身のアイディアを再構成していくアルバム制作のプロセス自体も指した、広義の解釈を含む。セカンド『ポスト』のリミックス・アルバム『テレグラム』のブックレットには、「彼らのミキシング・デスクのための材料になりえたことを、私と私の歌がいかに誇りに感じているか、リミキサーたちに伝えたいと思います」と彼女の言葉が記されていた。そうして音楽に限らずアートに関わる行為を、自己完結的な作業ではなく、他者を巻き込むダイアロジカルな機会として捉え直すことに価値を見出す姿勢は、映像やファッションの世界にも跨るすべてのクリエイションに一貫した彼女の哲学といえるものだろう。そこでは、ビョークというマルチタスクな才能と「リミックス」というバイラルなアート・フォームが相乗することで、「作品」は一回性に留め置かれることなく、多次創作的なヴァリエーションを潜在化したアート・ピースとして提示されていた。
ビョークの最新作『バイオフィリア』の最大のトピックは、それが特設のウェブサイトと連携したiPad/iPhone用アプリケーションとしてデジタル・リリースされたことだろう。「各アプリのコンテンツは次のようなものを含む:楽曲の科学的かつ音楽的な題材に基づいたインタラクティブなゲーム、楽曲のミュージカル・アニメーション、アニメーション化されたスコア、歌詞、そして学術論文など。ゲームはその楽曲の音楽的な要素を操ることによって自分のヴァージョンを創りながらさまざまな音楽的機能を学ぶことができる。ミュージカル・アニメーションとアニメーション化されたスコアは、伝統的な方法と革新的な方法で視覚的に音楽を描くことが出来る。学術論文は各楽曲、各アプリのテーマが音楽的にどのように実現したかを解説する」(『バイオフィリア』プレスシートより)。すなわち、リスナーは作品を「聴く」だけに留まらず、アプリを通じて『バイオフィリア』の世界を「学ぶ」機会を得られ、さらに楽曲の「(二次)創作」を体験することができる。過去にブライアン・イーノがアプリ用の作品を発表したり、レディオヘッドがリミックス素材をiTunesでリリースしたことはあったが、今回のビョークのような試みは例を見ない。『バイオフィリア』とは、いわばオープンソースなソフトウェアであり、一種の「リミックス・アルバム」であることをあらかじめ意図された構造を持つマルチメディア・プロジェクトと呼べるだろう。
ビョークはリリースに先立ちWIRED誌のインタヴューに応えて、『バイオフィリア』の出発点が「身体的な体験(physical experience)」を目的としたプロジェクトだったと語っている。映画『レナードの朝』の原著でも有名なオリヴァー・サックスが発表した音楽と神経学の関係に関する研究書『Musicophilia(音楽嗜好症)』に触発され、当初はアルバムとは別に、美術館のような巨大な施設で上映される3D IMAX版の映画として企画されたものだったという。結局、あまりに大掛かりな規模となるため映画化は断念されたが、その構想はタッチスクリーンという新たな直感的コントロール・デヴァイスの登場により、今回のアプリ版の開発・リリースというかたちへと受け継がれることとなった。その上でビョークは、今回のプロジェクトのテーマのひとつに「教育」を掲げていて、アプリを通じたインタラクションしかり、既報によればアルバムと連動した作曲や演奏のワークショップの開催も計画されているという。そうした展開も含めて『バイオフィリア』とは、まさに「体験学習」のプログラムといえそうだが、またビョーク自身にとっても今回の制作過程は、天体物理学から地域・比較文化論まで広範なリサーチを要する「学習期間」だったようだ。
ところで、ビョークは6年前に『拘束のドローング9』というアルバムを発表した。それは彼女も参加した現代美術家マシュー・バーニー――『ヴェスパタイン』のツアーで使用されたガラス製オルゴールの制作者、と説明したほうが通りはいいか――による同名の映像作品のサウンドトラックで、本編は日本を舞台に茶道や捕鯨を題材とした叙事詩的世界を、叙事詩的世界を、バーニーとビョーク演じる男女のラヴストーリーを軸に神話的なスケールで描いた作品だった。そのプロジェクト制作にあたり彼らが日本文化をリサーチした際、なかでも伊勢神宮の「システム」に興味を引かれたというエピソードが印象に残っている。そのシステムとは「式年遷宮」と呼ばれる飛鳥時代からの制度で、20年ごとに神宮の正殿・全社殿が造替再建されるという、物質的な新陳代謝を恒常的かつ定期的に行う特殊な建築儀式に関心を抱いたようだ。あるいはまた、作品に関連したインタヴューに答えてビョークが、日本の「神仏習合(※土着の信仰と外来の仏教信仰を折衷して、ひとつの信仰体系として再構築すること)」に共感を示す発言をしていたことを思い出す。
