2011年5月31日火曜日

最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)④

・ Eternal Tapestry & Sun Araw/Night Gallery
・ We Like Cats/Proper Eats
・ Clive Tanaka Y Su Orquesta/Jet Siempre 1
・ WU LYF/Go Tell Fire To The Mountain
・ Nat Baldwin/People Changes
・ Ford & Lopatin - Channel Pressure
・ The Middle East/I Want That You Are Always Happy
・ 二階堂和美/にじみ
・ Ty Segall/Goodbye Bread







VALETとWHITE RAINBOWとINCA ONEが集結したトリオ、We Like Catsのアルバム『PROPER EATS』。これはポカハウンテッド超えたか。2000年代後半のフリー・フォークからKranky周辺のサッドコア~ドローン/アンビエントへの流れ、LAとポートランドを繋ぐ地下水脈を洗い直すと、またいろいろな発見があって面白い。で、ここで鍵となるのはやはり、NOT NOT FUNを中心に歪な同心円的に広がるコミュニティなんだよなあ。

「ポスト・ウッシュト・アウト」の呼び声も高いClive Tanaka。が、ウォッシュト・アウトの新作が初期のB級モンド趣味~トロピカリアを綺麗に排除してしまっていたことに失望した私には、断然Clive Tanakaの方が琴線に触れる。個人的にはダフト・パンクの80Sセンスも感じるが、むしろホテル・メキシコやVIDEOTAPEMUSICといった日本のアーティストとの同時代性に感心した。NNFのアマンダ=LA Vampiresとのコラボも楽しみ。それにしても、いわゆるチルウェイヴやグローファイがPCや磁気テープ=ベッドルームの「外側」へと飛び出すこととはどのような意味を持つのだろうか。/二階堂和美の新作は、先日の『タラとニカ』で魅せた自由奔放な「歌/声」のユニゾンとは異なる、もはや演歌民謡大衆歌謡の域へ。/エターナル・タペストリーとサン・アロウのコラボは7月にリリースされる国内盤のライナーノーツに詳しく。NNFを起点に深層へと広がるUSアンダーグラウンド・シーンについての論考もかねて。/


(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)③)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)②)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...))

2011年5月24日火曜日

極私的2000年代考(仮)……回り始めたUKとUSの両輪

ニュー・エキセントリックについてはこれまでも何度か取り上げ、思うところを書いてはみたものの、正直いまだ実態を掴みきれないでいる。理由は、その一群に属すとされるバンドの名前を並べてみればよくわかる。フォールズ、ジーズ・ニュー・ピューリタンズ、ファック・ボタンズ、ライトスピード・チャンピオン、少し範囲を広げてクラクソンズ、エンター・シカリ、ハドーケン!、レイト・オブ・ザ・ピア、フレンドリー・ファイアーズ、ザ・ティン・ティンズ、ロス・キャンペーノシス!……。と、つまり、そこにはシーンやトレンドと呼ぶに相応しい一目で明らかな「音楽的な共通項」が見当たらない。そこがニュー・エキセントリックの特異な所以であり、逆に面白いところでもある、のだけど。

なのでニュー・エキセントリックに対する個人的な理解は、以前にも書いたように、フォールズやファック・ボタンズ、ライトスピード・チャンピオンを例に挙げて指摘した「アメリカのアンダーグラウンド/インディ・ロックとの同時代的な共振性」という、きわめて限定された域を出るものではない。フォールズの、イクレクティックでアンチ・ポップなマナーとビートに窺えるミニマリズム/エスノ嗜好。ファック・ボタンズの、ノイズへのフェティシズムとアンビエントな音響構築。そしてライトスピード・チャンピオンの、ナードなローファイ感覚とフォーキィなルーツ趣味。あくまで大雑把な見立てだが、それらはいずれも2000年代以降の同時代的なUKロックの文脈からは逸脱したオルタナティヴな個性やベクトルを示すものである。つまり、そうした個別のケースで顕在化する局地的な動向が垣間見せる、“風変わりで新しい”UKロックの光景――一枚絵ではなくモザイク画のような凹凸こそ、あえていうならニュー・エキセントリックという実態ではないか、と。

そして、先日サマーソニックで見たレイト・オブ・ザ・ピアとフレンドリー・ファイアーズのライヴは、そんなニュー・エキセントリックや新世代のUKロックに対する理解に新たなイメージを与えてくれるものだった。かたや、ニュー・ウェイヴやレイヴからグラムやハードロック~メタルまで大胆に咀嚼するジャンクなダンス・ロックを鳴らし、シンセの派手なエレクトロにのせて圧倒的な高揚感と疾走感を生みだすレイト・オブ・ザ・ピア。かたや、一見ポスト・パンク/ニュー・ウェイヴ的なメソッドを起点としながら、アフロ・ミュージックを引用するパーカッシヴなビートやミニマルなフレーズを重ね、煌くメロディとファルセットが飾る官能的なロマンティシズムを描きだすフレンドリー・ファイアーズ。両者は、ある部分では音楽性をシェアし、ある部分では志向/嗜好を画しつつも(前者はクラクソンズ~ニュー・レイヴ以降、後者はパンク/ハードコアの素地はないがラプチャーやDFA周辺に近い)、互いに貪欲な折衷性を誇るエキセントリックな感性と、無邪気ともいっていいダンスへの衝動を強烈にたぎらせ、彼らの世代ならではのやり方でロックやポップに新たな輪郭を与えようと試みている。そうした態度や情熱は、その出来あがったサウンドのフォルムこそ違え、先に挙げた3組とも確実に共鳴するものであり(フォールズとは音楽的にも共有する部分はあるが)、彼らもまた、この2000年代も幕を閉じつつあるUKロックの地平に“風変わりで新しい”光景を現出させ特異点を刻まんとするオルタナティヴな先鋭にほかならない。

ニュー・エキセントリックとは、繰り返すように音楽的な共通項やスタイルの符合で連帯しカテゴライズされるモードやシーンとは異なる。逆に、安易なトレンド化に絡めとられない、ムーヴメントという名の軽薄な熱気に浮き足立たないタフな知性と加速するクリエイティヴィティの更新、セオリーや既成の文脈を根本から突き崩すような無謀さこそがニュー・エキセントリックに代表されるUK新世代の醍醐味であり原動力であり、いつかそれは、1970年代や80年代の先達がそうであったように行き詰まりを迎えかねない危うさを孕みながらも、あくまでロック/ポップとして昇華され達成をみる地点をそれぞれのアプローチと回路で目論む。長らくUKのロック・バンドにはほとんど関心のアンテナが触れず、新人バンドにいたっては聴こえてくるものすべてが箸にも棒にもかからない状態が長らくあった自分にとって、ニュー・エキセントリックやそれを取り巻くUK新世代のロックの台頭にたまらなく魅せられてしまうのは、その純音楽的にすべての情熱を注ぐある種の愚直さであり(もちろんその背景には今という時代や世代意識を反映した精神性が息づいているわけだが)、フォールズとファック・ボタンズ、そしてライトスピード・チャンピオンという従来型の2000年代UKロックの規格外を示す3組の才能が予感させた新世代の胎動と、サマー・ソニックで目の当たりしたレイト・オブ・ザ・ピアとフレンドリー・ファイアーズのライヴは、大げさにいえば画期的な「現象」として認識せしめるインパクトのものだった(もろもろの都合でハドーケン!のライヴを見れなかったことが悔やまれる)。


そんな圧倒的な存在感を見せつけたUK新世代に対し、果たしてUS新世代、なかでもニューヨークの“エキセントリック”たちはどんな具合だろうか。同じくサマーソニックでは、ヴァンパイア・ウィークエンドとMGMTという目下要注目のニューヨーカーが日本デビューのステージを踏んだが、残念ながら個人的にライヴを見ることはできなかった。ニュー・エキセントリックとの比較でいえば、とくにフォールズやレイト・オブ・ザ・ピア、フレンドリー・ファイアーズとは、アフロ・ミュージックの解釈や、形は違うが「ダンス」を意識させるバンド・アンサンブルなど共通点を指摘できなくもないニューヨークの2組。ヴァンパイア・ウィークエンドもMGMTも、ディスコ・パンクやノー・ウェイヴの再興をへてフリーク・フォークやニュー・ノイズ等のエクスペリメンタル・シーンが飽和状態を迎える=アンダーグラウンドなロック状況がかつてなく顕在化した2000年代のニューヨークの文脈とはほとんど無関係な場所から登場したという意味では、両陣営とも自国における立ち位置や境遇が似ているともいえなくない。とはいえ、2000年代に限ってみても、ロック/ポップが辿った軌跡も歴史的な背景や蓄積も何から何まで異なるUKとUS=ニューヨーク両陣営の間で“エキセントリック”の基準を同じ物差しで計ることは不可能であり、安易な比較や対置は控えるべきだろうが、それでも、共通のキーワードで参照することはできても実質的には没交渉だった(たとえばニュー・ウェイヴ/ポスト・パンク・リヴァイヴァルの受け止め方の、ラプチャーとフランツを比較すれば明らかな違い)2000年代以降の両陣営を相応のリアリティをもって同じ遡上にのせて検討できるというのは、やはりニュー・エキセントリックならでは、というべきか。

