2011年2月28日月曜日

極私的2000年代考(仮)……From No Wave To 77Boadrum

かねてより伝えられていた、ソニック・ユースのサーストン・ムーアと、英WIRE誌にも寄稿する音楽評論家のバイロン・コリーの共著『No Wave: Post Punk. Underground. New York.  1976-1980』()が先頃出版された。元ティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークスのリディア・ランチ、コントーションズのジェームス・チャンス、DNAのアート・リンゼイやイクエ・モリ、マーズのマーク・カニンガム、セオレティカル・ガールズのグレン・ブランカ、ライス・チャザム、あるいはリチャード・ヘルやTJ&TJの最初期のメンバーだったフリクションのレックなど当時の関係者へのインタヴューとテキスト、そして貴重な写真の数々で構成された、ノー・ウェイヴの実像を伝えるドキュメンタリー。裏表紙には、デヴィッド・ボウイ(当時ベルリン時代の最中だった)のコメントも寄せられている。この種の書籍としてはこれまで、写真集の類を除けば、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの登場まで遡る(さらにMC5やストゥージズのデトロイト、エレクトリック・イールズやロケット・フロム・ザ・トゥームズを輩出したクリーヴランドを含む)包括的なニューヨークのパンク史の検証の中でそのエピローグ的にノー・ウェイヴについて触れた『From The Velvets To The Voidoids』(邦訳題は『ルーツ・オブ・NYパンク』。副題に「A Pre-Punk History For A Post- Punk World」と記されている)、逆にプロローグ的に触れたソニック・ユースのバイオ本『Confusion is Next』()など有名なところであったが、ここまで文字通りノー・ウェイヴだけに絞って検証したものとしては、まさに決定的な一冊になるだろう。なかでもやはり、当時ボウイやトーキング・ヘッズとのコラボレーションと平行してブライアン・イーノが監修を務め、ノー・ウェイヴを「歴史化」したコンピレーション盤『No New York』に関するエピソードが興味深い。その制作の経緯や裏側については知られていないことも多く、イーノ自身やアルバムに収録されたイースト・ヴィレッジ陣営の4バンドの元メンバーはもちろん、収録されなかったソーホー陣営のグレン・ブランカらも含めて、実際に当事者の口から語られる証言はどれも貴重だ。

サーストンがノー・ウェイヴの歴史について本に纏めようと最初に考えたのは18歳のときだったという。58年生まれだから18歳は76年、つまりノー・ウェイヴに初めて触れた瞬間から今回の本について構想していたということになる(CBGBで演奏するDNAのステージの写真には、それを観客席から見つめるサーストンの姿も収められている)。そう考えると今回の出版には感慨深いものがあるが、そういえばじつは過去にサーストン自身の口からノー・ウェイヴに関する執筆計画について直接話を聞いたことがあったことを思い出した。それは8年前、アルバム『NYCゴースツ&フラワーズ』を引っ提げたソニック・ユースの来日公演の際に行ったインタヴュー終了後、プレゼントしたリタ・アッカーマンの画集を見ながらサーストンが「ノー・ウェイヴの歴史について書くから、ロッキング・オンで出版してくれないかな?」みたいなことを話していたのを覚えている。ちなみに、「サーストン・ムーアが語るロックンロールの裏10曲」と銘打ち、ヴェルヴェッツをはじめNYパンクやパブリック・エネミーやイーノやニルヴァーナをトピックにロックの裏史的な再考を企画したそのインタヴューの中で、サーストンは当時のノー・ウェイヴの印象をこう語っていた。

「パンク・ロックの第一世代、つまり『セックス・ピストルズやパティ・スミスを聴くのは刺激的だ』って価値観が共有されていたところに、ある日突然、アート・スクール出身だったり、ただドロップ・アウトしたような全然違う系譜の人たちがニューヨークにやってきてさ。それで一気に、ニューヨークには一文無しで、何か刺激を求めてる若い子が集まっちゃったんだ。『ピストルズなんてチャック・ベリー並みに古いよ、つまんねえよ』っていうさ。全部破壊してやるっていう、もう敵意むき出しでね。なにしろ本職のミュージシャンじゃない連中が音楽をやりたくてやっていたわけで、いわゆるパンクよりも強烈なんだ。イカレてるって意味でね」。そして「ただ、このムーヴメントの作品はほとんど記録が残ってないんだよ。全体的な歴史なんかも一切記録がない。誰かがやんなきゃいけないんだよね、本にするとかさ」。
 
以前にも紹介したドキュメンタリー映画『キル・ユア・アイドルズ』。「New York No Wave & The Next Generation」という副題が示す通り、サーストンや元スワンズ~エンジェルズ・オブ・ライトのマイケル・ギラも含むオリジナルのノー・ウェイヴ世代と、その影響が指摘される00年代初頭のニューヨークのミュージシャンを対置し、双方の証言から浮かび上がる両者の共通項や対立軸を手掛かりに彼の地のアンダーグラウンドなロック史を紐解いていく同作品の中で、リディア・ランチは「(ノー・ウェイヴ)当時の知的概念や音楽のヴィジョンや多様性のリヴァイヴァルが起きたわけではない。より均質的で高級化していて柔和になっている」と両者を線引きし、TJ&TJを結成した経緯を「私が受けたすべての影響を排除した。何も参考にしない音楽を創ることが私たちの目標だった」と語っていた。アート・リンゼイは「音楽の基本要素を根本から変えてやろうと考えたんだ」と振り返る。サーストンも証言するように、ノー・ウェイヴはまさしく“否定の音楽”だった。そんなノー・ウェイヴの連中に、“ノン・ミュージシャン=非音楽家”を自称するイーノが関心を示したのは当然の成り行きだったというほかない。ノー・ウェイヴにおいて“否定”がいかに重要な態度であったかについては、『No Wave~』のインタヴューでグレン・ブランカが、自分たちがイーノのお眼鏡に適わず『No New York』の収録から弾かれた理由について「彼らは自分の楽器さえも満足に弾けなかった。でも自分たちはれっきとしたミュージシャンだった」と確信的に語っていることからも窺える(さらに、『No New York』収録の4組のバンドは「社会学上の変人」であり、自分たちこそが真に実験的な音楽を創造していた、とも)。そういえば筆者が3年前にインタヴューしたジェームス・チャンスも、当時を回想し、周りの芸術家崩れの連中に交じって、自分には音楽学校で学んだ素養やジャズというバックボーンがあったことに後ろめたさや逆にコンプレックスを感じていたと告白していた。

しかし、たとえノー・ウェイヴが“否定の音楽”であったとしても、それは“音楽の否定”ではない。むしろ、音楽という表現手段の可能性に対して無邪気なまでに肯定的だったからこそ、あれほどまでラディカルに振る舞うことができたと見るのが正しい。いわば、様々な影響素(レゲエ、ファンク、民族音楽etc)を選択肢として担保し、参照点を自分たちの外側に求めることで「パンク・ロックの第一世代」の音楽的隘路を突破した英国ポスト・パンクとは対照的に、ノー・ウェイヴはあくまでニューヨークという文化圏内を基点に、自家中毒の瀬戸際まで自らの創作を追い込み内側からの音楽的刷新を目論んだ。結果、『No New York』の4バンドを含め当時の多くのバンドは短命に散ったが、彼らの音楽はアンダーグラウンドなロックの系図に鋭い爪痕を残した。その中心的な役割を担ったアーティストたちは、その後もそれぞれ粘り強く音楽活動を続けている。3年前のコントーションズに続き、今年6月にはニューヨークのニッティング・ファクトリーで、リディア・ランチ率いるTJ&TJが、現在はニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズでドラムを叩くジム・スクラヴノス(ソニック・ユースに一時参加していたことも)ら元メンバーを従え一夜限りの再結成を果たした(これがまた、笑えるぐらい当時とまったく変わっていない……)。

そして何より、いうまでもなく今やノー・ウェイヴは、「歴史」として対象化され、後続世代の創作を喚起する音楽的な参照点の一つとして同地の音楽史的記憶の中に定着している。ノー・ウェイヴが貫いた態度や精神は、彼らがそこに線を引こうとも血の習わしのように断続的だが受け継がれ、その自覚の如何は問わず、形を変えながらも同地の「現在」に残響し、音楽的な薫陶を授けている。『キル・ユア・アイドルズ』に登場する2000年代のいくつかのバンドの中でも、ブラック・ダイスとライアーズはその最良の継承者であり、互いに音楽性は違うが、一つの鉱脈をひたすら掘り続けるように執拗で、求道的ですらあるサウンドのアプローチは、ミニマリズムというかダダイズムというか何なのか、『No New York』の連中やブランカのギター・オーケストラに通じるものを感じさせる。

DFAと、ニューヨーク/サンフランシスコに拠点を置くレーベルRong Musicが共同リリースしたコンピ『Not Wave』()には、元!!!のジョンによるフリー・ブラッドやタッスルらに交じってジェームス・チャンスが名を連ねていて、世代を越えたシーンの交流を窺わせて興味深い。以前にも取り上げた『They Keep Me Smiling』が“2000年代の『No New York』”というなら、こちらは、『No New York』の4バンドやスーサイドに加えて、キッド・クレオール&ザ・ココナッツやウォズ(ノット・ウォズ)、マテリアルなどダンス系のアクトも擁したノー・ウェイヴの旗艦的レーベルZEのオムニバス、といった趣だろうか(03年にZEが10余年ぶりに再始動した際、いち早くサポートを表明したのがDFA/ジェームズ・マーフィだった)。


昨年07年7月7日、ニューヨークのハドソン川を臨むフルトンフェリーパークで、77台のドラム/77人のドラマーを擁して行われたボアダムス主催のパフォーマンス「77Boadrum」()。この夏公開されたドキュメンタリー映画に続き、そのライヴの模様を収録したCD『77Boadrum』がリリースされた。
EYEを基点に渦を巻くように配置されたドラムの77重奏が繰り広げる、太古の儀式を召喚させたような比類なき壮大なサウンドエクスペリメント。77台のドラムが一斉に打ち鳴らされ、複雑なリズムとグルーヴを象りながら結界を築き上るように創出される音の異空間は、圧巻の一語に尽きる。ライヴの映像は以前にもYouTube等で断片的に触れていたが(『77Boadrum』の初回版にはマルチアングルでライヴ映像を収録したDVDが付いている)、聴覚を通じてダイレクトに喚起されるスペクタクルは半端なく凄まじい。
しかし、その圧倒的なパフォーマンスにも増して個人的に関心を引いたのが、そこに集った77人のドラマーの顔ぶれ。アナウンスされた当時も話題を呼んだが、あらためて凄い。

ギャング・ギャング・ダンス、ライトニング・ボルト、ノー・ネック・ブルース・バンド、サンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マン、バード・ポンド、プレフューズ73、オネイダ、ホワイト・マジック、サイティングス、エクセプター、タッスル、マン・マン、Aa、ホリー・ファック……といった00年代アヴァン・ロックの博覧会のような錚々たるバンドの(あるいは携わる)ドラマーに加え、大御所アラン・リクトやゴッド・イズ・マイ・コ・パイロット(!)、USハードコアの雄ネガティヴ・アプローチから、アニコレのエイヴィの妹アビー、さらに我らがアンドリュー兄貴(キャップにサングラスにポロシャツに短パンという、私服なのか一見誰?な笑える風貌)が参加。そこに広がるピープル・トゥリーに否応なく胸が高鳴ると同時に、じつはそのメンツをオーガナイズしたのが、自身も1/77を務めるヒシャム・バルーチャ(元ブラック・ダイス~ソフト・サークル)と最近知って、膝を打った。

かつて“2000年代の『No New York』”を謳う『They Keep Me Smiling』を監修したヒシャムは、つまり、ここに新たなノー・ウェイヴ的光景を現出させようとしたのではないか、と。もちろん妄想だが、けれどそう考えると、77台のドラムの螺旋がまるで、ニューヨークの音楽史に埋め込まれたノー・ウェイヴの遺伝子配列のようにも見えてくるから面白い(そしてその中心にボアダムスがいる、というのが2000年代のニューヨーク~アンダーグラウンドを読み解く上でさらに重要なヒントを示している――という話はまた別の機会に)。一見畑違いにも思えるアンドリューWKが、ミシガン時代に遡るウルフ・アイズ~No Fun Fest周辺のノイズ・シーンとの交流、サーストンとのユニット共演(トゥ・リヴ&シェイヴ)やドン・フレミングとの共作、さらにはリー・ペリーのプロデュースなど、じつは2000年代のアンダーグラウンドに深く入り込んだ人物だということを知れば、例のJポップのカヴァーやお悩み相談もいっそう味わい深く感じられるというものだろう。そして、リディア・ランチが「大勢の変人が精神浄化をするため、ニューヨークという汚くて貧しい街へやってきた」と『キル・ユア・アイドルズ』で当時を回想したように、その「77Boadrum」もまた、ある種のアウトサイダーたちを引き寄せ、彼らの中にある何かを浄化し、あるいは解放するための場であり空間だったのではないだろうか(なお今年08年8月8日には「88Boadrum」()をニューヨークとLAで開催。ニューヨークの回はギャング・ギャング・ダンスがキュレーターを務めた)。


余談だが、2000年代も最終盤を迎えて、たとえばギャング・ギャング・ダンスの文化横断的なアプローチや、それこそTV・オン・ザ・レディオやアニマル・コレクティヴからヴァンパイア・ウィークエンドのサウンドに特徴的なアフロ~トライバルなビートの台頭は、ノー・ウェイヴ以後、イーノと共にアフリカ~民族音楽史的な音楽実験を加速させたトーキング・ヘッズに象徴される当時のニューヨークにおける音楽状況との奇妙な符合を連想させたりもして、興味深い。


(2009/02)


※追記:2009「Boadrum 9」















※追記:2010「Boadrum × 10」

極私的2000年代考(仮)……2001年10月28日、Efrim Menuck(GY!BE)が語る

Godspeed You! Black Emperor、2度目の来日公演前日に行われたインタヴューより。


「僕たちはせめて、自分たちに正直でいようとしてて……パッケージやカバーのデザイン、フィールド・レコーディングの内容、インタヴューでの答え、ライヴのやり方とか、僕たちは……僕たちのアプローチっていうのは、これまでもずっとそうだし、これからもそうあると思うけど……たとえば、このテーブルの上に写真や新聞の切り抜きを並べて……それとか、古着屋で買った服のポケットに紙切れが何枚か入ってたとするよね。そしたら、その紙切れはお互いにどんな関係があるんだろう、逆に一枚一枚はどういう意味があるんだろうかとか、そういうことを知ろうとする。僕たちはいつも、そんなふうに音楽に接してきたし、これからもそうしていくと思う。ただ、その紙切れに書いてある内容はこれまでだって変わってきたし、これからだって変わっていくんだ。というのも、時間は流れていく……クソッ、いかにもな言い方だな」



「うん、だから、僕たちがバンドとしてもっと居心地のいいポジションを見つけたり、今以上に何かを明確に表示していったりする必要は特に感じないんだよ。僕は常にいろんなことを意識してる。これが僕たちの置かれてる状況なんだ、椅子に座って映像を流してマイクなしに演奏するのが僕たちなんだ、って感じにね。で、これって僕にとっては野良犬の命を救うのと同じことなんだ。最後を迎えたとき、何か筋の通ったストーリーらしきものを残したい、純粋さを保っていたいって。僕たちが目指しているのはそういうことで、これからもそれは変わらないよ」


(2001/10)

2011年2月25日金曜日

極私的2000年代考(仮)……地質学者が語るアニマル・コレクティヴについて(増補版)

幽玄なサイケデリアと偏執的なスタジオ・ワークで飾られた初期の作品群。フリーク・フォークと共振した『サング・トング』から、大文字のポップへと大胆な転回を見せた『フィールズ』。そして前作『ストロベリー・ジャム』を挟み、「バンド」の体を著しく抽象化させながら、極彩色に脈打つエレクトリックな融解を遂げた最新作『メリウェザー・ポスト・パヴィリオン』――。という彼らの創作の変遷は、ブルックリンが先導したこの10年の音楽シーンの趨勢を図らずも縮図的に示すものだろう。各方面で2009の年間ベストに選出された本作は、バンドに最大の成功をもたらした現時点のキャリアの到達点であると同時に、2000年代のインディ・ロックが迎えた大団円的な帰結として感慨深い。もっとも彼らの音楽が、そうした安易な完結を拒む変化と流動の産物であることは、その原曲を野放図に拡張した実験を繰り広げるライヴ・パフォーマンスが物語る通り。本作もまた、彼らにとっては未知なるサウンドの創造に向けた“素材”に過ぎない。2010年には、近作とは一転して「ロウでダーク」と予告するパンダ・ベアの新作ソロが控える。そこにはおそらく、彼らをさらなる次のフェーズへと導くヒントが示されるはずだ。

ジオロジストことブライアン・ウェイツに訊く、アニマル・コレクティヴ最新作『メリウェザー・ポスト・パヴィリオン』について


●前作の『ストロベリー・ジャム』は最高にハイになれる、とろけるような高揚感と陶酔感に包まれたアルバムでしたが、対して今回の『メリーウェザー・ポスト・パヴィリオン』は、メロディや歌声もどこか瞑想的というか、穏やかなトーンやニュアンスが印象的です。

「たしかに、今回のアルバムのほうが穏やかで落ち着いた、メロウな感じで……歌詞の内容にしても歌い方にしても、物思いに耽ってるような感じというかね。内容的にも、自分達の内面を奥深くまで掘り下げたものになってる。自分達が今、人生のどういう地点に立ってるのか、あるいは、そこで生じる責任についてなんか……ミュージシャンを本職にすることついて、バンドとして年がら年中ツアーに出て、スタジオに篭もってる生活をしながらも、その一方で結婚して家庭も持って、そうした状況の中でどうやってバランスを取りながら、家族に対して、自分自身に対して責任を果たしていくかってことをテーマにしてる曲が多い。結婚して家庭を持ったことで、前回の『ストロベリー・ジャム』よりも控えめというか、サウンド的にも、穏やかで流れてくような感じで、空間的に広がりがあって……それとまあ、自分達の心境としても、今回はわりとリラックスして幸せなモードだったというか。だからまあ、おとなしく控えめな音になったっていっても、寂しいって感じはしないよね。むしろリラックスしてメロウな感じっていうか、レコーディングしてるときの自分達の心境がまさにそんな感じだったし。今回のアルバムは作るのもラクだったし、スタジオでの作業もすごくスムーズにいって、現場の雰囲気もよかったし、実際、作っててすごく楽しめたしさ。バンド内のリラックスした空気が、アルバムの音にも出てると思うし」

●前作『ストロベリー・ジャム』と今作の違いについては、どのように捉えていますか。

「ライヴのフィーリングを反映するってことは、今回のアルバムにとっても重要だったし、たぶん今まで自分達が作ってきたすべての作品についても当てはまると思うんだ。ただ、『ストロベリー・ジャム』のときは、ライヴの空気を作品の中に落とし込むっていう一点に集中してたのが、今回はライヴのエネルギーや空気感を捉えつつも、その背景に音で風景を描いていきたかったというか。イメージとしては野外の設定で、曲を聴いたときに外の空気や風とか、気温や天気の変化とか、小雨が降ったりビーチに出る日があったり、ラグーンがあったり、リラックスできる風景を描いていきたかったんだ」


●前作では「典型的なギター・サウンドは避けたかった」と話していて、パーカッシヴなリズムや、ミニマル・テクノ/ハウスの影響がふんだんに散りばめられていましたが、今作では、同じエレクトロニックでもアンビエントに近いというか、メロディやビートやアンサンブルも、よりアブストラクトなスタイルへと前作からグラデーションを遂げたような印象を受けます。音楽的にはどのようなイメージや全体像をもってレコーディングに臨まれたのでしょう? ちなみに前作のレコーディングでは、“彫りの深いサウンド”という言葉をよく使っていた聞きましたが、そうしたキーワードみたいなものを今作についても挙げるとすれば?

