彼女は今回のアルバムについて、いくつかのインタヴューに応えている。なかでも興味深かったのが、表紙を飾ったWIRE誌とガーディアン紙のインタヴューで、彼女は今回のアルバムの真相/深層についてかなり踏み込んだところまで話している。とくに後者の記事を読んだ後では、私の中でアルバムの印象はガラリと変わった。PJハーヴェイというアーティストにとってこの『ホワイト・チョーク』というアルバムが格別の意味をもつことを痛感させられた。
今回のアルバムについて語るとき、やはりキーとなるのはピアノの存在だろう。前作の『Uh Hur Her』、あるいは『ドライ』をはじめ初期の作品を通してPJハーヴェイの音世界を形づくってきた荒々しいギター・サウンドは姿を消し、『ホワイト・チョーク』ではほぼ全編にわたりアコースティック・ピアノが奏でるクラシカルなメロディがサウンドの主旋律となっている。聴いたその印象は、単にギターの代替としてピアノによって作曲されたというより、ピアノを弾くために書かれたアルバムと形容したほうがふさわしい。これまでの彼女の作品とはどれとも似つかない異質な手触りがある。
ポリーにとってピアノは、慣れ親しんだギターとは異なりほとんど未知の楽器だった。今回のレコーディングにあたり、家の中に招き入れたその見慣れぬ異形の存在=ピアノについて彼女は「巨大な野獣」と形容している。実際、彼女が本格的にピアノを弾き始めたのは前作『Uh Hur Her』のリリースからしばらくした後のようで、昨年某フェスティヴァルで披露するまで客前でピアノを弾いた経験は一度もなかったという。それほど彼女にとってピアノを弾くこと、それもソングライティングやパフォーマンスのレヴェルにまで弾きこなすことは一大事でありチャレンジングな行為だった。いまでもステージで演奏するのは怖くて堪らないというぐらいだから、それは相当のことだったのだろう。
ポリーはなぜ、そんな思いをしてまで今作でピアノを弾こうとしたのか。変化や前進への志向は表現者としてきわめてまっとうな欲求とはいえ、仮にもキャリアが20年に届かんというアーティストの取り得る手段としては、必ずしも賢明とは言いがたい。しかも、ミュージシャンとしての根幹に関わる部分でのこうした選択は、かなりリスキーと言える。限りなくゼロの地平から自らの音楽世界を新たに立ち上げることは、その爽快感と引き換えに、大袈裟に言えばそれまで築いてきたものを自らの手で壊す行為にも等しい。しかし、それでもポリーにとってピアノを手にすることは、20年近くにわたるキャリアの中で到達した「自らの深み」から抜け出し、新たに向うべき正しい場所を見つけるために不可欠な選択であり、それは彼女の内に芽生えた抗いがたく圧倒的な欲求だったという。そして、その欲求に応えることこそが、彼女にとって『ホワイト・チョーク』を制作した最大にして唯一の理由だと言い切ってもおそらく間違いない。
本人の、ドラマ性を喚起するキャラクターとは裏腹に、ミュージシャンとしてのキャリアの面ではこれまで比較的に順調な軌跡を歩んできたと言えるPJハーヴェイ。しかし、そんな彼女にとって敢えてターニング・ポイントとなる作品を挙げるとするなら、それは2000年に発表された『ストーリーズ・フロム・ザ・シティ、ストーリーズ・フロム・ザ・シー』だろう。
楽曲の大半が故郷のドーセットではなく当時滞在していたニューヨークで書かれ、音楽的にも内面的な世界観の部分でも変化を迎えた5作目のスタジオ・アルバム。このアルバムの中でポリーは、それまでの自身の内面を生々しく曝け出すようなモノローグから、外の世界と能動的にコミュニケーションを図るようなダイアローグへと「語り」の視点を変え、観念的なレトリックを排した素朴でストレートな言葉で「自分以外の人間から見た世界観」(ポリー)を意識したストーリーを歌っている。
そしてサウンドや彼女の歌声も、ヘヴィで直情的に突き動かされるような摩擦や歪みは失せ、ポップな躍動感にあふれ、包み込むようなおおらかさと慈愛を感じさせるものへと変化した。それまでのアルバムが、PJハーヴェイというアーティストを私小説的に内側から輪郭付けていった作品だとすれば、『ストーリーズ~』は、第三者的に外側から見つめることでPJハーヴェイを「再発見」し新たな輪郭を与えた作品とも言える。さらに女性アーティストとして初のマーキュリー・プライズに輝くなど、世間の評価的にも彼女のキャリアを代表する一枚である(トム・ヨークとの共演も話題を呼んだ)。