繰り返しになるが、ニューヨークにとって2000年代は、本来なら潜在化するだろうアンダーグラウンドなロック状況が過剰ともいえる形でオアーヴァーグラウンドに顕在化した10年だった。ノー・ウェイヴを参照点としたポスト・パンク/ニュー・ウェイヴ・リヴァイヴァル、エレクトロクラッシュ、フリーク・フォークやNO FUNフェス周辺のニュー・ノイズを含む2000年代の多様な事象やフェーズが、歴史的な蓄積として従来あるフリー・ジャズや前衛シーン等のエクスペリメンタルな土壌と交わり、溢れだす地下水脈のうねりとなってニューヨークのロック/ポップを席捲し続けた。それは、オルタナティヴ/グランジの台頭をよそに停滞沈降した1990年代ニューヨークの反動か。それとも、ギャング・ギャング・ダンスのブライアン・デグロウも語るように00年代初頭のロックンロール・リヴァイヴァルへの反発か。

しかしここ数年、明らかに潮目は変わりつつある。ヴァンパイア・ウィークエンドやMGMT、あるいはクラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤーらの台頭を象徴に、アンダーグラウンドの重力から解き放たれたように瑞々しくのびのびとロック/ポップを謳歌するバンドが次々と登場してきた。そして、アンダーグラウンドの内側からも、アニマル・コレクティヴの『フィールズ』あたりからだろうか、かつてのエクスペリメンタルな路線からソングオリエンテッドな方向へと創作の舵を切るバンドが現れ始めてきている(TV・オン・ザ・レディオの新作も、圧倒的にそうだ)。

「ロック・リヴァイヴァルとちょうど同じだよ。今はエクスペリメンタルな音楽があふれていて、それはそれでいいことなんだけど、そのぶん、僕は興味を失いつつある。実験的な要素を入れつつ、どうやって構造のある曲にしていくかっていうことに、僕の興味は移りつつあるから。そういう意味で、今、昔よりGGDの曲がポップになっているのは、無意識に実験的なものを避けているから、かもしれないね」
(ギャング・ギャング・ダンス、ブライアン・デグロウ)

ギャング・ギャング・ダンスのニュー・アルバム『セイント・ディンフナ』もまた、そんなニューヨークの変化を印象づける作品かもしれない。その作風に明らかな変化の兆しが見え始めたのは、2005年にリリースされたアルバム『God’s Money』。それまでのインプロヴィゼーション主体、時に1曲が20分以上にも達する呪術的なフリー・ミュージックから、エスニックな旋律やトライバルなビート、ダビーなエレクトロをふんだんに取り入れ、メロディアスで音響的な深みの際立つメリハリの効いたサウンドへと「ポップ」化した。初期のスポンテニアスな抽象性やシャーマニックなトーンは残しつつも、ダンス的な快楽志向と歌謡的な官能性が増し、その『God’s Money』を引っ提げた2006年の初来日公演で体験した彼らのライヴは、アーバン・プリミティヴなグルーヴが奔流する、感覚的にはほとんどダンスホール・レゲエのようなものだった。『セイント・ディンフナ』ではそうした傾向が強まり、グライムMCを迎えるなど新局面も見せつつ、渾然一体とうねるテクスチャーはさらに豊潤な艶身をたたえ、より奔放かつ「ポップ」に躍動している。今作が本国アメリカと日本以外ではWARPからリリースされることも象徴的だ。

そうした背景には、ブライアンも語るように自然発生的な部分と、ソングライティングやレコーディング・プロセスの変化という自覚的な部分と、両義的な要因があるのだろう。今作の制作では再びインプロヴィゼーションを起点とする初期のアプローチに戻したようだが、しかし、そのサウンドが描きだすニューヨークの光景は、かつてとは異なり“風変わりで新しい”。
 

そんなニューヨークのバンドの中から、気になる2組を紹介したい。

去年の春頃か、ネットで偶然聴いたラ・ラ・ライオットの音源は、同時期に初めて聴いたヴァンパイア・ウィークエンド同様、そのえもいわれぬ音の瑞々しさが深く印象を刻むものだった。ラ・ラ・ライオットは、ニューヨークはシュラキュースを拠点に活動する6人組。ヴァンパイア・ウィークエンドとは、Vo/Keyのウェズリー・マイルスが彼らのアルバムに参加するなど親密な間柄にあり、去年リリースされたデビューEPを機に頭角を現し始めた注目のニューヨークの新世代である。

ヴァイオリン/チェロ奏者2人を擁し、ヴァンパイア・ウィークエンドとも相通じる軽妙なバンド・アンサンブルと伸びやかなポップネス、ときにドラマチックに高揚するメロディと叙情性が魅力的。どこか“DIYなアーケイド・ファイア”といった趣もあり、あるいはダーティー・プロジェクターズ辺りも連想させるニュー・ウェイヴ的陰影と相俟ったあわいエキゾチズムは、今のニューヨークならではだろうか。メンバーの死など困難を乗り越え完成されたアルバム『The Rhumb Line』は、新曲&既発曲にケイト・ブッシュのカヴァーも含むバラエティに富んだ内容で、そのユニークな個性を余すところなく伝えてくれる。

対して、ブルックリンのハイ・プレイセズは、アニマル・コレクティヴやギャング・ギャング・ダンス以降の才能(?)を予感させる男女2人組。“トライバルなトイトロニカ”とでもいった幻惑的な電子音と歪なリズムが絡み合うアブストラクトなトラックの上を、気だるく可憐な女性ヴォーカルがたゆたうようにエコーする。ブラック・ダイスのようなエクスペリメンタリズムは希薄で、ポップで懐っこく、童心で音と戯れるような感覚が愛らしい(同様の愛らしさでアヴァンに振れると西海岸の女子デュオ=ポカハウンテッドドになる)。ノー・エイジやアトラス・サウンド(ディアーハンター)との交流も納得で、ラ・ラ・ライオットとタイプは異なるが彼らもまた今後のニューヨークの一角を担う可能性を秘めた存在に違いない。その成果は、以前に紹介した7インチをへてスリル・ジョッキーからリリースされた既発曲の編集盤『03/07-09/07』で聴くことができる。また今月末にはファースト・アルバムのリリースも決定しているのでお楽しみを。


ニュー・エキセントリックに代表される新しい世代によるUKロックの台頭の背景には、とりわけ最初に挙げた3組を見るかぎり、2000年代のUSインディ/アンダーグラウンドのエフェクトが相応にあったと想像できるが、逆にUKのニュー・エキセントリックが趣旨返しのようにUS勢にインスピレーションを与えるような事態になったら、それは相当に面白いことになりそうだが、どうなんだろう。NMEがヴァンパイア・ウィークエンドやデイヴ・シーテックを積極的に持ち上げている様子は見ていて不思議な気もするが、ともあれ2000年代も最終盤を迎えてようやくUS/UKのインディ・ロックが両輪のように回り始めた事態に興奮しているし、素直に支持したい。“次の10年”の足音が聴こえ始めたような感じがするのは、気のせいだろうか。



(2008/10)

2011年5月23日月曜日

極私的2000年代考(仮)……そして「永遠」に回帰したソニック・ユース

ソニック・ユースがインディー復帰第一作となるニュー・アルバム『ジ・エターナル』をリリースする。その自筆のライナーノーツにおいてサーストン・ムーアは、今回のアルバムの楽曲が、ロックやアートの歴史上のさまざまな人物や出来事からインスピレーションを得て制作されたことを、それぞれ具体名を挙げながら端的に解説している。

モノクロニズム(単色絵画)を代表するフランスの現代作家イヴ・クラインとノイズ・ノーマッズ(マジック・マーカーズとレーベル・メイトだったマサチューセッツのノイズ・アーティスト)を称えた“セイクリッド・トリックスター”。1960~70年代のドイツのスーパーモデル(ミック・ジャガーやキース・リチャーズも虜にした)であり活動家ウシ・オーバマイヤーと彼女の所属したヒッピー集団「コミューン1」のストーリーに着想を得た、かつてチャールズ・マンソンを題材にした代表曲“デスヴァリー’69”を連想させる(サーストンとキムのデュエットはかつてのリディア・ランチとのそれを彷彿させる) “アンチ・オルガズム”。ケヴィン・エアーズに捧げられた“ポイズン・アロー”。MC5やノイ!に音楽的な触発を受けたという“カーミング・ザ・スネイク”。そのMC5のフレッド・スミスのバンド、ソニックス・ランデヴーズ・バンドにインスパイアされた“ホワット・ウィ・ノウ”。ニューヨークのビート詩人グレゴリー・コルソの理念に共鳴した“リーキー・ライフボート(フォー・グレゴリー・コルソ)”。ジャームスら1980年代の西海岸ハードコア・シーンが牙城としたライヴ・ハウス「ザ・マスク」の光景がフラッシュバックする“サンダークラップ・フォー・ボビー・ピン”。カート・コバーンもファンだったポートランドのパンク・バンド、ワイパーズに捧げられた“ノー・ウェイ”。そして“アンテナ”においては、キング・クリムゾンやオーストラリアが誇るノイズ・ロックの巨魁デッドCから影響を受けたとインタヴューで語っている。