「まず、最初の質問に関してだけど、ミニマル・テクノやダンスやエレクトロニック・ミュージックの影響は自分達のどの作品にもあると思うし、個人的には、今回のアルバムには過去何枚かの作品の中で一番エレクトロニック色が強く出てると思うよ。でもまあ、たしかにエレクトロニック・ミュージックだの、アンビエントだの、できるだけいろんな音を自分達の音楽に取り入れようとはしてるし。前回よりもアブストラクトになってるんじゃないかって意見にしても、聴く人によって意見が分れるところだけど、作ってる本人達にとっては近すぎてわかんないっていうのが正直なところかな。前回よりもポップだの、ルースだの、アブストラクトだのって、聴く人がそれぞれで判断すればいいだけの話だし、ポップと取ろうがアブストラクトと取ろうが結局のところ同じなんだよ。っていうのも、ポップなのもアブストラクトなのもタイトだったり緩かったり他にもいろいろ、自分達の音楽に全部備わってるものだから。だから、曲を聴いた人がそのどれに一番強く反応したかってことで判断してくれればいいし。それで2番目の質問に関してだけど、前の質問で言ったように、音でいろんな風景を描いていくっていうのかな……それで、アンビエントって印象が強いんじゃないかな。まあ、曲ごとにそれぞれ風景も設定も違ってるんだけど、基本になるトーンとしては、自然の環境というか、前回の『ストロベリー・ジャム』がSFとか、地球以外の惑星の音だとしたら、今度のアルバムはナチュラルでオーガニックなサウンドになってるよね」

●そうした自然環境を取り入れたオーガニックなサウンドに惹かれたのは?

「曲が求めるものに合わせてたら自然にこうなったって感じだよね。100%エレクトロニックでもなければ、100%アコースティックでもないっていう、その境界線に存在するような音にしよう……ってことを、アルバム作りの初期の段階で話してはいたんだ。エレクトロニック機材の対極にあるアコースティックな楽器を使うことで、ナチュラルで自然な音に近づいていって、そこから屋外の空気感というか、自分達が子供の頃に体験した自然環境に近い音のイメージが出てきたんだよ。というか、今回の曲のイメージがまさにそんな感じだったんだ。そこに無理に他のイメージを付け足して、余計な方向づけをするよりは、曲の持ってるイメージにそのまま従っていったって感じだよね。自分達が頭の中で何かイメージを描くよりも、曲が本来持っている性質をそのまま引き出していっただけなんだ」


●前作のレコーディングでは、『ブルー・プラネット』という海洋生物のドキュメンタリーからインスピレーションを得たところもあったそうですが。

「毎回、多少なりとも映画や映像から影響を受けてたりするんだけど……前回の流行りが『ブルー・プラネット』で、あれは海だから、自然環境の一部ともいえるんだけど、地上に住む僕達人間からしたら海の中に棲む生き物ってほとんどエイリアンに近いというか、地球外生物みたいであって……で、前回の『ストロベリー・ジャム』の方向性が、SFとか地球以外の場所っていうイメージがあったから、『ブルー・プラネット』の映像が見事にハマったんだ。で、今回の場合は、昔のミュージカル映画をよく観てたね、『スイング・ホテル』とか『マイアミの月』とかさ。今回のアルバムって、動きとしてはクラシック・バレエみたいなさ、優雅にくるくる舞ってくような……ダンスはダンスなんだけど、クラブやテクノとはまた違った、もっといろんな種類の広い意味でのダンス・ミュージックってイメージがあったんだよね」


●前作同様、今作もライヴで演奏を重ねた末にレコーディングされた楽曲が多く収録されています。アニコレにとってライヴは、単なる演奏の場という以上に作曲や創作のプロセスの一部であるといえると思いますが、そうした観点から、あなた達がライヴという空間や瞬間に期待するものとはどのようなものなのでしょうか。

「ものすごく重要な場所だね。スタジオよりもライヴで曲を作ってるようなものだし、まずはライヴで演奏してから半年ぐらいいろいろ試して、それからようやくスタジオに入ってレコーディングするっていうプロセスを取ってるんだ。それにライヴは曲との関係性を築いていく場でもあって、ライヴを重ねることで曲を自分達のものにしていくんだよ。繰り返し演奏することでその曲の本質が見えてくるっていうのかな……ステージで演奏を重ねるにつれて、それまで気づかなかったイメージが見えてきたり、あるいは感情が芽生えてきたり、曲とのあいだに新たな回路が開けてくるんだよ。それと同時に、自分達の中の回路もどんどん開いていくから、新たなアイディアが浮かんだらどんどん付け足しり変えていったり、そうやって曲とのコミュニケーションを取るための場がライヴなんだよ。ステージの上で何百回も曲を演奏することで、曲と自分達との関係が強化されていく……というか、そうすることでしか曲の本当の部分の本質に迫ることはできないんじゃないかって気がする。ただ、ライヴをもとにアルバムを作った後も、ライヴによってさらに曲を進化させていくわけで、アルバムのバージョンが必ずしも完結編ってわけじゃない。あくまでも数あるバージョンのうちの一つでしかないんだよ」


●そうした意味で、今作の楽曲は、その誕生から完成までのプロセスの間にどんなマジックがありましたか。

「山ほどあるよ。いつもライヴでさんざん新曲を演奏してからスタジオに入るってパターンなんで、スタジオに入るときにはすでに自分達の中で曲をどういうふうにプロデュースしたいのか大まかなイメージはできていて。でまあ、今回もそんな感じで、具体的なサウンドは一切決めずにスタジオに入ったんだけど、レコーディング・ルームに向かう途中の廊下を歩いてるときに、自分達の足音を聞いて、全体にエコーがかかってすごく自然な響きだなって思ってさ。それでパーカッションとか、わざわざレコーディング・ルームの外出て、廊下で音を録ってたりするんだ。実際、このアルバムの中に入ってるリヴァーブとかエコーの大半は、コンピューターとかで人工的に作り出したものじゃなくて、自然の音響効果をそのまま利用してるんだ。レコーディング・ルームに向かう途中の、あの廊下に響くあの音が、今回のアルバムの曲を繋ぐサウンドになってる……それが今思いつくマジックが起きた瞬間かな。しかも、レコーディングの初日に起こった出来事で、レコーディング・ルームに向かう途中に、自分達の足音を聞いて『あ!』って閃いたんだよ」


●ライヴ作品も含めると、今作で9作目のアルバムになります。これまでのキャリアを振り返ってみて、あるいは自分達が創り上げてきた音楽については、どんな手応えや実感がありますか。

「これまでの作品を振り返ったとき、自分の中では、どこかのゴールを目指して一本の線で繋がってるっていうよりは、一つ一つの作品が点になって、そのときそのときの自分達の置かれた状況とか心の状態を示してるって感じなんだ。だから、自分が過ごした20代っていう時間を振り返るようなもので、当時のアルバムを聴いたとき、『21歳でNYに住んでだときってこんな感じだったよなあ』とか、『アメリカ中をツアーして廻ってた時期だよなあ』とか、自分のこれまでの歴史を振り返るような感じなんだ。『あの頃、あのときの自分達の音はこうだよな、これ以外に表現しようがないよな』っていう、そんな感じだよね。今は自分達もあの頃とは違う人間になったし、大人になって、それだけ責任も増えてきてる。だから、自分の過去のアルバムとか聴くと、『ああ、自分が若いときってこうだったよなあ』って、ものすごくリアルに蘇ってくるんだ」


●バンドの形態も流動的で、音楽的にもアヴァンギャルドで不定形なものをやっていた1stや2ndの頃と比べると、『フィールズ』以降、バンドとしても音楽的にも、方向性がある程度定まってきたというか、いわば「型」のようなものができつつあるというか、ある種の安定期にあるのかな、という印象も受けますが。それとも、まだまだ試行錯誤してる、変態の過程の途中という感じですか。
「まだまだ発展途上の段階にあると思いたいけどね。まだ若いんだし、メンバーの中にはまだ30歳になってないのもいるからね。もしも自分達の方向性が見えちゃって、ここから先はこっちに行くしかないってことになったら、おそろしく退屈だろうし、この先どっちに行くかわかんないからこそ面白いわけで、毎回、自分達の型を壊しては作り直す作業をしていきたいね。それがたとえアヴァンギャルドな形で出ようが、ポップな形で出ようが、結局のところ同じっていうか、アヴァンギャルドな要素もポップな要素も、どちらももともと自分達の音楽の要素として備わってるものだから。メロディとか曲の構成とかあきらかにポップ・ミュージックの型を受け継いでるけど、それがリスナーにとってわかりやすい形で現われてるのか、そうでないかの違いでしかないんだよね。曲作りに関しても、ポップ・ミュージックと同じで普通にメロディから始まってるし、そうやって出来たメロディをどうプロデュースしていくかなんだよね。今回はこれがこういう形で現われてるけど、今後またアヴァンギャルドな方向に振り切れるかもしれないし、もっと実験的な方向に行くかもしれないし、そのときになって自分達がどう感じてるかによるよね。そうやって、毎回形を変えていくのが好きだし、それがうちのバンドのやり方にも合ってると思うんだ」

●そう考えると、ポップ・ミュージック的な方向へと創作の舵を大きく切った『フィールズ』という作品は、あなた達のキャリアの上で非常に大きな転機だったのでは、と想像しますが。

「いや、ポップ・ミュージックの要素っていうのは最初からあったものだと思うんだよ。それにどれだけノイズを足していくか、変な音にしてくかっていう、その匙加減が違ってるだけで。ただまあ、それまでのまだ20代の最初の頃は、たとえ元曲がどんなにストレートなポップだとしても、プロデュースの段階で極端な方向に振り切れずにはいられないみたいな、自分達でもコントロールの利かないところがあったけど、それって、まさに20代初期の頃の自分達のライフスタイルなり精神状態がそのまま現われてると思うんだよ。ハードで、ノイジーで、喧騒に満ちてて、不健康極まりない上に、人間関係もぐっちゃぐちゃっていう、それが音にも出てるよね。生活も荒れてるなら音も荒れてるっていうさ。それが『フィールズ』の頃から、自分達の人生がいい方向に向かい始めたっていうか、それぞれ真剣なパートナーを見つけて、みんな今でもそのパートナーと続いてて、結婚とかしてるわけだからね。それと『フィールズ』を作ってる時期に、お互い別々の街に住み始めたこともあって、それがきっかけでバンド内の絆がさらに深まったっていうのもあるし、会えない時間が多いからこそお互いの存在の有り難味を実感するようになっていうかな……ほんと、『フィールズ』の頃から、自分達の人生がシンプルになってったっていうかな、憑き物が取れたっていうか、ようやくリラックスして人生を楽しめるようになってきたんだ。その結果、『フィールズ』を境に、音が変化し出したってことはあるのかもしれないね」


●例えばデイヴは、自分にとって音楽とは「日常生活からの逃避、自分を解放する手段」と話していましたが、そうした感覚は、あなた達がポップ・ミュージックに惹かれる理由、あるいはそこに求めるものとも密接に関係しているといえたりするのでしょうか。

「いや、それはポップ・ミュージックっていうよりも、サイケデリック・ミュージックと通じるところなんじゃないかな。っていうか、そもそも自分達の音楽が逃避だとは思ってないんだよね。むしろ自分達なりに現実と葛藤した結果がこの音であるというか、自分達がこの人生で経験したものがそのまま音に出てると思うから。そこには音の中に我を忘れて没頭する感覚なんかも含まれるし、それなんか逃避に近いとも思うけど、だからって、現実から逃げたいわけじゃないんだ。ただここではないどこかに行きたいだけなんだよね……音楽が自分達をここではないどこかに連れてってくれるというか。そういう意味で、サイケデリック・ミュージックに通じるとは思うけど、だからって、60年代のレトロなサイケデリック・ミュージックをそのまま再現したいわけじゃないし。音楽が自分の脳味噌や神経回路に作用して、自分が普段目にしているのとは違ったどんな風景を見せてくれるんだろうっていう、そこに興味があるんだ。だから、日常からの逃避を願ってるのとはまた違う。少なくとも、今は幸せな人生を歩んでるし、そこから逃れる理由も見当たらないしさ。ただ同時に、音楽が鳴ってる何分間か間に、別世界にトリップする感覚にすごく惹かれるというか、それってポップ・ミュージックよりもサイケデリック・ミュージックに近い感覚だと思うんだよ」


●以前に僕はアニコレの音楽の印象について「時代に毒されていない音楽だな」とパンダ・ベアに話したのですが。大統領の交代と世界的な金融危機――今、世界はその価値観やそれを支える秩序やシステムの大きな転換点を迎えているわけですけど、これからアニコレの音楽はどうなっていくのかな?と。やはりそれはある種の逃避手段であり続けるのか、それとも、毒と希望を併せ呑みながら混沌とした日常や時代模様を映し出すような音楽となるのか?

「これはだいぶ前に話し合ったことなんだけど、バンドとして、政治についてあえて取り上げようとは思わないんだ。もちろん、一個人として世の中や政治に対する感情なり意見はあるけど、必ずしもメンバー全員の関心や意見が一致してるとは限らないわけで、政治や社会的なメッセージを無理に取り上げるのはやめようってことを、ずっと前にメンバーの中で話し合って決めてるんだよ。もちろん、すごく個人的で抽象的な形で、自分達の政治に対する意見が音に反映されてるってことはあるにせよ……。ただ、もしも何かのメッセージを伝えていくのなら、自分よりも大きな政治や社会について語っていくよりも、自分達のことを語っていくのが一番誠実なやり方なんじゃないかって気がするんだ。もともと自分達の音楽って、視点が内向きというか、内へ内へ向かう性質のものだと思うんだよ。1人の人間としての自分の内面を掘り下げたときに、ひとりひとりが自分達の日常生活や人生にどう接しているのかを捉えたもので、どこまでいっても自分なんだよ。音楽を通して、そうして自分達の感情なり経験を、他の誰かとも共有できるかもしれないっていう、そういうスタンスなんだよね。自分達の外側で何が起こってるか伝えるよりも、もっと人間から人間へダイレクトに伝えていく方法を取ってる。ただ、そうは言ったものの、世界が今大きな転換期にあることは事実だし、先がどうなるかわからない時代を自分達は生きているわけで、今後、そうしたものを自然に反映していく方法を見つけるって可能性もなきにしろあらずだけど、今のところ積極的にそれをしようとは思わないね」


●話は変わりますが、例えば今、あらゆる種類や時代の音楽にアクセスが可能であるという自由が、逆に音楽に対する感性や自由な創造を阻害している……という意見についてはどうですか。

「いや、うちのバンドに関してそういう問題はないんじゃないかな。紛れもない今の現代の音をやってるし、常に先を見てるから。新しい音楽が生まれる可能性はまだまだ無限にあるような気がするし、少なくとも自分達にとって新鮮なサウンドを見つけていくってことが大事なわけで、それに関しては妥協せずに挑んでいく覚悟ができてるし。ただ、最近のサイケデリックっぽいことをやってるバンドって、どれも40年前の音を追っかけてるだけで、本質はそこじゃないだろうって感じだけど。あの頃のサイケデリック・ミュージックの何が素晴らしいかって、音楽もあるけど、時代の先を行くっていうその姿勢であって、ベクトルがまったく逆なんだよね。自分達は、過去の音楽そのものよりも、その精神性というか、常に未来を見ていく姿勢に影響を受けて、そこに刺激を受けてるんだよ」


●同じような理由で、ローカルな音楽シーンの特色が失われつつある……という意見は? ツアーで世界中を周ってみて、何か感じるようなことは?

