活況を呈する昨今のUSアンダーグラウンドで、いわゆる「ニュー・エイジ」というタームが浮上の兆しを見せ始めたのは、ここ1、2年のことだろうか。もっとも、そこに明確な画期点のようなものはなく、それはかつての「ニュー・エイジ」がアンビエントから派生し、ミニマルやワールド・ミュージックなど様々な領域と隣接した複合的なサブ・ジャンルだったように、今日の「ニュー・エイジ」もまたUSアンダーグラウンドで展開する坩堝的な音楽実験の中から醸成されたトピック――という印象が強い。よってそこに含まれうるアーティストも広範囲に及び、個々のソロやインナー・チューブ等々のエメラルズ周辺から、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、ハイ・ウルフ、サン・アロウやジェームズ・フェラーロ……まで基準は曖昧だが、傾向としてはエレクトロニック・ミュージックの新たな潮流のひとつと位置付けることが可能かもしれない。その背景には、2000年代中盤以降のフリー・フォークから続く流れ、つまりエスニックやエコロジーの余波も受けたサイケデリックの隆盛や、そこから支流のように伸びたドローン/ドゥームとの接続、そしてシンセサイザーを中心にリヴァーヴやエコーが多用されたアンビエント~ベッドルーム・ミュージックの台頭を指摘できるだろう。あるいは、リヴァイヴァルをへて基礎教養として定着した感もあるクラウト・ロックの副作用という面もあるかもしれない。ともあれ、そうした様々なジャンルやシーンが接近ないし合流する場所から顕在化した「ニュー・エイジ」的なサウンドは、昨今のUSアンダーグラウンドにおける興味深い事象といえる。
本作『ヴァレー・タンジェンツ』が、フル・アルバムとしては4作目になるニューヨークはクイーンズ発の男女デュオ、ブルース・コントロール。これまで〈Not Not Fun〉や〈Woodsist〉、〈Holy Mountain〉などUSアンダーグラウンドの名立たるレーベルから作品をリリースし、一昨年には来日公演も行われた彼らだが、そのキャリアの出発点もじつは「ニュー・エイジ」と深い関係があった。というのも、そもそも彼らは現在のブルース・コントロールの以前に、その前身にあたるウォータースポーツというプロジェクト名で活動していて(※2003年~)、そのコンセプトというのが、片割れのラス・ウォーターハウスいわく「ニュー・エイジを復活させる(resurrect)試み」だった。実際、シンセやベル、ゴングやパーカッションを用いた静謐系のミニマル・ミュージックは、禅の世界にも通じる神秘的なムードを湛えていて、当時のレヴューなどでは喜多郎を引き合いに出して語られることもあったという。また初期のライヴではサイエンス~ヒーリング系のレコードを流しながら演奏していたこともあったようで……もっとも、当時の彼らの音楽はジョーク半分に受けとめられていたフシがあり、喜多郎との比較も本音は多分に嘲笑的なものだったらしい(※彼らはお世辞と受け取ったようだが……ちなみに彼らの関心はあくまで音楽のみで、宗教や精神世界的な部分にはまったく興味がなかった)。それもそのはずで、今でこそ「ニュー・エイジ」はUSアンダーグラウンドのトピカルなタームだが、当時は真剣に興味を持つアーティストやリスナーはほとんどおらず、おかげで資料用のレコードは激安のワゴンセールで購入できたという。しかし彼らには明確な目的があり、ラスはそれを「サイケデリック・ソングの要素を脱構築すること(deconstructing)」と記している。それこそアシュ・ラ・テンペルやマニュエル・ゲッチング、タンジェリン・ドリームといった例を持ち出すまでもなく、クラウト・ロックと「ニュー・エイジ」の間には音楽的革新を果たした共同歩調の歴史があり、そうした前例も彼らには青写真のひとつとしてあったようだ。