もっとも、こうしたさまざまなカルチャーを参照点に含んだソングライティングは、今回のアルバムに限らず彼らの流儀といえるものだろう。むしろ彼らは、そうした態度を意図的・積極的に打ち出すことで自らの音楽、すなわち「ロック」を形作ってきたことはそのディスコグラフィーが証明している。

ポスト・パンク~ノー・ウェイヴの最後尾としての出自を正確に刻んだ初期の諸作品。ハードコアの精神や美意識のなかにアメリカ/ポップ・カルチャーへの批評/批判精神を見た1980年代中期の『バッド・ムーン・ライジング』『EVOL』。クリストファー・チコーネ=マドンナをアイコニックに解体した『ザ・ホワイティ・アルバム』におけるヒップホップとのクロスオーヴァー。“パンク前ハードロック”とサーストンが呼んだダイナソーJrやマッドハニー、ニルヴァーナらグランジ世代との交流に感化された『ダーティ』、ないし1990年代初頭のインディーズ/オルタナティヴを予見した『GOO』。その反動として、メンバー個々の実験的なソロ活動をフィードバックさせながら、果ては現代音楽のカヴァー・アルバム『Goodbye 20TH Century』に至るエクスペリメンタル・ミュージック史の探求に向った1990年代後期の作品群。そして「ニューヨーク3部作」と名付けられた2000年代を迎えての3作品では、文字どおりニューヨークのアートや文化史を題材とする一方、テロの災禍をへてプロテストの意思を滲ませた言葉とメッセージ性が「ロック」への衝動と相まってそのサウンドに必然性と強度をもたらした。コンパクトでポップなギター・ロックを鳴らした前作『ラザー・リップト』については、そうした“戦時下”ゆえにあえて「ポジティヴな光を当てたレコードが作りたかった」と語っていた。

こうした、そのオリジナリティや実験性とは別に、ある種の時代(時間軸は多様)の反映としてソニック・ユースのサウンドが形作られてきた背景には、たとえばサーストンが「ある種のコミュニティを伴ったアイデンティティ」と形容する、独自の“ロック観”があるのかもしれない。つまり彼らにとっての「ロック」とは、単一の固定されたアートやカルチャーではなく、むしろ多様なアートやカルチャーを横断しながら無数の発展のフェーズを潜り抜けてきたものであり、それはたとえばボブ・ディランやパティ・スミスとバットホール・サーファーズやボアダムスが同じ文脈で結ばれるような、あらゆるレヴェルで存在可能なものである。だから彼らにとって、イアン・マッケイ(“ユース・アゲインスト・ファシズム”)やチャック・D(“クール・シング”)や無名のノイズ・ミュージシャンとコラボすることと、デヴィッド・ボウイやニール・ヤングやツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズとステージで共演することは、まるで矛盾しない。そこには、彼らがそうと感じる“アイデンティティを共有するコミュニティ”が存在するのであり、そうした意識が彼らの活動を背後で支えている。そして彼ら自身の「ロック」もまた、30年に及ぶキャリアを通じていくつもの発展のフェーズを潜り抜けてきた、「時代」や「歴史」の一部である――と、そのさまざまな符丁が散りばめられたディスコグラフィーは物語るようだ(最近、ソニック・ユースのメンバーを始めリチャード・ヘルやマイク・ワット、リディア・ランチら縁のあるアーティストがテキストを寄せたアンソロジー本『Sensational Fix』も出版された)。

「このアルバムで、ひとつ焦点をおいたことは、ソング・ラインティングの部分で、どういう曲作りが僕らのサウンドを特別なものにしたことかということを考えながら、それを具体化してみせようとしたんだ。だからこのアルバムではそういうことを真剣に考えながら、また“ポップ”・ミュージックとは、また“ノイズ”・ミュージックにおける概念というのは何なのかということもとことん考え、そして、エモーショナルなリリシズムとは何なのかということも追求してみた。そういうことをこのアルバムでは行ったんだよね」

それにしても、優に30年近いキャリアを誇り、自身そのものが「時代」や「歴史」であるような彼らが、いまもってロックやアートにインスピレーションを受け続けているという事実に驚かされる。その好奇心・探究心の旺盛さと、無邪気さにあらためて感動する。ラディカルな音楽を求めてニューヨークを徘徊する新世代に触れて「彼らのその旅路にはすごく感動する。それがどんなものか十分わかるからね。それを目撃して、音を聴くのが好きなんだ」と自らの若い頃と重ねて語るサーストンは、なによりソニック・ユース自身もまたいまだなお“旅路”のさなかにいることを隠そうとしない。
「面白いのは、僕と同世代のミュージシャンでそういうことに興味を持っている人ってほとんどいないんじゃないかってこと。どうでもいいと思っている気がするというか、自分達の世界だけが大事になってしまっているというかね。でも、僕はその逆で、むしろ自分の世界からできるだけ抜け出したいんだ。好きじゃないんだ。自分の世界にいるのが、怖いし、疲れるし、飽きちゃうし。だからそこから違う世界に逃避する必要があるんだよね」。

そこには、ロックやアートが歴史的な蓄積として培ってきたものへの敬意と、そうした文化的な意匠を新たな創造のインスピレーションとして捉え直すことで、そのロックやアートが辿ってきた/これから辿るだろう発展のフェーズの前衛に自らも立たんとする矜持のようなものが感じられて、感動する。

「もちろん、そういう歴史の片隅には所属するんじゃないかと思うし、すごく光栄には思っているし、もし僕が“成功”を手に入れる野心があるのだとしたら、そういうことこそが成功ですらあると思うしね。でも、だからこそ今はもうそういう野心や関心の時代は過ぎて、“野心後”とも言える時代に突入した気がしていて、それがどういう意味を持つのかなんていう不安を抱えることなく、自分が好きだと思うものを自由に作れる時がようやく来たっていう風に思うんだ。それで、最終的にはすべての人がそういう心配をしたりしないでいい場所に、そして目標に到達することを心配しないでいい場所に辿り着くべきなんじゃないかなあって実感しているんだけど。だって目標に辿り着くなんてことないからね。それがわかる時は必ずきて、それがわかれば、その概念を乗り越えられるものなんだ。それで、僕が他のアーティストやアートからインスピレーションを受けるのは真実だけど、でもそれと同じくらいに名前も知らないような、街で単に見かけただけの人々から、一体彼らがどんな暮らしをしているのだろうとか、彼らがそのファッションで自分を社会の中で表現する姿を見たり、どんな行動を取るのかっていう、本当に自然な人々の振る舞いを見ることからもたくさんのインスピレーションを受けるんだ。そういう行動の中にすごく美を見出すんだよね。僕は、自分がその前衛に立とうと努力したことはない。でも、僕がティーネージャーの時にニューヨークに来た唯一の理由は、その“前衛”に触れたかったからなんだ」


ニューヨークの新世代がその旅路のなかでソニック・ユースを発見するというように、彼ら自身もまた身の回りにあるアートや音楽と触れ合うなかで「時代」を感じ、「歴史」を発見する。その連続の過程に“ソニック・ユースという時代/歴史”もまた築かれてきた。繰り返すが、こうしたロックやアートをその歴史的な文脈や時代的な背景において捉え直し、そこから新たな創造のインスピレーションを得て自身のロックやアートに反映させるという態度は、たとえば相対主義や情報検索的なスキルが肥大し、創り手の意識や感性も含めてフラットな音楽環境を呈する昨今、きわめて啓蒙的とさえ思える。そうしていま、「野心や関心の時代は過ぎた」とその新たな境地を語るサーストンの感慨は、今作のアートワークにも象徴されているという。

「インナースリーヴに色んなアーティストによる絵や作品を掲載したんだ。カヴァーは、フォーク・ミュージシャンでもあるジョン・フェイヒィが描いたものだし、色んな画家やカメラマンの作品が入っている。それから詩人の作品もね。それは、このアルバムを、そういうコミュニティの中から発される音やイメージの一端として表現したかったからなんだよね。それで、ここに掲載したアートは、徹底的に吟味したものではなく、むしろあまり何も考えないで選んだんだ。そういうアートを色々なところから何も考えずに掴んで、ここに投げ込んでみることで、アートを楽しむということが、いかに人間の状態そのものと同じく、美しく、シンプルであるのかを見せたかったからなんだ。それこそがこのアルバムでやってみたかったことだからね。そういう意味でこのアルバムは、仏教的な戒律がある作品、と言えるのかもしれないな(爆笑)」