『拘束のドローイング』は、元フットボール選手で大学時代に医学を学んだバーニーの経験が反映された連作で、「ある抵抗下で身体が発達していく(筋肉トレーニング)」という生理学的な考察から、「負荷=拘束」を発達に不可欠なもの、すなわち創造性の媒体として提示したプロジェクトだった。9作目となる『拘束のドローング9』では、転じて、日本文化の伝統や儀式性が象徴する「拘束」からの解放のイメージが、バーニーとビョークの身体を通じて官能性やエロティシズムとともに表現されていた。ディティールは省くが、その、ある存在が確定的な状態を解かれて不確定な状態へと変化するサイクルにおいて新たなヴィジョンが更新されるというモデルこそ、バーニーが伊勢神宮の「式年遷宮」に見たものと相似形であることはいうまでもない。またそれとは、『拘束』と制作時期の重なる別のプロジェクト『クレマスター(※胎児期に男性性と女性性の分化を左右する組織)』で表現された、生物や存在の「変異・変容」をめぐるオブセッシヴな想像力の延長上に位置するものでもあった。そうした根底には、拘束と解放、秩序と衝突、あるいは身体とアートといった「ふたつの異なるものの間に存在するもの」「ふたつの異なるものの間の関係作用」に創造のダイナミズムを見るバーニーの強い動機が横たわっている。
「科学と自然の要素、そして音楽学を継ぎ目なく織り込みたかった」とビョークは『バイオフィリア』について語っている。そして「自然科学と感情の混合」というコンセプトは、たとえば閉所恐怖症を題材としたマシュー・バーニーと共作のダーク・オペラ“ホロウ”や、ウィルスとのラヴソングという“ヴァイラス”、水晶の結晶形やDNAの配列構造をトラックの複雑性に見立てた“クリスタライン”など、各楽曲に趣向を凝らして投影されている。もっとも、テクノロジーと自然、エレクトロニックとオーガニックなものの関係を寓話的なタッチで擬人化するような作風はこれまでもビョークの得意だが、加えて、前作『ヴォルタ』のツアーでお披露目したタッチスクリーン型コントロール・デヴァイス「Lemur」やiPadによって実現した身体性と同期した直感的な音の操作が、彼女のイマジネーションを飛躍させた。より感覚的なアイディアや演奏を反映したソングライティングが可能となり、鼻歌がそのままメロディに、散歩する足取りがそのままBPMやリズムに置き換えられ、さらにはプログラミング処理された自然界のアルゴリズムから曲のパターンを起こすなんて試みもアルバムでは行われている。
極めつけは、今回のレコーディングのために制作されたカスタムメイドの楽器群だ。MIDI対応のガムランとチェレスタの合体楽器「ガムレスト」、プレイステーションのコントローラーで操作する木製パイプオルガン、iPadが信号処理する重力アルゴリズムで制御された高さ3mの振り子状ハープ演奏機械「アルミニウム・ペンデュラム」など、いずれもアルバムの世界観/コンセプトを実装したオリジナルの発明品である。しかしそれらは、単なる最先端のテクノロジーとアコースティック楽器の融合といった代物ではない。今作のミュージック・ソフトウェア・プログラムを指揮したダミアン・テイラーは、その操作性を「脳と楽器をプラグで直結された演奏」「装置と対話しながら作曲できる感覚」と語っている。したがって、通常の楽器演奏とは勝手が違って思いがけない音が飛び出し、またそれに刺激されて新たなアイディアが湧くという連鎖反応が生まれる。つまりそれは、既存の電気楽器的な身体性を媒介としたテクノロジーのアウトプットではなく、テクノロジーを媒介とした身体性のアンプリファイという、演奏と音楽の関係を更新するまったく新たな体験ということだ。そこには、いわば“テクノロジーこそが新たな身体性(身体的表現)をもたらす”というビョークの確信が窺える。そしてその体験とは、アートと自然科学という異なる体系の折衷を試みた今作のコンセプトにふさわしい、まさに身体性とテクノロジーの「習合」と呼ぶべきものだろう。