そんな彼らがブルース・コントロールとして活動をスタートさせたのは2006年。ウォータースポーツとして招かれたあるショウで、唐突にブルース・コントロールを名乗り演奏を始めたことがきっかけだった。ラスによれば、その頃の彼らはサウンドの新たな方向性を模索していたらしく、その糸口として“ロック”寄りのパフォーマンスを画策していたという。結果的には彼らはそのショウで手応えを掴み、さらにその際の音源は後に『Riverboat Styx』というカセット作品として〈Fuck It Tapes〉からリリース(※後に〈Not Not Fun〉からリイシュー)されることにもなるわけだが、ラスいわく彼の頭の中には、自分達のような「ニュー・エイジ」なユニットが“ロック・バンド”を演ってみたらどうなるのか――という期待のようなものがあったようだ。一方で、パートナーのリア・チョーもまた、そもそも高校時代にジェスロ・タルのカヴァー・バンドを組んでプログレやジャムにハマるような素養の持ち主だったという。つまり「ニュー・エイジ」を掲げたクラウト・ロックや広義のエレクトロニック・ミュージックを含むサイケデリック・サウンドの探求をへて、ブルースやガレージ~ハード・ロック等々に及ぶクラシックなロック・サウンドを構想した――もっとも、理論的な転回というより実践的な延長・発展と呼べるプロセスがウォータースポーツとブルース・コントロールの間にはあったと想像できる。
前述の『Riverboat Styx』を含む数本のカセット作品の後、ファースト・アルバム『Puff』をウッズが主宰する〈Woodsist〉から2007年にリリース。以降、〈Sub Pop〉のシングル・シリーズの7インチやCDRなど挟みながら、〈Holy Mountain〉からセカンド・アルバム『Blues Control』、そしてカート・ヴァイルのゲスト参加も話題を集めたサード・アルバム『Local Flavor』を名門〈Siltbreeze〉からリリースと、作品を重ねるごとにポテンシャルを押し広げてきた。ラス操るギターとテープ・ループ、カスタムメイドが施されたリアのシンセ/キーボードによって即興的に音をミックスさせるスタイルはライヴで練り上げられたもので、実際ライヴでは2台のテープ・デッキを使ってピッチを弄ったりコラージュをしながらループやビートを作り、その上に演奏やサンプリングが重ねられていく。曲作りの基本は即興とジャムであり、反復(repetition)と構築(※ラスは「垂直方向に曲を築く(building songs vertically)」と形容する)こそブルース・コントロールの生命線である。そして作品はあくまでライヴの延長線上にあり、ライヴでの演奏からループやリフのアイディアを探り、あるいはライヴ音源そのものをミックスさせたりもすることでレイヤーは生み出される。レコーディングではコンピューターやデジタル・テクノロジーも多用されるが、ラスいわく作品には「実際に演奏できること以外は記録されていない」、つまり自分達がやろうとしているのは録音可能性ではなく演奏可能性の追求であると強調する。かくしてブルー・チアーからエリック・サティやポポル・ヴーまで引き合いに出され、挙げ句“ヴァン・ヘイレンとヘンリー・フリントを繋ぐミッシング・リンク”とまで評される彼らだが、様々な反響と参照を含んだ音の奥行きはローファイな製法とは裏腹に途方もない。
よって彼らのディスコグラフィーは各時点のピークのパフォーマンスが記録された強烈なものばかりだが、なかでも異色であり、前作『Local Flavor』と本作『ヴァレー・タンジェンツ』のブランクを埋める意味でも興味深い作品が、昨年にリリースされた『FRKYS Vol. 8』だろう。『FRKYS Vol. 8』はニューヨークの〈Rvng Intl.〉がリリースするコラボレーション企画の第8弾にあたる作品で、過去にはエクセプターとカーター・トゥッティ(※スロッビング・グリッスルのクリス&コージー)とフィータスことジム・サーウェル、ジュリアナ・バーウィックと元DNAのイクエ・モリが共演を果たし、つい先日もサン・アロウ&ゲッデス・ゲングラスとザ・コンゴス(※リー・ペリーとの共作で知られる70年代のダブ・レゲエ・グループ)による最新作『FRKYS Vol. 9』がリリースされたばかりだが、『FRKYS Vol. 8』でブルース・コントロールのふたりが共演相手に指名したのは、Laraaji Nadabrahmananda。