2012年2月27日月曜日

極私的2000年代考(仮)……シューゲイズ再興の端緒 : ア・プレイス・トゥ・バリー・ストレンジャーズの場合

いわくつきのバンドである。

たとえば “ブルックリン/ニューヨークで最もラウドなバンド”。
たとえば“今まで聴いた中で最も耳を砕く(ear-shatteringly loud)ガレージ/シューゲーザー・バンド”……etc。

有名どころでサイティングスやヘアー・ポリス、あるいは「NO FUN FESTIVAL」に代表される先鋭的なノイズ・シーンが活発なその界隈において、ある種の“暴力性”で耳目を驚かすバンドは枚挙に暇がない。が、そんな猛者ぞろいのなかにあって、件の異名を授かる彼ら――ア・プレイス・トゥ・バリー・ストレンジャーズ(以下APTBS)とは、果たしてどんなバンドなんだろうか。


APTBSが結成されたのは5年前の2003年。その経緯は、地元ヴァージニア州のフレデリックスバーグで、90年代の中頃からスカイウェイヴというシューゲーザー・バンドを率いて活動していたオリヴァー・アッカーマン(Vo/ギター)が、バンドを解散してブルックリンへ渡ったことに端を発する。友達のバンドのライヴを見に行ったオリヴァーは、そこでバンドを始めるためメンバーを探していたティムとデイヴという2人の男と偶然知り合い、早速バンドを結成。オリヴァーは当初はドラマーという話だったが、ギタリストとして参加することになる。

が、ほどなく事情が変わり、デイヴがバンドを脱退。代わりに、オリヴァーの地元の友達で、コブラ・スパというバンドをやっていたジャスティンが加入することに。しかし、結局そのジャスティンも、挙句にティムまでも「ガールフレンドと一緒に引っ越す」という理由でバンドを辞めてしまう。で、その後、新たに知り合ったジェイ・スペース(ドラム)とジョノ・モフォ(ベース)を迎えてバンドを再編、APTBSは再スタートを切ることになる(ちなみに、どの時点で彼らがAPTBSと名乗るようになったのかは不明)。

そうした紆余曲折をへながら、バンドの体制を確立しライヴを重ねていった彼らは、次第にそのパフォーマンスが評判を呼び、ブルックリンのインディ・シーンで頭角を現し始めるようになる。そして、平行して自主制作でCDRのEPも発表(『Red』、『Blue』、『Green』と題された3枚のEPを2006年リリース)。ブライアン・ジョーンズタウン・マサカーやジーザス&メリー・チェーンと共演を果たすなど順調にステップアップを果たしていくなか、彼らはオースティンでのライヴを見て声を掛けてくれたボストンのレーベル「Killer Pimp」と契約を交わし、2007年8月、それまでの楽曲を集めた(実質的に結成から4年間の集大成的な作品となる)デビュー・アルバム『A Place To Bury Strangers』をリリースする。同アルバムはPitchforkを筆頭に様々なメディアで高い評価を受け、その名前はアメリカ中のインディ・ロック・ファンの間で広く知られるところとなる――。


その作品を聴けば、たとえ彼らのライヴを体験する機会がなくても、例の物騒な異名の所以となるところを実感することができるだろう。彼らみずから自分達のルーツに挙げるマイ・ブラッディ・ヴァレンタインやジザメリ、ライドといったオリジナル・シューゲーザーからの直接的な影響はもちろん、スペースメン3~初期スピリチュアライズドにも通じるガレージとサイケデリックの融合、あるいはポスト・ハードコアやインダストリアルにも感触の似た無機質で金属的なノイズの響きは、たとえばシックス・フィンガー・サテライトやブレイニアックなどサブ・ポップ/タッチ&ゴー~スティーヴ・アルビニ周辺の90年代アメリカン・インディを連想させるオリヴィアの世代感覚的なバックボーンも窺わせる(それとはつまりニューヨークという系譜に即していえばスーサイドに源流を遡るものでもある)。

文字どおり“耳を砕く”ようなノイズのカタルシスやフェティシズムが横溢する反面、たとえばM⑮「Sunbeam」のようにメロディアスなソングライティングやポップとしてのストラクチャーも随所に打ち出されていて、そこにはシューゲーザーの正統的な後継者という以前に、クリスタルズやフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドに心酔するオリヴァーの“ポップ・ミュージックへの憧憬”が垣間見えたりもして興味深い。俗に「ネオ・シューゲーザー」とも呼ばれる一種のリヴァイヴァリズムは、主に北欧圏で顕著な台頭を見せた欧州勢に対し、ニューヨークでも2000年代以降、アソビ・セクスやオン!エア!ライブラリ!、最近ならヴィヴィアン・ガールズやクリスタル・スティルズといったバンドも例に小規模ながら散見できる現象である。このAPTBSもまた、むろんそうした文脈のなかに位置付けることが可能であると同時に、その両義的なサウンドの志向性や放埓な創作精神のありようは、かつてなくエクスペリメンタルな音楽が前景化(たとえばノー・ウェイヴの再評価やフリーク・フォーク、あるいは冒頭の「NO FUN~」といった本来アンダーグラウンドなものがオーヴァーグラウンドへと浮上)した2000年代のニューヨークならでは育まれた産物といえるのではないだろうか。