『ジ・エターナル』というタイトルについてサーストンは「間違いなく“普遍性”と関係していて、“永遠に生きる”という概念に基づいている」と説明する。そのタイトルが、アートワークに込められた精神や、たとえば「パーソナルでもあるけど、それをみんなとおおっぴらに共有しようとしているところがあるから社交的な作品であるともいえる」とインタヴューで語られた内容と呼応したものであることは明白だろう(ちなみに、『ジ・エターナル』というタイトルには別にエピソードがあって、実は何時間もブラック・メタルを聴き続けたところから思い付いたものなんだとか。「ブラック・メタルのテーマの多くは、死だったり、破壊、怒り、反宗教主義、反人間性であり、ブラック・メタルは音楽ですらなく、音楽とはまったく関係のない、それ以外のものであるという思想があるからね(笑)。すごいエリート主義で、だから音楽のテーマの多くが、永遠の独裁みたいなものだったりする。そこからタイトルを思い付いたんだ」)。

つまり、彼らはここで自らのロックやアートを時代や歴史のくびきから解放しようと試みている。それはしかし、今作が映し出すさまざまな事象が物語るように、より時代や歴史と自由に向き合おうというものであり、ありふれた営みとしてロックやアートを祝福する行為のなかに、彼らはそれこそ普遍的で永続的な美を見出そうとする。

だからこそ、サーストンは続けてこう語ろうとするのだ。

「もし“ソニック・ユース”が何たるか、そういうものがあるのだとしたら、それは4人のまったく違う人達がいる、ってことだと思う。もちろん僕はバンドのなかですごく強い個性を放っていると思うし、音楽的にバンドの進む方向性に大きな影響を与えているとは思う。でも、このバンドを真の民主主義でありたいと思っているし、そうあるために常に細心の注意を払っているつもりなんだ。それとたぶん、このカルチャーの中で表現し続けることの重要性を提示すること――もし何かなのであるとしたら、そういうことかなあ、とは思うけどね」
 

インタヴューでも語られている通り、ソニック・ユースのすべてが凝縮されていると豪語する重厚さを誇りながら、しかし『ジ・エターナル』は、これまでのどの作品よりも軽やかで自由なムードに包まれている。それは、“ラディカルな大人”をコンセプトに掲げ、グローバルな「ロック」の再構築に向った『ムーレイ・ストリート』よりも遥かに幅広い音楽的視点と意匠に富み、さらに“不思議な再生”とそのポジティヴな躍動感を謳った前作『ラザー・リップト』さえ「その芸術性を追求するためだけにソングライティングを洗練させたようなところがあった」と客観視するほど、圧倒的にみずみずしくて雄々しい。

もちろん、その背景には、20年ぶりにインディーズに復帰を果たした環境の変化もあるのだろう(ちなみにマタドールの設立者の一人ジェラルド・コスロイとバンドは、コスロイが80年代に設立したホームステッドから『バッド・ムーン・ライジング』をリリースした以来の仲)。

「もし、これ以上ゲフィンとの契約が続いたら自殺してたと思う。さもなくば、バンド解散だったと思う。バンドを解散して、もう一度同じメンバーを集めて、そして違うバンド名で新しいバンドとしてやり直していたと思う。とにかく、絶対何か手をうっていたと思う。だって、本当にゲフィンには嫌気がさしていたんだ。音楽なんてどうだっていいと思ってる奴らのためにレコードを作るなんて本当に最悪だからね。僕らは、ビック・セールスを誇るアーティストだったわけじゃないから、会社にとって僕らがいるのは数字のためだったってわけじゃない。ゲフィンっていうレーベルは、できた当初はもっと芸術性を重んじる会社だった。でも、今は根底から変わってしまい、芸術性なんてものはないがしろにされている。それはレーベルの古き良き時代という風にしか思えなくなってしまったんだよね」

しかし、「収容所」と形容するメジャー時代でさえ、自主レーベルの運営から縦横無尽のコラボまで実質的には限りなくインディペンデントで自由な活動を許されていた彼らである。何がそこまで彼らを“変えた”のか、いや解放させたのだろうか。

その確かな理由はわからない。しかし少なくとも彼らが、ここで“前衛”や“革新”ではなく、“普遍”や“永遠”を謳ってみせているところに、『ジ・エターナル』というアルバムと現在の彼らの本質は収斂されるのではないか、と確信する。

「今作では、まるで僕らの人生における新章の始まりに突入したと感じるような、非常に重要な時期にあったと思うんだ」

それは「50歳を超えての自分達の人生を見つめている(笑)」とサーストンが語る、ある種の達観のようなものなのか、それとも、かつて「混沌が未来だ/その先に自由がある/混乱が次にあり、その後に真実がある」(“コンフュージョン・イズ・ネクスト”)と歌ったその通りの“未来”――政治的・経済的混乱と音楽産業の崩壊を呈する――を四半世紀後の今に迎えて打ち震えるような、若気(Youth)のフラッシュバックなのか。

「言ってみれば、自分達の人生の後半の始まりを見つめていると言うことだと思うんだけど、そこにはもちろん多くの不安がつきまとう。それで僕らは年を取ることについて絶望するのか?または新たな旅の始まりとして、祝福するのか?という問題になるわけだけど、僕らは、どちらかと言うと偉大なる新たな世界へ突入したという風に見ていたような気がするんだよね」


●メジャー・レーベルの介入によってインディー・シーンが骨抜きにされた1990年代とは真逆の形で、今、例えばマイスペースだったりネットやローカルなコミュニティを介した音源の発表やアーティスト同士の連帯によって、インディー的なDIY精神がメジャー・レーベル的な価値観やシステムを骨抜きにしている現状があります。

「そうだね(笑)」

●結果、メジャーとインディーという対立関係はますます曖昧なものとなり、今やレコード産業全体が崩壊の危機と大きな転換期を迎えています。こうした現状はあなたにとって歓迎すべきものですか?  

「現状の素晴らしいところは、金が関係なくなってしまったところだと思うんだ。金こそが、ロックの美しき部分をすべて歪めてしまったと思っているから。もちろん、人が音楽を創り、レコードにして売って、ツアーをして、金を儲けてそれで生計を立てられるというのは、素晴らしいことだと思う。でも、今は誰もレコードを買わなくなったわけだから、それはより難しくなっていく。みんなまだコンサートには行くから、ライヴはできると思うけどね。でも、こういう現状は音楽にあった“セレブリティ”的な観念を排除し、音楽をもっと地に足の付いた、人に近付けることになると思う。それってすごく重要だと思う。ここに、知性をもたらすと思うし、それに、例えば、音楽を無料で配信するという行為には、アナーキーな精神がある、とすら言えると思うし、音楽にとっても、音楽を創る人にとっても、それはすごくいいことだと思うんだ。というのは、音楽は金儲けをするのに最適な場所ではなくなってしまったわけだから、これから音楽を創りたいという人は、すごく渾身的にならなくてはいけないし、心からやりたいと思わなくてはできない。完全に金ではなくなってしまった。だからこそ、ロック・ミュージックは、今その原点を再発見しようとしているのだと思う。すごくいい状況だと思うよ………と言いつつ、僕だって、ローンを返済するためには、レコードを売らなくちゃいけないんだけどさ(爆笑)」

●こうした現状から、どのようなロックの未来を描くことができますか? 

「未来については一体どうなるかまるでわからないなあ。でも、自分をどう表現していけばいいのかという部分において、もっとみんなクリエイティヴになっていくんじゃないのかな。それから、カセットとか、レコードと言ったアート・フォームとしてもっと敬意を表するようになるんじゃないかと思う。インターネットで聴くのは、もちろん情報量は多いけど、すごく退屈だからね。僕はそんな風に音楽をあまり聴かない。実際手に取って見るのが好きなんだ。レコードを手に取って見たり、それを創った人を実際見るのが好きだし、もちろん聴くのも好きだけど、常に、見ることが第一、その上で、聴いてみるんだ(笑)」


(2009/06)

2011年5月17日火曜日

最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)③

・ 野村和孝/I AM A CONFIDENT WOMAN
・ Pwrfl Power/Pwrfl Power
・ Dirty Beaches/Badlands
・ Implodes/Black Earth
・ The Eternals/Approaching The Energy Field
・ Black Lips/Arabia Mountain
・ Big Nils/Sibling
・ Hotel Mexico/His Jewelled Letter Box
・ TADZIO/TADZIO
・ Tattle Tale/Sew True
・ Lykke Li/Wounded Rhymes
・ Skeletons/PEOPLE
・ THE ACT WE ACT/い っ て き ま す
・ テニスコーツ/ときのうた
・ Thao & Mirah/Thao & Mirah
・ うつくしきひかり/うつくしきひかりのアルバム
・ Psychedelic Horseshit/Laced


