2013年7月29日月曜日

2013年の熟聴盤⑦

・ 柴田聡子/海に行こうか EP
・ Volcano Choir/Repave
・ Alunageorge/Body Music
・ John Frusciante/Outsides
・ Fuck Buttons/Slow Focus
・ Kanye West/Yeezus
・ 森は生きている/森は生きている

※編集中

(2013年の熟聴盤⑥)
(2013年の熟聴盤⑤)
(2013年の熟聴盤④)
(2013年の熟聴盤③)
(2013年の熟聴盤②)
(2013年の熟聴盤①)



2013年7月17日水曜日

極私的2000年代考(仮)……“ディスカヴァー・ベック”なベックの「00年代」を今更ながらに刻んだ『モダン・ギルト』


 
 ベックにとって「ソングライティング」とはいかなる行為か。
 その答えの一端を示すエピソードとして、たとえば以下に語られるベックの“ブルース観”は象徴的だ。
「ブルースのごった煮なとこが好きなんだ。いろんなリフレインがいろんな人たちの歌の中に散りばめられているだろ。いくつかの曲からいくつかのヴァースを持ちよって、組み立ててみる。そうすると、いつの間にか自分の中から、自分なりの曲が生まれてくるってわけさ」
 続けて、こう自己分析してみせる。
「フォークやトラディショナル・ミュージックから始まって、僕の歌にはアメリカン・ソングのメロディと構造がしっかりと根付いているんだ。けど、音楽的な意味での僕の持ち味は、その構造の中に様々なサウンドやいろんなアイデアを反映させるところにあると思う。構造はそのままで、おもいっきり楽しんじゃおうって感じかな」(DHC刊『ベック』より)
 つまり、「編集」と「折衷」。そのメタ的なプロセスが導く先に像を結ぶ音の手触りの中に“オリジナリティ”を発見し、実作者としての“アイデンティティ”を獲得する。繰り返し語られてきたことだが、そうした一連の行為こそがベックにとっての「ソングライティング」であると一先ず定義することができる。その最初の到達点がいうまでもなく『オディレイ』(‘96)であり、アップデートされたモダン・ヴァージョンが「王道ベック・サウンドの復活」とも評された『グエロ』(‘04)と『ザ・インフォメーション』(’06)に他ならない。
「このアルバムは、僕がこれまでに実験してきたこと、いろいろと試してきたことすべての結晶なんだ」とベック自身が語った『グエロ』。その続編か腹違いの双子(前者はダスト・ブラザーズ、後者はナイジェル・ゴドリッチが相手)的な位置づけも可能な『ザ・インフォメーション』は、まさしく巨大な情報庫のようなアルバムだった。さながらそれは、そもそも存在自体が多様な音楽史的記憶を格納する情報庫といえるベックを、さらにそのディスコグラフィー丸ごと(=ベック史的記憶)格納する迷宮的なアーカイヴと呼ぶのがふさわしい。その内部をマトリックス状に張り巡らされた「情報」を、自在に引き出し、掛け合わし、マルチレイヤードに構築しながら展開されるベックのストロングスタイル。そこに蓄積された情報量は、ともすればベック本人さえも持て余しかねないほど膨大なものであり(その感覚は、アルバム・タイトルの「ザ・インフォメーション」に関連してベックが語った「僕らの目の前に立ちはだかる、巨大で不可解で不気味な物体」というリアリティの飽和した現代社会のイメージに近い)、なるほど、レコーディングではインスピレーションを頼りにバンド・メンバーとの自然発生的なセッションの中からサウンドが練られたというのも頷ける。「このアルバムから聴こえてくるのは僕らがどこに向っているのか分からない不安とそして興奮なんだ」と語るベックの実感はまさにその通りだろうし、目の前の無数の選択肢の中から唯一絶対の解答を引き当てるために、偶然性やハプニングを持ち込むような賭けにあえて打って出たところも、もしかしたらあったのかもしれない。ともあれ、結果的に出来上がった『ザ・インフォメーション』は、まるで「『ベック』という構造の中に様々な『ベック』のサウンドや『ベック』のアイデアを反映させた」ようなアルバムだといえる。
『ザ・インフォメーション』が誇る情報量の膨大さは、そのままベックの15年、すなわち積み上げてきたディスコグラフィーの射程と同義である。そして、そのディスコグラフィーが呈するベックの創作史とは、冒頭で定義した特異なソングライティングの作法が導いた音楽的な帰結に他ならない。
 たとえばビョークの場合、そのディスコグラフィーは、常に最先端の「今」と交わりながら変態する、自己像の絶えざる更新の軌跡といえる。あるいはレディオヘッドの場合、それは、『キッドA』や『イン・レインボウズ』を巡るバンド自身の言説にも顕著なように批評的(批判的)に自己像を検証しながら、しかしあくまでバンド内/トム・ヨーク個人に集約される絶対的なロジックに従い漸進する、ある種の自己完結的な創作史ともいえるだろう。
 ベックのディスコグラフィーは、ポップ・ミュージックの今日的な革新とも、作家主義的なドラマツルギーの発露とも異なるベクトルを示す。なるほど、そのサウンドは、新たな「情報」を書き加えられながら他花受粉を重ねる不断の変化や更新を孕むものだが、しかしそれはある意味、時勢/時制を無視したところで遂げられるものであり、つまり「今」とは必ずしも交わらない(逆に「今」の指標となることはあっても)。あるいはそれは、後述するようにベックの個人史に根差した、その記憶のディープな反映そのものといっていい代物だが、同時にそのメタ的なオリジナリティの有り様しかり、あらゆる音楽作法や音楽史的記憶に参照点を見出す限りなく開かれたものだ。博覧強記で感度は鋭いが、シーンやムーヴメントという意味での時代性にはじつは無頓着で、求道的で凝り性の反面、寄り道や余暇的な遊びも嫌いじゃない(むしろ大好き)。そんなベックの特異なキャラクターを伝えるディスコグラフィーは、その圧倒的なポピュラリティーとは裏腹に類例を見ない道筋を辿る。
 そして、何より“ベックらしい”のは、件のソングライティングの作法の行き着く果てに、近作に至って自身のディスコグラフィー(=ベック史的記憶)をも編集/折衷素材の「情報」として対象化しているフシがあるところだろう。『「ベック」という構造の中に――』とその感触を記した『ザ・インフォメーション』。また「これまでにいろいろと試してきた中で、いちばんうまくいったなと思えたことばかりを総括した」とベック自身が語った『グエロ』。けれどもそれらは、過去の焼き直しでも二次創作でもない、むしろこうした志向やプロセスこそがベックというアーティストであるという意味で“オリジナル”なアルバムとしてある。
 であるならば、今度の『モダン・ギルト』の場合はどうだろう。