「たしかに、ポップ・ミュージックとか、自分達がやってるようなジャンルの音楽に関してはそうだね。ただ、こないだも南米に行ってきたばかりで、帰りにトルコとか地中海あたりも寄ったりして、そういうところにはやっぱりその土地ごとの音楽がいまだに生き生きと根づいてたりするしさ。どんなに他の国の情報が入ってきてるとはいえ、やっぱりその土地ごとのローカル色っていうのがあるし、他からの文化を取り入れるにしても、ちゃんと自分達の土地のカラーも入ってるっていう。ただ、欧米を中心にした若者のための音楽とか、アンダーグラウンド・ミュージックの世界では、ローカル色も何もなくなって、英語圏中心のロックンロールってことで均一化されつつあるのかもしれないね。自分達も、00年ぐらいにブラックダイスやギャング・ギャング・ダンスとか出てきたときに、お互い全然違う音をやってるのにNYのサウンドってことで一括りにされたりとか。でも、それぞれのバンドが独自のサウンドをやってるし、『お互いに尊敬はしてるけど、うちと君んとこの音は違うよね』って自負してるし、そのへんの自覚もはっきりしてるから。もしもローカル・シーンってことで、どのバンドもなあなあで似たような音になっちゃったら、その瞬間から一切の興味が失せるし。それがいやだから、今までシーンってものに、あえて関わり合いを持たないようにしてきたんだよ」


●最後に、今回のアルバムは、今という時代のどんな空気が、そしてそこで生活する自分達のどんな姿が投影されているといえると思いますか。

「何だろう……もしかして、もしかして、たぶん、世界経済ってことが関係してるのかもね。実際、曲を書いたのは一年半ぐらい前で、世界経済が危機的状況に陥る前だったんだけど、アルバムの曲のいくつかで歌ってることとか、あるいは個人の関心として、家計を支えていくにはどうしたらいいのかっていうことがあって。こういう不安定な立場の中で、どうやってクリエイティヴな時間を作っていくのかっていう、あるいは家族と一緒に過ごす時間を作っていくかってことも……っていうのも、自分達の場合、家族を養っていくためには、家から離れて長いことツアーに出たりしなくちゃいけないから。だから、大銀行や証券会社が破綻して世界経済が大きく変化していく中で、普通に平均的な一市民として今後どうやって家族を養っていこうっていう葛藤というか。クリエイション的な部分で100%納得できるピュアな環境を絶対的に死守しながら、その一方で、子供や家族に対して責任を果たしていくにはどうしたらいいのかっていう。そうした家族に対する責任や将来についての不安が、世界経済やそれを取り巻く不安と無意識のうちにリンクしてるってことはあるのかもね……って」


●タイトルの「メリーウェザー・ポスト・パヴィリオン」は実在のコンサート会場から取られたものだそうですが、その場所に特別な思い入れがあるんですか?
「メリーウェザー・ポスト・パヴィリオンっていうのは、メリーランドにある野外音楽広場みたいなところで、子供の頃そこでコンサート観たりとかしてたんだよ。すごく馴染みのある場所っていうわけじゃないけど、今回のアルバムの雰囲気が野外の空間に通じるところがあったから、野外の、空間的にもでっかく開けたところで鳴ってる音楽のイメージから、この会場名をタイトルにしたんだ。子供の頃、だだっ広い野外で音楽を聴いたときのあの感覚を象徴するものとして……あと、他にもいろいろ理由があって、語呂がいいから単語3文字がいいねってことを話をしてたり、あと、“メリーウェザー”って言葉の中に、“ウェザー”って“天気”を象徴する言葉が入ってるのも気に入ったし、さっきも行ったけど、曲ごとにいろんな天候を想定してたりしたから……とまあ、理由はいろいろあるけど、このタイトルが一番しっくりくるんじゃないかってことで落ち着いたんだよ」


(2009/04)

2011年2月24日木曜日

極私的2000年代考(仮)……トータスは健在する(増補版)

今度のトータスは、とても楽しい。いや、これまでトータスの音楽を聴いて、こんなにも愉快で惚けるような気持ちにさせられたのは初めてかもしれない。

実に5年ぶり、6作目となるニュー・アルバム『ビーコンズ・オブ・アンセスターシップ』。ハードディスク・レコーディングと生演奏の理想的折衷を遂げた『スタンダーズ』をへて、ある種の集大成的な到達をみた前作『イッツ・オール・アラウンド・ユー』の円熟した気配を漂わせながらも、ここには、音楽を作り演奏することの楽しさや驚きに没頭するようなてらいのなさがある。それはたとえば、ブラック・ダイスやアンティバラス、さらにはJ・ディラやハードコアと一緒のレコード棚に収まってしまうような奔放さや間口の広さと、同時代性。そして、さまざまな楽器やビートが複雑に織りなす音のうねりや響きに陶然と呑み込まれていくような快楽性に満ちている。

『ビーコンズ・オブ・アンセスターシップ』は、トータスの新たな魅力を(リ)プレゼンスする快哉必至の一枚だ。

ジョン・マッケンタイアに訊く。


●5年ぶりの新作ということで、ファンにとってはまさに「待望の」という言葉がふさわしい作品ですし、作った当人にとってもそれなりの感慨や特別な達成感があると思うのですが。

「とにかくアルバムを完成させて、リリースできて嬉しいよ。これからツアーにも出られるし、新しい作品にも取りかかることができる。レコーディング中は、勢いにのるまでに時間がかかったし、完成までにものすごく時間がかかったんだ。だから、やっと完成できてホッとしてるよ」

●制作中は、「終わらないんじゃないか?」という思いもよぎったりしたのでしょうか?
「いつかは完成させられると思っていたけど、他のプロジェクトで忙しくなったり、なかなか集中できなかったんだ」
●この5年の間には、レア曲を集めたBOX『ア・ラザラス・タクソン』やボニー“プリンス”ビリーとコラボした作品もありましたが。そこから今回のアルバムの制作へと動き出すまでには、どういった流れがあったのでしょうか。

「新作は、『ア・ラザラス~』やボニー“プリンス”ビリーのプロジェクトとはあまり関連性はなかったよ。トータスとしての制作が久しぶりだったから、アイデアがたくさんたまっていたんだ。必ずしもそのアイデアは形になってなかったかもしれないけど、他のメンバーに聴かせて、そこから曲になるか試したかったんだ。そこから少し勢いにのれたと思うんだ。あと、2年前に2週間半くらいのツアーも行ったんだけど、その合間を縫って曲作りをしていたんだ。新曲がいくつか出来上がってから、ツアーで演奏し始めて、試すことができたんだ」


●『イッツ・オール・アラウンド・ユー』をリリースした際にもインタヴューさせてもらったのですが、前作のレコーディングでは、とくにコンセプトを決めることもせず、自然の流れに任せた結果、曲作りに重きを置いた作品に仕上がった、という話でした。対して、今回のレコーディングはどのような形で進められていったのでしょうか? 個人的に、事前に思い描いていたイメージやテーマみたいなものがあったのでしょうか?
「 決まったイメージに向けて曲作りはしていなかったんだ。そういう意味では、プロセスは前作に似ていたかもしれない。決まったテーマとかはなかったんだ」

●今回はヴァイブスを使わないという決め事もあったらしいですね?
「そう、でもそれは結構ゆるい決め事で、それが具体的なサウンドの方向性というわけじゃなかったんだ。今作の最終的なサウンドは、俺たちがそのときに反応して演奏したところから生まれたんだ」

●今回のアルバムを聴いた最初の印象というのが、「トータスの音楽を聴いていて、こんなにウキウキとした気分になるのは初めてだなー」というものだったんですが。これまでの作品にはない、気軽さや無防備な感じ、言い換えればポップでノリのよさみたいなものが今作にはあると思うんですけど。

「それは正しいかもしれないよ。今作のところどころには、他の作品にはない軽快さがあるかもしれない。過去の作品に比べて、俺たちのユーモア・センスも反映されてると思うんだ。みんなは、トータスのメンバーが全員コメディアンだということに気づいてないのさ(笑)。だから、過去の作品とフィーリングが違うと思うんだ。なぜ過去の作品がもっと『シリアス』なサウンドに仕上がったかは知らないんだけど、そこはあまり気にしてないよ(笑)」


●意識して、今回はもっとわかりやすくて聴きやすい作品を作ろうとしたわけじゃないですよね?

「いや、それは意識してないよ。今の俺たちの気持ちを曲作りに反映させただけ。今作の最終的なサウンドは、俺たちがそのときに反応して演奏したところから生まれたんだ」


●「反応」というのは、そのときに聴いている音楽への反応? または人生で起きていることへの反応?

「どちらかというと、曲のサウンドがどうあるべきかとか、どう自分のパートを演奏するべきか、どういう楽器を使うべきかということへの反応だよ」



●たとえば“NorthernSomething”や“Gigantes”のファンキーなビートやトライバルなムードを聴いて特に感じたのですが、これまでと今回のレコーディングを比べて、現場の雰囲気や何か違いを感じるようなところはありましたか?
「 特にそういうわけないよ。その2曲は、構築された曲だから、あまりバンドとしての生演奏はなかったんだ。でも仕上がりはとてもよかったし、一緒にバンドとして演奏してないのに、すごくエネルギッシュなサウンドになった。でも、全体的にレコーディング中のフィーリングは以前とはそんなに変わらなかったよ。"Gigantes"のアイデアはダン(ビットニー)が持ち込んで、ジョニー(ハーンドン)が"Northern Something"を持ち込んだんだ。ダンは、頭の中で曲が既に構築されていて、俺たちにどうやって演奏するべきかを教えてくれたんだ。ジョニーはコンピューターで作った"NorthernSomething"のデモを持ち込んで、それを曲の土台としてそのまま使ったんだ。そこに更にみんなで音を重ねていったんだよ」


●今作は、BUMPS(トータスのジョニーやダンと始めたユニット)のアイデアが使われていたり、また『スタンダーズ』での経験が音作りの出発点になっている、とも聞きましたが。

「BUMPSでの制作プロセスは、いつものトータスのプロセスと違ったんだ。シンプルでミニマルなアプローチだったんだけど、それは俺たちにとって新鮮でおもしろかった。“ジガンテス”のビートはBUMPSから生まれたんだよ。そのビートを使って、トータスで新しい曲を作りたいと思ったんだ。前作に比べて、新作は『スタンダーズ』にサウンドが近いかもしれないけど、それは別に意識的な決断ではないんだ。『スタンダーズ』の音響的な世界は、ディストーションやダーティなサウンドが主体になっていたけど、そこに戻ったと思うんだ」


●前作のスムースなサウンドへの反動もあった?

「どうだろう。潜在意識の中ではそうだったかもしれないね。このアルバムを作ったときは、もっとパンチが効いていて、アップテンポで、楽しい曲を作りたいと思っていたし、時には皮肉を込めた曲もあるんだ。アグレッシブだけど、うっとうしさを感じさせないサウンドでもあるんだ」


●今作は、どの曲からも作品の世界に入っていけるような間口の広さがあるように感じます。アルバムとしての構成やポスト・プロダクションの部分で意識していた点はなんですか。

「色々なタイプの曲を作って、同時進行で制作を進めていたんだ。だから、意識しなくても、ある程度一貫性が出てくるものなんだよ。音楽的にどの曲も方向性が違うから、それぞれの曲のアプローチや扱い方が違ってくる。それが作品に反映されてると思うし、二つの側面があるんだ。つまり、サウンドはバリエーションに富んでいるけど、一貫したテーマや音響的アイデアが作品の全体に流れているんだ。それぞれの楽曲の用途がバラバラなわけじゃなくて、一つの作品として制作を進めているわけだからね。古い曲も中にはあったけど、ミックスは同じ時期に行ったんだ。ミックスを同時期に行ったことも、作品全体に一貫性を与えたんだ」


●ミックスで一貫性を作り出したということですか。

「その逆だよ。多様性を作りだすことを意識していたんだけど、何をやっても最終的に一貫性が出ることは分かっていたんだ」


●今回のレコーディングでもっとも苦心された点、あるいはチャレンジングだった部分というと、なんになりますか? 前作ではとにかく編集作業が大変だった、と話していましたが。

「アルバムを85%か90%くらい完成させたときに、制作を一時的にストップしないといけなかった。4,5曲を最終的にアルバムで使いたいかどうか分からなくなったからなんだ。だから、リリース日を延期して、1週間半ほどスタジオをブッキングしないといけなかった。その決断をして良かったよ。そうすることで、この作品は更にいいものになったからね。疑問をもっていた曲を見直して、パーツを追加したり、大幅な変化を加えることができたんだ」


●一度アルバムをレーベルに提出して、「やっぱり待った!」と思ったわけですか?
「そう。12月中旬に、アルバムを完成させたと思っていたんだ。しばらく曲を聴いてから、やっぱり完成していないということに気づいたんだ」


●どの曲を作り直したんですか?
「"Gigantes"にはいくつかのパートを追加したし、曲を短くしたんだ。"Northern Something"も少し変えたんだよ。この曲は、アルバムに入れないところだったよ。土壇場でジョニーが"Penumbra"を持ってきたんだ。だから、あれはかなり新しい曲だったんだ。"Charter Oak"は全く違う方法でミックスして、それも重要な改善点だった。他にも1,2曲をミックスし直して、だいぶ良くなったよ」


●“インシャンゲチェンチー”は、あなたのパンクやハードコアのルーツを感じさせるナンバーですね。ちなみに、あの曲の冒頭で叫び声を上げているのは誰ですか。あの曲は、バストロの再結成を夢見ていたファンに向けたナンバーだと、勝手に解釈してるんですが。

「ハハハ。バストロを見たい人達っているの? 多分日本だけだろうね(笑)。あの曲は、いくつかのテイクを編集して繋ぎ合わせているんだ。曲の前半は、初めてあの曲を演奏したときの素材なんだ。曲の出だしでは演奏を失敗して、最初からやり直してるんだよ。俺たちは厳格な完璧主義者じゃないし、ユーモア・センスがあるところを見せたかったんだ(笑)。あの叫び声は、まだ誰も特定してくれてないからガックリしてるんだ(笑)。有名な叫び声なんだよ。映画でよく使用されるサンプルの叫び声なんだ。『Wilhelm Scream』と呼ばれている叫び声なんだけど、何百本もの映画で使用されているんだ。もともと、50年代の西部劇の映画で使用されて、サウンド・エディターが頻繁に使うようになったんだ。ユーチューブで調べると、今までこの叫び声が使われた映画の場面を編集して繋ぎ合わせた映像も上がってるよ(笑)。俺は確かダウンロードして使ったんだよ」


●この曲でパンクやハードコアのルーツに回帰してるわけではない?

「この曲を書いたときは、ディーヴォのようなニューウェイヴっぽい曲を書いたつもりだったんだけど(笑)。この曲の後半の高速の演奏は、確かにハードコアの要素は入ってるけどね」


●その“インシャン~”に象徴的ですが、今作は前作の統一感のある洗練された音とは対照的に、荒々しいノイズの響きや起伏の激しいビート、ライヴ録音を思わすクランチーな音の感触が印象的です。これも、前作の反動という部分があったりするのでしょうか。

「そうかもね。どのアーティストも、最近自分が作った作品を参照したり、それに対して反応するんだ。俺たちのこれまでの作品では間違いなくそういう傾向があるよ。これは6枚目のアルバムだけど、振り返ってみると、これまでの作品はその前にリリースした作品に対する何らかのコメントだったり、反動だったりするんだ。もちろんそれは必ずしも直接的な反動ではなく、間接的なものだったりもするんだ」


●前作の集大成的な手応えを受けて、そのリリース時のインタヴューでは「今回のアルバムの後、今までと違う方向に進んでいこうとしてるっていうのは、僕にもはっきりとわかるんだ」と話してくれましたが。どうでしょう、今作には、やはりこれまでの作品やトータスの音楽にはなかったものが提示されている、みたいな実感が強くあったりするのでしょうか。

「そのコメントは嬉しいよ。アメリカでこのアルバムのレビューが雑誌に掲載されるとき、『また同じサウンドの繰り返し』って書かれるだろうからね(笑)。でも、このアルバムは過去の作品と確実に違うと思うし、トータスの別の側面を見せられたと思うよ。このバンドの捉えられ方に対して、フラストレーションを感じることはあるし、それは俺たちの演奏や作曲に影響を及ぼすことがある。だから、トータスという枠から外れてみようという意図があったのかもしれない。今の俺たちのキャリアにおいて、枠から外れることは、とても健全なことだと思うんだ」


●そういう新しさや変化は、どういう結果もたらされたものなんでしょうか。

「今後のトータスは、更にラディカルになっていくことを望んでるよ。そうすれば、本当に言葉では説明できない音楽が生み出せると思う」


●トータスとして、まだ誰もやったことのない音楽を作り出せる、という希望はもってる?