ブラック・リップスは気づけば6作目。プロデューサーにマーク・ロンソンを迎えたサウンドは、彼ら曰く「マークは古い音を理解するポテンシャルが高いってすぐわかった」、いわばロックンロールの「ロール」の部分を磨き上げたような手触り。なお、4曲入りカセットのために制作したという2曲のみ、盟友ディアハンターのロケット・プントと録音。いわく「オールドスクールなブラック・リップス」節。/クランキーからリリースのImplodesは例えるならソニック・ユースの「Providence」や「Macbeth」をシューゲイザー~ダーク・アンビエント解釈したようなかっこよさ。

TADZIO。「爆音だが芯は醒めている。ノイズや金属音は鋭利で、愚痴を捲し立て吐き出すような叫びは重く乾いている。女性2人でギター&ドラムという形態はあふりらんぽとの比較が容易いが、まったく非なるもの。向こうは太古へ飛び宇宙と交信するが、こちらは都市を徘徊するメタリックな騒音だ。突き放すようなリフとタイトなグルーヴ。ポスト・パンク的なクールネス。毒とチャームを併せ持つ」。リリース直後に何軒かレコ屋を覗いたら売り切れのお店が少なくなかったなあ。そういえば同じく女性の2人組でルックス的にも似た感じのStoned Green Applesってのがいたけど、その後どうしたのだろうか。/Big Nilsはソニック・ユースのサーストン・ムーアとキム・ゴードンの娘、ココ・ゴードン・ムーアのバンド。母親ゆずりの乾いた歌声と、ガレージ~ノー・ウェイヴィーなギター・ロック。血は争えないというか、やはりサラブレッド。ちなみに録音担当のJustin Pizzoferratoは、サーストンやJ・マスシスのソロを始め、サンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マンやマット・ヴァレンタイン、リリジャス・ナイヴズからクリスタル・キャッスルズまで手掛けるお方。 /


(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...)②)
(最近の熟聴盤(from 3.11 to ...))

2011年の小ノート(仮)……

2011年5月14日土曜日

2000年代の極私的“ビッチ”考……猫娘の目覚め

昨年の1月に続いて2度目となるキャット・パワーことショーン・マーシャルの来日公演の決定を祝して、彼女の初期のアルバム3作品が国内盤でリリースされる。そのなかの一枚、本作『ホワット・ウッド・ザ・コミュニティ・シンク』は、彼女にとって3枚目のアルバムにあたり、現在も彼女が籍を置くマタドール・レコードから96年の秋に発表された。

しかし、あるインタヴューで彼女は、本作を含めた初期の作品を振り返って、「レコードなんて作りたくない。レコーディングなんてもうウンザリ……って感じだった」と話していたことがある。さらに、彼女を見出し、サポートを務めたソニック・ユースのスティーヴ・シェリーに対しても、当時はあまり信用を置いていなかったという。

つまり、彼女の言葉を受け取るならば、本作を含めた初期の3枚のアルバムは彼女にとって、けっして心から褒められた作品ではなく、どこか屈託や複雑な逡巡を孕んだ作品だった、と言えるのかもしれない。

もっとも、今にして思えばそれもまあ、無理もない話かもしれない。故郷のアトランタから、ミュージシャンになるのを夢見て単身ニューヨークに渡ったのが90年代初めの10代の終わりころ。まだギターの演奏もおぼつかないまま(彼女が初めてギターを手にしたのは19歳だった)、友人とバンドを組み、ライヴ・ハウスで弾き語りをやったりしながらストリート・ミュージシャンのような生活を一時期送っていたという彼女は、リズ・フェアのコンサートの前座で演奏していたところをたまたま居合わせたスティーヴ・シェリーに見初められて、一躍プロのミュージシャンの世界へ。結果的に彼女が望んだ選択だったとはいえ、それまでの気心の知れた友人とのプライベートな世界から、一転して大人たちに囲まれる「仕事場」に放り込まれた彼女にとって、環境の変化による戸惑いや受けたプレッシャーの大きさは想像に難くない。そうしたすべてが様変わりを見せる渦中にあって、たとえば“音楽をやる”ことに葛藤を覚えたり、疑心暗鬼に陥ってしまったりしたとしても、それはむしろ致し方ないと言えるのではないだろうか。ニューヨークで出会ったフリー・ジャズやアヴァンギャルド・シーンの自由な空気に刺激を受け、自分の音楽を自己表現の手段であると明確に捉えていた彼女の場合なおさら、そうした周囲と自分との齟齬や距離感のようなものを必要以上に敏感に感じ取ってしまっていたのかもしれない。

しかし、だからこそ、とでもいうべきか、この初期の作品群には、その危うい緊張感のなかで彼女の音楽的才能が、戸惑い模索しながらもゆっくりと、そして確かに花開いていく様子を感じることができる。ピアニストだった父親の影響もあり(米南部の家庭にしては相当リベラルな両親だったと聞く)、幼いころからフォークやブルースの類の音楽に親しんでいたという彼女のルーツ・ミュージックの素養は、初期3作品のサウンド面を支えたソニック・ユースのスティーヴ・シェリーやティム・フォルヤン(ちなみに二人はトゥー・ダラー・ギターというバンドも組んでいる)といったアメリカン・インディ・シーンを代表するプレイヤーによって揉まれ、精錬を重ねることで表現の懐を格段に広げ、一種殺気にも似た凄みを纏いながら輝きを増していく。そうして出来上がったものは、その生来のナイーヴで深い内省をたたえた歌声と相まって、さながら「ポスト・ロック以降のジョニ・ミッチェル」とでもいうべき異形のフォーク/ブルース・ロックだった。ファースト・アルバム『ディア・サー』から順を追って作品を聴いてみたとき、彼女のソングライティング/表現が目覚しい速度で深化を遂げていく過程が手に取るようにわかるはずだ。この初期の連作によって、彼女のスタイルはほぼ完成を見たといっていいと思う。

そのプロセス/方向性は、オーストラリアの実力派ポスト・ロック・グループ、ダーティ・スリーのメンバーをサポートに迎えた本作に続く4枚目『ムーン・ピックス』(98年)において最大の達成を見せるのだが、スティーヴ&ティムと組んだ初期3部作の最後を飾る本作は、早熟な一人称の表現者だった彼女が、さまざまな才能と対話を交わすことで、ミュージシャンとしてひとつの成熟のかたちを迎える瞬間を映し出した作品といえるだろう。また、マタドールからのデビュー作品となったことも含めて(前の2作品はスティーヴが主宰するレーベル、スメルズ・ライク・レコードから発表された)、本作は名実ともに彼女の存在を広く世に知らしめるきっかけのアルバムとなった。

本作のサウンドについて少し補足すれば、前の2枚のアルバムに比べると、より有機的にアンサンブルが展開し、バンド・サウンドとしての厚みと奥行きを増している点、そして次作『ムーン・ピックス』や昨年リリースされた最新作『ユー・アー・フリー』に比べると、いい意味での荒削りな部分と、不安定なピッチから生まれる独特な陰影が顔をのぞかせ、彼女がフェイヴァリットに挙げるローレン・マザケイン・コナーズなどを思い起こさせる静謐な響きをたたえているのが特徴だろう。ちなみに、彼女のホームページにリンクが張られた本作制作/リリース時近辺と思われるインタヴューにおいて、最近のヘヴィー・ローテーションとして彼女がマーヴィン・ゲイや当時再結成した直後のレインコーツの新作(ちなみに彼女とスティーヴが本格的に知り合ったのはレインコーツの再結成ライヴの会場だった)、そして今やレーベル・メイトのミッション・オブ・バーマを挙げていたことを参考までに記しておく。

本作についてもうひとつ記すとするなら、10曲のオリジナル曲に混じって収録されている2曲のカヴァー曲の存在だろう。前の2枚のアルバムでもトム・ウェイツやハンク・ウイリアムズのナンバーを、シングル・カットされた本作収録“Nude As The News”のB面ではソニック・ユースの名曲“スキッツォフレニア”をカヴァーし、また『ムーン・ピックス』後の2000年にはその名も『ザ・カヴァーズ』と銘打たれたアルバム(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ローリング・ストーンズetc)をリリースした彼女だが、本作ではピーター・ジェフリーズの“The Fate Of The Human Carbine”とスモッグの“Bathysphere”のカヴァーに挑戦している。なかでもスモッグことビル・キャラハンといえば、先日念願の初来日を果たしたウィル・オールダムことボニー“プリンス”ビリーや、プラッシュことリアム・ヘイズと並ぶ、現代アメリカン・インディが誇る最高のシンガー・ソングライター/ストーリー・テラーのひとり。以前彼にインタヴューした際に、彼は自分の音楽について「自分の作る音楽はすべて宗教音楽であり、信仰そのものである」と話してくれたことがあるが、そうした原曲が持つ荘厳な美しさを、彼女は見事なまでに自分色に染め上げて、原曲と聴き比べても遜色のないオリジナルな名曲に仕立て上げている。曲が醸し出すスピリチュアルなイメージとは裏腹に、ハッピーで素直な性格の持ち主だと聞く彼女だが、その音楽と向き合うストイックな姿勢において、スモッグとショーンは互いに重なり合うところが大きいのではないだろうか。曲を聴きながら、つい2人が共演する姿を夢見てしまいたくなるような、本作のハイライトのひとつともいえるナンバーだ。