ちなみに、オリヴァーは、APTBSのメンバーとしての他に、「Death By Audio」というハンドメイドのエフェクト・ペダル・メーカーの創設者としての肩書きをもつ。そもそもは理想のギター・サウンドを手に入れるため始めたペダルの自作が高じ、スカイウェイヴの解散前後の2002年に会社として起業して以来、今では多くの有名ミュージシャン(U2、ナイン・インチ・ネイルズ、ウィルコ、TV・オン・ザ・レディオ、ライトニング・ボルトetc)を顧客に抱えるブランドへと成長した「Death By Audio」。一方で、それはしかしAPTBSにとって、何よりあの凶暴なディストーションと重層的なリヴァーヴが効いた独自の音響空間を生みだすうえで欠くことのできない重要な創作のファクターとなっている。また、現在は同名のスタジオ兼アートスペースをブルックリン近くのウィリアムズバーグで運営していて、これまでサーストン・ムーアやトニー・コンラッド、ダーティー・プロジェクターズやグローイングetcが利用するなど、ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンにおけるユニークな交流の場となっている。


今回、国内盤化された本作『ア・プレイス・トゥ・バリー・ストレンジャーズ』は、同時期に「Rocket Girl」(エクスペリメンタル・オーディオ・リサーチ、ピアノ・マジックetc)から5曲追加した形でリリースされるUK盤に、さらにリミックス・トラックを3曲追加収録した特別仕様となっている(ちなみにアナログ盤は2000年代アヴァン・ロックの牙城「Important」から)。なお、ブラック・レベル・モーターサイクル・クラブや盟友ホリー・ファック(コラボレーション作品の計画も伝えられている)とのツアーに続き、この夏にはNINのツアーのオープニング・アクトを務めるなど精力的な活動を展開している彼らは、現在、ギャング・ギャング・ダンスとレーベル・メイトでもあるロンドンのシアン・アリス・グループを伴いUSツアーを敢行中。さらに、本作がリリースされる頃にはMGMTとの大規模なヨーロッパ・ツアーが予定されている。そして、待望のニュー・アルバムについては、現時点ではまだ何も情報が伝えられてこないものの、新曲の制作は水面下で行われているようだ。ちなみに、アンディ・ウォレス(ニルヴァーナ『ネヴァーマインド』、ソニック・ユース『ダーティ』etc)周辺のエンジニア、ジョン・マホニーを迎えてレコーディングされながら、その情報がメディアに漏れ、おまけに彼がガンズ・アンド・ローゼズの新作の制作に関わっていたことがリークされたことで事態が拗れ、お蔵入りとなってしまったという音源が存在するらしい……。


“ブルックリン/ニューヨークで最もラウドなバンド”“今まで聴いた中で最も耳を砕くガレージ/シューゲーザー・バンド”――その異名に違わぬ強烈なインパクトを刻んで余りある『ア・プレイス・トゥ・バリー・ストレンジャーズ』。今回のワールド・リリースを機に、その名前は世界中のインディ・ロック・シーンで存在感を増していくに違いない。あとは、その“耳を砕く”ような興奮とカタルシスを日本でも生で体験できる瞬間が来る日を熱望して待ちたい。
        
(2008/10)


極私的2000年代考(仮)……シューゲイズ再興の端緒 : アソビ・セクスの場合)

2012年2月26日日曜日

2012年の熟聴盤②

・ うつくしきひかり/うつくしきひかり
・ 平賀さち枝/23歳
・ Black Dice/Mr. Impossible
・ School of Seven Bells/Ghostory
・ FIRST PERSON SHOOTR/MOBILITY FOR GODS' EP
・ Dirty Three/Toward the Low Sun
・ Doit Science/Information
・ Spiritualized/Sweet Heart Sweet Light
・ Grimes/Visions
・ Clark/Iradelphic
・ Violens/True
・ Peter Broderick/itstartshear.com
・ Lee Ranaldo/Between The Times And Tides
・ LOOPS OF YOUR HEART/And Never Ending Nights
・ Blondes/Blondes
・ Krallice/Dimensional Bleedthrough
・ Burial/Street Halo / Kindred
・ Boy Friend/Egyptian Wrinkle
・ Die Antwoord/Ten$Ion
・ Windy & Carl/We Will Always Be
・ Earth/Angels of Darkness, Demons of Light II
・ São Paulo Underground/Três Cabeças Loucuras
・ Wooden Shjips/Remixes 12"
・ Nadja/Excision


(2012年の熟聴盤①)

2012年2月23日木曜日

極私的2010年代考(仮)……USアンダーグラウンドからの証言:Barn Owl インタビュー

 “面白いことはみんなここ西海岸で起こっている”

※バンドについての詳細、西海岸を中心に現在進行形中のUSアンダーグラウンドの様相についてはBarn Owl『Lost in the Glare』国内盤のライナーノーツに記したので。

