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2014年10月30日木曜日
2014年10月21日火曜日
極私的2010年代考(仮)……Zammuto『Zammuto』
今年2012年の1月、ザ・ブックスの解散がメンバーのニック・ツァームトの口から伝えられた。デビュー・アルバム『Thought for Food』がリリースされた2002年から数えてちょうど10年。一昨年に4作目となる『The Way Out』を発表後、映画監督のジム・ジャームッシュがキュレーターを務めたオール・トゥモローズ・パーティーズへの出演を含む大規模な北米ツアーを敢行。昨年リイシューされた初期の3枚のアルバムの編集作業を終えて一段落し、タイミング的にはニュー・アルバムに向けた準備がそろそろ始まろうかという矢先の、それは唐突な出来事だった。
ニックは解散の報告に合せてPitchforkのインタヴューに答えている。その記事では、事前にニックと交わされたメールも引用しながら、解散に関するコメントが短く伝えられた。
実質的にラスト・アルバムとなった『The Way Out』は、前作『Lost & Safe』のリリースから5年のブランクを挟み、この先もザ・ブックスを続けていけるかどうかを確認するための、いわば楽観的な試みだった。そして、これ以上は前に進めないと悟ったときは、計り知れない苦痛を感じた。最後はザ・ブックスから「空気が抜けてしまった」ような感覚だった。それはまさに、アルバムのタイトルが暗示していたような結末(※Way Out=出口)を迎えてしまった、と。
しかし、核心となる解散の理由や経緯については、そこでも明かされることはなかった。「それは誰のためにもならない。自分の胸にしまっておいた方がいい」としながらも、そこには感情的なしこりのようなものも窺えた。ただ、「この先ふたたび一緒に何かをすることはないだろう」、そして「それは不幸なことだが、結果としてザ・ブックスという看板を下ろすことを意味していた」とだけ語り、解散についてのコメントは閉じられている。ちなみに、現時点で元相方のポール・デ・ヨングの側からは、今回の件に関してはまだ一切語られていない。
もっとも、『The Way Out』リリース時のインタヴューによれば、そもそもふたりが共同作業をするのは週に1度、それも2、3時間程度で、普段から個別に音作りを進め、顔を合わせた際に進捗状況を確認し互いの音素材を交換し合うといった、ほとんど分業制みたいなものだったという。それがどの時点からだったのか、それとも最初からだったのか、あるいは何か理由があったのか詳細は知らないが、ともあれ、ふたりがそれぞれ独自のヴィジョンや理念に基づき創作を行う音楽家であったことは間違いない。また、『The Way Out』前後の大きな変化として、互いに家庭を持ち、さらに子供を授かり、物理的にふたりの時間が取りにくくなった、という事情もあったかもしれない。しかし一方で、ふたりは2005年のサード・アルバム『Lost and Safe』直後に初めての本格的なツアーを行い、「共感覚体験(Synesthetic Experience)」をテーマに掲げて演奏とサンプリング、そしてビデオ・プロジェクターの映像とのシンクロニシティを実践したライヴ・パフォーマンスを披露するなど、ユニットとして新たな方向性を模索する途上にあったことは確かである。『The Way Out』のオープニングを飾る「こんにちは、そして新しい始まりへようこそ(Hello, greetings, and welcome. Welcome to a new beginning…)」というナレーションは、当時のふたりの真意でもあっただろうし、実際、『The Way Out』はそれまでのサンプリング/コラージュ的なスタイルに加えて、ニックいわくライヴの経験を踏まえた「energetic」で「more driven」な感覚を反映して制作されたアルバムだった。ただ、その上で「これ以上は前に進めない」と判断されてしまったということは、つまり『The Way Out』がザ・ブックスとしてやれることの到達点だった、ということなのだろう。
そして、いうまでもなく、ニックにとってザ・ブックスの解散をポジティヴな方向に決断させたものこそ、今回のこの自身のラスト・ネームを冠したニュー・プロジェクト、ツァームトの結成にほかならない。ツァームトの始動は、ザ・ブックスの解散よりも先に昨年の6月、ニック自身のホームページ上で突然発表された。さらにそれは、3人か4人組のバンドであることが明かされ、同時に“Yay”という新曲がフリー・ダウンロードで公開された。もっとも、当初はよくあるサイド・プロジェクトの発表と受け止められたが、今にして思えばザ・ブックスの解散の伏線であり、何よりそれはニックにとって、ザ・ブックスでは思い描けなかった「その先」を想像し得るプロジェクトとして期待されていたことが理解できる。