冒頭に記したように、本作のリリースと前後してキャット・パワーが2度目の来日公演を行う。昨年1月に下北沢で見た初ライヴは、機材のトラブルなどもあり、彼女にとって決して本調子といえるライヴではなかったように思うが(正直、演奏もどこかちぐはぐなものだったと思う)、それでも十分に彼女の魅力や凄み、あるいは「歌の力」のようなものがストレートに伝わってくる、あたたかくてプライベートな空気にあふれたとてもいいライヴだった。前回は会場的にも小規模なもので、結果的に限られた人しか見ることができなかったが、今回は本格的なライヴ・ホールでの公演ということで、より多くのファンが彼女の生の歌に触れることができたのではないだろうか。そして、願わくは本作を含めた過去3作品の国内盤のリリースをきっかけに、彼女の歌を愛するファンの輪がさらに大きく広がることを切に願う。彼女を追いかけるファンのひとりとして、これが今の素直な気持ちである。


(2004/05)

極私的2000年代考(仮)……北欧からホセ・ゴンザレス

「たしかに……自分が予想してた以上に大きくなりすぎちゃったなって感じはしていて。やだなって感じじゃないんだけど、ただ、そのへんはすごく現実的に捉えてるというか、なんでここまで大きくなりすぎたんだろうってことを、自分でも分析してみたり……。僕がやってるみたいな音楽は、メインストリームのど真ん中にフィットするようなタイプの音楽じゃないから」

先日、サマーソニック07への出演と今回のニュー・アルバム『イン・アワー・ネイチャー』のプロモーションのため来日した際、ファースト・アルバム『ヴェニア』のブレイクを振り返り、そう淡々と語ったホセ・ゴンザレス。2004年にリリースされた『ヴェニア』は、インディ作品ながら、本国スウェーデンやイギリスでプラチナ・レコードに輝いたのをはじめ、日本を含む世界中で70万枚のセールスを記録。昨今、様々なかたちで男性シンガー・ソングライターの存在が注目を集めているとはいえ、派手なキャラクターでもなければ、本人も語るようにけっして大衆にアピールするタイプの音楽でもない。「無名のゼロの状態からコツコツとやってきた」という3年間(2003年のデビューEP『Crosses』から数えれば4年間)。たくさんの人たちが自分の音楽を聴いてくれたことは素直に嬉しい反面、その手応えが大きければ大きいほど、驚きや戸惑いも隠せない――というのも、いざ本人にしてみれば正直なところなのだろう。


実際、今回の『イン・アワー・ネイチャー』のレコーディングにあたっては、本人によれば多少のプレッシャーを感じていたところもあったらしく、またヨーロッパやアメリカを廻る長期のツアーが続き、落ち着いて曲作りに入る時間がなかなか取れなかったことで、スランプに近い変なストレスを溜め込んでしまう場面もあったそうだ。そうしたなか、ツアーがひと段落し、スウェーデンのイェーテボリにある自宅に戻りホセが本作の曲作りを本格的に始めたのは昨年の11月。その際、ホセがまず考えていたのは、「セカンドはファーストみたいにビッグになる必要はない」、そして「自分自身への過剰な期待を抑える」こと、だったという。

ともあれ、ひとたび曲を書き始めてからは、「自分のペースを取り戻してきたというか、他人が何と言ってこようが、今の自分にとってはこれが一番自然な曲なんだっていう感じの曲ができてきた」と自負するほど、充実したソングライティングの成果を残すことができたと語る本作。なかでも、アルバムのオープニングを飾る1曲目の「How Low」は、単なるリード曲に留まらず、作品全体の世界観を予告するイントロダクションとしてホセ自ら位置づける象徴的なナンバーだ。“How low are you willing to go”という一節で始まる、呟くような、しかし強い感情を滲ませたホセのヴォーカルと、ミステリアスで、どこか不吉な余韻を残すアコースティック・ギターの調べ。まるで黙示録を読み上げるように響くダークなニュアンスは、ホセの狙いどおり、これまでの彼の作風や楽曲とは異なる表情を作品に浮かび上がらせることに成功している。なお、4曲目「In Our Nature」等で魅惑的なバッキング・ヴォーカルを披露しているのは、同郷イェーテボリのバンドで、先日デビュー・アルバムを発表したリトル・ドラゴンの女性ヴォーカリスト、ユキミ・ナガノ。

「そう、アルバムの一番最初に“How Low”って言葉を持ってきたかったんだよ。“How Low”って、どこか陰を帯びた感じで、少しアグレッシヴな響きもあって……僕自身、そういう音楽が好きだったりもして、だから、今回のアルバムもそんな感じの雰囲気にしていきたかったんだよ。ダークで、責めてるような感じというか……そこに生まれる緊張感というか、どこか張り詰めた空気にしたかったんだ。僕の書いてる曲って、大半がメロウで優しいトーンなんだけど、そこに少しだけ陰を潜ませておきたかったというかね」

一方で、本作についてホセは「最初の5曲はすごくアグレッシヴで責めてる感じなんだけど、後半の5曲は外側よりも内側にベクトルが向いている」とも語り、つまりレコードのA面/B面のようにアルバムの前半部と後半部が対称的な構成になっている、という。なるほど、たとえば冒頭の「How Low」から、ブルージィなギターとパーカッションが情熱的に絡み合う3曲目「Killing For Love」へと至る流れのにじり寄るような緊迫感や躍動感と、たとえば8曲目「The Next」や9曲目「Fold」にあふれる南国的な浮遊感やオーガニックな叙情性は、ホセのソングライティングの「動」と「静」のコントラストを描き出しているともいえなくない。もっとも、実際に作品を聴けばわかるように、ホセが言うほど明瞭には前半部と後半部でサウンドのトーンが異なることはない。むしろ、並び合う曲同士が互いに響き合うように繊細なグラデーションを描きながら、アルバム全体のトーンや表情を陰影鮮やかに浮かび上がらせていく。“How low are you willing to go”と歌い幕を開けた世界が、“You're cycling trivialities”と歌う最終曲「Cycling Trivialities」の最後のフレーズへと再帰し円環を閉じるように締めくくられるストーリーテリングは、ありふれた「動/静」といったコントラストを超えて、奥深く感動的な余韻を作品を聴いたリスナーに残すものだ。


そもそも、アルゼンチンからの移民である両親のもと、スウェーデンで生まれ育ったホセは、そのルーツからして対照的な2つのカルチャーを受け継ぐパーソナリティの持ち主といえる。両親の影響から家ではアルゼンチンやブラジルなどのラテン音楽を聴いて育ち、一方、幼い頃からクラシック・ギターを習い、ビートルズやサイモン&ガーファンクルなんかを普通に聴いていたホセにとって、ことさら強調するまでもなく音楽面におけるそうした「2面性」は、なんら違和感なくごく自然に培われた作法ともいえる。影響を受けたアーティストには、エリオット・スミスやキャット・パワーなどシンガー・ソングライター系から、トータスやロウなどポスト・ロック系まで様々な名前が挙がり(個人的に、ニック・ドレイクやジョアン・ジルベルトの系譜を間違いなく継ぐその感性は、その南米音楽的なヴァイヴに抱かれたアトモスフェリックな歌世界といい、同時代ではデヴェンドラ・バンハートに比肩する才能と信じて疑わない)、またよく知られているように、過去にはハードコア・バンドで活動していた経歴を持つなど、その音楽的なバックグラウンドはきわめて広い。惹かれるのは、そうした多様なインスピレーションが彼の音楽の中で交じり合い、あるいは交じり合う狭間からまったく新たなフレーズや歌が産み落とされるような生々しさを、そこに感じることができるからだ。本作が、サウンド的には特別な変化を見せることなくこれまでの作品の延長にありながら、しかし新たなエモーションを呼び起こすような力強さにあふれているのは、そうしたホセの人間的/アーティストとしての懐の深さによるのではないだろうか。

ちなみに、アルバム・タイトルの「In Our Nature」の意味も含めた本作の歌詞のテーマについて、ホセは「人間の根源的な部分や、人間が人間であること、人間の行動パターンだとか本能、根源悪みたいなところまで含めて、それらを言葉にしようとした結果、こういう歌詞ができたんだと思う」と語り、『ヴェニア』よりもパーソナルな方向に陥らないよう、人間にとって普遍的なテーマを描くことを念頭に置いていたのだという。そうした背景には、『ヴェニア』の成功を受けて、以前よりもリスナーの存在を意識するようになったことも関係しているようだ。