2012年2月19日日曜日

極私的2010年代考(仮)……MGMT以後のニューヨーク、その一例

ヴァイオレンズの名前を初めて意識したのは、去年の秋頃にピッチフォークで紹介されたザ・ヴェリー・ベストのリミックスがきっかけだった。ザ・ヴェリー・ベストとは、メトロノミーやシット・ディスコのリミックスを手掛け、スウィッチなどM.I.A.周辺の人脈とも交流が深いロンドンのプロデューサー・チーム=レディオクリットと、アフリカのマラウイ共和国出身のシンガー=エサウ・ムワムワイヤが結成したユニット。ヴァイオレンズがリミックスしたのは、彼らのデビュー・アルバムの表題曲“Warm Heart of Africa”で、ヴァンパイア・ウィークエンドのエズラ・クーニグをフィーチャーした原曲の軽妙なアフロ・ポップを、スティングの“Englishman In New York”も連想させるグルーミーなエスノ・サイケに衣装替えさせた、その手捌きの鮮やかさが印象に残った。記事にはバンドの紹介として「グリズリー・ベアやMGMT、ディアハンターとツアーで共演」とあり、なるほど、60年代風のサイケデリックや4AD系の耽美主義といった、今様のブルックリンらしいセンスを感じさせる。加えて、たとえばハーキュリーズ&ラヴ・アフェアやホット・チップのようなニューロマ~ゲイ・ディスコ的なデカダンもあり――というのが、たった1曲のリミックスから受けたヴァイオレンズのファースト・インプレッションだった。
 

ヴァイオレンズが結成されたのは2007年の夏。ボルヘ・エルブレヒト(Vo/G)、イッド・アラド(Vo/Synth)、ベン・ブラントリー(B)、クリス・キング(Dr)の4人組で、ニューヨークを拠点に活動をスタートさせた。
[※現在はボルヘ、イド、マイルズ・マセニー(G/Vo)の3人組]

しかし、じつは彼らには「前歴」がある。中心人物のボルヘをはじめメンバーの何人かは、ヴァイオレンズの結成以前にランジング‐ドレイデンというグループで活動していた。ランジング‐ドレイデンはボルヘが育ったフロリダのマイアミで2000年に結成され、その後ニューヨークに移り、これまでに数枚のアルバムとEPを発表している(※レーベルはドゥンエンやソフト・パックをリリースするブルックリンのKemado)。また、音楽活動と並行して映像作品やドローイングを制作して発表するなど、単なるバンドではなくアート・プロジェクト的な性格のユニットでもあったという。ボルヘが語るところによれば、次第に音楽にフォーカスを絞った活動を模索し始めた彼が、レコーディングやライヴのヘルプに他のメンバーを誘うようになり、その過程がヴァイオレンズの結成へと発展していったのだそうだ。

「『Nuggets』(※60年代のUSガレージ・パンク/サイケのコンピレーション)から『No New York』、さらにニュー・オーダーへ」とは、ランジング‐ドレイデンを評したピッチフォークのレヴューだが、70年代のグラム・ロックやオーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク辺りのシンセ・ポップの影響も窺わせるそのサウンドは、じつに多様な音楽的バックグラウンドを想像させるものだ。ボルヘはあるインタヴューに応えて、マイナー・スレットやクラスなど初期ハードコア・パンクとの出会いに始まり、ステレオラブやセイント・エティエンヌ、とくに大きな影響を受けたというマイ・ブラッディ・ヴァレンタインやモノクローム・セット、さらにスミスやプリファブ・スプラウトから、バーズやゾンビーズへと溯っていった自身のリスナー遍歴を明かしている。また、あるインタヴューでボルヘは、アメリカのバンドのウィーンを例に挙げて「自分達も1枚のアルバムのなかに様々なスタイルのサウンドを詰め込むタイプ」であり、「曲ごとに異なる意識を持ってレコーディングに臨むのが好き」だと語っている。先日、ヴァイオレンズのオフィシャル・サイトで公開されたフリー・ダウンロードのミックス・テープには、チェアリフトやナイト・ジュエルに交じって、デッド・カン・ダンスやチャプターハウス、アンレスト、さらにマリン・ガールズのカヴァーなんかも収録されていて、そのジャンルレスな感覚はあらためて面白い。
2007年にニューヨークの「Static Recital」からリリースされたシングル“Doomed”“Violent Sensation Descends”や、その2曲を含む2008年リリースのEP『Violens』の時点ですでに、彼らのスタンダードともいえる、スミスやペイル・ファウンテンズを連想させるネオアコ~ニュー・ウェイヴ調のメランコリックなギター・ポップ――それこそドラムスとも共通する志向性を披露していたヴァイオレンズ。そうしたテイストは、ファースト・アルバムとなる本作『エイモラル』においても、オープニングを飾る“The Dawn of Your Happiness Is Rising”や“Full Collision”をはじめ作品の基調をなしている。

しかし、作品を聴き進めるうちに気付かされるのは、先のエピソードや冒頭の印象が裏付けるように多彩なアレンジで魅了する、個々の楽曲の際立った存在感だろう。

たとえば、ニュー・オーダー~最近でいえばデルフィックとも感覚の近いエレクトロニックなポスト・パンクを披露する“Acid Reign”。グローファイ以降のチルアウトなディスコ・フレイヴァーと濃密なハーモニー・コーラスが交差した“Until It's Unlit”。あるいは、ザ・ナイフ/フィーヴァー・レイ辺りのダークウェーヴからゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラーの“The Dead Flag Blues”も想起させるスロウコアな“Amoral”。シューゲイズなノイズを散りばめた“Another Strike Restrained”。そして、モグワイもかくやという静と動のコントラスト――ギター・アルペジオからのサイケデリックな轟音を奏でるインストゥルメンタル・ナンバー “Generational Loss”。