「芸術家は、文化的・形式的な仮定事項を受け取り、そこから非常に多くのものを、いわば横領する。もはや流通していないアイデアを再評価し、再度紹介し、それによって芸術家自身もまた革新を果たす。しかしその「革新」の部分は、我々が通常考えているよりはずっと少ない割合でしかない。(略)革新は全然直線的なものではない。それは、同じ一つの場所に停まろうとする努力であり、移り変わる風景の中で、主体性を持ち続けようとする努力である」(ブライアン・イーノ――水声社刊『ブライアン・イーノ』より)
 自身のディスコグラフィーの編集/折衷を含むソングライティングとは、すなわち絶えず過去を包摂しながら現在そして未来を循環するように結ぶ再帰的なプロセスの創作を意味する。ベックはベックから「情報」を受取り、それはベック自身にフィードバックされる、そしてまたその更新された「情報」はソングライティングに再導入され、新たなベック像が創られていく。つまり「いろんな『情報』がベックの中には散りばめられているだろ。いくつかのベックの曲からいくつかの『情報』を持ちよって組み立ててみる。そうすると、いつの間にかベックの中からベックなりの曲が生まれてくるってわけさ」。その再帰的なソングライティングの中でベックという「情報」は、他の「情報」とも交わりながら反復され反芻され、増幅される。『ザ・インフォメーション』(の膨大さ)は、そうした途上に姿を現したものだった。
 だとするなら、仮にそのようなプロセスを極限まで推し進めた先に、いかなる事態を予測できるか。『ザ・インフォメーション』を凌駕するさらなる膨大で坩堝的な「情報庫」と化すのか。
 いや、むしろその逆だろう。おそらくそれは、ある種の優生学的な帰結として“ベックの純血化”に向うのではないか。
自身の編集/折衷とはつまり最もシビアな自己批評/批判であり、その繰り返しはやがて因数分解するようにベックの「構造」を露にする。いわば“素数”にあたるのがベックの核/精髄(=ベック史/論の要旨)であり、それは件の再帰的なソングライティングの過程で優性遺伝のように受け継がれながら精錬される。結果、あらゆる余剰やノイズは削ぎ落とされ、膨大な「情報」の中から濾過抽出されたエッセンスだけが凝縮された形で作品化される……。
 そして、前置きが長くなったが、いうなればそれこそが、ベックにとってニュー・アルバム『モダン・ギルト』、そこで到達した境地ではないだろうか。