「ファーストが愛の光と影について描いてるアルバムたら、今回はただパーソナルな愛だけじゃなく、それ以上のものがあるというか……愛と憎しみとか、そういう部分まで描いてる。あるいは、同じ愛でも、誰か特定の相手に向けた愛だけじゃなくて、思想や物事に対する愛なんかも含まれてるんだよ」

さらに、ホセによれば、今回の曲作りの間に読んでいたリチャード・ドーキンス著『神は妄想である――宗教との決別』から受けたインスピレーションが、本作の歌詞には大きな影響を与えているという。リチャード・ドーキンスといえば、他にも『利己的な遺伝子』等の著書で有名なイギリスの動物行動学者だが、ホセもまた大学時代には音楽と平行して生化学を学んでいたことで知られている。
「かつての錬金術が科学に取って代わられたように、そこから天文学や解剖学が生まれていったように、人々が宗教なんてものをでっち上げる前の時代には説明できなかったことを今では科学が説明してくれるようになってる。あるいは哲学が、考えても答えの出ない問題に取り組んでいたり、アートが宗教の代わりになって人々を繋げたり、人間の心に美しさや感動を与えてくれるようになっている。それまで宗教が支配していた役割を、今ではいろんな学問や芸術が肩代わりするようになっているんだよね。だから、今の世の中において、基本的には宗教って必要のないものだと思ってる。それを信じたがために悲劇を生む可能性のあるものも含まれているから。それまで宗教がすべて独占していた領域……生きることの意味や、人間としてどう生きるべきか、どうしたら今よりももっと良い人間になれるのかってことについて……それは宗教とは関係なしに、生きていく限り誰でも向き合っていく問題だと思うんだよ」

ホセは、デビューしてから今日までの4年間を、「まるで旅のようだった」と振り返る。文字通り、世界中を国から国へとツアーで周り、その行く先々でファンや様々な人たちとの出会いを果たしながら、ホセの音楽はゆっくりと、しかし確かな手応えとともにその輝きを増してきた。『イン・アワー・ネイチャー』を聴いていると、そんなホセが過ごしてきた濃密な「旅」の情景が目に浮かぶ。このアルバムが、より多くの人たちにとってホセ・ゴンザレスというアーティストと彼の音楽に出会うきっかけになればと、ファンの一人として心から思う。


追記:5曲目に収録された「Teardrop」は、マッシヴ・アタックのカヴァー。先日出演したサマーソニック07でも披露され、大きな喝采を浴びた。


(2007/08)

2011年5月3日火曜日

極私的2000年代考(仮)……NO MUSIC NO NOISE, NO NOISE NO MUSIC

「NOISE」の語源が、どこかの言語で「新しい(もの)」を意味する言葉だった、という話を前になにかで読んだか聞いた記憶がある。あらためて調べてみたが、真偽は定かではないので、たぶん記憶違いか、まったくのデマなんだろう。ちなみに、ネットで調べた浅知恵だが、一説には「船酔い」を意味するギリシャ語の「NAUSIA」が、ラテン語や古いフランス語をへて変形したものだといわれている、そうだ。

ともあれしかし、一方で、いわゆる広義の「ノイズ」が「新しい(もの)」として、2000年代以降、主にアメリカのインディ・ミュージック内で再浮上している、という現象があるのはご存知のとおりである。正確には、2000年代以降の「新しい(もの)」インディ・ミュージックには、さまざまな形で顕在化した「ノイズ」の影響を散見できる、と書くべきか。

それはたとえば、ノー・エイジやディアハンターを例に昨今注目を集めるニューゲイザーや、その中でもより過激でレフトフィールドな嗜好を指す「Shit-Gazer」「No-Fi」とも呼ばれる連中(イート・スカル、ブランク・ドッグス、インテリジェンス、『Shitgaze Anthems』なんてEPまでリリースするサイケデリック・ホースシットetc)。あるいは、サンO)))や、2000年代に入り復活を遂げたアースを筆頭とするドゥーム・メタル/ヘヴィ・ドローン~スラッジ。スターズ・オブ・ザ・リッドやウィンディ&カールを擁する90年代以降のクランキー周辺をへて、グロウイングやホワイト・レインボーetcにいたるアンビエント~ドローンの流れ(ディアハンターもこの流れを汲む)。さらにはボーズ・オブ・カナダやフェネズ、M83やギター等のmorr周辺まで含むアンビエントやエレクトロニカ以降のエレクトロニック・ミュージック。さらにはアンドリューWKも出入りするニューヨークのNo Fun界隈のエクスペリメンタル&エクストリームなノイズ・シーン(ウルフ・アイズ、ヘア・ポリス、サイティングスetc)。はたまたライトニング・ボルトやヘラといったポスト・ノーウェイヴ。マストドンやコンヴァージに代表されるポスト・メタル/カオティック・ハードコア。そしてもちろん、それこそアニマル・コレクティヴ(『フィールズ』の際にはシューゲイザーの影響も指摘された)やギャング・ギャング・ダンスから、ボルチモアのダン・ディーコンやポニーテール、ノー・エイジの盟友エイブ・ヴィゴーダらポスト・ジャンクまで、解釈の範囲を広げればきりがない。


あくまで大雑把な括りだが、それらのシーンやバンドの間で「ノイズ」は、ある種の触媒として各々の音楽スタイルと交わりその概念を敷衍され、援用や曲解、リヴァイヴァル(回顧)とリニューアル(更新)をへて現在にいたる。それはたとえば、フリーク・フォークにおいて「フォーク」もまた触媒に過ぎなかったのとニュアンスは近い。ジャンルや手法としての「ノイズ」は、その背後にメインストリームへのカウンター的な特異点としての役割や、ニルヴァーナやグランジ的な心象風景を映す“物語”を帯びていた80年代や90年代のそれとは異なり、いまやロック/ポピュラー・ミュージックにおいてありふれた選択肢でありクリシェに過ぎない(だから「すべてのノイズが、ある種の社会像や人物像、感情などに結びつけられてしまっている」と語るダーティー・プロジェクターズのデイヴ・ロングストレスの意見は過大評価だろう。そうした“ノイズの内面化”は90年代のグランジを通じてパターン化され形骸化した)。

しかしとりあえず“2000年代のノイズ”には、それが音楽表現として必ずしも「新しい(もの)」かどうかは別として、それぞれの方法論や美学を貫くかたちで「ノイズ」を拡張し極めるような過剰さと(シーンを跨ぐ)多様性があって、おもしろい。そしてそれは、2000年代も最初の10年が終わろうとしている現在まさに進行中の現象であるという点で、まぎれもなく「新しい(もの)」のである。

 
ところで、先日、代官山UNITでシルヴァー・アップルズの来日公演が行われた。はじめに断っておくと、自分はそのライヴを見ていない(裏の渋谷O-NESTで美人レコード祭りby円盤ジャンボリーを見ていた。まあ、彼らの出演は深夜過ぎだったので、時間的に見れないこともなかったのだけど)。なので、ここでそのライヴの模様について伝えることはできないのだけど、そんな経緯もあって彼らのレコードを久しぶりに聴きながら、シルヴァー・アップルズをキーワードに、2009年の現在を象徴する何かについて書くことができるかもしれない、なんてことを漠然と考えた。
シルヴァー・アップルズが結成されたのは1967年。そもそもはジ・オーヴァーランド・ステージ・エレクトリック・バンドと名乗る5人組で、3人のギタリストにドラムにヴォーカルという編成だったのだが、当初ヴォーカル専任だったシメオンがオシレーター(発振器)を持ち込みバンドは揉めた末に瓦解、唯一人それに共感を示したドラマーのダニー・テイラーとシメオンが新たに始めたユニットがシルヴァー・アップルズだった。それからほどなく、シメオンは、9個のオシレーターと86個のコントロール部、プリ・アンプやラジオetcを組み立てた自作の電子楽器「シメオン・マシーン」を操り、対するダニーは、8個のスモール・タムと各2個のフロア・タムやバスドラ、カウペルetcで構成された大型のドラムセットを叩くというユニーク奇抜な演奏スタイルを整備。ファースト・アルバム『Silver Apples』とセカンド『Contact』が、1968年と69年に相次いでリリースされた(以降、30年近い活動休止期間をへて90年代末にシメオン主導で再始動。ニュー・アルバム『Beacon』や未発表曲集『The Garden』を発表。4年前にダニーが死去。先の来日公演はシメオンのソロ・アクトだった)。

現代音楽に電子音楽のやり方を持ち込んだとも言われたシルヴァー・アップルズは、後のエレクトロニック・ミュージックは当然、カンやノイ!、クラスターなどクラウト・ロック/ジャーマン・エレクトロから、PIL時代のジョン・ライドン、ステレオラブや以降のポスト・ロック、あるいはジ・オーブあたりのアンビエント~テクノ/ダンス・ミュージックにいたるまで、多大な影響を与えた。その再評価のきっかけともなった96年のトリビュート盤『Electronic Evocations』には、ウィンディ&カールやAMP、サード・アイ・ファウンデーションやフロウチャートなど、アンビエント・ドローンやポスト・ロック~ブリストル系など個性的な顔ぶれが名を連ねている。