Laraajiはチターやハンマー・ダルシマーといった民族弦楽器を演奏する音楽家で、本名のエドワード・ラリー・ゴードン名義でも70年代から作品を発表してきた「ニュー・エイジ」の祖父のひとりだが、その彼が80年にブライアン・イーノのプロデュースで制作したアンビエント・シリーズの第3弾『Ambient 3: Day Of Radiance』こそ、「ニュー・エイジ」についてラスの目を大きく見開かせるきっかけとなった一枚だったという。Laraajiは共演を快諾した意図を「クリエイティヴなアンビエント・ミュージックの聴取を通じて、より深い静寂(Deeper Stillness)というものを老若のリスナーに提示したい」と語っていて、結果的に同作品は、一日限りのレコーディングでじつに4時間近くにわたって繰り広げられた両者のインプロヴィゼーションをドキュメント/抜粋した大作となった。通常のブルース・コントロールの作品と比べると「ニュー・エイジ」寄りのサウンドだが、ウォータースポーツ時代に溯るふたりのルーツを再確認できる意義深い作品といえるだろう。
〈Drag City〉から初のリリースとなる本作『ヴァレー・タンジェンツ』は、現在彼らが拠点を置くペンシルヴァニア州リーハイ・ヴァレー郊外のクーパースバーグで録音された。現時点でクレジットの詳細は不明だが、これまでの作品同様にセルフ・プロデュースで制作され(※ファースト『Puff』の録音&ミックスは〈Woodsist〉主宰/ウッズを率いるジェレミー・アールも在籍するMeneguarのジャスティン・ウェルツが務めた)、基本となる音作りのスタイルやアプローチもこれまでと大きな変更はない。が、たとえば初期の作品に顕著だったガレージ・ロックやノイジーなトーン、あるいは前後不覚に陥るダブの感覚やレイヤー・サウンドの混沌とした音響は、本作では幾分和らいだような感触を受ける。とりわけ耳を引くのは“Love's A Rondo”を彩るピアノのフレーズで、スロウなファズ・ギターやパーカッションとユニゾンしながら醸し出すスピリチュアルなムードは、どこかアリス・コルトレーンの世界も彷彿とさせて印象的だ。また、ジャジーなピアノ・ソロが映える“Open Air”、ピアノのスタッカート/シンコペーションが鮮烈な“Gypsum”についても同様だが、いずれもメロディ・ラインが際立ち、スポンテニアスなサウンドに“ポップ”な輪郭を与えている。一方、“Iron Pigs”のエルメート・パスカルもかくやたるフュージョン的なアンサンブル、“Opium Den/Fade to Blue”のサイケデリックで霧深いテクスチャーや“Walking Robin”のローファイなビートが刻む瞑想的なセッションなどは、従来的なブルース・コントロールの本領を堪能できるハイライトだろう。もっとも、前作収録の“On Through The Night”のような極端に長尺な楽曲はなく、即興とジャムを軸としながらも整理され、凝縮されたコンポジションが本作の特徴といえるかもしれない。そこには前述した『FRKYS Vol. 8』との対比も見て取ることができるが、演奏のテンションは相変わらず高く、ともあれ、これまでのディスコグラフィーからさらに前進を遂げたブルース・コントロール像が記録された作品であることに間違いない。
今回のブルース・コントロールをリリースした〈Drag City〉、あるいは昨年バーン・オウルやウッデン・シップスのニュー・アルバムやエターナル・タペストリーとサン・アロウのコラボレート作品を送り出した〈Thrill Jockey〉といったレーベルが、いわばUSアンダーグラウンドの“中二階”的な役割を担いアーティストをフックアップするケースが近年見られる。たとえば〈Not Not Fun〉傘下の〈100%Silk〉のようなサブ・レーベルの活発化の一方で、氾濫するUSアンダーグラウンドが次の段階を求めて新たな局面を見せ始めているのは間違いなく、その動向には注視すべきものがある。それは昨今のブルックリンのアーティストが辿ったようにUSインディのメインストリームへと向かうのか、それともまったく別のオルタナティヴなシーンを現出させるのか――。本作『ヴァレー・タンジェンツ』は、この先のUSアンダーグラウンドも視野に入れた、バンドの今後を占う試金石となる作品になるだろう。
(2012/05)
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