メンバーは、ヴォーカルとギターを務めるニックの他に、ザ・ブックスのツアー・サポートを務めていたマルチ・インストゥルメンタル奏者(ギター、キーボード、ヴァイオリンetc)のジーン・バック、“a real scientist on the drums”の異名をとるショーン・ディクソン、そしてニックの弟のマイキーの4人。ニックは今回の件に関連してインタヴューに答えて、ツァームトが「バンド」であること、また自らはフロントマンではなく、その形態は「アンサンブル」という形容がもっともふさわしい、といった旨を強調している。ザ・ブックスとの最大の違いとしてニックは、「もうこれ以上、バック・トラックを用意してライヴをやるようなことはしたくない、本当のバンドと一緒に演奏がしたかった」と明かし、逆に以前のライヴではビデオ・プロジェクターがフロントマンのようなところがあったと振り返る。その上でツァームトの結成の動機としてはまず、「スタンディングのオーディエンスの前でライヴがやりたかった」というのが強くあったようで、バンドで創り上げるオーガニックなアンサンブルに注目してほしい、と語る。さらにニックは、自分たちはけっして「ロック・バンド」ではないが(※「リズムは4/4拍子じゃないし、“ロック”のアティチュードも持ち合わせていないし……」)、使われている楽器はまったくもって同じ類のものだ――と加える。
実際、ニックにとってツァームトにおける制作上の課題は、「バンド」として機能するために必要なレコーディング方法を学ぶことだった、という。つまり、サンプリングやカット・アップをベースにシークエンスを編集するザ・ブックスのコンセプチュアルなスタイルから、フル・バンド編成を敷き、ライヴ的な要素も盛り込みながらアンサンブルを組み立てていく――それこそ“ロック”なアプローチへの移行こそ、ツァームトのテーマであり、また醍醐味でもあった。結果、ツァームトのライヴでは、レコーディングされた音源の演奏はもちろん、たとえば“Yay”で聴けるような細密なヴォーカル・エフェクト/エディットも再現が可能だとニックは自負する。そして、前記のPitchforkのインタヴューに答えてニックは、ザ・ブックスの頃は自分が「ソングライター」だという感覚はまったくなかったが、ツァームトのレコーディングを通じて「声」が持つダイレクトな力を理解し始めたと、その意識や心境の変化を明かしている。
ファースト・アルバムとなるセルフ・タイトルの本作『ツァームト』は、そうしてザ・ブックスの解散と前後の試行錯誤のフェーズを潜り抜けて完成された作品であり、ニックにとっては文字通り「新しい始まり」を告げる作品といえる。
その予感は、本作のリード・トラックとなった昨年の“Yay”の時点ですでに十分に漂わせていたが、まずはツァームトのサウンドを特徴づける最大のポイントといえば、ショーン・ディクソンが叩くドラムの存在感に尽きる。“Yay”のヴォーカル・チョップとユニゾンするミニマルで微分的なフレージングもそうだが、“F U C-3PO”のフューチャリスティックなサウンド・エフェクトを支えるタイトなグルーヴ、あるいは“Zebra Butt”のブリーピーなエレクトロや “Weird Ceiling”のエディット感溢れたコンポジションに映えるパーカッシヴなプレイ。また“Groan Man, Don't Cry”のニューウェーヴィーなヴォコーダー・ファンクの始まりを飾るカウントなど、なるほど、楽曲のスタイル自体はいわゆる「ロック・バンド」とは異なるかもしれないが、その硬軟・緩急織り交ぜたドラムの出音のダイナミズムが、ツァームトにおいて心臓部となっていることが頷ける。
そして、ニックが自覚するとおり、ツァームトのユニークな個性となり得ているのが、彼の発する「声/歌」にほかならない。たとえば前記の“Groan Man, Don't Cry”や“Too Late To Topologize”のチップチューン風エレクトロ・ポップで披露されるヴォコーダー・ヴォイス、 “Harlequin”でアコースティック・ギターにのせて歌われるオブスキュアなヴォーカル・エフェクト。あるいは“Idiom Wind”や“Full Fading”のみずみずしいエコーや、それこそ“Yay”のヴォーカル・チョップ――ザ・ブックス時代に共演したプレフューズ73の影響も窺えるが――など、それはいたる場面で聴くことができるが、その様々なサウンド・スタイルに合せて変換され編集された「声/歌」のプレゼンスこそ、ニックがいうツァームトを前進させる「ダイレクトな力」なのだろう。
もっとも、ヴォーカル・トラックのアイディアそのものは、ザ・ブックスの頃から引き続き追究/援用されたアプローチであり、インタールード的に挟まれた“Crabbing”のスポークンワードのサンプリングもファンにはお馴染みのスタイルといえるかもしれない。また、ドラム・サウンドを導入したアンサンブルも、たとえば『The Way Out』収録の“I Didn’t Know That”や“Thirty Incoming”といったナンバーで聴くことができる。