そしてこのことに倣えば、『バイオフィリア』とはビョークとリスナーを「習合」するアルバム――ともいえるはずだ。『バイオフィリア』というプロジェクトにおいてビョークとリスナーは、アプリやワークショップを通じて直結された関係を築き、その学習や体験を促すプログラムによって対話的に営まれる新たな創造(多次創作)を可能性として孕んでいる。つまり極論すれば、そうすることでリスナーは「作り手」となり自分だけの『バイオフィリア』をカスタムメイドすることができ、ビョーク自身もまた「5000曲作ろうと思えばできるわ!」と語り、今作が“付け足す”という考えが中心に置かれた「進行中のプロジェクト」であることを示唆する(※リミックス音源が先行シングルだったことは象徴的だ)。そしていうまでもなく、そうした絶えざる変化と更新を創造的命題とした『バイオフィリア』の「システム」には、伊勢神宮の式年遷宮における新陳代謝のアナロジーを見ることができるだろう。そのことはたとえば、制作工程の実質90%は自身による編集作業だったという前作『ヴォルタ』の完結性とは対照的にも映る。つまりビョークは、不特定多数のリスナーまでもコラボレーターとして巻き込むことで「リミックス(・アルバムであること)」を(潜在的に)常態化し、アーティスト個々人の作家性という閉じた円環から「作品」を解放した。そうして「音楽家/聴衆」という従来の二項対立的な関係が書き換えられた結果、多中心的(N次的)に「作品」が創作される可能性を内在した『バイオフィリア』の展開は、音楽が「音楽」としてのみならず、作り手と受け手を媒介するコミュニケーション・ツールとして消費されるようなソーシャル・カルチャー以降の在り方も想起させるものだ。
もっとも、何よりビョークが掲げた「教育」こそ、バーニーが探求を続ける「拘束と発達」を具現化したテーマに他ならない。一連のプロジェクトを通じた教化・啓蒙への「リアクション」こそが新たな創造をもたらすことを、ビョークは期待している。そうした多様な音の繋がりが連鎖を生み、響きの波紋となって『バイオフィリア』の世界を拡張していく――。それは、これまでつねに他者と交わることで自身をアップデート(カスタムメイド)し続けてきたビョークにとって、ひとつの理論的帰結と呼べるものでもあるだろう。その『バイオフィリア』が描き出すであろう展望には、音楽やアートと、自然やテクノロジーと、そして私たちリスナーとビョークとの“豊かな出会い直し”を見ることができる。
(2011/11)
※『バイオフィリア』は初音ミク(的なソフト)なのかもしれない。
ビョークの最新作『バイオフィリア』の最大のトピックは、それが特設のウェブサイトと連携したiPad/iPhone用アプリケーションとしてデジタル・リリースされたことだろう。「各アプリのコンテンツは次のようなものを含む:楽曲の科学的かつ音楽的な題材に基づいたインタラクティブなゲーム、楽曲のミュージカル・アニメーション、アニメーション化されたスコア、歌詞、そして学術論文など。ゲームはその楽曲の音楽的な要素を操ることによって自分のヴァージョンを創りながらさまざまな音楽的機能を学ぶことができる。ミュージカル・アニメーションとアニメーション化されたスコアは、伝統的な方法と革新的な方法で視覚的に音楽を描くことが出来る。学術論文は各楽曲、各アプリのテーマが音楽的にどのように実現したかを解説する」(『バイオフィリア』プレスシートより)。すなわち、リスナーは作品を「聴く」だけに留まらず、アプリを通じて『バイオフィリア』の世界を「学ぶ」機会を得られ、さらに楽曲の「(二次)創作」を体験することができる。過去にブライアン・イーノがアプリ用の作品を発表したり、レディオヘッドがリミックス素材をiTunesでリリースしたことはあったが、今回のビョークのような試みは例を見ない。『バイオフィリア』とは、いわばオープンソースなソフトウェアであり、一種の「リミックス・アルバム」であることをあらかじめ意図された構造を持つマルチメディア・プロジェクトと呼べるだろう。