『モダン・ギルト』の音はとても“濃い”。けれどもその濃さとは、たとえば『オディレイ』や近作が誇ったような博覧強記で情報網羅型の濃さじゃない。ギターやベースやドラム、トラックのビートやリズムの一音一音に漲る、いわば「基音/地音」の濃さ。あるいはその濃さとは、「太さ」や「厚さ」といい換えてもいいかもしれない。デンジャー・マウスをプロデューサーに迎え、多くの楽曲でベックはギターやベースからピアノやフルートまで自分で演奏している。もっとも“ノーバディーズ・フォルト~”を敷衍するアトモスフェリックなサイケ・ロック“ケムトレイルズ”や、エイフェックスっぽいブレイクビーツ&ピアノがリードする“レプリカ”のようなナンバーもあったり、サウンドのレンジは絞られているが起伏は際立ちを見せる。しかし、それでもやはり、何より『モダン・ギルト』を聴いて耳を引かれるのは、エッジの砥がれた、ベックのコアそのものを刻み付けたようなソングライティングの生々しさだろう。
 ベックの「コア」。その源流すなわちルーツは、ふたつの場所に求められる。ひとつは、ベックが少年期を過ごしたロスのダウンタウン。そして、もうひとつは、15歳のとき、友達の家で偶然手にした古いブルースやフォークのレコード。前者は、その多様な音楽史的記憶に親しむバックグラウンドを育み、後者は、アコースティック・ギターを握らせミュージシャンとして生きる天啓を与えた、ベックの「原風景」である。
 ヒスパニックやコリアンや雑多な人種の移民が暮らす環境の下、ラジオから流れるファンクやヒップホップに交じって民家や商店から聴こえる多国籍な音楽に日々触れる中でアイデンティティを培われた“現代アメリカ音楽の私生児”としてのベック。一方、ミシシッピ・ジョン・ハートを入り口に20~30年代へと歴史を遡るデルタ・ブルースやトラディショナル・フォークに傾倒し、その伝統的な作曲術、ギターの演奏法や歌唱法を体得する過程で後天的に覚醒した“アメリカ・ルーツ音楽の正嫡子”としてのベック。自身のディスコグラフィーにおいて、両者のベックは陰に陽に互いを補完する関係で共存しながら、そのソングライティングの血肉と骨を形作ってきた。
 ベックは、『オディレイ』制作中に得た「逆ファンク」なるキーワードに関連してこう語っている。「ぎくしゃくしててぎこちないほうが、よりファンキーに見えるんだ。めちゃファンキーなダンサーたちを観察してみると、上半身は動いてないのに、身体の他の部分は違う動きをしている。身体を硬くして、できるだけぎこちなく踊る。それがファンキーに踊るコツなんだよ」。これはクラフトワークやトーキング・ヘッズにも参照可能なベックの白人ファンク解釈ともいえるものだが、ここにはじつに“ベックらしい”極意が示されている。それは白人がファンクをやるという、いわばフェイクが本物を志向する際に生じる歪みや軋轢の中にこそ事の本質を見出そうとする錬金術師的な発想である。そしてそれは、所詮どこまでもジャンクな私生児である自身をブルース/フォークという正統へと向わせた倫理であり、強い肯定の意思(ある種の開き直り?)としてデビュー作の『ゴールデン・フィーリング』以降、あらゆる局面でベックの創作を支えてきた。冒頭で示したソングライティングの特異さ、『ザ・インフォメーション』の膨大さ・過剰さもすべてはここに繋がるものである。
 けれど、『モダン・ギルト』からはもはやそうした歪みや軋轢は聴こえてこない。異質なもの同士が交わることで生まれるダイナミズムや躁的な快楽志向、圧倒的な「情報」量で凌駕する偏執的なプロダクションはここにはない。代わりに『モダン・ギルト』が伝えるのは、ロックンロールとソウル、そのルーツでブルース/フォークとが分かち難く一本の太い線で結ばれたピュアリズム。まるでそこにあるがまま聳え立つような勇壮さ、音楽の静謐な輝きがここにはある。
想像するようにこれは、自身さえ対象化する解体的なソングライティングの果てに行き着いた、一種の達観の成せる業なのか。それともこれもまた、ベック一流の「反動」の表れなのか。少なくともそのサウンドからは、近作とは明らかに異なるフェーズを迎えたベックのモードが伝わる。いわばベックはここで、「ベック」という記名性/記号性(=『オディレイ』に象徴される “王道ベック”のイメージ)をも削ぎ落とさんとする精錬を見せる。つまり逆ファンク的な「異種の正統」から「本格派」へのパラダイムシフトである。
 そして、それとはおそらくベックにとって「90年代」との決別に他ならない。ベックの(みならずシーンの)「90年代」を決定づけ、ある面では呪縛ともなった『オディレイ』。そこから様々な音楽的摸索をへた末に『オディレイ』を再訪し(=「90年代」に回帰)制作された『グエロ』と『ザ・インフォメーション』。『モダン・ギルト』とは、そうした『オディレイ』以降の再帰的なサイクルを脱し、「90年代」的な振る舞いを葬りついに実感された「ベックの00年代」――「00年代の一枚」といえるのではないだろうか(同じような感慨、「本格派」への目覚めはスティーヴン・マルクマスの新作にも感じた。まあ個人的にマルクマスにはまだまだ変な奴でいてほしいんだけど)。