しかし、最近のインタヴューの中でポリーは『ストーリーズ~』について振り返り、そうした周囲の反応をよそに必ずしも満足できる作品ではなかった、と明かしている。曰く、技術的/アーティスティックな部分ではひとつの実験であり達成だったが、心の深い部分で満たされることはなかった、と。たしかにアルバムは高い評価を受け、PJハーヴェイというアーティストに大きな成功をもたらした。「私にもやっと外界に対して長年閉ざし続けてきた扉を開け放つ覚悟がついてきたのよ」と興奮気味に話してくれた当時のインタヴューからは、彼女自身もそうした変化や新境地について好意的に受け止めていた様子が窺える。でもそれは、たとえば『トゥ・ブリング・ユー・マイ・ラヴ』(’95)や『イズ・ディス・ディザイアー』(’98)のような、創作的な達成と内的な充足を同時にかなえてくれた作品とは程遠い、と2007年のポリーは語っている。
続く『Uh Hur Her』(’04)についてポリーは完成後のインタヴューで「今までで一番、本当に『自分』を描けたアルバムだと思う」「私が音楽とか自分についてどう考えているのかを表現する方法としては、より正直なドキュメンタリーができたと思う」と話していた。
故郷のドーセットで制作され、ほぼすべての演奏を一人でこなし、初のセルフ・プロデュース作となった『Uh Hur Her』(は、『ストーリーズ~』とは対照的に、創作的な部分での変化や実験よりも、まず彼女の内面的な如何が優先された作品と言える。音楽のスタイルも、初期の代表作を彷彿させる攻撃的なギター・ロック/ブルーズへと(すべてではないが)回帰を見せた。「ドーセットみたいな明らかな自分のルーツ的場所に頼らなくても自分を見失わなくなった」と話していた『ストーリーズ~』で「世界」を発見したポリーは、ここで再度自らを内側から凝視することで「本当の自分(=ルーツ)」を再定義する。もっとも、それは単なる前作の反動というよりむしろ、外の世界に触れ数多の経験を得たからこそ彼女の中に芽生えたアイデンティティの「成熟」の表れだったのだろうと思う。
だとするなら、「このアルバムでようやくスタートラインにたった気がする」とまで語っていた『Uh Hur Her』をへて産み落とされた『ホワイト・チョーク』は、彼女にとってどのような意味をもつ作品と言えるのだろうか。
ポリーはガーディアン紙のインタヴューの中で奇妙なエピソードを告白している。「私はこのごろ、自分が『イギリス人』なんだって強く感じるの。自分は『イギリス人の女性』だと意識するようになった。だから私はイギリス人の女性のように歌いたかったの」。さらに記事によれば、『Uh Hur Her』のリリース後、ポリーは「英文学」を学びたいと思い立ち、そのための然るべき教育機関に進むことも真剣に考えていたのだという。
なぜそのような感情が彼女の中で沸き起こったのか。その明確な理由は定かではない。彼女はあらためて自覚するまでもなくれっきとした「イギリス人」である。ただ一方で、小さなころから両親の影響(彼女の父親は「ストーンズの6番目の男」とも呼ばれたイアン・スチュアートと親交が深かった)でキャプテン・ビーフハートや古いブルースなど“アメリカ人が歌った”レコードを聴いて育った彼女にとって、「自分とは何者か?」という問いはつねにアーティストとしてのアイデンティティに関わる重要なトピックだったのだろう。そして『ホワイト・チョーク』は、その「問い」の延長に生まれた作品としておそらくある。
思えばPJハーヴェイとは、なんとも“アメリカ的”なアーティストである。その音楽的な趣味志向やルーツも含めたスタイル。登場した時代背景やシーンとの関係性。スティーヴ・アルビニがニルヴァーナの『イン・ユーテロ』と同時期にプロデュースした『リッド・オブ・ミー』(’93)が象徴的なように、「1991年」にデビューを飾った彼女とはいわばアメリカのオルタナティヴ/グランジに対するイギリスからの回答だった。
その独特な立ち位置については、あらためて彼女を90年代初頭のイギリスの音楽地図の上に置き直してみればよくわかる。そこに音楽的な共時性はほとんど見当たらない。ブリット・ポップともブリストルとも交わらない。むしろ彼女の音楽的な関心は海の向こう側で起きた地殻変動と地続きに共振するものであり、そこにはベックやジョン・スペンサーを巻き込むことも可能な「ブルーズ」をめぐる議論から、そのキャラクターが本人の不本意な形でカリカチュアされた結果としてのライオット・ガールとの比較論まで、同時代のアメリカのロック状況に対照する争点が内包されていた。