「それは間違いなくあるね」


●音楽を作ることの楽しさや、その原点に立ち返るような、そんな印象も作品から受けたのですが、いかがですか。

「時にはそう感じることもあったね(笑)。でもレコーディング・プロセスがあまりにも時間がかかって、長々と続いていたから、そういう状況の中でのびのびと演奏するのは難しかった。でも、最終的な作品が新鮮なサウンドに仕上がって、苦心をして作り込んだサウンドにならなくて良かったよ」


●最初の方で伺ったこととも重なるかと思いますが、今作には、例えばこれまでトータスの音楽を聴いたことがないリスナーも魅了するような、ある種の親しみやすさがあると思います。変な質問になりますが、若いリスナーやトータスを知らないような人たちにも、もっと気軽にリラックスした気分で自分たちの音楽を聴いてもらいたい、みたいに思うところってないですか。

「あまり意識して考えてることではないけど、若いリスナーがトータスに興味をもってくれることは嬉しいね。俺たちがトータスを結成した頃は、まだ生まれてもいないリスナーもいると思うんだ。10代になって俺たちの音楽に共感できるようになってくれるのは、嬉しいことだね。でもちょっと不思議だよね(笑)? 年を食った感じがするね(笑)」


●一部のロック・リスナーにとってトータスというバンドは、やはり「大物」というか特別な存在というか、どこかその作品に接する再に身構えて襟を正して聴いてしまうようなところが少なからずあると思うんですが。今作はそうした敷居の高さとは無縁というか、何も考えずに音だけに没頭して作品を楽しめるような身軽さがあって、そこが何より今作におけるトータスの新しさだと感じたのですが、どうですか。

「それは嬉しいね。そういう風に考えたことはなかったけど、納得できるよ」


●ちなみに、今作の日本盤のボーナス・トラックにはボアダムスのEYEによる“HighClass Slim Came Floatin’in”のリミックスが収録されているのですが、この経緯とは?
「正直言うと、まだあのリミックスを聴いてないんだ。間違いなくいい曲だとは思うよ(笑)。commmonsに、ボーナス・トラックは提供できないと最初に伝えてあって、彼らは納得してくれたんだ。でもやっぱりボーナス・トラックが必要だと言われて、提供できる曲がなかったんだ。iTunesのために作った曲があったけど、それは日本盤には入れたくなかった。そこで、(スリル・ジョッキーのオーナーの)ベティーナとアイデアを出し合って、もともとリミックスをボーナス・トラックにしたくないと思っていたんだけど、俺は『EYEのリミックスなら受け入れられるよ』と言ったんだ。運良く、EYEがリミックスを手掛けることができたんだ」


●今年で2000年代の最初の10年が終わります。トータスはこの10年の間に3枚のアルバムを発表されたわけですが、トータスにとってこの10年はどんな10年だったといえますか。

「個人的に、最近は時間の経過が早いと感じるようになったんだ(笑)。この10年間は、スタジオでレコーディングの仕事をしたり、たまにツアーに出ることの繰り返しだった。だからここ10年間は、とても安定していて一貫した生活を送っているから、時間が過ぎ去るのが早いと感じるんだよ。例えば、2年前に起きたと思ったことが、実は6年前の出来事だったりするんだ(笑)。だから、俺は気分転換になるような刺激が必要なのかもね。10年間くらい自分のスタジオを経営しているし、キミが言ったように10年の間に3枚のアルバムを作ったんだ。でも90年代だったら同じ期間で5枚のアルバムは作れていたと思う。でも文句はないし、素晴らしい10年間だったよ。今は新しい挑戦を求めてるのかもしれない」


●ありがとうございます。では最後に。来月(※6月中旬取材)には、今回の『ビーコンズ~』を引っ提げて行われるフジ・ロックでのステージが控えています。おそらく、そこで初めてトータスのライヴを観る、トータスの音楽を聴くという観客もいるかと思いますが、どんなライヴになりそうですか。

「新作の曲をたくさん演奏するつもりだよ。リハーサルをしてる最中だけど、今のところ、ライヴ用に上手く新曲をアレンジできてるよ。それに、今までのヒット曲も演奏するつもりさ。結構昔の曲や、『TNT』や『ミリオンズ・ナウ~』の曲も演奏するよ。フェスティバルに出演するときはエネルギッシュなライヴを見せたいし、ノリやすい演奏をすることを心がけてるよ。新作の曲はだいたい演奏できるけど、まだ“モニュメント・シックス~”をどうやって演奏するかが決まってないんだ。“ジガンテス”のハンマーダルシマーの音は、ダグがギターで演奏するんだ。ギターを一つの音符にオープン・チューニングで調律して演奏するんだ」

(2009/08)

2011年2月23日水曜日

極私的2000年代考(仮)……アニマル・コレクティヴという奇跡

アニマル・コレクティヴは、ニューヨークのブルックリンに活動の拠点を置く4人組である(※結成はメリーランド州ボルチモア)。スタートは2000年(出会いは10年近く前にさかのぼるようだが)と、まだ活動を始めて間もないバンドだ。しかし、最新作の『Sung Tongs』を含めて、これまですでに4枚のオリジナル・アルバムを発表していて、さらにはライヴ音源をまとめた限定アナログのリリースや、アート・リンゼイのアルバム『Invoke』にメンバーが参加するなど、早くも確固たるキャリアを築きつつある。

2000年のファースト・アルバム『Spirit They're Gone, Spirit They've Vanished』は彼ら自身が主宰するレーベル「Animal」から、昨年のサード・アルバム『Here Comes the Indian』は、キッド606やグレッグ・デイヴィスなどエレクトロニカ系アーティストを擁する「Carpark」内に設立されたバンドが運営する自主レーベル「Paw Tracks」から、そして今回の4作目『Sung Tongs』と、『Spirit They're Gone, Spirit They've Vanished』とセカンド・アルバム『Dance Manatee』をコンパイルした作品は、シガー・ロスやムームで知られる「Fat Cat」から、それぞれリリースされた。ちなみに、「バンド」とはいえその活動の形態は流動的で、『Sung Tongs』ならびに『Spirit They're Gone, Spirit They've Vanished』では、グループの創始メンバーにあたるエイヴィー・テア(デイヴィッド・ポートナー)とパンダ・ベア(ノア・レノックス)の2人によるコラボレーションというかたちをとっている。また、メンバー個々の活動も活発で、最近ではエイヴィー・テアが、先日ニュー・アルバムを発表したデイヴィッド・グラブスとソロ名義でスプリット・シングルを「Fat Cat」からリリースした。

フォークやカントリーなどルーツ音楽、ノイズ/アヴァンギャルド、サイケデリック、フリー・ジャズ、クラウト・ロック、ハードコア、シューゲイザー、エレクトロニカ……といった、まさに古今東西の音楽文体を総動員しながら、しかし彼らが向かう先は、必ずしもそれらの折衷や交配というようなありがちな妥協点ではなく、ディスコグラフィーを通じて同時多発的に別個の物語が展開していくような、分裂的でポリフォニックな音楽の饗宴であり盛り場を呈している。その光景はまさに“動物的”という形容がふさわしい。彼らの音楽はまさにそうとしか表現の仕様のない混濁の極みの世界として存在する。あらゆるマナーからの逸脱、あらゆる形式の破壊が巧妙に企てられ、同時にその手捌きは、音響的なパースペクティヴに見開かれた極めてモダンで洗練されたものでもあるという、まったくもって恐るべきものだ。

アコースティック・ギターとドラムによるシンプルでルーズなアンサンブルと、波紋のように広がる色彩豊かなエレクトロニクスが、シド・バレットにも通じる深遠でミニマルなサイケデリアを作り上げた『Spirit They're Gone, Spirit They've Vanished』。旧友のジオロジストことブライアン・ウェイツを迎えてバンド編成を組み(※もう1人の現メンバー、ディーケンの加入はその後か)、サウンドの有機性と実験性を格段に増した『Dance Manatee』をへて、ボアダムスやクローム、さらにはサン・シティ・ガールズも彷彿とさせる野放図なイマジネーションが炸裂するパノラマ・アヴァン・ポップ『Here Comes the Indian』(※ちなみに同作は『Dance Manatee』を再録したものなのだが、まったく別個の作品に仕上がっているといっていい)。

対して、『Spirit They're Gone, Spirit They've Vanished』と同じく2人編成で臨んだ『Sung Tongs』は、これまでの百科全書的な音の実験を繰り広げる一方、アコギが奏でるフォーキーで異国情緒ただようメロディーと、トライバルなパーカッション、エイヴィーとパンダによる鮮やかなコーラス・ワークが印象的な「現代版ペット・サウンズの変態亜種」とでも呼びたい一大エクスペリメンタル・ポップ作となった。これまでのサン・ラ辺りにもつながるシャーマニックで宇宙的な原始胎動に加えて、ロバート・ワイアットを思わせるカンタベリー風サイケデリア、そしてブラジリアン・ポップやハワイアンの享楽的な音色によって色づけを施されたサウンドは(※アート・リンゼイと仕事をしたことも少なからず影響を与えているのかもしれない)、まるで秘境のゴスペルか伝承音楽と聴き紛うごとき異様な祝祭的ムードに包まれている。それでいて、その総天然色的な煌めきを見せる多幸感に満ちたポップネスは、相変わらず分裂症的な変態を見せる曲展開とは裏腹に、ある種の「普遍」とさえ呼びうる領域にまで到達を遂げている、といっていいかもしれない。

しかし同時に、彼らのサウンドは、まるで未知の生命体のような驚きに溢れていながら、どこか奇妙に“懐かしい”。不思議な郷愁を喚起する、ある種のフォークロア的な響きをたたえている。


果たしてアニマル・コレクティヴとは、あらためて何者/何物なのか。

たとえば、ライアーズやブラック・ダイスと並ぶ今もっとも勢いのあるブルックリンの刺客として、その活動分布図のなかに彼らを位置づけることは可能だろう(※ちなみに彼らがその名を知らしめる契機となったのはブラック・ダイスとのUSツアーだった)。あるいは、ライトニング・ボルトやサイティングス、ヘラやミシガンのウルフ・アイズも含めた「ポスト・ノーウェイヴ」の最右翼として評価することも可能かもしれない。はたまた、レーベルメイトでもあるムームやフォー・テット、さらにはシガー・ロスなどと並べて、エレクトロニカとポスト・ロックの文脈から何かしらの共時性を導き出すことも、きっと無意味ではないはずだ。

ただ、そうした彼らの音楽の表層的な部分について触れた位置付けなり解釈を超えて、個人的に彼らの音楽に感じ入ってしまうのは、そのもっと深いところから伝わってくる情感のようなものであり、それを自分はやはり”懐かしい”という言葉でしか表現しえないでいる。そして、この“懐かしい”という情感を手がかりに、論の飛躍を承知のうえで彼らの音楽を自分なりに定義するとするなら、それは「これは一種の新たなかたちの“民族音楽”のようなものなのではないか?」ということだ。

「民族音楽」と呼ばれるものが、正確に(学問的に)どういったものを指すのか詳しくは知らない。簡単にいえば、ある特定の社会=民族の間で発祥し、結果長い歴史のなかで培われ栄えた固有の音楽形態、といったところだろうか。つまり民族音楽とは、一言でいえば「文化」であり、文化とはそれが潜り抜けてきた時代との交渉のなかに生まれるとするなら、民族音楽が表すものとは特定のフィルター(=民族)を通して得られる世界像/世界観である、と極論することができるだろう。

では仮に、民族音楽というものをあくまで「音楽」としてのみ捉えたうえで、今の時代に新たに成立しうる民族音楽というものを考えたとき、それはいったいどのようかたちを取りうるのか。

音楽表現におけるローカリティは実質的に限りなく崩壊し(あくまで広い意味でのポピュラー・ミュージックの世界の話だが)、また作り手も聴き手も特定の音楽形態にアイデンティファイする以前にあらゆる形態の音楽に晒されているという、「境界」と「中心」を欠いた現状況を前提としたとき、そのようななかで生まれる新たな民族音楽とは、おのずと「すべて」を包括したものとなるはずである。

つまり、(音楽表現のうえで)「民族」なき時代の民族音楽とは、かつてのような固有の世界観が反映された固有の形態を持つ「微分化された表現」ではなく、むしろそうした無数の微分化された音楽形態の集積によって輪郭を与えられるものなのではないだろうか。あらゆる音楽に晒されアイデンティファイできてしまう時代に、あえて「民族音楽」を作り出そうとするなら、それはそのようなかたち――つまりアニマル・コレクティヴのようなやり方でしか成立しえない、と考える。自前の回路に「閉じる」のではなく、逆に限りなく「開かれる」ことで像を結ぶ民族音楽とは、興味深い。

そして、そんな彼らの音楽に奇妙な“懐かしさ”を覚えるのは、そこで繰り広げられているものが、まさにこの時代の聴取体験の縮図としてあるからだ。もはや音楽がフォークロアとして成立しうることが困難な時代に、彼らの音楽の在り方は、その果ての姿のようにも思われる。繰り返しになるが、パンクでもヒップホップでも、ブルースでもダブでも、エレクトロニカでもロックンロールでも、つまり音楽がみずからを自己規定する足場を見失いつつある(いわゆる「ジャンル」と呼ばれるところの純粋性を担保することが実質不可能である)状況下において、アニマル・コレクティヴはそのすべての可能性を呑み込むことで、そうした個々のフォークロアの総和としての新たな「民族音楽」のようなものを擬態し提示するようなのだ。

その意味で彼らの音楽は、音楽における現代の「文明のゆりかご」と呼べるかもしれない。彼らの音楽が伝える光景はまさに「創世記」との形容がふさわしい生命感に満ち溢れたもので、あわよくば個々のジャンル(=フォークロア)さえも一から新たに組み立て直さんばかりの熱気が渦巻いているのだ。


いうなれば「飽食」ならず「飽聴」の時代の申し子、なんて形容さえ浮かぶアニマル・コレクティヴだが、そんな彼らの性格と相似形をなす先達のバンドのひとつとして、稀代の畸形グループ、サン・シティ・ガールズを参考まで挙げておく。

1980年代初頭にアリゾナ州サン・シティで結成され、現在も細々と活動を続けるSCGだが、その活動はとても総括の難しい極めて多岐にわたるものだ。まず音楽作品だけでも優に100タイトル以上を数え、さらにはフィルムからペインティング、執筆活動、パフォーマンス・アートに至るまで、無尽蔵このうえない活動履歴を誇る。
(そして文字通り世界各地の民族音楽を蒐集するレーベル「Sublime Frequencies」の運営しかり)

そして、それに輪をかけて強烈なのが、彼らのサウンドだ。作品ごとに異なる様相を見せることに加えて、その作品内においても、ノイズやらテープ・コラージュやら、フォークやらガレージやら、ジャーマン・ロックやらサイケデリックやら、フリー・ジャズやらハード・ロックやら……と境界例的に変態を重ねるありさまである。その坩堝的な音楽のありようは、アニマル・コレクティヴのそれと極めて近い。まるで巨大な音楽のアーカイヴのように、そこにはさまざまな音楽の「記憶」が眠っているかのようだ。


アニマル・コレクティヴが伝えるのは、その「何者かである」音楽が、「何者かであること」をやめたときに立ち現われる新たな音楽の光景であり、そのひとつの可能性にほかならない。そして、そのすべてがメルトダウンを起こした光景をこそ故郷とする(“懐かしい”という情感を喚起させる)、新たな音楽の歴史の起点である――とここまで書いたらさすがに誇大妄想も甚だしいが、しかし、たとえば一方でポスト・パンクの時代の価値(つまり「閉じる」のではなく「開く」)が見直されていたり、あるいは逆にホワイト・ストライプスのようなミニマリストないし形式主義者の究極(「閉じる」ことで音楽的な可能性を極限まで炙り出そうとする、たとえばラモーンズがそうだったように)のようなバンドが新鮮に受け止められたりしている現状況を考えた場合、そうした見方もまんざらではない気がしないでもない、ような気がする。


(2004/07)


※追記:2007年、メンバーのCharles Gocherの死去に伴い、サン・シティ・ガールズが活動を停止する。

2011年2月21日月曜日

極私的2000年代考(仮)……Battles

2004年に、それぞれ異なるレーベルからリリースされた3枚のEP『TRAS』(Cold Sweat)『EP C』(Monitor)『B EP』(Dim Mak)、そしてWARPと契約し発表されたファースト・アルバム『ミラード』のブレイクによって、2000年代中盤のニューヨークを舞台に一躍ワールドワイドな存在へと頭角を現したバトルス。しかし彼らとは実のところ、正確には2000年代出身のバンドではない。

元ヘルメット/現トマホークのジョン・ステイニアー、元ドン・キャバレロ/ストーム&ストレスのイアン・ウィリアムスはいわずもがな、両者の直系にあたる元リンクスのデイヴ・コノプカ、そしてフリー・ジャズの巨匠アンソニー・ブラクストンを父に持ち、ローファイかつ実験的なソロ作を手掛けるタイヨンダイ・ブラクストン――というメンバー個々の来歴は、むしろ1990年代のアメリカン・インディに彼らが音楽的な出自やバックグラウンドを多く参照する事実を物語る。すなわちそれは、ハードコア~ポスト・ハードコアをその音楽的な系譜を指す縦軸とし、ポスト・ロック~マス・ロックをその音楽的な同時代性を示す横軸とする広義のインストゥルメンタル・ロックと、彼らの座標をひとまず位置付けることが可能だろう。