(2008/09)


(極私的2000年代考(仮)……またはベックという案件)
 

2013年7月12日金曜日

極私的2010年代考(仮)……USアンダーグラウンドからの証言:Disappears



本作『プリ・ランゲージ』は、シカゴの4ピース、ディサピアーズのサード・アルバムになる。今回が日本デビュー盤となり、本国では前作・前々作に引き続き地元の「Kranky」からリリースされた。また本作は、新メンバーとしてソニック・ユースのドラマー、スティーヴ・シェリーが参加したことでも話題の作品である。


ディサピアーズは2008年にシカゴで結成された。しかし、彼らを語るうえでまず触れるべきは、中心人物のブライアン・ケイス(Vo/G)の経歴についてだろう。というのも、ブライアンはディサピアーズを始める以前に、90デイ・メンとポニーズというふたつのバンドで活動していた過去を持つ。かたや90デイ・メンは、90年代半ばにセントルイスで結成され、その後シカゴに活動の拠点を移し、ヘルメットやドン・キャバレロ(※後のバトルスへと発展する)とも比較されたプログレッシヴ・ロック~マス・ロックの流れを汲む構築性の高いサウンドで評価を集めたバンド。かたやポニーズは、2000年代初めにシカゴで結成されたガレージ・パンク・バンドで、ジョイ・ディヴィジョンや初期キュアーからジーザス&メリー・チェインまで(広義の)ポスト・パンクの影響を受けたワイルドなギター・ロックは地元シーンで熱烈な支持を得た。

一見、異なる音楽志向とスタイルの両バンドだが、じつは重要な共通点があり、それはスティーヴ・アルビニと縁が深いという事実。前者は2004年のラスト・アルバム『Panda Park』がアルビニ所有のスタジオ「Electrical Audio」で録音(※同作品はトータスのジョン・マッケンタイア所有の「Soma」でも録音された。ちなみにエンジニアリングは昨年エクスプロージョンズ・イン・ザ・スカイの最新作『テイク・ケア、テイク・ケア、テイク・ケア』やビッチ・マグネットの再発リマスターも手がけたジョン・コングルトン)、そして後者は、2007年に「Matador」からリリースされたサード・アルバム『ターン・ザ・ライツ・アウト』がアルビニのプロデュース作品だった。