なかでも白眉は、まるでオアシスかキラーズのようにスケール感溢れるエピックな「ロック」を聴かせる“Could You Stand To Know?”だろうか。ランジング‐ドレイデン時代のコンセプチュアルなアート・ロックとも、デビュー当初の端正なポッピストの面影とも異なる。まさにアートワークのイメージのように、個性的な楽曲群が織りなすアマルガムなうねりが、作品全体に圧倒的なダイナミズムをもたらしているのだ。

ボーナス・ディスクの楽曲についても簡単な説明を。M①②③は、先のEP『Violens』から、アルバム本編未収録の3曲。M④はランジング‐ドレイデンによるリミックス。M⑤は、ウォッシュド・アウトの名曲“Feel It All Around”をフィーチャーした“Space Around The Feel Station (feat. Washed Out)”も話題を呼んだ今夏リリースの7インチに収録されたミックス違い。そしてM⑥⑦は、過去にローカル・ネイティヴズやエクスラヴァーズもリリースした「Chess Club」からのシングル曲と、そのデモ・ヴァージョン。
余談だが、M②にはプロモーションとは別にMVが制作されていて、監督は、ボルヘの友人で、ソニック・ユースのキム・ゴードンやデヴェンドラ・バンハート、女優のクロエ・セヴィニーとの創作でも知られる女性映像作家のアリア・ラザが務めている。ちなみに、同じニューヨークのバンドのなかでも、とくにMGMTとはツアーでの共演をはじめ、互いのリミックスを発表するなど(“Time To Pretend [Jorge Elbrecht of Violens Remix]”/Doomed [MGMT Remix])その間柄は親密なようだ。また最近では、元ブラック・ダイスのセバスチャン・ブランクのソロ・アルバムをボルヘが共同プロデュースしている。


ところで、「Violens」という、じつは奇妙な綴りのバンド名。これはボルヘいわく、「Violence」と「Violins」を合わせた造語らしい。暴力とヴァイオリン、激しさと優雅さ。その緊張と調和――まさに、彼らの音楽にふさわしいバンド名じゃないだろうか。


(2010/09)

2012年2月13日月曜日

極私的2010年代考(仮)……「Reference」から「Transference」へ

臨床心理学の用語で「感情転移」を意味する「Transference」からタイトルが取られた、スプーンのニュー・アルバム『トランスファレンス』。「感情転移」とは、「心理療法の過程で、クライエント(相談者)がセラピストに対して向ける感情。その感情は、クライエントが過去に出会った重要な人物(主に養育者)に対して抱いた感情と同様のものである」と説く、フロイトが提唱した精神分析の概念だが、ともあれ、そんな意味深なタイトルを起用したバンド側の思惑もさることながら、本作についてまず何より強く関心を引かれたのが、その「Transference」というフレーズ自体が喚起する“象徴性”のようなものだった。

「Transference」――一般的には「移動・移転」を意味するそれは、しかし、一方に「参照・参考」を意味する「Reference」を対置したとき、このまさに2000年代と2010年代というふたつのディケイドをまたぐ端境期のロック/ポップを輪郭付け仕分けする、きわめて批評的な意味合いをそこに浮かび上がらせるように思える。


2000年代とは「Reference」の10年だった――。そう言い切ってしまうには少なからず語弊があるにしても、しかし、この10年のロック/ポップのキータームにおいて「Reference」が重要な“作法”を占めていたことは、異論のない事実だろう。

ストロークスの登場に端を発したロックンロール・リヴァイヴァルに始まり、新世代によるポスト・パンク/ニュー・ウェイヴの捉え直し~ディスコ・ミュージックに顕著なエイティーズの再評価。クラクソンズやハドーケン!に代表されるニュー・レイヴ/ニュー・エキセントリックのアマルガムな折衷主義、エイミー・ワインハウスやダフィーのレトロ・ポップ。かたやアンダーグラウンドでは、フリー・フォークがアヴァンギャルドやノイズ・ミュージックもろともロック~ルーツ・ミュージックの古層を掘り起こし、ブルックリン周辺のインディーズはアフリカン・ミュージックなど非西欧音楽にアプローチを見せトライバルで文化横断的なポップを展開した。他にも、ローカル・シーンとリンクしたローファイ~シューゲイザーの再興、クラウト・ロックやアンビエントを敷衍したミニマルへの回帰……etc。

もっとも、そうした「Reference」は、過去にもさまざまな形で繰り返されてきた事例であり、何も2000年代に限られたことではない。しかしながら、あらためて指摘するまでもなく、音楽環境の技術的・物理的な変化がもたらした聴取体験の多様化によって、いわゆる音楽史的な枠組みやローカリティ(ローカリズムではない。むしろ、地元コミュニティへの帰属意識みたいなものは、LAのスメル周辺のシーンを始め、とくにアメリカのインディでは顕著に見られる)の解体が進んだ2000年代は、結果として「Reference」が常態化した10年だった、と言えるに違いない。そして、望むと望まざるとに関わらず、そうした時代性の恩恵を享受したところに、2000年代のロック/ポップの“個性”はあった。

スプーンの面々がどんな意図をもって「Transference」という作品タイトルを付けたのか個人的には知らない。そもそも、「Transference」という概念/語意と、実際の『トランスファレンス』の作品内容やサウンドとの間にどの程度の関連性があるのか、直ちには窺い知れない。しかし、アルバムを聴けば、とりあえずそれが、他とは明らかに異質な手触りをした作品であることに気づかされる。