同時に、本作『ツァームト』は、その豊富なサウンド・ヴォキャブラリーから様々な方面に参照可能なコンテクストや同時代性を確認できるだろう。それはたとえば、ボン・イヴェールやジェイムス・ブレイクとも共有する音響化されたヴォーカル・スタイルや、ポスタル・サーヴィスやザ・シンズも引き合いに出される――“The Shape of Things to Come“や“Idiom Wind”に顕著だが、エレクトロニカ~エレ・ポップ通過後のUSインディー・ロックのテクスチャー。あるいは“F U C-3PO”に特徴的な、それこそチルウェイヴ/グローファイやLAのLow End Theory周辺から、ハドソン・モホークやゴールデン・バンダなどのウォンキー~UKベース・ミュージックにも接続可能なセンス。さらに、“Yay”や“Weird Ceiling”からは、ザ・ブックスの遺産――すなわち初期エレクトロニカやポスト・クラシカルを経由したバトルス~マス・ロックへの応答までも聴き取ることができるかもしれない。ザ・ブックスは、その膨大なサンプリング・データの蒐集と編集に割かれた創作スタイルから、むしろ内に籠る性格のプロジェクトといえたが、ツァームトは対照的に、あらゆるチャンネルとベクトルに開かれたプロジェクトであり、本作『ツァームト』はまさにその最初の成果と呼ぶにふさわしい。
ニックはあるインタヴューに答えて、本作『ツァームト』の制作は「do-or-die situation」だったと振り返っている。10年以上続いたザ・ブックスが解散し、しかし家族を養っていかなければならず、はたして音楽を続けるべきか否か、失意のなかで様々な葛藤がニックにはあったようだ。ニックにとってそれはまさに「食うか、食われるか」の切羽詰まった状況だったという。また、別のインタヴューでは、それは「喪失感と癒しの過程(the grieving/healing process)」だった、と語っている。ザ・ブックスの創作は、いわば自分の外側にある世界を観察し採取(=サンプリング)するような作業だったが、ニックにとってツァームトの創作は、自分自身を見つめ直し考察をめぐらす、きわめてプライヴェートな体験だったのかもしれない。はたして、「新しい始まり」を迎えたニックが、この先もどんな音楽を送り届けてくれるのか――その行方を期待して見届けたいと思う。
(2012/04)
ニックは解散の報告に合せてPitchforkのインタヴューに答えている。その記事では、事前にニックと交わされたメールも引用しながら、解散に関するコメントが短く伝えられた。
実質的にラスト・アルバムとなった『The Way Out』は、前作『Lost & Safe』のリリースから5年のブランクを挟み、この先もザ・ブックスを続けていけるかどうかを確認するための、いわば楽観的な試みだった。そして、これ以上は前に進めないと悟ったときは、計り知れない苦痛を感じた。最後はザ・ブックスから「空気が抜けてしまった」ような感覚だった。それはまさに、アルバムのタイトルが暗示していたような結末(※Way Out=出口)を迎えてしまった、と。
しかし、核心となる解散の理由や経緯については、そこでも明かされることはなかった。「それは誰のためにもならない。自分の胸にしまっておいた方がいい」としながらも、そこには感情的なしこりのようなものも窺えた。ただ、「この先ふたたび一緒に何かをすることはないだろう」、そして「それは不幸なことだが、結果としてザ・ブックスという看板を下ろすことを意味していた」とだけ語り、解散についてのコメントは閉じられている。ちなみに、現時点で元相方のポール・デ・ヨングの側からは、今回の件に関してはまだ一切語られていない。
もっとも、『The Way Out』リリース時のインタヴューによれば、そもそもふたりが共同作業をするのは週に1度、それも2、3時間程度で、普段から個別に音作りを進め、顔を合わせた際に進捗状況を確認し互いの音素材を交換し合うといった、ほとんど分業制みたいなものだったという。それがどの時点からだったのか、それとも最初からだったのか、あるいは何か理由があったのか詳細は知らないが、ともあれ、ふたりがそれぞれ独自のヴィジョンや理念に基づき創作を行う音楽家であったことは間違いない。また、『The Way Out』前後の大きな変化として、互いに家庭を持ち、さらに子供を授かり、物理的にふたりの時間が取りにくくなった、という事情もあったかもしれない。しかし一方で、ふたりは2005年のサード・アルバム『Lost and Safe』直後に初めての本格的なツアーを行い、「共感覚体験(Synesthetic Experience)」をテーマに掲げて演奏とサンプリング、そしてビデオ・プロジェクターの映像とのシンクロニシティを実践したライヴ・パフォーマンスを披露するなど、ユニットとして新たな方向性を模索する途上にあったことは確かである。『The Way Out』のオープニングを飾る「こんにちは、そして新しい始まりへようこそ(Hello, greetings, and welcome. Welcome to a new beginning…)」というナレーションは、当時のふたりの真意でもあっただろうし、実際、『The Way Out』はそれまでのサンプリング/コラージュ的なスタイルに加えて、ニックいわくライヴの経験を踏まえた「energetic」で「more driven」な感覚を反映して制作されたアルバムだった。ただ、その上で「これ以上は前に進めない」と判断されてしまったということは、つまり『The Way Out』がザ・ブックスとしてやれることの到達点だった、ということなのだろう。