ハードコアを直接/間接的なルーツに抱えるインストゥルメンタル・ロック(ヴォーカル・パートも含む)の台頭は、バトルスに限らず1990年代以降のアメリカン・インディにおけるひとつの典型といえる。バストロから派生したジョン・マッケンタイアのガスター・デル・ソル~トータスを筆頭に、同じく1980年代末のルイヴィル発のスリントを音楽的な源流とするロダンやシッピング・ニュース、アンワウンド、シカゴのキンセラ兄弟率いるジョーン・オブ・アークetc、元ゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラー周辺……最近でいえば、31ノッツや元ストーム&ストレスのコプティック・ライト、あるいはタイプは異なるがマーズ・ヴォルタからライトニング・ボルトやヘラにいたるまで、その例は枚挙に暇がない。

そして、いうまでもなくその「ポスト・ハードコアとしてのインストゥルメンタル・ロック」の本家に属するヘルメットやドンキャバを母体に含むバトルスは、つまりそうした「典型」をおのずとメタ的に内在しながら、むしろ禁欲的なまでにミニマルな方法論を極めたところにその特異性はある。

いわゆるロック・バンド的なクリシェを削ぎ落とし、ひとつのリフや細かいフレーズを反復/変奏したり、あるいは反転/逆回転させながら、エディットやオーヴァーダブ等のポスト・プロダクションを組み込み緻密な構築を呈するサウンドは、まさに「数学的」と形容するのがふさわしい(本人たちは嫌うだろうが)。同時期に録音され、また、ひとつのアイディアを元に発展した異なるヴァージョンの曲が作品を跨って収録されるなど、文字どおり実験的で連作的な趣もある初期の3枚のEPとは、数多のトライアルを重ね、その延長にバンドの「型」を創出するようなバイエル的作品といえるだろう。
そのEPから約3年のインターヴァルを挟みリリースされた『ミラード』で彼らは、そうしたアプローチをさらに推し進める一方、メロディや歌/声といった、これまで削ぎ落とされてきたものを意識的に持ち込むことで、いわばバンドの像を「反転」させてみせる。

たとえば「鏡を向い合わせて置くと無限に反射し合って無限のイメージが作られる。その無限にリピートされた像とサウンドの上でのループにコネクションや類似があると思う」とイアンが語るアンサンブルの規則性/拡張性の追求がアルバム全体のコンセプトだとするなら、古典的なロックのビート=シャッフルを援用した“Atlas”をはじめ、アフロ・ミュージックのグルーヴやエフェクトされたヴォーカル等の装飾や多様性を盛り込むことによってそのミニマルなテクスチャーに生じる凹凸(=鏡像の乱反射)こそ、『ミラード』の画期性に他ならない。あるいは、EPからアルバムまでの3年のインターヴァルを埋めた無数のツアーやライヴの経験が、その卓抜巧緻な演奏に「バンド」としてのダイナミズムをもたらし、サウンドの変化/進化に新たな局面を創出したことは想像に容易い。

ハードコアからインストゥルメンタル・ロックへ、というある種現在のアメリカン・インディにおける正統的な系譜に立ちながら、ブルックリンでも居並ぶ者がいないアヴァンギャルドな先鋭性と、それこそ野外フェスで大観衆を踊らせてしまうポップさを併せ呑む――そんな「異形の本格派」とも言うべき00年代における未踏のポジションにバトルスはいる。

イアン・ウィリアムスに訊く。



●バトルスの結成の経緯を教えてください。

「ドン・カバレロは2000年に自然の流れで解散したんだ。バンド内で揉めて、雪の日に解散することに決めて、その日のコンサートをキャンセルした。今思うと、その時が辞め時だったのかなと思う。最後に出したアルバムもあまり良い出来だとは思わなかったし。最初の頃のドン・カバレロは、ハードコアとかハードロック・バンドだったんだけど、最後のアルバムの頃は全く違うスタイルのものになっていたからね。だから、うん、ほんとあれはあれで良いタイミングだったんだよ。僕はシカゴに住んでいたんだけど、2004年にニューヨークに引っ越したんだ。それから何か他の音楽を始めようと思ってギター一本で小さなギグをし始めたんだ。そのギグにタイヨンダイが来て、僕らは出会ったのさ。それから二人でショウを一緒にやり始めたんだ。

ちゃんとしたバンド名はなかったけど、『アイ・ウィル』(イアンの“I”と名字のウイリアムスから“ウィル”)とかって呼んだりしてた。それから他にもミュージシャンが必要だと考え始めて、すごくバカなアイディアだったと思うけど、その時は女の子のシンガーを入れたいって思ってたんだ。でも結局、無理だってことに気付いて、リンクスのデイヴと、それからドラマーが必要だったから知り合いのジョンを誘ったんだ」


●バトルスは、いわゆる通常のバンドというより、異なるバックグラウンドのメンバーが集まったラボ、あるいはプロジェクト的なイメージも受けます。そもそもバンドの結成当初に描いていたヴィジョンとは、どのようなものだったのでしょうか。

「個人的には、ラボやプロジェクトというよりはかなりバンドっぽいと思うけどね。例えばプロジェクトっていうと一時的な感じがしてそこまで力を注ぎ込まないイメージがあるんだよね。でもツアーに出るとでっかいアンプや機材を運んでギグをして、それを片付けて他の場所へ向かうっていうのを繰り返すだろ? これってすごく体力使うんだよ。でもどうしてこんな面倒くさいことを繰り返してまで音楽を続けるかっていうと、僕らはただ『ロック』したいだけなんだよ。もちろん僕らの音楽的なバックグラウンドはそれぞれ違うけど、それぞれが自分の持ち味をバランスよく出し合っていると思う。だから、バンド内では音楽を作る上で中心となる考え方やアプローチっていうのはないんだよ。いつも皆のアイディアを作品に取り上げられるような方法を見つけようとしているんだ」


●多様なバックグラウンドを持つミュージシャンが集まったからこそ、今のバトルスのサウンドがある?

「うん、その通りだと思うよ。長い間たくさんの音楽を吸収してきてるから、音楽を作ったら結果としてそれが反映されるっていうのは当然のことだと思うんだ。それに僕らはひとつの音楽だけを信じているわけではないから、パンクが僕達を救ってくれるとも思わないし、テクノが僕達を救ってくれるとも思わない。ブルースやフリー・ジャズも同じさ。だから自分が受けた音楽からの影響を真面目に受け止めすぎずに、遊び半分ぐらいの気持ちで取り組んでいるんだ。だから、ひとつの音楽を表現しないといけないっていうプレッシャーはないよ」


●バトルスのサウンドは、一見すべてがインプロヴィゼーションで執り行われているような抽象的なフォルムをしていながら、同時に緻密な音の配置やポスト・プロダクションで構成された、きわめてユニークで独創的なものだと思います。具体的に作曲、レコーディングはどのような感じで行われているのでしょうか。

「遊び感覚かな。インプロヴィゼーションを真面目にやっても仕方ないと思うし。確かに僕達はいつもインプロヴィゼーションをしていると思うよ、でも緻密に構成されているようにも聴こえるんだよね。でも僕らの作品の中の構成って、多分、色々なものに置き換えられるようなものなんじゃないかな」

●音作りの上でもっとも重要視しているポイントは?
「もっとも重要視しているのは、自分自身を楽しませながら音楽を作って、それをしっかり聴くことだと思う。つまり自分の為に音楽を作っているんだから、オーディエンスは自分になるよね。『オーディエンスはどういうものが好きなんだろう?』って考えるかわりに、自分がオーディエンスなんだから、『自分は何が好きなんだろう?』ってことを重視するんだ」


●「自分自身を楽しませる」という話が出ましたが、例えば今回のニュー・アルバム『ミラード』を聴いて、とくにシングルの“Atlas”が象徴的ですが、これまでのEPと比べてとてもポップで、無邪気で、ユーモラスな印象さえ受けました。リズムもアフロ・テイストを感じさせるものもあったり、ある意味バトルス的には「実験作」ともいべるのでは?と思うのですが。今作のキーとなるアイディアはありましたか。

「あるひとつの要素を選んでこういうのを作ろう、っていう特別なイメージがあったわけではないけど、自分を満足させられるようなものを作りたかったのは間違いない。自分の家を掃除する時に素敵な音楽がないと飽きちゃうだろ? そういう軽い感じから始まったんだ。それと、多くの側面を持つのには限界があるけど、僕らはそれぞれ違うバックグラウンドから来ているから、作品として出来上がったものの中に色々な要素が入っていると思うんだ」


●今回のレコーディングで、特別に意識した点は?

「もっとライブ感を出したかったんだ。このアルバムを制作する前にEPシリーズのリリース後、ツアーを回ってたくさんのライブを経験したんだ。EPと『ミラード』のレコーディングの時の違いは、そこから得た自信が大きいと思う。だからその経験をレコーディングに活かしたいと思ってたんだ」


●さらに今作では、ヴォーカルがこれまでのEPに増してフィーチャーされています。バトルスのサウンドにおける「ヴォーカル/声」の役割については、どのように捉えていますか。「ヴォーカル/声」を楽器やビートの一部として使うアプローチは、個人的にビョークの『メダラ』を連想させたりもするのですが。

「個人的には、カンのインストゥルメンタルのアルバムを聴いていると、ある時点で『もう十分だ』って感じることがあるんだよね。でも、声を入れることによって多くの新しくてクリエイティブな可能性が見えてくるんだ。このアルバムではヴォーカルとしてではなく、声を楽器的な感覚で入れているんだけど、それによって可能性が広がったと思うよ。タイヨンダイは色々なヴォーカル・テクニックを持ってて、様々な形で彼の声を作品の中で押し出している。それが抽象的な雰囲気を作り出しているんだ」


●タイトル「Mirrored」の意味は?

「鏡で作られた大きな立方体が、アルバムのジャケットとか“Atlas”のPVに使われているんだ。鏡を向かい合わせに置くと無限に反射しあって無限のイメージが作られる。音楽でもループをかけた時にそれと同じように音が無限に続くだろ? その反射されて無限にリピートされたイメージとサウンドの上でのループにコネクションや類似があると思うんだ。それとアルバムの中では、ブックエンドのような役割を持った曲があって。最初の曲(“Race : In”)は最終的には半分の長さにカットしたものになって導入部になっている。この曲はアルバムの最後にも再び登場するんだ(”Race : Out“)。この2曲が反射する感じでアルバムをブックエンドのように支えていると思うよ」


●タイトルもそうですが、今作の曲には“Ddiamondd”や“Prismism”、他にも“Rainbow”など、光や反射、色彩を連想させるイメージが多く見られます。そうしたイメージは実際にサウンドとも関連しているといえますか。

「イエスでもあるしノーでもあると思う。そういう部分もあるだろうし、そうじゃない部分もあると思う」


●『ミラード』しかり、バトルスのサウンドは、緻密な構築性や音の情報量を誇る反面、ダンス・ミュージック的なプリミティヴな要素も併せ持っています。例えば音作りにおける、エクスペリメンタル/ポップ、生演奏/プログラミングのバランスや互いの距離感についてはどのように捉え、またレコーディングで実践されていますか?

「色んな要素の中間地点にいるってことだよね。でも実際どうやっているかっていうと、よくわからないんだ。例えば僕達の“Atlas”って曲があるだろ? この曲はシャッフルしたビートが核になっている曲で、シャッフルってもともとロックンロール的なリズムだよね。でこの曲は最初、ドラマーのジョンがテクノのサウンドを持った曲を作りたいっていう所から始まったんだ。何年か前に起こったケルンのテクノ・ムーヴメント“シェイフル”――シャッフルのドイツ語なんだけど、ドイツ人のテクノ・プロデューサーがロック・バーに行って、プリミティブなロック・ビートでもあるシャッフル・ビートをテクノに取り入れたんだ。これはケルンでだけだけど、何年か前のレコードのほとんどはそのプリミティブな感じのテクノ・ビートを使ったものだったんだよ。ほんとジョークみたいにテクノのバーでもロックを取り入れたテクノがかかってたんだ。そういうものを聴いてそのあと、最初はジョーク半分だったんだけど、『シャッフルをロックに取り戻そう!』って思って、それが“Atlas”を作ることに繋がったんだ。これが2つの要素を一緒に存在させることができるっていう良い例かと思うんだけどね」


●今回の『ミラード』もそうだし、とくにライヴを見ていて感じるのですが、バトルスのサウンドには、非常に知的に計算された要素がある反面、細胞の一粒一粒に音やビートが効くような、とてもシンプルな快感と心地よさがあると思うのですが。

「中立的でありたい部分もあるけど、次から次へと色々なことを提示したくはないんだ。エモーショナルな要素とかは時々すごく遊びがいのあるものにもなると思う。でも時にはもっと知的なゲームをするのもおもしろいと思う。自分の考えをひとつにまとめて、色んな感情を混ぜたり……普段では合わないような感情を混ぜたりして、すごくおもしろい実験だよね。最初の方の質問にラボみたいだってあったよね。ラボとしては、僕達は正しい方法も間違った方法も一緒に使って探し出しているんだ。もっと自由なやり方なんだよ。それに間違ったやり方でやるのは面白いよ、気分が盛り上がってくるね」

●例えば、ダンス・ミュージックの新たなスタイルとしてバトルズを体感することもアリだと思いますか。

「ああ、可能だと思うよ」


●ところで、先日『アメリカン・ハードコア』というドキュメンタリー映画を見たのですが、その作品の中では、主にオリジナル・ハードコア世代による視点から、1980年代の後半以降、ハードコアが他ジャンルとクロスオーヴァーしていく様子が否定的なトーンで語られていました。しかしあなた方や、WARPのレーベルメイトでもある!!!、あるいはトータスもそうですが、とくに1990年代以降から現在に至るまで、ハードコアをルーツとした野心的なバンドが次々に登場しているのも事実だと思います。バトルスにおける「ハードコア」というルーツの重要性については、どのように考えていますか。

「ジョンも僕も1980年代をくぐり抜けてきてるんだよね。僕達が子供の時はほんとグラウンド・ゼロ、すべての原点みたいなものなんだよね。他の人にとっては、僕達は音楽的にひねくれたことをしているように見えて、ハードコアとのコネクションがないように思えるかもしれないけど、僕としてはコネクションがあるんだ。ジョンもそうだと思う。まだこの映画は見ていないけど、見たいと思っていたんだ」


●最後に、インストゥルメンタル・ロックの可能性については、どんな意見をお持ちですか?

「ロックはある意味では革命的で解放的なものだと思うし、リードシンガーを持つことはベストなことだと思う。自由を切り開いてくれる。でも他の時は、全くの逆の場合もあると思う、それ自体が監獄のように閉じこもった感じになると思うんだ。それが僕達がリードシンガーを持たない理由だよ。だから、同様にインストゥルメンタル・ロック・バンドになることの期待からも逃れているんだ」

(2007/05)


※追記:2010年、『ミラード』に続くニュー・アルバムの完成を前にタイヨンダイ・ブラクストンの脱退が伝えられた。

2011年2月17日木曜日

極私的2000年代考(仮)……1994⇔2009

1994年のロックがどうだったのか、実のところリアルタイムで聴いていた作品が少ないので実感がない。記憶に残っているのは、マドンナの『ベッドタイム・ストーリーズ』とマライア・キャリーの『メリー・クリスマス』ぐらいか。

なのでここに取り上げた作品が、当時どんな意義を持っていたのか実はよくわからない。

けれど、ここに挙げた作品には、2000年代に参照され、2009年現在と繋がる示唆を含んだリアリティがある――と思い、ピックアップを始め集めた13枚のディスク。リリース年が曖昧なものもあるが、ご容赦を。


『Mesmerised』/EAR

先日、2年連続(!)の来日公演を行ったソニック・ブームが、スペースメン3解散後にスペクトラムと平行して始動させたプロジェクト。かたや、スピリチュアライズドを率いてルーツやロックの“正統”に根差したアシッド・サイケデリアの肉体性を追求する元相棒のジェイソン・ピアースに対して、ソニックはヴィンテージの電子楽器や子供用の言語学習機械まで操り、アブストラクトな電子音響とドローンの快楽性に耽溺してみせる。1950年代のロックンロールやブルースに音楽的素養の一端を持ちながらも、エレクトロニクスの響きにすべてを預けてしまったかのような“物質性”は、かつてのシルヴァー・アップルズやスーサイドに連なる彼岸の境地。ファースト・アルバムの本作には、ケヴィン・シールズやAMMのエディ・プレヴォー、ゴッドのケヴィン・マーティンなど錚々たる名前がクレジットされ、アンビエントでトリッピーな電子音響が全編を覆いつくす。作品を重ねるごとに瞑想的なミニマル志向を強めていく作風の深化は圧巻。


『Distance』/フライング・ソーサー・アタック 

マッシヴ・アタックやポーティスヘッドと同時代に活動しながら、いわゆる“ブリストル・サウンド”の一言では括られない異端性を示したFSA。ポップ・グループやその周辺から、前記の2組やトリッキーにいたる流れを彼の地の“本流”とするなら、ジザメリやマイブラないしスペースメン3とも共振するシューゲーズでアンビエントでサイケデリックなFSAはまさにブリストル・サウンドの“伏流”。そうした特異な立ち位置は、例えば彼らの作品がジム・オルークやロイヤル・トラックス、また日本のゴーストの作品と一緒にドラッグ・シティからリリースされていたことにも象徴的。初期のシングル等を収録した本作は、フォークmeetsドラムンベースとでもいうような後期の趣向とはまた違った来歴不明の混沌ぶりを呈していて興味深い。その禍々しい音響の波紋は、同時代のウィンディ&カールやスターズ・オブ・ザ・リッドらと同心円を描きながら、2000年代のディアハンターやグローイングにまで達している。