というように、つまりディサピアーズとは、80年代後半のバストロやビッグ・ブラック~レイプマンといったポスト・ハードコア/USジャンクに始まり、90年代のトータス周辺や、キャップン・ジャズから派生したジョーン・オブ・アークやプロミス・リングに代表されるポスト・ロックからエモ/パンクの流れを含む――連綿たるシカゴのミュージック・シーンを大きな背景に登場したバンドだといえるだろう。ちなみに、ブライアンの他のメンバー、ジョナサン・ヴァン・ヘリック(G)とオリジナル・ドラマーのグラエム・ギブソンもディサピアーズ以前にボアスというバンドで活動していて、2003年リリースのアルバム『Mansion』にはトータスのジョン・ヘーンドンやエクスプローディング・スター・オーケストラのジョシュ・バーマンらシカゴの腕利きが参加、さらに前述の「Soma」で録音された経緯がある。またグラエムにいたっては、ディサピアーズと平行して「Sub Pop」所属のフルーツ・バッツというオルタナ・カントリー・バンドで活動する傍ら、JOAのティム・キンセラを始めタウン&カントリーやキャリフォン、U.S.メイプルのメンバーからなるコレクティヴを組み、元ミニストリーのクリス・コネリーのソロ・アルバム『Episodes』をサポートするなど、バンドを取り巻くシカゴ・シーンの交友関係は有機的で幅広い。


さて、そのような経緯をへて、ブライアンがポニーズのブレイク中にグラエムと始めたデモ制作をきっかけに、その後ジョナサンとデーモン・ジュリアン・カールエスコ(B)が加わり本格的に始動したディサピアーズ。デーモンを除けば個々にそれなりのキャリアを積んだミュージシャンの集まりだったが、ブライアンはバンド結成時に描いた音楽的な青写真についてインタヴューで語っている。それはちょうど90デイ・メンとポニーズの“橋渡し”的な位置付けというもので、いわく前者の「コンセプト」と後者の「ストラクチャー」を融合させたもの、だという。つまり、前者の複雑で構築性の高いサウンドと、後者の“シンプルで率直(simplicity and directness)”なソングライティングを兼ね備えたスタイルこそ、ブライアンの掲げたディサピアーズのヴィジョンだったようだ。


また、それとともに、ブライアンがディサピアーズの音楽的指標として挙げるのが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやノイ!の名前である。あるいはサウンドからはスペースメン3やスーサイド、フォールとの近似性も散見できるが、とりわけ重要なのがクラウト・ロックからの影響だったようだ。きっかけは90デイ・メン時代のバンドメイトだったロバート・A.A.・ロウ(※現在はリッチェンというノイズ/ドローン・プロジェクトで活動)の勧めでファウストを聴き、そしてカンの『エーゲ・バミヤージ』に衝撃を受け、そこからノイ!やクラスターからハルモニアやラ・デュッセルドルフへとハマっていったのだという。もっともプライヴェートでは古いR&Bやソウルやカントリーのレコードをよく聴いているそうだが、つまり、クラウト・ロックの反復するフレーズやリフ、グルーヴの推進力やミニマリズムを、ガレージ・パンクやサイケデリック・ロック~ドローンのテクスチャーと融合させるというのが、ディサピアーズのひとつのスタイルといえる。ちなみに余談だが、所属する「Kranky」は2000年代のUSアンダーグラウンドにおけるクラウト・ロック・リヴァイヴァルの震源地であり、『Cryptograms』期のディアハンターを始めクラウドランド・キャニオンやエメラルズのスティーヴ・ハウシルトらと彼らが同時代性を共有している点は重要な指摘だろう。