なかでも、そんなシルヴァー・アップルズの衣鉢を継ぐ存在とも言えるのが、ソニック・ブームだろう。ご存知のとおり、現在はスピリチュアライズドを率いるジェイソン・ピアーズと組んでいたスペースメン3自体がそもそも強烈なアシッド・サイケデリアを誇るアクトだったが、解散後、音楽面でブルースやガレージ・ロック的な肉体性を引き継ぎ(さらにゴスペルやジャズなど多様なルーツ音楽との混交、オーケストラの編成etcをへて)具体表現としてのサイケデリアに向ったジェイソンに対し、ソニック・ブームは、スペクトラムやエクスペリメンタル・オーディオ・リサーチと名乗り、アナログ・シンセやヴィンテージ電子楽器から子供用の言語学習機械まで用いながら、アブストラクトで弛緩した電子音響~ドローンの快楽性に耽溺してみせた。

そこには、シルヴァー・アップルズ/シメオンから授かるエレクトロニック・ミュージックの薫陶はもちろん、いわゆるロック・バンド的な伝統性や楽曲形式を一切放棄するような達観したありようも窺える。もっとも、ニューオリンズで生まれ育ち、当然のようにリトル・リチャードやファッツ・ドミノのレコードに10代の頃から親しんだというシメオンと同様に、ソニック・ブームもまた、クラフトワークなど70年代のドイツ音楽と平行して、50年代の初期ロックンロールやロカビリー、リズム&ブルースを愛する音楽ルーツをもつ。昨年、スペクトラム・ミーツ・キャプテン・メンフィス名義でリリースされたアルバム『Indian Giver』では、アレサ・フランクリンやボブ・ディラン、ストーンズのバックを務めたこともある鍵盤奏者ジム・ディッキンソン(ちなみに彼の息子兄弟とジョン・スペンサーが組んだのがスペンサー・ディッキンソン)と共演を果たし、ファンを驚かせた。ともあれ、シルヴァー・アップルズとソニック・ブームは、過去にツアーで共演したりコラボ作『A Lake Of Teardrops』を発表したりと、近しい関係性にある。

かようにシルヴァー・アップルズが残した音楽的足跡の延長線上には、さまざまに枝分かれしその枝葉を広げる音楽フェーズの変遷を見て辿ることができる。さらにそこに、たとえばシメオンも当時から共感を寄せたスペースメン3のトリビュート盤(モグワイ、バード・ポンド、ロウetc)や、先頃リリースされたノイ!のトリビュート盤『ブラン・ノイ!』(LCDサウンドシステム、フォールズ、スクール・オブ・セヴン・ベルズetc)を接ぎ木して置けば、その系統樹をより俯瞰したかたちで捉えることも可能だろう。

あるいはまた、シルヴァー・アップルズを起点としてニューヨークの音楽史を紐解き直せば、そこには、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを起点としたそれ=通説とは異なる相貌の彼の地のアンダーグラウンド・ミュージックの軌跡が浮かび上がるはずだ。そしておそらくそれは、ラ・モンテ・ヤングやトニー・コンラッドのミニマル・ミュージック/現代音楽を背景に、ルー・リードの『メタル・マシーン・ミュージック』を挟んでNYパンクではなくスーサイドと直線で結び、イーノ&トーキング・ヘッズ(デヴィッド・バーン)の原始主義と音響実験(あるいはノー・ウェイヴでもグレン・ブランカのようなミニマリスト)をへて、たとえば80年代と90年代を跨いでノイズ/インダストリアルからサイケデリック/ドローンへと嗜好を変えたスワンズなど(そして日本から輸入されたボアダムス!)を参照点に含みながら、ブラック・ダイスや、現在のアニコレやギャング・ギャング・ダンスあたりのエレクトロニックなトライバル・ポップに辿り着くようなユニークな文脈を示すにちがいない。

そして結論を言えば、“2000年代のノイズ”が拠って立つところもこの道筋に連なるものではないか、という感覚である。むろん、上記のさまざまな“ノイズ”がシルヴァー・アップルズの直接的/間接的影響下にあるかどうか正確には定かではないし、むしろその多様性こそがいわば“2000年代性”を担保するものであるからして、それらを一括して論じることはできない。けれどたとえば、彼ら“2000年代のノイズ”のいつ果てることもなく続く轟音/微音との戯れ。ニューゲイザーの確信犯的な単調さ(=反復)。ドゥーム・メタルのミニマルな持続感。引き延ばされ、圧縮された電子音/ノイズのマテリアリスティックな感触。ストイック(ハードコア?)を通り越してスラップスティックなユーモアさえ感じさせる器楽演奏。あるいはリズムの覚醒感etc。“2000年代のノイズ”が帯びたそれらの属性には、さまざまなレベルに微分され、あるいは援用・変形されたシルヴァー・アップルズ的なるものの残滓を嗅ぎ取り散見することができなくもない(ちなみにシメオンは昨年シミアン・モバイル・ディスコのリミックスも手掛けた)。

もっともシルヴァー・アップルズは、いわゆるノイズ・ミュージックではない。しかし、シルヴァー・アップルズと“2000年代のノイズ”(というか”2009年現在のノイズ”)との間には、たとえば80年代や90年代の役割や意味を帯びたノイズとは違ってもっと、その「音」に対するエクストリームで快楽的な嗜好において同時代性のようなものがある。

言い換えれば、シルヴァー・アップルズの音楽はその登場から40年後の現在にも不思議なリアリティをもって響く。それは彼らの音楽が、気づけばロックやアヴァンギャルドやダンスもひっくるめた「古典」としてさまざまな参照点を含んでいるという以上に、その偉大さとは裏腹にそこに通底する天性の(天然に近い?)ポップさが、“2000年代のノイズ”の、ある種裏表のないわかりやすさ(つまり「音」への欲求だけがむき出しであるような)とおそらく重なるところがあるからだろう。“2000年代のノイズ”もまた、そんなシルヴァー・アップルズという果樹がその生長の過程でたわわに実らせた「新しい(もの)」果実のひとつにほかならない。


カリフォルニアの男女デュオ、ルーク・フィッシュベックとサラ・ラ・ラによるラッキー・ドラゴンズは、10年前の結成以来、音楽以外にもビデオ・プロジェクトや観客を巻き込んださまざまなアート・パフォーマンスを行いながら、これまで20作近いアルバムや諸作品を発表し続けている。ノー・エイジがホームとするアート・スペース「スメル」の顔馴染みでもある(ノー・エイジのディーンが主宰するレーベルPPMのDVDにも映像作品が収録されている)彼らのサウンドは、弦楽器や打楽器やリコーダーなどさまざまな生音に電子音を少々織り交ぜ継ぎ接ぎし、ループさせたりしながら朴訥とした歌唱を重ねるなんというか、トライバル・アヴァン・トイトロニカポップとでも言うべき奇天烈なローファイ調を奏でる代物。で、それはまったく「ノイズ」ではないのだけど、隙間だらけでミニマルな中毒性やフェティッシュな音との戯れがなんともシルヴァー・アップルズ的、なんである。目下の最新作『Dream Island Laughing Language』は、またそんな“2000年代のノイズ”を象徴する一枚。スティーヴ・ライヒやシュトックハウゼンあたりの影響も窺え、スケールは違うが来月に控えるバトルスのタイヨンダイの新作ソロとも意外や通じるところがあったりして、おもしろい。


(2009/09)

2011年の小ノート(仮)……“暗転”するアンダーグラウンド②

思い返せば、NMEが2010年の年間ベスト・アルバムにジーズ・ニュー・ピューリタンズの『Hidden』を選出したのは興味深いというか、さすがである。もっとも他メディアに対する牽制的なポジション・トークのきらいもあったが、そこには、2000年代と2010年の間に明確な線のようなものを引こうという意志もうかがえる。それは例えば、2000年代後半から続くUSインディー発のユーフォリックなサイケデリック・ポップ(その延長線上にあるチルウェイヴ~グローファイ)と、ダブ・ステップ以降の、それこそコールド/ダーク・ウェイクからウィッチ・ハウスまで含めた広義のエレクトロニック/ダンス・ミュージックにおける“ダーク・ヒプナゴジア”との間に、ふたつのディケイドを隔てる一線を引こうというような。いわば前者が安眠的、というか白昼夢的とするなら、後者はまさに不眠症的というか、悪夢的。前者が「海」や「ビーチ」や「自然」をアイコンとして意図的に喚起させ引用するのに対して、後者は「恐怖」や「神経症」「心理的抑圧」のメタファーとしてホラーやサスペンス映画のイメージを確信犯的にPVやパッケージに引用する。ゴーストリーで、デストピアな……。()(


(続く)

http://junnosukeamai.blogspot.com/2011/02/2011.html