ビョークはリリースに先立ちWIRED誌のインタヴューに応えて、『バイオフィリア』の出発点が「身体的な体験(physical experience)」を目的としたプロジェクトだったと語っている。映画『レナードの朝』の原著でも有名なオリヴァー・サックスが発表した音楽と神経学の関係に関する研究書『Musicophilia(音楽嗜好症)』に触発され、当初はアルバムとは別に、美術館のような巨大な施設で上映される3D IMAX版の映画として企画されたものだったという。結局、あまりに大掛かりな規模となるため映画化は断念されたが、その構想はタッチスクリーンという新たな直感的コントロール・デヴァイスの登場により、今回のアプリ版の開発・リリースというかたちへと受け継がれることとなった。その上でビョークは、今回のプロジェクトのテーマのひとつに「教育」を掲げていて、アプリを通じたインタラクションしかり、既報によればアルバムと連動した作曲や演奏のワークショップの開催も計画されているという。そうした展開も含めて『バイオフィリア』とは、まさに「体験学習」のプログラムといえそうだが、またビョーク自身にとっても今回の制作過程は、天体物理学から地域・比較文化論まで広範なリサーチを要する「学習期間」だったようだ。
ところで、ビョークは6年前に『拘束のドローング9』というアルバムを発表した。それは彼女も参加した現代美術家マシュー・バーニー――『ヴェスパタイン』のツアーで使用されたガラス製オルゴールの制作者、と説明したほうが通りはいいか――による同名の映像作品のサウンドトラックで、本編は日本を舞台に茶道や捕鯨を題材とした叙事詩的世界を、叙事詩的世界を、バーニーとビョーク演じる男女のラヴストーリーを軸に神話的なスケールで描いた作品だった。そのプロジェクト制作にあたり彼らが日本文化をリサーチした際、なかでも伊勢神宮の「システム」に興味を引かれたというエピソードが印象に残っている。そのシステムとは「式年遷宮」と呼ばれる飛鳥時代からの制度で、20年ごとに神宮の正殿・全社殿が造替再建されるという、物質的な新陳代謝を恒常的かつ定期的に行う特殊な建築儀式に関心を抱いたようだ。あるいはまた、作品に関連したインタヴューに答えてビョークが、日本の「神仏習合(※土着の信仰と外来の仏教信仰を折衷して、ひとつの信仰体系として再構築すること)」に共感を示す発言をしていたことを思い出す。
『拘束のドローイング』は、元フットボール選手で大学時代に医学を学んだバーニーの経験が反映された連作で、「ある抵抗下で身体が発達していく(筋肉トレーニング)」という生理学的な考察から、「負荷=拘束」を発達に不可欠なもの、すなわち創造性の媒体として提示したプロジェクトだった。9作目となる『拘束のドローング9』では、転じて、日本文化の伝統や儀式性が象徴する「拘束」からの解放のイメージが、バーニーとビョークの身体を通じて官能性やエロティシズムとともに表現されていた。ディティールは省くが、その、ある存在が確定的な状態を解かれて不確定な状態へと変化するサイクルにおいて新たなヴィジョンが更新されるというモデルこそ、バーニーが伊勢神宮の「式年遷宮」に見たものと相似形であることはいうまでもない。またそれとは、『拘束』と制作時期の重なる別のプロジェクト『クレマスター(※胎児期に男性性と女性性の分化を左右する組織)』で表現された、生物や存在の「変異・変容」をめぐるオブセッシヴな想像力の延長上に位置するものでもあった。そうした根底には、拘束と解放、秩序と衝突、あるいは身体とアートといった「ふたつの異なるものの間に存在するもの」「ふたつの異なるものの間の関係作用」に創造のダイナミズムを見るバーニーの強い動機が横たわっている。
「科学と自然の要素、そして音楽学を継ぎ目なく織り込みたかった」とビョークは『バイオフィリア』について語っている。そして「自然科学と感情の混合」というコンセプトは、たとえば閉所恐怖症を題材としたマシュー・バーニーと共作のダーク・オペラ“ホロウ”や、ウィルスとのラヴソングという“ヴァイラス”、水晶の結晶形やDNAの配列構造をトラックの複雑性に見立てた“クリスタライン”など、各楽曲に趣向を凝らして投影されている。もっとも、テクノロジーと自然、エレクトロニックとオーガニックなものの関係を寓話的なタッチで擬人化するような作風はこれまでもビョークの得意だが、加えて、前作『ヴォルタ』のツアーでお披露目したタッチスクリーン型コントロール・デヴァイス「Lemur」やiPadによって実現した身体性と同期した直感的な音の操作が、彼女のイマジネーションを飛躍させた。より感覚的なアイディアや演奏を反映したソングライティングが可能となり、鼻歌がそのままメロディに、散歩する足取りがそのままBPMやリズムに置き換えられ、さらにはプログラミング処理された自然界のアルゴリズムから曲のパターンを起こすなんて試みもアルバムでは行われている。