そして、いうまでもなく、ニックにとってザ・ブックスの解散をポジティヴな方向に決断させたものこそ、今回のこの自身のラスト・ネームを冠したニュー・プロジェクト、ツァームトの結成にほかならない。ツァームトの始動は、ザ・ブックスの解散よりも先に昨年の6月、ニック自身のホームページ上で突然発表された。さらにそれは、3人か4人組のバンドであることが明かされ、同時に“Yay”という新曲がフリー・ダウンロードで公開された。もっとも、当初はよくあるサイド・プロジェクトの発表と受け止められたが、今にして思えばザ・ブックスの解散の伏線であり、何よりそれはニックにとって、ザ・ブックスでは思い描けなかった「その先」を想像し得るプロジェクトとして期待されていたことが理解できる。
メンバーは、ヴォーカルとギターを務めるニックの他に、ザ・ブックスのツアー・サポートを務めていたマルチ・インストゥルメンタル奏者(ギター、キーボード、ヴァイオリンetc)のジーン・バック、“a real scientist on the drums”の異名をとるショーン・ディクソン、そしてニックの弟のマイキーの4人。ニックは今回の件に関連してインタヴューに答えて、ツァームトが「バンド」であること、また自らはフロントマンではなく、その形態は「アンサンブル」という形容がもっともふさわしい、といった旨を強調している。ザ・ブックスとの最大の違いとしてニックは、「もうこれ以上、バック・トラックを用意してライヴをやるようなことはしたくない、本当のバンドと一緒に演奏がしたかった」と明かし、逆に以前のライヴではビデオ・プロジェクターがフロントマンのようなところがあったと振り返る。その上でツァームトの結成の動機としてはまず、「スタンディングのオーディエンスの前でライヴがやりたかった」というのが強くあったようで、バンドで創り上げるオーガニックなアンサンブルに注目してほしい、と語る。さらにニックは、自分たちはけっして「ロック・バンド」ではないが(※「リズムは4/4拍子じゃないし、“ロック”のアティチュードも持ち合わせていないし……」)、使われている楽器はまったくもって同じ類のものだ――と加える。
実際、ニックにとってツァームトにおける制作上の課題は、「バンド」として機能するために必要なレコーディング方法を学ぶことだった、という。つまり、サンプリングやカット・アップをベースにシークエンスを編集するザ・ブックスのコンセプチュアルなスタイルから、フル・バンド編成を敷き、ライヴ的な要素も盛り込みながらアンサンブルを組み立てていく――それこそ“ロック”なアプローチへの移行こそ、ツァームトのテーマであり、また醍醐味でもあった。結果、ツァームトのライヴでは、レコーディングされた音源の演奏はもちろん、たとえば“Yay”で聴けるような細密なヴォーカル・エフェクト/エディットも再現が可能だとニックは自負する。そして、前記のPitchforkのインタヴューに答えてニックは、ザ・ブックスの頃は自分が「ソングライター」だという感覚はまったくなかったが、ツァームトのレコーディングを通じて「声」が持つダイレクトな力を理解し始めたと、その意識や心境の変化を明かしている。
ファースト・アルバムとなるセルフ・タイトルの本作『ツァームト』は、そうしてザ・ブックスの解散と前後の試行錯誤のフェーズを潜り抜けて完成された作品であり、ニックにとっては文字通り「新しい始まり」を告げる作品といえる。
その予感は、本作のリード・トラックとなった昨年の“Yay”の時点ですでに十分に漂わせていたが、まずはツァームトのサウンドを特徴づける最大のポイントといえば、ショーン・ディクソンが叩くドラムの存在感に尽きる。“Yay”のヴォーカル・チョップとユニゾンするミニマルで微分的なフレージングもそうだが、“F U C-3PO”のフューチャリスティックなサウンド・エフェクトを支えるタイトなグルーヴ、あるいは“Zebra Butt”のブリーピーなエレクトロや “Weird Ceiling”のエディット感溢れたコンポジションに映えるパーカッシヴなプレイ。また“Groan Man, Don't Cry”のニューウェーヴィーなヴォコーダー・ファンクの始まりを飾るカウントなど、なるほど、楽曲のスタイル自体はいわゆる「ロック・バンド」とは異なるかもしれないが、その硬軟・緩急織り交ぜたドラムの出音のダイナミズムが、ツァームトにおいて心臓部となっていることが頷ける。
そして、ニックが自覚するとおり、ツァームトのユニークな個性となり得ているのが、彼の発する「声/歌」にほかならない。たとえば前記の“Groan Man, Don't Cry”や“Too Late To Topologize”のチップチューン風エレクトロ・ポップで披露されるヴォコーダー・ヴォイス、 “Harlequin”でアコースティック・ギターにのせて歌われるオブスキュアなヴォーカル・エフェクト。あるいは“Idiom Wind”や“Full Fading”のみずみずしいエコーや、それこそ“Yay”のヴォーカル・チョップ――ザ・ブックス時代に共演したプレフューズ73の影響も窺えるが――など、それはいたる場面で聴くことができるが、その様々なサウンド・スタイルに合せて変換され編集された「声/歌」のプレゼンスこそ、ニックがいうツァームトを前進させる「ダイレクトな力」なのだろう。