その手触りとは一言で言えば、そぎ落とされたバンド・アンサンブルのミニマリズ――という点に尽きるのだけど、その“異質さ”は、それこそ「Reference」という作法でひとまず括られる2000年代のロック/ポップと対置したとき、ひときわ浮き彫りとなるものだろう。

ともかく、『トランスファレンス』は、たとえば上記の2000年代のロック/ポップのコンテンツと何かしらの接点を持ち得るような同時代性を、まるで感じさせない。後者が、自覚的かどうかはさておき、そこに音楽的指標を見出せる程度には音楽史的な「参照点」を窺わせるのに対して、前者は、その痕跡すら覗かせないどころか、そうした音楽史的なレジームに回収されることを拒むかのように、ロック/ポップの記号的な「型」を解体してみせるようだ。

もっとも、それがまぎれもない現代のロック/ポップである限りにおいて、彼らもまたそれ相応の音楽史的な「目線」を持っていることは間違いないし、どんなバンドも「Reference」という作法を意識することから逃れることはできない。そもそも彼らは、前作『ガガガガガ』でビルボードのトップ10にランクインする成功を収め、また、この10年でもっとも重要なコンピレーション・アルバムの一枚である『ダーク・ワズ・ザ・ナイト』にも参加するなど、れっきとした2000年代を代表するバンドである。

しかし、それでも『トランスファレンス』は、2000年代以降のマナーやスタイルとは断ち切られたものを強く感じさせる。90年代に活動を始めた彼らの、7作目にあたる『トランスファレンス』は、音楽的には基本的にこれまでの流れを踏襲したものでありながら、そこには、それが置かれた時代の位相のなかでこそ照射される、スプーンというバンドのオリジナリティや特異性が息づいている。

そして、『トランスファレンス』という作品が示す存在感とは、繰り返すがやはり、その作品タイトルに冠せられた「Transference」というフレーズに奇しくも象徴されうるものではないだろうか。つまりそれは、2000年代から2010年代への文字通り「移転・移動」を告げる、いわば時代の画期点を意味する作品であるということ。すなわち、「Reference」というフレーズに端的に集約される2000年代の音楽風景に、その“異質な手触り”でもって亀裂を走らせ2010年代を予感させるオルタナティヴ。なるほど、『トランスファレンス』で披露される、自生的に律動するようなバンド・アンサンブルの屹立したたたずまいは、とりわけ近年のインディ・シーンにおける快楽志向でリゾーム的なロック/ポップとは明らかに一線を画す、“クラシック”たる本質的で禁欲的なまでの美しさをたたえたものではないだろうか。



「バンドとしてのペイヴメントは、音楽を作るという意味では素晴らしい10年間を過ごせたように思う。僕たちは90年代という時代が生んだバンドだったし、だから2000年代という時代を迎える前に活動に終止符を打つのがふさわしかったとも思う」

前年のブリクストン・アカデミー公演での活動休止発言を受けて、2000年に正式発表されたペイヴメントの解散について、スティーヴン・マルクマスが日本のファンに向けて綴ったメッセージのなかの一文である。1989年にスコットの自主レーベルからデビューを飾り、最後のアルバム『テラー・トワイライト』がリリースされた1999年の暮れに実質的な解散を迎えたペイヴメントのキャリアは、ちょうど1990年代をすっぽりとカヴァーするもので、またスティーヴン自身、解釈はさまざまだが自分たちが1990年代という時代を象徴したバンドであるという自覚を、たびたび口にしていた。結局、その解散の理由については、これといってはっきりとはわからず仕舞いだったような気がするが、とりあえず確かなのは、バンドの解散がスティーヴンにとって、ある種の達成感を伴った上での決断だったということだ。そして、あらためて興味深いのは、その解散が、1990年代から2000年代へと移る時代の節目と一致を見たことに、スティーヴンが相応に自覚的だったということだろう。

ペイヴメントが、1990年代を代表するバンドであるということは、多くの人が認めるところだろう。1990年代の終わりにSPIN誌は、1990年代のベスト・アルバム100枚を選ぶ企画で、彼らのファースト『スランティッド&エンチャンティッド』を5位に選出した。彼らが発表した5枚のオリジナル・アルバムは、ファンによって選ぶ作品に違いこそあれ、いずれも1990年代を代表するマスターピースにほかならない。

しかし、だとするなら、ペイヴメントが代表する「1990年代」とは、どんな時代なんだろう。ペイヴメントは、「1990年代」をどう代表するバンドなのか。いや、そもそもペイヴメントとは、ときに“ひねくれ者”呼ばわりされながらも、1990年代的なものと徹底して距離が取られてきたバンドだったのではないだろうか。