『Generation Star Wars』/アレック・エンパイア

アタリ・ティーンエイジ・ライオットに先駆けて発表されたファースト・ソロ・フル・アルバム。出世作のノイズン・ブレイクビーツ“SuEcide”を含むも、初期のエイフェックス・ツインにも通じるこの人のソロ・ワークス特有の内省的な実験性やアンビエント趣向が反映されたコンピ『Limited Editions 1990-94』に対し、BPMはまだ低めのブレイクビーツ主体ながらアタリのイメージに近いハードコアでアグレッシヴな要素が打ち出された内容に。アタリが活動を本格化させるに従い、アブストラクトやハード・ミニマルなどアプローチを振り分けたり、ゲームボーイの音源でアルバム一枚作ったりとアザーサイド的な性格を帯びていくソロだが、異様なテンションとペースで量産&発表された初期の作品群はどれも興味深い。


『All Lights Fucked on the Hairy Amp Drooling』/ゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラー

当時カセットで33本のみ制作されたというファースト・アルバム。その4年後にKrankyから再発されたセカンド・アルバム『F#A#∞』を機に注目を集め、NMEが「今世紀最後のロック・バンド」と喧伝する事態にまで発展した周囲の喧騒をよそに、その黙示録的で“ゆるやかな暴動”は、ここにわずか3人のみで始められたという記録。現在は入手不可で当時の演奏を聴く術はないが、その音楽が描いたであろう“風景”や叙事的世界のありようは、現存の作品群からも想像することができる。1980年代のハードコア・パンクをルーツに生まれた混沌と調和が織りなす暗黒のオーケストラは、同時代の数多のポスト・ロックやインストゥルメンタル・ロックよりも苛烈でシリアスな先鋭性を誇り、スロウコアやサッドコアと呼ばれた音楽よりも深い闇と悲しみを湛えていた。結果的に最後の作品となった2002年の『ヤンキーU.X.O.』は、まさにアメリカと刺し違えるような覚悟に満ちたアルバムだった。


『Rings on the Awkward Shadow』/キャロライナー・レインボー・グレイス・ブロックス・ユーズド・イン・ザ・プレイスメント・オブ・ザ・パーソナリティ

「キャロライナー」または「キャロライナー・レインボー」あるいはその下に続く無数の変名を引き摺りサイケデリック・コラージュのような奇想音楽を生み出し続けるサンフランシスコの異種。ビーフハートやレジデンツそして後期デストロイ・オール・モンスターズといった西海岸伝統の“狂気の遺産”を受け継ぐフリーフォーム&フリークアウトなサウンドは秘教奇祭の見本市のようなパフォーマンスと相まって禍々しいことこの上ない。縦軸に置くアメリカン・ルーツと、アヴァンギャルドからローファイ~ジャンクを結ぶ横軸を奇々怪々と絡ませ、音楽史の見取り図を読み替え書き換えるような荒唐無稽さは、同世代のサン・シティ・ガールズやカレント93と共有し、ボアダムスの海外進出とも通じる1990年代初頭の再評価をへて、2000年代のフリーク・フォークや初期のアニマル・コレクティヴにも連なるものだろう。リードシンガーのグラックスを中心とした不定形のユニットで、過去のメンバーには後にディアフーフに一時参加した者も。また「Boadrum」にもここの出身者が参加していた。


『Mir Shlufn Nisht』/ゴッド・イズ・マイ・コ・パイロット

1990年代のニューヨークはオルタナやグランジの波に取り残された感があったが、その中で存在感が光ったのがブロンド・レッドヘッドと、この夫婦デュオ。ニッティング・ファクトリー界隈のフリー/ジャズ・シーンを背景に、パンクもファンクもノイズも、北欧民謡やユダヤ音楽まで手当たり次第にごちゃ混ぜかき鳴らすサウンドは、トイ・アヴァンギャルドというかトラッシュ・ポップな代物。1980年代ノー・ウェイヴの残滓を1990年代的ローファイ感覚で蘇らせたような倒錯感。かたや、DNAの曲名を冠し、あの時代のエッジをギター・ロックに宿したブロンド・レッドヘッドの庇護者がソニック・ユースやフガジなら、かたや、彼らの盟友はジョン・ゾーンやジェド・フェアだったというのも好対照で象徴的。本作ではゾーンをプロデューサーに迎え、オリジナル曲にロシアやヘブライ民謡まで取り混ぜた異色中の異色作。元ドラマーのマイケル・エヴァンスは2007年の「Boadrum」に参加。ちゃんと“今”と繋がっている。


『Rusty』/ロダン

スクイレル・ベイトからバストロとスリント、そしてガスター・デル・ソルからトータスあるいはフォー・カーネーションへと至るポスト・ハードコア~ポスト・ロックの肥沃な源流=ルイヴィルが生んだもう一つの至宝。“スリントの正統なる後継者”とも評された彼らは、その猛り狂ったリフと鋼のようなドラムが織りなす軋んだ音像/アンサンブルに、激情と詩情のあわいを縫う「うた」を滴らせる。ヴォーカルの一人でベースのタラ・ジェイン・オニールは、当時エリック・トリップのジュリー・ドロワンと並ぶ1990年代のアメリカン・インディが生んだ最高の女性SSW。シェラックのボブ・ウェストンが録音した唯一のアルバムである本作を発表し解散後、ソノラ・パインをへてソロを始動させたタラを筆頭に、メンバーはジューン・オブ・44~シッピング・ニュース、レイチェルズなどへ分派。ヘルメットやドン・キャバレロにも比肩する現在のマス・ロック的なアイデアにも富む。


『Please Don’t Come Back from the Moon』/ハリー・プッシー

ハリー・プッシーは、マイアミが誇る極悪ノイズ・ギター+絶叫女性ドラマーからなる夫婦デュオ。“キャプテン・ビーフハートとノー・ウェイヴを架橋するフリー・ジャズ通過後のハードコア・ノイズ”とでもいうべきサウンドは、ジャームスや初期スロッビング・グリッスルから、ボアダムスやティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークスまで引き合いに出して評価され、セバドーやサーストン・ムーアを始め当時のシーン内でカルト的な熱烈支持を得た。1990年代後半に解散済みだが、昨年EPや未発表音源を集めた『You'll Never~』がLoadからリリースされるなど、むしろ今こそジャストな音では。ライトニング・ボルトやサイティングスは無論、Siltbreezeのレーベル・メイト=イート・スカルやタイムス・ニュー・ヴァイキングといった最近のノーファイ/シットゲイズとも共振する混沌混濁の極みのウォール・オブ・ノイズ。2000年代に入ってからは、ドラムのアドリス・ホヨスはサーストンとジャムったりキムのアート展『Kim’s Bedroom』に参加したり。


『Machine Cuisine』/シックス・フィンガー・サテライト

そのLoadから今年、11年ぶりの新作『Half Control』がリリースされた6FS。ファースト・アルバムはシェラックのボブ・ウェストンが録音と、1980年代末~90年代初頭のポスト・ハードコアを背景に登場した彼らだが、ギャング・オブ・フォーっぽい金属的なギターとファンク訛りの変拍子やシンセが特徴的だったそのサウンドは、同じサブ・ポップ所属のニルヴァーナやマッドハニーといったグランジ勢よりもタッチ&ゴー所属のブレイニアックやガールズ・アゲインスト・ボーイズなんかに感触は近い。1998年リリースの活動休止前の5th『Law Of Ruins』がジェームス・マーフィーのプロデュースだったことにも象徴的なように、ハードコアとニューウェイヴ/ディスコがクロスオーヴァーした折衷性はむしろ2000年代的で、ラプチャーやレス・サヴィ・ファブ辺りとの親和性は言わずもがな。ギター/シンセのフアン・マクリーンはDFAからソロ名義でデビューを果たすなど、近年密かな再評価の兆しあり。本作はシンセ・サウンドが彼ら独自の方向性を主張し始めた転機作のEP。


『Burritos,Inspiration Point,Fork Balloon Sports,Cards In The Spokes,~』/キャップンジャズ

1990年代のシカゴといえば、ジョン・マッケンタイアのトータス周辺と、ティム・キンセラのジョーン・オブ・アーク周辺。本作は、そのティムが創始メンバーの一人であり、後にJOAを始めプロミス・リングやオーウェンやオウルズなどファミリーツリーを広げていくシカゴのポスト・ハードコア/エモの源流とされるバンド唯一のオリジナル・アルバム。JOAのポスト・ロック的なアンサンブルともメイク・ビリーヴのつんのめったハードコアとも異なるファストで渇いたエモは、同時代~以降のメロコア勢とは一線を画す。2000年代を迎えて、エクスペリメンタルな音響工作と唄心溢れるソングライティングの間を揺れ動いていくティムの初期衝動的な原点がここにあり、音の手触りはアルビニ関連の諸作と皮膚感覚を共有。当時の音源はJade Treeからリリースされた編集盤でまとめて聴ける。


『Pass And Stow』/ラングシッシュ

フガジと並ぶディスコードの看板的バンド。ハードコアの切り立ったエッジと、ストーナーにも近いサイケデリックな陶酔と深いブルース感覚を併せ持ち、重く引き摺るようなギター・サウンドはグランジのハードロック回帰(サーストン・ムーアいわく「1977年以前のロック」)とも潜在的に同期する。そのポスト・ハードコアに示した特異な存在感は、メンバー各自が平行して展開したソロやユニットの多様性にも顕著。なかでもVoのダニエル・ヒッグスの諸作は、例えば同時代のデヴィッド・グラブスやパホあるいはボニー“プリンス”ビリー、そしてフリーク・フォークの一角とも通底する“ハードコア通過後のフォーク”のサンプルとして興味深い。そうしたダニエルの作家性は、本作でも印象的なその呪術的な歌唱にも見て取ることができる。ベースのショーンはジューン・オブ・44やソノラ・パインに参加するなどルイヴィル・シーンと交流も。


『Boo : Live in Europe 1』/ハーフ・ジャパニーズ

ダニエル・ジョンストンやキャルヴィン・ジョンソンだけじゃなく1990年代インディーズのDIYなピュアリズムやローファイ精神を象徴した奇跡の天然素材。といっても1970年代末から自室やガレージでヘタウマなアウトサイダー・ポップを作り貯めてきた、このシャッグスとタメはる愛すべきアマチュア兄弟は、カートにとってはダニエルやヴァセリンズと同じく羨望の対象であり、さらにはヴェルヴェッツのモー・タッカーからジョン・ゾーンやフレッド・フリスら前衛派の要人を巻き込み創造性を無垢なまま開花させた奇才の中の奇才だった。その壊れたポップ・センスや初期の荒々しいノイズの手法は、例えばウッズやWoodsist周辺の現在のローファイ勢にも通じる。兄のジャドは、ダニエルや盟友クレイマーと共演したりソニック・ユースのスティーヴとバンドを結成したり個人活動も。


『Unboxed』/フリー・キトゥン

1990年代で最も重要なムーヴメント、それは真にオルタナティヴでインディペンデントな“運動”だったライオット・ガールに他ならない。男性支配的だった80年代のハードコア/パンク・シーンを背景とした反性差別の声とDIY精神。その最大の果実はキャスリーン・ハンナのビキニ・キルやL7に間違いないが、彼女達のロールモデル的なアイコンの一人といえる存在だったのがキム・ゴードン。フリー・キトゥンはキムが元プッシー・ガロアのジュリー・カフリッツと始めたバンドで、これは初期のシングルやEPを集めたファースト・アルバム。時代背景をもろに反映したロウでダーティなガレージ・ロックはガロア寄り。セカンド・アルバムでボアダムスのヨシミやペイヴメントのマーク・アイボルトが本格的に関わるようになりポップさを増すが、去年の4作目『Inherit』では、キム&ジュリー+J・マスキスが客演という形を執り再びヘヴィなロックンロールに。


(2010/01)

2011年2月12日土曜日

極私的2000年代考(仮)……ダーティー・プロジェクターズという至宝

「フリーク・フォーク」と呼ばれる2000年代の新たなフォーク・ムーヴメント。それが単なる反動的なリヴァイヴァルではない証左の一つとして、彼らの一部に「ハードコア」と地続きの価値観や音楽背景を確認できる点については、これまでも繰り返し指摘してきたことだが――その最新のサンプルとして興味深いのが、ダーティー・プロジェクターズのニュー・アルバム『ライズ・アバヴ』である。

アニマル・コレクティヴやバトルスとシェアする2000年代のブルックリンを拠点に、フォークやブルースといった「大衆音楽」とアヴァンギャルド・ミュージックのあわいで独創的なサウンドを創り続けてきたダーティー・プロジェクターズ。そんな彼らが4作目となる最新作で試みたのは、あのブラック・フラッグが1981年に発表したUSハードコアの名盤『ダメージド』のカヴァー。それも、ただなぞるのではなく、昔聴いた「記憶」だけを頼り再構築するという、きわめてユニークなコンセプト・アルバムといえる。

しかし、かくして出来上がった音楽は、「ハードコア」の音楽的なパブリック・イメージからは最も遠く離れた場所から聴こえてくる、まるで異国に伝わる鄙びた哀歌か、祖国を追われたドロップアウターたちの賛美歌のような美しく悲喜劇的な調べ。その感動的なまでのコントラストにたまらなく惹かれてしまった。こんなにも物悲しくも壮麗で、はかない「蜂起の歌」を聴いたことがない。
かつて1980年代の「ハードコア」は、右傾化を強める当時のアメリカを糾弾する時代の声だった。ならば、その最も切実な声明足りえた『ダメージド』に感応し生まれた『ライズ・アバヴ』には、どんな(創った本人の思惑も超える)時代的な必然性が託されているのか。そしてそれは、活況にある現在のアメリカのインディ・シーンの地殻変動と、どうリンクし、あるいは一線を画するものなのか。以下、中心人物のデイヴ・ロングストレスに訊いた。


●そもそも今回の、ブラック・フラッグの『ダメージド』を記憶を元に再構築する――というアイデアは、どこから生まれたものなのでしょう? あのアルバムの何があなたを魅了したのか。

「実は、アイデアがどこから生まれたか、あんまりはっきりしてないんだけど。きっかけは、ある時両親の家に置きっぱなしにしておいた子供時代の古い荷物を整理してて……そこは僕が育った家なんだけど、両親が引越すことになったからさ。そしたら『ダメージド』のカセットケースが出てきたんだよ。でもそのケースには中身が入ってなくてさ。で、どんな音楽だったか無性に思い出したくなってきて。そんで、じゃあ思い出しながらアルバムを作ったら面白いんじゃないかと思ったんだ。たぶん次に自分がやりたいことを探していたっていうのもあったんだよね。だから僕が作ったのは、自分の記憶の中のあのアルバムであって、比較的ちゃんと憶えていたところもあるし、恐ろしいくらいに間違ってた部分もあるんだよね」

●当時『ダメージド』を聴いて、心を揺さぶられたり強烈に印象に残ったフレーズや曲はなんですか。

「“Depression”なんかは結構脳裏に焼きついて、わりとしっかり憶えてたから印象に残ってたんだと思うよ。あと“Six Pack”もそうだし、“Rise Above”も、“Spray Paint (The Wall)”も……この辺りはわりと鮮明に憶えてたね」

●そうした曲をいざ自分で歌ってみて、あのアルバムに関して何か発見するものはありましたか。

「レコーディングが終わってからオリジナルを改めて聴いてみたんだけど、すごく妙な感じだったね……うん、ホント変だった。すっかり忘れてた曲がいくつもあってさ……あ〜、何て言い表わせばいいのかわからないなあ、あの変な感じ。オリジナル、つまりすでに存在していたものを聴いているんだけど、誰かに自分の頭の中を読まれてるような感覚っていうか(笑)」

●へえ(笑)。ちなみに前作『The Getty Address』もイーグルスのドン・ヘンリーにインスピレーションを得て制作されたアルバムということでしたが、今回のような作品を創ることは、あなたにとってどのような意味があったのでしょうか。それは音楽的な、クリエイティヴな部分での関心からだったのか、それともパーソナルな、あるいは何か批評的な関心からだったのか。

「何て言うか……経験としては、とにかく作っていてたくさんの驚きがあった。まずざっくり曲の原型を作ったんだけど、もうびっくりするほどあっと言う間に出来ちゃったんだよ。1曲につき1週間とかそのくらいで、アコースティック・ギターだけでさ。それからバンドみんなでアレンジ全体をやって、それが去年の、大きなUSツアーが始まる直前だったんだよね。で、それまでの音楽は、ほとんど自分ひとりで作ったもので、ホント個人的に作って、バンドのアレンジを考えてっていう。でも今回はそれとは反対のやり方を試してみたかったんだ」

●資料には「僕のパンク・ロックに対しての観測結果のようなものになったと思う」というコメントもありますが。

「うん、そう。確かにそうだったと思う。いや確実にそうだった……」

●具体的にはどういう意味で?