ファースト・アルバム『Lux』がリリースされたのが2010年。制作自体は2008年にされたのだが、当初契約していた「Touch & Go」の閉鎖に伴い新たなレーベル交渉に手間取り、結果リリースまでに2年のブランクが空いてしまったのだという。しかし、そのブランクの間にバンドは新たな曲作りを済ませ、翌年の2011年にはセカンド・アルバム『Guider』がリリースされた。1曲目を除いてワンテイクで録音されたことでも話題を呼んだアルバムだが、なかでもバンドの重要な方向性を提示していたのが最後に収録された“Revisiting”だった。『Lux』同様にそもそも3分台か3分弱の楽曲が並ぶバンドのレパートリーに対して、約16分間というアルバム収録時間の半分を占めるこのロング・トラックは、いわばヴェルヴェット・アンダーグラウンドにおける“シスター・レイ”であり、つまり反復とミニマリズムとシンプリシティを追求し、さらにリヴァーヴ等の音響テクスチャーも含むディサピアーズのサウンド・デザインが最大限まで拡張された「実験」だった。曲作りは基本的にライヴで試しながら完成させていくスタイルらしく、“Revisiting”が開陳した深化の萌芽は、「『Lux』のオルタネイト・ヴァージョン」とブライアンが語る『Lux』収録曲のライヴ音源『Live Over The Rainbo』(※ディアハンターと周った初ツアーの際にCDR/カセットで限定リリースされた後、2011年に「Rococo」からアナログで再発された)でも確認できる。


その『Guider』をレコーディング直後にグラエムがバンドを脱退。そこで、以前に自分たちのライヴに招待するなど交流のあったスティーヴに相談し、実現したのがこの度の正式加入の経緯のようだ。
まず手始めにバンドとスティーヴは『Lux』と『Guider』の楽曲のリアレンジに取りかかり、その作業を参考に新たな曲作りをスタート。そしてデモを制作後、それをもとに『Guider』のリリース・ツアーを通じて曲を練り上げ、再度スタジオ・ワークをへて完成したのが本作『プリ・ランゲージ』になる。なお、本作のミキシングと共同プロデュースは前述の90デイ・メン『Panda Park』も手掛けたジョン・コングルトン、エンジニアリングはソニック・ユースの諸作でお馴染みのアーロン・ミュランが担当(※ちなみに、当初のデモ音源は『Live At Echo Canyon』というカセット/CDRとして『Guider』のツアーで限定リリースされた)。

果たして、本作『プリ・ランゲージ』は、『Lux』や『Guider』の粗削りなマナーと比べると、ある意味でとても洗練された印象を受ける。それは例えば、“Revisiting”が示した方向性の延長というよりは、アルバムの構成も均整が取れていて、よりタイトに凝縮されたイメージに近いかもしれない。スティーヴの安定感あるドラミングに新たな重心を置きながら、核である「4ピースのロック・バンド」としてサウンドをリデザインさせたような、とてもタフな手触りを受ける。そのうえで浮上したのが、それこそフォールやワイアーにも例えられそうな“Replicate”“Fear of Darkness”のアーリー・ポスト・パンクなテイストや、『GOO』や『ダーティ』といったソニック・ユースの90年代~オルタナティヴ期の作品も連想させる“Hibernation Sickness”“Brother Joliene”、さらに“All Gone White”“Joa”のポスト・ハードコアなUSジャンクのタッチといった、より削ぎ落とされたかたちで彼らに受け継がれたUSアンダーグラウンドの正統性のようなものだろう。“Love Drug”の終盤で見せるジャム・パートには“Revisiting”の反響を聴き取ることもできる。あるいは、前述の「90デイ・メンとポニーズの“橋渡し”的な位置付け」というブライアンによるディサピアーズの青写真と照らし合わせるなら、本作『プリ・ランゲージ』は後者に寄った内容とディスコグラフィー上の位置付けが可能かもしれない。


本作のリリースと前後して、バンドはアメリカとヨーロッパを周る大規模なツアーを敢行中。今回のスティーヴを迎えた編成が今後も継続されるのかどうなのか、確かなことは現時点で不明だが(※その辺りは現在活動を休止中のソニック・ユースの動向とも関わってくる問題かもしれない)、とりあえず最新のライヴ映像からは彼がドラムを叩いている姿を確認できる。あるいはすでに次回作用の曲作りを始めていて、それをライヴで試しているという可能性も、これまでの流れを踏まえれば十分にあり得る。新たな報告を期待して待ちたい。


(2012/05)