もっとも、ヴォーカル・トラックのアイディアそのものは、ザ・ブックスの頃から引き続き追究/援用されたアプローチであり、インタールード的に挟まれた“Crabbing”のスポークンワードのサンプリングもファンにはお馴染みのスタイルといえるかもしれない。また、ドラム・サウンドを導入したアンサンブルも、たとえば『The Way Out』収録の“I Didn’t Know That”や“Thirty Incoming”といったナンバーで聴くことができる。
ニックはあるインタヴューに答えて、本作『ツァームト』の制作は「do-or-die situation」だったと振り返っている。10年以上続いたザ・ブックスが解散し、しかし家族を養っていかなければならず、はたして音楽を続けるべきか否か、失意のなかで様々な葛藤がニックにはあったようだ。ニックにとってそれはまさに「食うか、食われるか」の切羽詰まった状況だったという。また、別のインタヴューでは、それは「喪失感と癒しの過程(the grieving/healing process)」だった、と語っている。ザ・ブックスの創作は、いわば自分の外側にある世界を観察し採取(=サンプリング)するような作業だったが、ニックにとってツァームトの創作は、自分自身を見つめ直し考察をめぐらす、きわめてプライヴェートな体験だったのかもしれない。はたして、「新しい始まり」を迎えたニックが、この先もどんな音楽を送り届けてくれるのか――その行方を期待して見届けたいと思う。
(2012/04)
2014年10月12日日曜日
極私的2010年代考(仮)……Tennis『Young & Old』
イギリスの音楽誌UNCUTは2009年の最後の号で、アニマル・コレクティヴ『メリウェザー・ポスト・パヴィリオン』やグリズリー・ベア『ヴェッカーティメスト』、ダーティー・プロジェクターズ『ビッテ・オルカ』の批評的成功と(一定の)商業的成功を例に挙げて、その年を「アメリカのラディカルなアンダーグラウンドのインディ・ロックがメインストリームを侵略した年」と伝えた。そうして2000年代が終わり、迎えた2010年代――。替わりにアメリカのインディ・シーンで台頭を見せたのは、50年代や60年代の音楽への愛情と憧憬も滲ませたヴィンテージ・ポップやレトロ・サウンドだった。ロネッツやシャンテルズといったガールズ・ポップ。ビーチ・ボーイズのサーフ・ロックやウェストコースト・サウンド。フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンド……。それらの引用や参照は2000年代から続くトレンドのひとつでもあったが、その傾向がより前面に表れ始めたのが、この2010年代の初頭のインディ・シーンの一風景といえる。
そして、2010年にデビューを飾ったこのテニスもまた、そうした流れを追い風に注目を集めたグループのひとつだろう。ネオアコやアノラックのタッチも含むトゥイーなギター・サウンド。女性ヴォーカルとヴィンテージ・オルガンのブリージンなハーモニー。あるいはシューゲイザー~リヴァーヴ・ポップともリンクするドリーミーなポップネス。それらの魅力は、例えばドラムスやベスト・コースト、またリアル・エステイトやビーチ・ハウスといった名前とも同時代性を共有するものであり、さらにローファイなガレージ・ポップやチルウェイヴ/グローファイ等のベッドルーム・ポップとも隣接しながら、今のアメリカのインディ・シーンを輪郭づけている特徴でもある。もっとも、本国メディアでは“throwback(先祖返り) sound”と評されることもあり、括られた当事者たちは思うところもあるようだが……ともあれ、彼らのような新たな世代が近年のインディ・シーンの稀に見る活況を促していることは間違いない。
現在は夫婦であるテニスのふたり、パトリック・ライリー(ギター、ベース)とアライナ・ムーア(ヴォーカル、ピアノ、キーボード)が出会ったのは、コロラド大学で哲学を専攻していた学生時代にさかのぼる。その後、紆余曲折をへて――詳しくは後述するように――意気投合したふたりは、互いの音楽の趣味もじつはよく知らないまま、バンドを始めることを決意。きっかけは、ふたりで訪れたフロリダのモンローのあるバーでの出来事で、そこのバーテンダーがかけたシュレルズ(※50年代の黒人女性コーラス・グループ)の“Baby It's You”に聴き惚れたパトリックは、唐突にバンドの話を始めたという。そしてその場で、音楽の構想から使いたい楽器のリスト(50年代のテレキャスター、60年代のフェンダーのギター&ベース・アンプ、イタリアのファルフィッサ社製のヴィンテージ・オルガン、8トラックのテープ・レコーダーetc)まで、すべてのアイディアが一気に湧き出したそうだ。
結成から間もなく2010年の夏に2枚のシングル『Baltimore』『South Carolina』を相次いでリリース(※前者はリアル・エステイトやジュリアン・リンチもリリースするニュージャージーの「Underwater Peoples」から)。それと前後してふたりは初ライヴを地元デンヴァーで行うと、その模様がNY TimesやPitchforkでレポートされるなど評判を呼び、それを受けて恒例の「Daytrotter」セッションの収録も行われた。そして秋を迎えて、ウェーヴスやヤックらを擁する名門「Fat Possum」と契約を交わすと、レーベル・メイトのウォークメンの前座を含む大規模なUS/EUツアーを敢行。その最中になる翌年の2011年の1月、ファースト・アルバムとなる『ケイプ・ドリー』がリリースされた。