「やっぱり、すごく作業が早かったとか、すごく剥き出しな感じがするところとかね。基本的なレコーディングは3日くらいで終わっちゃったからさ」

●では、サウンド的にはどんなアイデアをもってレコーディングに臨んだのでしょうか。「ハードコア」の特化されたイメージやスタイルを、フォークやゴスペル、ブルースなどが乱れ舞う、物悲しくも美しい「大衆音楽」へと解き放ったこの奔放なアプローチは、意図したものだったのか、それとも偶然に辿り着いたものなのか。

「今君が言ってくれた、解放っていう言葉はすごく好きだな。つまりハードコア・パンクって、今日その言葉が意味するところの枠内に閉じ込められていたっていうか、作られた伝統だったというか。それで……僕が言いたかったのは、パンク・ミュージックで肝心なのはスタイルなんかじゃなくて、感覚的なものなんだってことで。もちろんそれは自己表現でもあり、もしくは新しい何かを作るということでもあり。だから別に3コードだとか、アホらしい偽りの形式主義じゃなくてさ」

●一般的に「ハードコア」といえば怒りから生まれた表現・音楽とされていますが、同時に「ハードコア」には、社会や政治状況から弾き出されてしまった若者やティーンエイジャーのたちの悲しみや刹那的な感情がその底流にはあると僕は思っていて。

「ねえ、ちなみに日本でもハードコアってそういうものとして受け止められてたの?」

●そういう部分はあると思います。

「それってすごいよなあ。世界中で、そういった不満を抱えたキッズが、あるひとつの音楽に対して、同時に反応を示したってことだもんな。驚くべきことだよ、素晴らしい」

●『ライズ・アバヴ』は、そうしたハードコアの見逃されがちな本質を、ありがちなマッチョな形ではなく、リアルに映し出し再構築した音楽だと、個人的には深い感慨を覚えたのですが。。

「え~と、そう感じてくれたのは嬉しいね、それは僕にとっても大切なことだから。ひとつに、さっき君が言ってた怒りについてだけど、僕の場合、ティーンエイジャーだった頃にハードコアを聴いていて、あの音楽に呼応したのは怒りの部分ではなかったし、実際自分が受け取ったのも怒りの表現としてのそれではなかったんだ。僕が感じ取ったのは、一個人として立てという呼び掛けであったり、自分らしくあれっていうことだったり……うん、僕があの音楽から受け取ったのはそういうことで。だって別に、例えばクリエイティヴな人間だとか、想像豊かな人間、もしくは空想好きな人間、そういうやつが社会から疎外されることだって十分にあるわけだからさ」

●1980年代のハードコアの背景には、当時のレーガン政権に象徴される右傾化に向う社会・政治状況がありました。ハードコアとは純粋に音楽として以上に、そうした情勢に対するプロテスト、カウンター・カルチャー的な要素があったわけですが。そうした当時の情勢は、現在の9・11以降のアメリカとも重ねるところがあり、音楽のスタイルこそ違え、今の意識的なアーティストが「ハードコア的」なものへと向うのには必然性があるようにも感じます。そうした側面から今回のアルバムを捉えることができるのではないかと思うのですが、どうですか。

「当時のレーガン政権下の社会状況と今の状況の類似については、僕自身はまったく考えてなかったけどね。でも思うのは、カウンター・カルチャーって、その周りがある意味パズルみたいな仕掛けで取り巻かれていて、それが今解き明かされているというか……もしかしたら、そういう感じはあるかもしれないけど、う〜ん、どうなんだろう。だから『ライズ・アバヴ』にも、それを感じ取ったような、神秘的なメディテーション的側面があるかもしれない。でも今の時代において、カウンター・カルチャーにどういう存在の仕方が可能なのか、もしくはどういう立場を主張し得るのかは、僕にはちょっとわからないかも。カウンター・カルチャーが起こるための新たな地平が、どこから開けてくるんだろうかっていう。まあ、だから、これまでのカウンター・カルチャーの歴史を引き合いに出すことも、その一つの方法なのかもしれないよね」

●例えば、あなた方もその一群に多々含まれる「フリーク・フォーク」の特徴の一つに、彼らの中には、当時のハードコアがそうだったように、自分達のスタイルや活動に政治的な意義やある種のプロテスト的な価値を見出しているアーティストが少なくない、という点が挙げられます。DIYな制作環境やグラス・ルーツ的なコミュニティなど、そうした彼らの行動自体が、今のアメリカの政策や音楽ビジネスに対する一つの抗議運動としての性格をもっているという。そうしたムードを身の回りに感じることはないですか。

「どうなんだろう……まず“フリーク・フォーク”っていう用語について言うと、もう最初から問題含みだったと思うんだよね。その用語を聞いて、自分がそこに属していると感じたアーティストってたぶん誰もいなかったと思うしさ。しかも今君が言ってたようなグラス・ルーツ的な価値観とか方法論が、フリーク・フォークとして括られるようなものと、どの程度まで通じ合うものなのかっていうのが、イマイチ判然としない気がするんだよね。つい先日もデヴェンドラ(・バンハート)に会って……ロッテルダムかどこか忘れたけど、まあとにかくそれはすごく楽しくて良かったんだけど。その話は置いておいて、それとは別にアメリカにはれっきとしたフォーク・アンダーグラウンドというものがあって、それは正真正銘のアンダーグラウンドで、個人的な意見を言わせてもらえば、結局のところそれはウェスト・コーストの音楽的伝統に行き着くんだと思ってて。だから例えばK Recordsみたいなレーベル、そんでフィル・イルヴラム(マイクロフォンズ)みたいな人物とか、リトル・ウィングスとか、たぶん君がさっき言ったことを実際にやっているのは、そういう人達なんじゃないかと思う。彼らはマジに、個人的な、アンチ・ビジネスな精神でフォーク・ミュージックをやってると思うから」

●で、あなた自身も、その姿勢に共感するということですか?

「当然」

●一方、モデスト・マウスやブライト・アイズの作品がビルボードの上位にチャート・インするなど、アメリカのインディ・シーンの活況がここ数年いわれています。あなた自身の感覚としてはいかがですか。アメリカの音楽産業、リスナーの音楽的な関心が変化を見せ始めていると感じますか。
「それはちょっとわからないなあ。僕がそれを語るのも何だなあと思うんだけど。だからホント感覚的にしか言えないけど、確かに、カルチャーが脱中心化しているっていうのはあるんじゃないかな。それはホント実際に、中心からどんどん離れていってるような気がする。それまでものすごく平面的で、スターがもてはやされるようなメインストリームが幅を利かせていたわけだけど、もっとそれぞれに特異で、パーソナルなものになっていて、それはすごく面白いと思う」

●ちなみに、あなた自身の音楽的な関心/ルーツとなると、どんなアーティストが挙げられますか。『ダメージド』のほかに感銘を受けたレコードなど?

「『ダメージド』以外……毎日、レコードを聴くたびに感銘を受けてるよ」

●(笑)そのなかでも特に、自分のルーツとなったようなバンドといえば?

「う〜ん……やっぱりビートルズ辺りになるのかも。あとビーチ・ボーイズとか、そんな感じだね」

●わかりました。では最後に、アルバムのタイトルについて。『ダメージド』ではなく『ライズ・アバヴ』にしたのはなぜですか。これはあなたが「ハードコア」というものに、今の時代にも訴えかけるようなポジティヴなメッセージを感じ取っている表れなのかな、と個人的には思ったのですが。

「うん、僕がやりたかったことってたぶん……自分の記憶の中の『ダメージド』、つまりあの音楽の内側で光を放っている部分、そのポジティヴィティ、そこで呼吸しているもの、そして希望、そういう部分を掴み取ることだったんだ。そういうものがあの、荒っぽくて、苦悩している外装を纏った音楽の内部に隠されていたから。あの光を少しでも手に入れたいと思った。だから、僕が作ったアルバムは、そういうものに対する憧れみたいなものだから、『ライズ・アバヴ』が良いタイトルなんじゃないかと思ったんだ」

●音楽をやるうえでもっとも大事にしていることは何ですか。

「大事なのは精神だよ」

(2008/01)

2011年2月11日金曜日

極私的2000年代考(仮)……“ハードコア”という立脚点

ラングフィッシュというバンドを知ったのは3年前のこと。

きっかけは2004年の初来日公演の際に行われたボニー“プリンス”ビリーことウィル・オールダムのインタヴューで、「ソングライターとして“歌詞”の部分で共感するアーティストは?」という質問に、ジョアンナ・ニューサムやホワイト・マジックと一緒にウィルが挙げた名前がラングフィッシュだった(もっとも取材場所の壁に貼られていた彼らの来日告知のポスターを見て咄嗟に名前を挙げたのかもしれないが)。

その理由についてウィルは「明確なイメージ描写やフレーズだったりするんだけど、同時にそこにある種の曖昧さや自由があるようなものが好きなんだと思う。それがきっと10年後も聴けるだろうとわかるような、そしてその時は今とは違うふうに聞こえるだろうなって思えるもの。聴くたびに違う部分が耳に入ってくるような」と語っている。
 
ラングフィッシュ(Lungfish=「肺魚」の意。4億年前、ジュラ紀以前のデボン紀に発生した魚類と両生類の中間に位置する古代魚の名称)。1980年代後半にメリーランド州ボルチモアで結成され、フガジのイアン・マッケイ主宰のディスコードに在籍する異形のハードコア・バンド。もちろんそれまで名前を聞いたことはあったが、いわゆる「ハードコア」と「詩人」ウィルのイメージが自分の中で結び付かず、その時はまったく気に留めることはなかった。対してジョアンナ・ニューサムやホワイト・マジックの名前は、当時台頭し始めた「フリーク・フォーク」なる潮流を意識させる契機として、(その数時間後にウィルの前座で初めて見た二階堂和美の衝撃と合わせて)自分の中では強く印象付けられたことを記憶している。

ちなみに、個人的なことを言うと、じつは純粋にジャンルとしての「ハードコア」を聴いた経験は少なく(まともに聴いたと言えるのはブラック・フラッグとミニットメンぐらい)、たとえば以前紹介した映画『アメリカン・ハードコア』を観て初めて知った事実も多く、オリジナルな意味での「ハードコア」については疎く関心も高くない。同映画の中でイアン・マッケイが「本心を表現したかったら32秒で伝える」と語っていたように、仮に「ハードコア」の本質が凝縮された強度と速度にあるとするなら、むしろ個人的な興味の対象は“拡散し混交を重ね越境する”ポスト・ハードコア的展開であり、つまり純血な正嫡子よりも来歴不明な混血児にこそ「音楽的」に惹かれる。

そんなわけで、ダニエル・AIU・ヒッグスというアーティストのアルバム『Atomic Yggdrasil Tarot』を最初に手にしたときも、それがラングフィッシュのヴォーカリストのソロ作品だとはまったく気付かなかった。いや逆に、もしそうと知っていたら聴く機会のなかった可能性もあり得る。

アコギやエレキ・ギター、アップライト・ピアノにバンジョー、ユダヤ楽器など用いて自宅のカセットで録音されたというサウンドは、ところどころ亀裂のようなノイズが走り、音響は不気味に歪み、なんだか祈祷や魔術的な儀式を思わす禍々しさを漂わせている。いわゆるフォークやギター・インストゥルメンタルのスタイルを採りながら、ラーガやガムランの要素も含みつつ、しかしあくまで「ハードコア」の延長にあることを実感させるささくれ立った手触りは、単なるルーツ探求やスピリチュアルな瞑想に回収されない奇形性を帯びたもので、たとえばジャンデックに通じる無常を極めたような空恐ろしさ、あるいはどことなく壊れてしまった感じがジョン・フルシアンテの初期のソロ作品を連想させた。ちなみに作品のタイトルにある「Yggdrasil」とは北欧の神話に伝わる巨木のことで、あの世とこの世を繋ぐ象徴とされているという。

『Atomic Yggdrasil Tarot』にはアートブックが付録されていて、そこにはダニエル自身のペインティングと詩によって作品の世界観が提示されている。バンドを始める以前はタトゥー・アーティストだったダニエルは、音楽以外にもアート全般に造詣が深い多才な作家で知られている(そのあたりも個人的にジョン・フルシアンテの姿とダブる)。ライヴでの奇怪なパフォーマンスを指摘されたインタヴューでは「このバンドにおける自分の最大の関心は踊ること」と語り、加えてバンドやソロの他にもギタリストのアサ・オズボーンと組んだデュオ=パピルス名義で作品を発表するなど、この男の創作に向けられたヴァイタリティは尽きるところを知らない。

ダニエルはあるインタヴューで「ラングフィッシュというバンドを4つの単語で表すとするなら?」と訊かれ、「Apocalypse(啓示、黙示)」、「Yellow」、「Amphibious(水陸両性、二重人格)」、「Occult(神秘的、魔術的な)」の4つを挙げている。なかでも興味深いのは「Yellow」と「Amphibious」の2つの単語で、「Yellow」を選んだ理由についてダニエルは「黄色は自分にとってもっとも力強い色で、太陽の色でもあり、この世界のあらゆるすべてを繋ぐ中間色を意味している」と説明する。そして「太陽」は、あらゆるすべてが生まれる場所である、と。
この「Yellow」や「Amphibious」が意味する中間性や両義性は、バンド名の「肺魚」やアルバムのタイトルにある「Yggdrasil」が象徴するところと同じく、奇しくもウィルが「ある種の曖昧さや自由」とその歌詞について指摘したように、ダニエル・ヒッグスというアーティストを定義する本質的なパーソナリティなのだろう。

いわゆるハードコアからフォーク~エクスペリメンタルへと越境する音楽的なバックグラウンド。そして音楽のみならず様々な表現のフィールドに広がる横断的な創作精神。おそらくダニエルにとって音楽を含めた「アート」とは、強度や速度に還元される原理主義的な産物ではなく、異質なもの同士が隣り合う場所にこそ価値を見出される、不確かで曖昧な存在として実感されるものなのではないだろうか。
映画『アメリカン・ハードコア』でも描かれていたような「ハードコア」の急進/求心的な凝縮への動きに対して、ダニエルはそこに音楽的な出自をもちながら、しかしそこから奇妙な旋回を見せる。ラングフィッシュのフロントマンとしてアメリカン・ハードコアの本流に立ち、そこから枝分かれする支流のようにソロやユニットでは実験的で折衷的なベクトルへと創作の舵を切るポスト・ハードコア的展開(もっとも1987年に結成されたラングフィッシュはキャリア的にはビッグ・ブラックらと同様にポスト・ハードコアに属するのだろうが)。

興味深く、また象徴的でもあるのは、そのとき彼が辿る支流の先が「フォーク」であり、そこには「ハードコア」とは対極にある越境性や漂泊性とも言うべき心性と、きわめて今日的なアンダーグラウンド・ミュージックの潮流と交わる動向を確認できることだ。


「ハードコア」から「フォーク」へ、あるいは両者が交わる場所から独創的な音楽を立ち上げるアーティストの台頭が、いわゆる「フリーク・フォーク」と呼ばれるシーンの中に散見できることはこれまでも繰り返し触れた。それは、たとえばラプチャーやLCDサウンドシステムに代表される一部「ディスコ・パンク」勢から、!!!、さらにはマーズ・ヴォルタやバトルスまで含む「ポスト・ハードコアの現代的展開」の一事象として、2000年代のオルタナティヴ・シーンを切り取るきわめて重要な特異点と言える。「ハードコア」体験の有無が――それは直接的か間接的かを問わず、1990年代においては先鋭的なポスト・ロック~インストゥルメンタル・ロックの萌芽の遠因となっていたように(トータス、モグワイ、ジョーン・オブ・アーク、ゴッドスピード・ユー!・ブラック・エンペラーetc)、2000年代における「ハードコア」を起点とした音楽的転回は、よりラディカルな形で局所的だがシーンにエフェクトを与えている(ブラック・フラッグにインスピレーションを受けたという傑作『Rise Above』をリリースしたダーティー・プロジェクターズ、同じくNY発で最新EP『Rawwar』をリリースしたばかりの、かつてフガジのギーがアルバムをプロデュースしたこともあるDC出身のクレイニアムを前身とするギャング・ギャング・ダンスなんかもその最たる例だろう)。ダニエルがソロで見せる志向性とはまさにそうした動き(=越境性、漂泊性)と連なるものであり、「本流」も「支流」も併せ呑む(=中間性、両義性)形で「ハードコア」を追求するそのパーソナリティは他に例を見ることが少ない独特なものだ。
もっとも、実際のところダニエル自身が、そうした周囲の動向にどれだけ意識的なのか、また音楽家としての自らのパーソナリティについてどの程度自覚的なのかはわからない。数少ない彼のインタヴューからは、天性の「アーティスト」であり、自由人であり、聖職者のように自己の内面を厳しく見つめるリリシスト……といった人物像を思い描くことができるが、今回のアルバム『Atomic Yggdrasil Tarot』についての見解やキャリアを通じての音楽観、あるいは根本的なルーツの部分を含めて彼については個人的に知りえない部分が多い。

ちなみにダニエルのミドルネーム「AIU」とはラテン語で「Arcus Incus Ululat」、英語に訳すと「the Wailing Rainbow Anvil(咽ぶような音を発する虹色の砧骨?)」という意味らしく(「砧骨」とは外界の音波を振動によって鼓膜から内耳に伝える耳の骨の一種)、自然の力や神といった目に見えない存在を「音」によって具現化するというヒンドゥー教の概念を反映したものだという(『Atomic Yggdrasil Tarot』のアートブックしかり、ダニエルのペインティングやタトゥーに「目」をモチーフにしたものが多いのもヒンドゥー教の影響か)。「ハードコア」と「フォーク」を架橋する、そのいずれでもあり得る(=両義性)/いずれでもあり得ない(=中間性)「ある種の曖昧さや自由」を含んだ不可視なものに惹かれ、かつそれを可視化=音像化することに創作を捧げるダニエルの飽くなき情熱は、こんなところにも由来しているのかもしれない。