(※極私的2010年代考(仮)……USアンダーグラウンドからの証言:The Psychic Paramount)
極私的2010年代考(仮)……USアンダーグラウンドからの証言:Barn Owl インタビュー)
極私的2010年代考(仮)……USアンダーグラウンドからの証言:Eternal Tapestry & Sun Araw)
極私的2010年代考(仮)……USアンダーグラウンド白書:Wooden Shjips)

2013年7月1日月曜日

2013年7月のカセット・レヴュー(随時更新予定)

◎Angel 1/Purple Haze
今や本家(?)のモントリオール〈Constellation〉より注目を集める〈Constellation Tatsu〉だが、所在地のオークランドはCankunやJefre Cantu Ledesma、Food Pyramid等々のホームタウンとしても知られる目下USアンダーグラウンド・シーンにおける要衝のひとつでもある。そんな地元が送り出す期待のシンセ・ポップ。ラウンジとハウスをスムースに繋いだA面もそれはそれだが、Inner Tubeが突然ブレイクビーツを始めちゃったりしたかと思えば、神妙なアンビエントですまし顔を決め込んだりする神出鬼没なB面の方が、長時間のリスニングに耐える個人的には。

◎Strange Mountain/Slow Midnight
インドネシアはジャカルタのアンビエント作家。テープ・マニュピレーターを駆使し、フィールド・レコーディングスも混ぜ込むみずみずしいシンセ・スケープは、不思議と環境音楽然とした音ずまい。彼の地の熱帯気候も忘れる、ひんやりとしたエレクトロニクスの肌触り。

◎Matthew Dotson/Revolution​/​Circumvention
〈Already Dead Tapes〉……お前はもう死んでいる、とでもいう意味だろうか。LAのサウンド・アーティストは、一見シラフなアンビエントにユーモア満載のコラージュ、バレアリックなビートを露悪的に織り交ぜ、目まぐるしいカット&ペーストでリスナーを注意欠乏症へと誘う。レビューではジョン・レノンのレヴォリューション9やオノ・ヨーコが引き合いに出されていること自体が質の悪いパロディのようにも映るが、そんなA面に劣らずB面では、まるでサン・ドリップスがチップチューンとウルフ・アイズとラーガをアマルガメイトするような倒錯した芸当も披露。食えないなー。。

◎Tangles/Ricky Egan
イルカとプーチンとキャメロン・ディアスでお馴染みの〈EXO TAPES〉から、グラスゴーのマルチ・レイヤード・ギタリスト。エフェクターを操りエレクトロニクスやコラージュも織り交ぜつつ、ドゥルッティ・コラム~ジェームス・ブラックショウのラインを継ぐようなギター・アンビエンスを披露。

◎Dolphin Tears/Pure Water
イルカでアンビエント……となれば否が応にもドルフィンズ・イントゥ・ザ・フューチャーを連想してしまう。そこまでの浮遊感はないかもしれないが、環境音楽然とした透き通るシンセ・ウェイヴはネイチャー系のサウンド・トラックにもふさわしい。それにしても出身地は本当にジャマイカなのだろうか。Casino Gardens、The Arcade Junkies等々の名義も使う〈Beer On The Rug〉周辺アンビエント作家らしいが、さて。

◎Bird People/Water Buffalo
フルートが大蛇のようにうねる、かなり本格的な佇まいのリチュアル・サイケ。アート・ワークが雰囲気を醸し出しているが、一昔前~フリー・フォーク全盛期の〈Important〉や〈De Stijil〉周辺で量産されていたふうのドローン・ラーガは、それこそサン・アロウやバーン・オウル等々が賑わす昨今のUSアンダーグラウンドの文脈から聴き返し、掘り返してみるのも一興かと。











2013年6月のカセット・レヴュー(随時更新予定))
2013年5月のカセット・レヴュー(随時更新予定))
2013年4月のカセット・レヴュー(随時更新予定))
2013年3月のカセット・レヴュー(随時更新予定))
2013年2月のカセット・レヴュー(随時更新予定))
2013年1月のカセット・レヴュー(随時更新予定))
2012年の熟聴盤(カセット・リリースBEST 30+α))
2011年の熟聴盤(カセット・リリースBEST 30+2))
極私的2010年代考(仮)……“カセット・カルチャー”について)
極私的2010年代考(仮)……2010年夏の“彼女たち”について)