『ケイプ・ドリー』はまさに、前述した近年のUSインディ・シーンの音楽嗜好が凝縮された格好の作品といえたが、アルバムが話題を集めたのには他の理由もある。それは『ケイプ・ドリー』が“書かれた”背景であり、というのも先のシングル曲を含めてアルバムの収録曲は、パトリックとアライナがテニスを始める前にふたりで大西洋をセーリングした日々が綴られた、きわめてプライヴェートな記録だった。ふたりは身の回りのものを売り払ってボートを購入し、船上生活はじつに8か月近くに及んだという。いわば『ケイプ・ドリー』は当時の航海日誌のようなものであり、またふたりの間柄も手伝って、音楽とは別の部分でリスナーの関心を誘うものだったようだ。もっとも、実際は周囲が想像するようなロマンチックなものではなく、天候や波の状態によって常に不安に晒され、その日々は「危険で、手に負えない恐怖と隣り合わせだった」とアライアはインタヴューで語っている。例えばファンの間でラヴ・ソングとされている“ロング・ボート・パス”だが、これも実際は嵐の恐怖について書かれた曲で、「どこにも愛やロマンスはない」という。『ケイプ・ドリー』の楽曲は、あくまで個人的な体験とそれを通じた個人的な考察に根差した作品であり、セーリング用語やメタファーが散りばめられたドラマ性を持ちながらも、聞けば当初は世間に発表することも意図していなかったようなのだ。
さて、その『ケイプ・ドリー』に続くセカンド・アルバムとなる本作『ヤング・アンド・オールド』だが、まず前作との大きな違いとして、本作はドラマーを迎えたトリオ編成で制作されたアルバムになる。ドラマーを務めるのは、元モカシン/現在はTjutjunaというサイケデリック・ロック・バンドでも活動する地元デンヴァー・シーンのヴェテラン、ジェームス・バローネ(※Tjutjunaはテニスのシングル『South Carolina』もリリースした「Fire Talk」からアルバムをリリース)。そもそもジェームスは『ケイプ・ドリー』でサウンド・エンジニアを務める予定だったらしく、じつはレコーディングにもドラマーとして参加していたのだが、リリース後のアルバム・ツアーにサポート・メンバーとして帯同したのを機に正式加入を果たしたというのが経緯のようだ。そして今回の『ヤング・アンド・オールド』の楽曲は、そのツアーの間に曲作りが行われ、3人で試行錯誤を重ねながら練り上げられたものだという。
「私達は『ケイプ・ドリー』を何も意図せずに書いたの。そして10ヶ月もの間この10曲をプレイし続けて、ステージで毎晩自分達が何をプレイしたいのかがわかったの。私達は新しいアルバムをすぐに書きたいと思って、とても素早く書き上げることができた。自分達以外の人の為に曲を書き、それをプレイすることを目的として書いた曲が詰まった初めてのアルバムなの」。アライナがそう語る『ヤング・アンド・オールド』のレコーディングで彼らがサウンドに求めたのは、より感情的な深み(emotional depth)とヘヴィな質感。加えて、ライヴの空気を捉えたロックンロールのフィーリングだったという。実際に先のツアーでは、サウンドチェック時に考えついたアイディアがその場のライヴで試されたりと、プライヴェートで趣味的な作りだった『ケイプ・ドリー』とは対照的に、今回は実践的なプロセスを通じて曲の構想が練り上げられていったらしい。
そして、それらの実現に大きな功績を果たしたのが、本作のプロデュースを手がけたザ・ブラック・キーズのドラマー、パトリック・カーニーだろう。「一つのことをきちんとおこない、サウンド的にそれを拡大させたかった。ダーティーでブルージーなバックグラウンドを持った誰かとレコーディングをしたかったの。私達とは逆のサウンドを持っていて、私達の曲にエッジを与えられるような人とね。で、パトリック(カーニー)なら私達の曲を上手くハンドリング出来ると思ったの。実際にそうなったしね」。アライナが語るように、パトリック・カーニー=ザ・ブラック・キーズの音楽的背景が前記の彼らの狙いと合致していたのはいうまでもなく、加えて『ケイプ・ドリー』がセルフ・プロデュースだったのに対し、様々な場面でバンドに客観的なジャッジメントを下してくれる存在がいてくれたことが今回は特に大きかったようだ。レコーディングは昨年の夏にナッシュビルで9日間かけて行われ、そこではとにかくスタジオ内で起きること、体感したものを最優先に反映させようと心掛けていたという。
果たして、その成果は実際に楽曲を聴けば明白である。キャッチーなメロディやアライナの美しいヴォーカル&ハーモニーはそのままに、厚みのあるベース・ラインとオーガニックな演奏を堪能できる先行シングルの“オリジンズ”や“ペティション”。フックの効いたドラム・ビートが「ダーティーでブルージー」な“マイ・ベター・セルフ”や“ハイ・ロード”。あるいはドゥー・ワップ調のリズムが新鮮な“ロビン”。そして、オープニングを飾る“イット・オール・フィールズ・ザ・セイム”――タメの効いたミッドテンポのサンシャイン・ポップから、ステレオラブも連想させるドリーミーなサイケデリック・ミュージックへと展開する――を聴けば、彼らがポップ・ソングの形態を使いながら、新たな領域へと音楽的な舵を切りだしたことがわかるはずだ。ちなみにパトリックは新たなバンドの方向性について 「モータウンを経験したスティーヴィー・ニックス」と語っていて、また別のインタヴューではアライナが、本作の制作でインスピレーションを受けたアーティストとして、そのフリートウッド・マックやトッド・ラングレン、キング・クリムゾンなど挙げている。また、今回のレコーディングではピアノやベース・ギターなど新たな楽器も使われていて、サウンドに音色豊かな奥行きを与えている。