1992年の『スランティッド&エンチャンティッド』で本格的なデビューを飾り、当時ベックやセバドーらとともにローファイ・ムーヴメントの一角として注目を集めたペイヴメント。しかし、“ローファイ”というタームがその後、ひとり歩きしていくなかでほとんどフェティシズムに近い問題へと矮小化されていったのに対して、彼らのねじれ曲がった吃音混じりのロックンロールの核にあったのは、たとえばソニック・ユースやフォールにも通じる諧謔的な解体精神だった。地下室での実験に耽溺するのではなく、また反動としての“壊れ”でもなく、ロック/ポップの意匠をポスト・パンク的な批評態度で捉え直すような、“壊れながらも洗練へと向う”二律背反の美学。その到達点とは、ペイヴメント・サウンドの解体/拡大(=3rd『ワーウィ・ゾーウィ』)と再構築(=4th『ブライトゥン・ザ・コーナーズ』)をへて(※スティーヴンは解散後のインタヴューで、前者を「バンドではなく個人のレベルで自由に作れたアルバム」、後者を「いかにもペイヴメントらしいアルバムを作ったのに、何も起きなかった」と語った)、ナイジェル・ゴドリッチを迎えて制作された『テラー・トワイライト』で間違いないが、そこではつねに、時代性うんぬんに与しない彼らならではのスタンスが、そのメロディや音を個性豊かに輪郭付けていた。そして、そんなペイヴメントというバンドのたたずまいは、ローファイの無邪気さとも、ニルヴァーナの“怒り”やスマッシング・パンプキンズの“悲しみ”とも、パール・ジャムの“正しさ”やナイン・インチ・ネイルズの“苦悩”とも、あるいはベックのイクレクティックなアート感覚ともビースティーズの都会的なストリート・ワイズとも、明らかに異質で温度差のある、そこに同時代的な符合などおよそ見出せない独特なものだった。

もっとも、言い方を変えれば、そこに窺える“対象との距離感”というのは、そもそもスティーヴンにとって、自身が音楽を志す上でつねに付いて回った問題でもあった。彼は自分のことを、“アメリカのごく退屈な郊外で育った、中流階級出身のごく平均的な人間”と自嘲気味に語る。ニューヨークやロスの都市部でアートに囲まれて育ったエリートでも、ましてやデトロイトの崩壊家庭で育ったドロップアウターでもない。「自分なんてどうせたいしたもんじゃない、自分にいったいどんな才能があるんだろう?ってまず考えるようになっちゃうんだ」という彼にとって、ブラック・フラッグもディーヴォも、ワイヤーもエコバニも、思春期に夢中になって聴いた音楽はしかし、インスピレーションや動機こそ与えてくれたが、その「問い」に答えを与えてくれるようなものではなかった。「僕みたいな環境で育った人間はさ、どんなにカッコつけようとしてもカッコつけきれないとこがあるんだよね。所詮自分なんてたかが知れてるっていう意識がどこかにあって、自分が誰よりも優れてるとはどうしても思えないんだよ」。そうしたある種の冷静で過敏な自意識からくる、周囲の音楽に対してどこか同一化しきれない躊躇や逡巡が、アーティストとしての彼の人格形成には大きな影響を与えている。

しかし、その客観的で繊細(?)な自己分析が、後の彼の解体精神や批評的な態度を育んだことは言うまでもない。そして――あえてここで持ち出せば、スティーヴンの場合、そうした原体験として音楽に抱いた「感情(距離感や違和感)」が、ときをへて解体や批評の眼差しという形で、ペイヴメント結成後も周囲に対して向けられた=「転移」したという意味で、そこには冒頭で記した「Transference」の構図を見て取れなくもない。つまり、ペイヴメントの解散とは、その「感情」が自分たちに「転移」した結果だった、という見方も可能だろう。

ソロ(&ザ・ジックス)転向後のスティーヴンは、ペイヴメント時代の作法を守り継ぎながら、一方で、それこそニール・ヤングやフランク・ザッパやグレイトフル・デッドを意識した、大文字のロック/ポップの換骨奪胎へと向う(※4th『リアル・エモーショナル・トラッシュ』は、そうしたいわばロック/ポップ史の参照と再検証=「Reference」を通じて新たなバンド・サウンドを追求してきた、ソロ以降の集大成)。スティーヴンは、ペイヴメントの解散が、1990年代というディケイドの終わりを意味することに自覚的だったように、2000年代というディケイドの始まりが、自身の新たなキャリアの開拓を意味することに自覚的だった。そんなスティーヴンにとって2000年代とは、たとえばベックが、『オディレイ』と『ミューテーションズ』を反芻しながら、1990年代と2000年代を行き来するように再帰的なルートを辿ったのとは対照的に、作品ごとに“音楽史的記憶”を深く掘り下げていくサウンド探求や、メンバーやセットを変えるバンド編成、そして何より、結果的にペイヴメントの解散と再結成に挟まれる格好となった経緯含めて、もはや「Transference」すること自体に意義が見出されたようなディケイドだった、と言えるかもしれない。


スプーンの最新作『トランスファレンス』も、10年ぶりの再結成でクローズアップされるペイヴメントも、それがある種の時代の異化装置として批評的な存在感を放ち得ている点に、等しく惹かれるものを感じてしまう。そして両者のミニマルなロックンロールと野心的な解体精神は、共振した志向性とベクトルでもって2000年代と対置し、2010年代の到来を印象付ける。そこには、新たな象徴性を帯び、あらためて捉え直されるべきロック/ポップの形が提示されているはずだ。

(2010/03)

2012年2月1日水曜日

2012年2月のカセット・レヴュー(随時更新予定)

◎Calypso Borealis/Ore Bowal
フランスより。イーノが『Another Green World』なら、これはアニメ『ファンタスティック・プラネット』も連想させるシュールでミニマルなデザート・アンビエント。



◎Forget the Times/Escape From the Planet of Llamas
ミシガン州カラマズー発。例えるならNYダウンタウンのジャズ・マナー~フリー・ミュージックとガレージ経由のサイケデリック・ロックが衝突。USメイプルからビーフハートの影響も取り沙汰されたり。