「僕にとってアコースティック・ショウをやることは、本当のパンク・ミュージックとは何なのかってことを発見する行為だった。ステージに独りで立ち、ギターを構え、すべての曲をアカペラで歌う。傍にはバンドもいないし、隠れることができる場所もない。あれこそがパンクだったよ」。

ベックとの対談(Guitar World Acoustic誌3月号)で、LAのフォーク・シーン時代を振り返りそう語っていたのはデヴェンドラ・バンハートだが、なるほど「フォーク」の原始的なスタイルとは「ハードコア」に匹敵する究極のDIYの形なのかもしれない。いわゆる「フリーク・フォーク」シーンにおいて「ハードコア」に音楽的なルーツを持つなかには、ジャッキー・O・マザーファッカーやサンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マン、ベン・チャズニー率いるシックス・オルガンズ・オブ・アドミッタンス、ビョークの『ヴォルタ』にも参加したクリス・コルサーノなど、自分たちの音楽や行為に社会的かつ政治的な意義を感じているアーティストは少なくない。1980年代のオリジナル・ハードコアがそうだったように(そのスタイルは異なるが)、そのフリーフォームで多文化・多民族的なサウンドや、ドロップアウターたちの社会集会的な性格を帯びたシーンのあり方自体が、今のアメリカや現代社会に対する批評でありプロテストであり得ていることを彼らは自覚しているところがある。そうした視点からダニエルの活動やパーソナリティをふたたび捉え直したとき、そこにはある種の必然性を伴い音楽やあらゆるアートの創作に向き合っている彼の「矜持」のようなものを発見することができるのではないだろうか。


サーストン・ムーアの12年ぶりとなるソロ・アルバム『Trees Outside The Academy』は、『ラザー・リップト』をはじめとするソニック・ユース本体の近作にも通じるクラシックでソングオリエンテッドな作風のサウンドに仕上がった。サーストンとスティーヴ・シェリー(Dr)を軸に、ハラランビデスのクリスティーナ・カーターや、ヴァイオリンを弾くサマラ・ルベルスキーといった「フリーク・フォーク」人脈、そして本人的にはもしかしたらダイナソーJrの再結成以上に「積極的」に近年その界隈のアーティストとコラボレートを重ねているJ・マスキスなど、脇を固める強力なゲスト陣に目を引かれるが、そもそもこうしたこれまでの「ノイズ、フリー、アヴァンギャルド」なソロ・キャリアとは異質な作品をサーストンはなぜ作ったのか、その動機は今回のアートワークに収められたブックレットを見ればなんとなくわかる。

ルー・リード『メタル・マシーン・ミュージック』を聴きながら悦に入るサーストン少年、パティ・スミス『ホーセス』を大事そうに抱えたティーンエイジャーと思しき長髪のサーストン、おそらく出会って間もない頃に撮られたのだろうサーストンとキム・ゴードンのツーショット……etc、セピア調のフォト・ダイアリーのようなブックレットを眺めながら、このアルバムがサーストンにとってきわめてプライヴェートな意味合いを帯びた作品であること、そしてサーストンがソニック・ユースの近作について語った「不思議な再生」というある種の原点回帰的なフィーリングが、彼にアコースティック・ギターを手に取らせ(エレキ・ギターは数曲のみ)、衒いのない「歌」へと向わせたことを想像する。
アルバムの最終局“Thurston @13”には、サーストンが13歳の時にコネチカットの自宅のベッドルームで録音されたという独り言が収録されている。

「Listen to The sound/Here’s Something for your ears to taste」。

でも「音」らしきものは何も聴こえない。「不可視な音」――サーストンは独りで一体何に耳を澄ましていたのだろう。

(2007/11)

2011年2月9日水曜日

極私的2000年代考(仮)……...And You Will Know Us By the Trail of Dead

...And You Will Know Us By the Trail of Deadの6作目『ザ・センチュリー・オブ・セルフ』は、「すごくノイジーなレコードになると思うよ」と予告した前作『ソー・ディヴァイデッド』完成時のコンラッドの言葉通り、初期の作品群を彷彿させるハードコアな衝動性とエピックな世界観が純度高く結実した傑作となった。

デジタル・テクノロジーへの傾倒~音響処理や器楽構成に凝った近作とは一転、今作は基本ライヴ・レコーディングで制作され、過去の曲を即興で演奏するなどしてアイディアが練られたという。敏腕クリス・コーディ(TV ON THE RADIO、グリズリー・ベア、!!!etc)を迎え、新天地ニューヨークで得た刺激をインスピレーションに完成された今作は、単にインディーズ復帰作という以上に、彼らのキャリアの新たな起点を刻む一枚となるに違いない。以下、コンラッドとのメール・インタヴュー。


●まず、最新アルバム『ザ・センチュリー~』を完成させた現在の心境を教えてください。今作はあらゆる面でバンドにとってのターニング・ポイントを意味する作品になると思いますが。

「もう過去のものになっているよ。次のアルバムの作業を始めたからね」

●前作は「自分をさらけ出すことがテーマだった」と話していました。対して今作を創らせたモチベーションとは、どのようなものだったのでしょうか。

「不思議なことに、このアルバムの制作中のエモーションはすごくポジティブなものが多かったんだ。自分達のアイディアは魔法のようにスムーズに流れ出してくれて、レコーディングで多少の難関はあったものの、演奏自体は難なくできたよ。経験からくるものなのかもしれないけど。モチベーションも凄くポジティブだったよ。それは新しい環境(ニューヨーク)に移ったという点もあるし、その時よく聴いてたりしたアーティストからもらったインスピレーションも大きかったな。(フリート・フォクシズ、サイキック・イルズ、ブラック・マウンテン、イェイセイヤー、ダーティ・プロジェクターズ、スクール・オブ・セヴン・ベルズ、ドラゴンズ・オブ・ズィンス、ミッドナイト・マッシズ、ホワイト・マジック、ワルシャワ・ヴィレッジ・バンド、アニマル・コレクティヴ、セレブレーション)。世の中にはスーパーに入る度に聞かされるあの非人間的でくだらないもの以外に素晴らしいものがあるんだって、希望をもらえたと思う。とはいえ、いつものように隠れた毒はたくさん入っていると思うよ。なるべくメロディやリズムで少し優しくしようとしたけどね。だから社会が進んだ道に対する健康的な怒りや、それを壊して新しい世の中を作りたいという想いからのモチベーションもあったよ。でもそれは僕らのレコードすべてにおいて言えることかな」

●サウンドについては、どのようなヴィジョンがあなたの頭の中にはあったのでしょうか。今作には初期の作品を彷彿させるようなラウドで、ハードコアな手触りを強く感じます。

「バンドを始めた時とほぼ同じヴィジョンかな。物事は美しくできるけど、それにはカオスが伴ってても良いというアイディアだね。台風の壮大な美や雪崩が小屋をつぶす様の詩的な部分を捉えようとしたんだ。でも満足はしていない。次はもっとうまくできるようにしたいな」

●今作はライヴ・レコーディングで制作されたそうですが、その理由とは?

「最近の僕らのライブの感じを捉えたかったという意図はあったね。特に即興があるブレイクダウンの部分などでは、新しいメンバーとの感情の行き来はとても一体感のあるものだし。こうした破壊的な音のパーツを曲にするという手法を考え出さなければならなかったんだ。一方で、完全に技術面の話でもあるんだ。MIDI情報をライブ・トラックにシークエンスする方法を生み出して、今までに比べてメソッド式にならなくてよかったんだ」

●今作については、『ソース・タグス&コーズ』に並ぶ作品だ、という声も聞きます。少なくともここ数作とは一線を隠すものを今作には感じますが。 

「多分唯一違いがあるとしたら、僕らは歳を重ねたことかな。時に『ソース・タグス&コーズ』が賞賛されるのに疲れることがあるんだ。あれは人々が言うほど金字塔的なアルバムではなかったと思うし、絶対ピッチフォークで10点満点をもらうはずではなかった。あの点数で、その後僕らがやろうとしてきたことに過度の期待が掛けられてしまった気がするんだ。でも変えられないことはしょうがないし、受け入れるしかないんだけどね。自分にとって価値のないことに気が向かないように、もっとたくさん気が散るようなことが起きてくれればいいんだけどね」

●“Bells of Creation”というナンバーもありますが、そうした新たな創造の始まりを告げるような瞬間はレコーディング中にありましたか。

「それは新しい大型ハドロン衝突型加速器(※高エネルギー物理実験を目的とした世界最大の装置)が教えてくれることを願っているよ。もっと原子をぶち壊していけば、創造と神の理解が見えてくるんじゃないかな。あの曲は実はスクール・オブ・セヴン・ベルズのショーを見てインスパイアされたんだ」

●今作にはイェイセイヤーとドラゴンズ・オブ・ズィンスのメンバー、そしてクリス・コーディが制作に参加しています。こうしたニューヨーク・シーンとの交流はどんな経験でしたか。

「ドラゴンズ~のメンバーとコーディは近所で友達としてつるんでるんだ。クリスのスタジオにはなるべく立ち寄れる時立ち寄ってたな。ソフトウェアのシンセについて一番知ってるんだ、あいつは。イェイセイヤーは会ったことなかったけど、彼らのアルバムはすごく聴いてて、ヴォーカルも良いし、パーカッションの使い方も気に入ってたんだ。あれはスタジオで上手くやるのに時間がかかる作業だからね。本当はダーティ・プロジェクターズも参加してもらいたっかんだ。彼らのヴォーカルはとにかく素晴らしいからね。いつかそんな光栄なことが起きればいいな」

●『The Century Of Self』というアルバム・タイトルには、どのような意味が込められているのでしょうか。

「アダム・カーティスの同名のドキュメンタリーを見て、自分なりの結論が見えたんだ。何か閃いたというか、何で今の世の中がこんな状態にあって、なんで音楽が今こんなに分離されているのかとかね。ジャンル分けとかはマーケティングの戦略であって、企業が大衆をコントロールし鎮静しようという策なんじゃないかってね。人間の知性ではなく、感情に訴えかけてきたし。だから彼らは無知でマテリアリスティック(物欲だけの)な社会を作りあげてしまったんだ。でも情報はそこにあるんだ(例えばそのドキュメンタリーはYouTubeで見れる)。そこがインターネットの二面性だよね。それに麻痺されるか、情報を得ていくか。あとは自分の選択次第っていうことだからね」

●今作のアート・ワークのイラストは、あなたが青のボールペンのみで描いたものだそうですが、これを書いてる時はどんな心理状態だったのでしょうか。

「正直言うとすごくピースフルでリラックスした状態だったよ。今南に向いている窓があって、冬でもたくさんの日差しを入れてくれるんだ。外で雪が降っている中、一日中絵を描きながら自分の猫達と戯れているのは最高だよ。あと、消防局が近くにあって、それは音楽的にもインスピレーションになるだけなく、敵対的で恐ろしい都会でどこか安心感をもらえるんだ。一人で作業する時とかに一匹動物がいる大切さは強調したいな。犬や猫の知恵は自分達の中にある種のテレパシーみたいな形で伝わってくると思うし、色んな考えを自分達の中で掻き立ててくれる。それは現代社会の人間が忘れてきたことだし、スピリチュアルな面でないと伝わらない話だと思う。でもこうした意識に敏感でいることは芸術や作曲をやる上で欠かせないと思うんだ」

●今作の制作に際して、特別何かインスピレーションを与えてくれたものがあれば教えてください。

「インスピレーションはどこにでもあるよ。テレビのドキュメンタリーでもいいし、地下鉄で聞こえた会話、面白い宣伝、古い友情が悪い方向に行ったこと、新しい友情が生まれたこと、などなど。インスピレーションを求めて彷徨うこともあったかもしれないけど、実は身近なところにあるものなんだって最近あらためて感じたよ」

●今年で2000年代の最初の10年が終わろうとしています。大雑把な訊き方になりますが、この10年の音楽シーンについてはどんな印象をお持ちですか。 

「音楽をすぐ消費して、ノヴェルティーに対する異常な欲に今傾いているのが本当に心配だね。昔は、気に入ったアルバムは何度も何度も聴いて、ある種自分達の体の一部にするくらいの感覚だった。でも今は今週何が出るかだけが気になって、その後はすぐ次の週に何が出るかを気にしている。もう前のことは忘れているんだ。これが続くと、やはり多くのミュージシャンがそれに合わせて、くだらない、ギミックで、ノヴェルティーな楽曲を吐き出し続けると思う。人の注意を一瞬捉えるものだけで、次世代、その次の世代に残るような音楽ではないよ。衣類や電気製品や車もそんな道を歩んできたんじゃないかな。質にこだわるのがなくなって、ライフスタイルに合わせたマーケティングばかりだよ。でも幸いにもこの消費に耐えられるリソースはもうすぐ尽きるだろうし、その時には大きく、そして激しい退屈に襲われるんじゃないかな」

●インディからメジャー、そしてインディへと再び立ち戻ったこの10年の自身の活動については、どう総括することができますか。

「あんまり過去のことは振り返りたくないんだけど、確かに今まではあまりちゃんとした情報を得ずに選んでしまった道もあるね。でもメジャーに行ったのもある種の実験だったし、何を期待していいのか分からなかった。僕は結構理想を追い求めている部分が強くて、それは常識によって動かされているというよりは、夢を現実にしたいという欲で動いているんだ。それによって、常に訳の分からない世界に入り込んでしまっているけどね」

●以前は「ロックンロールの新しい歴史を創ってやる」と理想を謳っていたあなたですが、前回のインタヴューでは「そういう考えはあまり健全じゃない。今の自分はもっと現実的なんだ」と話していました。現時点の認識も、後者に近い感じなのでしょうか。あるいは、今はまた新たな理想に燃えている感じなのでしょうか。

「インタースコープを離れたのは確かに理想を追い求める気持ちを再熱させてくれているよ。でもシニカルな部分は変わってないかな。新しいロックの歴史はもう創られるのか? 時に心配するよ。今、それはバンドによるものじゃなくて、大衆が何を求めているかによってきてしまっていると思うんだ。僕らの芸術は彼らに合わせられている。でも彼らが僕の冒険を支援してくれるなら、今まで通り、前に進んでいきたいと思っている。今バンドとしてのヴィジョンは常に進化しているし、大衆の支援がなくても、どこかにその吐き口が見つけられることを願っているよ」

●また、前回のインタヴューでは「今は音楽のこと以上に、人類に未来はあるのかって考えることが増えた。ロックンロールの未来よりもはるかに重要だと思う」と話していました。今の世界に対する現状認識、未来の展望とはどのようなものなのでしょうか。

「もちろんエンターテインメントの未来より、人類の未来の方が大切だというのは言うまでもない話だね。でも、より状況が深刻になるにつれ、芸術というものが様々なメッセージや理想を人に届ける役割を果たして欲しいという気持ちはあるよ。不思議なのが、人に何かをお願いしたり、これをやって欲しいと伝えたい時は、曲という形でやった方が簡単だったりするんだ。人々の潜在する感情に訴えかけるというか、それが芸術の果たせる役割なんだ。でもそれを使って人々をコントロールするというよりは、人々をインスパイアし、個々が活発に動いてくれる刺激になれればと思うよ」

●そうした現状認識、あるいは未来の展望が、今回のアルバムに反映されている部分もあるといえますか。

「“Insatiable”という曲で質問の答えを言えてると思うよ」

●最後に、あえて伺います。今のあなたは、「ロックンロールの未来」についてどのように考えていますか。

「ロックでは今後デジタルでの音の彫像やソフトウェア・ベースのシンセの役割がどんどん重要になってくると思うよ。技術がどんどん進化する中、職人芸というものに対する敬意も増しているから、実在するアナログなシンセとデジタルでヴァーチャルの次元で操られるインターフェイスの融合がこれから進んでいくと思う。ギターとかも今携帯電話がスマートフォンになって、どんどん色んな機能がついているように、コンピューターが内臓されたものや“スマートギター”という種も出てくるんじゃないかな。どんどん主流の世間が陳腐で質に全くこだわらない中身のないものばかりに寄り添う反面、インディペンデントな精神を持つアーティストたちはその空いた空洞を自分達で埋められるとに気付くだろうし、新たな音の冒険とかを試みていくだろう。かつてのニコライ・テスラのように、科学的な音の操作とかも増えるか もしれないね。ただ、我々はこの新しい知識を慎重に使わないと自分達を傷つけてしまうだろう。とはいえ、いくら技術が進歩しようと、アコースティックな音と本当の音楽の替わりになるものはないと思う。新しいことを試みる反動で、フォークなルーツに戻ることも必至だろう。フィドルのシンプルな美くしさ、ピアノの魔法のような壮大さ、管楽器の緊迫感、リード楽器の神秘性などなど、今の音楽の基盤になっているものばかりだ。あと、もちろん打楽器だね。骨で切り株を叩いて時代から続いているだけあって、永遠に忘れさられることのない要素だろう」

(2009/05)


※追記:2011年2月、ニュー・アルバム『Tao of the Dead』をリリース(