さらに加えて、エンジニアリングと一部ミキシングを手がけたロジャー・モウテノットの起用も、本作の見逃せないポイントだろう。ロジャー・モウテノットといえば特に盟友ヨ・ラ・テンゴの諸作で知られるが、彼の音響処理に長けたモダン・サイケデリアのタッチは、テニス独得の浮遊感あふれるサウンドと最良の相性を見せている。ロジャーのプロダクションは、いわば『ケイプ・ドリー』と本作の橋渡し的な効果をもたらしているようだ。
そして歌われている歌詞の内容も、『ケイプ・ドリー』があくまで個人的な体験や関心が描かれたものだったのに対して、『ヤング・アンド・オールド』は「人々が信頼し、あるいは不信を感じているイデオロギーや社会的な枠組み」がベースになっているとパトリックは語る。本作のタイトルは、『アシーンの放浪』などの代表作で知られるアイルランドの詩人/劇作家W.B.イエイツ(William Butler Yeats)の詩『A Woman Young and Old』から取られていて、“セクシャリティの視点を通した女性の生涯”というそのテーマに関連してアライナは「私はそれぞれの曲が独立した形にはなってほしくなかった。全ての曲が一塊になってほしかったの。過去何年もの変化を見つめながら、ツアー中にたくさんの反芻をしたように感じたの。各々の曲は描写のように感じる。幼少期から女性期までに繋がるおぼろげな感覚を持ったような」と語っている。またアライナの歌声も、今回のレコーディングでは自分の中の“強さ”を表に出すことを意識していたと語り、歌入れの際も編集に頼らず、1曲1曲歌い通すことを心掛けていたという。
なお、今回の『ヤング・アンド・オールド』の日本盤には、初回盤特典として『ケイプ・ドリー』の全曲が収録されるのと別に、日本盤ボーナストラックとして2曲が追加収録されている。そのうちの1曲“ティアーズ・イン・ザ・タイピング・プール”はアライナがリスペクトするブロードキャストのカヴァーで、彼女はあるインタヴューで聞かれて「トリッシュ・キーナン(※ヴォーカリスト、昨年他界)は私の愛するソングライターのひとりだった。彼女の声、彼女のスタイル、話し方、彼女の歌詞が大好きなの。ブロードキャストの音楽は私にとってインスピレーションの源であり続けている」と答えている。
本国では今年1月に『ヤング・アンド・オールド』をリリースした後、バンドはふたたび大規模なUSツアーを敢行。現在もその途上にある。以前『ケイプ・ドリー』のツアーが彼らに新たなインスピレーションをもたらしたように、今回もそのような実り多き機会となるのか。気が早いかもしれないが、次回作への期待が高まる。
「僕たちは常に前進しようと考えている。常に次の曲へと手を伸ばしている。ちょっと遠く感じる時もあるけど、努力すればするほどより近くに寄ってくる。僕たちのゴールは、常に新しい曲に到着し続けることなんだ」(パトリック・ライリー)
(2012/03)
2014年10月のカセット・レヴュー(随時更新予定)
◎Beachers/Pretend
UKのエレクトロニック音楽家Daryl Worthingtonによるプロジェクト。
シリアル番号が打たれたような無機質なトラック名が象徴的だが、しかし進むうちにダークなミニマル・テクノは流体のアンビエントへと色味と軟度をわずかに増していく模様。やはり彩度は低めだが、確かなグラデーションも感じられ、昨今のUKアンダーグラウンドのダウス・ミュージック勢と通底したコアな印象に同時代性を。
◎Yung AOL/Swim Team Kush
ブルックリンの〈Astro Nautico〉から。ポルノ・ヴィデオのサンプリングも忍ばせたダーティでドープなトラック集。高音のヴォーカル・チョップを聴くとPC Music周りを連想してしまうのは、ある意味で耳が毒されてしまっているからで、この確信犯的にオールドスクールな振る舞いも併せて、2000年代初頭あたりの西海岸のヒップホップ周りの音源を今一度再点検してもよさそうな。
◎LXV/Spectral Playmate
最近公開されたOPNのショーの映像を見て、やはりあのスクリーンに映る映像は圧巻だったなと。今ではOPNの名前を見かけるだけであのグロテスクな半獣半機(?)なクリーチャーを思い浮かべてしまうわけで、要は、このさき音楽はあの映像を喚起させることができるか。そういう意味では、LXVはかなりいい線行っていると思う。いや、かなりの線を。偏執的なデジタルシンセとサンプリング、木霊するヴォイスの断片とフィールド・レコーディングス、過度なプロセシングが澱のように鼓膜に堆積し、その重みが脳幹にも達して感じられそう。〈Sacred Phrases〉から。
◎ANDY BOAY/In The Light
ご存知Tonstartssbandhtの片割れ。同じく〈Arbutus〉の看板ショーン・ニコラス・サヴェージをさらに半音上げたような、強烈ファンキー&サイケ、なのにそこはかとなくブリージンなローテク・オペラ。薄っぺらなギターが唸り、不気味なアンビエンスが水蒸気のように漂う。