◎Mannateas/Banished Hues
フロリダのカセット専門Housecraft Recordsから。名は体を表すというか、深海を反響するような美しく澄んだブルー・アンビエント 。XiphiidaeのJeffry Astinが主宰。




◎Matrix Metals/Flamingo Breeze 
LA Vampireとも組むNYのシンセ・デュオ。変則的カットバックでミニマルとディスコを接合&横断。例えばジェームズ・フェラーロが市民権を得たUSインディーとアンダーグラウンドの“端境”を象徴する一組。

◎SPECTRUM TICKETS/LAMB PATTERNS
米ウィルミントンのシンセ・プロジェクト。ブリブリのテクノデリックなサイケ・アンビエント。一時のソニック・ブームも思わす怪電波だが……ともかく、テープ・メディアとシンセの親和性については、誰がが検証すべきでは。

◎Dreamcolour/Spiritual Celebration
まさかサン・ラを意識したわけでもないだろうが……濃厚なアフロ・スピリチュアルのヴァイブを感じる。オルガンやサックスの甘く、コズミックなトーン。スピ&リチュアル。


◎Telecult Powers/Stars Are The Eyes Of God
クリーヴランド経由ブルックリン発。“occult synth”の異名をとるが、なるほど最近では北欧のエクトプラズム・ガールズも連想させる魔術性。エメラルズやエクセプターのメンバーがゲスト参加しているのも話題。


◎Moongang/Fifth Sun Visions 
マジック・マーカーズのピート・ノーラン属するGHQのメンバー、ってとこに惹かれた。ラーガ・スタイルのサイケ・フォークあり、アースも引き合いに出されるスラッジーなドゥーム・メタルあり。それは振り幅というより、地続きという感覚。


◎TULUUM SHIMMERING/FLOWERS ARE OFFERED
イギリスの音響作家。色褪せというかピンボケというか、モコモコと澱んだシンセ・ドローン。テープの劣化=エイジングで聴こえ方が変わったりとかするんだろうか。

◎MALIBU FALCON/How Is Hell Fact Met? All Of Them
ポートランドのプロジェクト。即興系サイケ+女性VoというパターンからValetやInca Oreを想像し易いが、耳障りなウィスパーヴォイスはキム・ゴードンがソロ等で聴かせるソレに似てる。この界隈のシーンは女性が元気。


 ◎A++/Soft Shoulder/Live
共にラッパが特徴的なパンク/ポスト・コア2組によるスプリット・ライヴ盤。エッセンシャル・ロジック~イレース・エラッタ系というか、2000年代初めのKRSやトラブルマンにいそうなガールズ・バンド風情。


◎Non-Horse/Rigor Lore
Vanishing Voiceの一員であるGabriel Lucas Craneのプロジェクト。フリー・フォークの流れから枝分かれしたラディカルなサイケデリック・ミュージック。具体音やフィールド・レコーディングと思しきカットアップ&テープ・マニュビレートを織り込んだ瞑想的音響。

◎Swanox/Dawnrunner
サンフランシスコのAnthony Swanoxによるソロ。NNF主宰ブリット・ブラウンいわく“loner drone-folk”。ダブ処理の甘い残響の中、マット・ヴァレンタインのヘロイン・セッションも思わすウィアードなアシッド・フォークが木霊する。




◎Run DMT/Dreams
ことMichael Collinsによる宅録プロジェクト。Woodsist周辺との交流から浮上したが、これは彼主宰のCulture Dealerからのファースト・リリースになる。ビーチ・ボーイズからJ Dillaまで。あるいは2000年代以降のブルックリンとボルチモアを結ぶサイケデリック・ミュージックの複雑系を凝縮したような……。アリエル・ピンクが醸し出すAOR的なポップ“ス”ネスも。


◎David Andree/In Streams
スターズ・オブ・ザ・リッドのデモをエルヴィウムがリミックスしたような……とも評されるミネアポリス発のファースト。生楽器にエレクトロニクスやテープ・ループスを(ライヴ・プロセッシングで)編み込んだ静謐なアンビエントは、ティム・ヘッカーにも通じる美意識を。


 
◎Black Unicorn/Squid & Whale
Cane Swordsの片割れ。ジャケやタイトルに漂うナショナル・ジオグラフィック的風味。昨今の、ポスト・シンセ・ミュージックにおける現代音楽/環境音楽というか。90年代末~2000年代初頭にポスト・ロックやスローコア周辺で起きたタンジェリン・ドリームの再評価が、新たな文脈で再起……という感も。

◎VIBES/You God It
Pocahauntedのアマンダ、Sun Arawことキャメロン・スタローンズ らNNF周辺の要人が集った4ピース。後期ポカのガレージ・サイケ~ファンキー・ダブver.というか、USアンダーグラウンドのニュー・エイジ・ステッパーズといった趣き。


◎Holy Strays/Hyperion
パリジャンのSebastien Forresterによるプロジェクト。ノイ!やクラウス・シュルツェらジャーマン・エレクトロの影響からステレオラブの反響も窺えるシンセ・ミュージック。ディスコティックな俗っぽさも。