『Uh Hur Her』でポリーが本当に描いたという「自分」とは、つまりそうしたアメリカの音楽と交わりの深い自らのアイデンティティと捉えるのがおそらく正しい。その意味であのアルバムとは、「こういうレコードをつくる方が私にとっては自然で」とも話していたように彼女の血肉にまで根を下ろした音楽的ルーツをあぶりだす文字どおり「正直なドキュメンタリー」だった。
であるならば――。「イギリス人の女性のように歌いたかった」という、それまでの“アメリカ的”なものとは真逆の、しかもさらに踏み込んだ形で自身の「ルーツ」へと彼女が向った『ホワイト・チョーク』を、いったいどう捉えるべきなのだろう。
『ホワイト・チョーク』を聴いて、まず誰もが深く魅了されるのは、その彼女の歌声ではないだろうか。それは、あの情念が迸るような叫びとも、荒涼と吹きすさぶ詩情とも、あるいは『ストーリーズ~』で聴いたみずみずしい躍動感とも異なる。もの憂げで、艶かしく、凍えるほど張りつめ、でもどこか感情の底が抜け落ちたような、まさに「静謐」という言葉がふさわしい歌声。今までのPJハーヴェイのアルバムで、こんなふうな歌声で歌うポリーを聴いたことがない。アートワークに写るポリーはまるで、神の洗礼を受けた修道女のように清らかで透徹した表情をしている。
PJハーヴェイのこれまでのキャリアにおいて、(その歌詞と共に)時にそのキャラクターを過剰に意味づけ、またセンセーショナルにカリカチュアしてきたポリーの歌声。「どうも世間では、私が持って生まれた女としての業を歌を書くことで解消させてる、悪魔祓いみたいなものだと思い込んでるフシがあるみたいだけど、そうじゃない。私にとってソングライティングはセラピーではなくて自己表現なの」。デビューからのそうした誤解や偏見に嫌気がさしていた彼女は、もう長い間、自分が本当に歌いたい歌い方を探し続けてきたという。それは同時に、「自分とは何者か?」という問いとも響き合うものであり、「イギリス人」である自分を意識するようになった出発点でもある。
そしてガーディアン紙のインタヴューの中で彼女は、今回の『ホワイト・チョーク』に際し、あるキーワードを記したメモを身の回りに貼り付けレコーディングに臨んだことを明かしている。彼女によればそのメモには「子供のように」「5歳」と書かれていたという。
そのキーワードが具体的に何を意味するのかはよくわからない。少なくとも『ホワイト・チョーク』のポリーの歌声は「5歳」の「子供のように」は聴こえない。だから想像するに、そのキーワードとはある種のメタファーなのだろう。それは、たとえば「音楽」というものの記憶や体験が認識される以前の無垢や純真さの象徴かもしれないし、つまりは“アメリカ的”なものと出会う以前の“イギリス的”なルーツへの回帰を指すものかもしれない。あるいは彼女の中で「5歳」とは何か特別な年齢なのかもしれない。
ただ、言えるのは、『ホワイト・チョーク』とはポリーにとって、けっして無邪気に音楽と戯れるような作品ではない、ということだ。むしろ、彼女が今作に期する思いは、これまでのどの作品よりも切実で重いものであったに違いないと想像する。『ストーリーズ~』と『Uh Hur Her』という、対照的で、かつ互いを補完するようにしてPJハーヴェイというアーティストを定義/再定義した両傑作をへて、その余韻が引いた後にふと、内側から生々しく湧き上がってきた「お前は誰だ?」という囁き。その内なる声に応えたのが『ホワイト・チョーク』であり、結果、彼女はここにまったく新たな「PJハーヴェイ像」をつくり上げてみせた。
白いドレスを着て、暗がりの中でたたずむアートワークのポリーの姿はまるで蝋燭のようであり、その光が灯された全身の背後には、彼女の影が周りの闇に溶け込むように深く伸びている。
その「影」の濃さこそ、『ホワイト・チョーク』を物語る何物かであるのは間違いない。
(2007/12)
※追記:2011年2月、ニュー・アルバム『LET ENGLAND SHAKE』リリース。
「これまでの私の作品の多くは、内面的なこと、感情だとか、私自身の内部で起きていることについて語っていたと思う。だけど今回は、私の視点はとにかく外側へと向いている。だからイングランドに目を向けて、その問題を扱っているだけじゃく、世界に目を向け、今、世界の最新情勢はどうなっているかということにも目を向けているの。でも常に、1人の人間としての視点を忘れないようにしているわ。」
とポリーは語る。
※追記:『LET ENGLAND SHAKE』収録曲(のいくつか)は『ホワイト・チョーク』のレコーディングと同時期に制作されたものらしい。