◎L.V. Morris/Southern Victoria
太っ腹Charlatanでお馴染みオーストラリアはメルボルンの〈Rocket Machine〉から。湖面を騒がす羽虫の音のようなフィールド・レーディングスから、刹那、不穏なドローンやハーシュ・ノイズがむんずとせり上がる。水質汚染、異常気象、ざわめく木々、、、まるで黒沢清の『カリスマ』を聴いているよう。
◎D. Tiffany/s/t
個人的にいまいちレーベルとしての嗜好が掴み難いヴァンクーヴァーの〈1080p〉から。序盤のローテクなシンセ・ディスコ~テクノに〈100% Silk〉的な懐かしさも覚えつつ、やおらインダストリアル~ダーク・アンビエントな趣向を増す中盤以降の展開に、へぇ~、っと。
◎Ter(r)a & Lazy Magnet/split
デトロイトとチャペル・ヒルのトラック・メイカー両名によるテクノ~ハウス・スプリット。 Lazy Magnetの、ヒス・ノイズの上から叩きつけるようなベース音がインダストリアルな意匠も滲ませて好印象。
◎Panabrite/Tracer EP
〈Bathetic〉からリリースされたカセット・セットの中の一本。量が質を生む。複数の名義を持つNorm Chambersもそんな一人に間違いなく、しかもこれだけテンションを維持しながらリリースを継続する姿勢に。トラック・タイトルに示されたコンセプチュアルな音の造形。
(※2014年9月のカセット・レヴュー)
(※2014年8月のカセット・レヴュー)
(※2014年7月のカセット・レヴュー)
UKのエレクトロニック音楽家Daryl Worthingtonによるプロジェクト。
シリアル番号が打たれたような無機質なトラック名が象徴的だが、しかし進むうちにダークなミニマル・テクノは流体のアンビエントへと色味と軟度をわずかに増していく模様。やはり彩度は低めだが、確かなグラデーションも感じられ、昨今のUKアンダーグラウンドのダウス・ミュージック勢と通底したコアな印象に同時代性を。
◎Yung AOL/Swim Team Kush
ブルックリンの〈Astro Nautico〉から。ポルノ・ヴィデオのサンプリングも忍ばせたダーティでドープなトラック集。高音のヴォーカル・チョップを聴くとPC Music周りを連想してしまうのは、ある意味で耳が毒されてしまっているからで、この確信犯的にオールドスクールな振る舞いも併せて、2000年代初頭あたりの西海岸のヒップホップ周りの音源を今一度再点検してもよさそうな。
◎LXV/Spectral Playmate
最近公開されたOPNのショーの映像を見て、やはりあのスクリーンに映る映像は圧巻だったなと。今ではOPNの名前を見かけるだけであのグロテスクな半獣半機(?)なクリーチャーを思い浮かべてしまうわけで、要は、このさき音楽はあの映像を喚起させることができるか。そういう意味では、LXVはかなりいい線行っていると思う。いや、かなりの線を。偏執的なデジタルシンセとサンプリング、木霊するヴォイスの断片とフィールド・レコーディングス、過度なプロセシングが澱のように鼓膜に堆積し、その重みが脳幹にも達して感じられそう。〈Sacred Phrases〉から。
◎ANDY BOAY/In The Light
ご存知Tonstartssbandhtの片割れ。同じく〈Arbutus〉の看板ショーン・ニコラス・サヴェージをさらに半音上げたような、強烈ファンキー&サイケ、なのにそこはかとなくブリージンなローテク・オペラ。薄っぺらなギターが唸り、不気味なアンビエンスが水蒸気のように漂う。
◎L.V. Morris/Southern Victoria
太っ腹Charlatanでお馴染みオーストラリアはメルボルンの〈Rocket Machine〉から。湖面を騒がす羽虫の音のようなフィールド・レーディングスから、刹那、不穏なドローンやハーシュ・ノイズがむんずとせり上がる。水質汚染、異常気象、ざわめく木々、、、まるで黒沢清の『カリスマ』を聴いているよう。
◎D. Tiffany/s/t
個人的にいまいちレーベルとしての嗜好が掴み難いヴァンクーヴァーの〈1080p〉から。序盤のローテクなシンセ・ディスコ~テクノに〈100% Silk〉的な懐かしさも覚えつつ、やおらインダストリアル~ダーク・アンビエントな趣向を増す中盤以降の展開に、へぇ~、っと。
◎Ter(r)a & Lazy Magnet/split
デトロイトとチャペル・ヒルのトラック・メイカー両名によるテクノ~ハウス・スプリット。 Lazy Magnetの、ヒス・ノイズの上から叩きつけるようなベース音がインダストリアルな意匠も滲ませて好印象。
◎Panabrite/Tracer EP
〈Bathetic〉からリリースされたカセット・セットの中の一本。量が質を生む。複数の名義を持つNorm Chambersもそんな一人に間違いなく、しかもこれだけテンションを維持しながらリリースを継続する姿勢に。トラック・タイトルに示されたコンセプチュアルな音の造形。
(※2014年9月のカセット・レヴュー)
(※2014年8月のカセット・レヴュー)
(※2014年7月のカセット・レヴュー)
(※2014年6月のカセット・レヴュー)