 
◎Kuxan Suum/Kinich Ahau
カリフォルニアから、ブラック・メタルのニューウェーヴ。18分一曲。長々とギターソロが続いた後、烈火の如く燃え上がる。まるで秋山轍次からリタジーへ、てな展開。






◎Souffle/Horizon d'attente
たぶんフランスのユニット。例えるならV/VM風のマッドなエディトリアル系エレクトロニカ。マトモスとかザ・ブックスをミンチにして合い挽きしたような……。ある意味、ハイファイ。


◎Cruise Family/Orbital Express
多名義を持つStefan Kushimaのプロジェクト。ポスト・エレクトロニカとしてのチップ・チューンとポスト・テクノとしてのシンセ・ディスコの(ローファイ再興の文脈をへた)マリアージュ。“lo-fi LED ambient”とは言い得て妙。


 
 ◎Gremlynz/Reaper’s Blues
前掲のMalibu Wandsとしても創作する William Cody Watsonのプロジェクト。フィールドレコーディングスも織り交ぜた硬派な?ドローン。多作・多名義は昨今のUSアンダーグラウンドの大きな特徴。辿ると意外な交友録が分かったりして面白いです。リリースは名門Bathetic Recordsから。


◎Diane Kensington Devotional Band/Worship and Festival Music for MAINFRAME Devotees Vol. 37
1993年リリース物のリイシュー。俗に“sci-fi”の大家とも。辺境アンビエントというか、シンセ・ドローンのグローカル的展開か。この手は今や世界中に拡散されている。





◎Chubby Wolf/Ornitheology
3年前に他界した夫婦ドローン・ユニットCelerの片割れDanielle Baquet-Longによるプロジェクト。Celerをさらに蒸留させたような、神々しく静謐なアンビエンス……。

◎Tracey Trance/Mummy Fingers
複数のレーベルからリリースするアイオワ(?)の奇才。USアンダーグラウンドのオオルタイチ的な、あるいはオールドスクールなボップ・マナーを切り貼りしながら魅せるセンスは、どこかゴー!チームに似たパーティー感も。

◎Low Light Situations/Office Romance
ロスの5人組。“mesmerizing instrumental reverb chamber mystery-jazz”とはレーベルのNNFいわく。スローコアとアシッド・フォークを跨ぐ、夜会のセッション。






◎Edibles/Super Space / Mind Peace
Eternal TapestryやPlankton Watの一員でもあるDewey Mahoodのプロジェクト。サン・アロウのお株を奪う(?)ブギーとタブ・プレートの混交。異境に設けられた、一画の辺境。


 ◎Pukers/Born In the USA
アイオワの首領Raccoo-oo-oonの元メンバーによるプロジェクト。ボアダムスらジャパニーズ・ノイズ・ロックの影響も指摘されるが、とはいえライトニング・ボルトとは似ず非なりというか、身近で言えばハリー・プッシーの孫的なキャラクターかと。ビートルズのYesterdayやスプリングスティーンのBorn In the USAのカバー(?)も。



◎Quintana Roo/Warmth/Runes Translucent
砂漠の真ん中で録音されたスプリット。岩ならぬ砂に染み入る……ドローンの福音。しかし境目が……曖昧。ドローン全般における“作家性”について。

◎Beru/Daughter Of Eve
ロスのJessica Collinsによるプロジェクト。パティ・ウォーターズも連想させるホリブルでゴーストリーな歌声。ノイズやコラージュを織り交ぜながら、祈りのようなアシッド・フォークを紡ぐ。Digitalisから。



◎Knitted Abyss/Winter Barn
片割れがNaked on the Vagueとしても活動するシドニーのガールズ・デュオ。ドラムマシーンを据えた禍々しくゴーストリーなギター・インプロビゼーション。トーク・ノーマルもポップに聴こえる、凍えるようなファズ・エクスペリメンタル。

◎XIPHIIDAE/HONEYGUISE
フロリダのJeffry Astinによるプロジェクト。ループやサンプリングを異種混交に編み込んだ呪術的ミニマル・サイケ。ガムランは溶け出し、テリー・ライリーは海の藻屑へとフェイド・アウト……


◎Infinite Body/From Now On We’re Weightless Here
ノー・エイジ主宰のPPMからもリリースする“無限体”ことKyle Parker。イーノやフェネスの衣鉢を継ぐ、荘厳なミニマリズム&叙情的なノイズ・アンビエント。


 ◎Pierrot Lunaire/Turn Back The Hands Of Time
身元不詳。サックスとテープ・ループで編まれた奇怪極まるコラージュ音響。アフロ・スピリチュアルも道化の小道具に。




◎Plankton Wat/Super Minerals /Split
akaエターナル・タペストリーとakaマジック・ランタンによるスプリット。中身はともかく、現在のUSアンダーグラウンドにおいて、ジャッキーO周辺から引き続くポートランドの音楽コミューンが重要拠点であることが窺い知れる作品、かと。


◎TG GONDARD/AVONTUUR
NNFよりベルギーのエレクトロニクス・アーティスト。サン・アロウ流のタブ・サイケ。TG=スログリへのリスペクトも宿る(っちゃあ宿る)奇矯なノイズン・パラノイア。他作品のドローニッシュな作風と比べると、はるかにポップで、ファンキーでさえある。











2012年1月のカセット・レヴュー(随時更新予定) )
極私的2010年代考(仮)……“カセット・カルチャー”について)
2011年の熟聴盤(カセット・リリースBEST 30+2))