極めつけは、今回のレコーディングのために制作されたカスタムメイドの楽器群だ。MIDI対応のガムランとチェレスタの合体楽器「ガムレスト」、プレイステーションのコントローラーで操作する木製パイプオルガン、iPadが信号処理する重力アルゴリズムで制御された高さ3mの振り子状ハープ演奏機械「アルミニウム・ペンデュラム」など、いずれもアルバムの世界観/コンセプトを実装したオリジナルの発明品である。しかしそれらは、単なる最先端のテクノロジーとアコースティック楽器の融合といった代物ではない。今作のミュージック・ソフトウェア・プログラムを指揮したダミアン・テイラーは、その操作性を「脳と楽器をプラグで直結された演奏」「装置と対話しながら作曲できる感覚」と語っている。したがって、通常の楽器演奏とは勝手が違って思いがけない音が飛び出し、またそれに刺激されて新たなアイディアが湧くという連鎖反応が生まれる。つまりそれは、既存の電気楽器的な身体性を媒介としたテクノロジーのアウトプットではなく、テクノロジーを媒介とした身体性のアンプリファイという、演奏と音楽の関係を更新するまったく新たな体験ということだ。そこには、いわば“テクノロジーこそが新たな身体性(身体的表現)をもたらす”というビョークの確信が窺える。そしてその体験とは、アートと自然科学という異なる体系の折衷を試みた今作のコンセプトにふさわしい、まさに身体性とテクノロジーの「習合」と呼ぶべきものだろう。
そしてこのことに倣えば、『バイオフィリア』とはビョークとリスナーを「習合」するアルバム――ともいえるはずだ。『バイオフィリア』というプロジェクトにおいてビョークとリスナーは、アプリやワークショップを通じて直結された関係を築き、その学習や体験を促すプログラムによって対話的に営まれる新たな創造(多次創作)を可能性として孕んでいる。つまり極論すれば、そうすることでリスナーは「作り手」となり自分だけの『バイオフィリア』をカスタムメイドすることができ、ビョーク自身もまた「5000曲作ろうと思えばできるわ!」と語り、今作が“付け足す”という考えが中心に置かれた「進行中のプロジェクト」であることを示唆する(※リミックス音源が先行シングルだったことは象徴的だ)。そしていうまでもなく、そうした絶えざる変化と更新を創造的命題とした『バイオフィリア』の「システム」には、伊勢神宮の式年遷宮における新陳代謝のアナロジーを見ることができるだろう。そのことはたとえば、制作工程の実質90%は自身による編集作業だったという前作『ヴォルタ』の完結性とは対照的にも映る。つまりビョークは、不特定多数のリスナーまでもコラボレーターとして巻き込むことで「リミックス(・アルバムであること)」を(潜在的に)常態化し、アーティスト個々人の作家性という閉じた円環から「作品」を解放した。そうして「音楽家/聴衆」という従来の二項対立的な関係が書き換えられた結果、多中心的(N次的)に「作品」が創作される可能性を内在した『バイオフィリア』の展開は、音楽が「音楽」としてのみならず、作り手と受け手を媒介するコミュニケーション・ツールとして消費されるようなソーシャル・カルチャー以降の在り方も想起させるものだ。
もっとも、何よりビョークが掲げた「教育」こそ、バーニーが探求を続ける「拘束と発達」を具現化したテーマに他ならない。一連のプロジェクトを通じた教化・啓蒙への「リアクション」こそが新たな創造をもたらすことを、ビョークは期待している。そうした多様な音の繋がりが連鎖を生み、響きの波紋となって『バイオフィリア』の世界を拡張していく――。それは、これまでつねに他者と交わることで自身をアップデート(カスタムメイド)し続けてきたビョークにとって、ひとつの理論的帰結と呼べるものでもあるだろう。その『バイオフィリア』が描き出すであろう展望には、音楽やアートと、自然やテクノロジーと、そして私たちリスナーとビョークとの“豊かな出会い直し”を見ることができる。
(2011/11)
※『バイオフィリア』は初音ミク(的なソフト)なのかもしれない。
2011年12月8日木曜日
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